レイモンド・メリマン 週間コメント3/25【金融アストロロジー】レイモンド・メリマン 週間コメント4/8【金融アストロロジー】

April 05, 2019

🌑4/5の新月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  4月5日18:10前後、北海道周辺で 18:16前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は17:51頃、沖縄周辺では17:20前後に牡羊座 15°17’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココ、満月についてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♈️牡羊座15°~16°― 発効期:4/5~5/4 】
🌑🌞"An Indian weaving a blanket"
   『ブランケットを織るインディアン
            ↓
🌑🌞"Brownies dancing in the setting sun"
   『夕陽に踊る妖精達

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。

→★無数の出逢いをふり返って常に変わらぬ
             「わたし」という一本の細い糸を見出す
→★ひとつの現実を様々な角度から見つめ直し再構築する能力
→★単調で味気ないと感じられる道の一歩一歩を丁寧に歩んでみる
→★経験から学んだことを活かせない思いから来るフラストレーション
→★わかっているのに自ら自分を追い詰めることを
                 繰り返しそのために苦しむ傾向
→★失敗や喪失の感覚が本当は幻想だったかもしれない
                 という一段深い気付き
→★存在の根底に息づく誰のものでもない純粋な回復の力を信頼する
→★思わぬことが起きたときにそれを理屈抜きに面白いと感じる力
→★見ていながら見えず、触れながら感じることのなかった何かに気付く
→★忘れること、捨てること/忘れられること、
                 捨てられることで開く新たな道
→★深い本能に従った選択と行動で体の内側からの修復力を蘇らせる
→★これから新しく始まる日々に向かい強く静かで温かな想いを抱く
→★人生の山や谷、紆余曲折、その全てを一陣の風と感じる境地
→★新たな自我が孵化する前の擬似停止状態を受け入れる必要
→★救われたいと願い続けるこころが作り出す隙とそれが呼び寄せる危機
→★細部にこだわらず全体の情景を見渡しながら一呼吸いれる
→★今手の内にある全てに沿って顕現する未知の内的宇宙を信頼していく・・・→


★エネルギーのポイント:
前回の新月『全ての内的力が融合する一呼吸への集中』
            ↓
今回の新月『開く(たぐり寄せ、見つめ、枝を切り、目を閉じる)』
                   
            
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★4月新月の星模様とチャレンジ ★


  寒の肌寒さが戻る中、新しい元号が「令和」と発表されました。日本ではニュースを見てもSNSでもおおむね評判が良く、新しい天皇陛下のご即位を1ヶ月後に控えて全体になんとなく「気分一新」的な雰囲気が拡がっていったように感じられます。。新しいスタート。何かが明確に見えたわけじゃない。不確実さやわかりにくさの中で手探りするような状況は変わらない。けれど「時」の呼び名が変わった。単なる数の羅列ではなく、まるで時空のひと区切りを体現するように二つの表意文字が忽然と顕れそこに寄り添う。かつて独自のメディア論で一世を風靡したマーシャル・マクルーハンは、アルファベットなど表音文字の文化と表意文字の文化では人間の意識(宇宙観?)の在りようが全く異なると語っていたそうですが... 今あらためて元号という普段はあまり意識もしなかったような文字の組み合わせが、その大本の成り立ちをひらりと超えて息づき始めたような気がします。


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  そして...そう、確かにこの新月もまたそんなニュアンスを持っています。
ん、「そんな」って言っても漠然としすぎですね。じゃ、今回は様々なアスペクトをまとめてどんな感じかを書いてみることにしますね。


★気になるアスペクトまとめて★

新月にウィズダム、タロス、エクスカリバー(太陽とパラレル)がコンジャンクト
 それにペルセフォネ、ヒュロノメ、オリウスがスクエア
(ヒュロノメとペルセフォネはICにコンジャンクト)

セレスがGアトラクターと合。
木星が銀河中心にオーブ3°と迫って滞留、4月11日に逆行
(8月11日に射手座14°でGアトラクターとコンジャンクトして順行)

水星・海王星コンジャンクションの余韻が続く
(ヘリオセントリックの水星は射手座を逆行中、14日まで)

冥王星・Sノードとエリスがニアミス状態のスクエア、
 キラルス・Nノードとのオポジションが続く中、パラスが加わりGスクエア
(パラスはアグニ、ジュノーとGトライン)

土星・Sノード・冥王星とエリスからオルクスにクァドリフォーム
 オルクスと金星・ネッソスがオポジション

火星とエケクルスがコンジャンクト
海王星・水星とアスボルスがスクエア
カイロン・フォルスがスクエア
天王星とレクイエムがオポジション

4月11日 木星が逆行開始
(射手座24°21’〜14°30’/順行8月11日)


★4月19日 天秤座29°’06で満月!


  春分と同じ日に起きた強烈な満月のウェーブが、寒波の戻りとともに少しずつ勢いを鎮めてきたこの2週間。その間に順行した水星は4月17日のシャドウ抜けに向かってまだ海王星とはコンジャンクションの状態です。満月期の何とも形容しがたい圧力の中を走り抜けてきたひと、頑張ったひとはこのあたりでちょっと疲れが出るころかも? そんな感覚に覚えのあるひとは、突然の体調悪化に気をつけて、栄養バランスに留意しながらゆったりと過ごしてほしいと思います。また水星・海王星から放射されるひんやりした霧の中で、どこか夢の中で生きてるような(スピリチュアル用語で言えば頭半分アストラルプレーンにでも入り込んでいるような)不可思議な気分や、ちょっとした方向性の喪失感を抱いているひともいるかもしれません。

けれどそれと同時に、どこからか湧いてくる「先へ!先へ!」と押されるような、ことばにならない底深い衝動も存在します。それはたぶん、敢然とした感覚。つい先を急ぎたくなるけど、実は敢然としながら一歩、また一歩、ゆるがずに護り、貫いていくような感覚。焦らないで。 


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  そしてもうひとつの感覚。透明な霧の中でゆっくりとふり返り、唯一辿れる自分の過去を遡って確認するような感覚。これまでもふり返ることはあった。そんなこと、嫌と言うほどあったかもしれない。けれど再び。あらためて、ふっとふり返る。そこには確かに、何かがずっと変わらずに存在してきた。それは、人生の雑多な網の目を、まるでアミダ籤のように折れ曲がりながらそれでも続いてきた一本の糸「わたし」。そこにまだ、気付いていない何かがあるのかもしれません。そしてここからは、それがすこしずつ「極化」の傾向を帯びそうな気がします。まるで大自然の力が砂を飛ばし岩を刻み、何か明確な模様が顕れ、ひとつの景観を創り上げていくように。

  でもそれは、全てを自然の流れに託してしまおうということではありません。たとえばわたし達全体を覆う集合体の意識は、移行期に特有のダイナミックな力を持ちます。そして今後、折りに触れてかなりの勢いで攪拌される可能性があります(グレートアトラクターや銀河中心の影響力)。そのフォースが個としてのわたし達に影響を及ぼす力は侮れません。わたし達は皆、それぞれに個としての存在であるとともに、一様に時代の子供達でもあるのだから。

  そしてその力はわたし達の中の漠然とした部分、曖昧なまま蓋をしていた部分に浸潤してきます。それは避けられないことだし、良いとか悪いとか、そんな判断を超えたもの。たぶん、この世界に生きる上での暗黙の了解。けれどわたし達にはひとりひとりに固有の、ひとつの道筋があります。だから大きな時代の流れの中で、もしここで、新たに見えてくる道筋があるとしたら...それはきっと大事なヒントになると思います。抗いがたく組み込まれた集合体の一員として。同時にたったひとつの個を生きる「わたし」として。歩む道の途上で何かの鍵を拾ったとすれば...。


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  じゃ、ふり返ってみたとき、もしあまりにも漠然としてあやふやな部分があったら? もしかしたら、それは仕切り直しが必要なパートかもしれません。道筋を変えてみるときかもしれません。また、社会的には思わぬことに遭遇し、突然の調整を迫られる...そんな形で仕切り直しの機会がやってくる可能性もあるでしょう。OK。出来る。

自分の特質、今手の内にある全てを過不足なく見る。その上で、今 出来る範疇を明確にし、ラフなアイデアをまとめておく。外部に目をこらし状況を把握し、耳を傾ける。そして現実的なゴールを定める。内にも外にも欲張りすぎない。多すぎる注文、混乱した言い回し、操縦桿を握りたいという欲望を抑えて。使い古したステレオタイプを通してひとや物事を判断しない。たぶんそれは誤解や行き違いのもとになる。誰かと上手くやることや、成功を収めることが今の第一義じゃない。自分の道筋を整理して明確にするために、きっとそれは起きているのだから。

  また、ここに来て血縁関係、家族(または家族的な関係性)の問題がクローズアップされるケースも考えられます。家族や血縁と言っても本当に様々なかたちがあるけれど。たとえば親と子に見られるカルミックな絆。あるいは夫と妻、兄弟、親戚。愛憎やセクシャルなカルマが絡んだ関係に焦点が当たることも考えられます。長いときをともに過ごした関係なら、そこには情と反発が絡み合って、切っても切れない一本のよじれた糸が存在しがち。たとえば誰かに、または何かの価値に、こんなにも献身してきた。または献身しなくてはならない、献身してほしいという強い感情があった。だとしたらそこからは、もうそろそろ離脱するときが来ているのではないでしょうか。


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  たとえ一方的な束縛に苦しんでいたとしても、逆に非の打ちどころのない仲良し家族だったとしても、もしそこにもたれ合った共依存の関係があったなら、これから先はそのままではいかない可能性があります。今後は徐々に、無自覚のうちに操縦しあう構造が強化されるか目に余るほどに感じられ、このままじゃいけない...という地点に達するのかも。なぜならこの先その状態が続けば互いに両脚が萎え、力 — 自分の人生を生きる力 — を喪うことも考えられるから。力を喪った者同士のぶつかり合いはともすると泥仕合になります。けれどこの新月は、どこか独立心を刺激してくるような雰囲気があります。ならばその内的力を使い、一度自分の立ち位置から関係性のルーツを辿ってみることにも大きな意味があるかもしれません。もしかして泥仕合に苦しんでいるひとがいたとしても、自分がはまった関係性の構造と仕組みをよく理解すること、一度見切ることは、納得してそこから脱するための大きな助けになると思います。

  また、これからもずっと誰かとともに暮らすのだとしても。生きていればいつかは別れがやってくる。わたし達は誰もがそのことを知りつつ、こころの奥に眠らせています。ならばその前に。古い関係の窓を開け、風を通してみる。流れが味方するなら互いに。あるいは自分だけでも。そしてふり返り、新しい道を開く。または方向を変える。少しずつ。試してみる。喪うことを怖れずに。でもそのとき、勝手に誰かをステレオタイプの敵だと想定し、シャドウボクシングしたりしないこと。 これはけっして表面的な喧嘩や闘いを意味するものではありません。まず最初に自らの内的な景観を再生させる試みです。


この新月には、自分自身の「ナイーブさとの別れ」というニュアンスが色濃くあります。そしてこれが、新月期の物事全般に関わる大きな鍵ではないかと思います。


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  また、このブログを読んでくれているひとの中には「体の声」を聞き分けられるひとがいるかもしれません。ケンタウルス族のアスボルスは灰の賢者、または炭素の賢者とも呼ばれ、理屈ではなく体との対話によって何事かを(危機も含めて)察知する力を司るとされます。なので「体の声」を聞けるひとには強いアスボルスを持つケースが多く見られます。

  ただ、水星・海王星がまだそう離れていない中でのアスボルスとのスクエアは、水星と海王星がクリエイティブな組み合わせだけに、情報にある種の歪みが生じやすくなります。つまり体の真っ直ぐな声を聞きにくくなるということ。または聞こえていても、何かに気を取られて別の物事を優先するのかもしれません。「大丈夫だろう」なんて希望的観測に走らず、体の面倒をきちんとみて、他の声と混同しないように気をつけて。そして疲れを癒やすことを第一に考えましょう。 

また反対に、「死」という概念がとても身近に感じられるひともいるかもしれません。たとえば誰かの死を怖れたり、漠然ともうあまり時間は残されていない...と感じられるような。これもまた水星・海王星の創造性の力によってドラマティックな感覚をもたらしそうです。今までずっと胸の内に抱いてきたことを突然表現したくなったり、今伝えておかなくては...という気持ちが少し前から湧いてきた...なんてひとがいたら、このアスペクトが関わっている可能性があります。ならばその表現、「何かを伝えること」は自分にとって必要なタイミングで起きているのではないでしょうか。そしてその外面的な結果がどうであれ、その行為自体が自分を前へと一歩踏み出させる力になっていくはず。

「体の声」とその促しは、今というときを生きることの根幹に関わる、とても大切な情報源です。それを曇りなく聞けるとしたら、それは素晴らしいギフトです。無視したり疲弊させることなく、どうか大事にしてください。


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  ひとつ、長期のアスペクトでいまだに厳しさを与えるのは魚座の水星・海王星とはセミセクスタイルの関係となる土星・冥王星と、この両惑星にサンドイッチされた月のSノード。そして対向のキラルスとNノード。この軸にスクエアを形成するエリス、そして今回そのグループに加わってGスクエアを構成するパラスです。パラスは公正さや正義を表すとされているけれど、政治的な場面やイデオロギーが関わる論争などにもよく顔を出します。いわゆる政治の世界では、相変わらず揚げ足取りや魔女狩り的な言説、情報統制、虐待やテロ、良きにつけ悪しきにつけ隠れて行われる行為が後を絶たないのではないでしょうか。世相を見ても、矛盾した言説や嘘、不和、内輪もめ、競い合いや立場を賭けた闘争を間近に見たりなど、全般的にプレッシャーの高い状態は続くかもしれません。様々な立ち位置からのまことしやかな陰謀論も、その勢いは当分衰えないでしょう。

このフォースの大本には、どこか身悶えし苦しんでいるようなエネルギーが感じられます。でも同時に、なんだかほがらかな声を立てて笑ってもいるような? 不思議で複雑な力。。 それは時代が大きくそして確実に動いていくときのダイナミズム。それは人間の無数の想いの糸が相互に絡み合いながら浮かび上がらせる、罪と罰、嫌悪と称賛のドラマでもあるのか...そんなことも感じさせられます。はるか未来から見たら、いったい今ってどう見えるんだろう? でも、わたし達は遠い過去の日々がどうだったかなんて、古文書や映像でしか知り得ません。そしてそれはきっと、今というスクリーンに映した昔でしかないのです。


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  ならば今、この日々を生きるわたし達にしか見られない「今」があるはず。それは刻々と脈打つ「今という世界」、「今というわたし」。 たとえその全貌は、誰にも掴めないとしても。 確かにわたし達は、皆それぞれに、大きくも小さくもひとつの岐路に立って、世界を自らの鏡としながらそれと知らずに時代の道筋を創ってる。

世の中のドラマに蠢く嘘や嫉妬や憎しみ、隠匿や矛盾、哀しみ。情愛や憧れや優しさ、ぬくもり。そのどれもがわたし達のこころの中で、自分の、または誰かの顔をしてぶつかり合い、溶け合っています。それを含めて人生だし、たぶん世界の全てがそこから始まってる。星々はそれをこそ、見せてくれているのではないでしょうか?

  気付いた部分からとりとめもなく星模様を描いてみたけれど。ここには始まりの厳しさとともに、何とも言えない瑞々しさがひろがっているように感じられます。それはとても微かで感じられるひとには感じられる...という種類の力かもしれません。その大本はたぶん、純粋な、熱。もしかしたら、いのちの熱。それがゆ〜っくりと拡がっていくときの、微細なウェーブのような? それが何なのかは感じ取ったひと次第だと思います。

ただ、目を閉じて体を満たすその繊細で名付けられない原初の力は、わたし達の目に映る「いつもの風景」を全く異なるものとして見せてくれるかもしれません。静かに。一呼吸ごとに。波のようにゆったりと拡がりながら...。


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★4月新月のサビアン・シンボル ★


新月のベースとなるシンボル:
牡羊座15°『ブランケットを織るインディアン』

  太陽と月は、まずベースとなるシンボル『ブランケットを織るインディアン』をとっていきます。 ブランケットとは毛布…主にウール糸で織られた四角い布のこと。ネイティブ・アメリカンのブランケットはナヴァホ族のものが有名ですが、元々は衣服やケープ、乗馬用の垂れ布として織られていたものだそうです。そして後の時代には貴重なハンドメイド品として人気を博すようになりました。アースカラーを主体とした幾何学的な模様は一目でそれとわかるシンメトリーな柄を持っています。 織りの技術は主に母から娘へと伝えられたのですが、その教えでは、こうした特徴ある対称性が崩れないように、事前に十分なプランを練ることも大切な知識とされていたのだとか。 この対称性は「調和」に対する伝統的なイメージを表しているそうです。


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  伝統的な織機と日々の積み重ねによるスキルによって、沢山の糸を交差させて出来ていくブランケット。織り上げられた"全体" は調和の象徴とされます。ではその織り手は誰なのでしょう? B.ボヴィはギリシャ神話の3人の女神を挙げていました。その3人とは運命の糸を紡ぐクロト、その長さ(寿命)を測るラケシス、糸を大鋏でカットするアトロポス。 彼女達はわたし達の運命を司る女神とされています。紡ぎ、測り、切る。 紡ぎ、測り、切る…生まれ、生きて、死ぬ。生まれ、生きて、死ぬ。その繰り返し。 調和を体現すると言われるブランケットを完成させるために、織り手は入念な作業を繰り返します。 それは日々変わらぬルーティンワーク。でも視点を変えれば交差する一本一本の糸がそれぞれわたし達の日々、わたし達の人生そのものを暗示しているのかもしれません。そしてもしかしたら、一回ごとの「呼吸」であり、一回ごとの「夢」でもあるのかもしれません。

B.ボヴィは仏教思想の観点を用いてこう説明しています。『輪廻とは繰り返される絡みあいのサイクルだ。一回ごとの生はもつれにもつれた網の目のようだ。そこから抜け出すのは難しい。けれど究極には、もつれあって身動きのとれない状況も、完璧な悟りを得る状態も、どちらにも違いはない。生きていくことのどんな一瞬にも覚醒への可能性は常に含まれ、永遠の普遍としてともにそこに常在するからだ』。そう、その一瞬は常にここに在り続けるのかもしれない。タピストリーを織りなす一本の細い糸が、始まりのふちから終わりのふちまで上を下へと絡み合っては別れていく、他の何千、何万もの糸、糸、糸、その出逢いと別れ。その束の間の交差の中に、瞬時の何かが宿っている。ひととも、ものとも、力とも、ひらめきとも、爆発ともつかない何かが。こころを凝らして体で視なければ見えない何かが。


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        一枚の手織りのブランケットでは、全ての糸がダイレクトにまた間接的に、触れあい、交差しあいながら、ひとつの世界を創りあげていきます。ならば無数に織り合わさったどんな糸も、この世界に二つとない織物の色と文様を完成させるためには欠かすことの出来ない存在です。カタン。カタン。リズムよく織り上げられる「わたし」と「世界」の物語。最初のうちはどんなかたちが浮かび上がるかわからない。まだ見えない。もちろん交差する糸にだってわかるはずがない。ただ、一瞬一瞬すれ違い絡み合う他の糸の色や香りや肌触りを感じ、押され、ときに覆い被さり、ときに潰され、ときに拡がっていく。紡ぎ、測り、切る。生まれ、生きて、死ぬ。紡ぎ、測り、切る。...そのときわたし達は細くてはかない一本の糸であり、同時にクロトであり、ラケシスであり、アトロポスです。

ではもし機織りの途中で失敗してしまったら? 美しくなるはずの模様がズレたり、いびつになってしまったら? 本当に失敗したと感じるなら、ただほどいて元に戻る。イマジネーションで時間を戻し、 織り直す。いつだって構わない。だってわたし達は自分の人生とともに、世界という物語そのものを織っているのだから。いつもいつでも、戻って織り直せばいい。けれど元に戻ったとき、そこは元の場所とは違うかもしれない。違う光景が見えてくるかもしれない。そして、カタン。また再び、初めの一歩が始まる。 でももしかしたら、そのまま模様が変わったっていいのかもしれない。出逢った一瞬のスパークが自分の物語を変えてしまったのなら。


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  このシンボルの鏡像となるのは天秤座15°『回遊円環路』です。それは下の画像のようにグルッと一回りして同じ場所に戻ってくる、輪になった道のこと。歩き続けて辿り着く終点は、いつも同じ場所。そこが、一回ごとの完成。だから一見すると、どこか他の場所に行き着くことなく永遠にグルグル回っているような…。ではわたし達の生はその円環に囚われているのでしょうか? 円環路はいわば輪廻の輪のようなもの。一見、同じ道を歩いているように見えても、一瞬一瞬に開かれた出逢いは違う光景が見えるのかもしれません。この円環路を螺旋と見て、上昇したり下降したりするひともいるでしょう。また一瞬の爆発的な体験を経て、日常に潜む因果地平とは関わりのない世界を見るひともいるのかもしれません。けれどひとのことはわからない。ただ、自分が感じ、自分が見る物語の世界がまあるく拡がっているだけ。

牡羊座中盤と天秤座中盤。そこに用意されたシンボル、ブランケットと円環路。出逢う全てにぶつかり、絡みあい、互いに別れて自分の道を進む本能と、幾度も円環を巡りながらバランスを学び、世界を正しく測ることを学ぶ意識の成長と。けれどこの新月のわたし達は、自分が織り上げる物語にこれまでとは異なる視線を注ぐよう促されているのかもしれません。あやかしに彩られた思考でもなく、固い鋳型にはまった感情でもなく。胎内宇宙から放射してくる、自分にしかわからない力を感じて...。


新月のメイン・シンボル:
牡羊座16°『夕陽に踊る妖精達』


  さぁ、次に新月がとっていくのは 『夕陽に踊る妖精達』 。 原語の "Browny" というのは、優しくて親切なエルフ族、つまり小妖精です。 彼らは人間が疲れてぐっすり寝ている夜のうちにどこからともなく顕れて、やり残した仕事を片付けてくれたりするのだとか。一生懸命真面目に働いてるのに貧乏な靴屋さんと、眠りこけている間にステキな靴を仕上げてくれた妖精達のお話を知っているひとも多いのではないでしょうか。まさに今、西の地平線に沈もうとする夕陽を受けて、妖精達が楽しそうに踊っています。ここから彼らの一日が始まるのです。


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  一方人間達は、日中のハードな仕事を終えて夕食をとっている時間帯。家族に囲まれて、愛するパートナーとともに、あるいはひとりで。温かく立ちのぼる湯気が、疲れたこころと体をほわっと包んでくれます。そして昼の緊張を解きほぐしてくれる一杯のお酒も。他愛ない冗談を言って笑い転げたり、好きなものをゆっくり味わったり。このひとときは、わたし達人間にとって疲れた体とこころを休め、回復するためのとき。「あれか? これか? もしこんなことになったら...」なんて余計な想いや雑音は要りません。力をふり絞ったり、有能に見せたりする必要もありません。ビジネスタイムはもう終わり。裸の自分のままでOK。楽しまなきゃ。わたし達はそんなひとときの中で、太陽に焼かれた昼の疲れから回復し、傷ついた自分自身を癒やしていきます。

それは光線の下で見る見られるを繰り返す「人間のとき」と、不可視に遊ぶ「妖精のとき」がオーバーラップする時間帯。この世とあの世が交差する不可思議のとき。やがてわたし達は、深い眠りに落ちていきます。疲れはて、夢も見ずにぐっすりと眠るわたし達。それは対向する天秤座16°のシンボル、『波に押し流された陸揚げ場』に示された姿でもあります。


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  「陸揚げ場」とは、厳密に言えば本来は「遊戯船」と呼ばれる釣りや観光用の小ぶりな船舶を水面に降ろしたり陸揚げしたりするためのスロープ設備のことを指します。けれど、このシンボルではそのスロープ自体が流されてしまったようです。湖岸には、激しい嵐に襲われて錨も外れ、今は波間に揺れている遊覧船の姿。よく見ると船の外装はひどく傷付いているし、水をかぶったエンジンも損傷しているかもしれません。嵐も去ったことだしすぐにも修理したいけど、肝心の陸揚げ場が流されてしまっては、船を引き揚げてドックへ入れることも出来ません。でも、今は青空が拡がっています。まもなくスロープ設備も修復されることでしょう。

  破壊と修復。小さな死と、小さな再生。 わたし達も、わたし達の世界も、そんなふうにして長い間、円環のリズムの中を繰り返し繰り返し歩んできました。だから今、円環の次のスタートが始まるまで、船はいつでも陸に上がれるようにもう一度、岸辺に繋ぎ直されました。嵐が去り、静謐を取り戻した湖水のさざ波に揺れながら。船は何を思っているでしょう。...とりあえず明日は休業だ。観光客も来ない。もうしばらくは波間にユラユラしていよう。こうして漂っていると、この湖に初めて浮かんだとき、皆を乗せて誇らしく湖上を走ったときのことが思い出されるな...。あれからずいぶん経った。花びらが舞う春の湖。子供達の声がはじける夏休み。雨の日、風の日、雪の日もあった。色々なことがあって、今ここに浮かんでるんだな...。ドックに入ったら、新しい外装を身に付けるらしい。エンジンだって新型になるかも? いや、今までのだって悪くない。ひとはわたしを観光船と呼ぶ。それでいい。これからもわたしは一艘の船であり、そしてなによりもわたし自身なのだから...。 


  妖精のとき。それは陽の落ちた夕べの薄闇の中、わたし達の理性があずかり知らないこころの内部にとめどなく流れ続ける、純粋な想いのときを指すのではないでしょうか。

それはもしかしたら、わたし達を生きるしなやかな一本の糸。永劫のときを超えていのちの熱さを運ぶもの。ことばにしようとすると、いつだってするりと思考をすり抜けて姿を隠してしまう。でも確かにここに。今、わたしの中に。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

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