レイモンド・メリマン 週間コメント8/26【金融アストロロジー】レイモンド・メリマン 週間コメント9/2【金融アストロロジー】

August 29, 2019

🌑8/30の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  8月30日19:56前後、北海道周辺で 20:02前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は19:37頃、沖縄周辺では 19:07前後に乙女座 06°46’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココ、満月についてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽♍️乙女座6°~7°― 発効期:8/30~9/28 】
🌑🌞”A merry-go-round”
   『メリーゴーラウンド』
            
🌑🌞”A harem”
   『ハーレム』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)~9月28日】
ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。

→★人生で味わう山や谷を巡りめぐるサイクルの一環として眺めてみる
→★社会的なシステムの中で自分のポジションや
    しがらみを保とうとするこころのメカニズムに気付く必要
→★一度踏み出したら後戻りは出来ない状況を前にこころを決める
→★人生を社会的な力を強化するための螺旋階段と見るか...
     または流れの外に出て行き交う全てを幻のように眺める
→★気ままな旅を選ぶか目標に向かって進む航路を選ぶかという選択
→★決まり切った安定路線を外れ、欠乏感を満たすために脇道に逸れる
→★現状から抜け出し他者より高みに昇るために特定の集団に加わる
→★必要な利益を得るために自分自身の一部を犠牲にする状況
→★自分の欲望を誰かに投影しその成功や美を歓ぶ、または失敗に落胆し怒る
→★危機を怖れ快適さと安全を願ってひたすら閉じこもりたくなる気持ち
→★自分なりの「緊張」と「弛緩」のリズムを知って活用する
→★外の世界を知らないための偏狭さや「島国根性」的な世界観に注意
→★安全圏に避難する時と
    あえて勇気をふるい打って出るべきタイミングを見分ける
→★「タブー」や「禁断」とされる人生領域へと安易に誘う声に注意
→★危うい物事を「目撃した」または「知っている」と吹聴する行為
→★全体への責任を負わずに保護や特権を当然と感じる傾向とそれへの逆風
→★「平等」や「公平性」ということばの裏にひそむ矛盾を見ていく
→★自らの分を知ってたとえ窮屈でも現状を維持し向上を目指すか
            タブーとされる荒野の冒険に出るかの選択・・・→

魚座21°台の満月へと続く


★エネルギーのポイント:
 前回の新月『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』
             
 今回の新月『自分自身の安全神話を書き換える』
                   
            
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  猛暑の8月ももう終わり、明後日からは9月。陽の落ちた木立からは虫の音が聞こえ始めました。いつもならホッと息をつく気分なのだけど。世界/社会では毎日のように物事が新たな展開を見せ、あるいは加速的に進行していて、あぁやはりセットアップの年なんだな… と感じます。


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  そういえば、カーディナル・クライマックスのただ中にあった5年前の秋、このブログにこんなことを書きました。

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…カーディナル・クライマックスが始まって以来、沢山のことが起き、今も様々な波が生まれては寄せています。世界は音を立てて変化しつつあるし、惑星達を見る限り、これは動きがおさまれば元に戻るというような変化ではなさそう。人間も、社会も、大地も。『この世でただ一つ、変わらないのは変化するということだけ…』メリマンさんはだいぶ以前のコラムでカーディナル・クライマックスを評し、こう言っていました。これを本当の意味で体感する5年という月日はもう始まっています(そしてその後に続く4年間の試行期に繋がる道も…)。周囲の状況や出来事が、そしてわたし達自身の内面までもが日々 "変わってしまうこと" を、わたし達はごく普通の日常だと感じ始め、受け入れていくようになるでしょうか?

きっと「良いこと」も起きれば「悪いこと」も起きる。個人的にも、社会的にも。もちろん、これまでもそうでした。けれど今までと決定的に異なるのは、カーディナル・クライマックスの惑星配置を背景として、そこに「根こそぎ」感覚が潜んでいることです。

そのせいもあって、敏感な感受性を持つひと達は、言葉に出来ない大きな不安を感じるのではないかと思います。言葉に出来ない不安。それをわたし達は必死に説明しようとします。『きっと○○がXXだから不安なんだ…それさえ何とかなれば…』 そのひとの信条や人生経験によって、いろんなバージョンの理屈づけが出来るでしょう。けれど、こうした合理化によってこころが本当に休まるかどうかはわかりません。なぜなら、星々がわたし達に示唆しているのは 『解など無い』 という場所からもう一度出発し直すことだから。

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  天王星・冥王星スクエアというカーディナル・クライマックスの中心部が終わり、セットアップの年とされる2019年も2/3が終わろうとしている今。わたし達はすでに物事のとてつもないテンポアップと複雑化に慣れてしまい、それをごく普通の日常として無意識に受け入れているようにも思えます。 それとも、そこはかとない不安が背中に貼り付いたように感じながらも、変わらぬ人生の機微に一喜一憂しながらそれぞれの人生を生きているのかな? 昨日があり、今日があり、そして明日がやってくる。大抵のひとにとってそれは変わらないとしても。わたし達が立つ大地と空間はじわじわと、でも本当に根こそぎシフトしてきたと思うし、これからもそれは続くでしょう。


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  前々回のメリマン・コラムでは、来年起きる土星と木星のコンジャンクション=地性星座宮から風性星座宮へと移りゆく長期の文明シフト「グレート・ミューテーション」について触れられていましたね。けれどこうした文明シフト(人間精神のシフト)は、誰かや何かの力によって一方的に変えられるわけじゃない。宙にひしめく無数の星々のネットワークから放射されるフォースを使い(またはそれとともに踊って)、わたし達ひとりひとりが自分の人生を創りあげていく、その行為の集積が膨大な流れとなり、歴史を創っていくのです。

あ、冒頭からなぜこんな話をするのかというと、今回の月がちょうど近地点に在泊する強力なスーパームーンだから(満月と違って目には見えないけれど)。また今回は前回の金星に代わって新月図のロードとなる火星が月、太陽にコンジャンクト、他に金星、水星、ジュノーも揃って獅子座から乙女座に移行し、乙女座のナチュラルハウスである6室に入ることなどを考えると、この新月がまた新たなシフト・ポイント(またはスイッチ)になるひとがいるんじゃないかな?と思ったからです。 世界という巨大装置の歯車が回る、カチリという音。それに呼応するかのように、こころの内側深くで何かが微かに ピンッ と鳴る。...それはそんな感じで起きるのかもしれません。その音は微かかもしれない。けれど、その余韻は体内に長く響き続けるのではないでしょうか。


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  とはいえ、今回の新月が起きるのは現実派で細部の整合性にこだわるとされる乙女座の第1ディーカン。テーマもかなり社会的な意味を帯びてきそう。ならもしかして、この新月がなんらかの形でネイタルに触れるひとは、社会的な意味での選択を通して新しい一歩を踏み出すのでしょうか? 騒がしく忙しい世の中にあって先行きの見えにくい今、もう一度足許を見つめて。こころの平衡を保ち、今ここに。自分自身がどう在るのかを眺めてみる。行くのか? 留まるのか? うん、決めた。けど、ならばどうやって? 

乙女座の惑星群に相対するのは強力な魚座の海王星が放射し続ける幻の霧。そこには美しい夢もあれば、底知れない怖れや疑念もあります。それは何かが明確に形をとる前に一度溶け崩れていくような混沌。だから無意識を通してやってくる導きは、マインドで掴もうとすれば儚く消えていく。

それでも信頼していくしかない。けれど、いったい何を? 


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魚座の海王星

  1998年11月。海王星は行きつ戻りつの後、本格的に水瓶座の旅を始めました。そこは理性と知をもって『We are the world!』という理想を追求するリベラルな星座宮。そこで天王星とともに多様な世界を結ぶコンピュータ/インターネット・カルチャーを育んできた海王星は、わたし達がカーディナル・クライマックスのゲートをくぐった2012年2月、最終的に魚座入りを果たしました。そして、現在魚座17°台の中間地点を逆行しながら再び行きつ戻りつし、最終的に牡羊座入りする2026年1月まで、自ら支配する魚座に滞在します。この約14年にわたる強烈な魚座の海王星の下で、良くも悪くも日々こころにじわじわと浸潤してくるその力をダイレクトに感知するのはとても難しいと思います。

けれど広く世界を、社会を見渡して「最近なんだかなぁ...」と思うとき。あるいは「人間も捨てたもんじゃないな...」と感じるとき。または日常のさりげないやり取りの中で誰かの無償の優しさに触れてこころが癒やされたり、逆に「自分が(または誰かが)こんな目に遭うなんて許せない!」という情動に駆られるとき。そこにはきっと魚座の海王星がこっそりと...他人の顔をしながら忍び寄っているかもしれません(他の惑星とも連動しつつ)。


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  海王星に関連する主な徴候は、漠とした希望、優しさ、自己犠牲、えも言われぬ魅力、芸術、理想主義、宗教心、傷ついたひとびとに手を差し伸べる行為。逃避行動、言い訳、責任回避、被害者意識。そして形を持たない哀しみ。 あるいは社会(共産)主義、病院、慈善団体、内密の行動、隠蔽、噂話、混濁、錯乱、集中力の欠如、薬物やアルコール、支離滅裂さ、狂信性... etc.

天王星・海王星の水瓶座時代、風の知性をもって「あらゆる違いは乗り越えられる」とばかりに包括的な多様性を押し進めてきた世界。グローバルという夢。けれど魚座の海王星の下ではそんなふうに表層を整えた世界観に対する様々な反動が噴出しているように見えます。

魚座は水性、つまり「感情」が力を持つ領域です。また12星座宮の終着地点であり、スッキリと割り切ることなど出来ない言語化不可能な感情が無意識の層に堆積しながら溶け崩れていく領域でもあります。きっとだからこそ、魚座には人間としての最善から最悪までもが存在し、ときに幻となって噴き出すのではないでしょうか。ならばいくら理性で解決しようとしても、知力で制御しようとしても、人間って最後の最後には感情によってしか動かないと言えるのかもしれません。


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  たとえば米国を見ていると、コンピュータの黎明期を牽引してきた知的リベラル層がいまや目を覆いたくなるほど感情的な急進左派を生み出し、高邁な理想の下に意見の違うひとびとをファシストと名付けて断罪するような流れが目立ちます。反論には即座に傷ついて報復するし、話し合いの余地もないありさま。テックモンスターと呼ばれる巨大IT企業は平和の名の下におおっぴらに個人のプライバシーを覗き検閲を行い、大手メディアは良くて切り取り、ともすれば完全なフェイクニュースを流す(これ、本当に驚くことが沢山あります)。ジャーナリストはクリエイターと化し、思い入れをこめて報道という名の作品作りにいそしみ、性別や出自によって細分化したアイデンティティで断片化されたひとびとは、互いに深い疑心暗鬼に陥っているように見えます。それは同じ国の中で「カルチャー・ウォー」「コールド・シビルウォー」などと呼ばれる状況。これはたまたま米国の社会世相をあれこれと追っていて感じることではあるけれど。今、日本を含めて世界中が多かれ少なかれ似たような情動の渦の中にあるのではないでしょうか。

  そういえば前回の満月、水瓶座22°台のメイン・シンボルは『腰を下ろして両手足を振る大きな熊』でしたね。そしてテーマのポイントは『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』でした。おそらく鍵となったのは水瓶座の持つ理性や知性だったはず。どうでしょう?上手く使えたでしょうか? で、今回は繊細だけどちょっと手強い乙女座の新月。向こう岸には、ひたひたと冷たい湿り気を帯びて輝く海王星。 理性では御しきれなかったこころのわだかまりを。漠とした不安を、胸に溜まった想いの澱を。魚座の水辺に映りこむ自分を、その自分を動かしている歯車の本体を... ゆっくりと覗き込むようなひと月の旅になるかもしれません。


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  ならば信頼していくしかない。でも、だから、いったい何を? 

  今、ここに在り、生きていることの絶対性を。そう... もしかしたらその原点まで降りてみること。そこには自分が知っていた強さや弱さなどはるかに超えた何かが ひっそりと、何にも惑わされることなくただ呼吸し続けているのかもしれないから.....

海王星が魚座を去り、牡羊座入りする2025年~2026年。世界は再び真新しいアイデンティティを探り求めて激しく動き始めるでしょう。そこからしばらくはおそらく「風」と「火」の時代になります。(土星と海王星が牡羊座入り、その後天王星が双子座入り、冥王星は水瓶座を運行)だから今、魚座の海王星がわたし達のこころに入り込み、人間の感情が持つどうしようもなさ、それがもたらす愚かさや哀しさ、そして幻の彼方にほの見える「美」や「希望」を見せるのなら... それを味わい尽くしてみるというのもまた、これからを生きるわたし達それぞれが選択してきたことなのだと思います。


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★8月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
乙女座6°『メリーゴーラウンド』

(補完、または対象的な位置付けとなるのは対向の魚座6°
 『正装した将校達のパレード』)


  今回もまた、数年前に満月を通して経験した度数です。けれど当時とはまた異なるニュアンスのテーマが強調されているようにも思えます。そのことをふまえながら、もう一度ふり返ってみますね。

  以前、こんな童謡みたいな詩?を書きました。

  回る 回る メリーゴーラウンド
  調子っぱずれな オルガンの調べ
  ぴかぴか光る イルミネーション

  乗るひと 見るひと 賑やかに
  上がって 下がって 下がって 上がる

  木馬は回る どこへも行かず
  ひたすら巡る メリーゴーラウンド♪


merrygoround


  ここはきっと休日の遊園地。親子連れや恋人達、家族や友人同士、沢山のひと達で賑わっています。回転木馬に乗って手を振る子供達。その笑顔を微笑みながら写真に撮るひと。メリーゴーラウンドって本当に昔からある遊具です。それが今でも遊園地の主役のひとつとして生きていて、大人も子供も楽しんでいるって、凄いことかもしれません。ところでメリーゴーラウンドに音楽は付き物だけど、このシンボルが降ろされた1920年代のアメリカの遊園地ではどんな曲が奏でられていたのでしょう? 古い映画の中に見られるメリーゴーラウンドのBGMには、今聴くとどこか懐かしいような、もの悲しいようなイメージがあります。

これは1950年代の曲だけど、なんとなくこんな感じかな?



  曲に合わせて小さく揺れながら、スーッとせり上がってフーッと下がって。ゆっくりゆっくり、ぐるぐると回る木馬たち。

色とりどりの木馬にまたがった子供達は『このまま終わらないといいな。ずっとずっと、永遠に回りつづけたらいいのに..』なんて思うかもしれません。何故だかわからないけど、そこは別世界。上がれば、下がる。昇れば、降りる。まるで人生の浮き沈みのように、永遠に回りつづける別世界。けれど本当の人生とは違う。馬から振り落とされることもないし、そのまま空に向かって駆け出すこともない。たぶん、安全。そして、どこにも辿り着かない。それに本当は、全て機械で動いている世界。カタカタと、回りつづける歯車。

        人生では日々沢山の物事が起き、出逢いがあり、そしてあつれきがあります。わたし達は自分の力を証明しようとして、または相手を説得しようとして、思い通りに生きたくて、日々頑張っています。様々なことばを用い、イメージを使い、怒って見せたり、優しい笑顔で自分をアピールしたり。ときにはじっと耐えたりして。その対象は他者とは限りません。他のひと達に背を向けて、自分の中で、自分に向かってそれをやることだってあります。これ以上傷つかないで済むために。あるいは自分を護るために。その結果として、きっちり片を付けて(またはそう感じて)納得出来ればひとときの安らぎを得るし、状況に負ければ落ち込んで堂々巡り。これはちょっともの悲しいメリーゴーラウンド。この新月の下では、自己批判や他者批判、落ち込みや昂揚感の回転木馬に乗って、上がったり下がったりしながらぐるぐると回り続けるひとが出てくるかもしれません。うん。それもまた、人生。でも...


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  この度数に対向する魚座6°のシンボルは『正装した将校達のパレード』です。本当に対象的ですね。それに、魚座というよりこちらのほうが乙女座で、メリーゴーラウンドのほうが魚座に似つかわしいような気もするけれど?

パレードする将校達はおそらく儀礼装と言われる最高位の制服に身を包んでいるのでしょう。もしかしたら、士官学校の祝賀行進かな? それとも記念日や国賓を迎えての軍事パレードかもしれません。自衛隊観閲式の映像を見たことのあるひとなら、およその雰囲気は掴めるのではないでしょうか。彼らの行進には儀仗兵のドリルに近い厳密さがあります。号令に合わせた機械的なその動き、無表情かつ精悍な顔つき。制服が象徴するエリートっぽさ、責任感、そして強靱な意志力と勇敢さ。ぴたりと同じ方向を見つめる厳しい視線は国威と勇猛な武力のアピールです。これ、ひとりでもしくじって調子を狂わせたらきっと大変。何故ってきらびやかな将校達のパレードが真に目的とするのは、『この軍隊とはけっして戦いたくない....』と見る者に思わせるだけの武力とともに、その武力を担う者達の一歩も退かない決意の固さや意志力を、将来敵となるかもしれないひとびとに誇示することだから。つまりこれは「間接的防衛活動」の一環であり、血みどろの戦争に至る前に持てる力を美にまで昇華させて脅威とし、同時に自国のひとびとに誇りを与える — そんなイメージの戦いでもあるのだそうです。だから将校達は、一糸乱れぬ行進を見せながらも何処かに辿り着こうとしているわけじゃない。ただぐるっと広場を巡りめぐってみせながら、イメージVSイメージの戦闘を続けているんですね。


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  けれど考えてみれば制服は、一種の鋳型とも言えます。社会の中で、わたし達はいつの間にか色とりどりの制服を身に纏います。アイデンティティ、主義主張、どこに生まれ、どこに住みどんな仕事をして暮らしているか。学歴は? 収入は? 認知度は? 意識的にも無意識下でも、わたし達は様々な制服を着込み、それらしくふるまおうとしているのではないでしょうか? 社会人という制服。自由人(ノマドとかかな?)という制服。大人、子供、高齢者、若者、強いひと、弱いひと、マジョリティにマイノリティ、意識高い制服にロウワーな制服。夫や妻。男、女、どちらでもないひと、どっちでもあるひと、異端に鬼畜にハンパ者、宇宙人やら地球市民……もう、数限りない制服。着る制服、着せられる制服。脱いでみせるための制服。そしてまた、同じ制服の中にも自動的に生成される、上下格差をデザインした制服やバッジ。 その究極は「わたし」という一張羅の制服。どこまでもセルフィーをまとって自分の世界を回り続けるわたし達。もしかして、世界という名の遊園地には巨大な鏡の迷路があって、そこに「人生」という名のメリーゴーラウンドが設置されているのかな...?


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  何処にもたどり着かないメリーゴーラウンド。ときには昇り、ときには落ち込む、それは楽しくもあり、哀しくもある円環路。それが良いとか悪いとかじゃない。ただ、きっと今。わたし達は今着ている制服に似合った木馬に乗って、何処かを巡りめぐってる。じゃその制服、またはこころの鋳型を創り上げ、ぐるぐると同じところを回り続ける内的メカニズムっていったい何だろう? 何がわたし達をそうさせるんだろう? 木馬にペンキで描かれた何も見てはいない目。凜々しい将校達の、一切の感情を消し去った目。それぞれの制服を身にまとうことは、たぶんとても安全で、護られることでもあるのだと思う。でも、もうそのままではこの先何処にもたどり着けないとしたら…?

今、もしかしたら... これまで「わたし」を動かしてきたメカニズムにヨレが生じ、ガタついてきてるひとがいるんじゃないかな? もしそうなら、この新月期には『そろそろリニューアルの時期が来たよ!』という呼び声が聞こえるかもしれません(時にはそれが、ちょっと痛い思いをともなうものであったとしても)。

これから先しばらくの間。濃く垂れ込めた雲の切れ目から、微かに聞こえる新しい調べに導かれて。何かことばにならない感覚に動かされて、声高らかに『選択した!』とも言えないほどの精妙さをまといながら。そっと一歩を踏み出すひとがいるのかもしれません。

  さぁ回転木馬は軸から放たれて、駆け出すだろうか? 将校達は新たな戦場へと旅立つのだろうか…?


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では、メインのシンボルにいってみましょう。
新月のメイン・シンボル:
乙女座7°『ハーレム』

(補完、または対象的な位置付けとなるのは対向の魚座7°
 『ゴツゴツした岩に横たわる十字架』)


  『ハーレム』。そしてその対向には『ゴツゴツした岩に横たわる十字架』。ここでも再び「安全」というキーワードが浮かび上がります。今の惑星配置からすると、これは「安全」や「護り」といくばくかの「特権(または不利益の解消)」を確保するために何かを犠牲にしつつ、それでも一方では全体の利益となるために何かしなければと感じて行動してみる…または行動への欲望が高まる...そんな感じのイメージかな。

ハーレムといえば、権力やお金を持つ人々によって部外者と会うことを禁じられ、囲われて暮らす複数の女性達が居住した領域...というのが代表的なイメージでしょうか(もともと「ハーレム」とはアラビア語で「禁断、禁じられたもの」を意味することばだそうです)。


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  ハーレムに「自由」はありません。外に出ることは出来ない… その代わり、不満さえ抱かなければ、大きな力によって護られているという安心感があります。外界での暮らしには付き物の、予想外の出来事や事故・事件に遭うこともないだろうし、暮らしの心配もありません。主にとっての自分の価値(魅力)が下がらないよう努めてさえいれば、きっと戦火からも護ってもらえるでしょう(内部では常に目に見えない競争が付きまとうのだとしても)。

  一般的に見て今のわたし達には考えられないことだけれど、昔の女性にとってそれはある種の特権でもあったようです。ハーレムに留まりその規範に従って生きている限り、食べ物や衣服に困ることは無いし、巷の規範にも縛られることなく贅沢に暮らすことも出来ました(実情はどうあれ、1920年代米国のハーレムのイメージはそうだったようです)。権力者と繋がっていれば、外界に残した家族の生活も保障されていたかもしれません。

そのときどきの、安心、そして安全。生きていく上ではとても大事な要素です。自然災害に襲われたり、何か大きな事件が起きたとき。日頃忘れがちな生きるためのサバイバルに直面するとき、わたし達はその大切さを思い出します。 だから自分の分を知って「安全地帯」に留まることもまた現実的な選択だし、そこに生きながら、時間をかけ、エネルギーを使って力と立場を築いていくことだって不可能ではありません。


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  ハーレムといえばとても特殊な環境に感じられるけど、その構造が象徴する現実を考えてみると、男性・女性に限らず今のわたし達だって「社会」や「国」という名のハーレムの住人だと考えることも出来ます。いくばくかの自由と安定を手に入れるために、妥協しながらも懸命に生活を支えているのだとしたら…。

けれど、世界という大きな括りの中では、個として絶対に譲れないギリギリのラインを保つためにあえて妥協しない、という選択をするひともいるでしょう。もう、それは頑固なまでに。もしそうなるとすれば、自分がその道を選んだように見えても、傍目にそう見えたとしても、本当は選択の余地が無いほど行き詰まった状態に来ていたのかもしれません。他に道は無い。いや本当は、最初から無かった。ならば残された道を行ってみるしかない。たとえそれが危険に満ちた迷いの道だったとしても。禁断の道だったとしても。そしてとどの詰まり、その結果を受け入れるしかない。『必ず新しい道が拓けてくる、きっと何処かに辿り着くんだ』と信じて。同じ道を行くのも選択。新たな道を行くのも選択。いずれにしても、必ず新しい挑戦は待っている。そしてこの新月期、その道を示しているのは『ゴツゴツした岩の上に横たわる十字架』かもしれません。


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  「十字架」というと、やはりキリスト教会の屋根に立つあの十字架をイメージしますよね。でもこのシンボルで描かれる「cross」は、もっと一般化したイメージで「十字形に組まれた標識」を指すと考えられます。魚座は宗教性を帯びた星座宮なので「信じる」という意味ではキリスト教の十字架も含まれるけど、おそらくそれでは意味が狭まってしまうでしょう。このシーンで出て来る原語の「cross」は「crossroad markers」つまり交差点に立つ標識を想起させるとB.ボヴィは指摘しています(たとえば古代ギリシャで旅人の守護や厄除けとして十字路に置かれていた「ヘルマ」と呼ばれる石柱のように)。じゃ、その示唆に沿って、この対向度数もちょっと覗いてみましょうか。


  ……今「わたし」はハーレムの住人。でも、そこから逃げ出したいと思ってる。溜まりに溜まった不満があるから。決まりきった生活の外に出てみたい。自由になりたい。ひとりになりたい。やりたかったことを思う存分やってみたい。誰かのために生きるのはもう嫌だ…。

そんなある日、夢を見た。ふと気付くと「わたし」は険しい山道に立っている。そこにあるのは大きな岩。ゴツゴツした岩肌の上に、十字形の標識が置かれていた。ん? 何処からか落ちてきたのかな? いや違う。岩だらけの険しい道には標識を立てる場がないんだ。最初から、ここにこうして置かれていたんだ。

前方に目をやると、霧の向こうにうっすらと十字路が見える。ならばこの標識が道しるべ? 右か、左か、それともこのまま真っ直ぐ行くのか…それとも戻る? いや、戻るなんてあり得ない。だってふり返っても今来た道はもう消えている。刻の輪とともに生きるなら、きっと前に進むしかないんだ。

自分を護ってくれる壁も、ふかふかの絨毯も、着替えもなければ食べられそうな草も生えていない、そんな荒涼とした山道。全ての虚飾が取り去られたむき出しの岩肌。この先、何があるかは誰にもわからない。ポケットにも何もない。見回しても、今まで自分のものだと思っていたものなど何ひとつなかった。たったひとり。果たして自分は耐えられるだろうか? けれど、そんな風景の中に、ぽつんと置かれた「わたし」のための標識。 

でも人生の選択って、本当はそんなものかもしれない。本気で選ぶなら。考えて、あらゆることを考えぬいて、感じて。踏んばって立って。そして、体に響く微かな音を聴いて。さぁ、どっちへ行こう?


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        このエネルギーは、人生上の大きな決断として顕れるとは限りません。もしかしたら日常のほんの些細なこと、誰かの行動やひとことによって浮上してくる一瞬の感情と、そこから拡がるある種の「気分」として経験することもあると思います。 それでも、何かがひそやかに結実を迎えようとしています。頼るべき基準など何も無いように見えても、心地良さや安心感を手放すことになっても、タイミングが来たひとなら。きっとそこからごく自然に一歩踏み出すでしょう。ならば、自分の背中をどんなエネルギーが押しているのかを知り、どんな想いが溜まっているのかを自覚して歩を進めることには大きな価値があるのではないでしょうか。


  けれど慎重さも忘れないで。『悪魔は細部に宿る』これが乙女座の合い言葉。無謀な冒険と「それしか無い道」 とは決定的に違います。たとえ妥協を許さぬ道を行くにしても、安全や安定を選んで現在の場に留まるにしても、今は本当にいろんな欲望のエネルギーが交錯し、綱引きをする時期であることもこころに留めておきましょう。それが十字路を覆う霧の正体でもあるのだから。

たとえば駆け引きや小さなウソで逃げたくなるエネルギー。自分に対しても、他のひと(または見知らぬ罪びと)に対しても、報復や罰を与えるのが当然だと感じる燃え上がるような原動力(それはおそらく自分自身が経験している「理不尽さ」の投影)。深いこころの傷から目を逸らすための無茶な行動。はかり知れないひとの気持ちや物事の背景を考える余裕を失なわせる無意識の強い衝動。ひそやかにエネルギーを吸い取る寄生者を切りたくても切れないという葛藤。わかっているはずなのにまた同じ事を繰り返してしまう、自分の前に立ちはだかるその壁をどうしても超えられないという感覚。自分の直観を信じられなくなり、疑心暗鬼に落ち込ませるエネルギー。あるいは幻想に基づく強い使命感(ドン・キホーテ的な)、または罪悪感。良かれと思いながらつい犯してしまう誤り。そして限りあるいのちに残された日々を数えながら抱く、この先何かが起きるのではないか?という漠とした不安と期待感。動きたい、何とかしなくちゃ!という衝動。うーん、このところ乙女座 — 魚座間を行き交う惑いのエネルギーは複雑で細やか。何でもアリに見えて、一筋縄ではいきません(ゆったりかまえて想像力の翼を拡げ、思いを巡らすには良いのだけど..)


August


  いえそれでも、だからこそ。ハーレムの素敵なソファーに寝そべって、主の居ない間にひと休み。盛夏から秋への変わり目に、耳を澄ませて見えない月を感じてみる。 

『これでいいんだ』 ふと、呟いてみた。

すると即座にこころが問い返す。『本当か?』

『さぁ...どうだろうね』 

半分本当で半分は嘘。 だってそんなの割り切れやしない。でもそのままが、今のありのまま。そしてありのままが、少しずつ 少しずつ 深まっていく。体中にひろがる霧が、いつしか すっと透明になっていく。 ん。なんか口角、上がってる? 「わたし」の中で、歓んでるのは何?

  そのとき。目の前にひとりの女神が立つ。その名はヘカテー。精霊の集まる十字路に立ち、聖なる岐路を護る月の女神。彼女は地獄の犬を連れ、松明を持って道を照らす。そして道往く者にこう問いかける。
『後戻りはないぞ。本当にこの道を行くのか?』と... 。

さてと。何て答えてやろうかな?♪


(この新月図で、小惑星ヘカテは天秤座11°台のDCにピタリとコンジャンクトしています。だからこのひと月のうちに、何かドラマティックなシフトを経験するひとがいるかもしれませんね。)

みんな、どうか素敵な新月の夜を!







have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 22:15│Comments(4)新月(満月)の星読み | パーソナル・アストロロジー

この記事へのコメント

1. Posted by サラ   August 31, 2019 21:25
hiyokaさん、

こんばんは。

乙女座祭りな新月図なのですょね〜。
今回はNアセンにも近く、N天王星に月も太陽も火星までも触ってきてるからか、やたらと重たく感じます(^^;)
記事読ませていただいて「なるほどそういうことか。」と思わずにいられませんでした。

1週間ぐらい前から何故だかよくわからないながらも、そろそろギアチェンジに向けて具体的な構想がハッキリしないながらも、気持ちだけは決めて行かないと。みたいな感じあったのですょ。
けれど対抗の海王星に足引っ張っられているような奇妙な感覚w

もう随分と前から海王星には翻弄されっ放しで、ちょっと嫌になってしまいますが、海王星って、こんな感じなのかと、自分のデータベースに記録してるみたいなところもあるかもです(-_-;)
2. Posted by hiyoka   September 01, 2019 19:58
サラさん、こんばんは。

9月に入って調子はどうでしょう? 重さを突き抜け、火星の熱というか「何でもいいから行け〜」みたいな感じ、受け取ってるかな? とはいっても胸に一物ありげなジュノーも来てるし、乙女座10°近辺にはこのところ冥王星族のオルクスが鎮座ましましてるし、対面の海王星との対照で「いったいどうせぇっちゅーねん!」て言いたくなりますね (^_^;

海王星って、惑星の中で一番扱いが難しい星だと思います。ボンヤリしてると足を取られ、分析しようにも理が通じない。常にヒタヒタと海中を漂いつつ、判断を横に置いて「こんな感じ...」と「感じてる」しかない。何か崇高なものがチラ見えするのに、けっして届かない。善だの悪だの、プラスだのマイナスだの、そんな人間都合のあれこれを頼りに生きてると、至るところにふうわりと口を開けてる出口のない亜空間へと誘い込まれる..(-_-。

けれどそこは無意識を司る魚座の海王星。自分自身の「いのちの発露」が存在する「点」とでもいうか、理屈以前のことばにならない核だけを常に確かめながら在り続ける... もしかしたら、それだけでいいのかな?なんて思ったりもします。実生活の活動と、海王星がもたらす別次元サンプルのダウンロードタイムが重なっているのが何より大変ではあるけれど。シンプルな思考をこころがけ、ときに乙女座的ルーティンをちょっと破っては戻ってみたり(この新月が示す安全志向もまた大切ではあるのでw)「何やってるんだかなぁ...自分」という状態の蓄積の中に、もしかしたら後でふり返って「あぁ!」と思うようなことが密かに起きているのかもしれないから。

結局、海王星と仲良くするには、そして一瞬でも至高(たぶん想像してたのとは全く違う)に触れるには、詩やうたのように生きる時間を少しでも持つことなのかもしれませんね..。素晴らしいデータベースになりますように!(^_^
3. Posted by サラ   September 01, 2019 21:50
hiyokaさん、

ありがとうございます♬
海王星・・嫌になってるだなんて、ちょっとバチあたりな事言ってしまいましたね〜。
乙女座的な私が前面に出てくると、すぐに分析に走ってしまいがち。。
なるほど、海王星と仲良くするには全く違ったアプローチ。というかそんなものすら必要ないような?

シンキングベルとかティンシャの音に最近特に惹かれるので、ちょっとショップにでも行って、乙女座的でない感性を使ってみようかしら^^
4. Posted by hiyoka   September 02, 2019 00:42

あ、いいかも♪(^_^
何かに良いとか効くとかアセンションがどうとか、そんなの海王星は知ったこっちゃないですものねw。ただただ気に入った響きにひととき身を浸す。ただそれだけ。いいかも💜
 
 

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