レイモンド・メリマン 週間コメント9/2【金融アストロロジー】レイモンド・メリマン 週間コメント9/16【金融アストロロジー】

September 13, 2019

🌕9/14の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 9月14日13:56前後、北海道周辺で14:02前後、関西方面は13:37頃(日本標準時ではこの時間)、沖縄周辺で13:25前後に 魚座21°05'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月 魚座21°→22°/ 太陽 乙女座21°→22°】
  🌕 “A little white lamb, a child, and a Chinese servant”
  『小さな白い子羊、子供、そして中国人の召使い』
  🌞 “A girls’ basketball team”
  『少女達のバスケットボール・チーム』
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  🌕"A man bringing down the new law from Mount Sinai”
  『シナイ山から新たな “法” を持って下りる男』
  🌞“A royal coat of arms”
  『王室の紋章』

9月29日新月のベース・シンボル 天秤座5°台
 『真実の内的智識を教える男』に繋がっていく

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~9/28】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。

→★護られた環境下での無垢さと無知の違いを認識する必要
→★導くこと、教えるという役割に付きまとう責任の重さ
→★プライドや権威を護るために自分を正当化しようとする心理
→★自分が属する集団のアイデンティティを通して全てを判断する危険
→★抗えない運命や定めと思ってきた物事の真偽を再評価する必要
→★“公平な条件” が立場の違いにより不公平を生む現実を見る
→★未熟さゆえの傲慢さや不機嫌で侮蔑的な態度を
    広いこころで受けとめていなす経験豊富な目
    または 上手く利用するためにすり寄る欺瞞に満ちた目
→★他者や自分自身の“内なる子供”を導くために必要な持続力と忍耐力
→★個人的な権利や利益を放棄し、全体のために尽くそうとする精神
→★新たな状況や物事の中で慣れない感覚を抱きながら何かを達成していく
→★社会や人間関係の「権力」や「特権」に付随する膨大な「責任」の重さ
→★正当な義憤と単なる悪意やウサ晴らしの言動との相違が結果として出る
→★自己犠牲か、それを装った支配か、その両極を見抜く必要
→★古い伝統に裏打ちされた美と威厳、または剥がれ落ちる偽の紋章
→★感情/精神/霊的世界など目に見えにくい領域を慎重に見定める
→★おおげさな権威や神秘性でゴリ押しまたは魅了する存在に注意
→★「印象」や「確信」も足早に消えて変化していく人間のサガを見る
→★もの静かに戦闘態勢を整え、もしもの時に備えておく必要
→★ちぐはぐになりがちな感情・精神・行動を整え自分自身に立ち帰る・・・→


★エネルギーのポイント:新月
            『自分自身の安全神話を書き換える』
             
            満月
            『書き換えた安全神話に沿って行動する』

            
190914FM



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  伊豆東部から関東首都圏を襲った台風15号は各地に大きな爪痕を残し、横浜では海沿いの工業団地に集まる中小企業に甚大な被害が出たと聞いています。また特に千葉県では家屋の被害の他にも道路の遮断、停電や断水、固定電話や携帯も不通に。。 今はずいぶん復旧してきたとはいえ、まだまだ厳しい生活を余儀なくされているひと達が沢山... そして直後から不眠不休で復旧に力を注いでいる大勢のひと達も...。台風一過で猛暑は収まり急に秋めいてきたけれど、心身の疲れやストレスはホッとひといきついた後に出やすいもの。無理せずどうかご安全に!

  ただ星をみる限り、これから先も日本は災害に気をつける必要はありそうです。とりあえず何があっても最低限数日くらいはしのいでいけるだけの準備はしておきたいです。世界は凄まじい勢いで動いているし、局地的な武力衝突や内乱、テロや暗殺事件など、不安定な状況は2020年にかけてしばらく続くでしょう。ひとのこころも大地も、噴き上げたり揺れ続けることで、長い間に様々に溜まった埃や澱が浮上する — 全ては人間が創造したものなら、それを何らかのかたちで収めなければならないのも人間。そんな時代を生きるべくして生まれてきたことにも大きな意味があるような気がします。


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  さて、新月は目には見えないスーパー・ムーンでしたね。それは月が近地点に来ていたから。今回の満月はブラックムーン・リリス(BMリリス)とゆるいコンジャンクト(オーブ5°30’程度)なので、遠地点に近い月。なので今夜の中秋の名月は少しだけ小さく見えるかな? この、遠地点の月は比較的力が弱いという説もあります。けれど実際は弱いというよりも「少し俯瞰して自分自身を見つめる機会」と言ったほうが良いかもしれません。

月はあらゆる惑星から送られる様々なエネルギーを感知し、わたし達それぞれに「自分の気持ち」として感じさせる働きを持ちます。なので火星とともに燃え上った新月の強力なスーパー・ムーンは、総体的にひとびとの怒りやこらえ性のなさ、様々なこころの叫びとなって空間に木霊していたような気がします。そして明日はその結実となる満月。今回の満月でもアスペクトを見るとなかなかの厳しさがあるし、テーマも社会や人間の本質を突いてくるところがあって侮れません。海王星ともコンジャンクトで、現実に追われる中でふと夢見心地に誘われる可能性も高いし、BMリリスもちょっぴり「隠れ離人症」みたいな性質があり、放っておくと悪さをしかけてくることがあります。でも、たとえ海王星の霧のただ中にあったとしても、明晰夢めいた現実の中で意識して自分と周囲を見渡し、「これは何なのだろう?」と問うてみる。それはもしかしたら、まだ見ぬ山河を越えていくための強力な羅針盤になっていくかもしれません。

沢山のアスペクトが形成されている今回の満月ですが、時間の都合で今回の星読みもサビアン・シンボルのみになります。また余裕が出来たらアスペクト編も再開しますね。m(_”_)m


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★9月満月のサビアン・シンボル ★


満月のベースとなるシンボル:魚座21°
『小さな白い子羊、子供、そして中国人の召使い』


        ではさっそくサビアン・シンボルをみてみましょう。この組み合わせも何年か前にルネーションで経験した度数ではあるけれど、やはり今年は同じテーマの内にも微妙に異なるニュアンスが浮上している気がします。

今回のシンボル、まずベースとなるのは『 小さな白い子羊、子供、そして中国人の召使い』という、ちょっと謎めいた光景です。このシンボルには三つの異なる要素がひとつのシーンに収められています。
 

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  by EM Framing, Pixabay


  「小さな白い子羊」― イメージとしては、ただただ無垢で可愛らしい存在。「子供」― こちらもイメージとしては無垢で可愛い存在だけれど、このシンボルではそれに加えて、まだ幼く社会的な規範を知らない存在としても描かれているようです。また、特になんのことわりもないことから、この子はおそらくM・E・ジョーンズやエルシィ・ウィーラーと同じ白人の子供ではないでしょうか。

そして「中国人の召使い」― サビアン・シンボルには折りに触れて「中国人」のシンボルが出てきます。これは全て1920年代当時の米国における「移民」という立場を表していると見ていいでしょう。もともとアメリカという国自体が移民の国です。けれど、世界各国から新大陸で成功を手にするという夢を求めて大量の移民が押し寄せるようになると、旧移民(アングロサクソン系プロテスタントや開拓移民など)と新移民(東・南ヨーロッパ系、アジア、南アメリカ系・カトリックその他異宗教・出稼ぎ移民など)との溝が深まり、社会や経済面で人種や民族差別があらわになっていきました。特に大量に渡ってきた中国のひとびとは、当時の一般的な白人米国社会では「米国に溶け込もうとしない異文化の侵入者」「下層の仕事をする人々」などのイメージがあったと言われています。以前もシンボルに出てきた「洗濯屋」「超低賃金の工場労働者」「召使い」などは、そんなひとびとの代表的職業だったようです。このような移民問題と、それにまつわる様々な立場からの不平不満は、これまでもアメリカに渦巻く大きな問題のひとつでした。そしてここ数年は、まるで歴史が一斉に反動期にでも入ったように、あらゆるマイノリティ(そして抑圧されていると感じるひとびと)からの声が高まり、それが極まった現在はマイノリティ同士の間にさえも新たな亀裂が生じ始めています。


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  By Capri23auto, Pixabay


        では、このシンボルに出てくる「中国人の召使い」は、真っ白な子羊や子供に対してどのような思いを抱いているのでしょうか? そして子羊は、子供は、どう感じているのでしょう?

  子羊は無垢でか弱い存在のシンボルです。けれどいつも側に寄り添っているはずのお母さん羊の姿は見えません。この子は群からはぐれてしまったのでしょうか? ならば、誰かが世話をしなければ生きていけません。子供はふわふわして温かく、可愛い目をした羊をきっと気に入るでしょう。純粋な気持ちで子羊と友達になりたい、ペットにして可愛がりたいと思うかもしれません。けれど、それにはきちんと世話をする方法を知り、身に付けなければなりません。ここでそれを教える役目を果たすのは、きっと人生経験を積んだ中国人の召使いなのだと思います。

この真っ白な子羊は、魚座が包含する「霊性/魂」の一番純粋な顕れ ―「無垢さ」を暗示しているのかもしれません。そして人間の子供は、まだ手つかずの生き生きした感情と未発達な自我、そして好奇心に満ちあふれたナマの肉体的欲求(何でも触って口に入れてしまうような)をも表しているように見えます。子供は純粋であると同時に、邪悪さや危険が至るところに(自分の中にさえも!)潜むことをまだ知らず、やりたい放題のワガママにもなってしまいます。ならば、かしずきながらも教師の役割を果たさねばならない中国人の召使いは、苦労と経験を積んできた人間の精神、そして成長した自我を顕しているのでしょうか...。


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  こう考えてみると、このシンボルには人間世界に見られる二つの道が示されているように見えます。まず一つの道筋はこんな感じかな。

…→ 魚座の最高の顕れとされる、自分の「霊性」を守り育てるためには、まずその存在に気付き、慈しむこころが必要。そして同時に、騒々しい社会の中で、純粋な感性をどう護り、どう育てていくかを知り、そのためにどうしても必要となる「自己規範」を確立する必要がある。

…→ それには自分にとって人生で何が一番大切か?という問いに対する自分なりの答を「核」として経験を積み、大人としての忍耐力を身に付ける必要がある。自分を生きる「霊性」または「わたしと呼ばれるいのち」に仕え、護れるように。ゆるぎない感性を鍛えていくための自立した精神性を保てるように...。

  小さな白い子羊は、あどけない子供をひたすら慕います。子供はそんな子羊が可愛くてたまらず、召使いに助力を求めます。『ねぇねぇ、この羊、飼ってもいいよね?』 召使いはおそらく主人筋にあたるだろう子供を、人種・文化の壁や差別という世間の波を乗り越えて慈しみ、これまでの人生で蓄積してきた智恵を用いて導くかもしれません。たとえば、こんなふうに言うかな?『きっとそれはお父様がお許しにならないでしょう。でも、わたしの所で面倒をみることは出来ますよ。坊ちゃんは内緒で遊びにいらっしゃい。どうしたら羊と仲良く出来るか教えてあげましょう』なんて...。


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  中国人の召使いはそのとき、弱々しく見える真っ白な子羊が実は彼/彼女にとってもかけがえのない存在 ―「普遍的な魂の象徴」であることを深く理解しているのかもしれません。ここではわたし達「人間」という存在を構成する「霊」―「肉体」―「精神」という三つ組(または三角関係)の象徴と、その間をスムーズに流れていこうとするエネルギーの構図を見てとることが出来ます。

  けれど、それはあくまでも「理想」としてのカタチです。魚座の霧はそうすんなりと晴れてはくれません。もうひとつ、今という現実をふまえて考えられる道があります。

  可愛い子羊を見て子供は『ボクが世話をする!』と言い張るかもしれません。『ぬくぬくした羊を抱っこしてボクのベッドで一緒に寝るんだ!』 なんて言い出すかもしれないし、おやつのキャンディを子羊にあげようと思うかもしれません。でもそんなことを許したら、召使いは雇い主である子供の親に厳しく叱責されるでしょう。何も知らない子供の思いどおりに子羊を扱わせるのは、その子にとっても子羊にとっても危険なことかもしれないのです。そしてまた別の側面も考えられます。当時の米国社会で召使いにかしずかれた子供なら、やがて責任ある地位に就き、広い世界に立ち向かってひとびとを導かねばならない運命の下に生まれている可能性があります。だとすれば、きっと幼いうちに、自分が生まれた世界の厳しい一面を学んでおく必要があるでしょう。無垢と無知はまったく違う。天真爛漫とやりたい放題も違う。生き物を友とすること、関係をもつことは、相手が動物であれ人間であれ、自らの選択に対し責任を引き受けること...。


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  けれどもしここで、召使いが自分の虐げられた境遇を恨み、天真爛漫な子供の恵まれた境遇を妬ましく感じていたらどうでしょう? きっと子羊に対しても『お前はいいよね。たまたま真っ白な子羊に生まれたってだけで何の心配もなく可愛がってもらえるんだから... ふん、 世の中は本当に不公平だよ!』なんて考えていたとしたら? ...そこには果てしない鬱屈と羨望、そして自分自身のこころが生み出す分断の淵からふつふつと湧き起こる怒りと抑圧が見てとれます。それは、たとえ一瞬の想いであったとしても、いつ頭をもたげるかわからない凄惨な闘争の芽となり得るでしょう。つまりここに描かれるもうひとつの光景は、「霊」―「肉体」―「精神」の三つ組みが逆流を起こし、精神が病み衰え、闘争が肉体を蝕み、やがては霊の死が訪れることを暗示する道です。

けれど...大なり小なりこういう構造や意識の流れって、わたし達のこころの中で、社会や人間関係のただ中で、大きくは集合体の総意として、わりと普通に起きていることじゃないでしょうか...?

 
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満月に光を放射する太陽のベース・シンボル:乙女座21°
『少女達のバスケットボール・チーム』


       一方、月に光(人間意識)を与える太陽側のベース・シンボル、乙女座21°『少女達のバスケットボール・チーム』はどうでしょう。 この度数は4年前に日蝕が起きた位置でもあり、最長6年と言われる蝕の効果で強化されているかもしれません。

  米国の女子バスケットボールの歴史は19世紀末から大学対抗試合として始まりました。参加者はモダンでお転婆で裕福なお嬢様方だったようです。当時はまだまだ「飛んだり跳ねたりするのはレディのする事ではない!」という風潮が強く、チームを作るだけでも社会的な偏見と闘い、まずは「互いに競い合う権利」を勝ち取る必要があったそうです。だからきっと、このチームの選手達はそれぞれに個性が強く、自分の意見や主張をはっきり持っていたのではないでしょうか。


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  先進的な考えを持つ彼女達は、抑えつけられるような状態を良しとはしなかったと思います。必死にドリブルの練習を続ける子、恋の悩みに気もそぞろな子、親にも兄弟にも内緒で参加した子、戦うことがそのまま自己表現になっている子…それぞれの想いを抱えた勝ち気な少女達。誰かが笛を吹いたとしても、最初から足並みを揃えるなんて、とても無理だったかもしれません。けれど、試合が決まれば話は別。だってやっと勝ち取った「試合する権利」です。それぞれの悩みをひととき忘れ、自分自身のプライドとアイデンティティをかけて「敵チームに勝つ」という共通の目的の下に集まり、それぞれに割り当てられた役割を果たさねばなりません。

  参加した目的はそれぞれ異なるかもしれない。それに最初から上手な子
もいれば、どんなに練習しても上手くいかない子もいます。そうでなくても少ないメンバーです。技量の差が歴然としていても、チームに期待することが全然違っていても、カバーしあって共に働く必要があります。その過程では沢山の問題が起きてくるでしょう。『あの子は自分が目立つことばかり考えている』とか『せっかく頑張ってるのに足を引っ張らないで!』とか。。 未熟さからくる口論や喧嘩、葛藤。そんなときの少女達は、ひとりひとりが自分だけの「子羊」を抱きしめて地団駄をふみながらイヤイヤする子供なのかもしれません。今抱きしめている子羊が本当は何なのかもまったく知らないままに...。


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  外部(親・周囲・世間や社会)から押し付けられた「純白のレディ」という衣装を脱ぎ捨て、自分の体で、自分の力と技で、自分だけのアイデンティティをつかみ取りたいと願う……これは日々を生きるわたし達の姿でもあります。それと同時にわたし達は、チームとして、集団や集合体の一部として、競合社会の中でそれぞれの役割や責任を果たすことも求められます。これもまた、何かに属すことによって得られるアイデンティティや身分であり、わたし達はそれに支えられることによって、自分という存在を護り育てる基盤を得てもいるからです。それはわたし達のほとんどが普段は気付くこともない「特権」なのかもしれません。

想いや期待や意見の違い、力の格差を乗り越えてひとつにまとまること。そして「敵」― 試練や危機、災難とせいいっぱい戦い、耐えて打ち勝つこと。あるいはチームの一員として黒でも白でもなく渾然一体となり、その中でひたすら自分の本質を出し切ること。白いドレスを脱ぎ捨てて、少女達は元気はつらつ!... けれどまだまだ未熟な彼女達を導くコーチはきっと大変だったのではないでしょうか。コーチは無垢なこころを持つ少女達のひとりひとりを、自分自身の人生経験に照らして判断し、導こうとします。おそらくその方法論は、子羊や子供の無垢さとは異なる、彼/彼女自身が紡ぎ上げた個人的・社会的・文化的な世界観で成り立っていたでしょう。ではもしそれが、度重なる苦い体験の印象から「こうでなければならない」と堅苦しく凝り固まっていたら? 当時の米国で大学教育まで受けられた「上流女性」達の “文化的特権” や、格差への不公平感で歪められていたとしたら...?


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  ...最善と最悪が極小の粒子となって、ふうわりと優しい混沌の霧を創り出す魚座。...極大と極小、見る者と見られる者がひとつの存在として重なり合い、解釈の違いによってどうにでもなる “シュレディンガーの小箱” みたいな魚座。 そんな魚座の行程を2/3ほど過ぎた最終ディーカンで起きるこの満月。ここで浮き彫りにされる二つの道 ― 光景は、そのときどきで下すわたし達の判断が、大きくも小さくも、それまで自分達が目にし、耳にしてきた物事から紡ぎ出された「印象」の集積に過ぎないことをさりげなく気付かせてくれる気もします。

みんながこころを開いて互いを受け入れ智恵を出し合えば、それは大きな経験として共有していけるかもしれない。これは社会的な理想です。でも、わたし達ひとりひとりの経験は、広大な世界から見ればとても狭くプライベートなもの。だからもし本当の意味で共有出来るものがあるとすれば、それは個としての経験や記憶の後ろに茫漠と拡がる漆黒の闇だけかもしれない。生と死が入り混じり、生きとし生けるもの達の夢がまどろむ深く豊かな存在の闇。そしてそれが何なのかを本当に識っている存在は、もしかしたら...ことばを知らぬ小さな子羊だけ。 わたし達は自分が抱きしめている子羊を通してその深く豊かな闇を互いに覗き込み、ただ受け入れていくことが出来るでしょうか?


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満月のメイン・シンボル:魚座22°
『シナイ山から新たな “法” を持って下りる男』


        さて次に満月のエネルギーが向かう先は、メインのシンボル『シナイ山から新たな “法” を持って下りる男』です。これには旧約聖書の「出エジプト記」に出てくる有名なモーセと、神が彼に託したといわれる「律法」のイメージが濃厚に重なります。このシンボルはモーセの話と密接に繋がるものなので、そのお話から始めてみますね(とは言ってもわたしも詳しいわけではないので、もしも間違いなどありまたらご指摘ください)。

        モーセは120才まで生きたと言われています。彼の人生は前のシンボルと共通する「数の要素」を持っています。つまり、三つの時期に分かれているんです。そして、そのうち最初の40年はエジプトのハトシェプスト王女の庇護のもとで育てられ、安楽に過ごしました。当時エジプトではイスラエルの民は奴隷化され、迫害されていました。そんな中でも彼の場合は殺されそうなところを奇蹟的に助けられるなど、とても幸運な巡り合わせで生き延びていました。ところがある日、彼はイスラエルびとを打ち据えていたエジプト人を怒りにまかせて殺してしまったのだそうです。そこから、彼の失意と逃亡の40年が始まります。


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 シナイ山麓 聖カタリナ修道院


  その後、彼は遠い砂漠の地でひとりの羊飼いとしてひっそりと暮らし、結婚もして、腰を落ち着けて時が過ぎました。ある日、タベラと呼ばれる地を通ったモーセは、燃えても燃えても燃え尽きない枯れ柴を見て不思議に思い、近寄りました。すると神の声が聞こえてきて、彼ら民族の神である「ヤハウェ」であると名乗ったのだそうです。そして、虐げられて苦しむイスラエルの民をエジプトから脱出させよと命じられました。その時、神は彼に『ここには土足では入れない、靴を脱げ』と告げました。その言葉は彼に「人生の全てを捨ててかかれ」という暗示でした。 

  ここでモーセがすぐさまその通りに出来たかと言えば、そんなことはありませんでした。全てを捨ててまで自分が属する民族を救うなんて大それたことを、何故自分がしなければならないのか? せっかくここまで生き延びてきたのに...と迷いに迷い、何度神に促されてもなかなか腰を上げられなかったそうです。その意味では、彼は人生の2/3を「普通のひと」として生きたのかもしれません。

  けれどやがて、彼は神の声に従ってエジプトに戻り、ファラオにイスラエルの民を脱出させる交渉をすることになります。彼の最後の40年です。神の助けもあって運良くエジプトを離れられても、大勢の民を連れて旅することは当然ながら苦難の連続でした。ファラオの軍勢に追われて食べ物や水にも事欠き、やがては『これならエジプトにいた方が良かったじゃないか! 上手いこと言いやがって、騙された!』なんて不平不満をもらしてモーセを非難する人々が出て、かなり不穏な雰囲気にもなります(これは国のリーダーや政治家と大衆、プロジェクトのリーダーと下部のひとびととの関わりで今も世界中で見られる光景かもしれません)。


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  けれどその都度「神の奇蹟」を顕したモーセは、すでにベールで顔を隠さないと輝く光でまともに見ることも出来ないとされたほどの宗教的英雄になっていたと伝えられます。やがて旅の一団がシナイ山のふもとに辿り着いたとき、神が山の上に顕れ、モーセを招きました。山上に登った彼は、そこで神から十戒を授かり、ひとり下りてきました。そしてこの時「イスラエルびと」と「神」との「契約」が成立したのだそうです。

  その後も「神の民」の歴史は長く続いてきました。それは建国の闘いの歴史でした。ユダヤ教からはキリスト教が生まれ、またイスラム教も源は同じでした。けれど今も、それぞれに宗教的、政治的、それに経済の問題も複雑に絡んで闘争を孕み、世界をゆるがす問題の根源ともなって尽きることがありません。イスラエル/パレスチナ問題、そして最近は特に米国急進左派層にも拡がる親イスラム&反イスラエル主義とユダヤ人差別。またユダヤ/シオニスト絡みの陰謀論も絶えることがありません。一方、キリスト教の最高権威として長く世界に君臨してきたバチカンの威光も度重なるスキャンダルによって衰えを隠せない今、至高であるはずの神に関しても、ひとびとの周囲は濃霧に覆われているように見えます。地球規模で見ても、いったい何が真実で何がウソなのか、 “適正” なグレーゾーンはどこなのかさえもわからないような状況だと言えるかもしれません。


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  至高で純粋な力であるはずの「神」という存在。けれど、もし神が存在したとしても、その力が生身の人間に託され、それが聖化されて権威となり、ひとびとによって都合良く解釈され始めたとき。そこにはまた別の、とても “人間的な” 「魔の力」が入りこむのだと思います。

わたし達人間はこの長い闘いの歴史を終わらせることが出来るでしょうか? 長く水面下に隠されてきた過去は、これからも次々と浮上してきます。社会的にも、個の経験としても。現ローマ法王を決めたコンクラーベは、ちょうどこの度数で新月が起きたときに開かれました。キリスト教社会に大きな影響力を持つバチカンの指導者方は、この宇宙からの挑戦を知っていたでしょうか?

        このシンボルには、ごく普通の人間でしかないわたし達が、ある機会を得て「力」を持ったとき、または身近にそれを感じたとき、その「力」と「特権」をどう扱うのか?という問いかけが含まれています。それは、わたし達それぞれの中に住む、純粋で真っ白な子羊をどう育てていけるのか? 純粋な “Calling”(自分自身を存在たらしめている「核」から微かに響いてくる「声」または「音」)にどう応えるのか? という問いでもあります。

旧約聖書やモーセの物語、そして宗教絡みの闘争という問題は、世界規模のスケールで展開していきます。けれど、その話の中に潜む本質は、実はわたし達の日常にも姿形を変えて常に起きていることではないでしょうか? 
 

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  ここで「力」とされているものが、民族や国を救う力でも、職場のゴタゴタをまとめる力でも、パートナーや家族との絆を確かなものにする力でも、またはSNSや動画サイト、ブログで自分の意見や気持ちを発信する力だったとしても。 その力によって本当に大切なものを護り生かしていこうとすれば、そこには常に大きな忍耐と、ある種の犠牲がつきまといます。けれどその覚悟を持たないとき、責任を負いたくないとき、わたし達は自分を安全な場所に置いてひとを動かそうとします。そして気に入らなければ批判し、不平不満をもらします。

そこに在るとき、ひとは自分が「犠牲者」であることさえも、他者より優位に立つための盾とすることが出来ます。そしてそんな盾と盾の隙間から、内部に溜まった澱を世界に向かって吐き出すことも出来ます。けれどそれは、見知らぬひとびとの中に新たな怒り、妬み、恨みを呼び、力と力のぶつかりあいを生み出していくでしょう。あるときは派手に、あるときは密やかに。互いに自分の、自分達だけの、力や正当性や特権を護ろうとして…。これは日々、ネットやメディアで、あるいは日常の暮らしの中にもよく見られる光景です。そこに勝者はひとりもいない、そんな闘い。そしてその闘いのさ中で真っ先に傷付き喪われていくのは、小さな白い子羊の姿、わたし達の内なる霊性の種子なのかもしれません。


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満月に光を放射する太陽のメイン・シンボル:乙女座22°
『王室の紋章』


  では月に光を与える太陽のメイン・シンボルを見てみましょう。『王室の紋章』。この月と太陽・表裏二組のシンボルをよく見ていくと、この乙女座のシンボルはひとつの物事を地上的・社会的な視線で捉えているのに対し、魚座のシンボルは同じことを天上的・霊的、または宗教的な側面から捉えているように思えます。

        『王室の紋章』( “王家の紋章” でも良いのですが)。これは連綿と受け継がれてきた伝統の重さ、積み上げられた地位や血統、そしてそれらがもたらす特権を表すものです。そして、国家やそこに居住する人々を先導する役割を担っていること(担ってきたこと)を意味しています。今は王家による直接的な統治制度を廃した国が多いけれど、それでもこの紋章を受け継いだ人々は、友好国である限り世界のどこに行ってもその国が持つ最高権威の継承者(または象徴)として最大の敬意を持って扱われます。


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        この「紋章」はその昔、深い森や荒れ地、険しい山、見渡すかぎりの敵陣の中で郎党を率い、道なき道を切り拓いた人々の血脈の証しです。多くの血を流しながらも、人々の安住の礎を築いた先祖達の偉業の印ともされるものです。その偉業を果たすには、絶大な権力を持つことが必要でした(戦乱の時代にもし合議制を敷いていたら一丸となった闘いなど出来ないし、奇襲に即応することも出来なかったでしょう)。 王のことばは即ち「法」であり「輝き」でした。また『王室の紋章』は戦いの中で絶対に譲ってはならない一線、護るべき誇りをも意味します。騎士達は自らが仕える王家(国家)の旗印をかかげ、その紋章に託された集団の命運のためにいのちと名誉を懸けて一騎打ちを行いました。もしかしたら近代の戦争でも、たとえば戦闘機のパイロット達の心理には似たような側面があったかもしれません。現代でも勇壮な国歌や軍歌にその片鱗が色濃く見られる国は沢山ありますね。

       さて、魚座22°の月は「神」から「力」を負託され、乙女座22°の太陽は「ひとびと」から「力」を負託される。。 この二つのシンボルに共通して浮かぶのは「選ばれし者」のイメージです。そして「法」と、それを施行するための「権力」でしょうか。善と悪とが混沌と入り混じる人間社会では、人々が一団となってまとまりながら平穏に生きていくために「法」が必要になります。そしてその下に守るべき「規則」や「規範」そして文化的・局所的な「社会常識」が出来てきます。


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  また、特権階級である王や貴族の生涯にもモーセの生涯にも「ノブレス・オブリージュ」として知られる、選ばれし者が負う重い責任がついて回ります。それは「統率者に権力を負託した者達(国民や大衆、または神なる存在)に対する義務」。命を差し出すことを暗黙の了解とした「契約」でした。これもまた「法」です。おそらく究極の「法」とは、この世の境界を超えた先に存在するはずの「聖なる意志」を源泉とするものだったのかもしれません。

  一方、独裁的王権を持たなくなったわたし達の時代はどうでしょう? 世の中を見渡すと、沢山の「法」や「ルール」に溢れています。そして皆が口々に『これが正しい』『いやそれはおかしい。完全に間違ってる!』『いやこっちこそが正しい。 そんなことも理解出来ないなんて頭が悪い証拠だ!』などと、国境を越えて罵り合ったりしています。

それぞれがより良いと信じる「法」をかかげて自らのアイデンティティとし、あちこちに様々な主義主張が溢れるさまは、まるで意識の世界で永遠の戦いが始まっているかのよう...。昔なら、イデオロギーを広めるためのツールは活字やダイレクトな集会や対人関係、あるいはせいぜい拡声器くらいだったかもしれないけれど、今はネットの世界で誰もが自分の「意見」自分の「法」を発信するようになりました。そしてカーディナル・クライマックスから昨今の木星・海王星の下、それぞれの多様な文脈を、より発信力を持つ著名人やメディアが汲み上げてさらに誇張(木星)と欺瞞、誤読、誤解(海王星)を混在させながら拡散するというシステムが成立してしまったように見受けられます。そんな中では以前メリマンさんが書いていたように「信じられるものなど何ひとつない」ということだけが真実なのかもしれません。


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  こんなときは、なおさら統率者が「ノブレス・オブリージュ」を果たす姿を示すことが重要になりそうです。けれど、もし彼らが責務を果たしていたとしても、今、便利に見えながら複雑になってしまった社会の中で、それを明確に、しかも信頼に足るかたちを通して示すのはかえって困難かもしれません。加速していく世界の中で、わたし達は1秒でも早く結果を知りたがります。そしてチラリと見てはすぐに忘れていきます。そんな現代社会で『王室の紋章』はどんな輝きを放てるでしょうか? リアルと幻影の区別が曖昧な今、声高なパフォーマンスや受けの良いレトリックが主流になれば、その反動は暴力という形をとって顕現するかもしれません。その兆しは比較的平穏に見えた世界においても見え始めています。...そういえば、1950年〜1960年台にテレビが普及して以来、電気や電磁気、電波や電子を介したメディアがひとびとの認知の道筋を全く別物に変化させるだろうと、当時のメディア理論家/文明評論家のマーシャル・マクルーハンは50年以上前に予測していました。そして、その流れは今も留まるところを知らない勢いで進化しつつあるようです(あ、話が横道に逸れてるかな…😓)

  うーん...じゃ、この満月はわたし達にとって何を象徴しているんだろう? 自分自身にとって絶対の「法」、消えることのない紋章の「重さ」や「輝き」って何だろう? そして「譲れない一線」や「力」とは何を指すのだろう? 宗教者ならすぐに答は出るのかもしれません。また、道を求めて歩むひとも「これだ!」と感じられる何かをこころの内に持っているかもしれません。確固とした政治的信条や「こうあるべき何か」を明確に描いているひともいるでしょう。けれど漠然とした不満を抱えながら、これまで培ってきた自分の世界観を護るために使える目新しい「法」を盾とし、その隙間から人生の不満や鬱屈した想いを槍のように突き出しているひともいるかもしれません。まるで『こんな世界に誰がした!』とでもいうように...。けれどそんなひとのこころの奥底にも、まだ純白の子羊はきっと生きているのではないでしょうか。そして、見出され、抱きしめられるそのときを、じっと待っているのかもしれません。


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  何か本当に大切なもの。ずっと護っていかなくちゃいけないもの。絶対に妥協出来ない物事… わたし達はそれぞれにそんな「とても大切なもの」を、漠然とでも抱えて生きているような気がします。たとえそれが「ことば」で表現し得ないものであったとしても。でも『何もないよ、大切なものなんて。その日その日をただ生き暮らしてるだけ。どうでもいい』とか『ただ虚無を見ているだけ…』なんてひともいるかな。ならばその「虚無」や「どうでもいい」状態こそが、今 自分の内部で真正面から対峙すべき大切なものなのかもしれません。そんなタイミングに来ているかもしれません。「自分なりの安全神話」が崩壊し、それを書き換えるとき。そして、これからはきっと、それを生きてみるとき。

       こうしてみると、今回の魚座の新月の度数は両方とも、いかにも魚座らしい「挑戦」を提示しているように思えます。そして、魚座のミルク色の霧の中には途方も無い激しさが隠れ潜んでいることを暗示しているのだとも。

魚座ってもともと、究極の理想や慈愛、平和を希求する星座宮です。でもわたし達がその境地を現実に手にするには、いくつかの関門を通り抜けていかなくてはなりません。それを避けて通れば、手に入るのははかない夢や幻想、そして意識の海底に横たわるかすかな罪悪感と、永遠に逃避し続ける自我の深い眠りです。


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  海王星とBMリリスが近くに控えるこの満月の前後で、わたし達は身近な対人関係や集団、いえ、もしかしたら自分自身の中にも、ある種の狡猾さや無責任さを見て怒りや嫌悪を感じることになるかもしれません。または本当に虚無や孤独を感じて身動きが取れず、うずくまるひとがいるかもしれません。なぜなら今、満月のロード土星は月のSノードとコンジャンクトし、そこに小惑星アグニ(焼き尽くす霊の火)とヴェスタ(燃え続ける霊の火)からクァドリフォームが形成されているから。これは「トールのハンマー」または「神拳」と呼ばれるグループアスペクトで、頂点となる惑星に強烈なフォーカスを当ててきます。今回はその拳を打ち込むのが、小惑星とはいえピンポイントで来ればじりじりと燃え立つ炎で対象を照らす「火」の星達です。なので感受性の強いひと、ネイタルで霊の火の要素が強いひとなら、何かを感じ取るかもしれません。

また、今回は牡羊座のエリスに対しても、オルクスとジュノー、そしてセレスからクァドリフォームが形成されています。エリスの原型には、加速する世界の中で断片化し、継ぎはぎと穴だらけになってしまった「自分」をあちこち探し回って次々と不和を創り出しながら、その中で自分を確かめようとする働きがあります。そんなエリスに焦点を当てるオルクスとジュノーの働きを放っておくと、やたらに誰かを批判したり喧嘩をふっかけたいような気分にさせられるかもしれません。

でも、このフォーメーションをもう一歩踏み込んで受けとめるなら、オルクスが「理解を深めて相手に通じることばを発するために、目の前の問題を熟考する必要があること」を示唆し、そしてセレスは「実りある対人関係のためには互いの着地点を探る必要があること」と囁いているのがわかるかもしれません。ただし、それは事なかれ主義や周囲の期待をくみ取って迎合することではありません。エリスは不和の星という要素を持ちながらも、「互いに分かち合うことで得られる深い満足感を探求する」という位置に在ります。事実は事実として明確にねばり強く伝えていくことも必要。鍵となるのは社交辞令でもスマートさでもなく、目前のリアリティに対し真摯に取り組む姿勢。その結果としてそこから何が得られるか?  たとえそれが思わぬ道筋だったとしても、オルクスが漕ぐ冥界の渡し船に乗る勇気を持つなら、少なくとも悔いはなさそう。このアスペクトがヒットするひとには、たぶんこれがヒントになるかも? だから、もし上に書いたような経験をしたとしても、自分も、誰のことも、責めないでください。このシンボルには、身を焼く火の壁を突破するための「門」もまた暗示されているのだから。


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  シナイ山から下りてきた男は、自分にとっての「神」なるもの、つまり「純粋で至高なる存在」の下で、履き物を脱ぎ捨てました。その時彼は自分の人生の全てを、とても大切な何かに託す覚悟を持ったのだと思います。そしてその時から、それが「自分の意志」=「力」となり、また同時に「それ以外の全て」ともなりました。これを「今見知っている “自分” 以外の全て」…って、言い換えてもいいのかな。 

これは真っ白な子羊を通して預託された力であり、究極の問いです。『見る覚悟はあるかい? それを負う覚悟はあるかい?』って...。大きな覚悟、そして小さな小さな、ささやかな覚悟。ひとによっては「覚悟」なんてことばでは表現出来ない、もしかしたら意識さえ出来ないほど微細でありながら、それでいて強靱な何かへの意志かもしれないけれど。

今は見る影も無くなってしまったように思える『王室の紋章』。けれど、わたし達の内界を統べているのは他ならぬ「わたし自身」です。それは、誰? 自分という存在を率いる「王」は、誰? 「紋章」はたぶん、ひとりひとりの中に刻まれてる。だからわたし達は、自分に対して「ノブレス・オブリージュ」を果たしていく。自分自身の生に対して。それはきっと、まだ見ぬ「白い子羊」なのかもしれない...。


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  本当に色とりどりのわたし達。でも。きっと、満月の下に抱くそれぞれの小さな想いこそが、今 感じるべき大切な「法」への一歩、小さな結実なのかもしれません。

  これから先のルネーションにも、新たに創造的ともいえる挑戦のテーマがどんどん出て来ます。そろそろセットアップも佳境に入るころ。けれど、だからこそ。無理に力を入れることなく、一番シンプルな自分に立ち戻ってみて。深く、深く。頭もこころもその瞬間まっ白にして、ひと呼吸いれて。

で、『何だろう?これ』って。実は「法」には何も書いてなかったりして。そして本当は今、それが一番大切なことだったりするのかも...?😊



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have a great trek!!!★
hiyoka(^_^

この記事へのコメント

1. Posted by Green   September 16, 2019 19:36
5
こんばんは、hiyokaさん。

今回のうお座ー乙女座 軸の満月は

ちょうどGreenの、ネイタルドラゴンヘッド魚座

ネイタルドラゴンテイルおとめ座軸と

ちょうど重なりました。

カイロンリターンの中にあって

比較的救いを感じとれた土曜日でもありました。

満月のひとときは、横浜みなとみらいホールの

演奏会を、聴いてました。

2. Posted by hiyoka   September 17, 2019 00:01

Greenさん、こんばんは。

カイロンリターンに刻を合わせてNノードに重なる満月ですね。堪える美、護る火。自分のことが「ただ」わかってしまうような。なのにけっしてことばには言い表せないような。

今この瞬間のガイドラインはたぶんはっきり見える。でも、そのラインの後と先がどこから来てどこに繋がるのかはわからない。もしそんな感覚がチラッとでもあったら、それはもしかしたら「本物」を見ているのかもしれませんね。それはひとときも留まることなく流れ続けていると思うから。

ひとが奏でる一期一会の音に包まれて、きっと素敵な演奏会だったんじゃないかな..(^_^

great trek!!🍀
 

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