October 13, 2019
🌕10/14の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)
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満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。
【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 10月14日06:26前後、北海道周辺で06:32前後、関西方面は06:07頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で05:37前後に 牡羊座20°13'で満月となります。
*今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。
【月 牡羊座20°→21°/ 太陽 天秤座20°→21°】
🌕 “A young girl feeding bird in winter”
『冬、鳥に餌をやる少女』
🌞 “A Jewish rabbi”
『ユダヤ教のラビ』
↓↓↓
🌕"A pugilist entering the ring”
『リングに上がるボクサー』
🌞“A crowd upon the beach”
『浜辺に押し寄せるひとびと』
→10月28日新月 蠍座4°台
『灯した蝋燭を抱える若者』→『巨大な岩礁海岸』
に繋がっていく
【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~10/27】
※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。
→★固く偏狭なルールや境界を超えて発揮される思いやりの感覚
→★その時その時の相手のニーズに応じて導いていく優しさ
→★はぐれてしまった心や勝手の違う状況に迷う相手を
出来る範囲でさりげなく助ける必要
→★弱さに留まり息つくのではなく持ちこたえるための力を
分かち合う必要
→★支えられた者がやがて支える者になっていく時を超えた光景を見る
→★教えるのではなく何かを熟考するための素材を与えていく
→★ある一定の期間をサバイバルするために必要となる準備
→★真の思いやりの手と下心を持って導こうとする手の違いを見抜く
→★「物」をタダで分け与えるのとは異なるハートの寛大さを知る
→★独善的な知性偏重がもたらす本物の知の衰えを見る
→★ぬくもりを切望する気持ちや悲しみにつけいる「魔」への警戒
→★よってたかって標的をバッシングする、またはその標的になる
→★「個」である自分と社会組織の一員である自分のせめぎ合い
→★自分のスペースと他者との境界線を明確に意識する経験
→★プレッシャーを受けて混乱するか、自分の居場所を
確保するために闘うかの選択
→★広場恐怖症や公共の場を怖いと感じる気持ち または
防衛のための攻撃的な自己主張へと駆り立てる気分
→★刺激によって操られる群集心理の愚かさと破壊されていく真実
→★関心が他に集中するとき、陰に隠れて獲物を狙う動きに注意
→★遠い願望よりもすでに手の内にある大切なものに気付く必要・・・→
★エネルギーのポイント:新月
『進む、退く、かわすという所作の内に静けさを見る』
↓
満月
『何があろうとその静けさを保つ』
満月のベースとなるシンボル:牡羊座20°
『冬、鳥に餌をやる少女』
ここには、何気ない日常の中で、あるは大きな哀しみが世の中を覆う中で、損得抜きで自然にわき起こる「何かしたい...」「分かち合いたい」という思いの自然な発露がみられます。冬の鳥。彼らの生の厳しさ。そして それを感知して手を差し伸べる少女。もしかしたらこの少女もまた、短い人生体験を通して、こころのどこかにその厳しさや痛みの記憶を保持しているのかもしれません。
社会の喧噪にまぎれながら、ふとしたふれ合いの中に生まれる純粋な気持ち。その思いが原動力となって、人は人にそっと手を差し伸べます。それは本来、とても密やかで当たり前で、別に『わたしはこんな善いことをしているんだ!』なんてわざわざ大声で宣言する必要も感じないような行為です。 何故なら、少女が鳥に餌を与え、鳥がそれをついばむとき、その一瞬のささやかなスパークこそが、全ての想いを完全に満たしてくれる “何か” なのだから。 それだけで、報われるのだから。
また、シンボリズムでは鳥の姿は「霊性」を表すことが多いです。なのでこのシンボルには密かにそういった意図も隠されているかもしれません。だとすれば、厳しい環境を生きる鳥の姿はそのまま、寒さに震え、外界の厳しさに疲れてしまったわたし達の魂そのものを暗示している可能性もあります。もしこの鳥がわたし達の奥底に存在する純粋なスピリット、そして少女が毎日を懸命に生き、伸びようともがくわたし達の小さなマインドを象徴しているのだとしたら…このシンボルは、ある危機的な状況への警鐘が含まれているかもしれません。
これを書いている今、関東に刻々と近付いてくる超大型台風のニュースが流れ続けています。このエネルギーが、不可避と思われる被害の爪痕を少しでも癒やしてくれることを願うばかりです。
満月に光を放射する太陽のベース・シンボル:天秤座20°
『ユダヤ教のラビ』
このシンボルはユダヤ教の主流である教えの中で、人間が生きる上での根本をなす「律法」を修め、説教したり解説する人を指しています。B.ボヴィによれば、ラビはユダヤ教コミュニティの中心で、古くからの智恵とその精神を、現代を生きるひと達に伝える役割を負っています。そして、ある意味では過去そのものを生きる存在でありながら、同時にそれがコミュニティ全体を生かし続けるこころの「栄養源」にもなっているのだそうです。ラビは霊的な事柄はもちろん、様々な人生相談から揉め事の仲裁まで、ユダヤ教の精神に沿ってアドバイスを与えることで、教えに帰依したひと達が神に背くことのないようにガイドします。つまり、彼らが「正しい時」に「正しい場所」に居ることが出来るように導き、そしてユダヤ人排斥など周囲の敵視の中でも自分達の伝統を守りながらコミュニティを護っていくリーダーであり、教師だとも言えそうです。
また、満月にスクエアを形成する冥王星の位置、山羊座20°台のベース・シンボルには「隠された場所から昂揚感を与える演出」というテーマもあります。これも元々けっして悪い意味を持つのではなく、良くも悪くも本当に使い方次第。「シンボル」って全てそういうものです。ただ、本当の助け合いや分かち合いって、互いに出来る範囲のことは自分で責任を持つ...という心を皆が持っていればこそ起き得るものかもしれません。おそらくユダヤ教のラビは、コミュニティの人びとが弱ったときにひどい目に遭わないよう、警告も発しているはず。『自分の本質に立ち帰れ、本道を行け。その上での助け合いなのだ』と...。
満月のメイン・シンボル:牡羊座21°
『リングに上がるボクサー』
さて、満月のエネルギーが向かうメインのシンボルは『リングに上がるボクサー』です。雰囲気はガラッと変わりますね。 リング上では今にも試合開始を告げるゴングが鳴ろうとしています。詰めかけた観客はエキサイティングな 「試合」=「ルールにのっとった殴り合い」 を期待して、興奮に胸を踊らせています。
それでも、彼は自分を鼓舞し、今までキツイ減量を耐え忍び、払ってきた犠牲と努力が報われることを信じて闘いに臨みます。もしかすると、彼のこれまでの人生は社会の中ではアウトサイダーだったのかも。けれどこの闘いに勝ちさえすれば、多くのひと達にその存在を認められるばかりか、尊敬や憧れさえ勝ち取れます。それに、お金で買えるものなら何だって手に入るかもしれません。ならばもう、闘わない選択なんてあり得ない!
一方でわたし達は、この試合会場に集まった観客の一員でもあります。わたし達は勝つか負けるかの真剣勝負、世紀の一戦を見るのが大好き。そこではしばし我を忘れ、まるで自分もリング上で闘っているかのような気分で前のめりになることが出来ます。良い試合を見れば戦った選手達からエネルギーを貰って自分も意気揚々とした気持ちになれるし、覇気の無い試合だったら「何やってるんだ!」とばかりにニワカ評論家になって、原因究明してみたり批判や罵詈雑言を浴びせたり…。そんな時のわたし達にとって、リング上のボクサーはもしかしたら人生の「代理試合」をやってくれているのかもしれません。
けれど、もしそんなエネルギーのうねりの中で衝動に突き動かされ、秘められた本物の怒りや憎しみに火が付いてしまったら.....? あるいは、とにかく目立つパフォーマンスや大きな声で喝采を浴び、喧伝されることを目的とした八百長試合がはびこったとしたら? 本物の試合は競う選手達が目に見えないところでどれだけ身を削ったか、努力したかが物を言います。けれどもそれを見抜くはずの観客の目が曇っていれば、試合ではなく、ただのショウに喜んで喝采を送るでしょう。そのショウの目的は、観客を興奮させ、誘導することかもしれません。本物のボクシング試合のほとんどは、そうじゃない。でも、世の中に見られる象徴としての「殴り合い」には、そんな意図されたショウが沢山存在するのではないでしょうか。誘導された「代理試合」はいつだって本物の闘争に変容していく可能性を秘めています。そして、物言わず黙々とやるべき仕事をこなし、真剣勝負をしている人達の存在は忘れられがちです。
満月に光を放射する太陽のメイン・シンボル:天秤座21°
『浜辺に押し寄せる人びと』
それとも、もしかして。いまどきのイメージだと命からがら祖国を抜け出して異国の海岸に辿り着いた難民船の人びと? みんな船を下りて我先にと岸辺に向かう…安堵と新たな不安を抱えながらそれぞれの新しい居場所、落ち着けるところを求めて。少しでも早く、自分達の場所を確保するために…そんな感じでしょうか?
それとも、これは戦時中の上陸作戦か何かで、専用の特殊船から兵士達の大軍が浜辺に押し寄せてくるのか?
居場所。安全で心地よい場所。あるいは本当に自分の力を心おきなく発揮出来るリング。自分の舞台。自分のスペース。わたし達は、いつだって自分に本当にフィットした居場所を探し求めています。けれど本当の居場所、自分に相応しい健全な闘いの場をみつけるには、まず最初に 「自分とは誰なのか?」「自分は人生で何を欲しているのか?」を知り、それを自分の「形」として自らの手で栄養を与え、こころと体いっぱいに満たしておく必要があるのかもしれません。たとえ弱くても。たとえ何かの能力が劣っていたとしても。たまに喧嘩したり、ボロボロに負けて傷付いたり、泣いたりしても。そして、誰ひとり助けてくれなかったとしても...。
見る者と見られる者。観客とボクサー。皆がこの社会の中で、同時にその二つの面を生きています。けれど、両者はわたし達のこころの中で、常にロープによって隔てられています。試合の喧噪と興奮、刻一刻の変化。そんな中で揺れながら、わたし達はいったいどこに軸足を置き、何者になっていくのでしょう?
今、冬を迎えようとしている一羽の鳥。自分の中に存在する純粋な生命の力。それを枯渇させないために必要なことって何なのか? 何が一番大切なのか? それを理解して、まずは他の誰でもない自分自身の手で、栄養を、ぬくもりを、ホッと出来るスペースを、自分自身の内側に与える必要があるのかもしれない…。 それが満たされて、初めてわたし達は純粋な気持ちで他のひと達に手を差し伸べることが出来るのかもしれません。
いずれにしてもこれから展開していくエネルギーは、ある「静かな強さ」「したたかな強さ」をわたし達に要求してくるでしょう。…内側にみなぎる強さ。それを持って今・ここに在るとき、わたし達は丸ごと鳥であり、少女であり、ボクサーであり、観客であり、そして何よりも...「誰でもない、自分自身」であり続けるのだと思います。
have a great trek!!!★
hiyoka(^_^
満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。
【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 10月14日06:26前後、北海道周辺で06:32前後、関西方面は06:07頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で05:37前後に 牡羊座20°13'で満月となります。
*今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
------------------------¨°☆¤☆„¸○¸„☆¤☆°¨--------------------------
サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。
【月 牡羊座20°→21°/ 太陽 天秤座20°→21°】
🌕 “A young girl feeding bird in winter”
『冬、鳥に餌をやる少女』
🌞 “A Jewish rabbi”
『ユダヤ教のラビ』
↓↓↓
🌕"A pugilist entering the ring”
『リングに上がるボクサー』
🌞“A crowd upon the beach”
『浜辺に押し寄せるひとびと』
→10月28日新月 蠍座4°台
『灯した蝋燭を抱える若者』→『巨大な岩礁海岸』
に繋がっていく
【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~10/27】
※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。
→★固く偏狭なルールや境界を超えて発揮される思いやりの感覚
→★その時その時の相手のニーズに応じて導いていく優しさ
→★はぐれてしまった心や勝手の違う状況に迷う相手を
出来る範囲でさりげなく助ける必要
→★弱さに留まり息つくのではなく持ちこたえるための力を
分かち合う必要
→★支えられた者がやがて支える者になっていく時を超えた光景を見る
→★教えるのではなく何かを熟考するための素材を与えていく
→★ある一定の期間をサバイバルするために必要となる準備
→★真の思いやりの手と下心を持って導こうとする手の違いを見抜く
→★「物」をタダで分け与えるのとは異なるハートの寛大さを知る
→★独善的な知性偏重がもたらす本物の知の衰えを見る
→★ぬくもりを切望する気持ちや悲しみにつけいる「魔」への警戒
→★よってたかって標的をバッシングする、またはその標的になる
→★「個」である自分と社会組織の一員である自分のせめぎ合い
→★自分のスペースと他者との境界線を明確に意識する経験
→★プレッシャーを受けて混乱するか、自分の居場所を
確保するために闘うかの選択
→★広場恐怖症や公共の場を怖いと感じる気持ち または
防衛のための攻撃的な自己主張へと駆り立てる気分
→★刺激によって操られる群集心理の愚かさと破壊されていく真実
→★関心が他に集中するとき、陰に隠れて獲物を狙う動きに注意
→★遠い願望よりもすでに手の内にある大切なものに気付く必要・・・→
★エネルギーのポイント:新月
『進む、退く、かわすという所作の内に静けさを見る』
↓
満月
『何があろうとその静けさを保つ』
前回の満月は台風15号の直後。そして今回は台風19号。これを書いている今はまだ被害の全貌はわからないけれど、台風は東北方面に進み、河川の氾濫などで犠牲になった方、行方不明の方が出ているとのニュースが聞こえ始めています。本当にこころが重くなる出来事が多いけれど、たぶんこれから少しの間はわたし達それぞれに、踏ん張りどき。特に月末の新月後まで、世界は災害や事故、事件、動乱に見舞われやすく、政治、経済、社会全体が落ち着かない感じになるかもしれません。流言飛語やデマ、フェイクニュースも増えそうだし、真偽・公私を問わず様々な物事が露呈し、わたし達の感情も刺激されやすいときです。けれどそれもまた様々な形でのセットアップであり、これからの大規模な変化のために経験しなければならないことなのかもしれません。だから慎重に、でも自分らしく、踊らず強くやわらかく、日々を過ごしていきたいと思います。今回もアスペクト編はお休み(当分・・かな)。なのでシンボル編にアスペクトを加味して書いていきますね。前回と同様にこの満月のシンボルも前に体験したことがあるけれど、本質は変わらなくても微妙にニュアンスが違っていると思います。
<とりあえず目に付いたアスペクトは以下のとおりです>
★満月と冥王星がTスクエア(小惑星ナウシカア、ペイン、トキオ、プタハが含まれる) ★金星・天王星がオポジション ★土星・冥王星がパラレル (土星と冥王星はオーブ6°強で接近中) ★太陽と木星がセクスタイル ★天王星とネッソスから火星とアグニにYOD ★海王星・グリーヴ・インシデンティアがラーニングトライアングル ★木星・天王星がセスキスクエア ★太陽と天王星がクインデチレ ★銀河中心とコンジャンクトのイクシオンとMCにコンジャンクトのキラルスがクインカンクス ★キラルスとMC・ヴェスタからイクシオンにYOD ★エリスがDC上に乗る
★10月12日から水星が逆行前のシャドウ入り。
逆行開始は11月1日 蠍座27°38〜
順行開始は11月21日 蠍座11°35〜
一昨日のツイートの繰り返しだけど、逆行前後のストーム・フェーズは新月や他の星回りの影響もあって紆余曲折しがち。なので今のうちに電子機器の不具合を見たり、大切なデータのバックアップを取ったり、スケジュールの見直しや調整、それと特に約束事の確認や記録などしておくといいかも。
★10月満月のサビアン・シンボル ★
満月のベースとなるシンボル:牡羊座20°
『冬、鳥に餌をやる少女』
ではサビアン・シンボルを見てみましょう。今回、ベースとなるエネルギーは『冬、鳥に餌をやる少女』です。この鳥は籠に飼われているペットじゃなさそう。 南を目指して渡っていった仲間から、何らかの理由で置いていかれたのでしょうか? それとも一年を通してその土地に棲み着いている鳥かな? いずれにしても、凍てつくような空気の中では虫や木の実も不足しがち。少女はそんな鳥を見て、おやつの残りを分けてあげようと思ったのかな? それとも、厳しい環境に生きる鳥を自分のことのように思いやって、ポケットにしのばせたおやつの残りを毎日あげに来るのでしょうか。
ここには、何気ない日常の中で、あるは大きな哀しみが世の中を覆う中で、損得抜きで自然にわき起こる「何かしたい...」「分かち合いたい」という思いの自然な発露がみられます。冬の鳥。彼らの生の厳しさ。そして それを感知して手を差し伸べる少女。もしかしたらこの少女もまた、短い人生体験を通して、こころのどこかにその厳しさや痛みの記憶を保持しているのかもしれません。
社会の喧噪にまぎれながら、ふとしたふれ合いの中に生まれる純粋な気持ち。その思いが原動力となって、人は人にそっと手を差し伸べます。それは本来、とても密やかで当たり前で、別に『わたしはこんな善いことをしているんだ!』なんてわざわざ大声で宣言する必要も感じないような行為です。 何故なら、少女が鳥に餌を与え、鳥がそれをついばむとき、その一瞬のささやかなスパークこそが、全ての想いを完全に満たしてくれる “何か” なのだから。 それだけで、報われるのだから。
誰もが何気なく経験するそんなささやかな思いやりの連鎖。それこそが、わたし達の社会を根底から支えている力なのかもしれません。
また、シンボリズムでは鳥の姿は「霊性」を表すことが多いです。なのでこのシンボルには密かにそういった意図も隠されているかもしれません。だとすれば、厳しい環境を生きる鳥の姿はそのまま、寒さに震え、外界の厳しさに疲れてしまったわたし達の魂そのものを暗示している可能性もあります。もしこの鳥がわたし達の奥底に存在する純粋なスピリット、そして少女が毎日を懸命に生き、伸びようともがくわたし達の小さなマインドを象徴しているのだとしたら…このシンボルは、ある危機的な状況への警鐘が含まれているかもしれません。
これを書いている今、関東に刻々と近付いてくる超大型台風のニュースが流れ続けています。このエネルギーが、不可避と思われる被害の爪痕を少しでも癒やしてくれることを願うばかりです。
ただ、このシンボルには別種の警告も隠されているようです。それは対向度数天秤座20°との対比の中でも浮き彫りにされる一面です。
満月に光を放射する太陽のベース・シンボル:天秤座20°
『ユダヤ教のラビ』
このシンボルはユダヤ教の主流である教えの中で、人間が生きる上での根本をなす「律法」を修め、説教したり解説する人を指しています。B.ボヴィによれば、ラビはユダヤ教コミュニティの中心で、古くからの智恵とその精神を、現代を生きるひと達に伝える役割を負っています。そして、ある意味では過去そのものを生きる存在でありながら、同時にそれがコミュニティ全体を生かし続けるこころの「栄養源」にもなっているのだそうです。ラビは霊的な事柄はもちろん、様々な人生相談から揉め事の仲裁まで、ユダヤ教の精神に沿ってアドバイスを与えることで、教えに帰依したひと達が神に背くことのないようにガイドします。つまり、彼らが「正しい時」に「正しい場所」に居ることが出来るように導き、そしてユダヤ人排斥など周囲の敵視の中でも自分達の伝統を守りながらコミュニティを護っていくリーダーであり、教師だとも言えそうです。
コミュニティにとって、ラビはどんな時にも頼りになる存在です。アウトサイダーを創り出してはならない、それをすれば全体が弱ってしまう。昔、国を失って海外に散っていったユダヤの人びとは、今回のベース・シンボルである「真冬の鳥」に似た立場を経験していたのかもしれません。慣れない土地で不安を抱え、長い冬を迎えようとするとき。そんなときこそ、はぐれ鳥、はぐれびとが出ないように過去の経験や昔からの知恵を伝えるひとの存在が大切なのだろうと思います。
じゃ、別種の警告って? これは両シンボルが含む主要なテーマとは別に、ハードなアスペクトなどでネガティブな側面が強調されるときのサブ・テーマ、念のための警告と考えてください(今回は太陽・月が山羊座20°台の冥王星とTスクエアを形成しているので、一応書いておきます)。このエネルギーがネガティブに使われる時のキーワードは「甘い誘惑の獲物になる危険」または「狡猾な誘惑者になる危険」です。ここでの「甘い誘惑」というのは、辛いとき、困ったとき、不安なときや、こころが弱ったり孤独に苛まれているとき、またはやり場のない怒りに燃えているようなとき…そんなときに何気なくやって来ます。
たとえばいかにも優しげに手を差し伸べたり、反対に感謝という形で承認願望を満たしてくれたり、あるいは「そうそう、あなたは正しい」と、ことば巧みに肯定してくれたり。または、寒さに震える小鳥を装って餌をもらおうとしたり。そんな言動で近付いてくる人物にはちょっと注意が必要ということ。何か隠された意図があるかもしれません。普通ならきっと「ん?アヤシイな...」と感じるようなことも、欠乏感や不安で感情が高ぶっているときはつい乗ってしまいがち。このシンボルはひとを疑うようなイメージではないので、間違った相手を選んでしまうと何らかの被害を被るかもしれません。それとひとつ厄介な点は、このシンボルがネガティブに出る場合、おそらく仕掛ける側に罪悪感はあまりないのでは?と思える点です。何故ならいつだって自分はいたいけな小鳥であり、優しく相手の望むもの(痛みさえも)を与える少女なのだから...。やがてはすべてが自分自身に返ってくるのだとしても。
また、満月にスクエアを形成する冥王星の位置、山羊座20°台のベース・シンボルには「隠された場所から昂揚感を与える演出」というテーマもあります。これも元々けっして悪い意味を持つのではなく、良くも悪くも本当に使い方次第。「シンボル」って全てそういうものです。ただ、本当の助け合いや分かち合いって、互いに出来る範囲のことは自分で責任を持つ...という心を皆が持っていればこそ起き得るものかもしれません。おそらくユダヤ教のラビは、コミュニティの人びとが弱ったときにひどい目に遭わないよう、警告も発しているはず。『自分の本質に立ち帰れ、本道を行け。その上での助け合いなのだ』と...。
満月のメイン・シンボル:牡羊座21°
『リングに上がるボクサー』
さて、満月のエネルギーが向かうメインのシンボルは『リングに上がるボクサー』です。雰囲気はガラッと変わりますね。 リング上では今にも試合開始を告げるゴングが鳴ろうとしています。詰めかけた観客はエキサイティングな 「試合」=「ルールにのっとった殴り合い」 を期待して、興奮に胸を踊らせています。
リングに上がるボクサーはチャンピオンでしょうか? 挑戦者でしょうか? 彼の行く手、四角いリングの上には、喉から手が出るほど求めてきた栄誉と賞金と大衆からの賞賛が待っています。もしかしたら、命がけの試合になるかもしれません。
それでも、彼は自分を鼓舞し、今までキツイ減量を耐え忍び、払ってきた犠牲と努力が報われることを信じて闘いに臨みます。もしかすると、彼のこれまでの人生は社会の中ではアウトサイダーだったのかも。けれどこの闘いに勝ちさえすれば、多くのひと達にその存在を認められるばかりか、尊敬や憧れさえ勝ち取れます。それに、お金で買えるものなら何だって手に入るかもしれません。ならばもう、闘わない選択なんてあり得ない!
ここでは、既存の社会システムに存在するルールの中で、何としても自分にフィットした「居場所」を勝ち取ろうとするわたし達のアグレッシブな衝動が表現されています。「居場所」を持つことは、最低限の生命の安全を保証します。たとえば国籍を持ち、パスポートを持つことだってその一つですよね。そして、自分の「居場所」が拡がれば拡がるほど、高度が上がれば上がるほど、自分自身もまた大きく感じられるし、そこから得られる物も増えていきます。そのためにわたし達は自分の得意な能力を磨き、人びとにそれを見てもらい、「いいね!」なんて 認めてもらうことを必要とします。「社会における自分の価値」=「自分が占める位置」。 それは常に他者の視線によって支えられている。… わたし達の世界には、厳然とそんな掟が存在するように思います。
一方でわたし達は、この試合会場に集まった観客の一員でもあります。わたし達は勝つか負けるかの真剣勝負、世紀の一戦を見るのが大好き。そこではしばし我を忘れ、まるで自分もリング上で闘っているかのような気分で前のめりになることが出来ます。良い試合を見れば戦った選手達からエネルギーを貰って自分も意気揚々とした気持ちになれるし、覇気の無い試合だったら「何やってるんだ!」とばかりにニワカ評論家になって、原因究明してみたり批判や罵詈雑言を浴びせたり…。そんな時のわたし達にとって、リング上のボクサーはもしかしたら人生の「代理試合」をやってくれているのかもしれません。
けれどこういう構図って、わたし達の日常のあらゆる場面で、政治・経済・社会やエンタメの世界で、あるいはネット上で、途切れることなく繰り広げられています。また観客達の間でも、実はリングにどれだけ近い席を占めているか、立ち見なのかVIP席かによって暗黙のうちにステイタスが異なったりします。今、わたし達の社会構造を支える動力源は、競争原理。 観客もボクサーも、フェアな競争原理の中で、暗黙の社会規範の中で、綺麗に競争し続けることが出来るのなら、それがこの社会の理想です。秩序は保たれるし、勝ったり負けたりの様々な試合結果も、参加者達の人生に貴重な体験として残っていくかもしれません。
けれど、もしそんなエネルギーのうねりの中で衝動に突き動かされ、秘められた本物の怒りや憎しみに火が付いてしまったら.....? あるいは、とにかく目立つパフォーマンスや大きな声で喝采を浴び、喧伝されることを目的とした八百長試合がはびこったとしたら? 本物の試合は競う選手達が目に見えないところでどれだけ身を削ったか、努力したかが物を言います。けれどもそれを見抜くはずの観客の目が曇っていれば、試合ではなく、ただのショウに喜んで喝采を送るでしょう。そのショウの目的は、観客を興奮させ、誘導することかもしれません。本物のボクシング試合のほとんどは、そうじゃない。でも、世の中に見られる象徴としての「殴り合い」には、そんな意図されたショウが沢山存在するのではないでしょうか。誘導された「代理試合」はいつだって本物の闘争に変容していく可能性を秘めています。そして、物言わず黙々とやるべき仕事をこなし、真剣勝負をしている人達の存在は忘れられがちです。
ではここで、満月に光を与える太陽のメイン・シンボルを見てみましょう。
満月に光を放射する太陽のメイン・シンボル:天秤座21°
『浜辺に押し寄せる人びと』
天秤座21°『浜辺に押し寄せる人びと』。これは夏休み中のビーチリゾートかな? 人びとが押し寄せるということは、きっと有名な「海水浴場」なのかもしれません。親子連れ、カップル、友人同士や団体など、ひと・ひと・ひと。ビーチハウスやカフェも満員だし、せっかくの美しい白砂も色とりどりのシートやマット、その上に寝そべるひと達で埋め尽くされ、波打ち際まで出るにもひと苦労です。でも今日はせっかく待ちに待った休日。楽しみにしていた子供達、初めての誘いをOKしてくれた彼女のためにも頑張って良い場所を確保しなくては!
それとも、もしかして。いまどきのイメージだと命からがら祖国を抜け出して異国の海岸に辿り着いた難民船の人びと? みんな船を下りて我先にと岸辺に向かう…安堵と新たな不安を抱えながらそれぞれの新しい居場所、落ち着けるところを求めて。少しでも早く、自分達の場所を確保するために…そんな感じでしょうか?
それとも、これは戦時中の上陸作戦か何かで、専用の特殊船から兵士達の大軍が浜辺に押し寄せてくるのか?
このシンボルが描く光景がどんなものであれ、共通するイメージは押し合いへし合いの混雑の中で「少しでも有利な場所を確保するために我先にと競い合う」状況です。強いひと、要領の良いひと、目端が利いて機敏に動けるひと、作戦を練って他者を出し抜けるひと、集団の力を使えるひと、様々な能力のあるひとが良い場所を確保出来る世界。これはそのまま、わたし達が創り上げてきた社会の傾向、現実の状況そのものかもしれません。また縄張りを持つ野生動物にもこの傾向は見られます。
居場所。安全で心地よい場所。あるいは本当に自分の力を心おきなく発揮出来るリング。自分の舞台。自分のスペース。わたし達は、いつだって自分に本当にフィットした居場所を探し求めています。けれど本当の居場所、自分に相応しい健全な闘いの場をみつけるには、まず最初に 「自分とは誰なのか?」「自分は人生で何を欲しているのか?」を知り、それを自分の「形」として自らの手で栄養を与え、こころと体いっぱいに満たしておく必要があるのかもしれません。たとえ弱くても。たとえ何かの能力が劣っていたとしても。たまに喧嘩したり、ボロボロに負けて傷付いたり、泣いたりしても。そして、誰ひとり助けてくれなかったとしても...。
厳寒のとき、人生を相手に闘うひとりのボクサーとして、立つ。どんなボクサーだってかまわない。それを自分の「形」として、行く。そうでなければ、わたし達は他のみんなが欲しがる空きスペースをめぐって競い、争い続けることになるでしょう。それは自分の「形」と「欲望」を、いかにそのスペースに合わせて変えていくかの闘いです。そして、そのスペースの形は、わたし達を見ている他者=観客の視線によって創り上げられたリングです。わたし達はそこで自分自身を探しながら、永遠のシャドウボクシングを続けているのかもしれません...。
そんなとき、ふと出逢う一羽のはぐれ鳥。さぁ、わたし達のポケットに、その鳥と分かち合えるピュアな食べ物は入っているでしょうか?
見る者と見られる者。観客とボクサー。皆がこの社会の中で、同時にその二つの面を生きています。けれど、両者はわたし達のこころの中で、常にロープによって隔てられています。試合の喧噪と興奮、刻一刻の変化。そんな中で揺れながら、わたし達はいったいどこに軸足を置き、何者になっていくのでしょう?
この満月は、とにもかくにも自分という存在を、自分の創造性を、声高く表明したい、そんな衝動にも火を付けてくるかもしれません。なのでこの時期は日常生活や仕事の環境、またはSNSなどのネット環境でも、沢山のひと達が「意見」「信条」「心情」「批評」「批判」または「願い」など、いつもより強めの調子で発言する様子が見られるかもしれません。何か言いたい..表現したい...というような。それで会話が弾むことも考えられるし、全方向的にアグレッシブなエネルギーに支配されるなら、見解の違いで喧嘩が起きることもあるでしょう。いずれにしても、知らず知らずのうちにそのひと自身の本質がことばの端から滲み出てくるような感じだと思います(もちろん、観察するひと自身を含めて)。
これは語っていることばの内容もあるけれど、それよりむしろ行間から放射されるある種のバイブレーションによって露わになるそのひとの特質(またはこころの歌)と言っていいのかもしれません。ならば真っ向から試合をするもヨシ、それを観に行くのもヨシ。そして、そんな高揚感からはそっと離れてひとり傍観するもヨシ。 そのどれもが皆、今・ここの、わたしたちの存在証明です。けれど、いったい誰に何を証明するというのだろう?
今、冬を迎えようとしている一羽の鳥。自分の中に存在する純粋な生命の力。それを枯渇させないために必要なことって何なのか? 何が一番大切なのか? それを理解して、まずは他の誰でもない自分自身の手で、栄養を、ぬくもりを、ホッと出来るスペースを、自分自身の内側に与える必要があるのかもしれない…。 それが満たされて、初めてわたし達は純粋な気持ちで他のひと達に手を差し伸べることが出来るのかもしれません。
いずれにしてもこれから展開していくエネルギーは、ある「静かな強さ」「したたかな強さ」をわたし達に要求してくるでしょう。…内側にみなぎる強さ。それを持って今・ここに在るとき、わたし達は丸ごと鳥であり、少女であり、ボクサーであり、観客であり、そして何よりも...「誰でもない、自分自身」であり続けるのだと思います。
また、サビアン・シンボルはテーマの奥深い内容とは別に、シンボルに描かれた光景そのものを彷彿とさせる出来事が起きるケースも多いです。その意味では、本当にこころ温まる助け合いの輪が拡がったり、素晴らしくフェアなスポーツ試合が見られたりするのかもしれません。またネガティブに顕れるなら、公の場での文字どおりの凄まじい殴り合い(ことばでも肉体でも)や、沢山のひと達が集まる場でのトラブルや事故なども可能性としては考えられます。そして、意図された方向に誘導するようなことばやニュース、情報なども。
本当にいろいろなことが遠い世界でも、目の前でも沢山起きる今日このごろ。でも無事で、明日を迎えられるなら。苦しくても、嬉しくても、生きてる。息をしてる。自分の中の、何かがもっと生きたがってる。自分との試合を続けたがってる。居場所のないひとなんて、いない。体の中で何かが「自分の居場所はここだ!」って、言ってる。だから、今いる。ならばそこからリングに上がろう。
have a great trek!!!★
hiyoka(^_^