レイモンド・メリマン 週間コメント2/8【金融アストロロジー】 レイモンド・メリマン 週間コメント2/22【金融アストロロジー】 

February 11, 2021

🌑2/12日の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで 2月12日04:23前後、北海道周辺で 04:30前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は04:04頃、沖縄周辺では03:35前後に水瓶座 23°16’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
シンボル解説の「ベース」と「メイン」の区別についてはこちらをご参照ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月水瓶座23°~24°― 発効期:2/12~3/12 】

🌞🌑 “A big bear sitting and waving all its paws”
   『腰を下ろして両手足を盛んに振る大きな熊』
     ↓ ↓ ↓
🌞🌑 “A man turning his back on his passions and teaching from experience”
   『自身の情熱に背を向け経験を通じて指導する男』 

 
【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※新月から満月を経てピークとなり次の新月まで共振しつづけるキーワードを抽出しています。
※シンボルはおおくのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

→★現在進行形の“常識”や“慣習”に囚われず自分自身に忠実であることへの試練
→★時流に乗り大衆を味方に付けているという驕りの浅薄さを見る
→★「流されること」と「波に乗り続けること」の違いをわきまえる必要
→★「場違いな存在」であり続けながら自信を失わないことへの訓練
→★「自分(達)だけが気付いている」という観念を払拭する必要
→★自分、または他者にとっての「癒やしに至るための危機」と
   「死に至らしめる毒」の違いに気付いている必要
→★未成熟で甘えた幻想と成熟した冷静な視点の違いに注意
→★あまりに過大な期待を抱く傾向、または前進するために必要な
   希望や期待を抱くことさえ怖れる傾向に注意
→★意図的・意識的で規律正しい追求によって得られる内的宇宙の覚醒と陶酔
→★思い込みによる万能感に煽られて一時的なスリルを追う危険に注意
→★ナマの欲望のほとばしりを盲目的に満たすのか、その欲望の力を
   特定の目的のために方向付けして使うかというテスト
→★「生きようとする力」の手綱を常にその手に握り滋養を与える必要
→★砕け散る波頭の頂点に在り続けることの困難さと挑戦
→★一方向に向かって過剰になりがちなエネルギーに正しい道をつける…→         


★エネルギーのポイント:

前回の新月『勇みつつも潜み、護り、熟考する』
          ↓ ↓ ↓
今回の新月『動きながらも全てにフラットであることの奥義』
                               
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  絶賛水星逆行中の今、世界では事故や地震、革命や洪水のニュースが流れ、またあちらこちらでコミュニケーションが齟齬 をきたし、見解の食い違いや文脈の取り違え(あるいは意図的な誤解)― が増幅して怒りや不安が高まっているように見えます。おそらくメディアやネットが大いなる増幅装置として働いていると思うけれど、それらも皆、わたし達人間が求めて創造したものです。

長く続くコロナ禍の下で、この1年わたし達の生活も大きく変わってきました。政治、社会、経済を見ても、ひとはそれぞれに独自の観点から今 何かがおかしい、何かがヘンだと感じているかもしれません。でも、これまでのようにシンプルな正義や悪という概念はすでに崩壊しつつあるし、「幸せ」という概念も多様化し、あるいは断片化しているように見えます。そして「世界はひとつ」という概念も。


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  そういえば「断片化」それも「自己のアイデンティティの断片化と再構築の苦悶」といえば、準惑星エリスの領分でしたね。エリスがもたらす「不和」は、「すでにそこに存在していた不和を炙り出す」というもの。そんな形を通して新しい自己を確認しようとするエネルギーとも言えます。確かにエリスは去年までずっと、冥王星をはじめとするカプリコーン・ステリウムとスクエアを形成してきました。

前回このアスペクトが起きたのは、ニアミス期を入れると日本では明治〜大正への変わり目となる1906年〜1912年のこと。その間に起きたのは日露講和条約、大逆事件、韓国併合。そしてニアミスを終えてまもなく日本はドイツに宣戦布告、第一次世界大戦勃発。国の内外ともに、大きな変わり目の時期でした。もし人類がこれから歴史的に未知の領域へと踏み込んでいくのなら、目に映り耳に聞こえる日常の世界と「進行していく現実」はある一定期間、乖離していくでしょう。それは、後になってふり返れば「小さな狂気」の蔓延だったとも感じられるかもしれません。


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  そんな大きな流れの一コマにあって。それでも、頑張ってる。踏ん張ってる。とはいうものの、やっぱり疲れたなぁ...なんてふと感じるひと、多いんじゃないかな..。去年の暮れに水瓶座の入り口で木星・土星コンジャンクションが起きて以来、わたし達を乗せた大地のギアはもう一段加速モードに入りました。このトンネルを抜けるのはいつだろう? 本格的な春が来たら、もう少し先がよく見えるようになるだろうか? だとしても、おそらく元に戻ることはないでしょう。気付く、気付かないは別として、もうわたし達の感覚は変化しつつあります。いつものようでいて、そうじゃない。繰り返しているようでいて、新しい。少し前と違っている自分に気付いているひと、いるかな?

  立ち尽くしている状態から進もうとするとき。足を一歩前へ踏み出すとき。わたし達は瞬間的にバランスを崩します。それが「動く」ということ。「飛ぶ」ということ。平衡が崩れるから悪いんじゃない。不安定が怖いのでもない。ただ問題は、自分がどこへ向かうのか。それを知っておくこと。知ろうとし続けること。


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  前回の新月でわたし達は、闘争に明け暮れる世界から一歩身を引いて静けさの中に在ることの意味を問われました。(そういえば、前回のベース・シンボル解説の中で、闘争の「苦痛」「苦悩」「苦悶」を表す単語「agony」が古代ギリシャの「Agon」から来ていて、公共の祭りで行われる競技やゲームを指していること。そこには戦車競争や競馬、その他の多様な陸上競技ばかりでなく、詩や音楽、文芸作品(ことば)の優劣を争う “競技” も含まれており、現代オリンピック大会の由来にもなっている...という一節があったの、覚えてるひといるかな? 今の森元首相に関わる “舌禍” とされる事件とその波紋や世界中の過剰反応を見ていると、水星逆行とあいまって本当に誰もが「agony」の中に在るような気がします。おそらく巷ではあらゆるところでミニ舌禍炎上事件が起きているのではないでしょうか。)


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  さてと。今回の新月はどうかな? なんとなく宇宙的には引き締めにかかっている気もするけれど..。

では早速サビアン・シンボルを見てみましょう。


★2月新月のサビアン・シンボル★


🌞🌑 新月のベース・シンボル:
   水瓶座23°『腰を下ろして両手足を盛んに振る大きな熊』



 これは、大きくてとても強い力を持つ動物の象徴でもある熊が地面に腰をおろし、そのパワフルな四肢を振っている光景です。一方「bear」ということばには、重い荷物を運んだり、重大な責任を負う...という意味もあります。


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  このシンボル、見方によっては滑稽にも思えるけれど、それはわたし達が抱く印象のどこかに「ぬいぐるみのクマさん」やアニメのキャラクター的なイメージがあるからかもしれません。さて、この大熊はいったい何をしてるんだろう? もしかしたらサーカスの演し物か何かかな? いきなり出くわしたら恐ろしい熊も、今は観客に向かって懸命に...でもちょっぴり不器用に手足を振り、しきりに愛嬌を振りまいています。いえ、彼自身は別に愛嬌を振りまいているつもりなんかないかもしれません。ただ厳しい訓練に耐え、連れてこられた世界で生きるために、自分に課された役割と責任を果たしているだけなのかもしれません。

遠目から見れば愛嬌ある姿に見えても、彼の力は強大です。気軽に撫でたり握手するなんてことは出来ません。たとえ大熊が穏和な性質で、悪気もなければ傷つけようとする気など一切なかったとしても、わたし達のほうが彼を人間と同じように考えて扱えばどうなるでしょう? 彼は怖れ、警戒し、怒るかもしれません。その結果として放たれた防御の一打を受ければ大怪我では済まないでしょう。そして結局は熊の生命を奪うことにも繫がりかねません。


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  このシンボルは、訓練によって自分自身を制御する力、「湧き起こる衝動的な反応に負けない精神の力」を身に付けることを示唆しています。けれどそれと同時に、自分と相手の違いをよく見極め、「安全」と「危険」、「好意」と「押し付け」、「誤った期待」と「現実の理」の間に立ちはだかる垣根にデリケートな注意を払いながら共存を図ることをも示唆しています。

大きな熊。その野性の手脚は太く力に満ちあふれ、美しくもあります。けれど彼はテディベアじゃない。自分を護ってくれる屈強なナイトでもない。別世界に生きるべく生まれた命です。本来、彼には彼の生きる世界があり、わたし達にもまたそれぞれの世界 — ホームがあります。ひとであれ獣であれ、たとえどんなに厳しくても自分の世界に生きているときが実は一番安全であり、美しいのかもしれません。

座り込んで手足を振る熊さん。彼に「ことば」はありません。わたし達が彼の棲む宇宙を理解し、本当に共存出来る領域はあるでしょうか? もしかして、自分自身の内なるいのちの原点の中に...わたし達自身の「獣性」を見出し、そのまま受け入れ包含し得たなら? 大きな熊はわたし達の内側にも居る。そして時折手足をバタつかせ、何かを訴えたりする。その危うさと、滑稽さ。内なる眼でそれを感じ取ったとき、わたし達はその熊さんを、そっと抱き留めることが出来るでしょうか?


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  内なる大熊も、外界のいかつい熊も、誤った期待感や勝手な思い込みで扱おうとすれば、致命傷になりかねないポテンシャルを持っています。 そういえば、金融市場でも「ベア・マーケット」といえば「弱気相場」を意味しますね。これは『熊を捕らえる前に熊の皮を売るな』という、甘い見通しや安易な相場観を戒める格言から来ていると聞きました。相場が下がると見込んで高くなったところを空売りする...まだ熊は山から下りてこないけど、そろそろ頃合いだろうと思い、とりあえず架空の皮を売ってしまう。ピタリと当たれば大儲け。でもうかつな空売りは大怪我のもとです。それでも、相場を張るひとにとってそれは、一種の醍醐味かもしれません。そしてこれもまた、危険と安全の境界線をよく見極めたうえで慎重にプランを練る必要があります。集合心理がうごめき、価値と価値とが闘争する市場は世の中の縮図みたいなもの。そこで必要とされるのは、自分自身と現実をありのままに視る力、そして自己制御。制御しがたい世界を渡っていくための、それは唯一の力なのかもしれません。

「To bear」とは重い荷物を運ぶこと、重大な責任を負うこと。何に対して? 何よりも、自分自身と、その決断と行為に対して...。

  では対向の補完度数も見てみましょう。


裏側のシンボル:獅子座23°
  
  獅子座23°のシンボルは『裸馬に乗る人』です。裸馬は野性の荒々しいエネルギーの象徴です。馬がまだ馴れないうちは、乗り手と馬の間でクッション役を果たす鞍を装着することなど出来ません。この馬はまだ野性の一群から捕獲されたばかりなのでしょうか? でも、乗り手は本能のままに荒ぶる馬を巧みに抑え、思い通りに走らせることが出来るようです。 「馬を乗りこなす」ことは「自分自身に備わった荒々しいパワーを統制する」こと。きっと裸馬の乗り手は、荒ぶる馬と自分とを隔てる鞍 — あるいは “隠蔽の障壁” を置かず、野性の荒々しさを受け入れて一体化することによって、それを自分のコントロール下に置くことが出来るのかもしれません。それは人間の「精神」と「本能」の闘いでもあります。


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  またこのシンボルのイメージは、半人半馬のケンタウルス族を想起させるものがあります。で、ケンタウルス族の惑星といえば、まずはカイロンでしょうか。そしてフォルス、アスボルス、ネッソス、キラルス、エケクルス...などなど。天上には現在までに発見され名付けられている半人半馬達が数多く存在します。けれどその中で、崇高な精神と荒々しい武闘派的な衝動とを完全に統合することが出来た存在は、ヘラクレスやアスクレピオスなどギリシャ神話に出て来る英雄達の師でもあったカイロンのみとされています(元々彼は他のケンタウルス族とは異なる出自を持つ、半神半馬と言える存在ではあるのですが..)。

その他のケンタウルス達は、温厚だったとされるフォルスでさえ、ふとした好奇心に負けてうかつな行動をとった挙げ句にあっけない死を迎えるし、他のほとんどが激昂した末に激しい戦いや復讐の刃に倒れ、凄惨な死を遂げています(例外は一番の美しさを誇ったキラルスでしょうか。彼は戦いに加わるために恋人とともに森へ入ったところ、突然どこからともなく飛んできた毒矢に貫かれ、理由もわからないまま命を落とします)。


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  ケンタウルス族の惑星達は皆「<象徴的な死>を経た末の癒しと解放」というテーマを持っています。死を迎えるまでのいきさつも死に方もそれぞれだけれど、彼らのほとんどは死を通して解放されるまで、怒り、恨み、裏切り、復讐、性的欲望や欲しいものを取らずにいられない欲動など、どちらかというと下半身的な生命力のほとばしりに殉じて生きた存在でした。その豪快な躍動感は裸馬の持つ荒々しいエネルギーそのものです。けれど同時に半分は人間でもあった彼らの生は、たとえ一時的な勝利の高揚感に胸躍ることがあったとしても、実は恒常的に抱える大きな痛みと哀しみを伴うものだったかもしれません。

  ちょっと横道に逸れてしまいますが...折角なので、ケンタウルス族について以前書いたことをもう一度、ここに提示しおきますね。

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  ネイタルチャートでケンタウルス族が位置する領域は、そのひとが抱える「暴れ馬」、奥深い「傷」を意味します。何かのきっかけでその傷が疼くとき、わたし達の中の裸馬もまた蘇ります。何か強い感情的な刺激を受けたとき。湧き起こる衝動に抗えず、傍目からは自暴自棄としか思えない行動を取るとき。あるいは、思わずひどいことを口走ってしまうようなとき。ただ暴れたくなるとき。その傷口は開き、深い開口部からは鮮血とともに自分でも驚くほど生々しい粗野な力が湧き起こります。

わたし達は文明社会に生き、日頃はいちおう良識的とされる生活を送っているけれど、実は一皮剥けば、みんな半人半馬のケンタウルスかもしれません。たとえ表面的には優雅にふるまえたとしても、その裏では縄張り争いが続いているし、支配と被支配をかけた闘争も後を絶ちません。それは広く世間一般に見られるだけでなく、身近な家族間や愛する者同士にも見られるナマの姿です。そこに愛が絡み、情がからみ、やがては憎しみが生じ、自縄自縛となったわたし達は、身動きが取れなくなります。そして、喪って初めて..その手に在ったもののかけがえのなさを知るのかもしれません。 

結局のところ、他の存在 — 動物や植物の命によって贖われ、支えられているわたし達の生命。それもまたこの世界が辿ってきたひとつの営み。わたし達の中には、理性や善に向かおうとするこころだけでなく、必ず動物としての苛酷な本能が潜んでいます。それを、善・悪という二元性で割り切れるものでしょうか? 肯定と否定、生に向かうこころと死に向かうこころの全てがわたし達であり、人間として今、ここを生きるということではないでしょうか?

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  「鞍=Saddle」。これは鶏やアヒルなど家禽類の腰背部の形を示すことばでもあります。普段は馬の背にやわらかな羽毛のクッションを取り付けて、しずしずと馬を進めるわたし達。中には白馬の騎士然としたひともいます。わたし達の本能なんて、すでに理性によって飼い慣らされたアヒルのようなもの。けれどふと気が付けば、世界の至るところに攻撃的なエネルギーが溢れています。

ゲームやスポーツで「健全」に昇華することの出来ない、何か永遠に蠢くものの存在。それはわたし達人間の中に、確かに存在します。たとえそれがあからさまな肉体的暴力の形を取っていないとしても...。ネットが当たり前の時代となり、上下左右もなく均一に繋がることが可能となった今は、自覚のない心理的な暴力が増幅していく光景を至るところで観察することが出来ます。それらをありのままに見るとき、そこにはシンプルな野性動物の世界よりずっと厄介で、一度たりとも癒やされることのなかった一種の “ねじれ” が生じ、はびこりつつあるのではないか?とも思えます。


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  でも... もしもわたし達が裸馬の乗り手なら? それが出来るとすれば、それは「鞍」というクッションを通さずに、自分の中に潜む矯められることのない荒々しさと向き合うことから始まるのかもしれません。上半身と下半身の中間 ― 裸馬との接点 ― に持てる力を込め、意識を持って一体化し、自我を超える力で全てを呑み干す。自分が負った傷のすべてをみとめ、それでもなお生きて前に進む。 語られる術を持たなかった、それぞれの「何か」を透明な暗闇に解き放つ。ただ、無を怖れずに漆黒の記憶へと旅してみる。それには孤独な作業を必要とします。何故なら、その旅には先達や導き手など何処にも居ないのだから。

一人の人間の中には、おそらく何層にも分かれた無数の多様性が存在するのかもしれません。その全てを見切るなんてことは、今のわたし達には不可能に思えます。それでも。自我の奥に潜む広大な存在の闇に意識を向けることも無いまま、真の多様性を理解することは可能でしょうか? それをこの世界に実現することは出来るでしょうか? わたし達はこの人生で「美女」と「野獣」を統合し、いつの日か新しい人間の “カタチ” を創り上げることが出来るのでしょうか? 今、科学の世界ではその可能性を前提としているようだけれど? 

…でも獣性と人間性を統合することの出来る裸馬の乗り手って、いったいどんな存在だろう? その可能性はわたし達の中に在るだろうか。もしかして...それが霊性と言われるもの? でもその主体って、誰? それは、本当に「わたし」だろうか? いえ、それとも... ? 


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  おっと! ベース・シンボルの記述が長くなりすぎちゃいました。ではメインのシンボルに行きましょう。


🌞🌑 新月のメイン・シンボル:
   水瓶座24°『情熱に背を向け経験から教える男』


  『情熱に背を向け経験から教える男』。彼はその内部に圧倒的で激しく躍動する感情の嵐を抱えています。けれど彼は、それに対し自分の立ち位置をしっかり定め、傲然と内なる嵐に抗って立っています。「教える」ということは、誰かを指導する役割を担っているのでしょうか? 


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  「経験から教える」ということ。それは単に自分の思い込みから、ある事実を「こうに違いない」と考え、それを伝えるような行為ではないはずです。何故なら彼は、教えようとする事柄については過去すでに原因を作り、その結果を受け止めたうえで、味わい尽くしているからです。ある経験を味わい尽くすという行為は、実はそう簡単ではありません。たぶん、とことんやって、それでもまだ足りずに一線を超えてみて、初めて理解出来るようなことなのかもしれません。その一線がどこに有るかは、ひとにより異なります。そして、たとえ全てを味わい尽くしていたとしても、その経験が彼にとって重ければ重いほど、過去の記憶にまつわる感情はいまだに強力なエネルギーを放ち、事あるごとに彼を苛むのかもしれません。けれど、そんなナマの感情のうねりに打ち勝ってこそ、様々な体験を智恵の高みにまで昇華させることが出来るのかもしれません。

  今、彼は情熱に背を向けています。こころは静かに凪いでいます。「背中」とは背骨によって支えられる体の一部。背を “向ける”(“turn” his back)とは、「拒絶」を暗示しているだけでなく、ヨガのような類い稀な柔軟性を得る修行をも暗示している...B.ボヴィはそう指摘していました。


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  情熱。それは人間が生きていく経験の中で、逆巻く波に巻き込まれた木の葉のようにわたし達を翻弄し得る、過剰な力を持つ感情のエネルギー。ポジティブにもネガティブにも働きかけ、わたし達を様々な岐路へと誘い込みます。それは歓びかもしれない。怖れかもしれない。許すことの出来ない怒りかもしれない。報われなかった過去の恨みや哀しみ、あるいは劣等感や優越感かもしれない。あらゆる記憶は感情をともないます。そして、そのときどきに味わい尽くし昇華されることのなかった感情は封印され、人知れず醸成され続け、そして何かのきっかけで勢いよく噴出してきます。

  ならばそれに背を向けて「経験から教える」とは、多くの体験を通して見てきたこと、深く感じ、その都度理解してきたことの中から真の智恵を導き出し、それを伝えることかもしれません。その理解は自分だけでなく、相手にとっても同じように役立つことなのか? それともまた異なる解が存在するのか? そんな可能性についても、思考し得る余地を持つこと。もし彼が本物の禁欲主義者であるなら、強い感情や欲望がもたらすこころの荒廃を拒絶して、それを自然で純粋なエネルギーに還元する術を知っているのかもしれません。うーん、ここは風性で情緒より思考や理念に傾くとされる水瓶座。その第3ディーカンに至って、やっと激しい感情のうねりに拮抗する力が出て来るのでしょうか? 人間って、やっぱり厄介な生きものかもしれませんね..。


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  じゃ、こちらも補完度数のシンボルを見てみましょう。


裏側のシンボル:獅子座24°

  さて、この度数に出て来るのは『身なりを構わずボサボサ髪をした男』。その姿はどちらかというと華やかで目立ちたがりという印象のある獅子座のシンボルとしては異質な感じもします(ある意味ではかなり目立つ存在かもしれませんが...)。でも、彼はもしかしたら...とても深い意味で、究極の獅子座なのかも?

表層だけを見るなら、誰が見ても彼はただみすぼらしく無秩序で不潔な人間として映るでしょう。けれどもっと深いところには何か別の姿が隠されているようです。身なりを構わないということ。それはTPOなんていう社会的慣習に無頓着なこと。その種のことの一切から「外れた人間」であること。そしてそのことを気にも留めない存在。おそらくそのせいで迫害されたとしても、彼は淡々と受け止め、燃える火を胸に抱いたまま、風のようにその場を去っていくのかもしれません(火性の獅子座から風性の水瓶座への流れ)。


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  「Untidy」ということばは「何かの規範にそって整理や整頓されていないこと」。「Tidy」は「潮汐/Tide」から来たことばで、潮の満ち干とそれが持つ周期的な水面の上下動のことです。そして、そこには「時間の流れ」が存在します。また「Unkempt」は磨かれていないこと、洗練されていないことを意味し、「Kempt」は櫛の歯、そしてニワトリなど家禽類の頭頂部にあるトサカ、または「波がその頂点に達して崩れ落ちる様子」に関連することばです。

  たとえば、その時々に相応しい服装やヘアスタイル...その社会で一般に受け入れられている “外見上の慣習” の中にあって、場違いでひどく悪目立ちする男の姿を見かけるとします。見た目に関わる社会的な慣習とは、その集合体が持つ無言の合意であり、多くの場合、未来永劫の真実ではなくその時々のコンセンサス — または比較的長期の流行に過ぎません。慣習に背を向けること。それはことばを換えれば「今、優勢な潮流や社会の圧力に流されない、巻き込まれない」こと、自分のアイデンティティを支える柱を自分の内界のみに見出すこと意味しています。


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  B.ボヴィはこのシンボルについて『世捨て人となったヨガの行者は自己を含めて誰の感情をも反映することがない。彼は外界の優勢な勢いに寄りかかって軽薄な欲望を満たそうとする集合的な混乱に身を投じたりはしない。彼は、自分という船の主が自分であることを知り、それを “情熱的に” 追求している存在だからだ』と語っていました。

  少し前に書いたように、今、ケンタウルス族のフォルスは山羊座の5°台を進行中で、牡羊座6°台のカイロンにスクエアを形成し、刺激しあっています。フォルスの象意は「蓄積したエネルギーの突然の噴出」、カイロンの主な象意は「遠い過去から木霊する深いこころの傷」。このエネルギーは政変から地殻変動、そしてひとびとの感情の爆発まで、深みに溜められたあらゆるエネルギーの暴発に関連するとされています。なのでこうした情動は今、世界中至るところで観察することが出来ます。しかも現在は水星逆行下。そして不和の種を探し当てては掘り起こす準惑星エリスは、いまだに山羊座の冥王星とはスクエア状態にあり、その冥王星には小惑星ニッポニア(日本の状況にピンポイントで関わることが多い)とイカルス(あらゆる面での軽率な行動)がコンジャンクトしています。こうした勢いに踊らされて自分自身を吹き飛ばさないよう、言動にはどうか注意深くあってください。


  さて、今回も大分長くなりました。前回の新月から歩を進めたわたし達は、ここでそれぞれの道に即した形で星々からの挑戦を受けるのかもしれません。それは、多くのひとびとに囲まれながらもただ独り、平和の内に在ることが出来るか? という挑戦なのだと思います。…なんて言うと、ここまで来て水瓶座の新月にしてはちょっとヘビーだな..と感じるひとがいるかも。

でも、こころの旅に近道なんてないから、ひとつ、ひとつ。小さな山を越えるたびに、サッと風が吹き抜ける。そして徐々に軽くなっていくのもまた、風性星座宮水瓶座のルネーションです。お仕着せの「We Are The World」ではなく、ひとりよがりな「I Am The World」でもなく。世界は生きとし生けるものすべてに浸透してる。ただ、それでいい。

そしてもし本当に救いが必要なら、それは自分の中に在る。それを見つけることが出来たとき、救いの手は外の世界に具体的な形をとって顕れるのかもしれない。ただ、今まで知らなかった透明な情熱を見出すことが出来たなら...。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 21:30│Comments(0)新月(満月)の星読み | パーソナル・アストロロジー

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