パーソナル・アストロロジー

May 01, 2022

🌑5/1日の新月・日食―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【日本標準時】
 5月1日05:28前後に牡牛座 10°28’23” で新月(日蝕)となります。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。

【太陽・月♉️ 牡牛座10°~11°― 発効期:5/1~5/29 】
 ※ただし日蝕なので潜在的効力は場合により半年~3年(最長で6年)ほど続く可能性があります。

 牡牛座10°台のシンボル
 “A red Cross nurse”
 『赤十字の看護婦』
     ↓
 牡牛座11°台のシンボル
 “A woman sprinkling flowers”
 『花に水を撒く女』


【テーマがもたらす雰囲気と挑戦】(順不同)
 ※ひとによっては1週間〜数日前から前倒しで感じられるかもしれません。
 
→★過去の共通体験を分かち合うことで共感を生み出しわだかまりを解消する
→★共に厳しさを乗り越える、または「同じ釜の飯を食う」ことの価値
→★ひとが生きていく上でのシンプルな原点に立ち戻って人間関係を見直す必要
→★「血は水よりも濃い」 ― 思考や理念より情や本能的結び付きのほうが強い
   という観念を裏付けるような光景
→★ある一つの集合体(個人~家族~地域~社会)を複雑に繋ぐ不可視の
  「想いの糸」を感じ取り理解する
→★様々な差異や世界観の相違を貫く一本の筋道を常に意識する必要
→★相手を生かす「情」と蝕む「情」の違いを熟知しておく必要
→★ほんのささやかな触れあいが後に大きな影響力を及ぼしていく可能性
→★「強者」と「弱者」という区別に潜在する思い込みの弊害
→★溺れる者が掴む藁の儚さと藁だけが浮き上がるという現実を知っておく
→★徹底的な落ち込みや力の欠乏を味わい、初めて生に潜む深い永遠性を見る
→★環境、階層、生い立ちなどの違いで見える世界が全く異なることを
  謙虚に受け入れる
→★自分自身の変化に見合った生活や環境を見直し、整えていく必要
→★静穏の中でふと小さな、けれど深い歓びを感じ取り大切にしていく…→

★エネルギーのポイント:
  今回の新月・日蝕『可視・不可視の混沌から内なる火を呼び起こす』


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下記は「サビアン・シンボル編」で使用している「ベース・シンボル」と「メイン・シンボル」の違いについての説明です。過去にお問い合わせがあったときに書いたものですが、初めての方のために、ここでもう一度触れておきますね。(いつも読んでくださる方はどうぞ飛ばしてください)。
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  で... 特に違いはないのです。これはひとにより感じ方が異なると思いますが、例えばネイタル・チャートの惑星が牡羊座0°台だったとします。この例だと魚座30°がベース・シンボル、牡羊座1°がメイン・シンボルになります。

人生を観る場合の一つの見方としては、時系列で考えて「ベース・シンボル=前半生」そして「メイン・シンボル=後半生」のテーマ。ただし何歳までが前半で何歳からが後半かはそのひとによります。

もう一つは二つのテーマを「渾然一体となった流れ」として観る考え方。

わたし自身は両方とも有効だと考えています。自分のネイタルの体験でも、前半生はベース・シンボルが強く顕れていて、後半生に入るとメイン・シンボルのテーマが、良い面も歓迎出来ない面も強くなったように思います。けれど、若く幼い頃のテーマが全て解決したり無くなったわけではありません。何かの折節に、考えさせられることが沢山あります。でも、それも自分が受け入れて生まれてきたテーマを知っているからこそ..なんですね。そのテーマは、トランシットやプログレスの惑星達が重要なポイントに来るたびに、アスペクトの意味がもたらす真理や出来事の根底にいつも木霊してる...そんな感覚を抱いています。

サビアン・シンボルは360°がひとつの円環として、永遠の流れを創り上げています。この円環では、どの度数も孤立した壁に隔てられた領域ではなく、隣り合わせ、対向、120°や180°その他のアスペクトを通じて有機的に繫がり溶け合いながら、互いに影響しあう構造になっています。そして、そこを惑星達が通っていくことによって、その都度わたし達の心理、ひいては社会に影響を及ぼす「留まることのない惑星グリッド」を創り上げています。(おそらく赤緯に関しても同様のシステムが存在するのだろうと思いますが、人間の領域でどの程度感得し得るものなのかは不明です..)

それが、新月・満月のルネーションに関するサビアン・シンボルの記事を書くようになった動機でもありました。超複雑な惑星グリッドの中でも影響力が顕著だと思われる太陽と月が、その都度投げかける “既存の” テーマを知ること。それは「人間」として生まれたわたし達ひとりひとりが、単に「ひととはこういうもの」という調べに「踊らされる」のではなく、その調べを聴き取り、理解したうえで、あえて「自分の生のダンスを踊る」ために役立つかもしれない。そんなふうに思ってのことでした。

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  さてと。今年もやってきた新月・日蝕。この記事をUPするときはもう蝕の日時は過ぎてしまいそう..。それでも重要なルネーションだと思うので、遅ればせながら書きとめておきます。この日蝕...なんていうのかな、ある意味とてもエモーショナルで、それでいて静けさと奥底のざわめきとが溶け合って。強力なのに、じわっとくる。何かとても不思議な感じがします。

では、今回はシンボルに触れる前に、星模様とそれが示唆するチャレンジがどんなものかをざっと見てみましょう。なお、この日蝕は太平洋地域や南米大陸などで目視出来るそうですが、日本からは見えません。蝕の影響が出るのは実際に太陽や月の欠けを目視出来る地域のみという説が一般的ではあるけれど、そうでないケースもあるので一応、可視/不可視の別は考慮せずに書いてみますね。


★5月新月・日蝕の星模様とチャレンジ★

新月・日蝕と小惑星ニッポニア、キュビワノ族のアルビオン、小惑星ハトホルがコンジャンクト、オーブ4°強で天王星も影響圏内に。そしてその新月が日本の戦後始原図の4室太陽にオーブ2°17’でコンジャンクト

  ニッポニアは文字どおり日本を指す小惑星。なのでたとえ今回の日蝕を目視することは出来なくても、今後数年にわたり日本にとってある程度強い影響を与えるのではないかと考えられる。

  またハトホルはエジプト神話の女神で多様な顔を持っている。その象意はヴィーナスに似て愛の女神的な要素が強いが、他にも鉱山資源の守護神、あるいは死者を冥界に導く神、または豊穣の女神、そして怒れば人間を滅ぼす殺戮の神となるとも言われている。

  一方、このコンジャンクションの中で影響力が強いと思われるのは運行速度の遅いアルビオンだが、こうした遠い天体の力を感知し始めた人類にとって、その扱いはとても難しいかもしれないと思う。そのフォースの味わいもけっして冥王星のような重さはないものの、いつの間にか未知の流れに放りこまれていくような、何かがじわじわと浸透するような...なんとも形容し難いものがある。一般に人間の意識の層を上昇させ、癒やしをもたらすもの、多大な変革を促すものと言われるが、その影響の諸段階では未踏の混沌が立ち塞がり、それだけに暗黒面への誘いともなりやすい。そのため、時おり大きな殺傷事件などに絡んでくることもあるという。知的好奇心、何かに駆り立てる働きという象意も持ち、また「辺縁に立つ者」という呼び名も使われる。以前は長い間「1992QB1」と呼ばれていた星で、アルビオンは近年になってウィリアム・ブレイクの『アルビオンの娘達のヴィジョン』という作品にちなんで命名された。

  これらの象意を考慮し、また天王星の影響を加味しながら、それらが日本のネイタルの4室太陽にコンジャンクトするという事実が何を意味するかをピンポイントで予測するのは難しい。マンデーン・アストロロジーにおいて、太陽は一般に国の統治者、大統領や首相、元首を意味するとされる。

ならば民主主義国家である日本において、その太陽が国民の想い、ムード、置かれた状況を示唆する4室に在泊するということは、そのまま主権者としての国民が置かれた状態、そして国民が抱く「国家の象徴」としての皇室のイメージ、あるいは政権担当者への大衆の視線などを意味するのかもしれない。結局、これまでのところ対向の10室(政府)を動かしてきたのは最終的には「国民の声」だったし、4室から見上げる日本のMC(統治・政治・政権)上に海王星がピタリと乗っていることで、国民が統治者に投影する期待は「外には巧妙なつきあい上手、内には慈愛あふれる親」としてのふるまい(常に寄り添うという姿勢)になるのだから。

そして、もしそうであるなら...ニッポニア、ハトホル、そしてアルビオン(と天王星)の合は、今後半年〜3年、長くて6年のうちに現在の戦争の影響、あるいはその余波によって国民生活が大きく影響を受けたり、領土(4室)に不穏な問題が起きる可能性を示唆しているのかもしれない。また政治体制の変化、資源やエネルギー関連の調整や変革、あるいは何らかの外的プレッシャーや策謀の露呈なども考えられるだろうか。いずれにしても、国民の中核をなす意識層に何らかの変化をもたらす物事が起きるのではないかと思われる。つまるところ、この蝕は新月図の12室で起きる。マンデーン・アストロロジーでの12室は「舞台裏」「隠密行為」「策略」「閉じた場所(病院や監獄など)」などを示唆するので、実際に起きたことの真相はかなり後になるまで日の目を見ないかもしれない。

  また、今回の蝕の度数は1995年に起きた阪神淡路大震災の直前の日蝕(蠍座10°台、日本からは不可視)にほとんど正確に「対向する」位置で起きる。当時の蝕は戦後始原図の火星とコンジャンクトで起きており、震災当日はこの位置に月のノースノードがオーブ1°というところまで来ていた。今回は10室ネイタルの火星にオポジションの形で蝕が起きる。

この関係が実際に連動するような効力を持つかどうかは不明だが、太陽活動を見ても、去年後半から今年に入っての活発さは目を引くものがある。大規模フレアやプロトン現象、地磁気嵐の発生頻度は、やはり太陽活動が非常に活発だった2012年〜13年、2015年、2017年を超える勢いがあるように思う。ということで、月のノード軸が牡牛座/蠍座の11°〜10°台に至る今年12月前後(ミーンノードの場合)は、自然災害やそれに付随する事故、またはコロナ禍の次のウェーブや新たなウイルスの出現などにも一応注意が必要かもしれない。

魚座27°台で金星・木星がコンジャンクト

  この度数は何か無視しがたい物事の完成や完遂、実り、気付きなどがもたらす静かな歓びを意味することがある。金星と木星の合は、豊かでこころ楽しいひとときを示すことから、ネイタルの惑星や感受点がこの度数に振れるひとは「ここまで来れた...」という歓びを感じたり、祝うような楽しさを味わえるかも。あるいは何かに関して「ひと区切り」ついたという感覚があるのかもしれない。ただし些細なことを膨大に感じたり、オーバーリアクションになったりすると裏目に出がちなので注意が必要かも。

新月図のASC/DC軸に月のノード軸がコンジャンクト、それに対し10室水瓶座の小惑星ヴェスタ(とオーブ2°弱で土星)がTスクエア(獅子座のレクイエムを入れるとグランドスクエア)

  これは仕事や政治的手腕が必要な場面において、「冷静さ」「厳しさ」、そして「職務や任務に対する情熱」をバランスよく配分して事に当たる必要性を示唆している。おそらく初めてか、または慣れない物事に対応する必要が生じるのかもしれない。あるいはなるべく避けたいと思ってきたことなど。あまり目立つようなやり方は避けたほうが良いかも。また、何か(または誰か)を支援することで自分自身が窮地に立つような可能性の芽は予め潰しておいたほうが良さそう。水星逆行も迫っているので、雰囲気の変化や万一の突発的な事態を漠然とでも想定しておき、エネルギーもプランもあまりひとに依存せず、自給自足的な構えでいると余裕が生まれると思う。

土星・小惑星レクイエムのオポジションを双子座の小惑星セレスと準惑星エリスがW調停、獅子座のレクイエムに魚座の海王星と山羊座の小惑星バム、ウェイジ、フェロニアがYOD

  このフォーメーションは、現在のウクライナ・ロシア戦争との関連を示唆しているように思われる。4室(国民のムードや状況)のレクイエムは文字どおり「死を想え」または「死を悼むこころ」で、災害や突然の悲劇に見舞われたひと達、そして特に戦争の犠牲となったひとびとに向けた同情や哀しみを示唆すると考えられるし、10室の土星は政府によるロシア制裁や、様々な支援に関する線引きの問題を示す可能性がある。それに対する12室のエリスと2室のセレスのW調停は、国民の不安や不満のエネルギーにある程度の循環路とも言えるものが密やかに出来上がっており、今のところは大問題化することなく流れが良い状態であることを示すのかもしれない。ただ、エリスやセレスが遅延や不足を表す土星と死滅を思わせるレクイエムと関わることは、穀物類や肥料、小麦価格の高騰など、農業や食糧に関わる危機を示す可能性もある。

また、今回のチャートには表示されていないが、新月図の蠍座12°台には「ムババムワナワレサ」というTNOが在泊し、オーブ2°弱で新月にオポジションを、日本の10室逆行の火星にオポジションを形成している。このTNOはズールー族に伝わる虹と雨と収穫の女神の名を持つSDOで、南アフリカでの小麦価格高騰(60%)のイベント図にも関与しているという。

  一方、YODの一端を担うバム(新月図には非表示)は、1969年にウクライナのナウチヌイで発見された小惑星。マークアンドリュー・ホームズによれば、この名称はロシア東部を走るバム鉄道を建設したソビエト軍の英雄的行為を記念して名付けられたという。この鉄道建設は苛酷を極めた工事だったとされ、当時の青年共産主義者同盟から何百万人もの人々が参加したのだとか。ただ、実際には政治犯や第二次世界大戦で捕虜となった元ドイツ兵や日本兵を含む多くの刑務所収容者の強制労働があったと言われる。この、ロシアとウクライナ両方の地域と因縁のある小惑星が海王星とともにYODを形成しているというのは興味深い。バムはこれまでのところ、テロ事件や爆発事故などに絡んできた経緯があるとされており、日本の新月図では9室(海外)に在泊することから、おそらく今のウクライナ戦争そのものと、それに付随する重石が外部からもたらされることを示唆しているのかもしれない。

また同じく9室在泊のウェイジは文字どおり「賃金」を指すが、他に「自分が犯した物事(カルマ)に対する支払い」「補償」「戦争の遂行」という意味も挙げられている。

そしてフェロニアはローマ神話の女神で「過去の束縛からの解放」または「人身売買との戦い」あるいは「森林地帯で起きていること」(マークアンドリュー・ホームズ)を指すとされている。これもまた、一般のひとびとの暮らしとは別に、過去に最大の腐敗国家などと呼ばれたウクライナが事実上人身売買や不法品密売のハブ的役割を担ってきたという事実や、欧米、アジアとも密接に繋がる地下組織の暗躍などを示しているとも思える。そしてこれら三つの小惑星が魚座の海王星とともに4室のレクイエムにYODを形成する状況は、この蝕全体の背景として、戦争状態にあるロシアとウクライナという二つの国家が国ぐるみで犯してきた過去の業を明確に認識したうえで、好むと好まざるとに関わらずその地に生まれ、その宿業を負うことによって今も苦しみながら生きようとする市井のひとびとへの鎮魂や哀悼の意識をも持ち続けることを促されているように思える。

水星が逆行前のシャドウ・フェーズに在る

水星逆行を控えて予定を整えたり幅を持たせておく時期

5月10日夜双子座4°台から逆行開始
 
(例によって電子機器の故障、誤解や行き違い、予定の遅延や決定事項が順行後に覆る可能性、転倒や乗り物の事故や怪我、うわの空によるうっかりミスなどに注意

6月3日夕方牡牛座26°台から順行

 ※中日は5月22日の日の出、双子座0°台


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  と...すでにちょっと長くなってきました😓 では早速サビアン・シンボルを見てみましょう。
今回は過去に一度経験したことのある度数です。でも、時は移り変わり、わたし達が体験するエネルギーのニュアンスも少し変化していそう。なので以前から読んでくれているひとも、また違った視点からシンボルの意味を感じてみてね。



★5月新月・日蝕のサビアン・シンボル★


🌚 新月のベース・シンボル:
   牡牛座10°『赤十字の看護婦』
   (裏側のシンボル:蠍座10°『仲間内の夕食会』)


  まず新月のベースとなるシンボルは牡牛座10°『赤十字の看護婦』(今は「看護師」ということばを使いますが、このシンボルが降ろされた当時の時代性を考えて、ここではあえて昔ながらの「看護婦」という名称を使います)。そしてその裏でエネルギーを補完するのは蠍座10°『仲間内の夕食会』です。この二つのシンボル・ペアの関係を考え合わせると、裏のシンボルが意味する「仲間」とは、どこか「戦場」のような場所で出会った盟友同士を意味するのかもしれません。

では、この「仲間内」というのは、かつて激しい戦いの場でいのちを賭けて共に闘った軍人達を象徴しているのでしょうか。1902年からこのシンボルが降ろされた1925年の前年まで、米国は常に戦争の渦中にありました。ならば厳しい戦いを生き抜いて帰ってきた彼らが今在るのは、おそらく野戦病院に勤務していた『赤十字の看護婦』達の献身があったからこそかもしれません。


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  国際法では紛争地域内で赤十字マークを掲げた病院や救護員に対して絶対に攻撃を加えてはならないという定めがあります。けれど実際の戦場でそうした規律が厳格に守られることは、現代ではもちろん、100年近く前でも期待は出来なかったでしょう。それでも当時、赤十字マークを胸につけた女性達は最前線に出て傷ついた兵士達の看護をすることを厭いませんでした。そんな彼女達を奮い立たせ、銃弾や爆撃の恐怖に打ち勝たせたのはいったい何だったのでしょう? 「正義の戦い」に参加しているという誇りでしょうか? 傷ついた人々への同情心や慈悲のこころでしょうか? あるいは、自らの犠牲さえも厭わず他者を護ろうとする果てしない優しさでしょうか? もちろん、それもあるでしょう。でも、それだけではないような気がします。

  たとえばB.ボヴィはこんな光景を描いていました。...  退役軍人達の夕食会。今、激しい戦場を生き抜いて戻った男達が地元の有志に招かれ、夕食会に集っています。彼らの中には軍隊内の対立する派閥に属していがみ合ってきた人々も混じっているかもしれません。そんな彼らも今は任務を離れ、こうして一堂に会し、隣り合って共に食事を分かち合っています。それは地元の有志達が命を捧げて国とその理想を護った人々に敬意を払い、戦いに殉じたひとびとの思い出とともにもてなそうとするホスピタリティの顕れでもあります。けれど、これと同じような状況、そして精神は、戦場の真っただ中、野戦病院においても見ることが出来たのではないでしょうか。


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  赤十字を胸につけた看護婦。彼女達は生死の境目をくぐり抜けるもう一つの戦いの中で、本当の「仲間 = フェローシップ」の意味を、こころと体の両方で学び取ることが出来ていたのかもしれません。たとえ激しい敵意のただ中に在っても、真っ向からの対立があっても、それを抱き留め、ありのままに受け入れるための場所。そして人々。目的はひとつ。助けること。生かすこと、死なせないこと。たとえ手や足を失ったとしても。生きるための時間を取り戻すこと。待った無しの業務を通して人間のいのちを、ひいては仲間達の絆を、ながらえさせる行為。それは一刻を争う緊迫感の中で、設備も薬品も、もしかしたら食糧や水さえ足りない中での文字どおり必死の業務です。もしそれが初めての任務だったら、覚悟の上で赴いた戦場であってもショックは大きいかもしれません。でも悩んでなんかいられない。とにかく動かなくては。ひとりでも多くの兵士達を助けるために。治療するために。あるいは民間人を保護し、心身の傷を癒やすために。たとえそれが、再び死地に向かわせることを意味するのであったとしても...。

本当の戦場を知らないわたし達には、ただ映像や物語の記憶をたどって想像することしか出来ません。でも、彼女達の任務は人間の究極の「はかなさ」と「強さ」、その両方を目の当たりに知ることでしか達成出来ないのではないかと思います。あるときは、自らも血を流し、傷つき、暴力的な死の恐怖を体験しながら...。

  生と死。別れと出逢い。その両極の間にうごめく人間のさまざまな想い。そこにたったひとつの正しい答も無ければ結論もありません。この手の中に、美もあれば醜もある。この存在の内に、清浄もあれば汚濁もある。高みを目指すこころもあれば、果てしなく落ちていくこころもある。出逢いがあれば別離があり、生まれたら、いつか必ず死ぬ。はかなさと強さの糸で織り上げる、幾億とおりもの物語。それが、此処を生きるわたし達のフェローシップ。そしてそれは、もしかしたら「愛」と呼べるものなのかもしれません。


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  では、メインのシンボルは何を語っているのでしょう?


🌚 新月のメイン・シンボル:
  牡牛座11°『花に水を撒く女』
  (裏側のシンボル:蠍座11°『溺れて救助された男』)


  この日蝕のメイン・シンボルは、牡牛座11°『花に水を撒く女』です。1°進むだけで何だか雰囲気はガラッと変わるのかな? 

...庭の花壇か、それともベランダを美しく飾る鉢植えでしょうか。大好きな花が綺麗に可愛く咲きますように...と愛情をこめて水を撒く女のひと。振りかけるとか撒くという行為を指す原語の「sprinkle」には、「ごく少量の」という意味が含まれています。たとえば料理するにしても、塩や胡椒をドサッと入れたらとても食べられたものではありません。それと同じように草花も、良かれと思って水をやり過ぎると根腐れを起こして枯れてしまうことがあります。だから表面の土の色や葉っぱの様子を見て、適度な水やりを心がける必要があります。また、デリケートな苗なら花に水がかかっただけで痛んでしまうこともあるのだとか。何より、適切な水の量ってその草花の種類によっても、土地の質、それに季節や気温によっても、様々に変わってきます。


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  素敵な鉢を選び、お洒落な花壇を造った。土を盛り、種も蒔き終わった。ここは牡牛座第2ディーカンの始まり、だから彼女はこころの中でこうつぶやきます。『Ah, This is MY garden!』。彼女が待ち望むのは、「わたしの庭、わたしの窓辺、わたしの世界」を飾る大輪の花たち。思いどおりに仕上がった世界。色とりどりの花たちは彼女にとって、春を迎えたひとときを咲き誇るいのちの象徴であり、その手で触れて感じることの出来る幸せの証しなのかもしれません。花も「わたし」も... 同じ大地に生きるもの。可能な限り美しく咲かせたい。早く花開く日が来ますように。そして、その美の絶頂を一日でも長く保てますように..。 

ならばあとは、土の中に眠る「可能性」の種子に どれだけ注意を払って世話出来るかにかかっています。根っこが水に溺れたりしないように。窒息してしまわないように、手を差し伸べなくては。けど、カチカチに渇いて干からびてしまってもいけない。虫や病気にも気をつけないと弱ってしまう...。この度数では、庭という場も、鉢も、「わたし」のもの。「わたしの世界」を象徴するもの。そこに咲く花の命運を握るのは、もう大自然そのものではありません。幸せに咲く花を夢見て護り育てる彼女自身、そのこころと手... そしてその手から与えられる “適量” の水や肥料です。そして原動力となるのは、そんな光景を、密な関係を、ひたすら愛でる気持ち。


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  じゃ、いつその手を差し伸べて、どんな時に控えたらいいのだろう? 彼女はその微妙なさじ加減を知っているでしょうか? 根っこや若葉の声をよく聞き、上手に成長を助けていけるでしょうか? 強く大きく育てるには、せっかく咲いた花であっても根元近くからスパッと切り戻ししなければならないときもあります。それを見て、知らないひと達は言うかもしれません。『あぁ、なんて勿体ないことを!』『せっかく綺麗に咲いたのに、ひどい...』なんて。さぁ、彼女にそれが出来るでしょうか? それとも、ひたすら早く、大きく、美しく…という願いに駆り立てられ、毎日水をやりすぎて枯らしてしまったり... しないかな? あるいは小さな花が一輪咲いただけでも満足し、ただその日そのとき、自然の成り行きに任せるのでしょうか? あぁ、それで満足...。だって何事も無理をしないのが一番だもの。
本当に? 実のところ、いったいどんな庭、どんな世界にしたかったのかな? 

  この世界に生じた美も幸せも、永遠じゃない。それはたぶん、束の間の出会い。その一期一会の出会いを、彼女は、あなたは、わたしは...どんなふうに愛そうとしているのでしょう?


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  ではこの度数と補完関係にある対向の蠍座11°は何を示唆しているでしょう? そのシンボルは『溺れて救助された男』です。これは台風やハリケーンで洪水に呑み込まれたひとなのか...それとも船が沈没してしまったのでしょうか?(このシンボルは4月23日に起きた知床観光船の痛ましい事故を想起させますが...)

自分ではどうすることも出来ない強大な自然の力に翻弄されて、絶体絶命のところを助けられたひと。  原語の「drowning」という表現は、ほとんどの場合「死に至る」という含みがあるようです。また、B.ボヴィによると「drowning」は「海や湖」、または「酒浸り」、そして通常の用法なら「飲む」という行為を指す「drink」に由来することばで、「混乱する」という意味でも使われるそうです。すると...このシンボルの「溺れた男」は、お酒を飲み過ぎたり何か精神的ショックを受けて、深刻な混乱状態に陥ったのかもしれません。深みから湧き起こる感情の水に押し流されて...あるいは周囲から放射され注ぎ込まれる、激しい感情のバイブレーションに翻弄されて..。


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  溺れる男は必死です。藁でも小枝でも何でもいい、彼は手に触れるもの全てを掴もうとするけど、彼の重さに耐えられるものは何もありません。逆巻く波は彼を呑み込み、渦となって水底に運びます。

「もうダメだ...」彼は死を覚悟したでしょうか? 死の前には自分の人生が走馬灯のように蘇ると言うけれど、そのとき彼は何を見るのでしょう...。 

けれどこの度数では、次の瞬間、波がもう一度大きくうねります。何がどうなったのかわからないままに今度は波のてっぺんに運ばれ、見開いたその眼には雲一つない蒼空が飛び込んできます。そして、目の前に投げ込まれた浮き輪。『おーい!大丈夫か?今引き上げてやるぞ!』どこからか、力強い声が聞こえる....。こうして、溺れた男は自分が助けられたことを知ります。

        彼の体験が水の事故ではなく、お酒に溺れて理性の蓋が吹っ飛び、さめざめ泣いたり怒って絡むような行為だったとしても、側に誰か彼をよく知るひとがいれば「まぁまぁ...」などとなだめ、落ち着かせてくれるかもしれません。激しいトラウマに怯えたりうずくまる彼を、そっと抱きしめてくれるひとがいるかもしれません。あるいは酩酊の末に人事不省に陥った彼を、病院まで送り届けてくれるかもしれません。でも、彼は自分がどんなことを言ったか、何を放射し、どんな行動を取ったか、そして誰が混濁の海から助けてくれたかを覚えているのかな? 自分がそこまで泥酔した... 本当の理由を思い出せるかな? 


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        ここは蠍座の深淵。「運命」と呼ばれる深淵を覗き込むところ。自分ではどうにもコントロール出来ない何かにぶつかってこころ乱れたとき、いったいどうするのか? お酒を飲んで、パッと騒いであぁスッキリ!となるにはちょっとだけ、水たまりが深すぎるかもしれません。じゃ、しらふのまんま淵に落ち、激情の波にまかれて自分という底の底を覗き込むのか?  それは帰ってこれるかどうかもわからない、賭けのようなものかもしれない...。けれど水もまた、いのちを運ぶエネルギーです。やがてはそれがあなたを、いのち輝くところに押し上げてくれる。ことばだけではない、本物の「底」を、「深淵」を見たとき。ことばだけではない、「死」の感覚に満ちるとき。そのとき、誰かが投げた無私の浮き輪に気付くかもしれない。そして、もう一度暖かく燃える「いのちの火」のもとへと帰ってくるのかもしれない。「底」の記憶を胸に、少しだけ強靱になって。可能性の種子を宿して...。

  蝕が起きる牡牛座では花に水を撒く女がいる。そして水が撒かれた地底には、溺れて助けられた男がいる。わたし達が自分の世界に撒く水は、美、愛、あるいは正義への期待や願望や欲望となって、知らないうちに誰かを溺れさせ、死の淵へと追いやるのだろうか? たとえそれが、象徴的な死だったとしても。

それとも、あるときは冷徹に、あるときは優しく温かく。束の間の出会いを愛でながら、透明な水となって互いを生かしていけるのだろうか...? 


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        またB.ボヴィは、牡牛座 — 蠍座軸11°に顕れたシンボルの対比の中に、人間関係に見られる「犠牲者」「迫害者」「救済者」という三角関係のパターン、または「共依存」と呼ばれるパターンが潜んでいる可能性を示唆していました。わたし達はこの三役を順番に演じることもあれば、一度に二役を演じることもあります。または、特定のひととの関わりでいつも同じ役割を演じるハメになることもあるでしょう。 もしそういうことがあるとしたら、それはいったい何故起きるのか? 果たしてそのままで良いのか? この度数ペアは、そんなことも問いかけているように思えます。

あるいは、わたし達は自分の中にこの三者すべての種子を持っているということかもしれません。そして何か起きるたびに、そのどれかを意識的に、または無意識のうちに選んで演じているとしたら...。「わたしの庭」「わたしの世界」をより安全に、より美しく保つために。そして「わたしの物語」を紡ぎ続けるために。

「庭」とは、様々ないのちが宿る世界。そしてガーデニングには、その庭の持ち主が創り上げた「物語」が宿る...と聞いたことがあります。

目に見えない地中では微生物や無数の虫達が蠢き、様々な植物の根が絡み合い、水や養分を奪い合う世界が拡がっています。それを地上から見るわたし達の目には、益虫に害虫、綺麗な花や作物と、それを邪魔する雑草達が見えています。ん? それってなんだか人間世界の縮図のようにも見えるけれど?  ならば「花に水を撒き庭を創るわたし」は「雑草」や「害虫」達にとっては「迫害者」になり得るし、植えた苗や花々にとっては「救済者」かもしれません。そしてせっかく手を掛けたのに害虫や病気のせいで花がしおれ、枯れてしまったなら...。そのときのわたし達は、すっかり「犠牲者」気分になり、怒りをこめて殺虫剤や除草剤を撒くのかもしれません。そして犠牲者から迫害者へ...。こうして尽きることのない物語は続いていきます。


P1180877


  なんて。ちょっと皮肉が過ぎる読み方かもしれませんね。でも。この世のあらゆる場所で、戦いや闘争が尽きたことなど一度もなかったわたし達の世界。それを時折、少しの皮肉と諧謔をこめてふり返りながら。それでも小さな自分の世界を愛おしく護り、愛そうとする。そしてそれによって生き、それによって死ぬ。そして、生かす。 誰を? 何を? たぶん、いのちという不可思議な営みそのものを。

ある程度現実的な予測は可能だとしても、人間世界そのものの行き着く先は、きっと誰にもわからない。でも、だからこそ。今、ひとりひとりのわたし達の在りようは、とても自然な営みとして起きているのかもしれません。

  いまだにコロナ禍が続く中、どう終わるかも不明な戦争が起き、世界的な経済不安が囁かれる今。風の時代への入り口に立つわたし達ひとりひとりが、意識するとしないとに関わらず壮大な変容を迫られているように思います。一瞬、一瞬、それぞれに何かを選択しながら、ひとつの流れを創っていくわたし達。願いをこめて、素敵な花を咲かせようとして。それがどんな花であっても、たった一輪であっても。「わたし」や「あなた」の咲かせる花を、ときに遠く、ときに近く。大切に生きていけたらと思います。


RCW108





have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



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February 27, 2022

レイモンド・メリマン 週間コメント2/28【金融アストロロジー】

http://www.mmacycles.com/
レイモンド・メリマン・コラム  2022年2月28日(フリー版より)


翻訳:hiyoka
文中の日付・時間はすべて米/東部時間です。
自身の学習のための翻訳文です。日本語になりにくい箇所は意訳があります。また知識不足による誤訳があるかもしれません。原文は上記サイトで無料で閲覧できますので、よろしければそちらもご参照ください。またご意見やご感想、間違いのご指摘などいただけましたら嬉しいです。また投資日報社さんでは無料コラムには記載の無い情報や、文中のメリマン用語の解説も掲載されるそうですので、そちらもぜひご覧ください。 翻訳者はこの記事をアストロロジー学習者向けのエッセイに近いものと捉えています。詳細な相場予測や何らかのトレードを推奨するものではありません。投資に関するアドバイスをお求めの方は投資日報社さんまたはMMAサイトにて講読版をお求めください。また文中の は翻訳者によるものです。原文が "ファンキー" な時は、時々お節介な訳注が入るかもしれません。
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来週のメリマン・コラムはお休みします。
(当分の間、気まぐれUPになるかと思います)🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️


≪ 先週をふり返って ≫

  “短期的な価格変動には心そそられるものだが...投資家なら、長期的にはロシアの動きが強まるというシフトに細心の注意を払うべきだ。何故なら、おそらくそれはより強度のインフレと成長の鈍化を意味するからだ。”

  — James Mackintosh
    “Invasion Holds Long-Run Lessons for Investors”
    Wall Street Journal 2022年2月25日付


  2月24日に世界の株式市場に見られた驚くべきリバーサルは、2月16日〜3月6日の金星・火星コンジャンクション2回の形成のちょうど中央部で起きている。

2月11日に終わった反騰以降、ロシアによる侵攻の脅威が株式市場を支配する中、世界の株式指数はロシアが実際に本格的な軍事攻撃を開始した2月23日水曜夜の翌日、24日に底を打った。この安値は現在多くの市場において、2020年3月のパンデミック・パニック以来の急落を示している。しかし、それから1日後の金曜にはほとんどの主要指数が急騰し、先週日曜2月20日に開催したウェビナーで紹介したマーケットタイミング分析を裏付ける形となった。

  先週は戦争が勃発し、再びミニパニックが起きた。たとえば米国では、主要3指数がすべて1月24日の安値を割り込んだ。ダウ平均は32,274まで下落、2021年3月25日以来の安値となった。これは1月5日の史上最高値36,952から12.65%下がったことになる。ナスダック期近物では下落幅はさらに大きく、2021年5月19日以来の安値13,025まで下げたが、この下落は11月22日の史上最高値16,767からは22.32%の下げとなった。だが翌日の金曜までに、ダウ平均とナスダック先物はそれぞれ1800ポイント以上、1150ポイント以上を取り戻している。

  貴金属、原油、穀物の値動きも同様に劇的だった。水曜の夕方から木曜朝にかけてのウクライナ侵攻のニュースを受けて金は1976.50まで爆発的な上昇を見せ、2020年9月16日以来の水準となった。しかしその1日後には、1885を割り込んで暴落している。銀も木曜に25.67と爆発的な高騰を見せ、2021年8月4日以来数ヶ月ぶりの高値を更新した。そして金曜には24.00を割り込んで取引されている。原油は木曜に100ドルを超えたが、これは2014年7月以来のことだ。その1日後には90.00を試し10%下落したが、この「戦争」が石油と天然ガスに大きく関与していることを考慮すれば、この市場にとってはそれほどドラマティックなことでもない。

しかし、穀物市場の動きは真に劇的なものだった。たとえば小麦はおよそ14年ぶりの高値951まで急騰した。だがウクライナは小麦の大生産国であり、ロシアも世界最大の小麦生産国の一つであることを考えれば、これもそれほど驚くことではなかったかもしれない。こうしたエネルギーと食糧の極端な高値は、経済制裁を課せられているロシアを容易に支えることが可能だ。しかし、これらの商品が金曜のように急速に下落し続けるなら、ロシアもまた急速に破綻の道を辿り、ロシア国民は指導者に反感を持つようになるだろう。このことは、どんな形であれ暴力や戦争を求めたり起こしたりしていない国に対するこの不当な武力侵略に対し、西側の指導者達が何をすべきかというアイデアを提供するはずだ。

また小麦に加えてさらに大豆も急騰し、2012年9月につけた史上最高値1794をわずかに下回る1765まで上昇した。この高値から1日後の金曜には、大豆は1585、小麦は841と急落している。もし西側諸国の指導者達が先週の残酷な事件によってあまりにも明白になった人権と自由に対する脅威を少しでも食い止めたいと願っているのなら、どんな行動を取るべきかということを理解しているのではないかと私は考えている。



≪ 短期ジオコズミクスと長期的考察 ≫

  “実際の太陽黒点数は、現在15ヶ月連続で予測を上回っている。2021年12月末の月間値は予測の2倍以上となり、過去5年を超えて最も高い値となった。”

  — Dr. Tony Philips
    “Solar Cycle 25 Update”
    https://spaceweatherarchive.com/2022/01/09/solar-cycle-25-update/
    2022年1月10日付


  “私はこれを言わなければならない(そして私の家族もそれを支持している)。この出来事を誰が何と呼ぼうとも — 現実にこれは戦争なのだ。この戦争の目的を誰がどう定義しようとも — 現実としてこれはウクライナ人に対する戦争なのだ。この戦争について誰が何を言おうと、これはロシアにとっては「恥」そのものだ。この結果がどうなるのか、いつ終わるのかを私は知らない。私が知っているのはただ一つ、ヘーゲルの言葉『歴史の年老いたモグラはゆっくりと、しかし確実に掘り進む』ということだけだ。
100%ロシア人である私が言おう。 Слава Україні! (ウクライナに栄光あれ! )”

  — Sergey Tarassov
    彼が主宰する金融アストロロジー ソフトウェアの
    研究グループに宛てたメールより
    www.timingsolutions.com
    2022年2月25日付

  ブラボー!セルゲイ、このような力強い立場を表明した君の勇気を素晴らしく思う。戦争は現実だ。理論的なイデオロギーの行使ではない。以下は、私達が依頼しているグラフィックデザイン・アーティストと私との間のやりとりだ。彼は私が長年にわたって知り合い、尊敬し、信頼している人物だ。だが彼と実際に会ったことは一度もない。そして彼はウクライナ人だ。この2日間のやり取りは、今日の悲惨な状況下でウクライナ人として生きるということがどんなことなのか、感じていただけるのではないかと思う。自分が同じような状況に置かれることを想像してみてほしい。

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(以下RM/メリマン KA/グラフィックデザイナー)

RM:ハイ、KA。今日は君がどうしているかと何度も考えた。君が無事であることを願っているよ。

KA:メールと共感をありがとう! 本当に感謝している! ここ数週間、ほとんど何もなかったのだが...今日の早朝、国中で多くの軍事施設やインフラが空爆やミサイル攻撃によって破壊されてしまった。私は爆発音で起きたんだ。信じられない...。この先どうなるかは誰にもわからないが、私の国はアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、EUの政府からの支援にとても感謝している。

RM:状況を知らせてくれてありがとう。私はほとんどのアメリカ人、そして多くの国の人々の気持ちを代弁していると思うよ。ただただ、各国政府がもっと軍事的・防衛的な支援を行えればと願うのみだ。一人の人間がこのような破壊と害悪を世界に放つことができるなんて、本当に信じ難いことだ。

KA:レイ、ありがとう! 私も、他の国がもっと軍事的に防衛してくれたら..と思っている。 世界で2番目に大きな軍隊と1対1の戦闘となったが、かなり恐ろしい状況だね。彼らはやり遂げるまでやめないだろう。良い方向に向かうことを祈るばかりだ。重ねて支援の言葉をありがとう! このやり取りは私にとってとても大事なんだ! 近いうちにまた連絡が取れることを願っている。
______________________


  では、戦争と市場について、ジオコズミック研究の観点から論じてみよう。平和と戦争を示唆する金星と火星は今、並外れたコンジャンクション・ゾーンに在る。金星は1月29日に順行に転じたばかりなので、地球から見ると火星よりゆっくりと動いている。実際、火星は2月16日に金星を追い越しているのだ。だが今日現在において金星は速度を回復し、3月6日には火星を追い越していく。だがここで最も興味深いのは、金星が火星を追い越す3月6日に両惑星は山羊座(2月16日にコンジャンクトした領域)を離れ、水瓶座に入ることだ。

  2020年3月のパンデミック最盛期、火星と土星の両方がともに水瓶座入りしたことを皆さんは覚えておられるだろう(来週の金星、火星と同じ度数だ)。そして2020年12月21日、やはり同じ0度台で木星と土星がともに山羊座から水瓶座に移行した。この度数はまさに、今の天空における「ウルトラ・チャージされた度数」なのだ。したがってこれは、アストロロジー研究の上では人類の歴史の弧における「ニュー・エアラ」(風性星座宮、水瓶座時代への移行)の前兆となる大進展を意味する。現在、ほとんどのコメンテーターは世界が再び強力な権威主義的政府の統治へと変質しつつあるという趣旨の発言をしている。確かに現時点ではそうかもしれない。だが、私は長期的には反対の見方をとる。

これらの惑星が山羊座(権威主義的なテーマ)から水瓶座に移行するということは、人権、平等、自由(水瓶座)に価値を置く、より賢明な世界とそれを創り上げる人々へと全体が進化していく、その初期段階を暗示するものでそれ以下ではない。それは古いサイクルの終わりであり、非常に困難で変化への抵抗が生じる新しいサイクルの始まりだ。そしてそれは今にも生まれ出ようとしている。私が思うに、2026年2月の土星・海王星のコンジャンクション期から1年以内に、現在のロシアの統治モデルは崩壊するだろう。これは土星と海王星がコンジャンクトするたびに(36年ごと)歴史において一貫して顕れてきた事象だ。

  だが、そろそろ市場と戦争の関連に話を戻そう。3月3日に火星が冥王星に向けて進んでいくにつれて、戦いのドラムが大きく鳴り響く。3月6日には金星と火星が山羊座から水瓶座に移行する。すると、暴力性が減少する兆しと平和とが顔を表す。その後、火星が4月8日に土星に近付くにつれて、協定破りや再解釈が起き、ほとんどの人々が理解していたものとはまったく異なる意味を持つようにねじ曲げられる可能性がある。そして戦いのドラムが再び鳴り響く。しかし、4月12日に木星が海王星に接近していくと、世界は平和へのさらなる一歩を踏み出す可能性がある。

そして一連の戦いはそこで終わり、状況は安定し始めるかもしれない。しかし、2022年5月10日に木星が牡羊座に移行して今後1年の大半を過ごすことになる。これは戦争用の機器(または武装組織)や兵器(およびそれらを製造する企業)の需要が高まる時期と同期する。したがって安定期は再び長続きしない可能性がある。その上、米国はいまだに冥王星リターンのただ中にあり、それが軍事的にも経済的にも、自国の役割とリーダーシップにさらに大きな試練を突きつけている。

  ではこれらの事象が金融市場にどのような影響を及ぼすだろう? それは2月28日月曜に発行する株式市場のスペシャル・レポートの主題でもあり、購読者および先週末のウェビナーの参加者すべてに送付される。あえて言及するなら、木星が海王星に接近するにつれ、投機的な熱狂が起きやすい。おそらく今はそれで十分な情報となるだろう。これは、もしあなたが注意深くなければ、非合理的な活況とヒステリーのどちらか(あるいはその両方)の渦に呑まれ、おそらくパニック状態に導かれる可能性がある。

  今のところ、私達が注目しているのは金星と火星が冥王星とコンジャンクトする来週末の3月4日〜7日±1週間と、金星と火星が天王星とスクエアになる3月18日〜21日だ。この2月16日~3月21日の期間全体が、1年のうちで最も重要なジオコズミック時間帯のひとつとなる。


  先日、カマラ・ハリス副大統領がヨーロッパの首脳との会談でこう述べた。『これは世界の未来にとって「決定的な瞬間」だ』と。そう、彼女は正しいかもしれない。







訳文ここまで
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hiyoka_blue at 20:51|PermalinkComments(0)

December 05, 2021

🌕🌑12月4日の新月・日食 — みんなに降り注ぐエネルギー(フツーの戦士サンたちへ♪)番外編


eclipse



  『フォーキャスト2022』のマンデーン・アストロロジー編の作業も大詰めを迎えた今、メリマンさんが映し出す来年の世界に没頭している間に今年最後の新月・日蝕が終わってしまいました。新しい記事を書く余裕はなかったけれど、この日蝕はとても大事な「食」だったと思います。なのでここに記事を置いておきます。

この食が起きた度数、射手座12°台と裏の双子座12°台は、全7回にわたる天王星・冥王星スクエアの最後の形成が終わった後、2015年、2017年、そして2019年と、過去3回にわたり、新月や満月を通してわたし達が経験してきた度数です。今回は4度目になりますが、この先はすこしずつ度数がずれていきます。なのでシリーズとしてはここでひとくくりでしょうか。

もちろん、これまでも同じ度数が出て来ることはありました。でもカーディナル・クライマックス以降、ここまで頻繁に重なってきた度数は他になかったように思います。ならばその度数のテーマには、今後のわたし達にとって何か大切な意味が隠されているのかもしれません。これから先のわたし達がそれぞれの人生を生きていくうえで、今 乗り超えておかなければならない何かが。

なので、繰り返しにはなりますが、過去の解説文をもう一度(ほんの少しだけ変えたところもあるけれど)掲載しておきます。

2021年〜2022年の狭間にあって、今、また新しい気持ちと眼を通し、みなそれぞれに様々なイメージを浮かべながら読んでみてくださると嬉しいです。


サビアン・シンボルによる【 新月・日蝕がもたらすテーマと挑戦 】

【月・太陽♐️射手座12°〜13°】

⭐️ベース・シンボル
射手座12°『高らかに鳴く鷲に姿を変える旗』

  このシンボルの「旗」は、国家、組織、またはグループの存在や理念を示す静的な象徴です。また、暗黙の内に何かを誰かに伝えるためにも使われます。それが生命を得て高らかに鳴く鷲に変わるということは、無言の抽象的な主張が、何か「能動的な宣言」、または「大声の自己主張」に変わるということです。 鷲はプライド、捕食者、強さの象徴。また米国を象徴する鳥でもあることから、このシンボルは米国旗が生命を吹き込まれて白頭鷲に変化し、誇り高く、あるいは尊大さを示しつつ声をあげるというイメージなのかもしれません。発することばには力がこもり、コミュニケーションは影響力を持ち始めます。そこには「光」と「影」の両方が宿っています。


eagleUSA


       鷲が高々と声をあげて鳴く…英文では "an eagle crows"。 この "crow" には「自慢する」「得意になる」「勝ち誇る」「大言壮語する」...なんて意味もあります。わたし達が鷲のように高らかな声を上げるとき、それはもしかしたら、単に興奮に満ちた無邪気な自慢かもしれません。あるいは強い立場に立った上でのゴリ押しの要求かもしれません。または高邁な理想や素晴らしい救済計画のアジテーションかもしれないし、もしかしたらすでに傷だらけのこころを隠し、傲然とふるまっているだけかもしれません。けれどその姿には 「我が想いこそが世界の全て」 なんて、一種の万能感さえ漂って見える可能性があります。そしてそんな自分を見つめている誰かの不信に満ちた眼差し。堂々たる鷲の姿、その裏側に隠されているのは、もしかしたら繊細なにこ毛に包まれて震えるこころかもしれません。でもそのこころの持ち主は、それに気付いているでしょうか? 気付いてなお、言い切ることのエクスタシーから離れられずにいるのでしょうか? 空間に放たれる無数のことば。それはやがて、放った者の知り得ぬところで命を持ち始めるかもしれません。

      誰かが、何かが声をあげれば、必ずそれに対する反応(または反動)が返ってくる。 … でもそんなテーマだとすれば、もし自分にとって受け入れがたい物事を尊大な誰かから突き付けられたとき、いったいどう対処すればいいんだろう? 

     鷲は強靱な猛禽類です。誇り高い王者の風格があります。でも、けっして不死身ではありません。不動の旗は、「象徴」としての「ゆるぎない永遠性」を持っていました。でも、鷲になった旗は生身の生き物になりました。彼は強力な能動性とともに、だからこその弱さもまた持つようになります。彼は傷付き、血を流す経験を手に入れることになります。

何かを選択し、何かを自分のものにしようとするとき、それに向かって手を伸ばし、それが自分の道だ!と宣言しなければならない局面が人生にはあります。たとえこれまで平穏だった環境を乱すようなことになったとしても。そのせいであちこちから矢が飛んできたとしても。


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そしてこの度数を裏で補完するのが双子座12°です。

双子座12°『生意気なほど断固とした主張をする黒人奴隷の少女』

    シンボル原文の "topsy" は、1852年に出版されたストウ夫人の有名な小説 『アンクル・トムの小屋』 に出てくる黒人少女の名前から来ています。 この物語は、どんなに虐げられてもひたすら自分の良心に従って生きた "トム" という黒人奴隷を中心に描いた長編小説でした。またこの小説は、当時の米国で交わされていた奴隷解放論議を激しく燃え上がらせ、あの南北戦争への引き金となったとも言われています。宗教的理想と良心的な生き方を問う「ことばの力」は、当時多くのひとびとのこころを深く動かしたのだと思います(当然ながら、そんな影響力に脅かされた奴隷制度維持派のひと達からは猛烈な批判を受けたそうですが...)。 

  この物語に出てくるキャラクターのひとり 「トプシー」は、幼いときから虐待を受けてきたこころの傷と根強い不信感を抱えています。彼女は嘘をついたり物を盗ったり、主人の側からは非常に反抗的と見られるような少女でした。 『お前は元々どこの生まれだ?』 と聞かれ、『わたしはどこの者でもありません。ひとりで大きくなったんです!』 と答えたトプシー。 当時の米国内の雰囲気や、白人雇い主と黒人奴隷の立場の違いは現代日本の片隅に住むわたしの想像を超えているけれど、きっと彼女を "買った" 主人はその返答に 『なんて生意気な!奴隷の分際で…』 と目を剥いて怒り狂ったことでしょう。 おそらく当時はそんな感覚がごく一般的な米国白人社会の反応として存在したのだと思うし、それを今現在の観点を通して裁いたりは出来ないと思います。何故なら、わたし達が今抱いている「正しさ」という観念もまた、時代の "奴隷" かもしれないのだから。 


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     このトプシーの言動は、下手をすると命に関わる挑戦にも見えます。けれど主人公であるアンクル・トムのような、信念に裏付けられた行動ではなかったようです。英語で "topsy-turvy" と言えば「滅茶苦茶になること」「上下逆さまなこと」「大混乱状態」を意味します。このことばの語源ははるか中世まで遡り、"terv"という単語に行き着きます。"terv" は「落ちる」「投げ捨てられる」「打ち倒される」などの意味を持っていました。ということは...トップ、つまり頂上から谷底に落っこちて滅茶苦茶になる…そんなニュアンスがあるのかもしれません。 彼女の名前「トプシー」は頂上を思い起こさせます。胸を傲然と張って『わたしの中ではわたしがトップ!わたしが一番大切なの!』と態度で示す少女。けれどそのハートは、どれほど痛みを感じていたことでしょう。トプシーの傷付いたこころは物語の中では救われています。とはいえ、幼い頃から奴隷として虐待されてきた彼女を単に「自分を主張する勇気ある少女」と見てしまうなら、それは今の時代を生きるわたし達の浅さかもしれません。彼女の中には感情的に溜まりに溜まった澱、怒りの瘡蓋のようなものが堆積していたはずです。

        こうしてその昔、一世を風靡した物語 『アンクル・トムの小屋』 ですが、1960年代の米国で公民権運動が起きてからというもの、ブラック・アメリカンにとっての 「アンクル・トム」 という名は、奴隷解放の象徴から「白人に媚びを売る卑屈な黒人」を表す侮蔑のことばとなってしまったそうです。何故なら、トムは立ち上がらなかったから。こぶしを挙げて闘わなかったから。白人達に従順なまま、悲惨に殺されていったから...。


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      米国で公民権法が成立し、法的な人種差別が終わった1960年代半ばは、天王星・冥王星コンジャンクションの時代でした。 そして今、天王星・冥王星スクエアが終わり、そのエネルギーが現実となって孵化する時期が始まり、世界は目に見えて緊迫感を増しています。2017年8月の日蝕がダイレクトにネイタルチャートに触れたのは、メリマン・コラムでも再三指摘されてきた米国とトランプ大統領でした。けれど、それほど強烈ではないにしても、他もに北朝鮮、ドイツ、そして日本(月のサウスノード)の始原図が影響を受けています。『アンクル・トム』 の物語が内包していた問題 ― 人種差別と構造的格差、白か黒かという一神教的善悪二元論 ― はとても根深く、今後「差別」という命題は人種だけでなく、国籍、民族、性別、貧富や階層、風貌などあらゆる問題を内包しながら世界中を "topsy-turvy" にするほどの潜在力を秘めています。そこには長い時を経てひととひと、集合体と集合体が相互に醸成してきた強い不信感が存在しているように見えます。そして社会にこれほど根強い不信感が存在するとき、対立する者達の間に建設的な対話が生まれることはほとんど不可能です。「敵」や「悪」と見なした相手を誹謗しながら差別反対を叫ぶ人々が力を握ったとして、それで平和な世界は訪れるでしょうか? 


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  そしてもちろん、わたし達個人と個人の間にも同じことが言えます。トプシーは全ての力を握った雇い主に対して傲然と自分の言い分を貫きます。不信と不信のぶつかりあい。「正しさ」と「正しさ」の闘争。傷ついたこころと、脅かされたこころのせめぎ合い。そこには常に、暴力の種子が存在します。それでも、わたし達人間には、ときに闘わなくてはならない場面があります。理論や理念の抽象的な安息から一歩踏み出し、傷つきやすい生身をさらけ出して。もし、自分が何か本当に護るべきものを持っているのなら。本当に、それが本物であるなら...。けれど、それは単なるひとときのドラマかもしれない。



⭐️メイン・シンボル
射手座13°『未亡人の過去が白日の下に曝される』

   ここでもやはり「過去」がキーワードになっています。夫を喪ったひとの驚くべき過去。これもまた、ひとつのドラマです。それは同情の涙を誘う哀しい物語かもしれません。あるいは驚くべき冒険と陰謀のドラマかもしれません。これが映画や舞台であれば、BGMはピアニッシモから突然衝撃的なフォルテッシモに変わり、思わぬ展開に観客はみな息を呑むでしょう。

『あのひとにそんな過去があったなんて!』『きっと哀しみと苦しみを乗り越えてきたんだね...』『あぁ、普通の女性とはどことなく違うと思ってたけど、思ってたとおりだ。なんて強く素晴らしいひとなんだろう!』あるいはもしかしたら...『気の毒な女だと思ってたのに、なんだよ〜ひでぇ女だな!』または『いや、そう言われてみれば彼女、なんとなく妖しい魅力があるよなぁ』etc., etc....


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  明るみに出たひとりの女性の過去。やがてそのドラマはひとびとの間で一人歩きし始めます。そしてそれぞれの過去から引き出された人生観に投影され、そこに様々な感情を生み出していきます。衝撃のドラマによって引き起こされた情念。それはきっと、ひとびとの内面で多様な音色を奏で、反響し、増幅していくことでしょう。けれど、主人公であるひとりの寡婦が歩んだ人生の真実は... それを本当に知る者は... 誰ひとりとしていないのかもしれません。

  何故なら彼女の物語は、ひとそれぞれの過去が鏡に映ったドラマに過ぎないのだから。ステージの上で観客の耳目を一身に集める音楽家は黒いスーツを身につけ、謎の過去を秘めた未亡人は、黒衣をまとっています。全てを呑み込む闇の色に隠された彼らの生の真実は、きっと誰にも見えはしません。ただ美しい音色と物語が紡ぎ上げる、幾多の夢想の泡が生まれては消えていくだけ...。わたし達は、そのときどきのお気に入りのドラマを消費しながら生きているのかもしれません。いえ、もしかしたら…その一連の流れの底に、何かが潜んでいるのかな?


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そしてメイン・シンボルを補完する裏の度数は...

双子座13°『ピアノを弾く偉大な音楽家』

  一つ前のシンボルで、わたし達のマインドは高らかに「自分が自分であること」を追求します。そしてわたし達が発したことば、声、音は周囲にこだまして様々な反響を呼び起こしていきます。

そういえば、最近は英語圏のニュース解説などで "echo chamber"という言い方をよく耳にします。「エコーチェンバー」とは反響室のこと。これは自分の周りに同じ意見のひとしかいない状態、またはSNSなどで意見の異なるひとびとをブロックし、心地よい同意の声がいつまでもこだまする、一種の幻想的なバブル環境を創りあげることを指すようです。つまり、自分が創造主の役を演じるドラマの中で、生きているような状態でしょうか。

  ドラマといえば、『ピアノを弾く偉大な音楽家』もまた、情感を盛り上げる才能と鍛え上げられたテクニックによって、聴衆を壮大なドラマに引き込んでいく、マスター級のプロフェッショナル。 ステージの上でひとりスポットライトを浴び、静かに座ってひと呼吸。そして... そっと鍵盤の上に指を置く張りつめたその姿...。その瞬間、大勢のひとびとが期待をこめ、息を呑んでこの偉大な音楽家を見つめます。


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  さぁ、彼が奏でようとしているのはクラシックの名曲でしょうか? サビアン・シンボルが降ろされた時代にコンサートで演奏されるピアノ曲なら、きっとそうだったかもしれません。いくつもの時代の波に洗われながら、なおもひとびとに愛されてやまないピアノ曲。それをこの偉大な音楽家は、期待を超える素晴らしい音色で見事なドラマに仕立て上げようとしています。

過去の様々な闘いを生き抜いた英雄達の勇壮な物語。いにしえの哀しくも美しい愛の物語。いえ、もしかしたら巡る季節の中でひとり思索する繊細な心象を綴った曲でしょうか。いずれにしても、彼の全身から、彼の鞭のような指先から、過去に創造されたその曲の世界が魂を吹き込まれて活き活きと蘇ります。そしてその音色はひとびとのこころに反響し、それぞれの宇宙の中でそれぞれの人生体験 — 過去の思い出を呼び覚ますかもしれません。もしその中に音楽家を目指す若者がいたなら、その類い稀な音色は彼ら自身の未来像となってひとときの夢を見させてくれるかもしれませんね。


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  ここには、過去に創られた名曲から多くのひとびとに共通する「想いのエッセンス」をすくい取り、その瞬間の自分の全存在を類い稀なフィルターに替えて会場全体をエコーチェンバーに替え、コンサートホールに集まった多くのひと達を音のドラマに酔わせる名手の姿が描かれています。彼がそこに至るまでには、生まれついての才能とともに、激しい練習の日々があったでしょう。あるいは、その天性の才能とは、ひとびとの間に渦巻く情念を素早く感じ取り、それをドラマティックに操る類い稀な技術にあるのかもしれません。けれど、もしステージを降りた人間としての彼が名声に溺れ、傲慢な気持ちを抱いていたとしたら? 弟子には威張り散らし、まるで奴隷のように扱い、彼らの将来を考えもせずに日々決まりきったスケール練習をさせて小言ばかり言っていたとしたらどうなんだろう? 

  偉大な音楽家が偉大な人格者である必要はありません。音楽家の仕事は素晴らしい曲を創り、見事な演奏で大衆をひととき酔わせること。高価なチケットを買い、それに見合う(または上回る)体験への期待を込めて集まったひとびとは、そのひとときを、それぞれが抱く異なる夢のエコーチェンバーの中で過ごすことを望んでいるのだから。


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  わたし達は日々、いろいろなドラマに曝されています。聞いたり見たり、または読むことによって。またときには自分自身の体験を語ることによって。小さなドラマ。ほっとするようなぬくもりや優しさ。ときに腹立たしい光景や悲惨な物語。そして「衝撃の事実」や驚きの噂話。それぞれのフィルターを通して表現された大小の物語は、その都度一定の範囲に、あるいは思いも寄らないほど広大なスケールで拡がり、反響が返ってきます。これはわたし達が生きる社会、わたし達のマインドと感情が動かしていく世界の一側面です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

射手座の中間部にさしかかり、ここでわたし達はこれまでの人生で知り得た知識と体験を問われ、それを通して揺れ動く感情のドラマをどう扱うつもりか?と問いかけられているのかもしれません。

人間と人間が創り上げ、響き合い、増幅しあう多様な想いのうねり。ひとの数だけ存在する過去と過去とがぶつかり合い、その葛藤から生まれるドラマティックなエネルギー。それを巧みな技で操縦することが出来るひともいれば、その技に酔いしれ、それを明日への糧にするひともいる。打ちのめされ、生きることさえ投げだそうとするひともいれば、傲然と自分を主張し、殴られたら殴り返すひともいる。そしていつしか波がぶつかり合い、うねりが高まり、壮大な津波となっていくのかもしれない...。

  そんな世界に在って、日々のドラマを楽しむ「わたし」がいる。ときにはドラマの主人公になってキラキラと輝きたい「わたし」もいる。コンサート会場でスポットライトを浴びる偉大なピアニストのように。ひとびとの関心を集め、その反応を楽しみ、自分というドラマの価値を味わってみたい「わたし」がいる。 

けれど今の自分は「真のわたし」の居場所を知っているだろうか? 全てのドラマを、マインドの遊びを廃し、ひとり在る場所から眺めた世界の真の光景を、わたしは見たことがあるのだろうか? 


redbaby


  ...この日蝕には、燃えるような赤い連星、蠍座のアンタレスが寄り添っています。そのキーワードは「悪意」「破壊性」「自由」「広いこころ」「軽率」「貪欲」「強情や頑固さによる自己破壊」「生から死へ、死から生への困難な移行」そして「カルマを焼き尽くすこと」「勇気」。闇と炎のアンタレス。

そして今、そこには火の護り手、浄化と献身と変容の女神であるヴェスタも来ています。火炎の要素に彩られたこの食のエネルギーは、これから3ヶ月〜半年、もし長ければ3年〜最長6年の間、わたし達への影響力を保ち続けるかもしれません。そして大晦日の31日前後には、このチャージされた度数に火星がやってきます。うーん、これはまるで、火の洗礼みたい...。この火に煽られて、狂ったように踊り出す人々もいれば、内界の炎に焼かれながら、ひとり静かに眼を閉じて歩み続けるひともいるでしょう。たぶん、ここから先は多くのひとにとって、「道なき道」が待つのかもしれません。でも、...本当は今までだってそうだったのかもしれないな。


  果てしなく続くドラマ!ドラマ!ドラマの中で。今の時期は、ちょうどニーチェによる過去からの警句のように『怪物と闘う者はやがて怪物となり、深淵を覗く者を、深淵が じっと覗きこむ』ときかもしれません。ならば深い呼吸と、静かな微笑みをもって。2022年の荒波に向かって。進みましょう。

  

アンタレスとヴェスタが見まもる中で生まれた日蝕に寄せて…


Heilung “Traust (Trust)” 古代ゲール語で歌われる 護りと力の歌

(おそらくこんな感じの歌詞)

ひとりの女が座ると やがてあちこちに女達がやってきて座った
る者は縛りの綱を固く引き締め 或る者は打ち寄せる軍を妨げた
る者は抑圧の鎖を固め る者は縛りを解き放った

縛りを逃れ、敵とする者から逃れよ
............
............
............

ではまず汝自身の姿を 唱えよう
それはしばしば試されてきた魔法
ラニがリンドに教えたもの

その肩からは 汝を嫌う何者かが 震え揺れる
汝が抱くべきは 汝自身を 助くる者なり



have a great trek!!!★

hiyoka.(^_^



hiyoka_blue at 20:55|PermalinkComments(0)

May 25, 2021

🌕5/26日の月食~6/10の日食―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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📝 お知らせ📝
  
  突然ですが、6月~たぶん8月いっぱい〜9月初めくらいまで、ブログの更新をお休みさせていただくことにしました。自分の現況と星回りを見て、今は少しエネルギーを補填する必要があるな..なんて感じたのがその理由です。ふり返ると、なんとなく思い立ってこのブログを始めたのが2010年。2011年にはあの東北大震災を経て自分にも心境の変化があり、今の住居に引っ越して...それからあっという間におよそ10年が経ってしまいました。その間、ご縁を得て『フォーキャスト』シリーズの翻訳をさせていただいたり、出会いも別れも含めて本当にいろんなことがありました。

  10年って一口に言うけれど、ひとつのところにこれほど長く住み続けるなんて、今までの自分には考えられないことでした。それだけ木々に囲まれた今の環境がわたしには合っていたのでしょう。でも今、もうすぐここを離れることになります。木星・土星コンジャンクションという大きな事象が自分のアングル上で起きて以来、望むと望まざるとに関わらず物事が次々に展開し、沢山のことが終わっていくのを目の当たりにしました。そして自分自身にもまた、終わりにしなければならないことが山積してしまっているのを感じます。今のままを続けてはいけないことを、どこかでずっとわかってはいても、人間ってそうすんなりとは動けないものですね。

でも、惑星達のフォースが押し寄せてきたのを感じたら、動いても動かなくても波には呑まれます。ならば引き受けて、とにかく乗っていくしかありません。何かが突然始まり、突然終わる。そして判然としないうちに、次の何かが始まっていく。いつだってあまりにも唐突に感じるけれど、それもまたOOB持ちの人生の一典型。今はとにかく自分で決めたルーティンというささやかな軛を外し、少しエネルギー補給の時間をとろうと思っています。といっても別に隠遁してしまうわけではなく、相変わらずドタバタしながらツイートしたりしそうですが..。

最後というわけじゃないし、何かオーバーかもだけど。でもひとこと。この、ネットの片隅のひっそりしたブログを読みにきて下さった方、これまで本当にありがとうございました😊  では、またね!(^_^)/


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5月26日満月・皆既月蝕&
6月10日新月・皆既日蝕のテーマ



<5月の月蝕・概観>

  双子座を進行中の太陽は、二者択一と取捨選択(無視を含む)の素早い連続を通して知識や経験を拡げていきたい、もっともっと!と望んでいます。捨てるのも取り入れて吐き出すのも軽く素速く、意識は右へ左へと走りがち。一方、射手座に入った月は、「AかBか?ではなく、それを統合してしまったら何が見えるだろう?」 と問いかけているかのよう。「過去と未来、古いものと新しいもの、交わらぬ平行線のどちらか一方を選ぶのではなく、良い部分を統合して新しい道を探るために、もう少し視点を高くしてみたら? そしたら…何か新しい観点が生まれるんじゃない?」「それが実は一番ムダの無い、ストレートな道になりそうだけどなぁ?」なんて、小高い丘の上で疲れた体を休めながら、しきりに考えを巡らしているようです。(本当にそれが出来るのかどうかは、たぶん射手座の月もわかってはいないのだけどw)でもとにかく。月蝕は、きらめく太陽の光を地球が一身に受けて遮り、月を束の間の闇にやすらわせるひとときだから...。

  特に今回の月蝕のサロス・ファミリーは「121」で、水星逆行を30日に控え「コミュニケーション」全般が強調されやすいときです。
またアストロロジャー、バーナデット・ブラディによれば、このシリーズの蝕には

ニュースの類い、または文書や若者に関わる厄介事をもたらしやすい
エネルギーの枯渇状態を招き疲労を感じやすい

という特徴があるといいます。

なのでもしものときの対策としては:
「何が起きようともこころ静かに受け止め、一呼吸入れてジタバタしないこと」
「困難に直面したら、慌てずにひとつひとつ丁寧に対応していくこと」
「何事も個人的に受け取らないこと」

この三つを頭に入れ、過度なストレスを避けて「走るのではなくゆっくり歩く」ようにしましょう。初めのうちはおぼつかなくても、時が経つにつれて自分が確実に前進していることを感じ取れると思います。


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  じゃ、それはたとえばどんな感覚だろう? 一例を挙げてみるなら「目の前に2本の道がある。どちらを選ぶべきか?」という時...もし行き着くゴールが実はどちらも全く同じ場所だったとしたら? その場所が今の自分の想像通りかどうかは、未来の「わたし」にしかわかりません。そしてそこに辿り着くプロセスにもまた様々な可能性があります。けれど、すでに目標地点に達した自分がふり返って見たとしたら...『 あぁ、結局はどんな道を選択したって良かったんだな... 大丈夫だったんだ!頑張ってこれたんだ!』...と思えるかもしれないのです。『あのときどんな道を選択しようと、自分が辿り着く場所はここだったし、ここは正しい場所なんだ』と。そして『自分はもしかしたら最初からそれを知っていたのかもしれない』と...。

そんなふうに思えるかどうかの一つの「鍵」または「関門」が、これから2回の蝕の期間(5月26日の月蝕~6月10日の日蝕~6月25日の満月期~7月10日の新月)に集中的にセットされていそうな気がします。なので、物事の途上でもし思い通りにならなかったとしても、ヤケになったり癇癪を起こしたりしないこと。視野狭窄になっている自分に気づき、スピードをゆるめ、スペースを空け、ゆっくり呼吸を整えてください。

  ただし小惑星を見てみると、今回の満月・月蝕にはネメシス(カルマの報い)とリヴァイアサン(人間の精神に巣くうモンスター)がコンジャンクトしています。ネメシスには「自分の一番の敵は自分自身」という合い言葉があるので、もしこの期間に何か歓迎出来ない物事が起きるとすれば、その原因は過去の自分自身の行動にあるのかもしれません。もし思い当たることがあったなら、落ち込むのはほどほどにして(双子座に太陽があるとき、反省のエネルギーはそれほど重くないはずですが...)今後の対応策に力を注いでください。


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  またリヴァイアサンは「どうにも抗い難いフォース」であり「内部から湧き起こり駆り立てられるような未知の力」との出会いに関連するとも言われています。この小惑星はピンポイントで異常気象や大きな自然災害と関わることもあれば、犯罪や犯罪者に関連するケースもあるし、また一方では奇妙でダークな芸術との関わりも指摘されています。いずれにしても、以前ツイートしたようにこの月蝕期は水星の方向転換に加え、月や個人惑星のOOBとも相まって、かなり激しいエネルギーを持っています。なのであまり衝動にまかせて行動したり、無茶なことを口走ったりしないよう気をつけたいと思います。

  では早速、皆既月蝕→金環日蝕→のエネルギーの流れをざっとサビアン・シンボルで読んでみましょう。


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満月・皆既月蝕(SAROS121)射手座5°25’
5月26日 20:13ごろ
ひとこと:『区切り、整え、待つ』


 ベースシンボル:射手座5°『木の上の梟』


  月蝕のベースとなる射手座5°のシンボルは『木の上の梟』 です。梟は智恵の女神、アテーナーの象徴とされている猛禽類。彼は今、目も眩むような高い樹木の上に止まり、あたりを睥睨しています。フクロウはとても敏捷で、その目は夜の闇をものともしません。高みに羽を休めてくつろぎながら、ぐるっと首を回して大地の形状を知り、獲物の気配を感じ取ります。彼が 止まっている一本の枝は太い幹に連なり、その幹は大地に深く根をはっています。女神アテーナーにも擬せられるフクロウ。その真の智恵とは、長い時の流れに培われたもの。年月のもたらす多様な経験を、広大な視野を通してゆるぎなくまとめあげたものなのかもしれません。


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  ならば、そんな智恵をもって狙う獲物とは、いったい何なのでしょう? 彼は今、何を想い、何を狙っているのでしょう? このシンボルのひとつ前の度数では、彼はまだ『ひとりで歩くことを覚えようとする小さな子供』だったのですが....。

  では、その答を得るために、対向の補完度数、太陽が位置する双子座5°のシンボルを見てみましょう。



ベースの裏度数 双子座5°25’
シンボル:『ラディカルな雑誌』


        こちらのシンボルは『ラディカルな雑誌』です。ラディカルとは「急進的」または「過激な思想」を意味します。保守とか革新とかいうけれど、そのどちらにもラディカルな思想は存在します。「全てを壊し新しくせ よ!」または「堕落した現在を否定し、古き善き時代に還れ!」 …それぞれの思想の根本原理に根ざし、それを極端に純化しフォーカスしていった結果、 常識ではとてもついていけないような主義主張が叫ばれるようになります(もっとも、カーディナル・クライマックスを経て風性の時代に入った今日このごろは、何が常識なのかも曖昧になりつつあるようですが..)。 ところでこの雑誌は月刊誌?それとも季刊でしょうか? いずれにしても特定のサイクルごとに、過激な文面やグラフィックに彩られた雑誌が売り出されます。読者達は何を求めてその雑誌を読むのでしょう?


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  ラディカルな雑誌はそれがどんなジャンルであろうと、現体制を舌鋒鋭く批判します。そして支配的立場にある者達を追い落とし、自分達の原理に基づいた思想・運動こそが絶対だと叫びます。『古い王は倒さねばならない。世界には正義をもたらす新しい王が必要だ!』その声高な論調は、きっと共感を抱いて読むひとには一種の昂揚感を与えることでしょう。それが社会を大きく動かす原動力となるときもあります。

でも...その声は、本当に広い視野で360°の「今」をとらえ、大地に根を張りながら未来を見据えて叫ぶ魂の声なのでしょうか? それとも、大して深い考えもなくただ巷の欲求不満を拾い、そのはけ口として借り物の思想や言葉を連ね、ある事ない事取り混ぜた大言壮語で部数を稼いでいるだけなのでしょうか? 

長い時を経て培われた智恵と、未知の領域が常に存在することを知る謙虚さに裏付けられた、未来へのビジョンはあるでしょうか? それとも、ただ自分達の半径5mの事実を全世界になぞらえ、同じようなひとびとの共感を誘って思い通りに操り、力をふるいたいという欲望を満たそうとしているだけでしょうか? いえそれとも... もしかして、単にロケンロール♪しているだけ?


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  今は時代そのものが、いえ宇宙それ自体がロックしているのかもしれません。魚座の海王星の下で不安と多幸感の両極に引き裂かれながら...。それでもわたし達は今、高い木の上からこの世界を睥睨する一羽の梟のように、鋭い目、広大な視野と耳で全体を、そして自分自身の人生の在りようを、しっかり把握していく必要がありそうです。

ならば高い梢で耳を澄ます梟は『状況を変えたい!自分の今を変えたい!ついでに誰かの考えも変えてしまいたい!』と願う叫び声に反応してターゲットを絞り、高い枝から滑空し、鋭いかぎ爪で獲物をとらえ、その叫びとともに呑み込んで、消化していくのかもしれません。まるで移りゆく時代の化身であるかのように。

でも、もしその叫び声が自己欺瞞や誤魔化しに過ぎなかったら? 小賢しさをまとった自己憐憫や責任転嫁だったら? 表層だけをつくろった空虚なものだったらどうなるんだろう? 梟はその智恵の適切な使いどころを失い、虚しく宙を掻き風を起こしてホーッ ホーと鳴くのかもしれません。英語でフクロウの鳴き声を表す “hoot” ということばには別の意味があります。それは「不満を表すわめき声」そして「嘲りをともなうヤジ」です。


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  ともすると視野狭窄ぎみで狭量になりがちな社会の中にあって、表向きは普段と変わらぬインサイダーとして生きながら、こころの奥底では深い森に隠れ潜むアウトサイダーと化しているひと、今は多いのではないでしょうか。ひっそりと。黙して語らぬ夜行性のフクロウみたいに。けれど、闇の中でも獲物の動きを見極める鋭敏な目を、 ラディカルな喧噪の内に本物の声を聞き分ける鋭い耳を、今、わたし達は持っているでしょうか? ひとり、しんと鎮まって。ひそやかに息をしながら。真芯に自分と宇宙の様相をとらえて。今、わたし達にとって本当に必要なのは、そんなひとときの静けさかもしれません。

では、メインの度数に行ってみましょう。



メインシンボル:射手座6°『クリケットの試合』


  原語の『cricket』には、ボールとスティックを使う野外ゲーム「クリケット」の他に、「スポーツマンシップ」や「フェアプレー」という意味があります。たとえば『That’s not cricket!』と言えば『それはフェアじゃない!』という抗議になります。

ゲームには、必ずルールがあります。英国で生まれたクリケットは、かつて彼らが統治していた地域でも広くプレイされていて、いにしえの大英帝国の野望から生まれた連邦の「共通精神/テーマ」を反映しているとも言われているそうです。


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  またクリケットには独自のルールがあり、プレイには繊細な神経を要するとも聞きますが、中には驚くような大逆転につながる特異な規則もあるのだそうです。けれど、そんなプレイにはとても難しい技術が必要で、そんな技が出来るひとは限られているのだとか。

そこにはイチかバチか、やるかやられるかという緊張感があります。もしそんな技に成功したら...? 『よし!やったぁ~~~!』なんて、考えるだけもワクワクしてきますね。ヒーロー/ヒロインの誕生かも。けれどちょっと試してみたくても、失敗すれば大失点が待っているし、そこで試合は終わりかもしれません。

でも、ルールをしっかり守って「not cricket!」と言われたり「アンフェアだ」「スポーツマンシップにもとる」などと見なされないよう気をつけている限り、ゲームに参加し続けることは出来るでしょう。そして参加し、研鑽し続けていれば、そのうちに技量も上がり、いつか大逆転のチャンスをものにすることだって出来るかもしれません。けれど、野外のゲームは風や雨など気象条件やフィールドの状況など、多くの要素によって戦況が変化します。うっかりしていればゲームオーバーはすぐそこかも? うーん......

じゃ、このシンボルを支える裏の度数を覗いてみましょうか。



メインの裏度数:双子座6°
シンボル:『原油の掘削』


        ここに象徴されているのは「何かを求めて地中深く探求していく人間の行為」です。「原油は太古の動植物の死骸が地熱や圧力で液化し、変容したものだ」という生物起源説が有力ですが、もともと無機質の鉱物性だったという説もあり、その由来ははっきりしていないのだとか。けれど象徴的にとらえるなら、これは地球が太古から保持してきた「火の力」が液化したものの一種ととらえてもいいのかもしれません。


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  人間にとって、火の力は生きていく上で無くてはならないパワーです。だからこそ、わたし達はいつも、自分を活かす力の源を求め、もっと!もっと!と地中を探索し、掘り下げていきます。人間は、火を求めて地を掘り、水を求めて地を掘り、金を求めて地を掘ります。それはきっと、もっと!もっと!という「進化の衝動」の表れなのかもしれないし、地球を「母」、自分達を「胎児」とみなして母なる存在から無限の生命力を与えられたいと望む、欲望の顕れなのかもしれません。

一方、原語の「drilling」は「油井を発見するために土や岩の層を穿つこと」つまり「突き刺す」「穴を開ける」という意味を持っています。 地下には社会、経済、政治に大きな影響を与える「富の核」が眠っています。石油を掘ることは、あるがままに生成された「資源」を利用して産業や商業を活性化する力となる一方で、汚染、下心のある政治・経済的な動機、国や集合体同士の抗争など、大規模なパワーゲームが絡む厄介な事態を引き起こす可能性があります。

  わたし達人間は、ゲームが大好きな生き物です。仕事で、家庭で、学校で、SNSで。あるいは電車の中で、道を歩きながら、鏡を見ながら。世の中に対して。誰かに対して。または自分自身に対して。あらゆるときに、それと意識せずにささやかなパワーゲームに興じているわたし達。勝ったり負けたり、楽しかったり悔しかったり、辛かったり...そして嬉しかったり。


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  けれどゲームを本当に楽しむには、きちんとしたルールが必要。素晴らしいスポーツも、人間社会のコミュニケーションや生命活動でも、規則や法は社会を支える基本的な構造であり、システムです。たとえどんな正義や大義名分があったとしても『That’s not cricket!』な状況が常態になってしまえば、ゲームは終わり、崩壊します。そしてその後には枯渇と荒廃の時代がやって来るでしょう。

今、わたし達は大地から栄養をもらい、地上の生のひと時を経て、やがては再び地と水に還り、火の力の素へと変容していきます。ただし現代でその循環を象徴しているのは「散骨」という形態くらいであることを思えば、そんなに単純じゃないけれど...。それでも壮大な宇宙の側からみれば、そんないのちのシステム自体は結局何も変わっていないのかもしれません。

       一方、わたし達には貪欲さへの誘惑もあります。最初は必要なだけのつもりが、いつのまにか、もっともっと...これじゃ不足! 欲しいものがいっぱい出て来るにつれて、不満や不平も出てきます。生命を育み活力を生むものを求めるうちに、いつのまにか「力」そのものを求め出すのは多かれ少なかれ、人間の習性ではないでしょうか。富、権力、知名度、尊敬、称賛、憧憬、認知、愛、才能... あらゆる「力」とそれへの渇望は、様々なかたちをとって表現されます。また、それは外の世界だけでなく、掘り下げ足りない自分への不満として表れるかもしれません。『あぁ、もっともっと、出来るといいのに...何故うまくいかないんだろう? もともと運もなく、才にも恵まれてないのか? それとも何かが邪魔しているのか?』


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  けれどわたし達自身がそうであるように、人間が「母」と見なす大地が供給する火の力も水の力も、有限です。採りすぎれば枯渇し、争えば荒廃します。大地に穴を開けて栄養を摂ること。それは、太古からその場、そのときどきに適した地質条件の中にひたすら生き、死に、閉じ込められたあらゆる生物の残滓に寄生して、何年も何百年も、何千年も生き延びようとするパラサイトのイメージかもしれません。そんな視点から見るなら、石油産業は「現代を支えるという目的のために古代の深層を掘削し消化吸収する」わたし達人間の姿としてとらえることが出来そうです。

わたし達は、地球と対峙しながら「いのちのゲーム」を繰り広げているプレイヤーです。ならばそこには厳格なルールが存在するはず。「敵」と立ち向かうとき。社会というチームの中で共闘するとき。そして何よりも、自分自身の人生や死のときに立ち向かうとき。


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  この度数ペアは、無意識のうちにも深く、より深く、と何かを掘り下げていこうとするとき。あるいは現状に満足出来ず「もっと!もっと!」と求めがちなこころを抱えたとき。そんなときに必要な、「何か単純で基本的な原則」に立ち返ることを求めているように思えます。

もしあなたが、この世に生まれた究極の意味を探求する哲学的な天才だったとしても。深遠な思想に思いをはせ、高い梢から愚かな下界を睥睨しているのだとしても。それ以前に。ただ世界というフィールドで「いのちのゲーム」をプレイする選手のひとりとして、何か思い出すべきことがあるのかもしれない。それって何だろう? 今「フェアであること」「 “クリケット” であること」とは?  

ストレスに満ちた今というとき、ともすれば忘れがちな、とてもシンプルなこと..。自分を生かし、他者をも生かすためのルールって、いったい何だったろう? 

たとえば ― この世界に生きる者のひとりとして。こころも、体も、けっして一線を踏み越えることなく、繊細な精神をもって社会と自分自身の規範を守っていくこと、そして何に対してもフェアな気持ちを忘れないこと。それとも...?

ここから先は、きっとわたし達ひとりひとりに委ねられた宇宙の法。そこには、ひとりの「わたし」が、今ここに生きて在ること、在り続け、全うしていくための、とてもささやかで、でも尊い規範が小さな文字で書かれているかもしれない。それを、掘り起こすことは出来るだろうか...?


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<5月26日月蝕のキーワードいくつか>

新しいものに代わって何故か古いはずのものが台頭するという悲喜劇
遠くを見つめながら自分の足許を見ずにつまづく危険
「平等」の旗の下に厳然と見て取れる「階層」、友愛に潜む「反発」
自分自身の後ろ姿がどう見えるかを知っておく
他者の “リソース” を利用して生きることを当然と感じる「思い込み」
自分のルーツや遠い記憶を想起させる音や音楽に触れる
「新しいもの」を求めて「古いもの」に回帰する歓び
より深い意味を持つ物事の表層のみをなぞる傾向に注意
「自由」にともなう「責任」とはどういうことかをよく考える必要
問題の核心に迫るために必要な集中力を養う
視力やビジョンに関わる問題に注意する必要
「帝国主義」が「より公平な競争の場」を生み出すという歴史の皮肉
価値あるもの、高価なものが今や重荷となってのしかかる状況
自分のやり方や観点に固執して足を取られる状況に注意
自分が口にしていることばによく耳を傾けながら話す必要



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金環日蝕(SAROS 147)双子座19°47
6月10日 19:52ごろ
ひとこと:『内と外 ― ミクロとマクロの狭間に立つ』


ベースシンボル:双子座19°『一巻の古い大きな書物』


  『古い大きな書物の一巻』。これは...古代の歴史や叡智について書かれた大きな古書か、あるいは巻物でしょうか? もしかしたらそこには、今では想像もつかないような太古の宇宙観や哲学、信条、法や掟、習慣について書かれているのかもしれません。


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  長い歴史の中で、人類は沢山の経験を積み重ねてきました。大昔の生活や考え方。それが現代のわたし達からはどんなにかけ離れていたとしても、連綿と培われてきた経験の蓄積の下にわたし達が存在していることだけは確かです。 そこに書かれている太古のことばを読み解くことは不可能だとしても、この体に流れる血の中に、細胞のひとつひとつに、今ここに居る「自分」を創っている深い要因として それは存在しているのだと思います。太古、この宇宙が生まれたときから今、この瞬間のわたし達にいたるまで、生命の系譜にはいったいどれほどの歴史が織り込まれてきたのでしょう。

       もしかしたら、民族、人種、国家、地方、家族、そしてわたし達ひとりひとり... そのそれぞれが、連綿と綴られた『古い大きな書物の一巻』を収める書庫だと言えるのかもしれません。人生の変遷の中で、わたし達がどこに行こうと、どんな環境にあろうと、意識しようとしまいと、それはわたし達をここに存在させ、支えています。わたし達ひとりひとりが、多様な文化、様々な歴史、異なる言語の流れの末裔として、いにしえの智恵に今も新しい経験を積み重ねています。 

  初めにことばありき......。 本当にそのとおりだと思います。ことば — それは名付け、意味を与えること。人間の、あらゆる認知のみなもと。それによって、わたし達は目の前の対象を、あるいは想像上の何物かを自分の世界に存在させ、それと交わることが出来ます。また同時に、そのことがわたし達の思考を規定し、限定しているのだとも言えます。わたし達の自我は、ことばで出来てる。わたし達の経験が意味するもの、その全ては、わたし達がそれを「名付けること」から起きてる。わたしという存在と、そこから拡がる宇宙に、意味を与えるのは他の誰でもない、わたし達自身。それがどんな意味であろうとも。


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  古い信条を捨てて、全く新しいことばを話そうとするひと。古い習慣から栄養をもらって新しいことばを書き加えるひと。そして、古くからの智恵のことばをそのまま生きようとするひと...。ときにより、ひとにより、様々な生き方のるつぼの中で、わたし達は今の自分という存在を支えるひとつの「ことば」を見出そうとしています。

けれど、わたし達は大切なことを伝えようとすればするほど、ぴったりなことばを見つけられずに悩んでしまいます。「ことばにならない気持ち」「矛盾した感情」「こんなことを口にしたらどう思われるだろう?」という不安。全方向的な想いの渦の中で、不安にかられ、立ちすくむことさえあります。もしかすると、わたし達が日常使う言語システムには、とても大切な何かが ... デリケートな密度が ... 欠けているのかもしれません。あるいは、古代 — 始まりの時代 — には存在していたかもしれない「ことばの魂」、その根っこを忘れてしまったのかもしれません。


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        このシンボルは、「たとえ慣れない状況や余裕の無い中でも、今の自分を芯のところで支え続ける雄大な流れが常に存在していることを知っておくこと」「そのみなもとに置いてきてしまった、言わば ”魂” を見つけ出すこと」「その深い智恵のことばを栄養としながらも、自己表現の新しい大地を目指して自分自身を名付けなおしていくこと — 書き換えていくこと」を暗示しているのかもしれません。またその上で『太古の書物を内奥に預託された存在のひとりとして、あなたはそのページに何を書き加えていくのか?』と問いかけているようにも思えます。

  なら、もしかしたら…ひと知れず自分を支えてきたことば ― そしていつのまにか無意識の彼方へと追いやってしまったかもしれない古い魂 ― と、ひょっこりどこかで再会する機会があるのかもしれません。もしかしたら…ずっと言わずに封印してしまったことばが、まだどこかにひっそりと生きているのかもしれません。

というわけで、このシンボルが持つ意味をより深く理解し「古い大きな書物」を紐解くには、やはり対向の補完度数を見ていくのが良さそうです。


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ベースの裏度数:射手座19°
『住処を移すペリカンの群』

  さて、こちらは  環境汚染か? 人間達の侵入のせいなのか? 様々な理由から生息地を捨て、新たな繁殖地を探して旅に出る 『ペリカンの群』です。このイメージは、戦火を逃れて住み慣れない環境へと脱出する大勢の難民の姿を思い起こさせます。温かく受け入れる人々もいれば、混沌と文化的侵略、あるいはテロの危険を怖れて自分達の領域へ入れるなと主張する人々もいます。そのどちらもが、人間の自然な感情の顕れではないでしょうか。混沌とした情勢、混沌としたこころ。けれど一番混沌の中に在るのは、進むことも戻ることも出来ず、明日をも知れずに立ち尽くす漂流者達かもしれません。
 

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  漂流者の群。それは今、現実に起きていること。そしていつもの暮らしを続けているはずのわたし達にさえ、何らかの形を取って今、起きていること。それは、もしかしたら「今までのままではいられなくなる」という予感かもしれないし、または「今居るところを捨てて、何処かもっと自分がフィット出来る場を見出したい」という願望として顕れているかもしれません。 いえ、ひょっとしたら…こころの中で何かが大きく「方向転換」していくのかもしれませんね。だって ペリカン達は、まだ新天地を見つけてはいないようです。旅は始まったばかり。

        けれどペリカンの強みは、沢山の食べ物を胃に入れたままでもバランスを崩さずに飛んでいけるところです。彼らの歩き方はペタコンペタコンと独特ですが、その理由は胃に全体の重心があって、歩くときは頭と両翼で前後左右に上手くバランスを取るからなのだそう。

またペリカンは、くちばしの下に大きなのど袋を持っています。彼らはその袋を網のように使っていっぺんに魚を捕り、そのまま丸呑みにして胃に蓄えることが出来るのだとか。そして真夏の暑い盛りには、のど袋を揺らすことで血液の温度を下げ、体全体をヒートアップから護ることも出来るそうです。 そうか、それなら多少の長旅でも自給自足しながら何とか凌いでいけそうです。

        食糧はみんなの命を繋ぐために一番大切なもの。 その「一番大切なもの」を自分の重心となる胃袋にしっかりと納め、必要に応じて栄養源を補充する力を持ち、真夏の太陽という厳しい現実から身を護る術を備えたペリカン達、すごいな。

彼らは余計な荷物など持ちません。まだ生まれたばかりの幼い精神 ― 生きのびる術を知らないヒナ達。そのデリケートないのちを護りながら、彼らは次なる生息地を目指します。 


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  きっと、安息の地はみつかる。 大自然の目に見えない流れが導いてくれる。ペリカン達は自然そのものの顕れなのだから。そして、自然はその顕れのひとつひとつが自立した存在であり、同時にひとつに繋がって生き、在り続けるのだから。生も死も、その一部分に過ぎない。 ならばわたし達も、根っこはきっと同じなんじゃないかな? ともすると目先のいろんな出来事に気を取られて忘れてしまうけれど。  もしかして、もう一度、その根っこに帰ることが出来るだろうか? これを今、読んでくれているひとの中に、本当にそんな旅を始めつつあるひともいるのかもしれませんね。

  旅立つ野性のペリカン達は、わたし達が使うような複雑なことばを持ちません。けれど彼らは暗黙の理解の内に自分達の宇宙を生き、同時に宇宙もまた彼らという存在を生きているように見えます。わたし達は、ことばを使って文明を進化させ、それと同時に物事を、関係性を、とても複雑にしてしまったのかもしれません。ことばは、この世界を生きていく上で無くてはならない必須のツールです。けれどそれと同時に、それ自体がわたし達を縛る、不自由な十字架にもなっているのではないでしょうか。


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  それでも。ことばには まだ沢山の希望があるのかもしれない。話されることば。書かれたことば。聞こえることば。それが生きたことばなら、その行間からは、ことばにならなかった沢山のうたが聞こえてくるから。

ならばもし、わたし達が、わたし達自身の宇宙を生き、新たに名付け、遊び、束の間のその意味を生きていくなら。ん、これってことば遊びに聞こえるかな?


        大きく、あるいはささやかに、それぞれの旅立ちに向かって羽ばたこうとするペリカン。そして、今 この瞬間のわたし達。

  逆行の水星とコンジャンクトで起きるこの日蝕には、本棚の整理をしてみるというのも良いアイデアかもしれません。古代の書物は無かったとしても、古い日記やメモ帳、昔夢中になって読んだ本がゴソッと出て来たりするかもしれません。長く住んだ家を去るとき、荷造りをしながら部屋の片隅から出てきた懐かしいもの達に見入ってしまうなんてことがあるけれど。それがモノであれ精神であれ、旅立ち前に風をあて、もう一度そこに宿った過去の魂を認め、鎮めてみる。それは素敵なひとときになるかもしれません。万一 それが  “黒歴史” だったとしても...。それならなおさら、ね。

では、メインのシンボルに行ってみましょう。



メイン・シンボル:双子座20°『カフェテリア』


   『カフェテリア』と聞いて浮かぶイメージは、ひとびとがトレーを持って列をなし、そこに並んでいる数多くの料理から自分の好きなものを選んで好きな座席へ持ち帰り、食べたりおしゃべりをしたり…という光景ではないでしょうか。メニューを眺め、出て来る料理を想像して迷ったり、注文するためにウェイターを呼ぶ必要もありません。また食事を提供する側も、あらかじめ予定どおりの料理を作り置きしておくことが出来ます。


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  忙しいとき、気軽にランチをとりたいとき、仕事や用事の合間にちょっとひと休みして軽いおしゃべりをしたいとき。わたし達はよくカフェテリアを利用します。今はお洒落な内装のお店が沢山あるし、味だってそこそこ。まぁ確かに提供されるサービスは一律で機械的かもしれないけれど、でも食べ物も飲み物も、迷ってしまうほど豊富に用意されています。けっして至れり尽くせりとは言えなくても、とりあえず必要十分なものはそこにある...。

「カフェテリア」とは、レシピから材料の仕入れ、調理法や出来たての味を長時間保つ方法、そして人々の動線までもが高度に考え抜かれた「数多くの多様な人々に効率良く食事を提供する場」だと言えます。温かいものは温かく、冷たいものや生ものは冷やしながら、適度な温度管理の下、同時に多くの人々に「そこそこ満足のいく料理」を提供する場。これが「カフェテリア」の真骨頂ではないでしょうか。


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  カフェテリアは学校や美術館などの公共施設、ショッピングモールやテーマパーク、あるいはオリンピックの選手村など、あらゆる属性、あらゆる年代のひとびとが集まる場所に設置されています。ん? そう考えると「カフェテリア」って、まるでわたし達が創り上げた「良く出来た社会」の縮図のようにも思えてきませんか?

  こうした目的のために工夫されたシステムでは、沢山の需要を想定してあらかじめ工場で下処理された料理を提供します。そして店舗設計の上では、食事する人々を流れに沿って効率良く動かすように計算されています。またその配膳システムには、どんな地域や文化のひとびとにも合う、国際色豊かで多種多様な料理を提供出来るキャパシティも考慮されています。なので大抵は誰もが安心して利用出来ます。


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  付かず離れず、互いに気を遣い過ぎずにすむ空間。100点満点とはいかないけれど、常に60~80点くらいの満足感は与えられる場。そこはカジュアルでありながら誰もが暗黙のルールを守り、平等であるような場。けれどその裏には、そんな空間を創り上げるためのメニュー構成や、裏方達のシフト体制を考えるひと達がいます。またその下にも、あらゆる地域から来たひと達がいて、定められたシステムに沿って動き、レシピに基づいて準備をし、煮たり焼いたりドレッシングを補充したり、あるいは清掃したり案内したり、休むことなく働いています。

「システム」が維持されている限り、そして「目に付かないサービス」が機能している限り、カフェテリアはそこを訪れるわたし達にとっての「いつもの場所」「公共の憩いの場」として機能することが出来るんですね。

じゃ、この「カフェテリア」を裏で補完するシンボルは何だろう?



メインの裏度数:射手座20°『氷を切り分ける男達』


     『氷を切り分ける男達』 。このシンボルが降ろされた1920年代は、まだ電気冷蔵庫など一般には普及していなかった時代です(米国で家庭用電気冷蔵庫が初めて販売されたのは1918年だったそうですが)。なので気温の高いときに食物を保存するためには氷のブロックが欠かせませんでした。その氷は、冬の内に天然の氷を切り出してブロック状にし、それに芝土をかぶせることで溶けないように保たせていたそうです。そして夏になると、冷蔵庫の上の段に切り出した氷のブロックを置いて冷やし、食品が腐敗するのを防いでいました。 冬の間、雪積もる寒い地方の共同体。そこで男達が総出で切り出した氷。その多くは、きっと都市部に運ばれ売られていったのでしょう。まだ電動鋸も無い時代、氷の切り出しは大変な労力と忍耐の要る仕事だったそうです。でも、将来どうしても必要なことのために、今 地道にやっておかなくてはならないことはいくつもあります。 白い息、かじかむ手。けれどそれは、自分の、そして家族の、共同体の、かけがえのない命を繋ぐ糧になります。今はしんどいけど、太陽がギラギラと照りつける夏になったら…冷たく冷えたビールで乾杯しよう!


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  このシンボルは、未来を見据えて今やるべきことを黙々とやる…共に働き、冷たい季節と折り合いをつけながら...。そんな人間の営みを描いているようです。とてもシンプル。けれど、今のように迷いや葛藤を誘うアスペクトの下では、ちょっとした忍耐が要るかもしれません。けれど、集合体としてひとつの目的を達成するためには、人間同士の繫がりや協力体制もまた必要です。

  わたし達は、ひとりひとりが否応なくより大きなシステムの中で生きています。だから当然、そこには「動かされている」「働かされている」側面があります。でも一方で実は「動かしてもいる」し、それによって「護られている」のも否めない事実です。得られるサービスは機械的かもしれない。個別の要求に沿って対応してくれる高級レストランのようにはいかないかもしれない。今飲むビールはぬるく、気が抜けているかもしれない。けれど見えないところでそこそこの必要性を満たすために、人知れずシステムは稼働しています。


  原文の『Breaking the ice』とは、港に分厚く張った氷を割って船舶を行き来させたという事実に由来するそうです。割れた氷はやがては溶けていくでしょう。それは、社会の堅苦しさや冷たさを溶かし、いつか ささやかなぬくもりへと変換させる見えない動き ― サービス ― の存在を象徴しているのかもしれません。大きな時代の変わり目にあって、何を信じればいいのかも判然とせず、右往左往しながら生きているわたし達。けれど、厳寒の季節に名も知れぬひと達がかじかむ手で削った氷は、社会の、個の、苦しみとともに溶けていき、真夏の冷たい水となってわたし達の渇きを癒やしてくれるのではないでしょうか。


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  逆行の水星とコンジャンクトの日蝕図には、社会的な制約との葛藤とストレス、それが生み出す不満や怨嗟、どこで妥協するのか? という問いかけも示されています。また、何としても “ミッション・コンプリート” まで持っていきたいという切望もほの見えます。迷いの多い中でも、あまりに多くを望みすぎなければ、やがてその願いは叶う可能性はありそうです。でも、けっして固執しすぎないこと。手を離れていくように見えるものは自然に任せること。潜在的な可能性のあれこれに振り回されないこと。突然の変化に慌てたり抵抗しないこと。そして、今在る環境に折り合いをつけながら、来たるべき未来を見据え、周囲の冷淡さや熱狂に振り回されず自分を保っていけるか? 強さを持てるか? という挑戦もありそうです。

また、土星・天王星スクエアに絡む小惑星グリーヴ、日蝕にコンジャンクトの逆行の水星、ICにコンジャンクトのエリス、上昇中のフォルスがもたらす苛立ちや迷い、悲哀、突然の混沌がひしめく中で「危機をすり抜ける見えない加護の導き」を感じ取れるか? それがもたらす落ち着きと遠い視線を、日々の生活の中で地道に生かしていけるか? ...宇宙はわたし達にそう問いかけているようにも思えるのです。


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  ところで、この日蝕はサロス・ファミリー147です。前述のバーナデット・ブラディ氏の解説によれば、このファミリーの蝕は『突然のひらめきをもたらす非常に稀なサロス・シリーズ』で、『どこかサイキックで無意識領域を刺激してくるような味わいがある』『非常にクリエイティブで、その根底には直観、ビジョン、予知夢などに関連するエネルギーを秘めている』そうです。うーん..これはちょっと楽しみですね.. 😉 


<6月10日 日蝕のキーワードいくつか>

付かず離れず寄り添うことの機微を理解し応用していく
異質な生活様式を拒否する気持ちと孤立主義的な傾向に注意
新しい土地、新しい環境での生活、新しい糧を求める挑戦
「死語」「長寿作品」「長編作品」がもたらす価値に注目する
明日に向けた共同作業の価値を知り促進していく必要
透明感のあるもの、冷たい肌触り、冷徹な「美」の発見
衣食住など様々な側面に関わる互いの相違の問題に対処する必要
「鉄は熱いうちに打て」という即時性の効用に注目
温故知新、または長い間大事にされてきた文化に着目する
社会的・文化的な違いを一つの大家族という文脈で捉える視点
同じ食べ物、同じ場の共有がもたらす人間関係のぬくもり
「理想」と「日常の糧を得るための実利性」とのバランスを取る必要
何かを伝達する際にスムーズに誤解なく伝わる方法を考慮する必要
ディスプレイやプレゼンテーションがもたらす効果を熟慮する
自分のやり方や観点に固執して足を取られる状況に注意(月蝕から継続)
より深い意味を持つ物事を見過ごし表層のみをなぞる傾向に注意
新たなアイデンティティの探索と冒険への挑戦


  さてと、こんな感じかな。月蝕から日蝕期まで、ざっと要点のみを書くつもりで始めたけれど、やっぱり(というか予想どおり)長くなってしまいました。けれど日蝕が終わり、次の満月(6月25日)になると、問題含みなことも楽しいことも含めてまたちょっと動きのあるテーマが出て来そうです。なので今は、とにかくこのダイナミックな2回の蝕の深淵を、無事に、そして心身ともに意味あるものとして体験出来たら... それは本当に素敵な、かけがえのない経験になるんじゃないかな。

ではみんな、どうか心地良い初夏を過ごせますように!😊🍀
(何か思い付いたらその都度 Twitter や Facebook にポストすると思います)



cheshirecatS
 46億光年の彼方でこちらに向かい笑っているチェシャ猫銀河団


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おまけの記述

土星・天王星ペアのスクエアが関連する体調変化について

(これは以前、土星・天王星オポジションが起きたときに書いたことですが、ウェイニングスクエアでも同様の影響力があるのでもう一度ここに書き添えておきますね)


  今回の蝕の期間に形成される主要なコズミック・シグナル、土星・天王星のペアは、社会的な出来事、個人的な出来事や心理面への影響のほかに、体調にも大きな影響を及ぼします。なのでもし体調に変化があれば、それは何か重要なことを告げているかもしれません。
そこで今回は簡単に、どんな体調変化が起きやすいかをあげてみます。

中には病院へ行って検査を受けても数値に出にくい症状もあります。そんな時、先生には首をかしげられ、周囲のひとからは「神経質」とか「気の病」などと言われてしまうかもしれません。けれど実際は惑星の影響を受けて、本格的な病気になる前に体が溜まった毒素を出したがっている、自己浄化のサインである可能性もあると思われます。そんな時はデトックスをこころがけ、食事や飲み物に気をつけて、十分な休養をとってください。ヒーリングを体験してみるのも良いと思います。とにかく、そのまま突っ走らず、ひとつでも生活習慣を変えてみましょう。
また、COVID-19のワクチン接種時期とも重なるため、心配なひとは一度主治医に相談してみると良いかもしれません。


【最も影響を受けやすいひと】

牡牛座・獅子座・蠍座・水瓶座の中盤付近の生まれ、またはそのあたりに主要な惑星やアングルなどの感受点を持っているひと (その他、各星座宮の中盤あたりの生まれやそこに重要な感受点のあるひと、6室や12室にトランシットの天王星が来ているひとなど)

視床下部・視神経・脳下垂体・松果体に発生するストレス

延髄あたりのコリ。激しい頭痛。眼圧異常や網膜剥離などの眼科異常
頭皮の乾燥。顔の吹き出物。耳の炎症。 その他副腎に関する病気など

内分泌腺・胸腺・免疫システムに発生するストレス

多様な物質や日光などに対する過敏症とアレルギー。異常発汗。
不眠または睡眠過多
その他恒常的水分不足・ビタミンC不足など

骨格系、骨髄に発生するストレス

骨粗鬆症。関節炎。背骨の曲がりによる様々なストレス。虫歯の進行。
免疫システムの異常。甲状腺異常など

カルシウム・マグネシウム・燐の不足 

甲状腺・脳下垂体の異常
鉄分の不足。慢性的だるさ。貧血など

体毒の蓄積を警戒するサイン
周期的疲労感。
肌の乾燥。炎症。湿疹・乾癬。潰瘍・膿瘍。
便秘。腸全般の疾病。
毒素除去への圧力過多→肛門のかゆみ・熱感・痛み・痔など
各種癌の進行にも注意。

天王星による脳神経への影響から、筋肉や皮膚に原因不明のピリピリした痛みを感じる場合もあります。その多くはいわば回路のショートのようなもので、痛みの信号が誤発信されることから起きるとも言われています。これもストレスのシグナルなので、心身ともになるべく休養をこころがけてください。

この他、天王星と土星が通過する「室区分」によって各人各様の症状が出ることもあります。いずれにしても、体に異常を感じたら早めの休息と、必要であれば早期の診断を受けてくださいね。重要な病気診断の場合はセカンド・オピニオンを試すこともお薦めします。

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少し前にツイートしたOOB+α のスケジュールをここにも置いておきますね。OOBの発生率はその年によりかなりの違いがありますが、今年はOOBが頻繁に顕れる当たり年と言っていいかもしれません。


現在水星がOOB(~30日)で逆行のシャドウに入っている
5月24日~6月18日 金星がOOB
5月27日~30日 月がOOB
5月30日朝~水星逆行開始
6月6日〜新月 火星・キラルスと冥王星がオポジション
6月10日新月・日蝕~14日 月がOOB
6月15日土星・天王星スクエアに獅子座の月がTスクエア
6月23日朝 水星順行(双子座16°06’)
6月24日~27日 月がOOB
7月8日〜11日 月がOOB
7月21日〜24日 月がOOB
8月4日〜7日 月がOOB
8月17日〜20日 月がOOB

6月中旬から月末近くまで、太陽が+23°近辺まで北上する。この場合、太陽はOOBの惑星がもたらす「行き過ぎ・やり過ぎ・逸脱傾向」を一般常識の範囲内に翻訳し、角を丸くして表現することが可能になると言われているが、それは個人のネイタルにおいて顕現する可能性であり、社会的な顕れとしてはどう出るかわからない。もしかすると集合体の場合、逆にOOBの惑星が見せる突出した傾向に大衆が引っ張られやすい傾向が見られるのかもしれない。

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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^




hiyoka_blue at 23:35|PermalinkComments(10)

March 12, 2021

🌑3/13日の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

3月13日 17:42 記事の最終部分に加筆しました。
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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで 3月13日19:40前後、北海道周辺で 19:46前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は19:21頃、沖縄周辺では18:52前後に魚座 23°03’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月♓️ 魚座23°~24°― 発効期:3/13~4/11

🌞🌑 “Spiritual phenomena”
   『心霊現象
     ↓ ↓ ↓
🌞🌑 “Tiny inhabited island”
   『人が棲む小さな島』 
 
→★非物質的で純粋な「いのちの力」を生きていくために
   必要な「サイキック・エネルギー」の統御能力
→★人間の深奥にうごめく暴れ馬のような本能を穏やかにてなずけていく必要
→★怖れ、不安、怒り、自己憐憫や哀しみなどの感情を通って訪れる魔に注意
→★夢、イメージ、想像力など元来 “かたち” を持たないものと触れあう際に
   安全弁となる自己抑制と、「物質の壁」を意識する力
→★情熱や陶酔、興奮の中で確実なものに見えた何かが、実際には消えゆく
   定めであることを知っておく必要
→★目の前の状況に対する自分の印象や解釈を常に微調整しながらいく必要
→★無邪気さがハードな現実にぶつかる時に生まれる緊張感に注意
→★多少の逸脱や掟破りも何故か許されてしまう他意のない言動の魅力
→★世捨て人生活や自然回帰への憧れ、若さからくるナイーヴさに注意
→★精神の浄化や掃き清め、または汚れが気になって掃除や整理を始める傾向
→★「現実からかけ離れた世界」に迷いこんだまま日々の生活を送る危険
→★底意のない穏やかさ、こころのこもった優しさの拡がりを味わう
→★小さな白い子羊であり、同時に猛々しいライオンでもある必要
  (その時々によって入れ替わるのではなく、あくまでも同時に在ること)
→★10人集まれば10の宇宙が存在し、それらを貫いて存在するのは
   無垢さのみだが、それは常に留まることなく掴むことも出来ないと知る…→ 
        

★エネルギーのポイント:
前回の新月期『動きながらも全てにフラットであることの奥義』
             
今回の新月期『突き抜けるために飛び込む“自分”というブラックホール』
                               
210313NM


Medusa-Nebula


  今回は久々に、星模様からちょっと見てみようと思います。

  先日のメリマン・コラムでも触れられていた、金星・海王星とコンジャンクトで起きる魚座の新月。強力な多幸症的影響力の下、夢や芸術、ロマン(ロマンス)を楽しむには最高の新月だけど、現実への対応力はいまひとつとされています。別に現実から目を逸らしているわけではないけれど、どこか半透明の膜一枚張ったところに生きているような? 毎日あれこれ忙しくやり取りし、動き回り、考え、喋っているけれど、ほんの少しだけ足の裏が地面から離れているような? 本来は自然の中で、春の兆しを感じながらゆったりするのが一番良いときなのかもしれません。


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  けれど今回の新月が形成するアスペクトを見ると、ちょうど牡羊座23°に在泊中の不和の女神、準惑星エリスとはセミセクスタイル。そしてそのMPにはケンタウルス族のカイロンと小惑星セレスがコンジャンクトしています。

  不和の女神エリスの運行速度は非常に遅く、牡羊座23°台に入ったのは2017年、トランプ前大統領が就任してまもなくの春あたりだったでしょうか。この位置は「全体のバランスを崩すことなどお構いなしに、わかりやすい利益を求めてやまない心理」「持たない者のために持てる者が負うべき責任を追及する」という含みを持つ度数で、B.ボヴィはこれを『“有り余るほどの豊かさ”という想像の産物に付きまとう、耐えられないほどの軽さ』と、ちょっと皮肉っぽく表現していました。


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  このエネルギーは、たとえば政治的な側面では「全てを利権に結び付けて批判する手法」、「ストレートな欲望の暴発がデリケートで複雑な物事を破壊する現象」などに顕れがちです。おそらく、このエリスが23°台を逆行で行きつ戻りつしてきた数年の間に、世界では、長い間社会的なバランス取りと安定を司ってきた伝統の多くが、良くも悪くも破棄されたり壊れていったのではないかと思います。一説にはポストモダン的とも評されるエリスですが、この準惑星もまた時代をゆるがす「グレート・リセット」の陰の原動力として働いてきたのかもしれません。けれどリニューアルの新たな兆しが見えてくるにはもう少しかかるかも? でも、だからこそ。大きな世界の行く末も、個人の人生にとっても、きっと今はとても大切なときなのだと思います。

(これに関連して、冥王星・キラルス・ネッソス・オルクス・ヴェスタで構成されるウォリサム・レクタングルも気になります。おそらくこれは、誰かにまつわる突然のスキャンダルが露呈したり、場合によってはそれに関連して “とばっちり” 的な非難を向けられるひとびとの存在を潜在的に示唆しているのかもしれません。もしそんなことが起きるとすれば、それはカルマの清算でもあり、関係者それぞれにとっては刷新への闘いという意味を持つように感じられます。)

また、MPに位置するカイロンとセレスの度数は、ネガティブに使われる場合「何かが向こうからやって来てくれる、またはもたらされることをただひたすら待つ姿勢」「自分の無力さの代償を他者に求めたい気分」として顕れやすい要注意度数でもあります。もし自分のこころが外界ばかりを見つめているなら、自分をまるで犠牲者のように感じたり、特別な理由もない落ち込み、不明瞭な哀しみや寂しさ、厭世気分として感じられる場合もあるでしょう。また、虚無というよりは何ともいえない「空白感」がこころに生じる場合もあります。まるで自分も世界もただキャッシュで動いているかのように。そしてそれもまた、幻に過ぎないのだとしても。


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  もちろん、ポジティブな顕れ方をすれば同じエネルギーでも「やがて訪れる物事の予兆を感じ取って前向きに基礎固めをしておく姿勢」や「やがて踏み出す冒険のために動じない精神と感性を鍛える期間」へと転換出来るし、それが「他者にも柔らかく優しく接することの出来る余裕」となることも十分あり得ます。カイロンの働きの真髄は「暗闇を見切ることを通して真の癒やしを経験する」こと。いずれにしても、わたし達人間のヤワな心理にとってはつい自分本位の甘えた気持ちに繫がりやすい挑戦的な両極の力であることは事実。

そしてこの位置のセレスは子を想う母であると同時に、いわば都市国家の国母として外敵を打ち砕こうとするような、凄まじい顔も兼ね備えています。現代のフェミニズムが対極である男性嫌悪と区別が付きにくいのは、牡羊座に長く留まるエリスの影響が強いと思われるのですが、ひとくちに女性の幸せや権利といっても実際はひとそれぞれ。この新月期のセレスがそこに何らかのニュアンスを与えるのかもしれません。


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  では、今回の新月でエリスとのMPに位置するセレスとカイロンのコンビは、わたし達に何を語りかけ、どんな癒やしの関門を用意しているのでしょう? 自分にとって大切な何かを護るための闘争的な精神とプライド、そして自我の仮死を経て初めて得られる平安。セレスがプライドを賭けて護りたいと欲するもの、そしてその安寧とは自分自身にとっていったい何なのか? そんなことを考えさせられるような体験をするひとがいるかもしれません。

愛とロマンとアート、そしてフワっとした夢見のムードに彩られるこの新月ですが、ひょっとすると、同時に様々な場で、数多くのダイナミックな物語が演じられるのではないでしょうか? そしてそれを、現実のことというよりも、一種のスクリーンに映るエンターテインメントのように眺めるような感覚も生まれそうに思えます。もしかするとそこには、水音に呼び覚まされる、ことばにならない遠い記憶の断片が映っているのかもしれません...。


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  あともうひとつ、この新月は小惑星ジュノーとヒプノス、ケンタウルス族のアスボルスにTスクエアを形成しています。これがどの程度強く顕れるかは未知数だし、おそらくひとにより様々だと思うけれど、ジュノーとアスボルスの軸が「伝聞による誤解」「相互の誤解に基づく分断」なんて注意点のある度数に位置しているのは気になります。

これは社会的にも志向の面でも、お互いに異なる背景を持つひと同士のコミュニケーションで起こりがち。互いに二つの全く異なる世界に住んでいるかのよう...というより、実際に住んでいるのかもしれません。またヒプノスは夢見心地や睡眠、そして催眠作用を意味しており、半分無意識でいるような状況を誘発しやすいため、記憶違いや物忘れにも関連します。そうでなくても海王星パワーが強いこの新月期。「ついうっかり」が混乱やアクシデントの元にならないよう十分気をつけましょう。

一方、アスボルスは「体の声を聴く力」を意味し、一種の予知能力をも暗示している反面、動き出すのが遅いためにその力を十分発揮出来ないときがあるとも言われています。また、「穢れ」に対して過度に神経質になり過ぎるのもストレスの元になるので注意したいところです。(そういえば、余談になりますが..ヒプノスは同じ小惑星アラクネ、そして冥王星族のオルクスとともに、アルツハイマー病に関連するとも言われていて、セカンダリー・ダイレクションまたはプログレッションにおいて暗示されやすいというデータがあるようです。ただしこれはまだ精査が必要だと思いますが...)


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  ならば、こころをゆったりと保てるように、とにかく十分な睡眠をとる。そして、何かピンときたらそっと気持ちをこめて動いてみる。たとえ外界が冷たくつまらない世界に見えたとしても、何も期待することなく(期待は「嬉しい気持ち」を狭めてしまうから)、ただ微笑んで眺めてみる。そしたら意外と楽しめるかもしれない。

ジュノーは「馴染みのない場でも自分らしくありたい」と望んでる。だから他者の奏でる曲ではなく、自分の体から聞こえる音に合わせて、少しだけ踊ってみる。冬の寒さで縮こまった体を、骨を、今まで使わなかった方向に伸ばしてみる。もしその中で蘇る哀しみに出逢ったとしても、それが澄んだ色をしているなら、そこには無限の価値が秘められているかもしれない。あれ? 見慣れた光景が、少しだけ違うものに見えてくるような... うん、そんな楽しみ方が出来たなら、きっと素敵な新月期になると思うな...。


直近のOOB(アウトオブバウンズ)スケジュール

  3月21日〜24日 (良くも悪くも全方向的に過剰になりやすいので注意) 

 火星 — 3月23日〜5月25日
 (こうと思ったらあれもこれもやろうとする、自分の意志を曲げない…など、
  特に思考の面で火星がオーバードーズ状態になり、そのわりに行動が一貫しない
  といった傾向が出やすいかも。
  特に双子座を運行中は注意力が散漫にならないよう気をつけよう)


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  では、サビアン・シンボルを見てみましょう。さぁ今回はどんなテーマが用意されているのかな?


★3月新月のサビアン・シンボル★


🌚 新月のベース・シンボル:
  魚座23°『心霊現象』


  “心霊現象 "とは、非物理的で非物質的なエネルギーを顕在化させるイメージです。以前はこのシンボルを “心霊術家が起こす現象” と訳していたのですが、それだと何か特殊な能力を持つひとが前面に出て来るイメージなので、変えてみました。原文の “spiritist” はもう今ではほとんど使われないことばのようで、 “spiritualist” のほうが一般的です。そして、どちらかというと「心霊術の専門家」というよりは「心霊術や心霊の働きを信じ、それを重要視するひと」という含みが強いようです。もちろん、中にはいわゆる「心霊術 — 死者と交信する — 能力」を暗示する場合もあると思いますが、このシンボルの本質は、そうした狭義の意味や出来事を超えて、もっと広範囲にわたる意識のシステムに触れているのではないでしょうか。
ここは生と死、非在と実在の狭間を巡ってゆらめく魚座も第3ディーカンに入ったところ。あともう数歩で牡羊座0°〜1°の新生体験を控え、古いものの死を意識する領域に入ろうとするところです。そんな、過去と未来、現実と夢想の間に横たわる半透明の領域に渦巻く不可視のエネルギーは、こうしているたった今もわたし達を取り囲み、様々に働きかけています。それは死者だけでなく生者が放つ「想いの力」かもしれないし、「気」と呼ばれるものかもしれません。そしてその奥には、生死を超えた星々のフォース...。それを、わたし達の意識はどう知覚し、どう扱うのか? このシンボルは、そんな挑戦の訪れを意味しているのだと思います。


phenomenon


  ところで “スピリット/spirit” はラテン語で「呼吸」を意味する “spirare” からきたことばで、それは “アニマの声” つまり「神聖な精神の響き — 音」を象徴するものだったそうです。また “現象/phenomena” は、ギリシャ語の “phainomai” つまり「顕れる」「見せる」ということばに由来していて、「幻覚」や「幻影」を意味する “phantasm” とも類似しています。非物質的な層から自らを顕現させる「霊」あるいは「精霊」または「想い」「念」、「徴」…どう呼んでもかまいません。そしてその「声」や「音」も。

それは通常の肉眼では見ることが出来ず、聴くことも出来ません。それでも、もし無意識の体験も勘定に入れるなら...ふとしたとき、目の端に、耳の奥に、その微かな影や囁きを感じる幻想的な瞬間を経験するひとは意外と多いのではないでしょうか。けれど、その現象を「物」の動きや量として計測することは出来ないし、管理したり統御することも困難です。つまり近頃よく耳にすることば「ハード・エビデンス」とは極北に位置するもの...それがサイキック・エネルギーです。


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  このシンボルは、本来はすべてのひとに備わっているはずの霊的な感受性に対し知識を深めていく必要があることを示唆するとともに、怒りや恨みなど、ネガティブな感情に引きずられて目に見えない「念」や「言霊」を気付かないうちに飛ばしあっている人間の現状に対する注意喚起でもあると思います。

わたし達ごく普通の人間でも、その想いの力は想像を超えて強力なときがあります。リアルであれネット上であれ、わたし達が発したネガティブな「念」やことばが伝播し増幅していく影響力は、関わる全員がなかば無意識であるぶん、始末に負えないときがあります。それは文字からも、画像や映像からもゆらゆらと立ちのぼってきます。「類は友を呼ぶ」的な法則も働いて、重く滞ったサイキック・エネルギーが同類を求めて引き寄せられ、それがまたあちこちに乱反射しながら増幅していきます...。その一端は、ごく普通の日常にもよく見られるのではないでしょうか。


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  わたし自身は霊能者ではないし、その道に詳しいわけでもありません。けれど、自分が生きるリアルの世界(とバーチャル世界)が同時にサイキック空間とも重なっている事実に気付いていることは重要だと思います。今、自分が相対しているもの(それがひとであれ、画面であれ)と自分との、瞬間的な無言のやり取り。それが自分にどんな影響を与えているのか? それを内部からよく観ているだけでも、ネガな影響を防ぐ助けにはなると思います。

また中には「おかしい?」と思ったら本能的にその「何か」をシャットダウン出来るひともいます。でも、色んな理由でそうは出来ないとしても、すくなくとも常にそんな紙一重の世界に自分はいるのだと知っておくことは、健全な思考の磁場を狂わすような念の伝播に無意識に加担しないための条件と言えるかもしれません。それは意志の問題でもあります。

  霊的な現象には本当に様々なものがあります。ときにそれは、とても美しく感動的な体験になるかもしれません。けれど一方では、野放しで荒々しく、飼い慣らすことの出来ない圧倒的な力として介入してくることもあります。そんなとき、ひとは自分でも思いも寄らないことをしてしまうものです。飼い慣らすことの出来ないもの。呼んではならないもの。確かにそれは、存在しています。けれど、それらの危険を識別し、触れることも呼ぶことも支配されることもなく自分自身を生きるためには、まず自分の中に潜む猛々しい感情をよく見ていく必要があるのかもしれません。


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  ではここで、このシンボルを補完する裏の度数を見てみましょう。


裏側のシンボル:乙女座23°

  対向の乙女座23°のシンボルは『動物の調教師』です。古いことばで言えば「猛獣使い」ですね。この “animal trainer” には、そのままでは危険をもたらす野性の本能を飼い慣らし、統御し、管理するというイメージがあります。とするとここに描かれる人物は、動物園の飼育員さんというよりはサーカスで様々な芸を披露する猛獣使いに近いのかもしれません。もう少し穏やかな光景なら、家族として迎え入れた犬達をしつけるドッグトレーナーでしょうか。

調教師は、もともとは野性であった動物達の性質や生態を熟知したうえで、それを操ることにより、人間社会の中で「特定の機能」を果たせるように調整していきます。


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  一方、野生動物は本能を主として生きています。危険を回避し、生きぬいて、子孫を残そうとする本能。そこからそれぞれの習性が生まれ、その習性がまた、生き残るための「掟」となっていきます。その範囲に従って生きることが彼らの安全に繫がり、種としての繁栄にも繋がるのでしょう。だから、わたし達人間の目からはその生がどんなに厳しく残酷なものに映ろうとも、そこには野生としての調和が厳然と存在しているのだと思います。それが彼らの「法」なのだから。

けれど、人類の文明はそんな “野性としての調和” を逸脱するところから始まりました。ただ生きようとする純粋でナマなエネルギーを、その表現を、知性を得ることで飽くことなく拡大してきたわたし達。それに付随して出来うる限りの細部を追求してきたわたし達。...そして社会との関わりや人間関係の中で、自分がどう見られ、どう機能していけるかを個人として捉え、認識し、思考していくまでに、そのエネルギーを昇華してきたと言えるかもしれません。


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  それでもわたし達のこころの地下室には、調整や調和を拒むナマなエネルギーが片時も休むことなく蠢いています。それは普段は社会性という名の封印を貼られて目に見えないけど、実はわたし達があれこれ悩んだり考えたりするとき、そのマインドや感情を突き動かす純粋な内的原動力として働いているのではないでしょうか。その力はわたし達に生きることへの欲望を与えているのかもしれません。けれど、何かの拍子に理性で固めたはずのこころの壁を突き抜け、仄暗い地下世界から生々しいマグマとして噴出してくることがあります。

        飼い慣らされたはずのペットが突然牙を剥いて威嚇してくるとき。競走馬が驚いて騎手を振り落とすとき。大人しかったはずの虎が急に飼育係を襲うとき。わたし達は、いったい何が起きたのか? 何がきちんと躾けられていたはずの動物をいきなり変えてしまったのか? とショックを受けます。もしかしたら、それは根源的な恐怖に結びつく刺激が原因だったかもしれないし、縄張りを侵された怒りやシンプルな性衝動に由来するものだったかもしれません(これらの全ては根源的恐怖に繋がっていそうだけど)。けれどそんな荒ぶるエネルギーが頭をもたげるとき、そこに「力の加減」という概念は存在しません。「やるか やられるか」の世界です。そういえば、咄嗟のときに本能が目覚め、無意識に動いたおかげで九死に一生を得た…なんてことも、だからこそ起きるのかもしれませんね。


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  けれど、こうしたエネルギーがわたし達人間の内部で「服」を着せられているとき。 その力はまず色々な「感情」に翻訳されていきます。そしてわたし達のマインドが持つ様々なクセや習性として形を獲得し、その後に理屈づけられていきます。たとえば... 頭では良くないとわかっていても、どうしてもどうしても抗えない習慣として身に付いてしまったり。小さなプライドを傷つけられた瞬間、まるで自分の全存在が否定されたように感じて理屈ぬきの怒りが暴発したり。あるいは立場や承認を失う恐怖にかられ、安全のために自分にも周囲にも嘘をついてみたり。 で、その原因はたとえば幼いころのこんな体験から来ているのかもしれない…などと探ってみたりするわたし達。わたし達の意識のアミダ籤は、人生を重ねるとともに複雑な立体構造になっていきます。

  世界は広い。でも、本当は「わたし」を構成する世界だってもの凄く広大なのかもしれません。そして、周囲には曖昧な壁を隔てて無限に拡がっているサイキックエネルギーの宇宙。なんて、考えるだけで複雑すぎて、ちょっと目眩がしそうだけど...。


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  馬を調教することを “breaking horse” つまり「馬を壊す」ということばで表現することがあるそうです。けれど、あまりに激しく厳しく躾けようとすれば、きっとその馬のスピリットを壊し、そんなつもりはなくても取り返しのつかない危害を与えてしまうでしょう。B.ボヴィによれば、『厳格でありながらこころのこもった態度を示し続け、同じ生き物としての優しさを介して馬とつき合うことが、怯えた野性の馬とともに生き働くための唯一の方法であることが証明されている』のだとか。そして、そういうひとのことを “horse whisperer” — 「馬に囁くひと」と呼ぶそうです。

  少し前に、わたし達人間は皆、半人半馬のケンタウルス族かもしれないと書きました。わたし達が感じるあらゆる衝動、怒りや哀しみ、尽きることのない苦しみ。それは皆、この世界で必死に生きようともがく半身の馬から来ているのかもしれません。出来ることなら大草原を自由に駆け巡り、勝利の雄叫びをあげたい。でも人間は、それとは異なる新たな道を選んだ。その選択が行き着く先はわからないけれど、とにかくそれを自分の目で、自分の身で、体験するために生まれてきた...。

だからわたし達はそれを — ひとであることと野性の衝動を持つこととを、あるときは厳しく、あるときは優しく、いえもしかしたら同時に。抱き留め、見つめ、ともに生きていく存在なのだと思います。

だからこそ、自分で自分の手綱を引いていく。さまざまな想いのエネルギーに臆することなく、サイキック・エネルギーの波に呑まれることなく。限られた一生の中で、自分の生を見切るために、わたしやあなたはここにやって来たのではないでしょうか?


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  では、そろそろメインのシンボルに行きましょう。

 
🌚 新月のメイン・シンボル:
  魚座24°『人の棲む小さな島』


  『人の棲む小さな島』...それは小さな集落がかいま見える絶海の孤島でしょうか? すくなくとも、海岸沿いの都市部からモーターボートや観光船ですぐに行けるような島とは思えません。ましてこのシンボルが降ろされた1920年代の米国で、あまり世間を知らなかったとされるエルシィ・ウィーラーの脳裡に浮かんだ島は、どこか夢幻的な想像上の島だったかもしれません。

ならばそれは、広大な海に隔てられ、孤立し、独自の文化が育まれた島。いつ何処から渡ってきたのかわからない、少数のひとびとが創り上げた密やかな文明。そこには独特の味わいをもつコミュニティが存在し、独自の「焦点」を持つ内向きの社会が存在しそうです。もちろん、ひとびとが棲んでいる以上はこの世界から完全に切り離されてはいないかもしれません。けれど、どこかしら社会的に孤絶した側面は維持されているのではないでしょうか? 

そうでなければ時を経るとともに、大陸の文明や社会習慣、価値観や風習にあっという間に呑み込まれてしまうかもしれません。そして「便利さ」「速さ」「心地良さ」と引き換えに、その島が長いときをかけて育んできたはずの神話や世界観、大切に護ってきた伝統、何が良いことで何が悪いことか?という善悪の規範さえも、全てが消え去り画一化されていくのではないかと思います。


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  都会暮らしに疲れたひとびとは、ときに絶海の孤島に憧れを抱きます。youtubeにはそんな憧れを実現していろいろな島に渡り、ひととき島の様子を映像にして見せてくれるチャンネルが沢山あります。わたし達はそれを見て、ふと思うかもしれません。「あぁ、いいなぁ...。いっそのこと、何もかも捨ててあんな島でのんびり暮らしてみたらどんなだろう?」

けれど、もし新参者がやって来て、孤島の村落社会の住人になったとしたら? 彼はそこに馴染めるでしょうか? もちろん、島のひとびとは親切に受け入れてくれるかもしれません。住処を与え、食べ物をくれるかもしれません。けれど村落に伝わる独自の掟や暗黙のルールに、彼は耐えられるでしょうか? それとも、その村で自分の力を奮い、自分が良かれと思った方向にひとびとを変えようとするのでしょうか? 他の社会で育まれた理想に基づいて? それは侵略や征服行為とどう違うのでしょう? 

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  そう、おそらくそれは上手くいかないと思います。何故なら、彼はあくまで客人であり、外人であり、他者なのだから。その島に本当に溶け込むためには、自分の過去を本当に捨てて生まれ変わり、その島の精神に自ら溶け込んでいく必要がありそうです。それが本当に出来るひとは、稀有だと思います。

  「島」というのは広大な海に囲まれた小さな陸地です。もしかしたらそれは、サイキック・エネルギーの海に囲まれたわたし達ひとりひとりの内的世界に似ているかもしれません。「わたし」は「わたし」でしかない。とても素朴な、事実。けれど、どんなに小さくても、そこには独自の世界があり、それは底知れぬ深みを持っている。遠くに見える島がどんなに素晴らしく豪華に見えようと、自然に恵まれた花園に見えても。嬉しいときも、辛いときも、還るべきところは「わたし」という島。従うべきは、そこで育まれた、ことばにならない掟。長いときを経て、想いの嵐や内的衝動の噴火を耐えてきた、「わたし」という山、砂、木々、花々。そして、島の木で造られた小さな家。その独自の恵みを大切に護り、研ぎ澄まし、風雪によって刻まれていく美を慈しむこと。わたし達の強さとは、そこから生まれてくるのかもしれません。

  じゃ、対極でこのシンボルを補完する裏の度数を見てみましょう。


裏側のシンボル:乙女座24°

  乙女座24°は『メリーとその白い子羊』です。なんだかとても無邪気で可愛らしいイメージですね。

B.ボヴィはこのシンボルについて、『 メリー(Mary)という名は乙女のままでイエスを懐胎したとされる聖母マリアと同義だ 』と指摘しています。それは無垢さ、純粋さがもたらす鋭敏な感受性、そしてまだ世間の荒波を知らない無邪気さをもって選ばれた者を意味します。ところでこのシンボルは、英国の古い童謡マザーグースの 「メリーさんの羊」 を思い起こさせます。子供のころからリウマチを患っていたためにあまり世の中に出る機会もなかったという透視家エルシィ・ウィーラーの脳裏に浮かんだのも、きっとこの童謡の一節だったかもしれません。 
 

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        この童謡には、少女メリーと彼女がその生まれたてから世話をしてきて大の仲良しになった、真っ白な子羊が出てきます。メリーが何処へいくにもトコトコと後をついてくる子羊。ある日気付くと、とうとう学校にまでついて来てしまいました。生徒達は大喜びで笑いながら一緒に遊びます。でも、それでは授業にならないし、学校のルールに違反しています。だから先生は子羊を追い立て、教室から追い出します。子羊はそれでもメリーの側にいたくて、授業が終わってメリーが出てくるまで教室の近くで忍耐強く待っていました。そこで生徒が目をキラキラさせて訊ねます。「先生先生! どうして子羊はそんなにメリーのことが大好きなの?」すると先生は答えます。「それはね、メリーが子羊を大好きだからだよ」

思わず微笑んでしまうような、シンプルで可愛いストーリー。ここでメリーと子羊は無垢な友情で結ばれています。でも、どんなに純粋で、どんなに楽しくて、どんなに沢山の笑いを運んでこようとも、学校という小さな社会には目的と規範があって、子羊と一緒に授業を受けることは出来ません。みんなに愛される真っ白な子羊は、同時に教室の秩序を乱す存在でもある...この可愛い歌の裏側には、そんな「現実」も見え隠れしています。
 

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  この童謡は実話から創られたのだそうで、この子羊はメリーの家で家畜として飼われていたけれど、母羊に見捨てられたのを彼女が世話してきたのだとか。だから子羊はメリーをお母さんだと思っていたんですね。ここでひとつ前の裏度数、乙女座23°の「動物の調教師」のテーマがオーバーラップしてきます。

メリーさんの子羊は、確かに家畜として「調教された」動物です。でも、彼はムチが怖くて仕方なく彼女についていくわけではありません。ここに描かれているのは、餌をもらえるからとか、生きるためにとか、そんな見返りの条件付けによって矯められた関係ではなく、ことばになる以前にハートで強く繋がってしまうような、無垢な交流なのだと思います。 

  ひとにも動物にも共通して流れる純粋な命のエネルギー。それは、ときに調整や調和を拒み、様々なかたちをとって暴れ出します。けれど、その同じエネルギーが、少しも歪むことなくただ「大好き!」という無邪気さによって表現されるとき、そこには掛け値無しの笑いと幸福感が生まれます。
 

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  子供達の可愛さにも、家族として暮らすペットとの絆にも、それはあります。どんなに忙しくても、やみくもにまとわりついてくる子の可愛さに「勝てないなー」と感じ、ついつい相手をしてしまったり。そんな経験て、きっと多くのひとにあるのではないでしょうか。けれど、メリーさんの羊は彼女が再び出てくるまで、辛抱強くじっと待っていました...。

       たとえどんな大人になろうとも、わたし達ひとりひとりが抱える意識の深海には純粋無垢なエネルギーが今も生きている。そこに還っていくこと。それがこのシンボルのテーマです。そこはもしかしたら、自己保存本能からくる計算や、自己中心的な駆け引きなどの一切がそぎ落とされた場所。一番傷つきやすく、もろい場所かもしれません。その境目は、ともすると外界の影響を受けやすく、容易に異質なエネルギーの侵入を許してしまう可能性もあります。だからここには、にこ毛が生えてプルプルと震えるようなこころ — 生まれたばかりの真っさらなエネルギーを、厳しい現実に向かってどう護り生かしていくのか? という問いかけもあるのだと思います。さらには、その一番透明な部分を護ると同時に、社会の中で目的を果たし、機能していくために、どう自分を “躾け” ていくのか? という大きな命題もまた含まれているのではないでしょうか。


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  また、ここに個人惑星や感受点を持つひとの中には、身の回り(つまり、こころ全体)を護る防御壁がとても薄いひと、またはときに突然薄くなるひとが見受けられます。そんなひとがいるなら、たとえ普段は理詰めで冷静なひとに見えたり、半ばボーッとしたひとのように見える場合でも、それはいわば自我の壁に覆われた表層の姿と言えそうです。何かの拍子に他のひとが発する荒々しい波動を受けて串刺しになり、ひどく血を流すことがあるかもしれません。それはまるで、いたいけな子供が理由もなく急に大声で泣き出して止まらなくなるようです。

そんなとき、傍目には大したことなど何も起きていないように見えることが多いし、本人にも自分の中で何が起きているのか理解出来ないかもしれません。何故、些細なことで自分がそんなにも痛い思いをするのか? 何故あらゆる哀しみが突然体の中で爆発するのか? もしそんな経験があるなら、それを大切にしてください。それは「弱さ」とは異なります。もちろんこれは、もしかしたら、遠い過去(生)の傷にふいに触れるような経験だったのかもしれません。けれどもっと突き詰めていくと、結局は “自分自身の痛さや哀しさ” ではないというケースも多く見られます。

魚座・乙女座軸のこのあたりには、人間全体(わたし、あなた、わたし達)の「どうしようもなさ」を瞬間的に全身で受け止めてしまう可能性が潜んでいるようです。あなたが大人でも子供でも、男性でも女性でも、どんなひとであっても。

人間は自ら創った囲いの中で、ときに奥底に蠢く荒々しさを放たざるを得ないときがあります。そんな波動を、一番無垢な部分に受けること、沈黙のうちに鎮魂していくことが出来るひとが存在するとしたら、それは生きとし生けるものの痛みを理解し、耐えていけるひとではないでしょうか。おそらく原因を理性であれこれ探り、後付けの理屈をつけて自分を納得させようとしても不可能だし、その必要もありません。たとえ誰にも理解されることがなかったとしても、ときに前触れもなく経験する強烈な嵐はあなたをとても深く、強靱な存在にしていくでしょう。


  自らの弱さを知らなければ、強くなることも出来ない。自らの愚かさを知らなければ、賢くふるまうこともきっと出来ない。

「わたし」という島を護り、独自の花として。木々として。存在として。白い子羊が宿る、小さくて広大な宇宙として。無限の意識の奔流の中で、ひとり、優しく在りたいと思います。



Crab-Nebula



have a great trek!!!★


hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 21:16|PermalinkComments(0)

February 11, 2021

🌑2/12日の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで 2月12日04:23前後、北海道周辺で 04:30前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は04:04頃、沖縄周辺では03:35前後に水瓶座 23°16’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
シンボル解説の「ベース」と「メイン」の区別についてはこちらをご参照ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月水瓶座23°~24°― 発効期:2/12~3/12 】

🌞🌑 “A big bear sitting and waving all its paws”
   『腰を下ろして両手足を盛んに振る大きな熊』
     ↓ ↓ ↓
🌞🌑 “A man turning his back on his passions and teaching from experience”
   『自身の情熱に背を向け経験を通じて指導する男』 

 
【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※新月から満月を経てピークとなり次の新月まで共振しつづけるキーワードを抽出しています。
※シンボルはおおくのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

→★現在進行形の“常識”や“慣習”に囚われず自分自身に忠実であることへの試練
→★時流に乗り大衆を味方に付けているという驕りの浅薄さを見る
→★「流されること」と「波に乗り続けること」の違いをわきまえる必要
→★「場違いな存在」であり続けながら自信を失わないことへの訓練
→★「自分(達)だけが気付いている」という観念を払拭する必要
→★自分、または他者にとっての「癒やしに至るための危機」と
   「死に至らしめる毒」の違いに気付いている必要
→★未成熟で甘えた幻想と成熟した冷静な視点の違いに注意
→★あまりに過大な期待を抱く傾向、または前進するために必要な
   希望や期待を抱くことさえ怖れる傾向に注意
→★意図的・意識的で規律正しい追求によって得られる内的宇宙の覚醒と陶酔
→★思い込みによる万能感に煽られて一時的なスリルを追う危険に注意
→★ナマの欲望のほとばしりを盲目的に満たすのか、その欲望の力を
   特定の目的のために方向付けして使うかというテスト
→★「生きようとする力」の手綱を常にその手に握り滋養を与える必要
→★砕け散る波頭の頂点に在り続けることの困難さと挑戦
→★一方向に向かって過剰になりがちなエネルギーに正しい道をつける…→         


★エネルギーのポイント:

前回の新月『勇みつつも潜み、護り、熟考する』
          ↓ ↓ ↓
今回の新月『動きながらも全てにフラットであることの奥義』
                               
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  絶賛水星逆行中の今、世界では事故や地震、革命や洪水のニュースが流れ、またあちらこちらでコミュニケーションが齟齬 をきたし、見解の食い違いや文脈の取り違え(あるいは意図的な誤解)― が増幅して怒りや不安が高まっているように見えます。おそらくメディアやネットが大いなる増幅装置として働いていると思うけれど、それらも皆、わたし達人間が求めて創造したものです。

長く続くコロナ禍の下で、この1年わたし達の生活も大きく変わってきました。政治、社会、経済を見ても、ひとはそれぞれに独自の観点から今 何かがおかしい、何かがヘンだと感じているかもしれません。でも、これまでのようにシンプルな正義や悪という概念はすでに崩壊しつつあるし、「幸せ」という概念も多様化し、あるいは断片化しているように見えます。そして「世界はひとつ」という概念も。


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  そういえば「断片化」それも「自己のアイデンティティの断片化と再構築の苦悶」といえば、準惑星エリスの領分でしたね。エリスがもたらす「不和」は、「すでにそこに存在していた不和を炙り出す」というもの。そんな形を通して新しい自己を確認しようとするエネルギーとも言えます。確かにエリスは去年までずっと、冥王星をはじめとするカプリコーン・ステリウムとスクエアを形成してきました。

前回このアスペクトが起きたのは、ニアミス期を入れると日本では明治〜大正への変わり目となる1906年〜1912年のこと。その間に起きたのは日露講和条約、大逆事件、韓国併合。そしてニアミスを終えてまもなく日本はドイツに宣戦布告、第一次世界大戦勃発。国の内外ともに、大きな変わり目の時期でした。もし人類がこれから歴史的に未知の領域へと踏み込んでいくのなら、目に映り耳に聞こえる日常の世界と「進行していく現実」はある一定期間、乖離していくでしょう。それは、後になってふり返れば「小さな狂気」の蔓延だったとも感じられるかもしれません。


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  そんな大きな流れの一コマにあって。それでも、頑張ってる。踏ん張ってる。とはいうものの、やっぱり疲れたなぁ...なんてふと感じるひと、多いんじゃないかな..。去年の暮れに水瓶座の入り口で木星・土星コンジャンクションが起きて以来、わたし達を乗せた大地のギアはもう一段加速モードに入りました。このトンネルを抜けるのはいつだろう? 本格的な春が来たら、もう少し先がよく見えるようになるだろうか? だとしても、おそらく元に戻ることはないでしょう。気付く、気付かないは別として、もうわたし達の感覚は変化しつつあります。いつものようでいて、そうじゃない。繰り返しているようでいて、新しい。少し前と違っている自分に気付いているひと、いるかな?

  立ち尽くしている状態から進もうとするとき。足を一歩前へ踏み出すとき。わたし達は瞬間的にバランスを崩します。それが「動く」ということ。「飛ぶ」ということ。平衡が崩れるから悪いんじゃない。不安定が怖いのでもない。ただ問題は、自分がどこへ向かうのか。それを知っておくこと。知ろうとし続けること。


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  前回の新月でわたし達は、闘争に明け暮れる世界から一歩身を引いて静けさの中に在ることの意味を問われました。(そういえば、前回のベース・シンボル解説の中で、闘争の「苦痛」「苦悩」「苦悶」を表す単語「agony」が古代ギリシャの「Agon」から来ていて、公共の祭りで行われる競技やゲームを指していること。そこには戦車競争や競馬、その他の多様な陸上競技ばかりでなく、詩や音楽、文芸作品(ことば)の優劣を争う “競技” も含まれており、現代オリンピック大会の由来にもなっている...という一節があったの、覚えてるひといるかな? 今の森元首相に関わる “舌禍” とされる事件とその波紋や世界中の過剰反応を見ていると、水星逆行とあいまって本当に誰もが「agony」の中に在るような気がします。おそらく巷ではあらゆるところでミニ舌禍炎上事件が起きているのではないでしょうか。)


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  さてと。今回の新月はどうかな? なんとなく宇宙的には引き締めにかかっている気もするけれど..。

では早速サビアン・シンボルを見てみましょう。


★2月新月のサビアン・シンボル★


🌞🌑 新月のベース・シンボル:
   水瓶座23°『腰を下ろして両手足を盛んに振る大きな熊』



 これは、大きくてとても強い力を持つ動物の象徴でもある熊が地面に腰をおろし、そのパワフルな四肢を振っている光景です。一方「bear」ということばには、重い荷物を運んだり、重大な責任を負う...という意味もあります。


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  このシンボル、見方によっては滑稽にも思えるけれど、それはわたし達が抱く印象のどこかに「ぬいぐるみのクマさん」やアニメのキャラクター的なイメージがあるからかもしれません。さて、この大熊はいったい何をしてるんだろう? もしかしたらサーカスの演し物か何かかな? いきなり出くわしたら恐ろしい熊も、今は観客に向かって懸命に...でもちょっぴり不器用に手足を振り、しきりに愛嬌を振りまいています。いえ、彼自身は別に愛嬌を振りまいているつもりなんかないかもしれません。ただ厳しい訓練に耐え、連れてこられた世界で生きるために、自分に課された役割と責任を果たしているだけなのかもしれません。

遠目から見れば愛嬌ある姿に見えても、彼の力は強大です。気軽に撫でたり握手するなんてことは出来ません。たとえ大熊が穏和な性質で、悪気もなければ傷つけようとする気など一切なかったとしても、わたし達のほうが彼を人間と同じように考えて扱えばどうなるでしょう? 彼は怖れ、警戒し、怒るかもしれません。その結果として放たれた防御の一打を受ければ大怪我では済まないでしょう。そして結局は熊の生命を奪うことにも繫がりかねません。


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  このシンボルは、訓練によって自分自身を制御する力、「湧き起こる衝動的な反応に負けない精神の力」を身に付けることを示唆しています。けれどそれと同時に、自分と相手の違いをよく見極め、「安全」と「危険」、「好意」と「押し付け」、「誤った期待」と「現実の理」の間に立ちはだかる垣根にデリケートな注意を払いながら共存を図ることをも示唆しています。

大きな熊。その野性の手脚は太く力に満ちあふれ、美しくもあります。けれど彼はテディベアじゃない。自分を護ってくれる屈強なナイトでもない。別世界に生きるべく生まれた命です。本来、彼には彼の生きる世界があり、わたし達にもまたそれぞれの世界 — ホームがあります。ひとであれ獣であれ、たとえどんなに厳しくても自分の世界に生きているときが実は一番安全であり、美しいのかもしれません。

座り込んで手足を振る熊さん。彼に「ことば」はありません。わたし達が彼の棲む宇宙を理解し、本当に共存出来る領域はあるでしょうか? もしかして、自分自身の内なるいのちの原点の中に...わたし達自身の「獣性」を見出し、そのまま受け入れ包含し得たなら? 大きな熊はわたし達の内側にも居る。そして時折手足をバタつかせ、何かを訴えたりする。その危うさと、滑稽さ。内なる眼でそれを感じ取ったとき、わたし達はその熊さんを、そっと抱き留めることが出来るでしょうか?


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  内なる大熊も、外界のいかつい熊も、誤った期待感や勝手な思い込みで扱おうとすれば、致命傷になりかねないポテンシャルを持っています。 そういえば、金融市場でも「ベア・マーケット」といえば「弱気相場」を意味しますね。これは『熊を捕らえる前に熊の皮を売るな』という、甘い見通しや安易な相場観を戒める格言から来ていると聞きました。相場が下がると見込んで高くなったところを空売りする...まだ熊は山から下りてこないけど、そろそろ頃合いだろうと思い、とりあえず架空の皮を売ってしまう。ピタリと当たれば大儲け。でもうかつな空売りは大怪我のもとです。それでも、相場を張るひとにとってそれは、一種の醍醐味かもしれません。そしてこれもまた、危険と安全の境界線をよく見極めたうえで慎重にプランを練る必要があります。集合心理がうごめき、価値と価値とが闘争する市場は世の中の縮図みたいなもの。そこで必要とされるのは、自分自身と現実をありのままに視る力、そして自己制御。制御しがたい世界を渡っていくための、それは唯一の力なのかもしれません。

「To bear」とは重い荷物を運ぶこと、重大な責任を負うこと。何に対して? 何よりも、自分自身と、その決断と行為に対して...。

  では対向の補完度数も見てみましょう。


裏側のシンボル:獅子座23°
  
  獅子座23°のシンボルは『裸馬に乗る人』です。裸馬は野性の荒々しいエネルギーの象徴です。馬がまだ馴れないうちは、乗り手と馬の間でクッション役を果たす鞍を装着することなど出来ません。この馬はまだ野性の一群から捕獲されたばかりなのでしょうか? でも、乗り手は本能のままに荒ぶる馬を巧みに抑え、思い通りに走らせることが出来るようです。 「馬を乗りこなす」ことは「自分自身に備わった荒々しいパワーを統制する」こと。きっと裸馬の乗り手は、荒ぶる馬と自分とを隔てる鞍 — あるいは “隠蔽の障壁” を置かず、野性の荒々しさを受け入れて一体化することによって、それを自分のコントロール下に置くことが出来るのかもしれません。それは人間の「精神」と「本能」の闘いでもあります。


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  またこのシンボルのイメージは、半人半馬のケンタウルス族を想起させるものがあります。で、ケンタウルス族の惑星といえば、まずはカイロンでしょうか。そしてフォルス、アスボルス、ネッソス、キラルス、エケクルス...などなど。天上には現在までに発見され名付けられている半人半馬達が数多く存在します。けれどその中で、崇高な精神と荒々しい武闘派的な衝動とを完全に統合することが出来た存在は、ヘラクレスやアスクレピオスなどギリシャ神話に出て来る英雄達の師でもあったカイロンのみとされています(元々彼は他のケンタウルス族とは異なる出自を持つ、半神半馬と言える存在ではあるのですが..)。

その他のケンタウルス達は、温厚だったとされるフォルスでさえ、ふとした好奇心に負けてうかつな行動をとった挙げ句にあっけない死を迎えるし、他のほとんどが激昂した末に激しい戦いや復讐の刃に倒れ、凄惨な死を遂げています(例外は一番の美しさを誇ったキラルスでしょうか。彼は戦いに加わるために恋人とともに森へ入ったところ、突然どこからともなく飛んできた毒矢に貫かれ、理由もわからないまま命を落とします)。


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  ケンタウルス族の惑星達は皆「<象徴的な死>を経た末の癒しと解放」というテーマを持っています。死を迎えるまでのいきさつも死に方もそれぞれだけれど、彼らのほとんどは死を通して解放されるまで、怒り、恨み、裏切り、復讐、性的欲望や欲しいものを取らずにいられない欲動など、どちらかというと下半身的な生命力のほとばしりに殉じて生きた存在でした。その豪快な躍動感は裸馬の持つ荒々しいエネルギーそのものです。けれど同時に半分は人間でもあった彼らの生は、たとえ一時的な勝利の高揚感に胸躍ることがあったとしても、実は恒常的に抱える大きな痛みと哀しみを伴うものだったかもしれません。

  ちょっと横道に逸れてしまいますが...折角なので、ケンタウルス族について以前書いたことをもう一度、ここに提示しおきますね。

〜〜〜〜〜

  ネイタルチャートでケンタウルス族が位置する領域は、そのひとが抱える「暴れ馬」、奥深い「傷」を意味します。何かのきっかけでその傷が疼くとき、わたし達の中の裸馬もまた蘇ります。何か強い感情的な刺激を受けたとき。湧き起こる衝動に抗えず、傍目からは自暴自棄としか思えない行動を取るとき。あるいは、思わずひどいことを口走ってしまうようなとき。ただ暴れたくなるとき。その傷口は開き、深い開口部からは鮮血とともに自分でも驚くほど生々しい粗野な力が湧き起こります。

わたし達は文明社会に生き、日頃はいちおう良識的とされる生活を送っているけれど、実は一皮剥けば、みんな半人半馬のケンタウルスかもしれません。たとえ表面的には優雅にふるまえたとしても、その裏では縄張り争いが続いているし、支配と被支配をかけた闘争も後を絶ちません。それは広く世間一般に見られるだけでなく、身近な家族間や愛する者同士にも見られるナマの姿です。そこに愛が絡み、情がからみ、やがては憎しみが生じ、自縄自縛となったわたし達は、身動きが取れなくなります。そして、喪って初めて..その手に在ったもののかけがえのなさを知るのかもしれません。 

結局のところ、他の存在 — 動物や植物の命によって贖われ、支えられているわたし達の生命。それもまたこの世界が辿ってきたひとつの営み。わたし達の中には、理性や善に向かおうとするこころだけでなく、必ず動物としての苛酷な本能が潜んでいます。それを、善・悪という二元性で割り切れるものでしょうか? 肯定と否定、生に向かうこころと死に向かうこころの全てがわたし達であり、人間として今、ここを生きるということではないでしょうか?

〜〜〜〜〜

  「鞍=Saddle」。これは鶏やアヒルなど家禽類の腰背部の形を示すことばでもあります。普段は馬の背にやわらかな羽毛のクッションを取り付けて、しずしずと馬を進めるわたし達。中には白馬の騎士然としたひともいます。わたし達の本能なんて、すでに理性によって飼い慣らされたアヒルのようなもの。けれどふと気が付けば、世界の至るところに攻撃的なエネルギーが溢れています。

ゲームやスポーツで「健全」に昇華することの出来ない、何か永遠に蠢くものの存在。それはわたし達人間の中に、確かに存在します。たとえそれがあからさまな肉体的暴力の形を取っていないとしても...。ネットが当たり前の時代となり、上下左右もなく均一に繋がることが可能となった今は、自覚のない心理的な暴力が増幅していく光景を至るところで観察することが出来ます。それらをありのままに見るとき、そこにはシンプルな野性動物の世界よりずっと厄介で、一度たりとも癒やされることのなかった一種の “ねじれ” が生じ、はびこりつつあるのではないか?とも思えます。


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  でも... もしもわたし達が裸馬の乗り手なら? それが出来るとすれば、それは「鞍」というクッションを通さずに、自分の中に潜む矯められることのない荒々しさと向き合うことから始まるのかもしれません。上半身と下半身の中間 ― 裸馬との接点 ― に持てる力を込め、意識を持って一体化し、自我を超える力で全てを呑み干す。自分が負った傷のすべてをみとめ、それでもなお生きて前に進む。 語られる術を持たなかった、それぞれの「何か」を透明な暗闇に解き放つ。ただ、無を怖れずに漆黒の記憶へと旅してみる。それには孤独な作業を必要とします。何故なら、その旅には先達や導き手など何処にも居ないのだから。

一人の人間の中には、おそらく何層にも分かれた無数の多様性が存在するのかもしれません。その全てを見切るなんてことは、今のわたし達には不可能に思えます。それでも。自我の奥に潜む広大な存在の闇に意識を向けることも無いまま、真の多様性を理解することは可能でしょうか? それをこの世界に実現することは出来るでしょうか? わたし達はこの人生で「美女」と「野獣」を統合し、いつの日か新しい人間の “カタチ” を創り上げることが出来るのでしょうか? 今、科学の世界ではその可能性を前提としているようだけれど? 

…でも獣性と人間性を統合することの出来る裸馬の乗り手って、いったいどんな存在だろう? その可能性はわたし達の中に在るだろうか。もしかして...それが霊性と言われるもの? でもその主体って、誰? それは、本当に「わたし」だろうか? いえ、それとも... ? 


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  おっと! ベース・シンボルの記述が長くなりすぎちゃいました。ではメインのシンボルに行きましょう。


🌞🌑 新月のメイン・シンボル:
   水瓶座24°『情熱に背を向け経験から教える男』


  『情熱に背を向け経験から教える男』。彼はその内部に圧倒的で激しく躍動する感情の嵐を抱えています。けれど彼は、それに対し自分の立ち位置をしっかり定め、傲然と内なる嵐に抗って立っています。「教える」ということは、誰かを指導する役割を担っているのでしょうか? 


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  「経験から教える」ということ。それは単に自分の思い込みから、ある事実を「こうに違いない」と考え、それを伝えるような行為ではないはずです。何故なら彼は、教えようとする事柄については過去すでに原因を作り、その結果を受け止めたうえで、味わい尽くしているからです。ある経験を味わい尽くすという行為は、実はそう簡単ではありません。たぶん、とことんやって、それでもまだ足りずに一線を超えてみて、初めて理解出来るようなことなのかもしれません。その一線がどこに有るかは、ひとにより異なります。そして、たとえ全てを味わい尽くしていたとしても、その経験が彼にとって重ければ重いほど、過去の記憶にまつわる感情はいまだに強力なエネルギーを放ち、事あるごとに彼を苛むのかもしれません。けれど、そんなナマの感情のうねりに打ち勝ってこそ、様々な体験を智恵の高みにまで昇華させることが出来るのかもしれません。

  今、彼は情熱に背を向けています。こころは静かに凪いでいます。「背中」とは背骨によって支えられる体の一部。背を “向ける”(“turn” his back)とは、「拒絶」を暗示しているだけでなく、ヨガのような類い稀な柔軟性を得る修行をも暗示している...B.ボヴィはそう指摘していました。


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  情熱。それは人間が生きていく経験の中で、逆巻く波に巻き込まれた木の葉のようにわたし達を翻弄し得る、過剰な力を持つ感情のエネルギー。ポジティブにもネガティブにも働きかけ、わたし達を様々な岐路へと誘い込みます。それは歓びかもしれない。怖れかもしれない。許すことの出来ない怒りかもしれない。報われなかった過去の恨みや哀しみ、あるいは劣等感や優越感かもしれない。あらゆる記憶は感情をともないます。そして、そのときどきに味わい尽くし昇華されることのなかった感情は封印され、人知れず醸成され続け、そして何かのきっかけで勢いよく噴出してきます。

  ならばそれに背を向けて「経験から教える」とは、多くの体験を通して見てきたこと、深く感じ、その都度理解してきたことの中から真の智恵を導き出し、それを伝えることかもしれません。その理解は自分だけでなく、相手にとっても同じように役立つことなのか? それともまた異なる解が存在するのか? そんな可能性についても、思考し得る余地を持つこと。もし彼が本物の禁欲主義者であるなら、強い感情や欲望がもたらすこころの荒廃を拒絶して、それを自然で純粋なエネルギーに還元する術を知っているのかもしれません。うーん、ここは風性で情緒より思考や理念に傾くとされる水瓶座。その第3ディーカンに至って、やっと激しい感情のうねりに拮抗する力が出て来るのでしょうか? 人間って、やっぱり厄介な生きものかもしれませんね..。


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  じゃ、こちらも補完度数のシンボルを見てみましょう。


裏側のシンボル:獅子座24°

  さて、この度数に出て来るのは『身なりを構わずボサボサ髪をした男』。その姿はどちらかというと華やかで目立ちたがりという印象のある獅子座のシンボルとしては異質な感じもします(ある意味ではかなり目立つ存在かもしれませんが...)。でも、彼はもしかしたら...とても深い意味で、究極の獅子座なのかも?

表層だけを見るなら、誰が見ても彼はただみすぼらしく無秩序で不潔な人間として映るでしょう。けれどもっと深いところには何か別の姿が隠されているようです。身なりを構わないということ。それはTPOなんていう社会的慣習に無頓着なこと。その種のことの一切から「外れた人間」であること。そしてそのことを気にも留めない存在。おそらくそのせいで迫害されたとしても、彼は淡々と受け止め、燃える火を胸に抱いたまま、風のようにその場を去っていくのかもしれません(火性の獅子座から風性の水瓶座への流れ)。


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  「Untidy」ということばは「何かの規範にそって整理や整頓されていないこと」。「Tidy」は「潮汐/Tide」から来たことばで、潮の満ち干とそれが持つ周期的な水面の上下動のことです。そして、そこには「時間の流れ」が存在します。また「Unkempt」は磨かれていないこと、洗練されていないことを意味し、「Kempt」は櫛の歯、そしてニワトリなど家禽類の頭頂部にあるトサカ、または「波がその頂点に達して崩れ落ちる様子」に関連することばです。

  たとえば、その時々に相応しい服装やヘアスタイル...その社会で一般に受け入れられている “外見上の慣習” の中にあって、場違いでひどく悪目立ちする男の姿を見かけるとします。見た目に関わる社会的な慣習とは、その集合体が持つ無言の合意であり、多くの場合、未来永劫の真実ではなくその時々のコンセンサス — または比較的長期の流行に過ぎません。慣習に背を向けること。それはことばを換えれば「今、優勢な潮流や社会の圧力に流されない、巻き込まれない」こと、自分のアイデンティティを支える柱を自分の内界のみに見出すこと意味しています。


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  B.ボヴィはこのシンボルについて『世捨て人となったヨガの行者は自己を含めて誰の感情をも反映することがない。彼は外界の優勢な勢いに寄りかかって軽薄な欲望を満たそうとする集合的な混乱に身を投じたりはしない。彼は、自分という船の主が自分であることを知り、それを “情熱的に” 追求している存在だからだ』と語っていました。

  少し前に書いたように、今、ケンタウルス族のフォルスは山羊座の5°台を進行中で、牡羊座6°台のカイロンにスクエアを形成し、刺激しあっています。フォルスの象意は「蓄積したエネルギーの突然の噴出」、カイロンの主な象意は「遠い過去から木霊する深いこころの傷」。このエネルギーは政変から地殻変動、そしてひとびとの感情の爆発まで、深みに溜められたあらゆるエネルギーの暴発に関連するとされています。なのでこうした情動は今、世界中至るところで観察することが出来ます。しかも現在は水星逆行下。そして不和の種を探し当てては掘り起こす準惑星エリスは、いまだに山羊座の冥王星とはスクエア状態にあり、その冥王星には小惑星ニッポニア(日本の状況にピンポイントで関わることが多い)とイカルス(あらゆる面での軽率な行動)がコンジャンクトしています。こうした勢いに踊らされて自分自身を吹き飛ばさないよう、言動にはどうか注意深くあってください。


  さて、今回も大分長くなりました。前回の新月から歩を進めたわたし達は、ここでそれぞれの道に即した形で星々からの挑戦を受けるのかもしれません。それは、多くのひとびとに囲まれながらもただ独り、平和の内に在ることが出来るか? という挑戦なのだと思います。…なんて言うと、ここまで来て水瓶座の新月にしてはちょっとヘビーだな..と感じるひとがいるかも。

でも、こころの旅に近道なんてないから、ひとつ、ひとつ。小さな山を越えるたびに、サッと風が吹き抜ける。そして徐々に軽くなっていくのもまた、風性星座宮水瓶座のルネーションです。お仕着せの「We Are The World」ではなく、ひとりよがりな「I Am The World」でもなく。世界は生きとし生けるものすべてに浸透してる。ただ、それでいい。

そしてもし本当に救いが必要なら、それは自分の中に在る。それを見つけることが出来たとき、救いの手は外の世界に具体的な形をとって顕れるのかもしれない。ただ、今まで知らなかった透明な情熱を見出すことが出来たなら...。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 21:30|PermalinkComments(0)

January 13, 2021

🌑1/13日の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  1月13日14:21前後、北海道周辺で 14:27前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は14:02頃、沖縄周辺では13:50前後に山羊座 23°13’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています


【太陽・月♑️ 山羊座23°~24°― 発効期:1/13~2/11 】

🌞🌑 “Two awards for bravery in war”
   『戦場での武勇を称える2つの賞』
     ↓ ↓ ↓
🌞🌑 “A woman entering a convent”
   『修道院に入る女』

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※新月から満月を経てピークとなり次の新月まで共振しつづけるキーワードを抽出しています。
※シンボルはおおくのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

→★自己犠牲と自己利益のいずれにも付いて回る苦闘への覚悟
→★他者の心をもてあそぶために知らん顔をしたり冷酷にふるまう傾向
→★与えられたチャンスや好意が自分の払った犠牲への報酬なのか、
   それとも他意のある策略かを見極めていく必要
→★あら探し、難クセ、重箱の隅を突いて責めるような行為が
   双方に “肉体への暴力” と同じ結果を生み出すことに注意
→★危ういバランスの上に生まれる利益と損失をしっかり精査する必要
→★激しい感情の起伏を自分なりの「美」の創造へと昇華していく力
→★想像力の欠如、自分の知識が全てだという傲慢さを利用される危険
→★公衆が感知出来るレーダーから隠され、人知れず努力してきた
    個々の人々の偉大さを、称賛とともに見つめる眼の存在
  (目に見えないところで働いてくれている助け手、または秘密裡に動く
    悪意の存在に注意)
→★三すくみの状況で社会生活や家庭の問題について重要な選択を迫られる
→★たとえ「神の愛」でさえこの世では社会的な関係性が侵入することを知る
→★一番大事な物事を護るために何かを隠す、または立ち去る
   あるいは現実逃避や物事の先送り、臭いものに蓋をする状況
→★様々な現実を前に自分の見通しや立ち位置の再調整のために一時撤退する
→★大きな選択を前にして立ち帰るべきひとりのスペースを維持・確保する
→★火のような不屈さの芽生えとともに新たな可能性を探っていく…→ 
        

★エネルギーのポイント:

前回の新月『納め、踏みだし、踏み込む』
           ↓
今回の新月『勇みつつも潜み、護り、熟考する』

                               
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  厳しい寒波と増加するコロナ禍の影響下、先週の議会騒乱事件を追って米国ではTwitter、FaceBook、Instagramなど、様々なプラットフォームがジャーナリストを含む保守派やトランプ支持者、Walk AwayメンバーをBANし始め、FOXニュースなどの右派と目されるTV番組のスポンサーにも圧力がかかるなど検閲の嵐が吹き荒れる一方で中国経済も何だか不穏な匂い、落ち着かない世相の中で2021年最初の新月が起きます。

何が本当で何が嘘か? それが見えないまま、あらゆるひとびとがあらゆることを発信する今の世界。新しい世界への扉を恐る恐る開けてみたら、そこは冷たく凍って寒風吹く氷の世界が拡がってる? まぁ確かにメリマンさん曰く「今年最強のジオコズミック時間帯」ではあるし。でも、とにかくわたし達は一歩踏み出しました。それぞれの問題を抱えながらも、それでも自分なりの希望や願いを胸にして。そんなわたし達に、この新月はどんなテーマを告げているでしょう? 山羊座も第3ディーカンに入り、かなり社会的、かつちょっと高度で複雑な含みがあるように思えます。

では、早速サビアン・シンボルを見てみましょう。


★1月新月のサビアン・シンボル★

🌚 新月のベース・シンボル:
  山羊座23°『戦場での武勇を称える2つの賞』


  今回のベース・シンボルは 山羊座23°『戦場での武勇を称える2つの賞』。ここには戦場で示された勇気ある行動に対して与える名誉、勲章や褒賞、あるいは「高評価のしるし」が描かれています。これはその戦闘に勝ったときはもちろん、結果的に負けたとしても、怖れることなく立派に任務を遂行したという「兵士の理想の姿」を称えるもの。その対象となるのは、危険に直面したときの勇気、最後までやり遂げるという決意、任務を達成するためなら個人の願望や幸福など捨ててかかるという熱誠を持つ者であり、同じ隊や軍団に属する他の兵士達の戦意を鼓舞する存在です。


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  原文の “award” ですが、B.ボヴィはこの単語の含意としてこんな説明をしています。『award とは、様々な種類の競技やコンテストにおいて「然るべきだ」「適切だ」「正当だ」と見なされた行動や努力に対して与えられる承認の証しだ』と。すべてのコンテストは競い合いであり、闘争でもあります。「敵」との闘争、そして「自分自身」という敵との闘争。もちろんスポーツ競技であれば、闘いが終わった後で強敵同士が友情に似た絆で結ばれ、互いに称え合う姿が見られるかもしれません。けれどこのシンボルは本物の戦場のようです...。

激しい闘いの中で、わたし達は様々な感情が突出してくるのを経験します。緊張、怖れ、またはアドレナリン過多による一種の快感...? けれど常に付いて回る感覚は「苦しさ」かもしれません。B.ボヴィは闘いに付いて回る「苦痛」「苦悩」「苦悶」を表す単語「agony」についても言及していました。この単語は古代ギリシャの「Agon」から来ているそうで、公共の祭りで行われる競技やゲームを指しています。そこには戦車競争や競馬、その他の多様な陸上競技ばかりでなく、詩や音楽、文芸作品の優劣を争う “競技” も含まれており、現代オリンピック大会の由来にもなっているのだとか。


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  オリンピック、そこには国家VS国家の栄誉と威信を賭けた闘いの場という側面も強く存在します。またスポンサーとなる企業同士の競い合いという側面もあるでしょう。つまりそれは、闘う選手達の個人的な人生上の達成だけでなく、(目に見えるにしろ見えないにしろ)より大きな組織同士の闘争でもあるんですね。

  ところでこの「Agon」は「Agony」というワードの形成要素です。そしてそれは、様々な悲劇の主題となる「Agony = 苦悩」という概念を、「ドラマ」の基本的なキャラクターである「主人公」と「敵対者」の存在を介して説明するものです。けれど、誰が主人公で誰が敵対者であるかは、ひとそれぞれの見方によって大きく変わってくるのではないでしょうか。

ではここで、いつものように対向の補完度数も見てみましょう。


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★ベース・シンボルの裏側:蟹座23°

  ベースの対向度数、蟹座23°のシンボルは『文芸協会の会合』です。ここには「文学」への共通の情熱と実績を持つひと達が集う光景が描かれています。文学といっても、その幅はとても広いけれど。広範なジャンル(本や文章)の中で、それぞれに持つスタイルや文体、世界観の質を味わい、または評価するもの...とでも言えば良いでしょうか。また、「文芸協会」や「文学会」と言うとき、そこに集まるのは「ことば」や「文字」に生きるひとびと — そのあらゆる形式を受け入れたり、またはそれぞれの専門分野に特化して創造し、研究し、評論する文学者達を連想させます。

わたし自身は文学者でもなければ特別な愛好者でもないので、「文学とは」なんて語ることばは持ち合わせません。けれど日本語で「学」ということばが付くだけで、何か知的で分析的、または深みのありそうな香りが漂ってきます。原語の「literature」もやはり、「特別に優れ、同時に永続的な芸術的価値を持つ言語作品」という意味になるようです。なので、この会合に集うひと達も皆、知的でそれぞれに感覚が研ぎ澄まされているのでしょう。


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  使われることばの美しさ、または新しさ。可笑しみや鋭さ。物語や詩文が他のひとびとを鼓舞したり悲しませたり、癒やしたり、怒りに燃えさせたりする、その力。その力は、はかない人間である作者の存在を超えて永く生き続けます。おそらく文学が持つ力とは、他の評論や解説と異なる力、主に人間の普遍的な感情に強く働きかけることばの集積であり、その巧みな道筋が持つ “フォース” なのかもしれません。

  文芸協会や文学会においても、やはり毎年何らかの「賞」を優秀な会員に贈る例が多く見られます。日本にもジャンルごとに沢山あると思いますが、特に有名なのは「芥川賞」や「直木賞」などでしょうか。わたしには実際の選定の場がどんなふうか想像もつきませんが、たとえ満場一致で決まるのだとしても、おそらくどんな作品のどんな点を真に高く評価するかは...会員である文学者ごとに異なるのではないかと思います。何故なら文学者はそれぞれに個性的な存在のはずだから。けれど「個」ではなく「組織」として誰かを、誰かの作品を「一番」とし、「勝者」とすること。そこには「個」の好みや志向性を超えて、時代を見据える組織としての観点や(もしかしたら)文学世界を牽引するための「政治性」が働く余地さえあるかもしれません。そしてそこにもまたそれぞれの闘いがあり、そして一種の「苦悩」が隠れていそうにも思えます。


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  賞されるべきもの。優れた存在、素晴らしい行為だと認識され、評価されるもの。「形式」の有無に関わらず、そうした賞を通して与えられる「報い=利益」は、それを与える組織や集団全体をも利するという、別の共有利益と表裏一体であり、贈られる者も、贈る者も、その影響力をまぬがれることは出来ません。賞を受けるということ。それは与える者の側に属していることを公に受け入れること。つまりこの「戦場」のシンボルに描かれている「2つの褒賞」とは「両刃の剣」であり、二面のエッジを持っているのではないでしょうか?

  このシンボル軸を見るといつも、以前ネットで観た映画『プライベート・ライアン』が思い起こされます。有名な映画なので知っているひとは多いと思うけれど...覚えている限りで物語を要約すれば、舞台は第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦。待ったなしの凄まじい戦闘の中、主人公達の任務は、故郷で待つ母の元へ送り返すために、たった一人の無名の若い兵士を敵地から救い出すこと。その理由は彼の4人兄弟のうち3人が戦死してしまい、ひとりだけ生き残っているから...というもの。つまり、おそらく米国内向けの政治的な意味 — 戦争の意義や大義名分、米国的な理想を裏打ちする美談の必要性 — を持つ命令で、生死を賭した大任ではあっても通常の戦闘で期待される「勝利の栄光」とは無縁の救援作戦でした。しかも、他の多くの若者達が無数に屍をさらしていく中、将軍や英雄を救い出すのとは異なります。「果たしてこれに意味があるのか?」という問いに、誰も答えることは出来ません。凄惨な戦場と、戦地から遠く離れた国内の「政治」。そしてそれに翻弄されるひとびと。けれど感動の再会もまた、真実。それを囃すだろう多くのひとびとの人生もまた、真実。




  物語はそんな任務を全うし、その途上で命を落としていった兵士達の闘い、恐怖や苦悶、そして無事助けられて母の元へ戻され、今は老境を迎えるに至った兵士の回想を描いています。そこには勝利を目指す闘いのエクスタシーも、公的な華々しさもありませんでした。それは名誉やひとびとの称賛とは無縁のドラマでした。ただ凄惨な戦場の現実と、残った者の記憶に残る果てしない重さがあり、その重さこそが形のない誉れと崇敬の徴のようにも感じられました。そして見終わった後は、個であり集団でもある人間の生と死、それにまつわることばにならない「何か」が印象となって残ったのです。

人間の集合体が創り出す抗いようのない嵐に巻かれながら、それでも「自分」として生き、死ぬということ。一刻一刻の、記憶。これもまた、この世界という戦場での勇敢さに与えられる、形を持たない褒賞なのかもしれません。


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  厳しい星回りの下で、ニュースを見ても、SNSを眺めていても、あちこちで闘いが起きたりことばの競技が繰り広げられているように感じます。勝者は称賛され、敗者は奪われる。わたし達は観衆であり、参加者でもある。そして個であり、集団でもある。全てがエンターテインメントであり、また日々感情を刺激する「文学」であり、承認と自己の価値を確認する生の営みでもある世界。その潮流がまた政治となり、経済にも結びついていく、世界という場。

でも。「わたし」に真の承認と褒賞を与えられるのはいったい誰だろう? 厳しい戦場での勇敢さ。めげずに想いを貫いていく強さ。それを本当に理解し、「よくやった!」と承認することが出来るのは...誰? 


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  それはたぶん、もうひとりの「わたし」しかいない。それが最初。そしてたぶん、最後。そこからすべての根が張り、茎が伸び、花が咲く。それと知りながら、今という幻影を遊ぶ。そしてふと触れてくる透明な風に、癒やされて微笑む。強さはたぶん、ここからしか生まれない。

       じゃ、メインのシンボルはどうかな?


🌚 新月のメイン・シンボル:
  山羊座24°『修道院に入る女』


  このシンボルは、世俗的で粗野な世界に別れを告げ、俗世を遠く離れた世界へと避難することを選んだ女性のイメージです。確かに人間社会はいつだって混乱と葛藤に満ちていますから。

ひとにもよるけれど、人間ってときに世俗的な快楽や達成感を犠牲にして宗教的な献身の道に入り、霊的世界に身を捧げるという選択をすることがあります。特に激しく感情的なプレッシャー、たとえば苦しい恋愛 — 三角関係の葛藤や愛するがゆえの憎しみ — に疲れ果てたときなど、もっと純粋でもっと果てしない永遠に通じる世界に身を投じたいと思うのかもしれません。そして、神に身を捧げるしかないのだと思い至ります。それは第3の道、つまり全ての争いから身を引き、より高い世界、神との合一を目指そうとする道です。


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  一方「修道院」とは、そんな志を同じくするひと達の共同体です。そこは外界から隔離された、静謐の世界。祈りと瞑想に明け暮れ、神なるものとの一体感を目指して日々の暮らしの全てを捧げるための隠れ家。世俗的な刺激や誘惑から覆い隠され、壁に隔てられ護られた世界です。けれど、たとえ霊的な集団であっても、人間が集って創られた組織である以上、そこには現世的な「政治」が紛れ込む隙がないとは言えません。

  厳格なカトリックの修道生活は、究極の神との合一を通して神的意識の深みをその身に刻みつけるもの...とも聞いています。そしてそのためには常に清新であることが要求され、そのまっさらな身を護る必要がある。そのための規則と規範、修練と献身。けれどその戒律が組織としての「システム」でもあるとすれば、生半可な覚悟で入ったひとには現世と変わらぬ苦悩が待っているだけかもしれません。これもまた、山羊座の第3ディーカンが象徴する「両刃の剣」だと言えます。


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  では、これを補完する裏のシンボルは?


メイン・シンボルの裏側:蟹座24°

  蟹座24°のシンボルは『陽が降り注ぐ小さな土地で南を向く1人の女と2人の男』。 どことなく三角関係?を思わせる絵柄ですね。「陽が降り注ぐ小さな土地」 は、何かひとつに集約された事柄 —「限定的な状況」または「紛争」が、そこだけクリアな陽光に照らされて意識の焦点となっている感じでしょうか。ならばこれは、ひとりの女が自分のこころに向かい、どちらが本当に選ぶべき対象かを選択しようとしているところかもしれません。B.ボヴィによれば「南向き」 というのは古来、王の玉座が向く方向であり、神聖な王権を示す原型的な表現なのだそうです。それは「北」に関連付けられている先祖、つまり、代々の支配者達によって導かれた王家のカップルが、その手に持つ笏で神聖な力を示しながら、最も明瞭な光の中で物事を熟考する様子を示唆するものだそうです。


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  ではこの女性は、王権を担う者としての明確な主体性を持ちながら、二人の男性の間でこれからどうすべきかを熟考しているのかもしれません。彼らはそれぞれ顕著に異なる存在です。たとえばアーティストや詩人 VS 戦士、ロマンティスト VS 行動派、知識人 VS 権力や財産を持つ人物とか...。

  南の太陽は、世界の隅々をその光で照らします。人間という存在そのものに潜む、あらゆる問題を照らし出します。そして、わたし達が堂々めぐりの苦悩から一歩踏み出すためには「新たな選択」を行わねばならないという事実に焦点を当て、突き付けてきます。

もしそれが三角関係なら、三すくみになるような複雑な人間関係に終止符を打ち、一番大切な一人の相手を選ぶこともあるでしょう。または自分ひとりが立ち去り、壁の中に隠れることによって、行き詰まりを打破しようとするかもしれません。 逆に、安全そうに見える道 — たとえば仲間内のコンセンサスや自分の立ち位置を気にしつつ、常に自分自身が一種の “バランサー” と化して現状を維持するような生き方を手放すことに不安を感じるなら、そのまま身動きが取れなくなることだってあり得ます。


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  ひとはときに複雑な世界から身を引き、もっともっとシンプルな生き方の中に閉じこもってしまいたいと願います。社会的なプレッシャーに封じ込まれるような生き方から脱し、自分の人生を受け入れるために。見えない壁に守られて、自分自身と向き合うために。もちろん、遠い離れ小島や山の中に逃げ込んでみたものの、結局は生きるための困難な闘いに明け暮れることになるかもしれません。それもまた、シンプルな生き方にともなう苦闘だと言えます。どれを取っても、誰を選んでも、わたし達が人間である以上、それは両刃の剣かもしれない...。

   わたし達の住む社会には、競争や闘争が付きものです。特にこの新月は、相変わらず月のノード軸とTスクエアを形成する海王星(幻惑されないために「行間を読む」必要)の下、冥王星とコンジャンクトし、牡羊座のエリスとはスクエアで起きます。元々水面下に存在した不和の噴出に拍車がかかるかもしれません。

そして牡牛座の天王星と水瓶座の木星、小惑星火神アグニ、土星&水星のスクエアから乙女座の火の巫女ヴェスタへのクァドリフォーム、同じヴェスタとスクエアを形成するケンタウルス族のアスボルス(と月のノースノード)からやはりアグニ、水星、木星へと形成される2番目のクァドリフォームは、新たな状況に向かって自分自身を調整していく上でのストレス、内的な炎の強さを試されるような出来事を示唆しています。


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  また1月14日には天王星が順行に転じ、18日は木星と天王星がスクエア、19日〜21日は火星・天王星が牡牛座6°台でコンジャンクトし(辱めやプライドが傷つくような瞬間にどうふるまうかを試される)、月がそこを通り、木星とスクエアになります(傷ついた名誉に関わる闘争、深い動機の浮上、逃避願望との葛藤など)。27日前後は月のノード軸と海王星が正確なTスクエアとなり、月末近い29日には、木星とコンジャンクトした太陽の対向、獅子座9°台でハイジーア(ヒュゲイア/健康、衛生)とコンジャンクトの満月。これには火星(と天王星)がTスクエアです。そんなわけで、世の中はまだ落ち着きそうにありません。シンボル面でも当面は雪や “冷たい降水” の象徴が含まれている他、天災、事故や人災、テロや暴力などの危険を示す兆候もあることから、しばらくの間、わたし達の環境を取り巻く目に見えないストレスの密度が減じることはなさそうです。

だから、たとえささやかでもホッとするひととき、温かなふれあいを得られるなら。または自分の中に深い嬉しさを感じられたなら、それはたぶん思っている以上に幸せなこと。かけがえのないこと。


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  けれど今、こんなにも厳しい星回りのときに。目の前の問題が人間関係であれ、仕事やお金、健康状態、あるいは精神や霊的な道の険しさであれ、大きくても小さくても、いずれにしても。

もし、何かを選択すべき場面があるとしたら、第一条件となるのは「本当に本当に、何の気負いも虚勢も怖れもなく正直な自分でいられること」 の一点に尽きるのではないでしょうか。また、向き合うべき問題を(または「問題」が本当に存在するのかどうかを)自分の中で明確にしていくには、ほんの少しの間でも ひとり静かにこころを休めて熟考する時間をとりたいと思います。しんと、閑かに。そして、自分をひととき「見えない者」にするためのスペース。たぶん、それが鍵になるかもしれません。


  さてと。この世のすべてが両刃の剣なら、「わたし」はどちらの刃を使ってまとわりつく幻を切り裂こう? それとも眼を閉じて、両刃を使ってど真ん中を、突いてみるか? 

ね、あなたは...どうする?



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have a great trek!!!★
hiyoka(^_^




hiyoka_blue at 19:08|PermalinkComments(0)

January 12, 2021

サビアン・シンボル解説での「ベース」と「メイン」について

「ベース・シンボル」と「メイン・シンボル」の違いについて一度お問い合わせがあったので、ここで触れておきますね。この二つに特に違いはありません。これはひとにより感じ方が異なると思いますが、例えばネイタル・チャートの惑星が牡羊座0°台だったとします。この例だと魚座30°がベース・シンボル、牡羊座1°がメイン・シンボルになります。

● 一つの見方としては時系列で考えて「ベース・シンボル=前半生」そして「メイン・シンボル=後半生」のテーマ。ただし何歳までが前半で何歳からが後半かはそのひとによります。

●もう一つは二つのテーマを「渾然一体となった流れ」として観る考え方。

わたし自身は両方とも有効だと考えています。自分のネイタルの体験でも、前半生はベース・シンボルが強く顕れていて、後半生に入るとメイン・シンボルのテーマが、良い面も、歓迎出来ない面も強くなったように思います。けれど、若く幼い頃のテーマが全て解決したり無くなったわけではありません。何かの折節に、考えさせられることが沢山あります。でも、それも自分が受け入れて生まれてきたテーマを知っているからこそ..なんですね。そのテーマは、トランシットやプログレスの惑星達が重要なポイントに来るたびに浮上してくる。そして、アスペクトの意味がもたらす心理や出来事の大背景として、いつもいつも木霊している...そんな感覚を抱いています。

サビアン・シンボルは360°がひとつの円環として、永遠の流れを創り上げています。この円環では、どの度数も孤立した壁に隔てられた領域ではなく、隣り合わせ、対向、120°や180°その他のアスペクトを通じて有機的に繫がり、溶け合いながら、互いに影響しあう構造になっています。そして、そこを惑星達が通っていくことによって、その都度わたし達の心理、ひいては社会に影響を及ぼす「留まることのない惑星グリッド」を創り上げています。(おそらく赤緯に関しても同様のシステムが存在するのだろうと思いますが、人間の領域でどの程度感得し得るものなのかは不明です..)

こうしたことは、新月・満月のルネーションに関するサビアン・シンボルの記事を書くようになった動機でもありました。超複雑な惑星グリッドの中でも影響力が顕著だと思われる太陽と月が、その都度投げかける “既存の” テーマを知ること。それは「人間」として生まれたわたし達ひとりひとりが、単に「ひととはこういうものだ」という調べに「踊らされる」のではなく、その調べを聴き取り、理解したうえで、あえて「自分の生のダンスを踊る」ために役立つのかもしれない...そんなふうに思ってのことでした。

この、複雑な惑星グリッドの成り立ちと、目に見えることのないその流れをことばで説明するのは難しく、実際のところ「意識し」「感じ」「理解する」しかないのだと思います。また、時を経るごとにシンボルが示唆する物事の深みも変化していきます。シンボルは、わたし達と同じ生きもの。あるいは、生きものとしてのわたし達を映す「鏡」なのかもしれません。



hiyoka_blue at 00:25|PermalinkComments(0)

December 30, 2020

🌕12/30日の満月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)


  12月15日に起きたエポックメイキングとも言える日蝕。そのシンボルは『入国する移民達』そして『家の扉の前に立つ青い鳥』でした。蝕のテーマは半年~長くて3年程度継続していきます。そしてこの新月・日蝕期(1月12日まで)のエネルギーが、装い新たなテーマとして結実を見せるのが12月30日午後の満月です。それに今回の満月もわずかにOOBで、軛の外れた馬のような、突発的な性質も秘めていそう...。そんなこんなで、この満月がもたらすテーマもまた、ひとつの底流として長期にわたりわたし達のこころの中に木霊し続けるかもしれません。

というわけで、記事のUPは15日の新月まで..と思っていたけど、やっぱり気になる大事な満月。シンボルのテーマだけでもあげておこうと思い立ちました。かなり深みのあるシンボルなので、すこしずつ、すこしずつ、時をかけてほぐすように味わってみたいテーマです。


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【月♋️蟹座8°〜9° — 太陽♑️ 山羊座8°~9°― 発効期:12/30~1/12 】

🌕“Rabbits dressed in clothes and on parade”
  『服を着てパレードするウサギ達』
 ☀️“Birds in the house singing happily”
   『家の中で幸せそうに歌う鳥達』
    
🌕“A tiny nude miss reaching in the water for a fish”
  『魚を求めて水中に手を伸ばす小さな裸の少女』
 ☀️“An angel carrying a harp”
   『ハープを運ぶ天使』

【満月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。


極端な怖れや臆病さと虚勢を張る態度との鮮やかな対比に注意
面倒に直面してサッサと逃げるか過度にことばを並べ立てる傾向
自己表現、プライド、または仮面や保護としての衣服や装飾
「出る杭は打たれる」という現実に立ち向かうための繊細な配慮
美に対する天与の才能、または美への埋没や逃避
過剰な警戒心のせいでかえって反発を招いたり損失をこうむる危険
耳に心地良いメロディを聴くことでこころを慰める
現実的な制限の範囲内で自分のベストを尽くしていく
今の社会の現実と自らの立場を認識し、現状を受け入れようとする意志
パワフルな潜在的エネルギーの中に無邪気に入っていくという試練
奥深いメッセージと鋭く辛辣な棘の違いを識別する必要
過ぎ去ったことや失った機会をいつまでも引きずる危険
面倒なことをクドクド言ったり難癖をつけて執拗に責める傾向に注意
失敗や混乱、不首尾を覆い隠そうとする心理に注意
詩的で豊かな感性を活かすための空間や休息の時を持つ
しっかり掴んだものが真の幸運か足下をさらう嵐雲かを見極めていく
余計なことは考えず、今一番向かうべきところを目指す
心身ともに自分を整えて新たな挑戦に向かっていく…→


2013NMFM


🌕満月のベース・シンボル:
 蟹座8° 『服を着てパレードするウサギ達』


  新月・日蝕のテーマでは、わたし達は新大陸に辿り着いたばかりの「移民」であり、今にも巣立とうとする「ヒナ鳥」であり、「家の扉の前に立つ青い鳥」と対峙し、冷たい氷の上をおぼつかない足取りで「スケートする子供達」でした。ならばわたし達は、これから扉を開けて、それぞれの「冷たい外界」へと出ていくところなのかもしれません。

そんなわたし達に、この満月がまず投影してくるのは『服を着てパレードするウサギ達』。服を着た可愛らしいウサギって…ん、なんだか『ピーターラビット』みたい? そう、おそらくこのシンボルは1902年に英国で出版され大ヒットした物語、ビアトリクス・ポターの『ピーターラビットのおはなし』との関わりがある ― B.ボヴィも指摘していました。確かに、1925年にサビアン・シンボルを降ろしたエルシィ・ウィーラーが、ピーターラビットの物語やその挿絵を知っていた可能性は高いように思えます。


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  この物語はいたずら好きの子ウサギであるピーターが、マグレガーさんの畑で野菜を食べ荒らした結果、追いかけられて散々な目にあい、素敵なブルーの上着と靴をなくしてしまうというもの。確かその上着は畑のカカシが着ることになったような...。

  じゃ、このシンボルでパレードしているウサギ達は何を表しているのでしょう? この「ウサギ」は当然擬人化された存在です。そしてウサギは臆病で神経質な生きものとして有名です。そんなウサギが人間の服を着て、しかも目立つようにパレードしてるって? パレードとは人々に何かを示す(というより自らの存在を誇示する)行為なのに..?

  このウサギ達はきっと、みんな一緒に自分達の存在を誇示することが「安全」だと知っているか、少なくともそんなふうに思っているはずです。何故? 何故なら彼らは「人間の服」を着込んでいるから。服を着て歩くことが、人間社会に同化していることの証しとなり、安心して迎え入れてもらえるから。そして、ウサギだって社会の一員として尊重されるんだ...そう考えているから。彼らは畑になだれ込んで、野菜を根こそぎ食べてしまうような悪さをすることはないでしょう。だってそんなことをすれば、たちまちマグレガーさんに追いかけられて素敵な上着を奪われ、パイにされてしまうかもしれない。だから彼らは精一杯のお洒落をして行進しています。ピーターみたいに綺麗なブルーの上着、トレンディーで高価なシャツ... センスの良さが光るコーディネート! それに自分はひとりじゃない。みんながピカピカのカッコ良さでパレードしてるんだ。もしもインスタでバズったりしたら、万単位のひと達に自分を知ってもらえる。快く受け入れてもらえる。そうしたら、きっともう誰にも脅かされることなく安心してこの世界で生きられるのかもしれない…。


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  「装いが人を創る」ということばがあります。衣服は暑さ寒さをしのぎ、毛皮や分厚い外皮の代わりに表皮を護るためのもの。けれど、わたし達の社会においての衣服は「わたし」という「存在を飾るもの」または「付加価値をつけるもの」「自己表現とプライドの証し」「帰属性の証明(または露わにするもの)」そして「自分を覆い隠すもの」でもあります。そして、その場にふさわしい衣服を身に着けて人前に出ることは、積極的に順応していこうとする姿勢を見せること。「自分はけっして社会のはみ出し者ではなく、コミュニティに迷惑をかけるような存在ではないのだ」と示す行為です。見た目も、行為も、ことばも、外界と同化していくこと。たとえその内のいくばくかは本物で、残りは仮面に過ぎなかったとしても。形だけだったとしても。それはこの擬人化されたウサギ、つまりわたし達にとって、何よりも外界の危険から身を護り、安心と安全を得るために必要なことだから...。


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  こうした心理や行動は「内側」=自分の内面世界や源と感じるもの、家や家族、一族など、自分が帰属する全てを何よりも護り、その安全と安心感を大切にする、蟹座の本能の一側面だと思います。

一方、このテーマを補完する太陽側はどんな物事を示唆しているでしょう? 早速見てみましょう。


☀️月に光を送る太陽のベース・シンボル:
 山羊座8° 『幸せそうに歌う家の中の鳥達』


  太陽は山羊座8°のエネルギーを放射しています。このシンボルはかなりドメスティックな雰囲気を持っています。ここで幸せそうに歌っている鳥達も、元々の種は厳しい自然に適応し、自由に木々を飛び回る存在だったはず。本来なら彼らの「歌」は求愛であり、餌をねだるヒナの声であり、そして仲間に危険を知らせる警告の叫びです。そのどれもが、彼らが生きていく上で大きな意味を持っていました。けれどこのシンボルの鳥達は、家の中に置いてあるケージの中で、ただ幸せそうにさえずり、羽をつくろっています。餌を探す心配も要らないし、天敵に襲われる危険もありません。今家中に響き渡るのは、安泰だと感じているからこそ歌えるメロディなのだと思います。 


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  この新月~満月期、先行きの見えない世相に迫る予兆を前にして、自分なりの未来と大きな変化を予感したわたし達は、ちょっと怖くなるのかもしれません。まだ自分の現実には何も大きなことなど起きていない。何も顕在化してない。でも、感じる。何かがひたひたと迫って来るこの感じ。どうなるんだろう? …例えばそんな感じかな。ここにはある種の「臆病さ」が見え隠れしています。おそらくその臆病さは、外の世界では身を護るために絶対に必要な要素のひとつです。けれど、ただケージの中で身繕いにいそしみ、小さな幸せに満足していられるんだろうか?  このシンボルにはそんな問いかけがこめられているかもしれません。

わたし達は、何か大きな変化を前にすると怖じ気づきます。たとえそれが、自分がこころから望んだものだったとしても。そして、今居る場所の居心地の良さを離れたくないと思います。変わりたくない。外に出て痛い思いや冷たい風に当たりたくない。どこかでわかっているんです。


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  『世界は厳しい。一歩外に出れば、そこには血みどろの暴力的な世界、恐ろしい世界が拡がっているかもしれない』 世界を覆うコロナ禍の下では、そんな集合心理が生まれやすいかもしれません(わたし達が住む日本は、これでも世界に比べればまだ穏やかなほうではあるけれど..)。あるいは、『外では今まで自分が信じていた世界なんかたちまち消えて、否定したくなるような現実が待ってるんじゃないか?』『内々の穏やかな世界、自分だけの感覚世界に留まっていたほうがずっとマシだし、そんな中にいる自分が好きだ』『いつものやり方をしていれば、今まで創り上げてきた「自分」でいられる。周囲の皆もそう受け止めてくれるし、わざわざ動かなくたって済む』。だから… このままでいたい。 

  わたし達はカオスを怖れます。自分でコントロール出来ない状況を嫌います。だから、なるべくなら自分が支配出来る環境の中で、自分好みのコスプレを続けていたいと望みます。自撮りライトを当て、凹凸の飛んだ画像の中で、素敵な服を着て微笑む自分しか許せなくなります。けれど、もうわたし達を囲うケージは小さくなり過ぎました。このままでは、やがて身動きが取れなくなる。大きな変化がやってくるのは、そんなときなのだから。

もちろん、それは今日や明日じゃないかもしれない。けれど、多分、とても近い将来。 そう、どこかでわかってはいるんです。何かわからないものが、チクチクと刺激してくるから。けれどその反動として、心理的な「合理化」も起きてきます。わたし達は「現状」に留まるために、いろんな理屈を付けて先延ばしにすることが得意です。


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  いつかは大きな波がやってくる。そしたらわたし達は裸になって、ひとりひとり、その波の中に入っていかねばならない。生きるために。「わたし」であるために。勇気を持ってケージの扉を開け放ち、外に出なければならないときが来る。この満月に現れた臆病なウサギ達に精神の光を放射する太陽は、そんな変化への予兆と、それがもたらす戦慄、そして新たな旅へのいざないにどう応えるのか? どう適応していくのか? を問いかけています。さらに自分にとって「変化」とはいったい何なのか? 自分の何が変わるのか?という問いかけさえも。

  これが満月のベースとなるテーマです。ではメインのテーマはどうかな? 



🌕満月のメイン・シンボル:
 蟹座9°『魚を求めて水中に手をのばす小さな裸の少女』

  このシンボルも、前回の蝕とよく呼応するテーマが設定されているように思えます。このあたりのシンボルを集中して眺めてみると、やはり10°前後から中盤前後にかけての度数は、蟹座の原型がピークに達しようとしている様子がみてとれるからです。


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  何かが始まろうとしている。真新しい何かが。でもまだそれが最終的にどんなカタチになるのか、自分にも、誰にもはっきりしたことはわからない。けれど、終わるべきものはたとえ抵抗したとしても、強力な外圧のフォースによって取り除かれていく。それは溜まりに溜まった泥沼を攪拌し、わたし達に “カオス” をもたらす。そしてやがては余計なものが全てそぎ落とされ、静かな漆黒の闇の中から...その先の新たな美の音色が聞こえてくる。わたし達は、ただそれぞれの真実に向かって歩み始める。そんな、物語。 


     蟹座9°のシンボルに出てくる「裸の少女」は、無垢であることの象徴です。この無垢さは蟹座の本質。アストロロジャー、アリス・ミラーは 『カーディナル・サインの中で、人が人として真に誕生するのはこの蟹座である』と指摘していました。また、『生まれたままの無垢な本質を持ちながら、人間は母親の子宮を通じ、母親の胸のぬくもりを通して、彼女の抱える “満たされなかったニーズ” を滋養と共に吸収していくのだ』 とも語っています。蟹座の支配星である月は、アストロロジーにおいてはわたし達のパーソナリティを表します。けれど、わたし達が「自分」だと思いこんでいる「自分像」には、こうして物心のつかない幼少時に親、または環境からめいっぱい吸収し続けた「自分でないもの」もまた、多分に混在している可能性があります。


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  だからこそ、蟹座は対向する山羊座(ダイレクトに干渉しあう星座宮)の支配星・土星的なもの ― 「父なるもの」「社会的なるもの」「固いもの」「制限するもの」そして時には「鋭い角」や「立ちはだかる壁」に出会うことを運命づけられ、その経験を通してそれぞれに固有の「徴」が何であるかを身をもって理解していくこと、あるいは “研磨” されていくことになります。自分にとっての「本物の月」とは何かを識りぬくために...。

     日々感覚を研ぎ澄まし、他者の感情に揺らされ揉まれながら。それでもその中から余計なものをそぎ落としていく。内部に湧き起こる圧倒的な感覚の奔流によって。そしてやがて、自分本来の姿と価値に目覚めていく。この全てに同時進行で挑戦するよう設定されているのが蟹座であり、だからこそ蟹座に入った惑星は加速度的な成長を求められます(対向の山羊座も逆の意味で加速への圧力がかかるのですが)。


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  他者の感情を吸収しやすい性質から来る傷つきやすさ、そして気分の上下は蟹座の特徴でもありますが、それはこうした「加速化された成長」を促すための宇宙的仕掛けでもあると言えるでしょう。全てはそのひとを磨き、本来の「わたし」を研ぎ出すために与えられる試練なのかもしれません。この度数から1°進んだ蟹座10°のシンボル『加工途上のダイヤモンド』は、きっとこうした状況の本質を暗示しているのだと思います。

     けれど、無垢な少女が水の中で魚をつかまえようとするとき、水面は様々に光を反射して彼女を迷わせます。『本当にそこに魚はいるのかしら?』『つかまえた!』と思った。なのに手をひろげてみたら、そこには何もない。ただ水がこぼれ落ちるだけ...。きっと少女はこんな思いを何度もするかもしれません。特に魚座の海王星が月のノード軸とTスクエアを形成している今、目にすること、読むこと、聞くこと…あらゆる情報は乱反射し、歪んで伝わっていくと言っても過言ではないと思います。欲しいものに狙いを定めているつもりでも、本当は自分がいったい何を捕らえようとしているのかさえ、はっきりとはわかっていないかもしれません。


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  それでも。こころの、体の、奥底から沸きおこる「本来の何か」へ向かおうとする途轍もない衝動が、彼女を水の中へと進ませていきます。無防備であることを怖れることなく、繊細な神経を集中させて。たとえ幾度となく幻影に裏切られ、傷ついたとしても。その衝動も、その促しも、きっと留まることはないのだと思います。

では、ここでも太陽精神の放つ光が何を語っているか、見てみましょう。


☀️月に光を送る太陽のメイン・シンボル:
 山羊座9° 『ハープを運ぶ天使』


  これもまた、無垢で優しい感じのシンボルですね。おそらく「音」全般、またはこころに響くメロディやリズムに対する感性の鋭さを持っていたり、深遠なメッセージやインスピレーションを受け取るひともいるのではないでしょうか。でもここは山羊座。一筋縄ではいかないかも?

このシンボルは、崇高で限りなく清楚な使者 ― 天使が弦楽器を持ち運んでいる姿を描いています。「天使」とは、何かを「守護する」ために遣わされるスピリット。またここでの「ハープ」とは、おそらくわりと小さめで、まるでかぎ爪で弾くような感じでかき鳴らす弦楽器を指しています。


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  B.ボヴィはこの「ハープ」が象徴するものとして、まず星座の「琴座/Lyra」を挙げていました。琴座には、非常に明るい星として有名な恒星ベガ(急降下するハゲワシを意味する名称)、そして惑星状のリング星雲が存在することでも知られています。この琴座=リラは、メッセンジャーの神であるヘルメスが考案した竪琴にちなんで名付けられました。また “ハーピー”と言うと、ギリシャ神話に出てくる「翼を持つ女」、または「女の顔を持つ鳥」を意味します。このハーピーは肉食性で、犠牲者をその鉤爪で捕らえて殺し、死者の魂を喰らうために持ち去ってしまうという恐ろしい存在だとか。このハーピー達の飽くことを知らない貪欲さから、英語で “harp on ~” と言うと「くどくどと繰り返して同じことを言う」「恩に着せる」という意味になるというのも面白いですね。また、聖なるメッセンジャーであり、何かを守護するために遣わされる天使が、実は鉤爪を持つ怪物 ― 欲望の権化 ― をその裏で連想させる楽器、ハープを運んでいるというのもどこか意味ありげです。ハープと天使の組み合わせってわりとよく見かける気もするけれど、何か奥深い意味が包含されているのかも?


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  鉤爪とは、猛禽類が持つ尖った細長い突起です。ハゲワシやハーピー達の鉤爪がいったん獲物を掴んだら、その切っ先はがっしりと体に食い込みます。また魚を釣るための釣り針も、鉤爪によく似た形状をしています。でも、もしわたし達が、ヒラヒラと泳ぐ「エンジェルフィッシュ」を釣り針で釣ろうとするなら、それは至難の業かもしれません。あるいは大海原に出て、大きなマグロや鯨にモリを打ち込んでみたいと夢見たとしても、もしそれが自分にとって「本当に狙うべき獲物」でなければ... 後になってクドクドと「逃した魚」について愚痴を言うハメになるのかもしれません。

  この天使 ― 聖なるメッセンジャーは、ハープを運びながら、わたし達に何を告げているんだろう? 前の度数でちょっと臆病になり、安心したくて “みんな” に、社会やコミュニティに、同化する服を着込んだウサギとしてのわたし達。でもこのメインとなる9°では、先へ進みたい、夢を掴みたい、という衝動に駆られ、恐怖を忘れて漆黒の水面に分け入ろうとするわたし達。煌々と照る月の光も、揺れる水面では形を留めることがありません。

そこに魚がいる。綺麗で、大きくて... (ひとによっては美味しそうだったりして)。だから夢の魚を捕まえたい! 願いを叶えたい! どうしても、この手で! このとき、少女の両手には...もしかして「欲望の鉤爪」が生えているのでしょうか?


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  移民として、ヒナ鳥として、巣立ちを迎えた新月の第一歩。それは「怖れ VS 新生を求める自然な欲望」の第一歩。不自由な安全と、あまりに厳しい自由との天秤。わたし達は今、その中間に立っているのかもしれません。でも、今 わたし達が求めてやまないその夢は... その対象は... 果たして本物だろうか?

  裸の少女は、もし魚がただの幻影に過ぎないと知ったとき、どう感じるでしょう? そのとき、もし彼女の手に鉤爪が生えているなら?

この蟹座 ― 山羊座軸9°のコンビネーションは、わたし達が新しい夢に向かおうとするときに放たれる一種の警告を象徴しているのかもしれません。無垢なこころで分け入ったはずの道。けれどわたし達は往々にして、いつの間にか自分が向かうべきゴールを固定し、そのイメージに囚われてしまいがち。それはまるで、琴座の環状星雲にみっしりと取り巻かれ、そこから出られなくなってしまったような感覚。いつの間にかこころに鉤爪を生やしたわたし達は、貪欲になって一点を見つめ、自由に羽ばたく魂を見失ってしまいます。


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  目の前の天使はハープを持っている。そしてどこかに運んでいる。これってひょっとして...崇高なメッセージや天啓だったりして。だったらいいな。素敵だな。でも彼らが手にするハープは、わたし達がこころから欲し、手を伸ばそうとするような類いのものとは限りません。

  おそらく誰にでも、生きている限り「ひそやかに隠し持つ欲望」があります。それがいったい何なのか? どんな姿をしているかを、わたし達は本当に知っているでしょうか? それはもしかしたら、遠い昔、この世界に生まれる前から携えてきた透明な想い ― アリス・ミラーが指摘した「無垢な本質」に繋がる「何か」かもしれません。もしそれを知っているなら、もし少しでも感覚として感じられるなら、ただ無垢なこころのまま、裸のまま、手を伸ばすだけでいい。きっと鉤爪も、銛も、釣り針も要らない。

もしかしたら、大きくて美しい魚も、素敵なハープも、わたし達の手には入らないかもしれません。でも無垢な欲望は、思わぬときに、思わぬかたちを取って報われます。『え? なにこれ?』という感じで。だから今はまだ、細かい決め事も要らない。なぜなら「それ」は新しい時代に向かう戦いの中で、魂の自由という空間から、ふいにやってくるから。それは、向こうからやってくる。たぶん思ってもみないときに。わたし達に必要なのは、その訪れに気付いてまっさらな手を伸ばし、力を試してみることだけ。


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  『求めよ。さらば与えられん』ということばがあります。一般に、その意味は「ただ与えられるのを待つのではなく、自ら努力して目的を遂げよ」ということだとされています。けれど蟹座9°に現れる、この「裸の少女」のシンボルが象徴するエネルギーは、それとは少し違うかもしれません。

それは、そのことばの、最も純粋で根源的な意味。ただ自分に押し寄せる流れ — 自分という存在の確かさ — を信頼し、それ自体を生きるものとして、「自分という全存在がすでに知っているはずの道」に、飽くことなく手を伸ばし続けること。ことばで規定することなど出来ない、真に純粋な欲望。

あれこれと社会的ゴールを規定して業を磨いたり、人脈を作ったり、アピールしたりという現実の努力はその後から自然に付いてくる。対向する山羊座9°(外界、社会)のシンボルが伝える「天使の導きと警告」の下、自然に向かって行くエネルギーの流れとして。

  けれど、もしわたし達の存在の核にあったはずの「無垢な本質」が失われ、ことばにならない「透明な欲望」が忘れ去られてしまうなら... わたし達の生は、単なる「鉤爪同士の戦い」になってしまうのかもしれません。


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  今年最後の満月は、どことなく不思議なシンボルに彩られています。こころの内部を支配する蟹座世界、そして外界の「時間」を司る山羊座。わたし達はこれから「時」と仲良く付き合っていく新しい方法を探りながら、何かを成し得ていくのでしょうか。

コロナ禍や経済への不安、そして厳しい寒波が訪れるこの年末。地震も起きていますね。そして年明け1月13日の新月は、冥王星とコンジャンクトし、牡羊座のエリスとはスクエアを形成して起きます。マンデーン的な観点では、年末~春先まで世界の様相はかなり荒れそう。

  それでも、わたし達はきっと歩み続けます。見えない空間に向かってまっさらな手を伸ばし続けます。泣いたり笑ったり、怒ったりしながら...。

そしてあるとき、思わぬところに見たこともない綺麗な花が咲いていたことに気付くのかも。それは素晴らしい花園かもしれないし、ささやかな野の花かもしれない。でも、それぞれの「わたし」にとって、きっと最高の花。そう思います。

どうか良いお年を!😊


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have a great trek!!!★
hiyoka(^_^



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December 17, 2020

🌑12/15日の新月・日食―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  12月15日01:36前後、北海道周辺で 01:42前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は01:17頃、沖縄周辺では0:48前後に射手座 23°08’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月♐️ 射手座23°~24°― 発効期:12/15~1/12 】


🌑🌞“Immigrants entering”
   『入国する移民達』
    ↓ ↓ ↓
🌑🌞“A bluebird standing at at the door of the house”
   『家の扉の前に立つ青い鳥』


【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

 
→★人生の通過点に達し、新たな人生の道とその予兆を感じる
→★新しい「自立」への羽ばたきとその直前に感じる不安とおののき
→★変化の前に自分の過去(自分が属してきた何か ― 関係性や場との
  繫がりを確認する
→★不安でいっぱいの神経の高ぶりの中で活性化される内なる原動力
→★慣れたやり方、慣れた環境への抗しがたい執着との葛藤
→★成熟の新しいレベルを前にして、もう戻れないことを悟る
→★目の前にありながらなかなか手が届かない物事への苛立ち
→★受け入れられ、認められる前に感じる緊張とこころの震え
→★ただひたすら「自由になりたい」という衝動
→★“帰巣本能” や “安全な場所”という感覚をもう一歩昇華させる必要
→★ほの暗く冷たく見える道の先に待つ新たな人生に足を踏み入れる
→★自分の足許の揺るぎなさを確かめ、楽観と希望と熱意で切り拓く
→★アテにもせず思いも寄らなかった偶然がもたらす幸運
→★ハードワークの結果として物事がよりスムーズに動き出す予兆
→★極端な気の小ささと自慢げな態度の対比に潜む本当の顔に気付く
→★波乱も静寂も呑み干しながら歩み続ける気概を持つ必要
→★群れをなす群衆や “信者” の群から一歩抜け出て
  自分自身の「今」を見極めるための闘い
→★自己の内面に培ってきたものを胸に強力なポテンシャルの海に向かう…→         


★エネルギーのポイント:

 前回の新月『“さわれるもの”を基盤として現実に根を張る』
             
 今回の新月『納め、踏みだし、踏み込む』

                               
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<本題に入る前に>

  サビアン・シンボルの説明をする際に使っている「ベース・シンボル」と「メイン・シンボル」の違いについて、一度お問い合わせがありました。なのでここで少し触れておきますね。必要なければ読み飛ばしてください!

  で。実のところ、両方に特に違いはありません。ただ流れみたいなものはあるけれど。これはひとにより感じ方が異なると思いますが、例えばネイタル・チャートの惑星が牡羊座0°台だったとします。この例だと魚座30°がベース・シンボル、牡羊座1°がメイン・シンボルになります。

で2種類の考え方としては:

⭐️一つは時系列で考える見方。ネイタルなら「ベース・シンボル=前半生」そして「メイン・シンボル=後半生」のテーマとして考える。ただし何歳までが前半で何歳からが後半かはそのひとによりますし、移り変わりもグラデーション。新月期や満月期も同様です。

⭐️もう一つは二つのテーマを「前にも後ろにも渾然一体となった流れ」として観る考え方。

  わたし自身は両方とも有効だと考えています。自分のネイタルの体験でも、前半生はベース・シンボルが強く顕れていて、後半生に入るとメイン・シンボルのテーマが、良い面も、歓迎出来ない面も、強く顕れ始めたように思います。けれど、若く幼い頃のテーマが全て解決したり無くなったわけではありません。何かの折節に、考えさせられることは沢山あります。でも、それも自分が受け入れて生まれてきたテーマを知っているからこそ..。ベースとメインのテーマはひとつの流れとして、トランシットやプログレスの惑星達がそのポイントに来るたびにいつも木霊として自分の中に響き渡ってる...そんな感覚を抱いています。

  サビアン・シンボルは360°がひとつの円環として、永遠の流れを創り上げています。この円環では、どの度数も孤立した壁に隔てられた領域ではなく、隣り合わせ、対向、120°や180°その他のアスペクトを通じて有機的に繫がり溶け合いながら、互いに影響しあう構造になっています。それぞれに異なる音色を持った「弦」が、360°ぐるっと密に張り巡らされてる感じかな...

そして、そこを惑星達が通っていくことによって、その都度わたし達の心理、ひいては社会に影響を及ぼす「留まることのない惑星グリッドの調べ」を創り上げています。(おそらく赤緯に関しても同様のシステムが存在すると思いますが、人間の領域でどの程度感得し得るものなのかは不明です..)

  これは、新月・満月のルネーションに関するサビアン・シンボルの記事を書くようになった動機でもあります。超複雑な惑星グリッドの中でも影響力が顕著だと思われる太陽と月が、その都度投げかける “既存の” テーマを知ること。それは「人間」として生まれたわたし達ひとりひとりが、単に「ひととはこういうもの」という調べに「踊らされる」のではなく、その調べを聴き取り、理解したうえで、あえて「自分の生のダンスを踊る」ために役立つかもしれない。そんなふうに思えたのです。まぁこういうことって、きっとアストロロジー学習者の皆さんはみんな同じような感じ方じゃないかな?なんて思います。もうキリがないよね...という感覚とともに。

(この項目は後ほど抜き出し別立てのヒント的にアーカイブしておこうと思います)
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  今年も最後の新月・日蝕、そして月末晦日の満月。この記事をUPするときはもう蝕の日時は過ぎてしまうと思うけれど...。それでも大切な時期だと思うので、遅ればせながら書きとめておくことにしますね。

では、早速サビアン・シンボルからいってみましょう。


★12月新月・日蝕のサビアン・シンボル★

🌚 新月のベース・シンボル:
   射手座23°『入国する移民達』


       今回のベース・シンボルは射手座23°『入国する移民達』。このシンボルは、まだ入国手続きの途中という感じでしょうか。今でこそ在留外国人が約283万人とかなり増え、コンビニや配送業でも国籍の異なるひとを見ることが多くなった日本。けれど、それでもまだ全体としては「移民」といっても感覚的にピンとこないかもしれません。

  移民大国とされる米国ですが、サビアン・シンボルが降ろされた1920年代半ば、好景気に沸く米国に渡ってきた移民のおよそ2/3はロシア系ユダヤ人、ポーランド人、スラブ人、ギリシャ人、南イタリア人などでした。彼らは、米国の基礎を創り上げてきた文化にすぐ馴染んでいった、それまでの北ヨーロッパ系新教徒の移民達とは異なるタイプのひとびとでした。おそらく母国では、より伝統を重んじる暮らしを紡いできたひと達だったと思います。また、旧移民のひとびとと比べると低賃金で危険な仕事に就くことが多く、彼らが大量に流入してきたことによって米国生まれの労働者の賃金も下がリ始めたと記録されています。こうした賃金の下押し圧力は、同じ労働者階級の中に新たな分断を生む要因だったかもしれません。


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  また、都会でも新しい移民の多くが人種別の居住エリアに住み、母国の習慣を守り、ほとんど英語を話すこともなかったとされます。アメリカン・センターの記事によれば、このあたりから米国では本格的な「文化の衝突」が起き、それによって移民をめぐる緊張状態が拡大し始め、今盛んに口にされる「システミック・レイシズム/社会制度的人種差別」が蔓延していったそうです。BLM/ブラック・ライブス・マターという人種差別反対の掛け声が、他のマイノリティからは思いのほか支持されないというのも、外から見ていると不思議に感じることの一つです。でも、例えば黒人によるヒスパニック系やアジア系への差別が昔から存在する現実を見ても、米国に巣くう「レイシズム」と呼ばれるものの根の深さを感じさせられ、また日本に生まれ日本に住み続けるわたし達には理解することが難しい問題だとも思わされます。それは過去の奴隷制度の問題ばかりではなく、伝統や信教も異なるマイノリティ同士にも深く根付くことになった、互いのサバイバルに関わる問題だからなのかもしれません。

さて、根底にそんな米国の歴史的事実が埋め込まれているこのシンボルですが... 普遍的な意味としてはどうでしょう?


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  ニューヨーク、エリス島。「希望の島」とも「嘆きの島」とも呼ばれていたこの島には当時の移民局が置かれており、毎日沢山の移民船が入ってきました。船底から甲板に出てきて、自由の女神を見上げた人々。彼らはこれから新しい大地で築いていく暮らしに夢や希望を持っていたことでしょう。祖国を捨てて新天地に賭けたのです。大きな不安や緊張はあったとしても、目の前には自由の大地が開けている… 今までとは全く違う人生が待っているかもしれない。いえ少なくとも、それを自分の手と器量でつかみ取っていける可能性がここにはきっとある。下船を待って列を作る彼らのこころは逸ります。早く船を降りて、新しい大地に自分の足を着けたい! 港では当座の仕事や宿を世話するブローカーが屈強な働き手を物色しています。真っ先に降り立つことが出来れば、それだけ有利なチャンスにありつけるかもしれません。

  移民としてやってきた人々は、所定の手続きを終え、住む場所をみつけ、仕事を手に入れるまでは大きな忍耐を要求されます。それに、知らない土地には未知の危険が待っています。純朴なひとびとを騙して大切なお金を巻き上げたり、ただでコキ使おうと手ぐすね引いている集団もいます。だから最初の内は「早く!早く!」とはやる心を抑え、慎重に、でも敏速に、機会を掴まねばなりません。また、先に根を下ろしている親族や知り合いを頼りに、新しい環境に馴染むためのノウハウを身に付けることも必要です。けれどそれと同時に、慣れない土地で自分の人生を切り拓いていくには、ちょっとやそっとの冷水を浴びせられても消えたりしない、火のようなエネルギーも必要だったはず。 


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  移民達には、まもなく真新しい門出のときが訪れます。馴染みのない世界でひとり立ちするときは、もうすぐそこ。これから先のことは誰にもわからない。ただ、この先には必ず、くぐるべき門があり、越えるべき壁が立ちはだかっている。それが目の前に迫ってきていることだけは、皆がそれぞれに感じています。

はやるこころを抑え、不安を抱えながら、移民達は何を携えて新たな関門に入っていくでしょうか? 家族や故郷のよすがとなる小さな品? カトリックの十字架や旧約聖書? 必死で貯めてきた、当座のお金?… それとも、身一つで入国し、新しい故郷を自分の大地とし、社会の底辺から全てを造り上げていく覚悟…いえ、もしかしたら、彼らは護るものなどもう何もないという心境なのでしょうか? 小さな船に乗って、難民として命からがら異国に辿り着いたひとびとのように。


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  苦しいときにこころを支えてくれる何か。母国への想い。慣れ親しんだ故郷の思い出。船の上から手を振って別れた親しいひとびと。たとえ新天地に活路を求める決心をしていたとしても、何故自分はこんなところに来てしまったのか?と後悔の思いにかられたとき、わたし達は思わず過去を振り返ります。もう過ぎ去ってしまったもの。こころの内で捨ててきたはずのもの。あれもこれも、みんな失ってしまった。ブルーな気持ち。孤独感。ふっと忍び寄る、後悔。「自分の選択は失敗だったのでは?」 という恐怖。拡がっていくネガティブな妄想。

  それでも。移民達はこの新しい大地に降りたち、やがてここに、第二の故郷を見出します。でも。その時が来るまで、彼らの内なる生命力を支え続けたものがあったとしたら、それは何だったのだろう…? 伝統、宗教、習慣、仲間意識... そうかもしれない。けれどいつまでもそれにしがみついていて良いのだろうか? とも想う。 

それでも。それら大事なもの達の全てを貫いて、自己の内部に存在し続ける何かがあるのは確かなんだ。それって何だろう? もしかしたらそれは…捨ててきた筈の記憶が象徴するもの?

それは「私は誰か?」というアイデンティティに関わる問いへの一番シンプルな答え。それは、常に変化し、いつも自由に燃え上がりたいと願う火の意志だったのかもしれない...。そしてそれは、けっして固まった形を持つことがない。


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ベース・シンボルの裏側:双子座23°

  このシンボルの対向、双子座23°のテーマは『高い樹上の巣にいる3羽のヒナ鳥』 です。ヒナ達はまだ飛ぶことは出来ません。高い木の上に造られた安全な巣の中で、羽根が十分に強く成長するその時を待っています(3羽の「3」は、ひとつの図形を構成する最小単位。つまり、ヒナ鳥というひとつの段階が完成した姿、次に進まなければならないステージに至ったことを象徴しています)。

  鳥達にはそれぞれの種特有のさえずり方があり、そのさえずりは彼らの縄張りを主張し、種の継続を高らかに歌い上げます。もちろん、餌を求めて鳴くヒナ鳥達にもその片鱗は伺えます。3羽はそれぞれに、自分が一番先に食べ物にありつこうと必死です。一日も早く大きくなって、力を付け、巣から飛び立つ! 羽根をいっぱいに広げて! まだ見ぬ森へ、草原へ、高く高く……。

それはヒナ達に備わった本能なのかもしれません。体の内側から自然に湧き起こる得体の知れない力に押され、ヒナ達はもうすぐ巣を後にすることでしょう。初めての巣立ち。ものすごく、怖い。もし飛び損ねて地に落ちれば、すぐに獣達の餌食になってしまいます。それでも...もうココにはいられない。もう誰も餌を運んでくれたりはしない。本能的な恐怖。それを凌駕しようとする、何かことばにならない個を超えた意志の力。あ、1羽飛び立った! 2羽めが飛び立った。そして最後まで躊躇していた3羽めが...飛び立とうとしてる! それはあなたかもしれない。


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       移民達にも、ヒナ鳥達にも、まもなく訪れる新しい門出のとき。馴染みの無い世界で自分の力を試すべきとき。このシンボルは、わたし達にとっても今、可視/不可視のゲートが迫っていることを暗示しているように思えます。

これから先のわたし達に、未知の冒険が重みのある現実として訪れるにせよ、深く心理的な体験となるにせよ。最初の一歩を踏み出すためにわたし達がしなければならないことは、自分を "魂の移民" になぞらえて考えてみることなのかもしれません。過去と未来の狭間に立って、あらゆる可能性の大渦に直面したとき、わたし達それぞれにとって真の拠り所となるのは何だろう? そう、ここでも同じ疑問が湧いてくる。

もしそれが何か「物」であるなら、「それ」はわたし達の、いったい何を象徴しているんだろう?


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🌚 新月のメイン・シンボル:
  射手座24°『家の扉の前に立つ青い鳥』


  このシンボルは    文字どおり「幸福の予兆」や「幸運に巡りあう可能性」が「扉の外側」に控えていて、わたし達はその始まりの地点に来ていることを示唆しています。

つまり今、わたし達は扉の内側。移民としてやって来て、やっと落ち着くねぐらとなる部屋を確保した感じかな。そして目の前の閉じたドアを見つめているところ。そしてドアを隔てた外側には幸運を象徴する「青い鳥」が立ち、綺麗な声でさえずっている。 

鳥といえば、木や枝に「とまる」という言い方のほうが日本語では一般的です。でも、この場合は「立つ」。木の枝に可愛くチョコンととまっているのではなく、2本の脚ですっくと立っている感じかな。鳥の脚ってとても細くて華奢だけど、でも立っている姿勢を見ると、どこか「仁王立ち」ということばを思わせるところがあります。もし鳥がドアの外にそんなふうに立って、じっとこちらを見つめていたら... え? もしかして、何か問われてる? そんな気分になるかもしれません。


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  ベース・シンボルに対向する双子座23°のシンボル「3羽のヒナ鳥」は、無事に巣立って大人の青い鳥になりました。そして今、「魂の移民」であるわたし達の戸口に立っています。

新しい国にやってきた移民達が、とりあえずの足場を築き、暮らす場所を確保したなら。そこまで来れば、やっとその先に思いを馳せることが出来ます。ねぐらは見つかった。とりあえず、今日明日の食べ物もある。仕事のあても見つかりそうだ。いや少なくともそんな話を耳にした。さぁその先に何がある? まだわからない。でも、とにかく扉を開けて出ていくしかないんだ。これから見る夢のすべては、扉の向こうにあるのだから。

  大人になった青い鳥のうた。それは朗らかで楽しげにわたし達を誘っています。『今はまだ凍えるような寒さと氷に覆われているけど、春は近付いてきてるよ! 新しい人生、新しい展望、再生と復活のときが来るよ!』 この青い鳥は、来たるべき春を報せる前兆として、わたし達の戸口にやって来ました。そしてこう言っているようです。『さぁ、冷たい氷ばかり見て嘆いてないで。僕たちを見て! 出ておいで! 外にはまだ知らない世界が待っているよ!♪』


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★メイン・シンボルの裏側:双子座24°

  このシンボルを補完するのは対向の双子座24°『氷上でスケートをする子供達』です。ここは凍った湖の上。いえもしかしたら、都会の真ん中に冬の間だけ造設されたスケートリンクでしょうか? 子供達が楽しそうに滑っています。いえ、滑ったり転んだりかな? 

思いっきり大きな笑い声、叫び声さえどこか楽しげ。滑り慣れた子達はこなれたフォームでスイスイと滑っています。まるで憧れのフィギュアスケーターのように、自信ありげにフィニッシュのポーズをとる子もいます。でも、今日初めてスケート靴を履いた子、初めて氷上に立った子達はもう大変。

気持ちは前に進みたい...なのに足下がグラグラと定まらず、悪戦苦闘! 中には重心を保てずに立つことさえやっとというありさまの子も。あ、転んだあげくにすっかり怖くなり、大人にしがみついて泣き出す子も...!  上手く滑れるようになるまでは、どの子もみんな、思うようにならない「現実の自分」にフラストレーションを抱えるのだと思います。


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  地上と氷上では、まず歩き方がまったく異なります。優雅な、あるいは速くて上手なスケーターになりたいなら、子供達はまず基礎的な「歩き方」から覚えなければなりません。初めて「氷の世界」に出てきて、その世界に馴染み、そこでめいっぱい楽しみ、遊べるようになる。そのためには、転んだり尻もちをつき、痛い思いをしながら経験を積むことも必要でしょう。混雑したスケートリンクなら、誰かと思いっきりぶつかって互いに怪我をする可能性もあります。大自然の中なら、転んだ拍子に薄くなっていた氷が割れ、冷たい湖に落ちるかもしれません。氷の世界には命の危険さえも潜んでいます。「もしかして...ここから先には行かないほうが良いかもしれない」...そんな直観の働きも、持ち前の感性だけではない、経験の積み重ねによって磨かれます。

  わたし達はそれぞれの人生の旅の途上で 今、新たな巣立ちのときを迎えています。それは年齢も性別も、今までにこの世界で成してきたあれやこれやにも、一切関わりのない「魂の移民」としての旅立ちです。ひとにより社会により、これからの1ヶ月~半年~3年をかけて、様々なかたちでまったく新しい大地に向かおうとしています。だってそこには「青い鳥」がいるから。扉の向こうにじっと立って、春を告げるために待っているのだから。


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  もう一歩、外の世界へ。おずおずと、扉を開く。でも、そこに拡がっているのは、まだ冷たい氷が分厚く張ったモノクロームの世界かもしれない。そりゃそうだよね。だってこの世界って、わりとそんなふうな仕込みがいっぱいある領域だし。

ならばスケート靴を履いて、楽しく滑っていきたい。まぁ最初のうちはグラグラして、転んで、痛くて、怒ったり泣いたりするんだろうな。で。自分が本当にダメで、もう情けなくて、どうしようもなくなったりして。

でも、そのうちきっと笑いたくなる。

一歩、一歩、リズミカルに体をさばくことを覚えたら。
氷の世界を遊び場にして、夢中になっていたら。

いつのまにか 青い鳥がうたう春になってたことに、気付くのかもしれない...

わたし達のゴールはまだ、決まっていない。



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★12月新月・日蝕の星模様とチャレンジ ★
(主なアスペクトとスケジュールざっと)


OOBの新月・日蝕とコンジャンクト&パラレルのOOBの水星と
 小惑星アメリカがパラレル

(ドナルド・トランプ氏と習近平氏の太陽にオポジション、
 次期副大統領とされるカマラ・ハリス氏のDC上で起きる日蝕)

OOBの新月・日蝕とOOB水星に木星・土星コンジャンクションがパラレル
 木星・土星自体もまた互いにコンジャンクションでありパラレル

  うーん..何というか。。 要は新月・日蝕とOOBの水星、そして木星・土星コンジャンクションが一見離れているように見えて、実は幾何学的に密接な関係を結んでいる...ということ。パラレルとはデクリネーション=赤緯の度数が同じこと。とても乱暴な言い方をするなら、地上から見てその星の「高さ」が同じに見えること。でもほとんどの場合、左右の位置はズレています。一方、コンジャンクションは、地上から見て左右の位置が同じこと。でも上下の高さはそれぞれに異なっている。けれどコンジャンクションとパラレルの条件が同時に満たされるとき、2つの惑星は夜空でほとんど重なって見えます。これはその惑星達に、特別に強力なフォースを与えるフォーメーションです。

前回これと同じコンジャンクションとパラレルの同時形成が木星・土星の間で起きたのは1226年3月で、今回と同じ風性星座宮の水瓶座1°~2°でした。つまりそれは、 “刻の大王” とも呼ばれる「グレート・クロノクレーター」が、前回 風性星座宮で連続したコンジャンクションのシリーズを始めたその端緒となったときだったのです。



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  最長800年に及ぶ歴史を新たに書き換えていく、木星・土星コンジャンクション。その1回目がひさびさに風性星座宮の水瓶座0°台で起きる、2020年の暮れ。このアスペクトについては『フォーキャスト2021』(と『フォーキャスト2020』「ザ・グレート・ミューテーションと新時代の始まり:木星と土星」)で、メリマンさんがとても詳しく解説されています。なので、ここであまり触れようとは思いません。ただ世界にとって、日本の社会にとって、そしてもちろんわたし達ひとりひとりにとっても、思考や肉体性(物性)の捉え方、社会に対する感性の変わり目となる大きな節目であり、変革のアスペクトであることは確かです。木星・土星コンジャンクションがネイタルやプログレッションをダイレクトにヒットするひとはもちろん、間接的に経験するひとにとっても、身近な生活で何かが目に見えて変化するのを目撃する事例はこの先、どんどん増えてくるでしょう。

それは良いとか悪いとかではなく、ただ純粋に、超えていくべきハードルとして提供される物事であり、変化です。


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  一方、正確な木星・土星コンジャンクション形成の直前に、パラレル関係を維持しながら起きた15日の皆既日食。この記事の初めに説明したそのシンボル — 移民達/青い鳥 — が示唆するテーマを考えるにつけ、めぐり巡っていくその設定の絶妙さというか、この惑星グリッドのシステムが持つ螺旋構造の巧妙さを感じさせられて「ハイハイ そうですよね〜〜スミマセン、スミマセン、、、😱」的な気分にもなってしまいますw。

  今回 木星・土星コンジャンクションが起きるのは水瓶座0°台。ベース・シンボルは山羊座30°『秘密のビジネス会議』。そして裏の対向度数が蟹座30°『アメリカ革命の娘』。これらは、どちらも米国の建国史に底深く関わっているシンボルです。このところ米国に起きている前代未聞の出来事は、まさに必要な変革の端緒を開くものだと言えるのかもしれません(おそらく舞台上には必要とされる役者が揃い、必要とされる役割を演じている的な?)。そして、メインのシンボルは水瓶座1°『日干し煉瓦造りの古い伝導所』(裏の対向度数が獅子座1°『溢血症状』)です。

この伝導所のシンボルは、信仰の力や使命感に燃えてはるばる異郷の地にやってきた伝道師たちの情熱、現地で直面したそれぞれの辛苦や挫折、それにともなう霊的悩み、先住民とのあつれきという歴史的現実を通して「新しくもたらされる精神」と「古くからの基盤」とが摩擦を起こすさまを描いています。また、対向する獅子座1°の『溢血症状』のほうは、そんなエネルギー的葛藤の圧力が高まり、滞った状況を破って突然噴出するメカニズム、または危険性を示唆しています。1°手前の山羊座30°『秘密のビジネス会議』、そして蟹座30°の『アメリカ革命の娘』が、その基盤を示唆するものとして存在すると考えていいでしょう。これをどう解釈するか? それもまた場合により様々ですが、少なくとも米国にとって「根本的リニューアル」の始まりは明確に宣言されているように思えます。

  この日蝕がトランプ氏(とおそらく習近平氏)の太陽にオポジションで、次期副大統領とされるカマラ・ハリス氏のDCにコンジャンクト。その前の月蝕が、バイデン氏の土星にコンジャンクト。来年1月20日に誰が大統領としての宣誓を行うのであろうと、もうそんなことはあまり関係ないのかもしれません。2021年の大統領は任期を全う出来ない可能性もあることは、メリマンさんをはじめ複数のマンデーン・アストロロジャーが指摘しています。表には見えにくい米国の闇。その隅々まで、溜まりに溜まってきた歴史的因縁とその圧力を、どれだけクリアにしていけるのか? この日蝕とグレート・クロノクレーター、そして小惑星アメリカとのパラレルには、そんな課題への挑戦が示唆されているのかもしれません。


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  また一般に、水瓶座0°台(山羊座30°台)~1°台の流れは「自分の精神の最高峰」「自分自身が積み上げてきた最善の “新しさ”」を社会に提示したいという魂的な欲動と、「広く一般に受け入れられる形」を探っていくような行動心理の段階を示唆します。また、この度数を主体として見たとき、対向する獅子座0°台(蟹座30°台)~1°台は、そんな行動を起こしたとき最初に直面する反応、試練、挑戦や怖れを示唆することが多いです。その反応は、ときに自分自身の内部に起きる葛藤として顕れたり、不安や自己否定となって、必要な歩みを止めてしまうことがあります。また、他のひと達から理解されなかったり、(本人的には)理由もなく反発されたと感じるようなケースもあります。それが他者からの反応であれ、反動であれ、いずれにしても予期せぬときに突然頭をもたげてわたし達を驚かせるし、「さぁどうする?」と新たな現実を突き付けてきます。

  そんなときに頼りになるのは、おそらく自分自身がこれまで「ちゃんと戦ってきたんだ」という記憶かもしれません(それは今生ここまでの人生の記憶かもしれないし、輪廻や転生を通しての記憶かもしれない)。 

あるいは一種の「体感」として常に存在する、生きようとする力..。自分なりに。自分のやり方で。そうやってここまで来た。これからも行く。自分にとっての「これ!」を護るために。それが全体に拡がって、繋がっていく...そんな感覚。そして、突然。突如として全てを変化させるような爆発力が内部に。あるいは伝染力が外部に。

  こうした動きは良い方向にも、悪しき方向にも起きてきます。都合の良いことだけ、悪いことだけなんてあり得ない。慣れたころに、忘れたころに、わたし達の選択とともに、いろんなサイクルで繰り返し起きてくるでしょう。木星・土星の風性コンジャンクション。風のグレート・クロノクレーターは、そうやってわたし達を、次の状況、次の時代、次の世代へと送り出していくのだと思います。

  またこの度数は、ケンタウルス族の小惑星フォルスの発見時の度数としても知られています。フォルスの象意は「徐々に蓄積されてきた圧力が限界値を超えて突然噴出する」「予兆や前兆を感じる力」「不注意な精神に陥ることへの戒め」です。

でも、それがこの太陽系の意志を構成するグリッドの示唆であるなら、そのシンボルが包含し体現する「ことばを超えた天空の思慮」を知った上で、自ら乗っていくこと、受けて立っていく以外の道はないと思います。わたし達は皆、それを選びそれを引き受けて今ここに在るのだし、そしてその体験を通して新しい選択をするのも、やはりわたし達自身なのだから。


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<その他、木星・土星がらみのアスペクトについてメモ的に>

木星・土星コンジャンクションとケンタウルス族のキラルスがオポジション
 加えてエケクルス・イクシオン・ニッポニアとでイリテーション・レクタングル

木星・土星コンジャンクションと金星のセクスタイルからエケクルスにYOD
木星土星・キラルスのオポジションを金星とジュノーが調停


  (日本全体を覆う突然の危機的状況に対し、徹底的で臨機応変で、少し無頼とも言えるような対応で乗り切っていくような感じかな...)

アスボルスとオポジションの新月・日蝕をエリスが調停
ニッポニア(イクシオン)とレクイエムからハイジーアにクァドリフォーム

 (これもどちらかというと「いつか死すべきもの」としての自分の存在をよく認識したうえで、それでも永遠性を掴もうと戦う「一個の存在としての精神」。「塵や炭素としての気概」を徹底的に使っていく感じとでも言うか..)

オルクス(冥界の渡し守/冥王星と同格)・ルシファーのコンジャンクションと木星・土星がセスキスクエア
  +
月のノード軸に対して魚座の海王星がTスクエア

 (乙女座13°台に在泊するオルクスとルシファーの組み合わせは「絶対的・父権的な力」「抗えない大きな力」または「権力」に全てを頼って護られたいという欲望、ひとりひとりが自分のこととして負うべき責任を避けて、自分より大きい(と思う)力に肩代わりしてもらい、良いところだけを取りたいという願望に繋がるかもしれない。大きな変革とそれにともなう困難の中にあって『自分の代わりにもっと強く、もっと力のある存在が戦ってくれるべきだ。わたしは弱いのだから』なんて感じるとか。それは当然自分自身を弱くするのだけど、突然の大きな変化に翻弄されるとき、わたし達は気付かないうちに、ふとそんな思考に囚われがちかもしれない。 

  ところでここしばらく、月のノード軸に対する魚座の海王星のTスクエアが続いている。これはかなりのクセ者アスペクトなので、木星・土星コンジャンクション+オルクス・ルシファーのコンジャンクションに対し、その大背景としてともに働いているかもしれない。

よくメリマンさんがマンデーンや相場の解説で、魚座の海王星を「ユーフォリア」「多幸症的な状態」に例えるけれど、それはわたし達の精神をどこか「超現実的」な感覚へと導く。目の前で起きていることは一応認識しているし、対応だってしている。だけど、でも... 何だろう? 薄膜を隔てたような? スクリーン越しに体験しているような? けっして現実感がないわけじゃない。でも、物事にがっしりした「触感」があるかといえば..わからない。

普段は忙しさに紛れている。けどふとした隙に、動いているのとまったく同時に、ボォっと眺めてる自分も存在している。あちこちでとんでもない事が沢山起きている。いや、自分にだって起きてるし。なのに何なんだこれ? 現実との間に薄膜が張られているような、本当に感覚を凝らさないと知覚出来ないような微細な違和感...とか。顕れ方はひとにより千差万別だと思うので、この例えが万能とは思わないけれど。ただ、どこか拭いきれない胡散臭さ、嘘くささ、非現実的な疑念が付きまとう、この不可思議さ。風性時代への移行期に吹き荒れる、粒子とも波動ともつかない超現実的な、ファントム。


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  こうした魚座の海王星効果は、感情的な辛さをフワッと救ってくれることがある。それは必要な休養をとるためにはとても良いこと。でもその反面、徹底的に直面して乗り越えることが必要な痛みや後悔の念から「避難」するための「半透明の檻」を用意し、さぁどうぞとばかりに誘ってくることもある。そしていつの間にか、わたし達はその檻に閉じ込められてしまう。乙女座13°台のシンボルは、ベースが『政治的ヒステリー状態を制圧する力強い手』、メインが『家系図』。そこに在泊するオルクス・ルシファーのコンジャンクションは『ねぇねぇ、このテーマをどう使ってみる?』とわたし達に問いかけ、挑戦し、誘惑しているのかもしれない。これを外界の力としてスクリーン上に観るのか? それとも自分の体を流れる血液、内在するエネルギーとして、使うのか? 

それでもわたし達は、自分を「ここまでの存在」として諦め、より大きな力(運命や宿命や、定めとかその他、そのときの自分を納得させてくれる対象)に委ねる行為を「美しい」「賢明だ」と感じるかもしれない。そしてその流れに抗うことを「愚かなこと」と蔑むかもしれない。それもひとつの選択だし、世界はわたし達が行う選択の集積として動いていく。けれど、今という変革と混乱の時期にあって、何が賢明で何が愚かなのか... それを識別するなんて、どんな識者にも、どんな知性にも、不可能ではないだろうか。

ともするとフラッシイな魚座の海王星の下で。厳しい変革を迫る木星・土星のコンジャンクションの下で。全ての美徳も、正義と考えられてきたことさえも、疑わしい姿を曝すことになる。わたし達はそんな中で、愚直なまでに自分のダンスを踊り続けることが出来るだろうか? ときにお腹の底から全てを笑いとばしながら。


<これからの惑星スケジュール少し>

★12月16日 金星が射手座入り💓
★12月19日 深夜 木星土星が水瓶座入り(キラルスとオポジション)🌪
★12月20日 太陽・水星が射手座28°台でコンジャンクト🌞

★12月21日 19:22 冬至(太陽が山羊座入り)⛄
 太陽・水星・イクシオンがコンジャンクト🌋
😡
 日本冬至図のMC上で火星・エリスがコンジャンクション
😡🌋

★12月22日 01:15前後 木星・土星が正確なコンジャンクション🌪🌬
 太陽・水星が山羊座入り🌰
 火星・エリスの正確なコンジャンクション😡🌋

 木星・土星コンジャンクションは、冬至の太陽が沈んだ直後の夕刻17時台には南西の空にぴたりと寄り添って見ることが出来るかも。

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★12月30日 蟹座8°53で満月!(再び月がOOB) 🌕

★12月31日  金星・月のサウスノードがコンジャンクト

★2021年1月10日 土星・水星が水瓶座2°台でコンジャンクト

★1月13日 山羊座23°13で新月!🌚


という感じでしょうか(何か抜けてるかもしれないけど😅)。


...だいぶ遅くなってしまったけれど、こうして今年最後の星読みを置いておきます。(ブログの更新も、たぶん今年はこれが最後になると思います。)

これから年末年始にかけては、本当に一生に一度と言ってもいいくらい多彩な星々の囁きが聞かれるかもしれません。

コロナ禍の下、いろいろ大変なひとがいっぱい。戦っているひとも沢山。

そんな中で懸命に自分の道を歩みつづける、ごくフツウの戦士さん達に
内なる勇気と力がいっぱい湧いてきますように...🍀 良い年を!


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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 22:40|PermalinkComments(2)

November 14, 2020

🌑11/15日の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  11月15日14:26前後、北海道周辺で 14:32前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は14:07頃、沖縄周辺では13:37前後に蠍座 23°17’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月♏️ 蠍座23°~24°― 発効期:11/15~12/14 】


→🌑🌞“A bunny metamorphosed into a fairy”
   『妖精へと変容するウサギ
    ↓
→🌑🌞“Crowds coming down the mountain to listen to one man”
   『一人の男の話を聞きに山から下りてくる群衆

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。


→★異現実の中でふと訪れる「非現実感」の中を浮遊しながら平静を保つ
→★同じ世に生きながら人それぞれの現実が全く異なることをよく知る必要
→★異なる領域から触れてくる何か/何者かの意識を感じる
→★何も思い煩うことのないぬくもりや優しさへのノスタルジー
→★言葉のやり取りの中で共有している「現実」と「幻実」を識別する必要
→★一過性の歓喜とその後に来るリアリティとの不可思議なギャップ
→★鍛えられた感受性でバーチャルとフィジカルの曖昧な境目を認識する
→★他者のエネルギーフィールドに過敏に反応することへの自覚の必要
→★結末のわからない物語を「自然な流れに乗る」ように生きる遊び心
→★信じること/信じないことの境界線に立ちながら自分の道を探り歩む
→★他者に自分の力を見せつけなければならないという脅迫観念、または
  そこから自由になるという意志
→★社会の目や他のひと達から投影された自分の姿を利用するか
  または抗って異なる道を選ぶかの岐路
→★噂話や中傷に折れることなく真っ向から挑戦し続けるために必要な誇り
→★今の自分の現状を受け入れて留まるか、保証無しの一歩を踏み出すかの決断
→★抑えつけたり従わせようとする脅しの力に負けることのない「無欲の力」
→★思考、感性、話し方、物腰を臨機応変に変えるだけの柔軟さが必要になる
→★群れをなす群衆から一歩抜け出て「今」を見極めるための闘い
→★圧力釜に籠もった緊張のエネルギーを暴発しないよう小出しに抜く必要…→         


★エネルギーのポイント:

前回の新月『沈思し、区切り、挑戦に備える』
             
今回の新月『“さわれるものを基盤として現実に根を張る
                               

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  では前置き抜きでサビアン・シンボルから入りますね。このところ世の中にはいちいち追う間もないほど驚くようなことが沢山起きていて、いろいろ思ったりする今日この頃ではありますが...😓


★11月新月のサビアン・シンボル★

  前回と同じようにこの新月も、もう何年も前に一度満月で体験しています。なので覚えのあるひとがいるかもしれません。ただ同じテーマでもそのときどきによって感じ方、対処の仕方は変わるもの。なので前回の解説と同じところもあれば、かなり変えた部分もあります。


🌚 新月のベース・シンボル:
   蠍座23°『妖精へと変容するウサギ』


  ウサギが妖精に変容する...なんだかとてもファンタジックなイメージですね。まるでおとぎ話の1シーンみたい。でもここは底深い蠍座の第二ディーカン。ならばやっぱり、単なるフェアリーテールでは済まないのかな? これはごくありふれた日常の経験領域から、なにかとても特別で稀有な空間への通路がパッと開いてしまう...そんな感覚。自分から意識して開くのではなく、ただ出会い頭に偶然触れてしまう。または向こうから、触れてくる。

例えば何かの拍子に、不思議なものが見えた気がする。音が、ことばが、聞こえたような気がする。夢じゃない、本当に今、何かをはっきりと感じた...。それはきっと、わたしだけの、価値ある体験かもしれない。


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  原文ではこの「ウサギ」に「bunny」という名詞が使われています。これはウサギを意味する「rabbit」に「ちっぽけな」という含みをプラスした呼び名です。だから必ずしも子ウサギとは言えないけど、野性というよりは、人間にとってどこかしら親しみを感じる愛らしい(またはイタズラっ子的な)存在としてのウサギなのでしょう。この「bunny」の語源はスコットランドのことば「bun」で、ウサギのしっぽのこと。一般にウサギはその長い耳が特徴とされているけど、実はお尻(butt)についた小さくてまあるい尻尾が可愛い「バニーちゃん」の “しるし” なんですね。また妖精「Fairy」はとても魅力的だけど、存在としてはどこか曖昧でこの世ともあの世ともつかない領域の住人です。B.ボヴィはこの「Fairy」ということばの語源も示しているのですが、それはフランス古語の「Fae」「Fata」そして「Fati」との繫がりがあるそうです。Fae と Fata は「物事の定め」運命や宿命を意味することばで、Fati とは「話されていること」そして「聖なることば」。だからこそ、「妖精」との出逢いは人間にとってなにかとても「特別」なことで、そこからは常に新しい物語が生まれてきたのでしょう。

  そして「変容する」こと。「Metamorphosis」。それは形が変わること。容姿や容貌が変化すること。「変身」「変態」「変成」「化生」という訳語が一般的だけど、本当に身も心も変わってしまうのか? それとも外側のカタチだけが変わって見えるのか? それを「見た」と思うわたし達にはそこまではわかりません。それは謎のままです。


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  ちょっと横道に逸れるけど、ことばは人間とともに生きて、変化していきます。なのでこうして語源やことばの来し方、意味を探っていくことって、サビアン・シンボルを理解するには欠かせないことかもしれません。何故なら、本来はことばを超えている何か(惑星グリッドが発するフォース)を、ことばを使って象徴的に描写するのがサビアン・シンボルだから。

なので「bunny」「fairy」「metamorphose」という三つの要素をここで繋げてみましょう。すると『ウサギが持つ可愛いお尻から来た愛らしい名前(の存在)が、“聖なることば” の力によって超自然的な存在に変容する』ってことになります。ん...あれ? ますます謎が深まってしまったような...? さすがミステリアスな蠍座のシンボル。一筋縄ではいかないようです。じゃ、ヒントを得るために、いつものように対向し補完する度数、牡牛座23°を覗いてみましょう。


牡牛座23°『宝飾店』

  ここはきらびやかな宝飾店。立派なショーケースには光輝くジュエリーが沢山飾られています。B.ボヴィの解説によれば、この「Jewelry」ということばはラテン語の “iocus” が語源で、なんと「ジョーク」と同類語なのだそうです。また、フランスの古語で “Juel” と言えば「子供のオモチャ」「取るに足りないもの」「遊び」を意味するのだとか。

  ジュエリー・ショップに所狭しと陳列されている、光輝くアクセサリーは、身に着けてみるだけで “気分が上がる” ものが沢山。美しく澄み切った宝石、素敵な細工のネックレスや指輪、熟練した職人が創り上げた高級時計。でも、たとえそれが本物のダイヤやサファイアではなくガラス玉に過ぎなかったとしても、ジュエリーを身に着けた自分を眺めるとき、その煌めきは何か「特別」な感覚を与えてくれます。それっていったい何だろう? 地味な日常をひととき忘れさせてくれる華やぎ? 憧れのステイタスの証し? 自分がその輝きに相応しい存在だと感じられる歓びや自信でしょうか? もしかしたらわたし達は、そのひとときの煌めきの中に、もうひとりの自分の「物語」を重ね合わせ、変容するのかもしれません。それはときに「夢」であり、ときには「遊びごころ」だったりもします。


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  けれど、もしその宝飾点の品が本物を騙った偽物だったらどうでしょう。良く出来た偽物って素人が見ても全くわからないといいます。本物を見分ける目を養うには、それなりの知識と経験が必要です。煌びやかな宝飾店は、実は偽物を高価な値段で売りつける悪徳ショップかもしれません。いえ、その前に。たとえ信用のおけるまっとうな老舗だったとしても。そのジュエリーの価値はわたし達自身にとって、つけられた値段に見合うものなのでしょうか? 煌めくジュエリーの価値、いえモノの価値って、いったい何だろう? もしかしたらそれは、「わたし」が属する人生領域と「社会」との間でその時々に変化する、相対的な尺度に過ぎないのかもしれません。

  さて、バニーちゃんに戻ってみましょう。ここは深い森の中。考えごとをしたいと思った「わたし」は、ひとり森の小径を歩いています。澄んだ空気の中、木々は鬱蒼として佇み、仄暗い小径のところどころを木漏れ日が照らしています。そのとき。目の端に何かが映ります。ん? ウサギ? ハッとして顔を向けてみると、今まさに一匹の可愛らしいウサギが漠とした光を放ち、何かに変容しようとするところ。森の深い緑を背に淡く拡がる青白い光。その中でゆらめく小さな姿。あれは... 妖精?

それはまぎれもなく、特別な一瞬。特別な経験です。小さなウサギは世界の中で、一つの領域から別の領域の存在へと変容した。またはあるモノから、何か別のモノへと変わった。それを「わたし」は確かに、見た。まるで夢のよう。本当でも嘘でもかまわない。それは「わたし」の物語になったのだから。


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  さて「わたし」は本当に、次元の違う領域に棲む不思議な存在と触れあったのでしょうか? それとも、森(または宝飾店)の特別な雰囲気の中で、または深い願望に突き動かされて、何かの錯覚をそのまま信じ込んだのでしょうか?(英語のイディオムには “butt of jokes” — ジョークのお尻=「笑いのネタ」なんて言い回しもあるのですが...)

何を信じるかはひとそれぞれです。世界が違えば「現実」だって異なります。だからウサギが妖精になる世界だってきっとある。そして素晴らしい宝飾品はガラス玉で出来ていたりする。けれどわたし達は、そんな体験の中でいったい何に価値を見出すのでしょう? 何を見たいのでしょう?


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  蠍座の空の下で。深い森がわたし達を招き、暗い谷底を流れる川の水音がわたし達を呼んでいる。何が真実で何がウソなのか? 何を信じればいいのか? いえ、「信じる」行為に頼り、ひたすら人生の物語を紡ぎ上げることなんて出来るんだろうか? いつもどこかで密かに疑いながら?

  現実と虚構の狭間でそれと知りながら囚われず、楽しむことが出来るなら。それは高度な「遊び」かもしれない。お金が必要なら、それを信じてひととき励む。愛情が必要なら、それを信じて頑張ってみる。主義主張が大事なら、勝者となるべく策をめぐらす。囚われずに。信じる or 信じない。その両方をいっぺんに楽しみ、そのど真ん中を突き抜けていく遊び。もしかしたらそんな遊びを遊ぶことの中にこそ、そしてその一歩先にこそ、自分の現実を本当の意味で創っていく力が育つのかもしれません。それは強靱な精神だけが理解することの出来る、「生きる」という“粋” な遊戯の世界ではないでしょうか?


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じゃ、次のテーマは何かな?
では今回のメイン・シンボルにいってみましょう。


🌚 新月のメイン・シンボル:
  蠍座24°『一人の男の話を聞きに山から下りてくる群衆』


  さて、嘘と真実が混ざり合い、混沌とした現実。その狭間を行くわたし達に示される、今後1ヵ月のメインテーマは「一人の男の話を聞きに山から下りてくる群衆」です。このシンボルが面白いのは、普通、群衆が誰かの話を聞きに集まるときのイメージって、皆が話し手を見上げるような形になりそうなのに、ここでは群衆のほうが高い山の上から下りてくるところではないでしょうか。

わざわざ下山してくるということは、「山上」は精神面というよりも社会的なステイタスを象徴しているのかもしれません。 ここに描かれる「一人の男」は、大勢のひとびとに伝えるべきメッセージを確かに持っているようです。そんな噂を聞きつけて、山上に住むひと達が「いったいどんな男がどんな話をしようというんだ?」とばかりに興味津々でゾロゾロと下りてきます。たぶん男が伝えるメッセージは、山上のひとびとにとって耳慣れた話ではないでしょう。ロジックだって全然異なるかもしれません。それに、山上に招かれたわけではないから、きっとこの男はまだ無名か、後ろ盾がなく孤独な存在かもしれません。ならば、これからが勝負です。彼は自分が発することばの力、そのパフォーマンスによって群衆に力強いメッセージを伝え、共感を呼ぶことが出来るでしょうか? 感銘を与えられるのでしょうか? 


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  ではこちらも、対向し補完する度数のシンボルで課題の謎を探ってみましょう。


牡牛座24°『頭髪をスカルプロックにした馬上のインディアン』

  このシンボルに出てくる「スカルプロック」というのは、頭を剃って一部だけ残した長い髪束のこと。北アメリカの一部のネイティブアメリカン部族に特有のヘアスタイルです。その束を結んで羽根飾りを付けたり、頭頂部の髪を立てたり、部族によって様々なヘアスタイルがあるようです。また「locks」というのはもともと毛束を作るために使った小枝のことで、曲げたり折ったり結んだり出来るしなやかさを持っていたのだとか。

  米国の開拓史博物館には、長い頭髪が付いた頭の皮が展示されています。これは敵を殺して頭の皮を剥ぎ、それを名誉として記念に飾るという風習があったからで、人類による戦争の歴史においては世界中で広く行われていた行為なのだそう。ちなみにネイティブアメリカンの全てにこうした習慣があったわけではないし、逆に開拓者のほうがインディアンの頭皮に懸賞金を出し、邪魔な敵である先住民族を少しでも多く殺すよう奨励していたこともあったそうです。喰うか喰われるか... ハリウッド製西部劇では見かけたことがないけれど、白人のスカルプロック・ハンターも存在していたんですね。


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  いずれにしてもスカルプロックとは、殺るか殺られるかという闘いの象徴です。そしてこのヘアスタイルは、彼が誰よりも勇猛果敢な戦士であることを、他者に対しても彼自身に対しても、誇りとともに証明するもの。また、ここで “scalp locks” と複数形で表現されているということは、彼が敵のスカルプロックを複数所有していることを示すのかもしれません。これもまた兵士にとっての勲章や戦闘機の撃墜マークのように、彼が「力の座」=馬上高く跨がる資格を持つ、大いなる戦士であることを裏付けるものです。

  では、山上から下りてりてくる群衆に語りかける男には、どんな運命が待っているでしょうか? 彼は武器を取って戦うわけではありません。けれど、やはり同じように大いなる戦士であることを要求されています。何故なら、山の上に暮らすひとびとはおそらく彼のテリトリーのひと達ではなく、考えも意見もものの見方も全く異なる、潜在的な “敵” かもしれないから。だからもしこの勝負に勝てなければ、まだ無名で後ろ盾もない男にとって、自分を見下す群衆を制御するすべはないでしょう。


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  このシンボルでは、彼の武器は「ことば」です。さらにはエネルギーと情熱でしょうか。彼は宗教家か預言者かもしれません。あるいは政治を志す若者や活動家、または自分の才能やアイデアのスポンサーを探す起業家かもしれません。彼には何か大きな目的があるはず。ならばハッタリや思い込みではなく、お遊びや偽のメッセージを売りつけるのでもなく、経験と現実に裏打ちされた “素晴らしい夢” を提示しなければならないでしょう。それも独りよがりではなく、山上のひとびとがともに共有出来る類いの “夢” を。あるときは真剣に聞き入り、また時折楽しく笑いさざめき、そしてときには共感の涙を流す...。

彼がどんな話をするにしても、本当にひとのこころを動かすに足るだけの内容と話法が要求されます。そしてそれは、最終的には彼自身の内部からほとばしり出る、真のエネルギー勝負となるはずです。 ひとり VS 群衆の闘いでは、群から頭ひとつ抜きんでて全体を見下ろし、観察し、なおかつ勇気をもって彼らの中に入り込み、率いていくことが必要とされます。あるときは厳しく自分を主張し、またあるときは寛大にふるまう。間違いは率直に認め、そして陽気に情け深く全体を包み込んでいく。またはそう感じさせるに足るほどの熱量。緩と急を使い分ける冷徹さ。それは個人同士の交渉術にも通じます。

うーん。“言うは易し” なんだけど、かなり難しそう...。


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  けれどこれは、リーダーのためのエネルギー。何かのために、誰かのために、そして自分自身が行くと決めた道のために。これ、と決めたときに身を賭して戦うことが出来るひとのために在るフォースです。わたし達はこれを、このテーマを、自分のレベルで、自分なりに、使いこなすことは出来るでしょうか? 周囲の雑音、思いがけないところから飛んでくる矢、見知らぬひと達の口さがない評価に惑うことなく。誇り高い馬上の戦士のように。どんなときも毅然と佇んでいられるでしょうか? 静かな怒りを秘め、柔軟な微笑みを湛えて。

  何か起きたとき、勝負するしないはひとそれぞれ。負けるが勝ち!なんてこともあるし、よく見極めて勝てる勝負しかしないという方法もあります。けれどいったん自分で決めた道を歩もうとすれば、そこには必ずと言っていいほど挑戦や試練がやってきます。その挑戦を受けて立つとすれば、それは何のため? 誰のため? 結局は、自分自身のため。自分には持って生まれた手つかずの「力」があること。人間としてどんな形に見えようとも、わたし達それぞれが生まれながらの「戦士」であることを、自分自身に証明するため。それは、人生の途上で必ず出逢うだろう「古い自分」という敵を倒すための戦いなのかもしれません。


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  ささやかに。密やかに。なお、ゆっくりと。今、まさに前進を始めた火星 — 戦士の惑星の鼓動に耳を澄ませ、蠍座という深海の最終航路を行くわたし達。遊戯。そして戦い。今、二つの領域がわたし達の視線の先に重なろうとしています。

さぁ、新月の暗い森深く分け入り、曖昧な青白色の光の中で、茂みに隠れるバニーをその手で妖精に変えてみましょうか? 火を噴く叫びや自己主張の声があちこちから聞こえてきそうなこの新月期。妖精は可愛いお尻を振りながら、こころなごむジョークを聞かせてくれるかもしれません...💓



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★11月新月の星模様とチャレンジ ★
(主なアスペクトとスケジュールざっと)

 ASC牡羊座02°00’
 MC:山羊座01°10’
 (惑星の位置は世界共通でもアングルの位置は日本の新月図だけのもの)
 ASCとMCがカーディナル・サインの初期度数で何かが動き出しそうな雰囲気も。そしてMCにはイクシオン、イカルス、フォルスと一癖も二癖もある小惑星がコンジャンクトし、ICにはケンタウルス族のエケクルス。これは他者に対する無関心さに出る場合もあるし、自我の強さや自己主張、何か溜まったものの突然の噴出として出るケースも考えられる。これが個人的に触れる場合、どんなことをしても、どんな手段をとっても何かを貫く、やり抜くという気持ちになるひとがいるかも。それに柔軟さをプラスしてうまく活かせると良いけれど、勇み足にならないよう、動く前によく考えて。いずれにしても自己と社会との関係には少し戦闘的な雰囲気が感じられるかも。ただただ忙しい、起きたことの尻拭いや後始末をしなければならない..などの状況もあり得るけれど、長い目で見ると貴重な体験としてプラスになるかもしれない。思い込みの強さを排して柔軟さや臨機応変の態度で切り抜けたいところ。

火星が14日から順行後の滞留状態
  14日土曜から順行に転じた火星は、射手座を行く火神アグニとトラインを形成し、溜まったエネルギーを前進の力に換える作業をこなしている。すでに視線は行く手に定めているけれど、本格的な動きはまだこれから。惑星が方向転換するときは一時的に力が強まるため、新月のテーマとも重なって、気分的にはかなり戦闘的な側面が出るかもしれない。ただ最初のうちはソロリソロリと、周囲の障害物に気をつけながら進むほうが良さそう。溜まったエネルギーをどう統御するか? フラストレーションとともに蓄積した疲れにも要注意。

新月とカプリコーン・ステリウム(木星、冥王星、土星)・パラスがセクスタイル
  パラスは公正さや明晰さを体現することが多く、しばしば政治に関連する。これがカプリコーン・ステリウムに参加し、新月とは調和的なセクスタイル。ただしMPに小惑星フィンクが入っており、一見穏やかに見えても内輪では裏切りや密告などの可能性も。個人でこれがネイタルに触れる場合は、機が熟したと思える時まであまりあちこち気を散らさず、一番大事なことに注意を向けておいたほうが良さそう。信頼は大切だけど、ひとによってはそれが重荷になる状況があるかもしれない。

ノード軸・海王星がスクエア
 正確なスクエア形成は海王星が順行した後の来年1月26日~28日前後。
海王星が張る煙幕は当分続くので、何が真実か何が嘘かを見分けるのはとても困難。一方で理想や犠牲的精神、思いやりのこころは強く働くかもしれない。ただし、それを活かす方法が的外れにならないよう気をつけて。話すことば、書かれたことばの行間をよく読む必要があるかも。

新月とエリスがクインカンクス、ヒプノスとセスキスクエア
新月と天王星、BMリリスがクインデチレ
金星・エリス・カプリコーン・ステリウムがTスクエア
  木星・冥王星とエリスがスクエア、
   その両方から乙女座のヴェスタ・ルシファーにクァドリフォーム
 こちらもエリス絡みで一筋縄ではいかない感じも。初めてのこと、慣れないことでもやらなくてはならないときはある。訓練を経て、少しずつ、少しずつ、めげずに続けてみる意志があるかどうか? 何かを求められて、それで良しと思えるなら、踏み込んでみてもいいかもしれない。持続が鍵。けれどそれが欲に動かされた決断なら上手くいかないと思う。

11月14日 火星順行(牡羊座15°台)
11月17日〜19日 月がOOB
11月17日 木星・エリスが正確なスクエア(山羊座・牡羊座23°台)
11月22日 太陽が射手座にイングレス(少し雰囲気が変わりそう)
11月29日 海王星順行(魚座18°台)
11月30日 双子座8°38’で半影月蝕の満月!
12月 3日 土星・パラスがコンジャンクト(山羊座28°台)
12月10日 冥王星・エリスが正確なスクエア(山羊座・牡羊座23°台)
12月15日 射手座23°08’で皆既日蝕!


  さて、今回はこんなところかな...
  (もしかしたらスケジュールに抜けがあるかも😅)


  なんだかいろいろと、勝負どころ(今後もいくつかありそう)を迎える物事も多そうだけど。それでも季節は巡り、美しく色付いた木々と冷たくなっていく風の中で、遊びの精神に満ちたポジティブな競争に加わっていくひとも沢山いると思います。そんなひとへのキーワードをひとつだけ挙げるとしたら、それは「気高さ」かな。

外側で何が起きていても、勝っても負けても。自分の中の「それ」を失わずにいられたら。本当は今、それが一番の収穫かもしれない。

まだまだコロナ禍が続く中で、活動的になれるひとは少ないかもしれないけれど。負けずにここで、ちょっと胸を張ってみましょう。

人知れず歩む、ひとりの戦士のように、ね。



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have a great trek!!!★

hiyoka.




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October 16, 2020

🌑10/17の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  10月17日04:42前後、北海道周辺で 04:48前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は04:31頃、沖縄周辺では04:02前後に天秤座 23°53’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月♎️ 天秤座23°~24°― 発効期:10/17~11/14 】

🌑🌞“Chanticleer”
   『雄鶏』
    
🌑🌞“A third wing on the left side of a butterfly”
   『蝶の左側にある三枚目の翅』

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

→★自分が自分自身をどう見ているかがおのずと外に顕れていく光景
→★護りたいもの、隠したいことのために目立つことを避け慎重にふるまう
→★ひと、もの、立場など何かを喪失する不安や怖れの感情を克服する訓練
→★一見 取るに足りなく見える表層の下で進む重大な変化の予兆を感じ取る
→★大きな重荷に耐えて立つために必要な、理屈も言葉も不要の
   ただ「存在する」という誇り
→★達成したことや手に入れたものにまつわるプライドが行く手を妨げる危険
→★どうでもいい物や事に囲まれる重さから脱出したいという願望
→★他者の華やかさの中にちらりと見える灰色の苦しみを感じ取る
→★人間関係や所有物にまつわる粘着質で切りにくい絆を整理していく必要
→★自分にとって何が余剰で何が必須かを間違えずに判断していく必要
→★弱いことや無力であることの代償を他者に求め、それを得てバランスを崩す
→★疲れ目や目に関わる異常、または痙攣、痺れなどに注意
→★迂回し放っておいた物事の結果を突き付けられる経験
→★何かの終わりの季節を予感し、慎重に必要な準備と調整を始める…→         

★エネルギーのポイント:

前回の新月『半透明のトンネルの中を心眼を用いて歩く』
             
今回の新月沈思し、区切り、挑戦に備える
                               

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  あっという間にもう10月も半ばを過ぎました。送られてくる『フォーキャスト2021』の原稿に向かいながら、窓辺の秋景色を遠いもののようにチラ見する毎日が続いています。前回の新月から約1ヶ月。その間、故中曽根康弘元総理の合同葬の話題やヨーロッパを襲う COVID-19 の第二波、権威があるとされてきた組織や機関のスキャンダルや劣化の露呈など、前回の新月のベース・シンボル『半旗』に関連しそうなニュースが色々出ているようです。

そういえば ふと思ったのですが...今月初めからよくネットでも話題に上る「日本学術会議」の問題もまた、もしかしたらあのシンボル『半旗』(と裏の『聖職の粛清』)そしてメインの『振り香炉を持つ少年』が示唆したテーマに沿った社会現象のひとつかもしれません。もちろん、わたし自身は組織の詳しい事情も知らない部外者に過ぎませんし、本当の内部事情などわかりません。それでもチャートを作成してみると、やはり強い関連性が感じられます。

日本学術会議の設立図(1949年1月20日東京、時間不明)の太陽は山羊座29°台(シンボルは『秘密のビジネス会議』— 力、知性、権力)で、そこには9月17日新月図のMCがタイトにコンジャンクトしていました。今後はここに次々と土星、木星、冥王星が乗ってきます。そして冬至には、『フォーキャスト2020』でメリマンさんが「グレート・ミューテーションと新時代の始まり」を示唆すると指摘した木星・土星コンジャンクションが直近で起きます。

また、学術会議設立図の天王星には前回の新月がスクエアを形成し、同ネイタルのネッソス(カルマ的清算)には新月図の天王星がピタリとコンジャンクトしていました。

なのでここにもう一度、9月の新月記事から該当するシンボル解説の一部を掲載しておきます。

〜9月の新月記事から〜

  『太古から続いてきた神と人類との仲介者、聖なる長老達。...彼らの組織は長い歴史を刻みつつ大いなる権威を維持する中で、多くの部分が疲弊し、硬直してしまいました。今は全てを洗い流し浄めるとき。だからこそ、組織を解体し、相応しくない者達を外す必要があるのかもしれません

それは立場の喪失、根本的な変化、そして象徴的な死 ―「半旗」と重ね合わせることが出来ます。よくひとは世の中の出来事や風潮を嘆いて『○○はもう死んだ!』なんて言います。翻る半旗を見て、わたし達は哀惜の念に打たれるかもしれません。あるいは怒りに震えるかもしれません。

けれど、それこそが季節の変わり目。この世界に存在する一番の驚異とは「無常」であること。機関や制度の変化も、人生上の立場が変化することも、罰でもなければ報いでもない。今、全てを再編成する促しが来ているだけ...』

そしてその “残り香” は、様々な領域の様々な人生を巻き込みながら、世界の隅々までじわじわと拡がっていきます。

  今って本当に、壮大な通過点なんですね。

さぁ、また新月が巡ってきます。それじゃ始めましょう!


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★10月新月のサビアン・シンボル★

  今回もサビアン・シンボルのテーマからいきます。これは何年か前に満月で体験したシンボルですが、そのときの解説をもとに「今」の状況に合わせて変更・加筆しました。じゃ、以下のテーマを頭に入れて下のアスペクト編も読んでみてね。


🌑 新月のベース・シンボル:
   天秤座23°『雄鶏』


  さて、10月新月。ベースになるのは天秤座23°『雄鶏』というシンボルです。雄鶏は、朝になると思いっきり胸をふくらませ、高々と鳴きます。「コォケコッコー!!!」その大声は、まさに彼の序列が群の中で一番高位にあることの証し。「みんな!朝だぞ!オレ様の声をよく聞け!」 彼は今この瞬間、プライドの頂点を味わっているのかもしれません。まるで自分のひと声が太陽を昇らせ、朝という時を呼び寄せたのだとでもいうように。あるいは、もしかしたら… 上辺のけたたましさや堂々とした態度とは裏腹に、彼のナンバーワンとしての地位は今、若手の雄達に脅かされているのかもしれません。けれど、一度でも弱さを見せたら権力争いは負け。ボスの座は危ういものになります。だから彼はことさらけたたましく、オーバーなほど反っくり返って大声を張り上げているのかもしれません。そう思って見ると、何だかその虚勢を張って強がった姿は滑稽にさえ感じられます。ん? でも。。


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  まるでピエロみたいに思いっきり派手に装ったり、オーバーなふるまいで他者を牽制したりして、傍目には顰蹙を買ったり滑稽にさえ見えるひとがいたとして。その派手で単純に見える大ぶりのふるまいの下にはいったいどんな素顔が隠れているのでしょう? それを正確に見抜けるひとは、果たしているでしょうか?  

もしかしたら、この「雄鶏」が聞かせてくれるけたたましい叫びの裏には、したたかな駆け引きの策略が隠されているのかもしれません。自分を… 自分の優位性と手に入れた立場を護りぬくために。あるいは... 何か大きな目的を抱えながら、上辺の騒ぎにみんなが気を取られているうちに大事な物事を進めようとして? 

雄鶏の声で朝早くから起こされたわたし達は「うるさいなぁ..」と舌打ちします。わたし達には、そのけたたましい声の印象だけが残ります。「え? 雄鶏?あぁ、あの朝から騒いでる迷惑なヤツね。滑稽でバカバカしいパフォーマンスだよ。無視すればいい」。確かにそのとおりかもしれない。雄鶏は、バブルのように膨らんだプライドをせいいっぱい誇示しているだけかもしれない。あるいは内心ビクビクと怖れながら、小心な自分を見せまいとしてせいいっぱい胸を張っているだけかもしれない。けれど...。


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  ここは天秤座の第三ディーカン。次に控えるのは蠍座の深淵。その深みに向かう準備が始まる領域です。おバカで威張った雄鶏の鳴き声を聞いて舌打ちするだけで済むのかな? 本当にそれだけ? 何か見落としてないだろうか? 

  わたし達は社会の中で、日頃の人間関係の中で、様々なひとに出会い、互いに相手を判断します。その判断は何に基づいているのでしょう? まず外見や容貌。声のトーン、仕草や話しぶり。もう少し進んで仕事ぶりや態度、約束を守るかどうか、期待に応えてくれるかどうか...。何かをやってくれる。役立ってくれる。教えてくれる。導いてくれる。または、誉めてくれるとか...愛してくれる?

  それがビジネスの世界なら、ギブアンドテイクの関係です。対価に見合うだけの見返りを互いに求め、受け取ることがお約束。けれど人間対人間としての出会いならどうだろう? 止まり木でけたたましい鳴き声をあげている雄鶏を見て、わたし達は何を感じる取るんだろう...。

これをもう少し深く見ていくには、例によって対向の補完度数を見ていくのが良さそうです。



牡羊座23°
『重く貴重だが隠された荷物を運ぶパステルカラーで装った女』


  『重く貴重だが隠された荷物を持ち運ぶパステルカラーで装った女』。シンプルで視覚化しやすい天秤座側の『雄鶏」とはうって変わり、なにやら謎めいたシンボルです。この度数から(正確にはひとつ手前の22°から)次の24°への流れをひと言で言えば、わたし達が抱える様々な「欲望」に関わっているということを、以前書いたかもしれません。 ひと口に欲望といってもほんとに多様だけど、ここで言う欲望の正体は、わたし達が抱くあらゆる欲望の根っこに潜む、「まず自分」が全て…その追求が全て…という、とてもシンプルでナマで、理屈抜きの叫び。純粋な産声のようなものかもしれません。

このシンボルに出て来る女性は、明るいパステルカラーのドレスに身を包んでいます。何かが芽吹き、育っていく季節、春~夏にかけてのソフトな色合いの装いでしょうか。でも、彼女はとても大切で価値ある荷物を携えていて、それをひっそりと隠しているようです。B.ボヴィによると、原語の "pastel" は "pasta" つまり元々は「柔らかくて糊のように貼り付くもの」という意味を持つことばから派生したものだそうです。そこには淡いピンクやイエローなどの色相が持つ、どこかソフトにまとわりつくようなイメージが投影されているのかもしれません。


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  彼女はとても大切な荷物を重そうに運んでいます。それが何なのか、どんな形をしてどんな意味を持つのか? その答は柔らかい霧のようなベールに包まれて、曖昧なまま。"carrying" は「身ごもっている」という意味も持つことばなので、もしかしたら彼女はお腹の中に「これから生まれ出ようとする子供」という「重い荷物」を隠し持っているのかもしれません。ならば彼女は母として子供を護らねばと思っているでしょう。少しはにかむような気持ちもあるのかもしれません。でもきっとそんな責任感と同時に、内なる幸せもまた噛みしめていそうな気がします。あるいは逆に、何かとても重くて悩ましい物事を抱えていて、でも立場や責務を考えてそれを隠さねばならないのでしょうか..?

  あるいはその荷物は、これから辿り着くだろう新天地で新しい人生を切り拓くのに必要な資産、貴重な金塊? それとも、彼女には何かどうしても秘密裡にやらなければならない事があって、そのための貴重な道具をこっそり運んでいるとか? ならもしかして、彼女は美しい暗殺者?(なんて、想像するとキリがないけど..)いずれにしても、焦点は何か隠すべきものがあるということ。 


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  今は彼女の行動に誰も気付いていないけれど、その行為はやがて芽を吹き、結果となって顕れてくるでしょう。その「荷物」が幸せの種であれ、災いの元であれ、いずれにしても今は他のひと達の目に触れないように護る必要がありそうです。彼女はパステルカラーの曖昧なオーラにまぎれ、人と目を合わせることなく、自分の大切な何かを運んでいきます。それは彼女にとってはとてもヘヴィだけど、この先の人生にとっては必須のことなのかもしれません。きっと自分が… 自分で在り続けるために……。

  ここでひとつ面白いと思うのは、この一見ソフトな中に密やかな謀りごとをも思わせるシンボルが牡羊座側にあり、「わたしが一番だ!」とあからさまに叫ぶ雄鶏が、対人関係をテーマとする天秤座側に出てくることです。なんか逆のほうがしっくり来るなぁと思うけど、これは何を意味しているんだろう? 


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  牡羊座の第三ディーカンは(エボリューショナリー・アストロロジー的に言えば)純粋で手当たり次第の「わたし」の追求もピークに達し、これから牡牛座の物質領域 ― “わたしのもの”との同一化 ― に入る準備が始まるところ。天秤座の第三ディーカンは、「わたし」と「あなた」の支配/被支配関係の学びが最終段階に入り、これから蠍座の力の領域 ― 死と再生を通した究極の力への同化 ― を探求する準備が始まるあたり。なので、この度数軸には表層に描かれる光景から容易にくみ取れる象意の他にも、何かもう一段下に見え隠れする深みがあるのかもしれません。ちなみにこの度数軸とスクエアの関係になる蟹座・山羊座の23°台のシンボルには、共通項として「二重の領域」というイメージが浮上してきます(サビアン・シンボルの構造にはこういう例がよく出て来ます)。

  派手にけたたましく存在を主張する雄鶏。彼は自信に満ちた勇者か、プライドばかりが膨らんだ小心者か? その裏側で、そっと人目をしのんで荷物を持ち運ぶ女。彼女は今ある幸せを護ろうとするヒロインか、それとも何か暗い事情を隠し持つ謎の存在か? いえ、そのどれもが本当の姿かもしれません。


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  人間関係にスポットライトが当たりがちな天秤座の新月期。この構図は今まで気にもとめなかった部分に潜む人生模様と、それを営む人間が持つ複雑な習性の一コマを示唆しているようです。じゃ、あなたは、わたしは、どうだろう? 胸を張って『さぁ見てくれ!』と鳴く雄鶏を見て、何を想うだろう? 自分の判断が、もしも自分自身の期待を映す鏡に過ぎないのだとしたら? これは、来たるべき何かへの予感でもあり、判断を間違えないための警告でもあるのかもしれません。 

じゃ、メインのシンボルに行ってみましょう。
(ベースの説明がずいぶん長くなってしまったけど。。)  



🌑 新月のメイン・シンボル:
 天秤座24°『蝶の左側にある三枚目の翅』


        『蝶の左側にある三枚目の翅』...普通なら蝶って、右と左にそれぞれ前翅と後翅二枚があり、全部で四枚の翅を持つはずです。でも、このシンボルの蝶は左側に三枚目の翅が生えていて、全部で五枚の翅を持っているようです(もしかしたら、この場合は前翅と後翅で一枚の翅と数えているかのもしれません)。B.ボヴィはこのシンボルの情景について、こう言っています。『人生には何か “極めて特別なこと” が起こり得る。それは本当に、まばたきする間にも突然起きるかもしれない。そしてその出来事は、改めて何かを深く考え直してみる要因となるだろう』と。


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  それは、まばたきする間に起きる。眼を瞬間的に閉じて開ける、そのせつな。強い風に吹かれて窓がパタンと閉まってはまた開く、そんなわずかな合間に。けれど、再び開いた窓 ― こころの眼 ― から見える光景は、今まで認識していた世界とは全く違っていた....。 少しオーバーに言えば、おそらくこんな感じでしょうか?

『えぇ? そんな凄い経験したことないし、出来るものなら味わってみたいな。いろいろあっても結局は毎日同じような日の繰り返し。もう飽き飽きしてるんだから』今、そんなことを思ってるひと、いるでしょうか? 何か凄いこと...うーん。

でも、本当にわたし達の日々には何も起きてないんだろうか? 世界は変わっていないんだろうか? いや、世界は変わってるし、世の中も毎日けたたましい声でいっぱい。だから色んなことが変化してるのは確かだと思う。でも、自分の日常はとりあえず変わりばえしない。だって毎日大変なのはいつものことだし、きっとこれからだってずっと続くんだ.....。でもそれは....実はわたし達が全然変われないだけなのかもしれない。わたし達の「世界をすくい取る目」― 知覚を取り入れる網膜 ― がずっと同じまんまだからかもしれない。
 

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  わたし達はいつだって、「何かとても特別な瞬間」がもたらすエクスタシーを望んでいます。それを楽しみにしています。あるひとは「物」や「美」や「力」「称賛」にそれを感じ、あるひとは誰かとの「繫がり」にそれを求め、またあるひとは何かの「達成」や「成就」や「発見」にエクスタシーを感じ、また別のひと達は世界を徹底的に「拒否」したり、そこから「逃避」することに特別感を抱いたりします。 わたし達は、そんな「特別さ」に自分の確固たるアイデンティティを求め、それにしっかりと繋がって栄養補給されるような状態を望んでいるのかもしれません。それはもしかしたら「アイデンティティ」と呼ばれる、ヘソの緒。

  でもそんな「人生の特別な瞬間」をキャッチしようとしても…稀少で高い価値を持つ美しい蝶を、ホームセンターで売ってる “虫取り網” で捕まえようとしても難しいかもしれません。今持っている虫取り網 ― 「世界をすくい取る眼」は、そのままで本当に大丈夫かな? もしわたし達の網が粗すぎたなら、特別な蝶なんて見つからないかもしれません。たとえ見つかっても、あっという間に逃げてしまうでしょう。いえ、採った!と思ったら全然違う虫だったりするかもしれません。

そして、もしその蝶が本当に探し続けていた特別な存在だったとしたも… もしかしたら、まばたきする間にもそれは… 黒も白も無い曖昧なベールの彼方、「ここ」に在りながらまだ見たことのない「第三の内なる宇宙」へと飛び去ってしまう存在なのかもしれません。


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  それともう一つ、この蝶は一枚だけ余剰な翅を持っています。おそらく飛ぶにはバランスが悪いはず。もしかして..この蝶は「幸運の風」が吹くときにだけ飛べるんだろうか? そう、何か特別なときにだけ...。

またこの蝶の三枚目の翅は左側に生えています。左側。左ってことは...じゃ、何か新しくて理想的な社会主義を意味するのでしょうか? それとも強力なフェミニズム社会の隆盛? けれど、ポストモダンを経て混沌の中にある今の世界では、そもそも○○主義とか○○イズムという概念自体が古びた虫取りネットそのものなのかもしれません。ならばもしかして、何か右脳に通じる新しい感覚や能力を象徴しているのでしょうか? もしそうなら...いつの日か わたし達の身体に、スピリットに、何か真新しい知覚の翅が生えてくるスペシャルな瞬間がやって来るのかな? 

では対向する補完度数は何を示唆しているでしょう?


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『開かれた窓と風に吹かれて「豊穣の角」の形をとるネットのカーテン』


       『開かれた窓と風に吹かれて “豊穣の角” の形をとるネットのカーテン』...ん? そう、「窓」が出て来ます。「眼はこころの窓」。そしてアストロロジーでは「風」のエレメントは情報や思考を支配します。ならばこれは、わたし達が自分の眼を通して「外界」だと認識する空間から刺激を取り入れ、自分なりの思考を形作っていくその過程を象徴しているのかもしれません。 

窓を通して開かれた「外の世界」とわたし達のこころ ―「内的世界」― を隔てているのは、ネット状に編まれた一枚のカーテンです。ネットとは「網」。つまりレース状のカーテンを指すのでしょう。このカーテンの網模様は、粗かったり微細だったり、ひとそれぞれに異なります。わたし達ひとりひとりが、自分のこれまでの人生を通して編み上げてきたユニークな柄を持っているはず。


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  B.ボヴィによると、面白いことに英語のカーテン  “Curtain” という単語は、ラテン語の “cort” から来て “court” へと変化し、そして “cortex”、つまり「大脳皮質」という意味を持つことばへと繋がっていくのだそうです。 これは “gray matter”、つまり脳や脊髄の「灰白質」を指します。またこのグレイマターは、「頭脳」や「知識」という意味でも使われることばです。

       「網」はまた虫や魚を捕るためにも使われます。つまりわたし達は、それぞれにユニークな模様に編み上げてきた脳ミソの網目を通して「外界」の情報を半ば “自動的に” 取捨選択し、収集し、栄養にしているのかもしれません。

けれどわたし達にとって、「人生」っていつも「グレイエリア」であることが多いと思います。“ネット” を介して(!)無意識に拾ってしまう情報の数々。自分自身が編み上げてきた「人生」や「世界」の模様をすんなり通り抜けてきた風だけを取り入れる、わたし達の内界。そう考えると、自分が知らないこと、いえ、知ろうともしないことがどれだけ多いことだろうと思わされます。


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  また、B.ボヴィはこうも言っていました。『“ネット・プロフィット”と言えば「純利益」を指す。人生という、ともすると曖昧で黒白つけにくい領域から利益を得ようとするなら、常にそれに対する査定や評価が必要になる』と。

じゃ「豊穣の角」って? これはギリシャ神話に出て来る山羊の角。後に神々の王となるゼウスが恐ろしい父クロノスの目を避けて洞窟に隠れていた幼いころ、彼に山羊の乳を与えて育てたアマルティアの物語からのイメージです。アマルティアは山羊の角に沢山の果物や花を入れてゼウスに捧げたそうで、それが「豊富な食糧」「豊かさ」「富」「力/権力」を象徴するシンボルになりました。

       うーん『開かれた窓と風に吹かれて「豊穣の角」の形をとるネットのカーテン』か。ということは… ここでわたし達は、外界から吹き込む風 ― 強い刺激 ― によって、それぞれに自分が「豊かさ」「力」「特別な何か」として認識するイメージを見ていることになります。そして、そのイメージはきっと、わたし達の脳の網目を通してそれぞれの潜在意識に蓄積していくんですね。 でもそれは、本当にこれからのわたし達にとって素晴らしい豊かさの形なのでしょうか? 長い時間をかけて編み上げてきたわたし達の概念。それにともなうわたし達の知覚。 それは本当にこれから先、今までどおりの幸せ模様に沿って、情報の風を取捨選択するカーテンとしてあり続けるのでしょうか? 


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  「豊かさ」と言うとき、この世界では必ず「持つ者」「持たざる者」という両極のイメージがつきまといます。わたし達は幸せになるために「持つ者」になろうとします。そして出来るだけ多くの荷物を持とうとします。その荷物は「お金」かもしれないし、「力」や「人気」「ステイタス」、もしかしたら「愛」かもしれません。または「知識」や「能力」、もしかしたら「容貌」かもしれません。

「荷物なんて要らないよ!」って言うひともいるかな? でも、生きながら全く荷物を持たないひとをわたしは知りません。人間は欲望が無ければ生きてはいけないから。たとえそのひとが至高の道を求める求道者だったとしても、自分がこれだと信じる絶対者との邂逅や悟りを求める彼の深い欲望は計り知れないと思います。それは多かれ少なかれ、荷物ではないでしょうか?

  人間はそれぞれに荷物を持ち、欲望を原動力として生きていきます。けれどその途上で何度も何度も、自分の窓辺にかかったネットのカーテンを調べ直さなくてはならない節目にぶつかります。自分にとって特別な、他のどこにもいない三枚目の翅を持つ蝶に出逢おうとして。何か特別な感覚を味わおうとして。それはもしかしたら、もう一人の「わたし」との出逢いかもしれない。


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  けれどその蝶にとって...この世を生きるためには、三枚目の翅はただひたすら重荷になるだけかもしれません。だって奇蹟の風が吹かなければ、一生飛べないかもしれない。たとえ飛んでも、フラフラと彷徨うしかないかもしれない。三枚目の翅はどこまでいっても変異であって、けっして自然とはいえないのだから。でもそれは、わたし達が求めてやまなかった新しい世界、新しいアイデンティティなのかもしれません。 夢? そうかもしれない。バランスが悪い? そうかもしれない。けれど。バランスを崩しても、一歩踏み出す日がきっと来る。失うことを、出逢えないことを怖れなくなったときに。

  予感の中に。夢の中に。「わたし」はこのカタチでいいのか? この偏った網目のままでいいのか? 編み直す必要はないのか? カタチを持たない全体性の中で、確固としたカタチを求める社会の中で、「自分」というバランスをどう取っていけばいいだろう? 三枚目の翅を持つ蝶は飛べるだろうか? 蠍座の深淵から微かな風が吹いてくる、そんな位置に顕れるこのシンボルは、日々を何げなく生きているわたし達に、そんな根本的な問いを投げかけてくるように思えます。

この新月の度数コンビに見られる「持つ者と持たざる者」「特別であることへの憧れ」。そして「何かを持つことで生まれるプライド」と「喪失への怖れ」。その後ろ側に渦巻く様々な「動機」や「欲望」。それが良いとか悪いとかじゃない。だって全てがわたし達の中にあるのだから。今はただそれを見つめ、この壮大な通過点の先にどんな自分がいるのかについて、深く思いを馳せるときなのかもしれません。

 
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★10月新月の星模様とチャレンジ ★

(主なアスペクトとスケジュールざっと)

ASC:天秤座06°51’
MC:蟹座07°35
 (※惑星の位置は世界共通でもアングルの位置は日本の新月図だけのもの)

  アングルは何かを護りながら進んでいく感じ。どこかうっすらと「死の影」を感じる気配も。ただそれは具体的というより、おそらくイメージとしての「死」かもしれない。正しくあること、細やかなこと、そして何より「ぬくもり」への希求。突然の変化への潜在的な怖れやちょっとしたことが気になって苛立つような感じも。また、MCには今回のサビアン・シンボルが象徴するテーマの一つとも共振する『膨らんだプライドと小心さの対比』が示唆されている。ただ全体の創造性としては、満月から次の新月期への流れの中で「一時的な喧噪の中でどんなに世界や周囲の状況が激変して見えるとしても、変わらぬ自分らしさを追求していこうとするような原動力」へと変化していく可能性がある。コミュニケーションをとるなら細やかに。けれどよく考えた上で、もし不要な繫がりなら断つことも考慮したほうが良いかもしれない。


エリス(火星)とオポジションの新月
カプリコーン・ステリウムとスクエアの新月
 新月とエリス・火星、木星・土星・冥王星のTスクエア

  こういう複雑なグループアスペクトの場合は時によりひとにより、本当に様々な現象が立ち現れる。けれど一つだけ、サビアン・シンボルのテーマを基盤として抽出してみるなら、この新月は壮大な全人類的「自分探し」(バラバラに飛び散ってしまった「自分像」— 全体で考えればたった一つの理想的な社会の枠組み — の断片を手探りしながら混沌の中でもがく感じ)を背景に、足許を見つめながら不要な物事を見極め、自分らしさを再構築していく衝動として翻訳されるかもしれない。

水星と火星がダブルで逆行中なので、ふり返ってみたり、過去の出来事や人物が蘇ったりするかもしれない。自分にとって今、必須のことを明確に。そのためには、仕事や対人関係、時間の使い方を再考し、出来れば自分自身の “空きスペース” をもう少し増やせると良いかもしれない。自分の弱点や傷つきやすさをよく識り、それを全面的に受け入れた上で、なお胸をはって立つ感じ。他者の苦しみを理解しつつも、一体化しないこと。

新月図には表示されていないけれど、土星にはアンティゴネー、フランメウス、ガンロッドなど、確信犯的な抵抗や社会の混乱に関連しがちな小惑星もコンジャンクトしている。それぞれの赤緯も非常に近い。なので相変わらず世の中は騒がしいし、海外、特に選挙を控えた米国では銃撃事件や暴動がさらに悪化するのかもしれない。日本ではそこまでいかないにしても、やはり日常では危険な場所は避け、心理的にも自分と相手(または社会)の間に健全なスペースを保つほうが良いと思う。


恒星アルクトゥルス、スピカとコンジャンクトの新月

  恒星は太陽系外のとても遠い天体。だから社会であれ個人であれ、象意を量るときは他の惑星と区別して考える必要がある。高所からの俯瞰の視線。たとえば「対象となるものの歴史(または人生史)を遠くからふり返って詩にすればこうなる」という感じに近いと思う。つまり、恒星が語る言語は太陽と月、その他の惑星が示唆する象意の大背景に響き渡る「木霊」のようなもの。だから細部は全く異なっているように見えても大筋、または俯瞰で見る場合には納得出来ることが多い。なのでこの違いをふまえた上で:恒星研究に生涯を捧げたダイアナ・K・ローゼンバーグはこの二つの恒星が放つエネルギーをこんな風に語っている。

『…魚座時代の夜明けともいえる3世紀ごろは、この二つの星々が秋分を告げる役割を担った。その意味でアルクトゥルスとスピカは、古代からロイヤル・スターと呼ばれてきたアンタレスよりも「ロイヤル」という意味を強く示唆していると思われる。理想主義、独立独歩への情熱、機知に富んだ戦略を備え、人生の試練を追い求め強力な闘争本能を持つ。だが、その土台には平和や全体の安寧を願う精神が宿っている。ただし意義あることを為しながらも「抵抗と服従」「怠惰と規律」「勇気と小心」「物欲と清貧」「偏見と寛容」「希望や信頼と冷笑主義」「高貴さと卑賤さ」…など、人間の根源に宿る相反する多くの葛藤を常に抱えながら生きるケースが多い。事象としては、荒れる自然現象から戦争、動乱、社会不安、流星群や隕石落下、疫病の流行などに関連する...』
(Secrets of the Ancient Skies Vol.2 より一部を抜粋)


新月と天王星がクインデチレ
 水星・ジュノーのコンジャンクションとエリスがクインデチレ
 水星・ジュノーと天王星がオポジション
 新月とエリスがオポジション
 新月とコロニス(チャート非表示)がオポジション
 天王星・水星(とジュノー)ハイジーアとでTスクエア

金星とパラス・木星がトライン、海王星にオポジション


  新月、天王星、エリス、水星、ジュノーのグループアスペクトは、ちょうどイリテーション・レクタングルを半分に細くしたような長方形を形成している。これは15°と165°(クインデチレ)の組み合わせ。これはマイナーアスペクトということで派手な顕れにはならないかもしれないけれど、自分、または誰かのために、何かを今すぐにでも「補修、修理、改善しなければならない」という強い思いに囚われる可能性を示唆している。何かを強く主張したくなるのかもしれない。お金や体に関わることも考えられる。けれどその思いはちょっと混乱気味で、そのまま突っ走っても効果的な行動はとれない可能性が高い。まず物事の整理が必要。

また新月とオポジションのコロニスは、小惑星研究家のアレックス・ミラーが COVID-19 を象徴する可能性が高いとして最近のニューズレターで検証していた小惑星。これがエリスとコンジャクトして新月とオポジションになっていることは、新型コロナの第二波によって再び危険度が高まったことが確定的となったことを示すものかもしれない。なのでこれもまた、上述のクインデチレで形成されるレクタングルの一部に加わっている。またその一部であるジュノー・水星と天王星のオポジションに獅子座9°からハイジーア(ヒュゲイア)がTスクエアを形成している。ハイジーアは保健衛生を意味するので、これもまた COVID-19 関連で何らかの措置が必要とされるものと思われる。ただし水星逆行中のことなので、今後どう転換するか?


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  そんな中でも金星と木星のトラインの下なら、ちょうど21日〜23日夕暮れまで続く月のOOBとも重なって、人生の明るく楽しい側面を味わえるかも。このとき金星は温かく繊細な感性に彩られるかもしれない。またそれは、目に見えない領域からの後押しをハートに受けて、勇気付けられるような感じかもしれない。イージーな見返りを求めずに、協調しながらも、ひっそりと自分らしくあることが出来たら最高。音楽、アート、パフォーマンスなどから素敵なインスピレーションを得られるかも。ただこのとき、海王星とオポジション、逆行の火星とはクインカンクスも同時に形成するので、曖昧な約束をしたりそれに期待したり、何かを自分に都合よく解釈して後先考えず動いたり、ハメを外したお祭り騒ぎに酔ったりすれば、後で後悔することになりそう。

またこの先はすぐに冥王星とのトライン、土星とのトラインが続く。どちらも牡羊座のエリスとはスクエアなので、ラーニングトライアングルになる。土星の適度な境界線や醒めた現実の見方、冥王星の深淵を浚って探求するような精神を使えれば、新しい視野が開き、バランスを取れるようになるかもしれない。チラチラと胸の古傷にくる痛みをもし感じたら、「あぁまたやってるな、自分w」くらいに流してみて。それはたぶん、もう要らない。


  この先に控える山や谷、谷間を吹き渡る風。何に直面しても、自分らしく飛んでいけるように。繊細な蝶の「三枚目の翅」とは自分にとって何なのか? それを、自分で決めていこう。



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その他、惑星と小さな惑星達の絡み
(微細な味わいとして。関連する惑星を通して何か感じるかも?)

木星を中心に海王星とアグニの小三角

ある種の「火の試練」を通じてスピリチュアルなインスピレーションを得る可能性

水星・ネッソス・ヒプノスのGトライン

寛容さや救いの手に見えるものに注意 
または
幻惑の仮面を盾にして見えない壁を打ち破る
など。


では最後に、次の新月までの簡単なスケジュールを置いておきますね。

★主な惑星スケジュール★

10月18日〜19日 金星・海王星がオポジション
            金星・木星がトライン
10月19日 火星・木星が正確なスクエア
10月21日〜23日夕方 月がわずかに太陽の軛を離れてOOBに!
10月22日 金星・冥王星がトライン
10月23日深夜 太陽が蠍座にイングレス
10月25日 金星・土星がトライン
10月31日夜 牡牛座8°台で満月!(天王星とコンジャンクト) 
11月4日未明 水星が天秤座25°台から順行
11月9日 金星・火星がオポジション
       このあたりから木星・土星・冥王星とパラスがコンジャンクト
11月14日午前10時前 火星が牡羊座15°台から順行
11月15日午後 蠍座23°台で新月!



have a great trek!!!★

hiyoka.(^_^


hiyoka_blue at 19:48|PermalinkComments(7)

September 16, 2020

🌑9/17の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  9月17日20:23前後、北海道周辺で 20:29前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は20:00頃、沖縄周辺では19:32前後に乙女座 25°00’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月♍️ 乙女座25°~26°― 発効期:9/17~10/16 】

→🌑🌞“Flag at half-mast”
   『半旗
    ↓
→🌑🌞“A boy with a censer”
   『振り香炉を持つ少年

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

 
→★「現実」が常に移ろいゆくものであることを柔らかく受け止める
→★すべての物事や気持ちが端境期、または過渡期にあることを意識する
→★どれほど周囲が変化しようとも壊れることのない聖なる場を自己の内部に見る
→★新しい創造の時は常にいくばくかの哀しみをまとってやって来ることを知る
→★心身ともに断捨離願望や余計なものを全て捨て去りクリーンにしたくなる傾向
  体への顕れとしては清浄な食物や食の衛生が気になる(過度なケースも)
    または消化器系の過敏な働きに顕れる可能性
→★新たに開かれた戸口の前で怖れや不安が生じて立ちすくむ(思考麻痺に注意)
→★敬意と信頼をもって心を鎮めながら刷新の過渡期を過ぎ越していく必要
→★一見ありふれた物事に対して驚くほど沢山の異なる解釈が生まれる
→★それぞれが識別する世界の違いによって明確に分かれていく道
→★匂い、香り、臭気、または揺れ動く物体に関わる強力な反応
→★何かを護るために(または攻撃の機をうかがって)煙幕をはる
→★慣れすぎて淀んでいた空気を一変させる密やかな影響力の拡がり
→★未来を一定の方向に導く「力」としての「残り火」を温存しておく
→★どうしても動かない物事、不可能な物事を実現しようとする衝動
→★鋳型にはまらない精神だけがまだ形を持たない未来を見ることを知る…→         

★エネルギーのポイント:

前回の新月『温故知新 ― 区切りをつけ、戻り、受け入れ、刷新する』
             ↓
今回の新月『半透明のトンネルの中を心眼を用いて歩く』
                               

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★9月新月のサビアン・シンボル★

今回もサビアン・シンボルのテーマからいってみます。以下のテーマを頭に入れて、アスペクト編を読んでみてね。


🌑 新月のベース・シンボル:
   乙女座25°『半旗』(Flag at half-mast)

  この新月のベースとなるシンボルは『半旗』。半旗といえば、一国の指導者や歴史的功労者の死去、または戦争や大きな災厄の犠牲者を悼む証しとして国や機関の建物に掲げられる国旗/旗のことです。半旗はその目印として、ポール全長の半ばまで旗を揚げる形を取ります。


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  なので「半旗」ということばからすぐに想起されるのは、やはり「死」や「災厄」「喪失」といったイメージではないでしょうか。そして、たぶんその手の出来事も暗示される兆候のひとつとしてはあり得るかもしれません。けれどこのシンボルの本質は、もっと別のところにありそうです。

  「半旗」は公的な掲示物。それは「喪に服している」ことを一般のひとびとに認識させ、普遍的な敬意を払うことをあまねく知らしめるための目印です。そしてこれに使われる「旗」とは、その国、社会、または宗教的なアイデンティティの象徴であり、公共の場で「何かを皆に呼びかけるもの」。よく「旗色が良い・悪い」という言い方をすることがありますね。英語では『with flying colors』で「見事な成功を収める」という意味になりますが、これは「勝利の旗をはためかす」という光景から来たことばだそうです。

では旗色が良くて見事な成功を収めたとき、その旗が半分の高さにしか掲げられていなければどうでしょう? 成功の印としては地味すぎるかもしれません。けれどもしかしたらそれは、個的なプライドと社会的な敬意とのバランスを見計らった上で計画された、ある種の「広報」のあり方かもしれません。あるいはもしかしたら、告知していることが実はすべてではないことを匂わせる見せかけのショーかもしれません。


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  半分の高さ、半分の深み、半分の行程... そして明確なアイデンティティを示すはずの旗を、通常の半分だけ掲げることを通じて行われる告知。「半分」とはいったい何を象徴するのでしょう? それは何かを宣言しているようで、本当はその後ろ側にまだ明確でない多くの物事が入り混じっている状態なのかもしれません。

B.ボヴィはこのシンボルを解説するにあたって、英国に古くから伝わるマザー・グースの童謡『ヨーク大公』を例に挙げていました。


Nursery Rhymes By Kids Baby Club - Grand Old Duke Of York

おぉ 偉大なヨーク公
率いるは一万人の兵士達
山の頂上まで行進させて
山のふもとまで降ろした
頂上にいるときは  上にいる
降りたときには  下にいる
半分だけ登ったら 上でも下でもない ♪


  そう、これが『半旗』の核心。だとしたら、これは全ての物事が、何をどう見るか?という知覚と尺度にかかってるということではないでしょうか。
またB.ボヴィはこうも言っていました。

『ここに水を半分注いだグラスがある。ではグラスは半分空っぽなのか? それとも半分満たされているのか?』と。

ならばそれはこんな問いにも繋がりそうです。今は「まだ」なのか?「もう」なのか? それとも「まだ」でも「もう」でもない... そんな時空にわたしはいるのか?


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  うーん、これをもっと深く理解するためには、まず対向し補完しあう魚座25°のテーマを覗いてみるのが手っ取り早いかもしれません。そのシンボルは『聖職の粛清』です。む。これもなんとなく穏やかとはいえない響きだけど...?


魚座25°『聖職の粛清』(A purging of the priesthood)


  B.ボヴィによれば、「聖職」とは神の調停者として奉仕する長老達が負う役割、または役職を指すのだそうです。つまり「聖職」とは、聖なる奉仕という宗教的な目的を第一義とする集団の、内部構造の核となる組織です。その一員として任命されるということは、 “神性を仲立ちする者” として礼拝するひとびとの共同体に奉仕することに他なりません。なので “聖職の粛清” というと、その長老階層の秩序になんらかの乱れが生じているとき、それを “清める” というイメージになります。「粛清」”purge”とは、不純物を取り除き、清める行為を意味します。


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  ローマン・カトリックの教えでは、死後の世界に「煉獄」という領域があるとされています。それは、魂が十分に浄化され天に召されるために必要な、一時的・中間的な状態、またはある領域のこと。そう、クレンジングの場です。たとえば北米インディアンのスウェットロッジにも見られるように、こうした概念はほとんどすべてのスピリチュアルな伝統に共通しているのではないでしょうか。魂がある段階からもうひとつ次元の異なる世界に移行するには、過去に蓄積してきた「罪」または「観念」の浄化を必要とする...。「浄化」は、ひとりの人間やひとつの組織、集団に対し、新しい領域に向かって再生し、再活性化していくことへの促しとして起きてくる ― または ― 起こされる経験なんですね。

  ここで、ひとつ手前の度数である魚座24°の『人が住む小さな島』というシンボル、そして乙女座24°の『メリーと白い子羊』というシンボルの両方から想起される、「時が経つとともに外界との接触を失って自己完結している孤立した集団 」のイメージを思い描いてみましょう。小さな島の中で慣れた関係性に安住しつつ、遠い海原を眺めて理想の異国を夢見るのもいいでしょう。けれど現実のパラダイスはどこにも存在しません。無垢なメリーと真っ白な子羊は、汚れの無い純粋さの象徴です。けれど、すでに1°進んだこの位置では、メリーはもうすぐ学校に行き、成熟することを学ぶ必要があります。片時も離れなかった可愛い子羊を置いて、新しい冒険に出なければならない時が迫っています。


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  太古から続いてきた神と人類との仲介者、聖なる長老達。…彼らの組織は長い歴史を刻みつつ大いなる権威を維持する中で、多くの部分が疲弊し、硬直してしまいました。今は全てを洗い流し浄めるときです。だからこそ、組織を解体し、相応しくない者達を外す必要があるのかもしれません。それは立場の喪失、根本的な変化、そして象徴的な死 ―「半旗」と重ね合わせることが出来ます。

よくひとは世の中の出来事や風潮を嘆いて『○○はもう死んだ!』なんて言います。翻る半旗を見て、わたし達は哀惜の念に打たれるかもしれません。あるいは怒りに震えるかもしれません。けれど、それこそが季節の変わり目です。この世界に存在する一番の驚異とは「無常」であること。機関や制度の変化も、人生上の立場が変化することも、罰でもなければ報いでもない。今、全てを再編成する促しが来ているだけ...。

今というときは、上でもなければ下でもない。純粋な、半分。半分は空っぽで、半分は満たされてる。でもひょっとしたら、そのどちらでもない...。決めるのは、誰?


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  花が落ち、葉が枯れたなら、わたし達はいったん種となり、根っこになります。そして時が至れば再び芽を吹きます。そのときが来たら... もしかしたら、今はまだ想像もつかないような花が咲き、大きな果実が実るのかもしれません。その可能性はいつでも、誰にでもあります。

だってその可能性は、わたし達が真っ暗な土の中に在るとき、自らの意志で決めるのだから。

 

 じゃ、メイン・シンボルのテーマは何を告げているだろう? 早速見てみましょう。


🌑 新月のメイン・シンボル:
  乙女座26°『振り香炉を持つ少年』(A boy with a censer)



  『振り香炉を持つ少年』。これは、お香を焚くための器を手にした少年を描いたシンボルです。彼が持っている香炉とその中で焚かれるお香は、神の臨在に備えて聖なる雰囲気を醸し出すために使われるもの。そして「振り香炉」とは金属製の鎖で吊り下げられた器で、キリスト教の典礼などに使われるものです。


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  わたし自身は教会の礼拝で使われるお香の香りを知らないので、それがどんな感じかはわかりません。でも一般に使われるお香にしても、香水や入浴剤にしても、あるいは森林や草花の自然な香り、あるいは食べ物の香りにしても、“匂い” にはそれぞれに特有のインパクトがあります。それはわたし達の嗅覚を、心地よくも ときには悪くも刺激して、特定の記憶や感覚を呼び覚まします。それはそのひとそれぞれに特有の体験に結びついた、ことばになる以前の「何か」。こころの内に、または体の反応やある種の衝動として、それは突然に目覚めます。

  また儀式に使われるケースでは、お香は邪を祓って空気を浄化し、ある特別な雰囲気を呼び起こすために使われます。それは「神聖な存在」を感知し、ひとびとの意識を開いて特定のスイッチを入れるためには欠かせない道具です。

一方、英語で「お香」を指す “incense” は「興奮させる」「怒りを煽る」という意味でも使われます。けれどこのシンボルのお香が持つ力はそんな派手な効果を狙ったものではありません。それは閉ざされた小さな炉の中で、静かにくすぶっています。お香とは、質・量ともに一定の効果を狙って調合された白熱の燃えさし。それがゆっくりと穏やかにくすぶり続け、ただ ひたひたと拡がって、やがてはその空間を満たし、包んでいくんですね...。


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  ここは教会。今 何か大切な儀式が行われているようです。祭服をまとった少年がひとり、祭壇の前で香炉をかかげ、その場を浄めようとしています。まだ幼さの残る少年は、少し緊張しているのかもしれません。慣れない手付きでゆっくりと香炉を振り始めます。その香りは彼にどんな感覚をもたらすでしょう? 

典礼奉仕の経験を何度も積んでいるなら、それはいつもの...でも特別な香り。その空間を神のおわす場に変え、参列者のこころに聖なる火を灯す香りを運ぶ。それは神に仕えることの誇りと神聖な歓びをもたらしてくれる香りかもしれません。

でも、もしそれが彼にとって初めての経験なら? あまり嗅いだことのない、異質な香りだったら? 彼の中には喚起されるべき聖なる思い出もなければ、明確な感情をともなった記憶もありません。もしそうなら、お香が持つ特有の香りは彼が始めて体験する刺激的な「異臭」に過ぎません。もしそうなら、少年は『なんか煙くてクサイ匂いだなぁ..』なんて感じるかもしれません。それに、香りの成分がもし彼の体に合わなかったり、彼がただ命令や指示によって務めを果たしているだけなら...それは耐えがたい匂いを嗅いで気持ち悪くなった経験として、彼のこころにインプットされるかもしれません。それに...もし、教会に集うひとびとの中に初参加の異教徒が混ざっていたとしたら。彼らにはそれがこころを惑わす怪しげな煙と感じられる可能性も...ないとは言えないかも?


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  ではここでメインのシンボルを補完する(または向かっていく)180°対向の度数、魚座26°のテーマを見てみましょう。


魚座26°『その影響が多岐に分かれる新月』
(A new moon divides its influence)


 
  『その影響が多岐に分かれる新月』とは、天の球体=月が地球から見て最も輝きを失う瞬間に生じる「異なる視点」や「印象」「インパクト」をイメージしたことばです。「新月」とは太陽と月の1サイクルが終わり、新たなサイクルが始まるとき。月が地球と太陽の間に割って入り、地上には月の「夜」の顔、つまり影になった部分を見せます。それは新しいエネルギー、新しい「意図」のいのちが生まれる瞬間です。

また月の満ち欠けにおける「新月」という局面は「物事の始まり」であり「種を植えるとき」であり、「光明や希望への道程」そして「何かの兆候」が生まれ育っていく過程のスタート地点とされています。また原文に使われている “influence” ということばは「影響力」「支配力」という意味を持ちますが、これは新月が持つ「ある特定の効果を生み出す力」または「人間のこころに作用して一定の方向性を与える力」の大きさと重要さを、当然のこととして示唆しているように思えます。

ならばこのシンボルが言う『多岐に分かれる』というのは、毎年毎月グルグルと巡っていくように見えるそれぞれのとき、それぞれの新月が、実は人生で二度と経験することのない瞬間であること、そしてそれぞれの瞬間を、誰もが同じように体験したり感知したりすることはない...と告げていることになります。


influence


  その支配力も、いざなう方向も、一期一会の新月が放つ、ひとつの大きな力。けれど、その影響下にあって誰もがそれぞれに異なる意志を持ち、異なる経験を選んでいく...。とはいっても多くのひとは、新月の存在など意識さえしないかもしれません。けれど月がもたらす闇、そしてまだ色を持たない ― 未生の情報 ― の宿りは、他の惑星達がもたらす刺激と絡みあいつつ、とても密やかに... けれど確実に... わたし達ひとりひとりがそれまでに紡ぎ上げてきた物語と溶け合い、その後1ヶ月を彩る新たなテーマを「わたし」と共に “創造” していきます。

  だから新月がもたらす影響のあり方は本当に千差万別。ひとつのテーマがひとにより、あるいはそのひとが生まれ持ったホロスコープという翻訳回路を通して、様々な心理や体験となっていきます。どれひとつとして同じ経験はありません。そしてわたし達が人間である以上、ひととして体を持ちこの地上に生きている以上、そのテーマや影響力を受けて何を「見る」のか、どんな観点を選択し、使っていくか(使われるのではなく)はわたし達自身の手に委ねられています。

ときにわたし達は「他に道はないんだ」なんて言います。でもそれは、他ならぬわたし達自身が「それ」を選択したから。そのとき、他の道を未生の影として消したのは自分自身だから。だからきっと、他に道はない。でも、選択し直すことは出来る。無数の惑星グリッドの囁きと、太陽がもたらす「この世に在らしめる力」を一身に引き受けて生み出される月のテーマの下で、それは自分自身が決めていくことです。ならば今、わたしはどうするだろう? あなたはどうだろう? 


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  少年が掲げる降り香炉から漂ってくる香り。それは、そのときどきの新月が生み出す影響力に似ているかもしれません。その力は、いつも強烈に燃え上がるとは限らない。目に見える火炎ではないかもしれない。それでも常に流れ、くすぶり、注ぎ込まれ、無意識のうちに内面に拡がり、外界を覆い尽くしていきます。そしてわたし達は皆それぞれに何かを呼び覚まされ、反応し、それに呼応した物事が起こるたびに、その都度小さな選択を重ねていきます。

  最初は気付かないほどゆっくりと何かが変化していく。そしてあるとき、突然 何事かに出会う。目に見えない香り。白熱し、くすぶり続ける何か。予感。

それは誰かの切なる想いかもしれないし、純粋な奉仕のこころかもしれない。あるいは、わたし達が互いに刺激しあいながら生成し続ける、うつろいやすい現実の幻かもしれない。いえ、もしかしたらそれは「あなた」や「わたし」が生きる、人生の「場」そのもの。そしてそれはきっと、不可能を可能にしようと懸命に頑張っている わたし達ひとりひとりの意志の行方なのかもしれません..。


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  最後に余談として。今回の新月が起きる乙女座25°台は、1995年3月20日にオウム真理教が起こした「地下鉄サリン事件」直前の満月の度数でもあります。また米国では、太陽がこの度数にあった2016年9月17日にマンハッタンとニュージャージー州で爆発物事件が起き、ミネソタ州ミネアポリスのショッピングモールでは連続無差別刺傷事件が起きるなど、同じ日のうちに3件の重大事件が重なったことから、イスラム国関連のテロではないかと話題になりました。

もちろん だからといって、この度数で起きるルネーションが常に大きな事件と関連するわけではありません。稀有な惑星間アスペクトやその他、考慮すべき要因は他にも多くあります。ただ、サリンという神経ガスが散布され、それがまん延していく様子、それにまつわる宗教的な要素やその後の社会への様々な影響力は、シンボルの香炉から漂う煙のイメージと奇妙に重なる点があります。また、サリン事件当日の太陽のシンボルが『プリズム』—分光 — というのも、今回の裏のメイン・シンボル — 影響力を分かつ新月 — と呼応するテーマをより鮮明に描くものとなっています。これは、実際に起きる物事の中にシンボルの構図や絵柄との不思議な共通点がみられる点で、サビアン・シンボルの興味深い事例のひとつだと思います。


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  そして今。火星は逆行中だし、厳しいアスペクトはこれからもしばらく続きます。なのでこの新月期(満月期を含む)もまた、日本を含む世界のどの地域でも、テロや政変、スキャンダル、ひとの心理(特に怖れと怒り)を操る噂話やフェイクニュースの流布、観点の相違から生じる大きな衝突が拡がっていく状況が拡大する可能性は大きいでしょう。暮らしていく上で、注意と警戒は必要です。

でも、こころをかき立てる情報の数々に踊らされることなく。どこからか漂ってくる、うっとりさせる香料や嫌な匂いに惑わされず。「山あり 谷あり」なんて言うけれど。上か? それとも 下なのか? いえ、聖なる「半分」の今に在って。

こころ静かに心眼をひらいて。今の自分が出来ることを無理せずに。一歩ずつ、大切に歩いていければ..と思います。

自分だけの香りを感じ、それだけを、大切にしながら...。



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  では星模様&チャレンジに行ってみましょう。以下の惑星アスペクトの様々な顕れの底には、サビアン・シンボルに示された新月のテーマが底流として息づいています。そんなことを頭に入れつつ、読んでみてね😊。


★9月新月の星模様とチャレンジ ★
(主なアスペクトとスケジュールざっと)


ASC:牡牛座16°37’
MC:山羊座29°27’

・新月図の骨格をなすASCとMCの位置は、「あれをやろう、これをしよう」と考える表層的なマインドと意識の奥に潜在する願望が葛藤を起こすような感じがある。けれど、今は些細なことには目をつむり「何をするのか(しないのか)」「何をしたいのか」について、その本質だけを見つめていくとき。「描く」力は強くなりそう。

新月が月のノード軸とスクエア 
月のノード軸をエリスが調停
・ひとによっては、今まで回り道して避けてきたような物事が還ってきて直面せざるを得ない、なんて状況も考えられる。いずれにしても、まだ道は半ば。古いカサブタを剥がし、新しい皮膚の生成を促進するべきときが来ているのかもしれない。

新月・土星・火星がラーニング・トライアングル
新月・ニッポニアから火星にYOD
新月と天王星がセスキスクエア
 (Sノードと新月からクァドリフォーム) 

月と火星がパラレル
火星R(とサウロン)・イクシオンがトライン
水星・木星がスクエア
金星とイクシオンがセスキスクエア 
パラスとネッソスから金星にYOD
フォルスとセレスがセクスタイル 
・この新月は気付かないうちに互いのサイキック・エネルギーの影響を受けやすい位置なので、その点は要注意。皮肉や底意地の悪い物言いには気をつけて。他者との間に適切な境界線を引くか距離をとって、互いのスペースを大事にするといいかも。火星逆行のツイートでも触れたけれど、今は土星も逆行中できっかけが掴みにくいかも。でもその土星も29日には順行するので、少しはいろいろなイメージがハッキリしてくるかも。とりあえず、踏み込みすぎないこと。また集中して動くときと、ゆったりくつろいでたまに贅沢を味わうときのバランスをこころがけたい。全体の流れはまだまだ途上。今はストレスの軽減がとても大事なので、欲張りすぎはNGね。植物の世話やガーデニング、部屋の整理には良い期間。

また、出来るはずのことが出来なかったり、不可抗力の邪魔が入ったりする場合も。その場合は結果にこだわるよりも、とにかく今出来ることを、今出来るやり方でまとめあげよう。そこから自分なりの新しい発見があるかもしれない。性急になりがちなエネルギーも強いので、「ひとが話している内容」「書いてある文章」など、注意深く対応する必要がありそう。全体に、コミュニケーションでは「自分に都合よく話を曲解する」とか「聞いているようで聞いてない」「文脈を理解する力が不足する」など、自分本位の性急さが目立ちそう。浮き足だってつい安請け合いしたり、イエス・ノーを曖昧にしたり、脊髄反射で突っかかったりするのはいつも以上にトラブルのもと。

またこの時期に会話や文章でなんとなくモヤモヤを感じたら、何が話されているのかをよく考えて確かめてみよう。原因は隠された文脈の中に潜んでいるかもしれない。詐欺メールの類いにも要注意かな。落とし穴に嵌まらないよう、信頼も、賛同も、そして否定するのも、慎重に。良い出会いや物事の解決はその後でやってくるから。


★主な惑星スケジュール

9月22日:秋分
9月24日~26日:月がOOB(アウトオブバウンズ)
9月29日:土星が順行(火星・土星スクエア)
9月30日:火星・土星がスクエア
10月1日~4日:火星・エリスがコンジャンクト
 (月とBMリリスが通る)


10月2日:牡羊座9°08’で満月!

10月4日:冥王星が順行
10月9日〜11日朝:月がOOB
10月11日:火星・冥王星がスクエア

10月17日:天秤座23°53’で新月!

ふぅ。こんなところかな...。今回はスケジュールの詳細は省きます。大体の象意は火星逆行についてのツイート内容と重なることが多いけれど、何かあればまたお喋りするかもしれません。

さぁ、もうすぐ新月。大切な過渡期。

みんなそれぞれに、きっと美しい新月期となりますように!!


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have a great trek!!!★


hiyoka(^_^


hiyoka_blue at 20:42|PermalinkComments(6)

August 18, 2020

🌑8/19の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  8月19日12:01前後、北海道周辺で 12:07前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は11:41頃、沖縄周辺では11:12前後に獅子座 26°35’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【太陽・月♌️ 獅子座26°~27°― 発効期:8/19~9/16 】

🌑🌞“A rainbow”
   『
    
🌑🌞“Daybreak”
   『夜明け

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

 
→★自分を取り巻く霧の中に投影された様々な感情の破片に気付く
→★正当性、優越性、承認または利益や利得のためのポジショントークに注意
→★自らの生命力と気力の源泉をあらためて確認し、調整し、備える
→★ 目に見えるものやカタチの裏に存在する
     「未だ見えぬもの」の存在を意識しておく

→★たとえ一時的であっても小さな決意をすることが後の違いを生み出す可能性
→★ささやかな日常のなにげない音、色、気配の中に常に新しい息吹を感じ取る
→★計算上、数値上は同じに見えてもそれぞれ実態は全く異なる現象や状況に注意
→★特定の立場や立ち位置、力や能力がなければ見えない光景があることを知る
→★束の間の、または僅かな希望の兆しをかいま見てそれを糧にしていく
→★伝統や古くからの智恵を思い起こし、新たな感覚で活かしていく必要
→★疲弊したこころをひととき癒やす ささやかな美や清々しさに触れる
→★生きることに不可欠な不屈さと闘争心に隠された繊細さやもろさに注意
→★誠実さ、誠意、一切無欲のことばや行動が新たな道をひらいていく
→★雲に閉ざされた中で「真の意味での自立」とは何かを考えながら
  これからの道を探っていく…→

            

★エネルギーのポイント:

前回の新月『後戻り出来ない地点を超えて進む』
             ↓
今回の新月『温故知新 ― 区切りをつけ、戻り、受け入れ、刷新する』
                               

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★8月新月のサビアン・シンボル★


  今回の新月はまずサビアン・シンボルのテーマからいってみます。以下のテーマを頭に入れつつ、アスペクト編を読んでみてね。

🌑 新月のベース・シンボル:
   獅子座26°『虹』


  新月が基盤のテーマとしてとっていくシンボルは『虹』。それはたぶん嵐が去った後、澄み渡った空にかかる、虹。 虹を見たとき、思わずこころの中で「あ...!」と声をあげてしまうこと、多いんじゃないかな。そしてただ、見つめてしまう。すぐに消えていくのを知りながら。でも、こころの何処かで消えないようにも願いながら..。


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  虹はその美しさ、儚さ、不思議さで、見る者に何かフッと浮き立つような、華やぐような、または癒やされるような感覚をもたらしてくれます。祝福や幸運を感じるひともいるし、すかさず願いをかけるひともいます。空に美しい虹が架かるとき、わたし達はそこにいったい何を見ているのでしょう? 

著書『アストロロジカル・マンダラ』の中で、デーン・ルージャーはこのシンボルを聖書の「ノアの方舟」に関連づけ、神とノアとの間に交わされた「聖約」と重ね合わせて解説していました。それは周期的に顕れる「種蒔く人」としての存在、ノアに対し「もうこれ以上荒ぶる破壊の力が生き物のいのちを脅かすことはない」と保証する、聖なる「約束」を意味します。嵐は過ぎ去り、どこからともなく “生命の歌” が聞こえてくる...。

では、神や聖書を少し離れて「虹」そのものをわたし達が見るとき、そこには何があるでしょうか?


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  “虹とは、『 太陽の光が空気中の水滴によって屈折・反射されるときに水滴がプリズムの役割を果たし、光が分解されて、複数色(日本では7色)の帯に見える』 現象である(wikipedia) 。” ひとつ前の度数、獅子座25°のシンボルに出てくる『砂漠を渡る駱駝』は、その血液を通して “生命の水” に支えられていたのですが、ここではその同じ “生命の水” が、極小の水滴となって大気中に浮かんでいます。 わたし達の眼はその “生命の水” が光を分散し反射した、様々な波長の光を受け取っているんですね。

B.ボヴィはこのシンボルで、ギリシャ神話に出てくる虹の女神アイリス(イリス)に言及しています。アイリスは天の大女神ヘラに仕える女神。召還に応じて聖なるメッセージを伝える役割を担っていたと言われています。その姿はとても美しく、黄金の翼と虹色に輝く長い髪を持っていたのだとか。

また、このアイリス( iris )という単語は、眼の「虹彩」を指すことばでもあります。この「虹彩」は、わたし達ひとりひとり、独自の異なる模様を持つことから個人認証にも使われています。なのでアイリスとは「唯一無二のわたし」を宣言するものでもあるんですね。 


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        わたし達が希望や願いを抱いて地上に立ち、遙かな虹を見上げるとき、聖なるメッセージを携えた女神アイリスが太陽の光を受けて天空に浮かびます。けれどそれは、わたし達を存在させ生かし続けてきた、その同じ “生命の水” が空間に投影され、白光を受けて様々に光り輝く姿だとは言えないでしょうか。 そして、これを美しい光の帯として感じ取る、わたし達の虹彩(アイリス/イリス)。わたし達が「虹」=「女神イリス」に見ているものは、他の誰でもない、わたし達自身の持つ独自の存在の意味と、それを見出し、それをせいいっぱい生き抜こうとする者に与えられる、新しい可能性・大いなる希望なのかもしれません。

誰かと一緒に虹を見ていたとしても、けっして同じ虹を見てはいません。全く同じ角度で光の反射を見ることも不可能なら、全く同じ虹彩で光を受け止めることも出来ないから。 もし虹が、わたし達を生きるいのちの投影であるなら、その七彩の輝きから受け取るメッセージは、それぞれに異なるたった1つのもの。自分は何故ここに居るのか? 「私」と「皆」との関わりの中で、社会の中で、この大地の上で... 生きて、前に進もうとする「わたし」とは何なのか? 虹はとても儚い存在なのに、それでも(だからこそ)束の間の永遠を感じさせるのは、何故? 嵐の後、空中を浮遊する水滴のひとつひとつが、わたし達に告げるメッセージとは何だろう…? 


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  それはたぶん、見るひとの数だけ無限に異なる、声にならない声。わたし達のいのちと、そのいのちを生きる「何者か」との間に交わされた、新たな「盟約」かもしれない。ならばその「盟約」は、それを生き切る「わたし」にしかわからない...。

  ではもう少し理解を深めるために、いつものようにこのテーマを補完し、方向を与えるとされる対向度数も見てみましょう。

 
水瓶座26°『比重計』

  比重計とは、水の比重を基準値として対象となる液体の比重を測るためのもの。じゃ比重って何だっけ? …『比重とは、ある物質の密度(単位体積あたりの質量)と、基準となる標準物質の密度との比である。通常、固体及び液体については水(温度を指定しない場合は 4 °C)、気体については、同温度、同圧力での空気を基準とする(wikiより)』。

  つまりこのシンボル「比重計」 って、測りたい物質が水や空気を基準としてどれだけの “密度” を持っているかを調べるための道具ということになります。


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  このシンボルが降ろされた1920年代半ばはちょうど米国の禁酒法時代にあたります。ほとんど野放し状態に近かったと言われる密造酒の製造にも、この比重計が用いられていました。B.ボヴィはこのシンボルを『スピリッツ(酒)の中に生きるスピリット(精神)を測る道具』…つまり、溶媒としての水(生命の水)の中に、独自の「そのものらしさ」がどれほど濃厚に醸し出されているかをテクニカルに見極める行為をシンボライズしていると指摘しています。このあたりはいかにも水瓶座っぽい感じがしますね。

  液体の密度は、その “浮揚力” — または物を浮かせる力 — を左右します。 突然の夕立が去り、その後大空にかかる美しい虹。その虹が映し出すメッセージをわたし達が受け取るには、太陽光線とわたし達の間にほんのひとときだけ適切な角度で浮かぶ、まとまった水滴が必要です。わたし達はそこに、自分自身のスピリットと再生の希望を見出すかもしれません。けれど、その思いのひとつひとつがこの世界に果たして何をもたらすのか…自分の中で、何が発酵しようとしているのか? この新月の下では、どこかでそれを慎重に測りながら歩む必要があるかもしれません。だって、スピリッツで酔っ払った目に映るのは、ただ美しい幻かもしれない。もしかしたら、虹を鏡として自分の儚さだけを感じ取ってしまうかもしれない。

偶然でも必然でも構わない。とにかくわたし達はここにいる。ならば虹に映したわたしだけの「盟約」を、読み取ってみよう… 今、この こころで。


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🌑 新月のメイン・シンボル:
   獅子座27°『夜明け』


  さてと。今回のメイン・テーマとなるシンボルは獅子座27°『夜明け』です。原語の “Daybreak” は、東の地平線から太陽が顔を覗かせる瞬間…「暁」と呼ばれる短いひととき。 光が闇を追いやるとき、冷たい夜を覆い、空間を浮遊していた水滴 — 霧は、いつのまにか拡散し、消えていきます。また、わたし達が虹の中に見ていた最も高い周波数の色「紫」は、ここでは夜明けにそっとたなびくスミレ色の雲となって顕れてきます。そしてかすかに瞬く明けの明星。...そして日が高く昇り始めるとともに、その繊細な天幕はまるでスミレの花が密やかに萎れていくかのように徐々に色を失っていきます。やがて朝の強い光が射し、徐々に物のカタチが明らかになってきました。いつもの屋根、いつもの街。さぁ、いつもの一日の始まりです。それは毎日訪れる、ささやかな奇蹟のとき。神々にもひとにも等しく訪れる、夜明けと日没 — サイクルの理。


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  ではここで、このテーマが向かう方向とされる対向のシンボルを見てみましょう。


水瓶座27°『スミレの花で満たされた古代の陶器鉢』

  ここでは夜明けのスミレ色が、摘み取られたばかりの新鮮で可憐な花として顕れてきます。

陶で創られた器は、とても壊れやすくデリケートです。でもこのシンボルに描かれた鉢は、長い年月に耐えてその姿を保ち、今も日々使われているようです。もしかしたら骨董市で買ったものでしょうか? それとも、その家で代々大切に使われてきた器でしょうか? 長くひとの役に立ってきた陶器には、傷やヒビが入っているかもしれません。はるか昔には鮮やかに彩られていたはずの肌も、今はもうその艶と色を失い、時の流れに曝された「土」の本質をかいま見せています。


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  けれど、そんな古色蒼然とした鉢に新鮮な水をたたえ、スミレの花で満たしたとき... わたし達は、部屋の空気が変わるのを感じます。ん、何だろう? 優しい薄紫のスミレの花。それは、厳しい時の試練を耐えぬいて少し草臥れてしまった鉢を無言の微笑みで慰め、静かに称賛しているのかもしれません。...いえ、もしかしたら...部屋中に拡散していくスミレの「いのち」に感応し、この古い鉢を新たな虹彩を通して見始めたのは、わたし達のほうでしょうか? この鉢はきっと、数え切れないほどの日々をひとと共に過ごし、沢山の人生の傍らで時を過ごしてきたことでしょう。ひとときの花のいのちをそっと抱きながら..。 

時は変わり、場所も変わり、ひとも変わる。けれど古びた陶器鉢は今も生きている。たとえどんなに厳しいときを過ぎ越さなければならなかったとしても。生きてここに在り続けるかぎり、再び新鮮な「生」そのものとの出逢いは訪れる。幾度となく。数え切れないほど。そして無言のうちに、わたし達は満ちる。もし、内なる透明な水を枯らさずにいられるなら。 厳しさも優しさも、ただ等しいものとして抱きとめるなら。これもまた、わたし達に訪れるささやかな奇蹟の一瞬かもしれません。


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  こうして日はまた昇ります。いつもの一日の始まりです。それは派手に輝くようなこともなく、小躍りするような素晴らしい一日ではないかもしれません。もしかしたら、打ちのめされるかもしれないし、じっと待ち尽くすだけのやるせない一日かもしれません。でも、わたし達には必ず夜明けの一瞬が来るし、深い闇に抱かれて安らぐ一瞬も来ます。夜が来て、そして再び朝が戻る、そのリズム。休息と再生。そんなサイクルの繰り返しの中で、たとえおぼろげであっても、確かにわたし達を再び生かしてくれる、新しい時の始まり—「わたしのリニューアル」— を見ていくこと。このシンボルはそんなテーマを告げているのかもしれません。

       じゃ、シンボルをこころの情景にあてはめるとしたら.... たとえば何か悩み事を抱えているとき。苦しいこと、心配なこと、腹立たしいことがあるとき。積み重なった不満がこころにうごめくとき。あれこれの思いが錯綜して、夜通し眠れなかった...。そんなとき、わたし達はヒビの入った古鉢のように渇き、くたびれているかもしれません。「あぁ、もう夜が明けてしまう...」疲労感、そして焦燥感。 

でもふと思い立ち、重い体を引きずるようにカーテンを開けて空を見上げてみる。 あ、ちょうど今、陽が昇ろうとする、その寸前! それは夜と朝との識閾。雲も山並みも、遠くにそびえる高層ビルも、全てが薄紫に染まる一瞬、稀有の刻。何もかもが、「無い」と「在る」の両方に溶け込んでいくとき。その優しさと深さに包まれて、わたし達は自分が今この瞬間も「生きて」いることの不思議に気付きます。


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  くたびれた体とこころ。けれどそこには継続する刻と、常に真新しい刻の両方が生きている。わたし達の中で、二つの刻の交差が起きている。長く携えてきた、その刻印を否定する必要もない。ただ、新しい息吹がいつもそこに在り続けてきたことを、思い出すだけ。そこに初めから在って、待っていることを。ここで。思い乱れる夜でもなく、世事に追われる昼でもなく、この、紫いろの境界の刻に...。

  じゃ、このシンボルを社会的な物事にあてはめてみたらどんな感じだろう? 古びた陶器鉢は何か伝統的な考え方や、古くから大切にされてきた文化や習慣にたとえることが出来るかもしれません。社会がどんなに変容しようとも、その底流を流れる地下水脈 ― ひととしての感じ方の構造(あるいは集団としてのアイデンティティ) ― が生きている限り、その集合体の本質が変わることはないでしょう。どんなに古びていても、それが今のわたし達を見えないところで支えているのなら、それは本質と言えるもの。それを否定する必要もない。新しいものを土台として支えられるのは、長い年月を耐えてきたものだけ。ただ、その器にいつも綺麗な水をはり、真新しく瑞々しいスミレの花を活けていく。それを心がけていけるのなら...。


  そういえば、B.ボヴィはこのシンボル軸の解説の最後に次のような歌の詞を提示していました。これは英国〜米国に古くから伝わるマザーグースの一部で子供達の遊び歌だそうです。

“Ring-a-round the rosy,  バラ色の輪っか
 A pocket full of posy,    ポッケ一杯の花束
 Husha, husha,                フーシャ フーシャ     
 We all fall down”             みんな  ひっくり返るよ♪

17世紀後半、ロンドンでは黒死病(ペスト)が猛威をふるい、当時の人口の15%が死亡...と記録されています。これはそんな当時から今も歌い継がれているわらべ歌。黒死病との関連ははっきりしませんが、背景を思うとちょっと怖い歌詞かもしれません。けれど、どんなに苛酷な時代にあっても、それを歌いとばし、笑い飛ばしながらひとびとは生きてきました。善も悪も、貧も富も、ひとからげ。いつかはみんなひっくり返る。それをわかって、ひっくり返ってまた起きる。そうやって、夜明けは来る。何度だってやってくる。さぁ、ひっくり返ってスミレ色の空を眺めてみよう...なんて。



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  ではそろそろ 星模様&チャレンジに行ってみましょう。たぶん今回もいろいろ書くと思うけど、惑星アスペクトの様々な顕れの底にはサビアン・シンボルに示された新月のテーマが底流として息づいていることを感じつつ、読んでもらえると嬉しいです😊。


★8月新月の星模様とチャレンジ ★

〜主なアスペクトとスケジュールざっと〜

新月:獅子座26°35’
新月がMCにタイトなコンジャンクト
 水星が新月に2°未満でコンジャンクト

 ・新生の予感、脱皮の必要、孵化、胸騒ぎ、あと一歩の大切さを胸に刻む...ここまで来て、様々な外的変化を感じながらも日々こころと体を慣らしてきた。けれどあと一歩。まだ自分の中で定かになっていない、まだ見えない、具体的な決め事には至らないと感じる物事があるかもしれない。この先、何かある、起きるという兆しは感じる。今は焦らずに目の前のことに集中してみよう。たとえ結果に確信が持てなくても、今は緩急のバランスを取りながら確実に。MCに新月が乗る形になるので新月の影響力は強いと思う。壁が立ちはだかる中でも、何が起きようと屈せずに再生やリニューアルを果たしていくというテーマは、日本とその国民にとって 今とても大きな意味を持つのかもしれない。


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  またMCは国のリーダーも示す。知るかぎり、安倍首相のネイタルチャートは出生時刻によって2種類あるけれど、どちらも速度の遅い冥王星は獅子座25°に在泊して今回の新月に近い。メインで見ているチャートはASC近くに冥王星があり、これは強力で、誰が何を言おうと「自分が信じたやり方・生き方を通す」という傾向が多く見られる。世界で猛威をふるうコロナ禍をきっかけに、国の内外ともに360°の非常に複雑な脅威を抱える今「側近が何を言っても休もうとしない」という閣僚の話はうなづける。なのでこの新月のテーマをご自分の信念に照らし合わせ、出来る限りリーダーシップを執っていただきたいと願っている。ただ懸念としては、ネイタルの3室海王星が6室カイロン、12室木星・天王星とTスクエアで、カイロン側にトランシットのカプリコーン・ステリウムが来ていること。このTスクエアは対人関係において緊張と弛緩、誠意と裏切りの体験が同時または交互に起きやすく、心身ともに無理をすれば脆くなりやすい。なのでやはり適度な休養は必要なとき。そして3室の海王星はコミュニケーションにおいて誤解を招きやすいこと、裏切りを経験したりメディアとの折り合いに困難を抱えやすいことを示唆しているかもしれない。(お会いしたこともない方なのであまりあれこれ勝手に言及するべきではないけれど、一応この新月と関わりがあることに加え、重要な公人であることから少しだけ触れてみた)。一方、日本の戦後始原図では8室(債務、海外との借款関係や通商・経済関係、死亡率)のSノードにオーブ1°で新月が起きる。実際に何が進行中で何が起きるかは外側からは見えにくいけれど、今後を見据えて経済問題と感染・疾病対策の見直しなどが行われるのかもしれない。

(余談になるけれど。首相に関しては今回使用したチャートが正しいとすれば、ICにはネイタルで小惑星ニッポニアが乗っており、8月15日前後はニッポニア・リターンだった。日本の政治家を見るときは、このニッポニアのアスペクトを調べることにしている。アングル、または太陽にこの小惑星がタイトにコンジャンクトしていれば、掲げる方向性は様々に異なるとしても、日本のリーダーとしての役割を負う人物だと判断する有力な要素になると考えている。もちろん要素はそれだけではないし、しかも正しい出生時間がわかるひとは少ないけれど..。余談終わり😅)


新月・水星・月のSノード(とイクシオン)・火星・エリスがGトライン
新月・水星が月のノード軸(Sノードにイクシオン)を調停

 ・密やかに進行するインフォメーション・ウォーに注意(国家規模から私的願望までやりたい放題の雑多な情報、偽の希望や恐怖がバラ撒かれる傾向あり)

 ・まだデリケートな段階にある新たな「何か」が水面下で生まれる可能性。それが社会的な人間関係であれ、自分自身のインスピレーションに基づく何かの意志であれ、どんなものであっても、結果的に良いか悪いかはそれを自分自身がどんなパースペクティブで見て、どう理解・解釈し、対応するかによって著しく異なるはず。他者が絡む場合は広く俯瞰で見る目を共有出来ると良さそう。自己主張と相手の観点への気遣いとのバランスは大事かもしれない。


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火星・エリスのコンジャンクションがカプリコーン・ステリウムにスクエア

 ・12月冬至とともに起きる“グレート・クロノクレーター” ― 木星・土星のコンジャンクションを前にして、牡羊座火星が織りなす様々な形での下克上のダンスが見られるかもしれない。特に9月10日〜11月14日の火星逆行期は、「自分探し」のために出会うもの全てにもともと存在する歪みや不和を浮上させ、対象となった相手や集団の「真の顔」を暴露していくエリスの「健気なほどの底意地の悪さ」が発揮されるかも。欲張ったり見栄のために「クサイものに蓋」をしようとするとかえってトラブルを呼んで逆効果になるかもしれない。いろいろと難しいときだけど、たとえば出来ること・出来ないことに関しては正直であったほうが良いと思う。


金星・天王星Rがセクスタイル

 ・感情がたかぶったとしてもそれを露わにはせず、俯瞰で状況を眺める余裕を持つ
 ・自分のこころの内側や外の世界の現実を理解していくためのきっかけ、
  または新たな鍵となる何かを見つける可能性


ASCにニッポニアがコンジャンクト

 ・日本人としてのアイデンティティの再考
  (国境不要説などグローバリズムや社会主義的な“We Are The People”論、人種や歴史という概念を否定し強制的にMIXしてしまえば平和になるといった論調の高まりとそれへの反発の声がせめぎ合う中、ひとによってはここで日本の文化的独自性や自立の感覚について一考する必要、またはチャンスがあるのかもしれない)
 ・戦後75年を経て淀みきった国家像の“リニューアル”に着手する必要
 ・伏せられてきた事実に光を当てる、古い伝統の埃を落とし風を通す
 ・恣意的な解釈を挟まない「ありのままの事実」の価値を重んじる必要
  などが考えられる


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冥王星・ハイジーア(ヒュゲイア)のオポジションにヘーベがTスクエア
ハイジーアとヘーベからセレス(ケレス)にクァドリフォーム

 ・大きく見れば、コロナ禍や他の感染症、蝗害、異常気象と災害、国際紛争や内戦、経済恐慌などが絡み合って頭をもたげる世界的な食糧難(セレスへのクァドリフォーム)の予兆を示唆しているのかもしれない。

 ・このところ、ハイジーアとヘーベのハードアスペクトがずっと続いているのが気になる(ハイジーア:保健、衛生、健康/ヘーベ:集合体や個人間の共依存、従属や隷属を示唆することが多いが、一方では精神の若さ、あるいは未成熟さや未発達な自我、「宴の花」「人形」的な扱いという象意もある。また実際の若年層や子供達、年下の人物を示唆したり、特殊なケースとして小児性愛の傾向を示唆する場合もある)。これは「COVID-19の若者への感染の拡がり→重症化年齢が下がる可能性」ともとれるけれど、他に考えられることとしては、コロナ禍の自粛モードで今まで見過ごされてきた(または見て見ぬフリをしてきた?)家庭内の問題(セレス=ケレス)に光が当たり、過去のボタンの掛け違えや拗れてしまった関係に直面する…というテーマがある。

こういったテーマにもし心当たりがあるなら、満月に向かって「失われた何か」を取り戻す機会があるかも。互いに避けてきた物事をしっかり見据える機会になりそう。ただしけっして簡単ではないと思う。「彼/彼女は自分の○○である」という感覚を一度捨て去り、まっさらな「他者同士」に立ち戻って、出会いから新しくやり直すくらいの気構えは要るかもしれない。そのうえで、維持するべきこと、捨て去るべき「もの」や「こと」を明確にし、過剰な期待や欲を脇に置いて現実をどうすべきかに取り組んでいく感じ。それは結果的に自分を壁際に追い詰めることになるかもしれないし、そこから覚悟をつけてそっと一歩を踏み出すようなことも考えられる。「今」が行動の時期かどうかはそれぞれの事情や直観にもよるけれど、変化はまず内側から起きていく。

  また中にはDVなど、身体的、精神的な支配者・従属者という共依存関係に気付き、そこから抜け出すきっかけを見出すひともいるかもしれない。これはケースバイケースなので一概に言えることではないけれど、いずれにしてもそんな関係にとっては訣別の機会=危険期でもあると思う。なので「焦らない自分」を取り戻すための隙間を出来るだけ作り、可能なら周囲の助けを借りてまず距離を置きたいところ。何でもそうだけど、まず安全を確保。その後で「他者との関わり方のリニューアル」を意識しながら、今後の火星逆行期がもたらす経験の中で慎重に観察と理解を深めていくことが大切かもしれない。「失われた何か」とは、結局「本来のわたし自身」なのだから...。


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23日~25日~月末あたりまで要注意期
土星・インシデンティアがキラルスにオポジショ
銀河中心に月のSノードとイクシオン(無頼上等&狡さ)がコンジャンクト

 ・現在、不和のエリスとコンジャンクト中の火星が、エリスとのオーブ範囲を保ったまま土星とインシデンティアのコンジャンクションにスクエアを形成する。またカプリコーン・ステリウムと火星・エリスに加え、ハイジーア(保健・衛星)とヘーベ(共依存/若者/宴の花)が加わってGスクエアが成立する。このGスクエアは9月初旬まで続くので注意。25日前後には火星・エリスと土星・インシデンティアからオルクス(水星)にクァドリフォームが形成され、その中心をネッソス(因果応報)・オルクス(断罪、審判、引導)のオポジションが貫く。

 ・ケンタウルス族のキラルスが在泊するのは蟹座28°で7月の新月の位置。逆行の土星は当時在泊した対向の山羊座28°から少し離れて26°台を運行中だけど、今回はその28°にインシデンティアが来ている。これは一種のトリガー的な働きをすると思われる小惑星なので、火星・土星スクエアが形成されるこの新月期も十分注意が必要だと思う。このところ、世界中で多くのひと達が納得いくような理由もないまま突然犠牲になるような事件、事故、災害、危機が相次いでいて、直接自分に降りかからない限りそうしたニュースにはあまり驚かなくなってしまう...そんな “新しい日常” が生まれつつあるのかもしれない(それは一種の防御装置でもあると思う)。

ただこの「何でもアリ」な傾向は、これからも山や谷を経ながらしばらくは(おそらく真の意味で落ち着いてくるまで少なくとも数年)続くと考えられる。なので、このまたとない今という時期をそれぞれ自分なりに受け止め(ちょっとした喜怒哀楽、右往左往はいざとなったら当たり前..くらいの感じで)シンプルに体験していければと思う。濃密な惑星宇宙グリッドのアミダ籤で1本のラインを選ぶ主体は、究極には自分自身の意志であり、壮大な3Dアミダ籤のホログラフは「わたし」の胎内宇宙にのみ存在する。もしお腹の底で「間違った!」と思ったら「現実」より先に、内なるラインを選択し直そう。きっとその後で徐々に流れが変わっていく。


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  ところで、9月25日に入ってすぐに火星・土星の正確なスクエアが成立する。この場合は牡羊座火星のイケイケ精神を山羊座を逆行する土星が抑圧してくると思われる。なので横からブレーキをかけられた火星の側には強烈なフラストレーションが起きやすい。これから、というときに冷や水をかけられたり忍耐を強いられる場面がもしあるなら、自分の耐性を試す良い機会かもしれない。その火星・土星スクエアのちょうどミッドポイントに来るのがあの因果応報を体現するといわれるネッソス。その在泊度数、魚座11°台のメイン・シンボルは『新規入門者の試験』。不屈の精神を喚起してくる、これも一種の「リニューアル」を示唆する度数だと言える。土星の壁を煮え立つ熱湯の「差し水」として受け止め、現行のプランも身もこころも、ともに調整してみる方向で使えたらベストだと思う。特に裏方でのハードワークはキツイかもしれないけど、それは後で何らかのかたちで自分に返ってくる。ただし不屈と頑張り過ぎの境界線には注意ね。ストレスを溜めすぎては元も子もないので、バランス取りも大事。

また、このところ世界各地が熱波に襲われており(カリフォルニア州では54°Cを記録)、日本も記録破りの暑さで毎日のように警報が出されている。火星は熱い。けれど土星は冷たい。土星の力が働きかけることで、もしかしたらほんの少し、この熱波が和らぐ可能性もあると思う(そういう方面では土星に頑張ってほしいところ...ただエリスは全方向的に火星を焚き付けているけれど)。


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9月2日 魚座10°12’で満月!

・ネッソスと満月がコンジャンクト
・太陽とグリーヴ・オルクスがコンジャンクト
 満月の月—太陽軸が、エリス・BMリリスと土星・インシデンティアの
 スクエアから形成される太陽へのクァドリフォームを貫く
・金星と土星がオポジション
・火星・ヘーベ・ハイジーア(と金星)・インシデンティア(と土星)が
 Gスクエア 
・太陽(とグリーヴ、オルクス)・天王星・イカルスとパラスがGトライン 
・ICにエリスとBMリリスがコンジャンクト 
・木星とルシファーがクインカンクス

 ・リニューアルの新月に対しての「結果」や「回答」とも言える満月のテーマは、踏み出してなお見えない壁(不動の壁というよりも硬軟・変幻自在な壁。どちらかというと半透明で、きついパンチを打ち込むそばから包み込み、呑み込まれそうになる巨大なジェリー状の壁かもしれない)に焦れているような雰囲気も感じられる。上昇惑星がフォルスであり、12室に月のSノード、そして1室のイカルス・パラスのコンジャンクションからは、突然の何事かをきっかけとして、仕込まれた政治的な導火線(党派的闘争)が発火する感じもある。

世相の騒がしさや個人的な人生の一進一退にもし苛立ちを感じたとしても、それでも見えないところで確実に変化は生まれつつある。牡羊座の火星が逆行を前にうっそりと速度を落としつつあるこの満月では、今 経験しているとても小さなことが(たとえ方向性が見えなくても)積み重なって「壁の先のわたし」(またはわたし達)を創っていく。なので行動には出来る限り自覚的でありたいとき。拙速な行動、大胆過ぎる行為、攻撃的な言動はトラブルの元になりそう。だから重心を下げ、地を踏みしめてゆっくりと。煽りことばは話半分〜1/5程度に聞き流し、刺々しい場は出来るだけ避けてスペースを護り、こころ静かにただ自分らしくいきたい満月期。

KBOのイクシオンが最後に銀河中心直近まで戻っていくこの新月期と次の新月期は、世界の局地的闘争が様々なかたちで繋がっていくとき。そしてわたし達個人レベルでも、ささやかな持続勝負のときとなるのかもしれない。


今、大切なものは全て自分自身の胎内宇宙に存在する。


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9月10日 火星が牡羊座28°台から逆行開始
 (11月14日まで)

 ・無理をしないこと ・事故、怪我、暴力に注意 
 ・可能なら手術は避けたほうが良いとされる

 その他火星逆行期の注意点については『フォーキャスト2020』
 や『マンデーン2020』に詳細が載っているので持っているひとは
 参照してね。

そして…


9月17日 乙女座25°00’で新月!

  ふぅ..次回はやっと、暑くて熱い夏から秋分へと向かう新月。でもまだまだわたし達の世界は動き続ける。なのでいろいろ書いたけれど、本当に言いたいのは..まず、肩の力を抜こう。ほぉっと大きく息をついて。お腹の一点に力を感じ、出来たら指先だけにフッと神経を集めて。そして何かに触ってみよう。空気でも。生き物でも。植物でも、ぬいぐるみでも、機械でもいい。自分や誰かの体でも。余計なことなど考えず、そこに在ること、居ることを確かめて。頭ではなく、あなたの存在全体で。

ことばにならないスミレ色の夜明け。闇と光の識閾。黒と白の境目。なにもない。一瞬の、静寂。それだけあれば、わたしは十分笑顔で生きていける。どんなときも。


もしかしたら、そんなふうに感じられるかもしれないから...。


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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 20:53|PermalinkComments(0)

July 20, 2020

🌑7/21の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  7月21日02:52前後、北海道周辺で 02:58前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は02:33頃、沖縄周辺では02:02前後に蟹座 28°26’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♋️ 蟹座28°~29°― 発効期:7/21~8/18 】


→🌑🌞“A modern Pocahontas”
   『現代のポカホンタス』
             ↓
→🌑🌞“A muse weighing twins”
   『双子の重さを量るミューズ』

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
※シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

 
→★活気と自由奔放な屈託のなさで厳しい状況を突破していく
→★自分の正当性、優越性、見栄、または利益や利得のために吹聴する
   ポジショントークや美談に注意
→★文化や習慣、種族主義や世界観の違いを乗り超えることの厳しさと挑戦
→★ある種の高揚感や勝利の感覚とそれが過ぎ去った後の現実とのギャップが
   失望感や幻滅を招く危険
→★社会的モラルや倫理から解き放たれて見知らぬ地に向かおうとする精神
→★新しい脅威に対抗するために共通の利害だけで性急に妥協し合うことの危険
→★各自の差異を大きく包み込むような意識を持って他者と交流する
→★物事を十把一からげに単純化して語る論調を見破る知恵や視野を持つ
→★異質で見慣れない物事やひと、新たな状況を怖れず素直に受け止める
→★これだ!と感じる物事に出会うために客観的に流れを読む必要
→★必要な準備や熟考なしに目先の流れに飛びつき行き詰まる危険
→★外界の動きに目を奪われて動揺し「心の眼」で見ることを忘れる
→★相手の無知に付けいって自分の思う通りに導こうとする無知
→★秤にかけて善悪や優劣を決める行為は公正さを保つ手段であり
   正義そのものではないことを知っておく必要
→★自分自身のルーツをふり返り、新たな方向に向けて選択を行う…→

             

★エネルギーのポイント

  前回の新月『内的宇宙に生まれる力の葛藤を制する』
   ↓
  今回の新月『後戻り出来ない地点を超えて進む』

                               
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★7月新月の星模様とチャレンジ ★

〜主なアスペクトとスケジュールざっと〜

新月:蟹座28°26’
新月・キラルスと逆行の土星がオポジション
ネッソス・セレス&ヘカテから新月にクァドリフォーム
(ネッソス・ハイジーア・ニッポニアのGトライン)
新月図のASCが6月の日蝕の位置
ICにオルクスがコンジャンクト

  新月と土星とのオポジションはちょっと憂鬱な気分になったりこころが重くなったりしがちなアスペクト。ケンタウルス族のキラルスが絡む場合は社会的なニュースや日常の見聞の中でいのちの儚さや「いつなんどき何が起きるかわからない」という不安がより強調される傾向がある。それに新月の度数のテーマを考え合わせると、何かの境界を越える選択をしたり、後戻り出来ない地点を過ぎていくという暗示も感じられる。これは集合体としての選択かもしれないけれど、個人レベルでも無意識領域にかなりのストレスがかかりやすいと思う。暗示的な夢を見るひともいそう。なので心身ともになるべく無理をせず、活動と休息のバランスをこころがけたいとき。睡眠と深い呼吸は大切。早め早めに休息を取りたいとき。なるべく自然に触れる機会を持つといいかも。


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  また、新月図のASCが蟹座0°台で前回の日蝕の位置に来ること、ICにオルクス、MC直近にネッソスとセレスが来ることから、社会的にも、個人レベルでも、カルマの支払い的な出来事が(引き続き)起こりそう。おそらく前回の日蝕の余韻が通常よりも強く世界を覆っていて、そのまま8月の厳しいアスペクトに繋がっていくのかもしれない。今月〜来月は牡羊座を運行する火星がエリスにコンジャンクトし、山羊座のステリウムに次々とスクエアを形成していく。これは攻撃性として顕れやすい要注意のアスペクトで、事件や事故が頻発しやすく、火山活動の活発化、猛暑など気候や気温の変動も考えられる。国内や海外の政治的対立も激しくなりそう。SNSで流されるデマや中傷、こころ痛む(または怒りをかき立てられる)情報には注意したい。楽しめないなら距離を置こう。ひとによってはしばらく電子デバイスを離れるか、少なくともSNSから少し離れたほうがいい場合もあると思う。けれど、そんな中にも何か「新しい物事のきざし」や「新たなプロセスの進行」が感じられる期間になるかもしれない。それは、個人レベルでは「新しいわたし」「もう一枚脱皮しようとする自分」として感じられる場合もあると思う。


火星とエリス

  最近、識者が『今の私達はウイルスという目に見えない敵との戦時下にある』と新聞のコラムに書いていたけれど、それは山羊座ステリウム(木星、土星、冥王星)、そして牡牛座の天王星、魚座の海王星という遅い惑星からの影響力を見ても確かに言えることだと思う。でも、魚座の海王星に浸されたこの時代の戦争 — COVID-19 との戦いは、一般的な兵器を使う戦争とは異なり、宣戦布告もなければ戦況もよく見えない。わたし達は、たぶん目に見える「敵」と闘うとき、よく結束することが出来る。そしてゆずり合い、励まし合い、協力しあう気運も生まれやすい。9.11当時の米国がそうだったように。けれど今、現場としての「戦場」は経済、生活様式、国際関係など多岐にわたり、「何かが徐々に崩されていく」という不穏な感覚だけが強調されていく。ニュースでは日々、新たな感染者数が報道されるけれど、いったい何がどう浸蝕されているのかはとても見えにくくなっている。『皆で  “彼ら” と闘っている』という意識が生まれにくいコロナ禍との戦いは、長引くにつれてひとびとの分断を拡げていくかもしれない。今、世界はいつ果てるとも知れない「霧」との戦いに入っていること、隠された非常時という特異な状況にあることを認められないまま、平時の感覚(またはゼロリスク)を求め続ければ、非常時に対応せざるを得ない側のひとびとを徐々に追い詰めていくのではないだろうか? 不和を司る女神エリスは、苛烈な戦いを起こすことで自分という存在を確認し、微笑む。まだ本当の自分を何も識らないままに。

わたし達は今 執拗な惑星グリッドの網目に立っている。そしてその繊細なアミダ籤のような網目を、自分自身の舵取りの力で「わたしの道」に変えていこうとしてる。これからしばらくは主要惑星だけでなく、このエリスにも注意を払っておきたい。


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  今、牡羊座を運行している火星は8月18日にエリスと24°台でコンジャンクトする。エリスは非常に遅い準惑星なので、今からコンジャンクトする日までの間、1950年前後生まれから始まって全年代のネイタル・エリスと次々にコンジャンクトしていく。その影響はNエリスを何度&何室に持つかにもよるけれど、心理的には相手や状況をナナメに見て「ケッ」と思ったり、理由は二の次でただただ反抗したくなったり、自己肯定感が膨らんだりしぼんだり、このままじゃダメと感じて何かを壊したくなったり。または「こんなところに居たくない」と感じたり、やたら毒を吐きたくなってみたり…環境や内面にひどく不調和を感じ「どいつもこいつもバカばっかり!」なんて苛立ちも生まれやすい。

あるいは、なんとなく「全体」から切り離されてしまったような感覚。家族や仕事仲間、友達...人間関係も社会との関係も変わっていないのに、どことなく異なる世界に存在しているようなもどかしさや、見えない壁や、ことばにならない非・存在感。あるいは『自分はここにいるんだ!』と主張したくなる感じなど。なので、派手に口論するひともいれば、ヒタヒタと陰謀?を巡らしたり、声高に誰かの悪口を言うひともいそう。7月13日〜16日にはカイロンと火星がコンジャンクトしたので、それに触れたひとは前哨戦としての落ち込みや強いフラストレーションを感じたかも? これもまた、無意識の内に存在する深い怖れや傷を「何かの衝動」に変えてゆさぶろうとする深いこころの衝動かもしれない。


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  なのでT火星とTカイロン~Nエリスの合は要注意ではあるのだけど、同時に人生のどこか(または誕生前)に置き忘れてきた自分自身の「失った欠片」を取り戻す(またはそれに気付く)良いきっかけにもなりそう。少なくともバラバラな自我を繋ぐ本当の糸をかいま見たり、ハッと気付いたりする可能性はあると思う。だからもしこのフォースに触れたと感じたなら、脊髄反射的な言動に出る前に一拍置いて「これは何だ?自分は何を求めてる?」とふり返ってみたい。たとえば日常のぬくもりの中に一瞬、冷たく固く触れてくる得体の知れない違和感は何だろう?とか。そういう感覚がやがて大きなヒントになっていくかもしれないから。

火星は8月13日に冥王星とスクエアを形成、17日~18日にエリスとコンジャンクト、続いて25日〜26日ごろに土星にスクエア。そして9月10日に逆行し、再び9月30日に土星とスクエア、10月9日に冥王星とスクエア、19日に木星とスクエア。11月14日に順行して12月23日、またエリスとコンジャンクトすると同時に冥王星にスクエアを形成する。

そして来年1月13日、今度は水瓶座入りした土星と牡牛座2°台でスクエア。1月21日~23日には天王星とコンジャンクト、木星とスクエアを形成する。なのでこの夏から来年初めにかけて、世界も日本の世相も一層動きが激しくなると思う。メリマンさんお得意のフレーズを借りるなら『今後のワイルドライドを過ぎ越していくためにもシートベルトをしっかり締めて、ときに眼を閉じ、ときに見開き、絶叫マシンを楽しもう』という感じかな。でも、これは長丁場になる変革期。なので絶叫ばかりじゃ疲れてしまう。だから、緩と急のバランスを大切にしていきたい。


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  おそらく牡羊座のカイロン、エリスと火星の邂逅は、変革の実際的序章として他の惑星よりもダイレクトに個人的な領域を刺激してくるのではないかと思う。だからこそ、そこで与えられるチャンスを大切に扱い、自分自身の芯を確かめながらやっていけたらいいな。

これから先も驚くことがいっぱいあるかもしれない。それぞれに大変なときもあると思う。でも、それをちゃんと過ぎ越して、生き延びて、後からふり返って、何かとてもいとおしい日々に思えるかどうかは本当に自分次第。笑って怒って、たまにベソをかくときがあったとしても。惑星たちの誘惑に負けず、魚座海王星の闇の顔 — 「自分可哀想メンタリティ」にも囚われず、しっかり使いこなして乗り切っていこう。🍀


その他小惑星関係…

蟹座の水星・カルマ・ルビコンがコンジャンクションで牡羊座のカイロンとスクエア 牡羊座の火星とジュノー・へーべ&ハイジーアがTスクエア 山羊座の冥王星・牡羊座のエリスがスクエア 海王星・ヴェスタがトライン 天王星・アルビオンがコンジャンクト MC・天王星・オルクス・IC・ニッポニアがミスティックレクタングル Sノード・イクシオンが合 etc.


〜主な惑星スケジュール〜

7月25日〜26日 天王星・海王星のMPに牡羊座の火星
7月28日 双子座の金星・魚座の海王星がスクエア
      蟹座の水星・牡羊座の火星がスクエア
8月2日 太陽・天王星がスクエア
8月4日〜5日 牡羊座の火星・山羊座の木星がスクエア
8月5日 水星が獅子座入り
8月6日 双子座28°台で金星・Sノードがコンジャンクト

8月4日 水瓶座11°45’で満月!

8月13日〜15日 火星・冥王星がスクエア
8月15日~18日 火星・エリスがコンジャンクト
8月17日 太陽・水星コンジャンクション
       火星・エリスにトライン

8月19日 獅子座26°35’で新月!

8月25日 火星・土星スクエア
       火星・土星からオルクスにクァドリフォーム


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★7月新月のサビアン・シンボル★


🌑 新月のベース・シンボル:
   蟹座28°『現代のポカホンタス』



  さて今回の新月、テーマの基盤となるのは『現代のポカホンタス』。もちろん「現代」といっても、サビアン・シンボルが降ろされたのは1925年だということを頭に入れておく必要はあると思います。ただ当時の米国、それも一般白人社会で「ポカホンタス」と聞いて浮かぶイメージは、史実の中の彼女とは全く異なるものでした。たとえばデーン・ルージャー版の『An Astrological Mandala/アストロロジカル・マンダラ』では、このシンボルが『集まった部族の前に白人の恋人を紹介するインディアンの少女』となっています。

これは白人側の物語として伝えられたポカホンタスの姿であり、当然、白人側の視線に基づいています。そして、そのキーワードは「自然に還る」こと。これは少女ポカホンタスではなく、その恋人である「文明社会の白人男性」としての視点だったと言えるでしょう。なのでこのシンボルを解釈するにあたってはちょっぴりややこしい部分もあります。けれど、おそらくサビアン・シンボルを伝えてきたと言われる “サビアン・ブラザーフッド” が、バビロニアのアストラル・マジックの継承者であったとされることを考慮すれば、やはり「時空の中で起きた事実」に出来るだけ沿った解釈を試みるのが良いように思えます。なので、それを踏まえたうえで解釈してみますね。


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  「ポカホンタス」といえばディズニーのアニメ映画を通じて今や世界中で多くのひと達が知る名前ですよね。わたし自身は「ポカホンタス」の映画は観ていません。ただ、おそらくストーリーの粗筋はきっと今どきの映画らしく、ポカホンタス像には「自立して賢く強く、それでいて可愛い先住民族の女性」のイメージを与え、ジョン・スミスとの伝説的ロマンスを美しく描いていたのではないかな?と想像しています。ポカホンタスは実在の人物ですが、シンボルが降ろされた当時も、そしてたぶん今でさえも、米国の伝説上のネイティブ・アメリカン・ヒロインとして物語的な存在になってしまっているのだと思います。

また以前、民主党の大統領候補選に名乗りを上げていたエリザベス・ウォレン氏が『自分にはネイティブ・アメリカンの血が流れている』と言ったとき、トランプ大統領がすかさず彼女を皮肉混じりに「ポカホンタス」と呼んで物議をかもしたこともありました。それほど米国では有名で、しかもちょっとデリケートなニュアンスを秘めた名称のようです。今の米国に見られる激しい人種問題の突き上げを見るにつけても、やはり蟹座 ― 山羊座軸の最終度数にあたるこのシンボルには、人間という生き物にまつわる異種族融和の困難さという厳しいテーマが隠されているように思えます。


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  彼女の本名はマトアカ。「小さな雪の羽根」という意味だそうです。彼女はポウハタン族(またはヴァージニア・アルゴンキン族)の族長の娘で、アルゴンキン族の言い伝えによれば「敵」に本名を知られると良くない事が起きるという理由で「ポカホンタス」という幼いころのニックネームで呼ばれていました。これはお転婆で元気ないたずらっ子..的な意味だそうです。でも実際、彼女を巡る状況はネイティブ・アメリカンの土地に入植してきた白人達との出会いと融和、そして貪欲さと裏切りと闘争という複雑な歴史が絡んでいて、とてもロマンティックとは言えないものでした。

現代に至る「ポカホンタス」のイメージの源泉となったのは、当時の植民請負人であり、後には部族に対する脅迫や略奪を行ったとされるジョン・スミスという人物によって書かれた物語でした。そしてそれは、彼が後の世に自分を飾り立てるために書き上げたロマン溢れる武勇伝であり、真実とはかけ離れていました。ある伝承によれば、彼女自身が亡くなる前にその話を全く否定していたそうです。


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  けれど文字を持たなかったネイティブ・アメリカン側には文献というものがなく、本当は彼女がどんな女性で何を想って生きていたのかは知る由もありません。ただ記録として残っているのは、争いの中で人質として白人側に拉致され、その後通訳として用いるために英語を教えられ、キリスト教に改宗させられたこと、そしてタバコ会社の設立者だったジョン・ロルフと結婚、レベッカ・ロルフとなって「入植英国人と“インディアン”の絆」を体現する絶好の「看板」として利用されたということのみです。wikipediaによれば(おそらく入植事業やタバコ産業の宣伝のために)英国に連れていかれたロルフ夫妻は、妻のレベッカが「新世界 ― アメリカ ― の “王女”」だと紹介されたために好奇の一大旋風を巻き起こし、今で言うセレブリティー的に扱われたのだとか。けれど、英国から帰る船旅の途中でレベッカは流行り病に倒れ、帰らぬひととなりました。享年23歳前後だったそうです...。

  16世紀末に生まれ17世紀初めまで、確かにこの世を生きたマトアカ/ポカホンタス/レベッカ。3つの名前を持つこの女性には、まだ年端もいかないうちに(たぶん10代前半)拉致され、思わぬ運命に翻弄されて遠い異郷で命を落としたという記録しか残っていません。その他の物語はみな他者の都合に合わせて創り上げられたファンタジーでした。そしてそのファンタジーは、大航海時代の西欧諸国による植民地支配と統治にからむ政治経済の発展から独立戦争を経てアメリカ合衆国の建国へ...という壮大な歴史的タピストリーの隅にほどこされた絵巻の一部となっています。


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 ※マトアカ、またの名をレベッカ、ポウハタンの強大なエンペラー、プリンスの娘
 クリスチャンに改宗して妻となる...といった記述が見えるポカホンタスの肖像画


  そして今。米国史の片隅に影を落としていたあらゆる「染み」が一斉に噴き出したかのように見える今。この「ポカホンタス」という名が孕むテーマもまた、北アメリカの大地に染みついたカルマの一部として浮上しているように見えます。

  ならば『現代のポカホンタス』っていったい何だろう? このシンボルが降ろされた1925年代なら、きっとポカホンタスとジョン・スミスのロマンティックな冒険物語はそのまま事実として一般大衆に受け入れられていたかもしれません。だから「小さな雪の羽根/マトアカ」、そして「ポカホンタス」本来の意味である「お転婆でイタズラ好きで好奇心旺盛なインディアンの少女」というイメージがエルシィ・ウィーラーの脳裡にあったとしても不思議はないと思います。それは唯一彼女自身の本当の素顔をかいま見ることの出来る名前でした。けれどその後名前は変えられ、彼女のアイデンティティは外からは窺い知れないものになってしまいました。西欧の美女風に描かれ、王女のように着飾ったポカホンタスの肖像画。この絵をいくら見つめても、彼女の息遣いは聞こえてきません。空っぽ...。


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  それでも、たとえ一時であったとしても。彼女の存在こそがポウハタン族と入植者達との間に束の間の平和を創り出したこともまた確かでした。

「ポカホンタス」と名付けられた物語。でもそこには誰もいない。ただ周辺を生きたひと達の欲望と時代の想念が表皮となってまとわりついている。そんな肖像。「現代のポカホンタス」とは、もしかしたら激動する世界の中で、いつのまにか確固としたアイデンティティを見失ってしまったわたし達人間の姿なのでしょうか?

  では念のため、この度数を補完する対向の山羊座28°も見てみましょう。


山羊座28°『大きな飼鳥園』

  原文は「Large aviary」。aviaryというと「鳥小屋」ですが、ここでは動物園などにあるかなり大きくて飼育場的な役割も兼ねるネットの付いた檻を指しているようです。もしかしたらかなり大規模で、内側には自然に近い環境で暮らす鳥達を観察するための道があって様々な木が繁っているのかもしれません。そには多様な種類の鳥達が飛び交っていて、いつも賑やかです。始終飛び回り、甲高い声で鳴き交わす色とりどりの小鳥達。時折大きな叫び声を上げる、目つきの鋭い大きな鳥。じっと木に止まって辺りを見回す黒い鳥。園内はそれぞれの種に特有の歌声が入り混じり、ときに調和のとれた心地よい音色を奏でるけれど、耳を塞ぎたくなるような不協和音として聞こえるときもあります。


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  もしかするとこの鳥達はみな人間の赤裸々な姿であり、本性の一側面かもしれない...とB.ボヴィは言っていました。ひとは慣れない場所に集められると、自分と似通ったものを持つ者同士で何となく集まります。たぶん、そのほうが本能的に安心出来るから。たとえば人種や肌の色、または信じる宗教や話すことば、国籍や文化の違いによってひとびとは自然に集まり、園内の一定の場所にそれぞれの集団を作るかもしれません。そして、一見同じ人間であること以外は何の共通点も持たない他の見慣れない集団のひとびとについて、いろいろな話し合いが内輪で始まります。何故なら自分達の平穏を護るためには他の集団の力を値踏みせざるを得ないから。

『誰だ、あれ? 見たこともないヤツらだな』『何あのひと達? ヘンな顔してるしおかしな格好してるけど、近寄っても大丈夫かしら...』『いや、側を通らないほうがいいよ。前に一度見たことがあるけど、なんか野蛮そうだったし』『うわ、あっちのヤツらは奇声上げてる!ヤバイやつに違いない!』

…こうしてそれぞれの集団の中で一定の筋書きや物語が創られていきます。それはおそらくその集団に共通する道徳観や習慣を通じて都合よく創られる偏見の物語であり、外部の存在に対して無意識のうちに押す烙印としての物語です。それは、自己の存在を脅かされることへの本能的な恐怖心の投影かもしれません。


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  それでも、現代に生きるわたし達はもっと洗練されているはず。地球には様々な人種、文化、言語が存在し、習慣も感覚も異なることを知っているし、「異なる人種や考え方のひとびととも仲良く手を携え、みんな平等に、平和にこの大地を分かち合うべきだ」「異なる考え方にも耳を傾け、理解し合おう」これが人類の理想であることも理解しています。

  けれど、今。すでに原始人の時代から100万年とも200万年とも言われる人類史の上で、種族、部族、国や集合体同士の戦いが地上から消えたことはありません。わたし達個人のレベルでさえ、日々争いの種は尽きません。自分自身のこころの中でさえ、過去と今の「わたし」、異なる欲望に引き裂かれた「わたし」と「わたし」が争ったりしています。


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  そして争いの後は常に、一方がもう一方にとっての「侵略者」となり、その「侵略者」 ― 戦いに勝利した側 ― は自分達のことを、野蛮な種族に「光明」と「文明」をもたらす「入植者」または「開拓者」だと見なします。侵略する者と侵略される者、開拓者と教化される者。それは時を経て互いに入れ替わることもあるし、互いの身内や同じ種族の中でも裏切りや疑心暗鬼が生じ、新たに骨肉の争いとなるケースもあります。こうして同じ種族の集団内部にも分裂が生じていきます。それはバラバラに分断され、不安と怖れに支配された傷つきやすいアイデンティティのぶつかり合いでしょうか。

安心な繁殖地とより良い餌場を確保するために、縄張りを主張してさえずる無数の鳥達。出自や思考や性向によって身内とよそ者を区別し、理解を拒み、互いに大声で相手を圧する人間達。大きな飼鳥園は今の世界そのものにも見えます。TVなどのメディアや昨今のSNSもまた、似たような側面を持つのかもしれません。そこは無数の物語が生息するけたたましい飼鳥園。けれど広々とした大自然も、本物の大地も存在しません。


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  でも。たとえひとときであったとしても、ポウハタン族と英国の入植者達との間に平穏な時期があったのも事実。それはマトアカ ― ポカホンタスという、ひとりの少女の存在によるものでした。外からやってきた白人達と彼女が初めて出会ったのは、彼女が10歳か11歳ごろだったそうです。無邪気で好奇心旺盛で、イタズラ好きで、まだ偏見に染まることもなかった素朴な少女。

『わたしは、わたし。ポカホンタスと呼ばれてるの。あなたは、誰?』 

その姿は大自然に生きる、怖れを知らない一羽の小鳥だったかもしれません。出会いのとき、その笑顔に癒やされた白人達もいたことでしょう。まるで、キャンプしていたら野生の小動物がテントを覗きに来たみたいに。そしてそんな出会いから、はからずもひとときの「異種間外交」が芽を吹きました。...ポカホンタスが人質として拉致され、レベッカという名を生きるようになるまでは。


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  その後の彼女に関しては漠とした足跡を知ることは出来ても、そのこころの軌跡を辿ることは出来ません。レベッカとしてエキゾチックなプリンセスの仮面をつけ、歴史の小さな1ページを飾る人生。そこで窮屈なドレスをまとい、他者のための物語を生きた彼女は...ポカホンタスとしての「わたし」を少しでも保てたでしょうか? 餌場や分け前を取り合ってけたたましい声をあげる異種の鳥達の中で。でも、もし彼女の中で「無垢のわたし」がずっと生きていたのだとすれば...  

『どこにいても、たとえどん底にいても、わたしは、わたし』
『どこにいても、たとえ夢見心地のときも、わたしはわたしでしかなかった』
『それでも世界は面白いことでいっぱい!』

逆らえない運命を生き、自分の役割を果たしながら、こころのどこかで。 期待と失望のバランスをはかり、生まれ故郷の部族を想い、気持ちをなだめて現実という枠を知り、自分に出来ることをやりながら。 最後まで、絶対に妥協できない「わたし」という一線を守り抜き、それを尊厳として異郷に死んでいったのかもしれません。実のところ、苛酷な運命を生きたポカホンタスの物語に象徴されるこの度数には、強力なヒーリングの力や回復力も暗示されています。予想もしなかった瞬間にふと訪れる至福のとき。それは、誰かの指示や期待からするりと抜け出す自由な魂を取り戻すときなのかもしれません。


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  余談ですが、小惑星にも「ポカホンタス」という名を持つものがあります。発見時の位置は牡羊座5°台。ここは「これしかない」という無意識の感じ方をアイデンティティとする、文字通り「わたしは、わたしだ!」という度数です。そして今、ポカホンタスは乙女座6°台。自由を犠牲にして安全を取るか? 結果を引き受ける覚悟で外に出ていくか?その選択を問う「ハーレム」の度数です。またポカホンタスの発見チャートでは、この新月が起きる蟹座28°台に小惑星ファンテージア(幻想)が在泊。ならば新月の夜は、どこか儚い幻や夢見の中で「死なないわたし」をかいま見られるのかな?

  あ、気付いたらベースのシンボル解説が長くなってしまいましたね。では新月のメイン・シンボルに行ってみましょう。



🌑 新月のメイン・シンボル:
   蟹座29°『双子の重さを量るミューズ』


  急激な成長を促される蟹座 — 山羊座軸のルネーションも、いよいよ最終段階の度数に来ました(30°は獅子座0°でもある「ヤヌス度数」)。ということは...もしかしたら何か挑戦のテーマになるのかな?

ところでミューズとは:芸術と科学を司る9人の女神。カリオペ/叙事詩、クリオ/歴史、オイテルペ/フルート演奏と抒情詩、テルプシコーレ/合唱とダンスと歌、エラト/竪琴演奏と抒情詩、メルポメネ/悲劇、タリア/喜劇と軽詩、ポリヒムニア/賛美歌、パントマイム、ウラニア/天文学を指します(wikipedia)。 つまり「ことばと記録」「物語」「感じ取る音」「歓びや哀しみの感情」「動き」「壮大なシステムの知識」そしてその全てを包含する「スキル」。...彼女達は五感の全てを通して受け取るインスピレーションの源です。


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  今、そんなミューズのひとりが秤を持って、注意深く双子の重さを量ろうとしています。重さを量るってことは、どちらがより重いか軽いのか、そのどちらかに何らかの価値を置いているということ。でも目の前の双子は体も顔付きもそっくり。ぱっと見では両方が同等に見えます。だからよほど慎重に量らなければなりません。また量る女神といえば、アストライアを思い起こすひとも多いのではないでしょうか。彼女は目隠しをして秤を持ち、対立する2つの要素 ― 人間、集団、物事の良し悪しを公平に公正に量ろうとします。今、米国を中心に吹き荒れているBlack Lives Matter 運動もまた、公正さ ― ジャスティスを求める声の高まりから始まりました。けれどこの世界に絶対の「公正さ」や「正義」は存在するでしょうか? それらは人間の概念に過ぎず、ことばにするのは簡単でも実際には必ず何かしらのバイアスがかかるものではないでしょうか?


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  B.ボヴィはポカホンタスの子孫であるネイティブ・アメリカンのひとびとが祖先の土地を奪われ、痩せた荒れ地の保留地へと追いやられた歴史を例に挙げています。一部のひと達はそれを「詩的正義」、つまり自業自得に近い結果として見ます。なぜなら、ポウハタン族と白人達の間には幾度もの争いがあり、入植者側も何百人もが虐殺されたり畑を焼かれたり、女性達がさらわれて奴隷にされたりという事実もあったからです。それは報復に対する報復のような様相だったと記録されています。

また和平のときも、ポウハタン族からの贈り物は彼らが聖なるものとして大切にしていたタバコの葉だったけれど、白人達にはその価値がわからなかったため、こうしたの成り行きは当然の報いだと考える向きもあったそうです。結局、人間同士の争いにはその背後に無数の行き違いや誤解、やり過ぎや行き過ぎが複雑に積み重なり、それがまた互いの集合記憶に深い傷を残して取り返しのつかないところまで行くのかもしれません。

  現代のわたし達はわりと簡単に「公平」「公正」「正義」を求め、それを口にします。けれどナマモノである人間が関わるとき、掛け値ない本物の公平さ、どんな状況にも当てはまる公正さや正義など存在し得ないのではないでしょうか? それでもわたし達は、社会生活を営むために公正さを必要とします。だから「法」があるんですね。法とは約束事。集団内部の平和を保つためには、それを遵守するという共通の取り決めの下で何事も判断していくしかありません。もちろん、それが複雑な人間の感情に見合うものではないとしても。


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  けれど今、公正さをもって双子=切っても切れない2つの物事を量ろうとしているのはインスピレーションの女神です。彼女はいったい何を尺度にして、どんな決断を下すでしょうか?

では、互いに補完する対向度数のシンボルを少し見てみましょう。


山羊座29°『茶葉を読み取る女』


  これは茶葉を使った占いの一種。一杯のお茶を楽しんだ後ですっかり開ききった葉を残し、カップを空けます。そして残った茶葉が偶然によって残す「かたち」を見て、それが象徴する物事を読み取り、未来への理解を深めていくというものです。おそらく判断の鍵は、一瞬のインスピレーションかもしれません。これは気軽なティータイムの知的な遊びとしても十分に楽しめますが、もし深めていくのなら、占いの中でもとりわけ絶対的な集中力と研ぎ澄まされた感性を必要とする技なのだそうです。まだ試したことはないけれど、たぶん茶葉をひと目見た瞬間に自分の記憶の奥に眠るあらゆる象徴のうごめく森に入り、そこから何か確かなイメージを掴んでくるような感じかもしれませんね。


 Tea Leaf Reading by Ms.Lindel Barker-Revell


  彼自身がサイキックでもあるB.ボヴィはここで、興奮させたり酔うような含有物を一切排除した飲み物しか摂らないことを意味する「teetotaling = 絶対禁酒主義」ということば、そしてフラつくことを意味する「teetering」ということばを源語に対応する “音声的同族語” として “抽出” し、この占いに必須なのは「絶対的意志」と「フラつかないこころ」だと示唆していました(この行為自体が “ことのは”からひと繫がりの意味をすくい取るという「Tea Leaf Reading」的行為なのかもしれません)。


  何かの想いに駆られて興奮したり感情的になっているひとは、何を目にしても今 取り憑かれている物事を出発点として対象を把握しようとします。また願望や欲望がほんの少しでも膨らんでいれば、その欲望に沿った「物語」を通して見たいものだけを目にし、聞きたい音だけを耳にします(それが常にポジティブなものとは限りません。自分を罰するためにネガティブな物事を見ようとするひとも多いです)。そして、それ以外は全てが背景。全てが雑音。なのでもし真の「兆し」となる調べがすぐ側で奏でられても、その音色はあまりにも微かで聴き取ることが出来ません。もしそんな状態であれば、きっとこころの錘は歪められた情報に反応してあちこち揺れ動き、公正に物事を量ることなど出来ないはず。 茶葉のかたちを願望のスプーンで歪めることなく、まっさらで素直な「わたし」としてそのまま受け入れ、自分の中の「何か」と「それ」が自然に溶け合い立ち上がる光景を確かに見切る。あまりにも豊かな「意味の奔流」の中で、その行為は歩むべき道の鍵を知るのと同時に ゆるぎない信頼の体験となるかもしれません。だって誰でもない、「わたし」が選んだことなのだから。


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  ナチュラルハウスでは社会的頂点を象徴する10室に対応する山羊座。その山羊座終盤に出現する『茶葉を読み取る女』に求められる「絶対的意志」は、対向の蟹座 ― ナチュラルハウス4室(わたしの内面/家、家族、身内、国民、領土)― 終盤に出現する「ミューズ」の核心部に備わるべき資質だと考えられます。

  さぁ今、ミューズは双子のうちどちらかを選ぼうとしています。研ぎ澄ました注意力で。眼を閉じ、揺るぎないこころの眼を開いて。均衡は大事。でも実際には、まったくの均衡なんてこの世界にはあり得ません。前に踏み出すにしても、後ろに下がるにしても、わたし達は一瞬バランスを崩さないと動くことさえ出来ないのですから。ならばどちらか一方を選ばなければならないときがある。

…うーん、でも、どっちを選んだって長い目で見れば同じなんじゃないの? そうね、究極はひとつなんだから。迷いも生まれてきます。だけど、同じに見えても本当はそうじゃないんだ。今、通るべき道、自分が本当に経験したがっていること。今、それはたったひとつ。本物の「わたし」と「本物によく似たわたし」。ひとによってはそれは「ひとりでも双子であるわたし」と「欠けているから双子になりたいわたし」という双子かもしれない。ずっとこのままだっていいのに。でも、このままでは居られない。たぶん岐路ってそういうもの。またひとつ、ほんのささやかな、あるいはとてつもなく大きな、選択のときを迎えようとしてる。 それは 目の前の一線を越えていくとき。自分だけが知っている、その境界線を超えていくとき。


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  じゃ、最後の判断を下すための錘って何だろう? その秤には、どんな目盛りがついている? 

それはやっぱり...何もかも剥ぎ取ったあとの「わたし」じゃないだろうか? 短い一生を必死に生きただろうポカホンタスは、どんな「わたし」を抱えていただろう? ことばもない、うごめく感情でもない。それでも吸って吐く息の狭間に確かに在ると言えるわたし。

そのわたしを、そっと押し出す。ただの出がらしだった茶葉がある一瞬、はっきりと世界に向かってかたちを取るように。そのとき「わたし」は茶葉であり、また「双子」でもあるのかもしれません。

  さてと。新月の夜は静かな部屋の中で、ゆっくりお茶でも煎れてみましょうか...。



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have a great trek!!!★


hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 23:53|PermalinkComments(6)

June 20, 2020

🌑6/21の新月・日食―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  6月21日16:07前後、北海道周辺で 16:13前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は15:42頃、沖縄周辺では15:13前後に蟹座 0°21’ で新月となります。

お天気が良ければ日本からは部分食が見られます。
 食の最大時刻は北海道17時~沖縄17:16ごろ
 (アフリカ東部~アラビア半島、インド北部、中国あたりでは金環蝕)


前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♋️ 蟹座0°~1°― 発効期:6/21~7/20 】
(エリーズポイントの日蝕なのでテーマは1年~長くて3年ほど有効)

🌑🌞“Bathing beauties”
   『水着美人の一団』
            ↓
🌑🌞“A furled and unfurled flag displayed from a vessel”
   『船から提示される巻き上げられたり広げられたりする旗』

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

 
→★「見ること」と「見られること」がいかに人間関係の基盤となっているか
  をあらためて認識していく
→★なにげない集まりの中で得られるちょっとした歓びや感動に癒やされる
→★手に入らないものを求めながら多くの代替物に埋もれる危険
→★優しさ、友愛、慈しみという観念にまつわる古いイメージを捨てる
→★見栄のための嘘や傲慢な態度、計算ずくのパフォーマンスに注意
→★期待も怖れもなく淡々と歩む日常にひそむ透明な祝福を感じる
→★古いもの、長く続いた時間が終わり、新しい何かが台頭してくる予感
→★自分の中に隠れていた内的な「個」の力のポテンシャルを感じ取る
→★これまで覆い隠されてきた強い力が突然誇示される
   (それが虚勢か本物のパワーかを見極めて対応する必要)
→★これまで辿ってきた人生の道が変わる、または変える覚悟を決める
→★考え抜いた幾通りかのプランを胸に乗るべき風が吹くのを待つ
→★ドグマに凝り固まって他に耳を貸さない頑なさが道を閉ざす危険
→★怖れずにひたすら自然体に徹し、押すときと引くときを心得る必要
→★得られて当然と思う何かを得るために自分の力と意志を証明する必要
→★矛盾した思いにジタバタするか、覚悟を決めて前に進むかの岐路
→★人も物事も「良い器」と「壊れた器」の違いを明確に識別していく
→★やがて来る「決めるべき時」のために感覚を研ぎ澄ませておく
→★心と体の「流れ」を良くして新陳代謝を図り意志の「火」を保つ…→
             

エネルギーのポイント:

 前回の新月『本質は盤上に非ずして表層は全てゲームと知る』
             
 今回の新月『内的宇宙に生まれる力の葛藤を制する』

                               
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★6月新月・日蝕の星模様とチャレンジ ★

~ざっと見のアスペクトあれこれ~


新月:蟹座0°21’/サロス137の日蝕

    去年12月に起きた山羊座の日蝕から半年。たった半年なのに、その短い間にCOVID-19をはじめとして世界を揺さぶる多種多様な難事が起き続けています。それにつれて、打ち騒ぐひとびとのこころ。そんな2020年の行程も、やっとなんとか半分まで過ぎ越してきました。その折返しとなる夏至の日蝕。さぁ、どんなエネルギーが待っているんだろう? ではアスペクトから見てみましょう。


~アスペクト雑観~

新月・日蝕に関わるアスペクト

夏至とともにエリーズ・ポイントで起きる
 強力なノースノード・イクリプス

 (夏至は21日06:50ごろ)
サロス・シリーズは137
月がOOB(21日~23日)
 太陽の赤緯もまた北の最高位に来ている

新月が恒星ベテルギウスとコンジャンクト、
 射手座のイクシオンとオポジション
新月・アグニが魚座の火星・レクイエムとスクエア
新月が冥王星・木星とコントラパラレル
新月がパラスとパラレル

その他…

水星、金星、木星、土星、冥王星、パラスが揃って逆行中
山羊座の冥王星・木星・パラス・水瓶座の土星と
 牡羊座のエリスがスクエアで乙女座のオルクス(審判)にクァドリフォーム
冥王星・木星・パラスが魚座の火星とレクイエムにセクスタイル
冥王星・木星・パラスが牡羊座のエリス、蟹座のキラルスとTスクエア
冥王星・木星・パラス、オルクス、キラルス、マッドハッターが
 ウォリサム・レクタングルを形成
火星・レクイエムとオルクスがクインデチレ
牡牛座の天王星とオルクスがトライン
山羊座のフォルスと蟹座のハイジーアがオポジション

  木星と冥王星の組み合わせには、宗教的なカルトを思わせるエネルギーがある。政治的な思想や活動を表すことの多いパラスも加わっているので、これは米国におけるアンティファや急進的左派集団、コミュニストなど政治カルトの台頭によく顕れているのかもしれない。また乙女座のオルクス、牡羊座のエリスが絡むので、それはかなり闘争的で酷薄かつ自分本位のエネルギーだと思う。さらに火星とレクイエムの組み合わせは、このところの警官による黒人被疑者の死への怒りとなって顕れ、オルクスとの絡みが報復心理、デモや暴動に繋がっているのかもしれない。

  興味深いのは木星・冥王星・パラスに絡むウォリサム・レクタングルで、これはドラマティックなことが次々と起きてきて騒然となりがちな一方、そこには真に関わるべき当事者の姿はなく、ただ外野が騒ぐことによって空回りしながら横道へ逸れてしまう可能性が示されている。日本では3室(メディア、コミュニケーション etc.)4室(国民の心理、領土 etc.)9室(外交、高等教育、法 etc.)10室(政治、権威や権力 etc.)で形成されるが、ニュースで騒がれる表層の物事の陰には異なる本質が常に存在することを頭に入れておくべきかもしれない。

  ・2室フォルスと8室ハイジーアのオポジションは、コロナ禍の下で強いられてきた “自粛”への疲れと緩みによって感染拡大が再燃する怖れを示唆しているようにも見える。今は疲労が溜まりがちな季節だし、休養と水分補給を忘れずに、体に優しくしたい時期。


天秤座のジュノー・ヘーベが蟹座のヴェスタとスクエア

  ・ジュノーとヘーベは2019年夏あたりからずっと一緒に旅してきて、今夏を最後に互いに離れていく。これは主に母子間の共依存を表すと思われるが、蟹座のヴェスタとのスクエアは「竈の火」を巡って、または「内なる火」を巡って何か葛藤が起きることを示唆しているのかもしれない。ちなみに米国建国図ではこのジュノーとヘーベがASCにコンジャンクトし、対向にはBMリリスが来てMC上のヴェスタとTスクエアを形成している。これもまた、現在の米国の状況と照らし合わせて意味を熟考してみると興味深いのではないだろうか。

新月が土星とクインカンクス

  このアスペクトは、無言で穏やかに微笑みながら「結局あなたは私に従うしかないでしょう?」的なエネルギーで、逃げるスキも与えず詰めてくるような感じかもしれない。月と土星の組み合わせはある種「不退転」の雰囲気を持つように感じられるけれど、当然「調整」、つまり交渉の余地は残される。これをどう使うか? または相手側から使われたときにどう対応するか? は、食の起きる位置が自分のネイタルでどのハウス内なのかを考慮し、それに今回のサビアン・シンボルが示唆するテーマを「根底の意味付け」として重ね、自分なりの物語を想定してみると良いかも(これは食に限らずどんなアスペクトにも応用出来る基本的な方法)。


  こうして抽出してみると、新月・日蝕とダイレクトに関わる天体条件やアスペクトだけでもかなり強力なのがわかると思う。そして、ここで生じる影響力は長期(1年~3年、最長最強で6年程度の事例も)にわたって個人や集合体の心理にじわじわと浸透していくと考えられる。

  今回の蝕の特徴としては、まず月の赤緯が23°33’で軽くOOB(アウトオブバウンズ)であること。この月が太陽に影を作るということは、太陽もまた北のギリギリ最高位にあることを意味する。通常、OOBの月は極端に束縛を嫌い、その知性や感性は良くも悪くも型破りで、独特の価値観を持つとされる。またOOBではないものの、ギリギリ “近い” 赤緯を持つ個人惑星(水星や金星など)が他にあれば、その惑星を通して型破りな世界観を理解し、社会的な常識に見合うアイデアに “翻訳” して社会に対し「わかりやすく」表現できるとも言われている。

で、今回は赤緯23°26’の太陽がその役割を担うけれど、太陽は地上の「すべての意識の源」でもあり、それが月の影に隠されることを考えればバランスが良いとは言えない。というより、蟹座0°台のテーマをはらみ、それに沿いながら、かなり極端な傾向を帯びるのではないだろうか。ちなみに前回の半影月蝕、そして次回7月5日の半影月蝕も月はOOBになる。(月が頻繁にOOBとなる現象は今年3月あたりから始まり来年中も続くが、ルネーション及び蝕と重なるOOBは今回の3回だけ)


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  今回の蝕はノースノード・イクリプスなので、「未来志向」が強いとされる。蝕が示唆する「未来志向」とは、「過去に向ける視線を断ち切るような力」が働き、その結果として未来に向かって押し出されていくように感じられることが多い。なのでこの蝕にネイタルの個人惑星や感受点が触れるひとは、今後の変化に否応なく順応/適応していくよう促されるかもしれない。これは住み慣れた「コンフォート・ゾーン」から出ていかねばならないときが来た、ということ...。

これから先、もし人生で何か大きな決断を下すときが来たら、この未来志向の蝕の促しを意識に置いた上で「選択の自由は常に自分の側にあること」を忘れないようにしたい。その場の気分や感情に惑わされないこと。安易に幸・不幸を判断しないこと。追い詰められたような感情からの反動力を利用しないこと(それは依存なので)。そんなふうに決め、お腹に入れておくことも大切。この蝕の位置は「意志の力」が試される位置でもあるので、おそらく「ヤケになって動いたら上手くいっちゃった♪」という結末はあまり期待出来ないと思う。

たとえ上辺の「かたち」は変化したとしても、またそれに応じた臨機応変の態度を取るべき場面があったとしても、外的な変化と本来の自分自身の内的不変性とは関わりようがないこと(望まない内的変化を受け入れる必要はないこと)を知っておくことも大事。この内的不変性があるからこそ、外的には臨機応変の態度が取れる..とも言える。またこの主体性によって、自分の望む変化を創ることも可能になる。ただしここで言う「内的不変性」とは、単なる信仰や思想、信条、意見や世界観の頑なさではなく、 “ことば” を超えた何かなのだけれど。


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  さて、この日蝕のサロス・シリーズは137。サロスとは一連の蝕のシリーズで、今回の137ファミリーは1389年に生まれ、2633年に終わる。それぞれのファミリーは、一貫した特徴/性質を持つと考えられている。アストロロジャー、バーナデット・ブラディの研究によれば、この「サロス137」は人と人との関係(集合体としても、個人同士としても)、そしてお金(家計から国家財政まで)に関しての問題がクローズアップされやすい。また、そこからはとても強烈な感情が生じて激しく動揺しがちで、ときにそれは強い欲望と怒りに裏打ちされるという。

また人間関係においては、自分にはどうすることも出来ない流れの中で「逃れられない関係」に囚われてしまった…と感じるケースもある。あるいは反対に、今まで問題があるなんて思いもしなかった関係を、なぜか突然切って捨てたくなる... そんな可能性もあると思う。けれど、それがどんな感情や欲望であれ、他者が関わる以上は確実に摩擦と抵抗が生じるし、それは壁となって立ちはだかるかもしれない。

  この位置(蟹座第1ディーカン)には蟹座的な思いやりの心やヒーリングのエネルギーがある。もちろん、「育む」ためのエネルギーも豊富だし、「与えたい」という純粋な欲望も強力。ただ同時にそれは「情緒的な依存性」をも育んでしまうケースも多い。つまり「いつも共感を持っていたい」「それを相手にも感じていてほしい」「自分だけじゃ生きていけない...という感覚を互いに共有したい」という欲望。それはやがて、切っても切れない共依存の密室を創り出す。そこではどちらかが(ときには両方が)相手の存在を都合の良い鏡として自分の欲望を投影する。相手は他者というより自分のための鏡なのだから、当然思い通りの反応を得られなければ相手が間違っていると感じ、怒りがわく。やがて関係性は、無意識のうちにいつのまにか、エネルギーを吸いあいながらもたれあいの絆と化していく。それは個人対個人の関係だけでなく、カルト的なグループや師弟関係、メディアと群衆などあらゆる人間同士の関係にも見て取ることが出来る。


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  けれど、今のように星の巡りによって、もしそこにハードなエネルギーが放射されたら...溜まりに溜まったフラストレーションは、ちょっとした出来事を機に連鎖的に爆発していくかもしれない。蟹座に入ったばかりのこの領域には、身内的な愛や慈しみばかりではなく、選択肢によってはそんな危険性もまた潜んでいることを忘れてはならないと思う。なので、サロス137のように可燃性を持つ蝕の下では性急な行動を意識的に控え、自他を観察しながら状況(と気分)が落ち着くのを待って収拾を図るのが一番かもしれない(まして水星逆行の蝕でもあるので..)。

蟹座 ― 山羊座軸の重要性

  ここで、エリーズ・ポイント(カーディナル・ポイントとも言う:牡羊座0°、蟹座0°、天秤座0°、山羊座0°)で起きる蝕の重要性も押さえておきたい。インターセプションの研究家でアストロロジャーのアリス・ミラーは著書『Heralds of a New Age : Interceptions』や他の著書の中で、幾度となくこの蟹座 — 山羊座軸を「12の星座宮の中で最も成長が加速される軸』だと定義付けている。そこには、この領域で初めて人間を人間たらしめる大きな要素「関係性」が真に生まれ、リニューアルされていくのだというコンセプトがあった。また神智学協会を脱退して「秘教占星学」を唱えたアリス・ベイリーは、蟹座0°こそがアセンダントに対応するホロスコープの出発点だと主張している。

では、こうしたアストロロジャー達のインスピレーションの源はどこにあったのだろう? これについては、以前アストロロジャー、E.フランシスが紹介していた『テーマ・ムンディ』(またはテーマ・マンディ)と呼ばれるチャートにその起源があるのではないかと思う。せっかくの蟹座0°台の日蝕でもあるし、この機会にわたしが知り得た範囲のことを少し紹介してみたい。


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  1993年、ちょうど山羊座で天王星と海王星がコンジャンクトしたころ『プロジェクト・ハインドサイト』と呼ばれる研究者のグループ(ロバート・ハンド、ロバート・シュミット、ロバート・ゾラー)が発足した。彼らは古代ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、アラム語などで書かれたアストロロジーのテキストを翻訳、研究するグループで、それまであまりよく知られていなかったヘレニズム時代のアストロロジーへの理解を深めるために活動を続けている。


  これまで古代のアストロロジーは古代バビロニアの天文観測を起源として紀元前3世紀ごろにギリシャに伝わり、インド、アラブからヨーロッパ、中国へと伝承されていったと言われてきた。ところが彼らの研究によれば、アラブ圏で占星学用に使われていたテキストはそのほとんどがギリシャ語から翻訳されたものだったことがわかった。そして最近では古代ギリシャ語で書かれたアストロロジー最古のテキストは紀元前4世紀ごろのものだと判明したという。

しかも驚くべきことに、そこに記述された「ヘレニスティック・アストロロジー」を調査した結果、この概念が誕生してからほんの50年ばかりのうちに、今とそれほど変わらない体系(星座宮、室区分、7惑星、多様な計算方法、解釈のルールなど)がすでにシステムとして構築されていたと考えられるのだそう。けれど、人間存在の底知れない深みを描像し得る何かが “無” から生まれたとして、それが体系として(ほとんど)完成するまでの期間が50年というのはあまりに短いのではないだろうか。まるで「概念」がどこからともなく生まれ、次の瞬間にそこから続々と(自然に)全体の“システム”  が浮上してきたような感覚.....研究者の一人は『それはまるで、カップが壊れる動画を逆再生でもしたかのようなイメージだ』と述べている。また、7人存在したとされる「創始者」の一人として「ヘルメス・トリスメギストス」の名が記されていたという。


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  その後、彼らはそれまで知られることのなかった多くの事物を発見したけれど、その中で最も不思議な文書が「テーマ・ムンディ」と呼ばれるホロスコープだった。これは「世界チャート」という意味を持つ図で「アセンダントの位置=始点」が蟹座の0°であり、ICが天秤座0°、DCが山羊座0°、そしてMCが牡羊座0°に位置している。そして1室蟹座から7室山羊座までのハウスの中にそれぞれ月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星と当時知られていた7つの惑星が配置され、8室〜12室は空になっている。これは「夜のチャート/ノクターナル・チャート」だ。

  この、アストロロジーの起源を示すかもしれない「世界チャート」— 「テーマ・ムンディ」とはいったい何を意味しているのだろう?

E.フランシスの解説によれば、ヘレニズムについて研究している学者達は、このチャートが技術を教えるためのイベント・チャートのようなものではなく、歴史の中で何度も起きてきた顕著な惑星配置を基盤として構築された一種の思念的「構造」を表しているのではないかと考えているらしい。

つまり彼らの推論によれば、これは論理的な決着を促すようなものではなく、古代ギリシャのアストロロジーを生み出した思想の「鍵」にあたるもので、そこから今に至るすべてのシステムが次々に “生まれて” きたのではないか...ということらしい。


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  これは...もしかしたら、蟹座から内的な「自己」の世界と、内からの視線に映る外界との境界が始まり、そして山羊座ではその壁を越え、「外からの視線」を意識することで「契約」の関係性が始まることをも意味しているのかもしれない。

そう考えてみると、かつてアリス・ベイリーが蟹座をすべての基点だと主張し、アリス・ミラーが蟹座 — 山羊座軸で成長が否応なく加速されると指摘したことにも、またひとつ納得のいく裏付けが加わるように思える。

いずれにしても、エリーズ・ポイントが持つ計り知れない重要性は、基点としての牡羊座と蟹座、そして新たな成長と出発のさらなる基点としての天秤座と山羊座が、実はそれぞれダブルの意味合いを持って配置されているのだという事実にも顕れているのだと思う。

コロナ禍によって世界中のひとびとがそれぞれ個人レベルでの変化や試練を経験しており、国や民族という領域でも、それぞれに負った歴史的なカルマが動き始めているように見える。こうした状況を下地として起きる今回の蟹座0°の新月・日蝕には、今わたし達が感知している以上に壮大な意味が潜んでいるのかもしれない。


その他、雑多なマンデーン的情報少し

  エリーズ・ポイントで起きる日蝕自体がとても稀な出来事で、蟹座0°台で起きた日蝕を調べると直近では2001年6月21日で、これは米国の9.11に先駆けて起きた蝕だった。今回もまた米国建国図の同位置に在泊する金星の上で蝕が起きる。メリマンさん推奨の建国図では「お金」と「愛」の金星が9室(外交、法律、高等教育、国の哲学や精神的根幹)蟹座(国土の安全保障)に位置する。また、現在米国建国図はネイタル4室(国民の心理、国や領土内の安全)の冥王星にトランシットの冥王星がリターン中であり、直近の月とともに、木星・冥王星・パラス・土星ステリウムの直撃を受けている。この建国図のICにはほとんどパータイルにネイタルのエリスが乗っているが、それに加えて上にも書いたように、現在MCにはトランシットのヴェスタが、ASCにはジュノーとへーべが、DCにはBMリリスがコンジャンクト中。

日本の戦後始原図(主権回復図)では、日蝕がDC上で起きる(米国の金星は日本のDC上に在るということで、これは戦後の基本的な日米関係を考えれば納得がいくと思う。ただし、月とグリーヴのコンジャンクションも直近に在泊するのだけど)。 一方、7室はパートナーを意味すると同時に「あからさまな敵」をも意味する。なので、この日蝕は「敵」との関わりで何か変化が生じることを示唆しているのかもしれない。けれど「敵」とはどこを指すのだろう? 


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  たとえば中国には建国図と言われるチャートが2つある。どちらも戦後図なので、遅い惑星ほど日本と似たような位置になる。ただ日本の7室に在泊するインシデンティア(何かの出来事が起きるきっかけとして顕れることが多い)に中国の天王星がコンジャンクトし、8室(税金、債務、力の闘争、怖れ、危機など)の冥王星には中国の火星・冥王星コンジャンクションが来る。そしてその火星は日本の4室ネッソス(カルマの精算)にはスクエアを形成する。これだけでは何とも言えないけれど、あまり良い組み合わせとは言えない。

またスペキュレーションとしては、習近平氏のネイタルチャートと言われるものを使ってみると興味深い。彼の出生データとしては一応誕生日は出ているものの、時刻の確かなものはない。ただ、ヴェーディック・アストロロジャー、ジョニ・パトリーが使用しているチャートによれば、今回の日蝕は彼の11室(仲間内、最終目的、希望や宿願)に在泊する火星の真上で起きることになる。つまり彼の火星は日本のDC上に在り、米国の金星とコンジャンクトしている。 そして、インドの戦後始原図もまた2室の火星が蟹座0°台に在泊しており、習近平氏の中国とは火星VS火星でぶつかり合いながら、この日蝕に大きく影響を受ける。

個人のネイタル火星上で日蝕が起きるというのは、生命力や行動力、またはリーダーシップに何か変化が起きる可能性を暗示する。通常、火星が蝕で刺激されると自分に備わった力への自信が増幅され、『私がやりたいことを・自分のやり方で・やりたい時にやるのだ』というエネルギーが強く出がちだとされる。そして何か新しい事を最前線に立って始めようとする。

ただ、国やそのリーダーのチャートをヒットする強力な日蝕の下で大胆な行動を取ろうとすれば、それを囃す勢いと同じだけ抵抗も生まれる。その表面的な顕れはそれぞれに異なるとしても、手近な範囲でざっと見るだけでも日本、米国、中国、インドには何らかの形で等しく浮上しているエネルギーがある。そしてまた、異なる選択肢がある。

  特に習近平氏は、国のリーダーとしてかなり難しい局面に立たされているのではないかと思う(ちなみにトランプ大統領がN太陽に蝕の直撃を受けるのは12月)。また、過剰なストレスによって健康を害する可能性にも注意すべきかもしれない。ただ、いずれにしてもこのネイタル・チャートが正しいかどうかは不明だし、もしかしたらヴェーディック・アストロロジャーによるレクティファイド・チャートかもしれない。なので今のところは参考という感じで捉えるべきかと思う。もしこのネイタル・チャートが正しいとすれば、独裁体制を強化しつつある習政権がこのまま安泰であるようには見えないのだけれど...。
(参考:習近平/1953年6月15日午前8:45 北京)


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  日本の戦後始原図7室カスプ(パートナーと敵)で起きる蟹座0°(国土の安全保障)の日蝕。そして始原図4室(国民の心理、領土の状態)の太陽(主権者)にコンジャンクトするトランシットの天王星。3室(メディア、コミュニケーション、交通、初等教育)を運行するトランシットの海王星は、3室在泊の小惑星パラスにオーブ約2°。直近にトランシットの火星。そして10室ネイタルの火星には、今小惑星ニッポニアがコンジャンクト中。この日蝕はノースノード・イクリプス。否応なく変化を迫られる。ならばわたし達の国、日本は何を変えなければならないのだろう? 日本の安全保障を肩代わりしてきた米国の内情が自らのカルマによって揺れ動く今、主権者であるわたし達国民は、どんな意識変革を迫られているのだろうか? 

以前、こんなことをツイートした。『日本が国としてパラスをこの位置(3室魚座)に持つということは、メディアだけでなく国民のコミュニケーション全般に「公正さとは何?何を第一義とする?」という問いに応えるだけの質と負荷を負う意味がありそう』 これはパラスが在泊する魚座の支配星、海王星がネイタルでMC上に在ることもふまえての思いだったけれど。この天上に抱く海王星の質をより高めながら、より自立した形で国土を護り、他国(他者)と共存していく道を探る必要があるのかもしれない。おそらくそれには、相当の自己変革が必要になるだろうと思う。

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惑星スケジュールざっと

6月18日~7月12日:水星が逆行(蟹座14°45’~5°29’)
6月18日~21日夏至~25日:金星と水星のダブル逆行期

6月21日:夏至と同日に起きるNノード金環蝕! 蟹座0°21’
6月25日:金星が双子座5°20’から順行
6月28日:火星が牡羊座に入居
6月30日:木星・冥王星が山羊座24°台でコンジャンクト
7月1日:水星逆行の中日
      太陽・アグニ、カイロン、ジュノー・ヘーベがTスクエア
7月2日朝:土星が山羊座に一時帰還
7月5日:山羊座13°台で満月・半影月蝕(日本からは見えない)
7月21日:蟹座28°台で新月!



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★6月新月・日蝕のサビアン・シンボル★


🌑 新月・日蝕のベースとなるシンボル:
  蟹座0°(双子座30°)『水着美人の一団』

  ここはカーディナル・サイン、蟹座の入り口であるとともに、情報と知識を司る双子座の集大成の位置(30°)でもあります。…いわば<思考>の風性と<感情>の水性との境目。そして、そこでわたし達が目にするのは華やかな水着美人達!
 シンボル自体は「Bathing beauties」なので、単に「水浴びする美女達」と訳しても良さそうです。けれどB.ボヴィによれば、このフレーズはネイティブの感覚では「見かけ上の」1シーンとして感じられるのだそう。つまり、実際には「見られるための水着をまとってにこやかに集う美女達」というニュアンスなのだそうです。確かに、見て聞いて知って...とあちこちに知覚を張り巡らせる「風」の習性が初めて「水」の領域に接したとき、異質な中にもまずは目に映る華やぎに意識が向いていくのかもしれません。


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  では、これはミス・ユニバースなどの世界的なコンテストで見られる水着審査の場面でしょうか? それとも宣伝キャンペーンか何か? 米国でミス・アメリカのコンテストが始まったのは1921年だそうです。なのでチャネラーのエルシィの脳裡に描かれたのがそんなシーンだったとしても不思議はありません(当時のコンテストに水着審査があったとしても、今の水着とは全然違うと思うけれど..)。


  今、国中から集まった美女達は微笑を浮かべながら自慢のボディを見せつけています。ここで彼女達は、自ら進んで「見られる者」として振る舞っています。微笑と投げキッスで見る者達を大いに祝福しながら。この場では「いかに見られるか?」これが重要。でもそれは上辺だけかもしれない。いえ、きっとそう。何故なら彼女達は互いにてっぺんを目指して競いあっているのですから。

でも、だとしたら... 彼女達は単に「見られる者」としてそこに居るわけではありません。同時に「見る者」として、互いを観察しあっています。そして... 自分自身のことも、こころの中に存在する架空の空間から他者の目を借りて観察し、評価し、審査しているはずです。「あぁ、緊張してきた。イヤだな、笑顔が引きつってたりしたらどうしよう...」「よし! あの子よりわたしのほうが目立ってる。これならもしかして、勝てるかも...」


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  一方、コンテストを見ている人々はどうでしょう。たとえ互いに上辺だけだとわかっていても、綺麗なものを眺めながらひととき感嘆してみたり、ああでもないこうでもないと論評するのってけっこう楽しいエンターテインメントです。彼らが女性であれ男性であれトランスジェンダーであれ、美しいひと達の一団から微笑みかけられたら、悪い気はしないでしょう。いえ、もしかしたら。「なぜ自分はあんな風に美しく生まれなかったんだろう...」「どうしたらあんなにスタイル良くなれるだろう? 」「自分ももっと努力しなくては...!」「あんな風になりたい。あのメイク真似してみようかな」なんて思うでしょうか。もちろん、今なら「誰もがみんな美しいのだ!見た目で評価するなんて差別だ!」とボイコットを叫ぶひと達も多くいるはず。けれどサビアン・シンボルは1920年代当時の感覚に寄り添って見ていく必要があります。

  どんな反応が起きるにしても、このシンボルには「見る者」と「見られる者」が互いに承認願望を満たし合おうとする関係、目と知覚を通して互いから満ち足りた感覚を得ようとする関係が見てとれます。そしてその関係は自分自身の中に投影されていきます。見る自分が見られる自分を想像し「こんな風に見られるようでありたい...」という願望を呼び覚ますという構造。そして、その願望成就をある程度可能にするのが今のネット社会かもしれません。


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  インターネットがこんなにも浸透した今の社会では、フェイスブック、Twitter、インスタグラム、Youtubeといったプラットフォームにアカウントを持つことが広く一般化しています。そこは架空世界のステージ、幻想の街角に例えられるかもしれません。たとえ水着姿を曝したりはしなくても、そこでわたし達は意見、評論、日記、感想、映像や画像など、様々な形を通して意識的・無意識的に「自分」を表現しているのではないでしょうか。そこではあらゆるニュースが行き交い、刺激が生まれます。それはまるで、多種多様な情報と想いが怒濤のように流れてやまない、地球を覆う壮大な 「導管」「毛細血管」のようです(このブログやわたし自身のSNSアカウントもまたその中の一点だけれど)。

  そこでのわたし達は、見る者であると同時に見られる者(たとえひと言も発言しないとしても)。そしてそこでもまた、見る者から寄せられる承認や羨望、あるいは同意と共感のまなざし。「いいね!」「そうだよね!」そんなほんのささやかな祝福体験が、ささくれ立ったこころを柔らかくほぐしてくれることがあります。そんな、ちょっとした励ましのひと言が、わたし達の明日への支えになることだってあります。ささやかな暮らしを彩る、一輪の花みたいに。

けれど、もし「見られる者」が「見る者」の承認無しでは不安でたまらないとしたら? 一人前の人間として、何かが足りないように感じていたら? 承認を得ること自体がいつのまにか目的になり、執着が生まれるとしたら.....? 

または「見る者」が「見られる者」を醜いと感じ、その不快な気持ちを腹立ちまぎれに投げつけたら? にこやかな微笑みのやり取りだったはずの場は、たちまち硬直した表情に覆われて殺気立ち、石が飛び交う戦いの場になってしまうでしょう。実際、ネット世界を泳いでいると、そんな場面には毎日のように出くわします。政治の世界でも、今やネットは主要な戦場の一つと化しています。見られることを利用するひと、それを見て利用するひと、楽しむひと、怒るひと、それをまた見るひと、伝えるひと、ひと、ひと、ひと。


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  互いの承認と切磋琢磨の志とを暗黙の了解として美を競うハレの場、水着の美女達が集うステージ。その舞台裏には、他者の承認を貪欲に奪い合う激しい競争世界が拡がっているのも事実です。そして自己打擲や不安、怖れでいっぱいのこころが生まれるのもまた、「見る者」「見られる者」の世界です。幻のあなたやわたしはあまりにも大きく、真実のあなたやわたしはあまりにも小さい。でも、本当にそうでしょうか?

  個人と社会が交差点で出逢い、どんとぶつかって、意識・無意識を問わず火花を散らし斬り結ぶと言われるエリーズ・ポイント、蟹座0°...。一番プライベートなこころの奥底に通じる蟹座のゲートは、頭上に社会のてっぺんを見上げながら、自分自身の在りようを探っていく旅の入り口です。そこでわたし達は「社会」と呼ばれる「幻」に自分自身を投影し、その姿を意識します。けれど結局は「鏡」の表面に跳ね返され、気がつけば再び赤裸々な自分のこころに引き戻されてる...... そんな繰り返しが起きる場所。

でも、そこは自分が護りたい世界。どんなに嫌いだと思っても、愛さずには生きられない、自分だけの世界。その底深くに、幻ではない自分が、いる。 それは誰だったろう? どんな想いを抱えて生まれてきたんだろう? 誰かから愛される前に、わたしは、わたしを愛しているだろうか? 自分を承認しているだろうか? 幻には届かない。でも、確かに生きて血の流れる、この魂を...。


では、この度数を意味的に補完する対向の山羊座0°台も参考に見ておきましょう。


 山羊座0°(射手座30°)『ローマ教皇』

  射手座の集大成であり、山羊座への入り口ともなるこの度数では、射手座的な宗教性や聖なる世界の探求が、ローマンカトリック教会の教皇、生ける「聖性」としての法王様という器に行き着きます。その存在は「絶対」の信頼と帰依の象徴。政治、経済、社会を超越した聖なる統合の器。 みんなが彼を崇敬し、彼のことばに耳を傾けます。彼の言葉は絶対の善以外にあり得ません。その祝福を受けることは、信じるひとにとってこの上ない価値があることでしょう。 その一方で、ローマ教皇はバチカン市国という特殊な構造の中では最高の階位で、枢機卿団の投票によって選ばれる、独立した国家の元首でもあります。つまりここには「絶対の聖性」と「世俗的な階層の最高位」という "二重構造" が存在します。

B.ボヴィは、この教皇が果たす機能は「祝福すること」だと言っています。肉体を持つ "霊的な父" として大衆の前に姿を現し、みんなを祝福する。 そこには「見る者」と「見られる者」の関係が厳然と存在します。教皇は見られ、聞かれる者としての役割を担い、愛と平和と信仰を説きます。見る者としての大衆は、彼の姿を目にすることによって祝福されたと自ら感じ、信心を深めます。宗教的愉悦を感じるひともいるかもしれません。それが「器」となった教皇の主要かつ聖なる役割であることを、このシンボルは示しています。


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  崇敬すること、祝福すること。承認することと同時に、承認されること。そしてその歓び… 射手座と山羊座の狭間にも、どうやら「見る者」と「見られる者」との共犯関係が生まれるようです。 では、教皇は上り詰めた象徴の玉座にあって、何を思うのでしょう? 複雑な階層構造の中で、日々の政治的な役割の中で、ひとり魂の底に降り立ち、黙々と修行する中で得られる法悦と至福。それを変わらずに保ち、宗教哲学の探求を続けながら俗世の政治に采配をふるう。それらを同時にこなしながら "絶対の普遍性" に至ることは出来るのでしょうか? カトリック教徒ではないわたしには想像もつきません。けれどこのシンボルが示す「ローマ教皇」の姿は、自由奔放な探求から厳格な社会構造へと入っていく際に必ず通らねばならない門... 理想としての幻像、あるいは一種の「しるし/徴」として顕れているのかもしれません。


では、メインのシンボルに行ってみます。


🌑 新月・日蝕のメイン・シンボル:
  蟹座1°『船から提示される巻き上げられたり広げられたりする旗』


  さて、メインのシンボル....なんだかややこしい訳文になってしまいました。ここに挙げた原文は、チャネラーのエルシィが降ろしたままの『A furled and unfurled flag displayed from a vessel』ということばです。でも面白いことに、マーク・エドモンド・ジョーンズの本ではこれが『A furled and an unfurled flag displayed from a vessel』(unfurledの前に冠詞 "an" が入っている)となっていて、なんとなく、巻き上げられた旗と広げられた旗が一枚ずつあって、両方とも等しく提示されているようなニュアンスがあります。けれどおそらくこのシンボルの場合は、一枚の旗が巻かれたり畳まれたりした状態と、広げられ掲げられている、その状況の違いや移り変わりを示唆しているのではないでしょうか。

  ではその違いとは? まずこの旗は、船舶のマスト上に掲げられる旗です。"vessel" は船ですが、一般にいくつものコンテナを積んだ商船などの大型船を意味することが多いとされます。とするとその旗は、その船が所属する国、機関、または団体やグループを示す旗なのでしょう。つまり、一方は巻き上げられたり畳まれて、存在はするけれど見えない状態。もう一方は広げられて風を受け、へんぽんとはためいている状態です。


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  また、"vessel" という単語は他にも意味があって、それは「導管」。動物や植物の体内にあって、「消化管」や「血管」など、いのちを維持するための「流れ」を護り運ぶ管状の器官を指しています。そしてもうひとつ、何かを受け入れる「器としての人間」を指して使われることもあります。

B.ボヴィは、このシンボルを霊的視線で見るなら『広い無意識の大海原を進む霊の容器(コンテナ)、あるいはいのちのエネルギーを受肉し、格納し、運ぶもの — すなわち “人間” を暗示している』と示唆していました。もしそうだとすれば、この情景はわたし達人間にとって二種類の状態を示していることになります。たとえば二つの仕事を持つとか? または異なる二種類の才能? あるいはわたし達が人生で経験する、それぞれに全く異なる二つの状況でしょうか? 進んで来た海路も、あてにしてきた海図も見失ったと思ったら...まるで入れ替わるように、海の色も風の匂いも何もかも違う新しい海原に出ていた...というような?

  一枚の旗が今、船のマストのてっぺんに掲げられようとしています。しずしずと拡がっていく旗。それはまさに、堂々とその船の存在とアイデンティティーを主張するもの。広大な大海原を「自己」として推進していく「力」の象徴でもあります。そして、その船は旗を掲げることによって、陸地からも他の船舶からも「自分」が何処のどんな船であるかを「認識」されます。そしてそれ自体が、航行の自由を「承認」されることにも繋がっていきます。


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  では巻き上げられたり畳まれた旗はどうでしょう。自己の所属を明らかにしない船舶は、正体の見えない船と同じ。認識されることもなければ、承認されることもないでしょう。 ん...それじゃ、旗を畳んだ状態と広げる状態では、その船舶にどんな変化があるんだろう? ひとつは自分の真のアイデンティティーを隠し、護らなければならない状況が考えられます。また、海賊船や軍事工作船のように、本当は秘密の目的(多くの場合、他者に対する敵意や計略)を持ちながら外面では商船や漁船のように偽装しているケースもありそうです。そしてもう一つは自分自身を明らかにし、胸を張って周囲に誇示しながら我が道を進む状態ではないでしょうか?

  でも、もしかしたら...その一枚の旗は... 巻かれたときと広げられたときとで、そこに描かれた「徴 -― しるし」が変化しているのかもしれません。その船 — わたし達 — の内奥で、もしも何か大きな変化が起きるのだとしたら...。 今まで抑圧されていた何かが、大波小波を分け進むうちに臨界点に達し、まるで革命でも起きたかのように、新たな力が台頭してきたとしたら...? そういえば映画や小説などにもありますよね、そんな物語。船の中で下克上とも言うべき反乱が起こり、闘争の末に指揮権を握った側が新たに自分達の旗をマストに高々と掲げる...。代替わり? 新しい波? 

これがある集団に起きるとしても、あるいは個人レベルで起きるにしても、きっとそれまでの「わたし達」または「わたし」を示す「徴」は捨て去られ、真新しい「自分の徴」を掲げることでしょう。けれどその「徴」が認知され、承認されるかどうかはまた別の話です。新しい波をどう安全に渡っていくのか? 世界の海洋には様々な目的を持つ無数の船舶が航行しています。見慣れぬ新しい旗を掲げた船は、自他の「航行の安全」を護りながら進んでいけるでしょうか? 公海上の仲間として受け入れられるでしょうか?


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  古い旗は外されて畳まれ、古い経験のコンテナにしまわれる。そして新しい旗が広げられ、これこそが自分自身なのだ!と宣言する。それが認識され、承認されるかどうかはまだわからない。それでもその行為は、わたし達がまったく異なる人生のステージに入っていくだろうことを意味しています。

  そして...やはりこのシンボルが提示するテーマをもう少し深く見ていくために、180°対向の位置にあって補完する山羊座1°のテーマも見てみましょうか。


 山羊座1°『自らの承認を要求するインディアンの族長』


  ここにも再び「承認」が出てきます。「正当性の承認を要求する族長」... でも、すでに族長と呼ばれる存在が自らの正当性を承認せよと主張するというのは、どういう状況でしょう?

ネィティブ・アメリカンには沢山の部族が存在しますが、その長を選ぶにあたっては、部族の人々による一種の投票によって決まるもの、あるいはシャーマンの託宣が物を言う形式、またイロコイ部族連合のように、族母(クラン・マザー)が族長を推薦し、それを氏族、部族、連邦の公開会議で承認する形式を取るものなどがあったそうです。(星川淳 著『魂の民主主義』より)。

とすると、このシンボルに描かれているのはイロコイ族連合に属する族長で、彼はクラン・マザーによって新しく推薦された勇者なのかもしれません。そうであれば、彼はこれから並み居る部族や連合の長達を前に、決然と自分の力を主張するはずです。『他に選択肢などない。私には智恵も力も経験もある。自分こそが族長にふさわしい存在なのだ。』 新たな長として他者から承認されるには、権威にふさわしいカリスマ性と力量を見せつけなければなりません。


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  一族を率いるからには、彼は口でも力でも、並み居る長老達さえ打ち負かすほどの存在であることを証明しなければならないでしょう。 新しい力の台頭は、古い権力を引きずり下ろすものです。長老達も、そして推薦に漏れた元候補者達も、一斉に彼を試しにかかります。それは、力と力の真剣勝負。でも彼は負けられません。もう長い間、彼の旗は巻き上げられ、人知れず自分の役割を果たしながら力を溜めてきたのです。出過ぎずに自分の力を護りながら着々と経験を積み、自分はここまで昇って来た。だからこそ。試練の全てに打ち勝ったとき、古い旗は巻き上げられ、我が部族の新たな「徴」として私の旗が風に翻るだろう...。


  けれど、わたし達はまだ蟹座―山羊座軸のゲートに入ったばかり。これから先しばらくの間、外部的にも内面的にも、あらゆる方向の社会性や、政治的な統轄力(または内的世界の統制力)が試される領域が待っています。つまりフィジカルでもメンタル面でも、多様な経験を積んでいくそのとば口という感じ...。

ここでのわたし達は、これから一枚のささやかな旗を掲げ、大海原に出航していく一艘の船です。これから先は、凪の日もあれば嵐に見舞われる日もあるはず。そんなときは、暴風にさらわれたり破れたりしないよう、大切な旗を巻き上げて。抵抗を減らし、ひっそり護っていきましょう。風を読み、海図を拡げ、もしかしたら、ときに航路を変えてまでも。

何故なら「わたし」という旗は、わたし達の内的宇宙を満たす いのちの流れを象徴する「徴」だから。 そして今は、「燃え尽きる」ときではないから。


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  わたし達の多くが今、自分の中で何かが確実に変化する予兆を感じているかもしれません。 そしてきっと世界中の「わたし達」も、今またそれぞれに。これまでにも沢山の変化を乗り超えてきたような気がする。少なくとも、通り抜けてきた。でもまだまだ先はある...ならば行き着くところまで!

この蝕がネイタルの重要なポイントにダイレクトに触れるひと(オーブ3°くらいまで)にとって、2020年の本番は本当にこれから。もしかしたら、周囲の世界が知らない間に静かに “狂っていく” かもしれない。一時的に通るべきカオスのトンネルの中で。けれどその中に在っても。透明であり続けるために。 これは新しい自分と世界を識り、新しい「徴」を掲げる旅の始まりです(まぁ、とりあえずは凸凹道かもしれないけれど😅)。 その「徴」はある日突然 燃えあがる火となって顕れるかもしれない。それとも...あと数年経ってふとふり返ってみたら、今とはまったく違う「わたし」が、まったく異なる世界に住んでいることにハッと気付いたりするのかな...?


  夏至 ― 四つのエリーズポイントの一つ ― で迎える強力な日蝕。いくつもの岐路を予感しながら、わたし達はまた新しい船出の朝を迎えようとしています。


みんな、こころ静かに新たなゲートをくぐっていけますように...!



magelan






have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 21:05|PermalinkComments(5)

May 22, 2020

🌑5/23の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  5月23日02:58前後、北海道周辺で 03:04前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は02:39頃、沖縄周辺では02:10前後に双子座 02°04’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
(満月のサブテーマはTwitterに投稿しました)
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♊️ 双子座02°~03°― 発効期:5/23~6/20 】
🌑🌞“Santa Claus filling stockings furtively”
   『こっそりと靴下をいっぱいに満たすサンタクロース
            ↓
🌑🌞“The garden of the Tuileries”
   『テュイルリー公園

【新月のテーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
シンボルは多くのテーマをはらんでいます。沢山の中からこころに引っかかるものがひとつでもあれば、それが鍵になるかもしれません。

 
→★物事の表層からは見えない深い部分に潜む真の問題に気付く必要
→★自分自身をリニューアル、または “革命”したいという密かな衝動
→★騙されているのではないか?という疑念に駆られて動く傾向
→★いかにも正当な、または高潔で寛容な態度の下に存在する動機に注意
→★無私の行為や贈り物と自己利益や損得勘定の行為を見分ける難しさ
→★必要とする時に備えて自分の大切なものをしまっておく必要
→★意味のないやり取りや実現不可能で矛盾した社会的理想への逃避傾向
→★そのときどきの底流を見極めながら富の分配方法を制御する必要
→★安定した社会やスペースを維持するためにルールを遵守する必要
→★社会や文化によって規定された秩序の中で自分の力量を発揮していく
→★政治的なゲームの大詰めで相手を最終的に打ち負かす戦略を練る
→★課された制約に悩まされ、嫌気が差して反乱をもくろむ傾向
→★秘密を護り黙するべき時を知り、胸に抱く戦略を覆い隠す必要
→★規定された物事の範囲内で斬新なアイデアをひねり出していく
→★社会に溶け込みながら存在する得体の知れぬ共同体に留意
→★四角四面の世の中全てを遠目に見て笑っていたい気分
→★共同体の福祉を護るために防御体制を取っておく必要
→★歴史が培った文化からインスピレーションを受けて新しい道を見出す
→★感覚を研ぎ澄ませ、二極化していく流れを用心深く見ていく
→★自分の「影」を通して見る他者は自分自身でもあることを知る…→


エネルギーのポイント:

 前回の新月:『遠方に視線を定めて手の届くところから始める』
             
 今回の新月:『本質は盤上に非ずして表層は全てゲームと知る
                               

200523NM


NGC1300


★5月新月の星模様とチャレンジ ★


🌚 新月:双子座2°04’

~ざっと見のアスペクトあれこれ~

⭐️双子座の新月が逆行の水瓶座土星・パラスとトライン

⭐️双子座の逆行金星・水星(とアスボルス、ワイルド、ライ、エウリュディケ)
 のコンジャンクションが魚座の海王星とスクエア

⭐️魚座の海王星と天秤座の逆行ジュノーがクインデチレ

⭐️魚座の火星とジュノーがクインカンクス

⭐️ASCの牡羊座エリスが山羊座の冥王星・蟹座のキラルスとTスクエア

⭐️山羊座の冥王星と乙女座の逆行オルクスがセスキスクエア

⭐️魚座の火星と乙女座のハザード、双子座のアトロポスがTスクエア
(何かへの依存症、中毒、危険な恋愛に注意。またはカルミックな絆の場合も)

⭐️火星とオルクス(審判)がオポジション(28日ごろ最盛期)

⭐️山羊座の木星とラスト(欲望)がコンジャンクト

⭐️オルクスと水瓶座のインシデンティアがクインカンクス

⭐️IC上のルシファー(自らを試す踏み絵)がネッソス(カルマ)レクイエム(死を想え)パンドラ(情報の黒雲、好奇心と進化への要望を満たすデータ)にトライン

⭐️牡牛座の天王星と蠍座のストーム、ティフォンがオポジション
(これは正確な形成が20日前後なので、18日の豪雨や昨日ミシガン州中部を襲った洪水として現象化したかもしれない)

~スケジュールざっと~

前回の新月で、水星OOBと書いたつもりが誤って火星と書いてしまい、そのまんま頭の中で1ヵ月近く誤変換されていました。謹んで訂正し、お詫びいたします..!🙇‍♀️

5月25日:OOBの金星と火星(これは本当に火星)がパラレル

5月27日:水星がOOB最大角25°40’

6月2日まで:金星がOOB
        金星・水星のダブルOOB

6月2日:水星が逆行のシャドウ入り

6月6日:射手座15°34’で満月・半影月食!

6月10日:水星がOOBを抜ける

6月18日~7月12日:水星が逆行(蟹座14°45’〜5°29’)

6月18日~21日夏至~25日:金星と水星のダブル逆行期

6月21日:夏至と同日に起きるNノード金環蝕! 蟹座0°21’(強力)

6月25日:金星が双子座5°20’から順行


~アスペクト雑観~

  がっしりと物質的な重みを持つ牡牛座から、軽やかさ(言語と思考)がセールスポイントでもある風性サインの双子座に入ってまもなく起きるこの新月。エネルギーの中心が少し上方に移動してくる感じがあるかもしれない。けれど一方ではシンボルのテーマを見てもかなり社会的な面が強調されるので、ちょっと面倒臭そう..なんて感じるひともいるかな..。キーワードに示されたテーマの詳細についてはシンボルの説明を見てほしいけれど、今回形成されるアスペクトだけでもけっこうクセ者揃いに見える。


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  まず金星・水星ダブルOOBは続行中で、過剰になりがちなひとびとの「気」はますますぶっ飛び気味になりそう。コロナ禍の下で皆のストレスが増大する中、このところ世の中では、深掘りすれば色々な事実が絡み合ってひとつの物事が起きているにもかかわらず、表層を切り取ったり端折ったりで「黒」か「白」のどちらかに偏った論調が流布されがち。しかもネットの世界では、識者や政治家、著名人ばかりでなくアノニマスな市井の一員らしい “白い衣” をまといつつ、典型的なプロパガンダ話法や言い回しを駆使した「伝聞」を巧妙に操るひとがいるかと思えば、BOTを駆使したバブル戦法で論調を過剰(OOB)に強化する “非実在歩兵” まで現れ、互いに白熱した言論ゲームを繰り広げている。

それは一見、ひとびとの声が政治を動かしているかに見える。けれど、次々と明るみに出る事実は流れを逆転させたりまた反転したりで、誰が何をどう操っているかさえも判然としなくなっている(魚座の海王星)。またこの新月図ではASCにエリスが来ていることから、譲り合いの精神なく徹底して自分の路線を貫き、相手のことばを聞かない傾向や、もともと古くからくすぶっていた不和をかき混ぜて新たな火種にするような心理に導かれやすいところがある。ASCのエリスと10室の冥王星、4室のキラルスはTスクエアであり、浮上する不和の火種が燃え上がるのがひとびとと施政者との関係だということを示している。それはそのまま、エリスから投影された加害者(冥王星)と犠牲者(キラルス)の像となって印象付けられやすいのではないだろうか。さらに、ICにはルシファーが乗り、魚座のネッソス、レクイエム、パンドラとはトラインを形成している。またMCには小惑星ソフロシネとマニアックがタイトにコンジャンクトしている。

これはまた、それぞれに異なる複数の意識的なプレイヤー、それに連なる義務付けられた要員、そして好みの曲調に合った正義の松明を選び、ともに『納屋のダンス』(金星逆行開始度数のサビアン・シンボル)を延々と踊るわたし達...という構図にも見える。はたして「白か?」それともやっぱり「黒なのか?」 互いに白黒を投影しあい、結局はどちらも交じり合うことのないグレイな文脈。もちろんこれは世界的な傾向でもあり、米国でも秋の大統領選を前にロシアンゲートVSオバマゲートに始まってトランプ大統領への攻撃もいよいよ激しく、対抗するバイデン氏にも様々なスキャンダルが取り沙汰される一方で脇役も次から次へと登場するなど、Twitterを含む政治の大舞台では わけのわからないいくつもの物語が錯綜しながら演じられている。


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  こんなとき、自分自身を大切に扱う方法は「踊らされるのではなく、自ら選んで踊るか、または一切踊らないこと」。たとえば(前にも何かのときに言ったけれど)『なんて酷いんだ!そんなことがあるなんて信じられない。このまま放っておいたら大変だ!』と “感じる”ような出来事に遭遇したら、脊髄反射せずに情報を深掘りしてみるしかない。正反対の情報も集める。可能なら出来事の中枢に近いソースをたぐり寄せる。そして全てのパズルのピースを眺めて思考を巡らし、自分なりの立脚点や疑問点を見出す。べつに早々に結論を出す必要もない。もちろん、昨今は毎日が情報の嵐みたいなものだし、いちいち気にしてはいられないのも事実だけれど。それでも常に自分の想いに責任を負うようにすること(誰に対して? もちろん自分に対して)は、日常の私的体験をより深めるためのウォーミングアップにはなるはず。もしそれを面倒に感じるとすれば、単に溜まりきったフラストレーションがはけ口を求めて何か行動を起こしたがっているだけかも。 情報過多になりがちで、どちらかというとADHD気味な傾向を加速しそうな今回の新月では、精神の疲れを癒やすことに集中していくほうがずっと健全かもしれない。

これは前回も書いたけれど..もう一度念のために触れておくと、ひとびとの「気」が過剰になりやすいときは、大地のエネルギーも活性化しやすい。地震、嵐、豪雨、暴風などの自然現象。事故や火事などの人災、争いやテロ、殺傷事件、冤罪や魔女狩りなど、何でもありの動乱期は今後もしばらく続くと思うので、冷静さと寛容を保てるように気をつけたいとき。神経が興奮しやすいときでもあるので睡眠不足にも気をつけてね。


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  ところでこの新月が起きる双子座2°台は、双子座の第1ディーカンに含まれる。ここはレイジングブルの牡牛座からプレアデス星団、そしてペルセウス座が拡がる領域で、良くも悪くもかなりアグレッシブなエネルギーに満ちているところ。そして無数の過去生の中で、厳しい経験の中から多くを学んできた古い魂が息づくとされている空間でもある。そこでひさびさにダイアナ・K・ローゼンバーグの『Secrets of the Ancient Sky Vol.1』を開いてみると、ここにはペルセウス座の恒星ミルファクが位置していた。

この星は「闘争」「政治」「軍事」に関連しており、しかも「感情的に」それらを必要としているのだそう。また知性に恵まれ「他者を救いたい」「癒やしたい」という強い想いを放射する反面、「徹底的に打ち据える者」でもあるという二面性を持っている。また「嘘」「取引」が絡む事件や物事にも関連すると言われる。

このミルファクの象意を「古い魂」というキーワードに当てはめてみると、やはりここでも政治力を駆使して力の闘争をくぐり抜けてきた、ペルセウス的戦士の姿が浮かび上がってくる。なので「善」VS 「悪」、「白」VS「黒」という苛酷な争いと、実はどちらの側も「質」としては互いに入れ子になっているという二面性を持ち、それゆえに果てしない闘争を必要としてきた... とも考えられる。ただ、すでに数多くの経験を経てきた古い魂は、おおかたのカルマを清算し終えてきたのかもしれない。そしてちょうど「ヤヌス度数」のように、新しい一歩を踏み出す前に立ち止まり、後ろをふり返ってやり残してきた何かを感じ、反芻もしながら、それでも「もう前へと進まねばならない」という強い引力を感じているように思える。

だから逆行の金星・水星のダブルOOBとアスボルス(体の声を聴け)のコンジャンクションが魚座の海王星にスクエアを形成するこの新月では、「古い敵」と再び邂逅し、落ち着きなく騒ぐこころや鋭い舌鋒がもたらす「過去の残像」と直面して「カルミックな因縁」がもうほとんど清算寸前に来ていることを確認する作業が必要になるひとがいるかもしれない。

それは古い傷がもたらす互いの「影」ではあるけれど、暗闇の中で影を識別することは出来ない。とは言っても、この領域でまばゆい光を当てることは困難だと思う。ならば(もし気が向いたら)自分の細胞のひとつひとつに焼き付けられた過去の記憶を辿り、そのなまなましい声を聴くような感覚を試してみるのもいいかもしれない。この新月は水瓶座の土星(とパラス/政治 — 公正さとは何か?)とはトラインを形成している。そしてオーブを多めに取るなら天秤座を逆行中のジュノーを加えてGトラインになる。


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  そのジュノーは魚座の海王星とはクインデチレであり、火星とはクインカンクスを形成中。海王星は『共同体、またはともに働く必要がある状況にあって互いの決定的な違いを認識する、そして(または)全体の目的のために妥協する』というテーマの位置にある。クインデチレなので、見えそうで見えない...ことばは喉まで出かかっているのに、そのことばが何かを思い出せない...というような、もどかしさや悩ましさも感じられそう。また火星は「護ってもらう代わりに妥協を受け入れるか、個を貫くために逃亡するか、あるいは互いに境界線を引くか」という選択の位置にある。ジュノーとはクインカンクスなので、やはり何か細部を調整していく必要がありそう。

E.フランシス・コポリーノはこのジュノーに『(パートナーに対して)言いたいのにけっして口にすることが出来なかったことば』という象意を与えているけれど、それは言い得ているかもしれない。この新月図でのジュノーが位置するのは天秤座5°台で、「全体像を見通すレンズの奥行き」というキーワードを持っている。けれど頑なになってしまえばこのレンズは使えない。心当たりのあるひとは、柔軟で、ある意味 “戦略的” な姿勢を取って相手(または周囲)と向かい合えると良さそう。もし苛立ちから遠い争いの記憶が蘇ってきたとしても、それ自体が突破口になって、最終的には厚い壁を破れる可能性が潜んでいると思う。

  そんなこんなで思いつくままにいろいろ書いてみたけれど。少しでも、ひょっとしたら文脈ではなくたったひとつのワードであっても、何かの参考になれば嬉しいです。ではサビアン・シンボルに行ってみましょう。


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★5月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
双子座2°『こっそりと靴下をいっぱいに満たすサンタクロース』


  今回のベース・シンボルにはちょっと季節外れにも思えるサンタクロースが出て来ます。子供達が眠る夜中、しんしんと降る雪。どこからともなく聞こえてくる鈴の音。空を駆け巡るトナカイ達に引かれた橇... そしてベッドサイドに吊した靴下の中にプレゼントを入れようとこっそりと忍び寄る、まっ白な髭を生やしたサンタクロース...。まるでファンタジックな童話の一シーンですね。でも、ここは双子座の第1ディーカン。ってことは、そんなにスイートなテーマでもなさそう。。


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  サンタクロースとは、子供達の夢の中に存在し、無償の愛でステキなおもちゃをプレゼントしてくれる優しい守護聖人です。富める家の子にも貧しい家の子にも分け隔てなく、愛と優しさをそっと届けてくれます。けれど現実の世界では… 彼は赤と白の衣装に真っ白な付けヒゲをつけて “扮装” した誰か...(もしかしたら両親のどちらか)なのです。だからこそ、幼い子らの無垢な「夢」を壊さないように、子供達がぐっすりと眠っているうちに “こっそりと” 靴下を満たす必要があります。

一方「サンタクロースを信じること」は、親の庇護の下に生きることの出来る子供時代の特権だと言えるかもしれません。文明社会では素朴にサンタさんを信じるようなこころの状態を「卒業」すること=大人への階段を昇ることにもなるからです。ならば「大人になる」ということは、見返りもなにもない夢の贈り物を受け取る歓びと驚きを手放し、無償の愛で包んでもらえる夢の国への架け橋を否定することと引き換えに、虚実の境界線 =「限界」を受け入れ、「不完全な存在のひとりとして共同体をともに支える一員になっていくこと」を意味するのかもしれません。

けれど大人の世界にだって「夢」と「現実」は共存しています。この双生児の世界  ―  二元の世界では、「夢」を紡ぐために秘密裡になされる行為がいつも純粋な動機によるとは限りません。本来の自分とは全く異なる姿に扮装して夜の闇にこっそりとまぎれ、与えるフリをしながら大切な何かを盗んでいくひとびとも沢山存在するからです。...実際、そんな現実世界にわたし達は生きています。


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  イメージの中のサンタクロースは「純粋に与え、純粋に受け取る」無垢な行為の象徴でした。その本質には「義務」も「犠牲」も「恩義」も存在する余地はありません。あるのはただ、相互に通い合う「無記名の信頼」だけ。けれど残念ながらどんどん複雑になっていく実社会において、計算もなければ一点の曇りもない相互信頼のやり取りを見出すのはとても難しくなっています。

一期一会の刻なら、ふとした触れあいのうちにそれが起きる可能性はある。また多くのひと達が余裕のある暮らしをしていれば、その種の行為は自然な所作として自ずと起きてくるのかもしれない。でも、もし何か急に非常事態が起きて、ひとりひとりに他を思いやる余裕がなくなったら? そんなときは、おそらく皆が自分自身や身の回りをまず護ろうとするでしょう。それは厳しい社会を生き延びるために必要な、生き物としての本能だと思います。

けれどそんなとき、もし寛容な精神を発揮して無償の大盤振る舞いをするひと(や集団)が現れたら? 彼/彼らの行為は多くのひと達を感動させ、喝采と称賛を浴びるかもしれません。けれど一方ではその動機を疑ってかかるひと達も出るのではないでしょうか。たとえば「自分の手の内に取り込もうとしているのでは?」「きっと何か思惑か下心があるに違いない」「偽善だ」「売名行為だ」あるいは「あんなもの、少なすぎて何の役にも立たない」「そんなに持っているならもっとよこせ。当然の権利だ」などなど、口さがないひとびとは後を絶たないでしょう。また、もし本当にサンタクロースが現れて靴下にプレゼントを入れてくれたのだとしても、中身が期待したものではなかったり、他のひとより少なかったりしたら? やはり失望したり不満を抱くひとはいるでしょう。だってサンタクロースなら、みんなの夢や欲しいものをちゃんとわかってくれてるはず。アイツはあんなにいい物をもらえたのに、なんで自分にはコレなの? サンタなのに、何もわかっちゃいないじゃないか! 疑惑は次々に別の疑惑を呼び、怒りはどんどん膨らんでいきます。


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  本来は偶発的な想いが生み出す、純粋でシンプルな行為であるはずの「与えること」と「受け取ること」。けれど、人間社会ではそこに余計なシャドウが沢山まとわりついてきます。たとえば...

「それは本当に見たとおり、聞いたとおりの無償行為なのか?」

それとも

「上辺の衣装の下に何か別の考えや目的を隠し持っているのか?」

あるいは

「その両方が半分ずつ混ざったような、複雑な思惑があるのか?」

そして

「何か返礼をしておくべきか?」
「いや、ここで防御しておかないと後が怖いんじゃないか?」

こうした思考はわたし達が生きる取引社会においては身を護るための知恵だとも言えるでしょう。けれど過剰防衛に走れば、社会的な信頼関係を破壊する原因にもなります。だからそれぞれの問いに対し、どこまでを受け入れ、どこから先を拒絶し、どこまで見返りを考えるべきかという問題が出てきます。「与えること」と「受け取ること」が、行く行くは「奪い合うこと」に変わってしまわないように...。


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  「夢の世界に存在する幻像」を実世界に描き出すこと。それは大人の世界では「演じること」に通じるのかもしれません。けれど、たとえ台本どおりに演じるのだとしても、演者はそこに描かれた「ストーリーの本質」を表現し切るだけの術を持つ必要があるでしょう。形ばかりでは本質のない泡のようなものだからです。そして観る側もまた、衣装や表情、声音の下から溢れ出る「物語の本質」をすくい取る必要があります。為される行為の大元の底流には、いったいどんな物語があるのだろう? それこそが、この大人の世界 ― 二元の世界 ― で「演者」と「観客」、「与える者」と「受け取る者」が対等に渡り合い、信頼しあう余地を持つ唯一の領域なのだから。

では、このシンボルのエネルギーが向かう「Where to」または補完度数(相互に底流となって意味を補完しあっている組み合わせ)である対向の射手座2°台を覗いてみましょう。シンボルは『白い波頭に覆われる海』です。このシンボルはちょっと複雑です。


  広い広い海。強い風が吹いて、海面は見渡す限り白い波頭に覆われています。白い波頭...それを細かに見るなら、荒れ狂う風が海水の表面を白く泡立て、波立てている状態ですね。そして「海」はわたし達の無意識を象徴すると言われています。デーン・ルージャーは彼の著作『アストロロジカル・マンダラ』の中で、このシンボルを『白い波頭が風の力を見せつける』という文面に書き換えました。そのシンボルではおそらく風性の双子座を意識してか、どちらかというと「風」=「スピリット」の力が強調されています。けれど実際にエルシィ・ウィーラーがサビアン・ブラザーフッドから託されて降ろしたオリジナルのシンボルは「海」、つまり人間の広大な無意識が主体となっています。そして、その表面を覆い隠す無数の白い泡、泡、泡.....


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  B.ボヴィは「泡で覆われる状態」を指す「covered with froth」という言い回しを例に挙げ、これは「実体を持たない何かによって真の実体が隠される」状況を示唆するものだと指摘していました。

また、米国では19世紀末からこのシンボルが降ろされた20世紀初めにかけて、原文で「白い波頭」を指すことばと一致するホワイトキャップス(White Caps)という名で呼ばれた “秘密組織” が存在したことを指摘しています。この白い衣装をまとった「ホワイトキャップス」という組織は、凄惨な無法ぶりで有名でした。この集団はもともとは農民の集まりで、その土地に生まれ、ともに培ったコミュニティの価値観を支えてきたひと達でした。けれど、やがて国のあちこちから流れ着いてきた無法者が増加するとともに、コミュニティの暗黙の了解や掟を踏みにじる行為が目に余るようになりました。そこで、それに対抗しようとして創られた自衛のための活動組織だったそうです。この運動は貧しい農家のひとびとのこころの内に強い共感を呼び覚ましました。そして組織が南部へと拡がっていくにつれて、その活動内容は劇的に変化していくことになったそうです。

なぜなら、当時はちょうど農業不況のあおりを受けて多くの農家が貧困の苦しみを味わっていました。明日は飢えて死ぬかもしれない... そんな恐怖と不満が溜まりきっていた中で、人々は自分達にお金を貸し付けていた商人達や、その下で働く黒人労働者への妬みと憎しみを募らせていきました。そしてホワイトキャップスの活動は、やがて怒りの炎に煽られるように「諸悪の根源を排斥する運動」へと変化していったと記録されています。


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   彼らは「持たざる者」の特権として陰湿な嫌がらせや人種差別の絡んだひどい集団暴力をふるい、「持つ者」「悪い敵」を痛めつけたといいます。少しでも「富む者」と見なされたひと達は地位や財産を奪われ、鞭打ち、焼き討ち、脅しやリンチによってその土地から追い出されました。そのやり方は中世の魔女狩りにも似たものであり、伝聞さえあれば事実など気にする者はいなかったとされます。そして、やがてこの動きは郡から州ぐるみへと集団ヒステリーとなって拡がったそうです。当時は裁判官の中にさえ組織のシンパが潜入していたため、被害者達は十分な法的な保護も受けられなかったという記録があります。

けれどこうした騒動は、結局は彼らの地域に花開くはずだった新しいビジネスの気運を根絶やしにしてしまいました。そしてその結果、地域全体により大きな貧困の苦しみと衰退をもたらす原因となりました。まるで、深海に棲む大蛸が飢えて自分の脚を喰らい尽くすようなものだったのかもしれません。

  高いモラルを標榜し、互いの助け合い精神から始まったはずの自衛組織が、なぜそんな無法集団になっていったのでしょう? 自分達が抱える苦しみを誰かに転嫁して「何もかもアイツらが悪い、アイツらさえいなければ!」と感じはじめたからでしょうか? それとも誰かが無垢を表す白い衣装に隠れてひとびとの内奥に潜む恐怖と怒りの火種を煽ったのでしょうか? 

このホワイトキャップスの存在をチャネラーのエルシィがどれほど明確に知っていたかは不明です。けれど、取り締まりが厳しくなった20世紀初頭でさえも構成員が存在し続けたという悪名高い組織の名と「白い波頭」のイメージが彼女の意識の中でオーバーラップしたとしても不思議ではないと思えます。


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       「白い波頭で覆われた海」とは… いったい何を指すのでしょう? ホワイトキャップスのメンバーがまとっていた白い衣。その色が象徴する純粋さと無垢さは、結局は表面的なものにしかなり得ませんでした。

「自分達だけが、白いのだ」。その下には「自分が当然受け取ってしかるべきプレゼントが届かない」「信頼を踏みにじられた」「自分へのプレゼントを奪われた」などの深い感情のもつれと抑圧した怒り、そして妬みが渦巻いていたのかもしれません。こうしたエネルギーは、溜めれば溜めるほどあらぬ方向に迸り、噴火しやすくなります。いつも自分の外側に幻の敵 … 自分の内なる不幸を映す幻像を創り出し、それを責め、叩き続けていけばどうなるでしょう。歪んだエネルギーは幻像に反射して気付かぬうちに自分自身に襲いかかってきます。そして結局は自らを弱らせ、自滅していく運命を辿ることになりそうです。

沸き立つ感情、頑なに護ろうとする信条、見せかけの論理やイデオロギーによって支えられるアイデンティティ…。極論は極論を呼び、実体の無い「泡 ― バブル」と化した言論はみるみるうちに拡がって、やがて水面を覆い隠します。そして、より深く豊かな海 ― 未踏の無意識の底流 ― に眠る資源を汲み上げる力、鋭い感性と思考力をにぶらせていくかもしれません。


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  ここは物質の重みと「持てること」の豊かさや安全性を追求してきた牡牛座を離れ、まだ双子座に入ったばかりの2°台です。ズシリとした安定感から切り離された精神は、ここで「風 ― 思考・精神」の作用と力を学んでいくことになります。けれど世の中に吹き荒れる暴風… あるいは荒れ狂う精神さえも、ここではまだ「海の表面を波立たせる力」しか持ち得ません。それを演じること=自己表現とパフォーマンスの力と言い換えてもいいでしょう。

また、その表層に立つ波のそれぞれがわたし達の瞬時の思考、雑多な想いだとすれば、その下に拡がる内奥の「深海」は常に手つかずのまま、ひっそりとダイバーが降りてくるのを待っています。あるいはそれぞれの波と泡がわたし達ひとりひとりの姿だとすれば、その下には集合無意識という膨大な可能性の深海が拡がっています。そこにはどんな光景が拡がっているのでしょう? 

  双子座2°で、闇に隠れてこっそりとプレゼントを配るサンタクロース。もしかしたら、その赤と白に彩られたお決まりの衣装の下には、果てしなく豊かな無垢の闇が拡がっているのかもしれません。では実のところ、そこにはいったい何が隠されているんだろう? 実体のない幻? 嘘にまみれた利己的な企み? 与えあうことによって愛を感じたいという願い? それとも? 

じゃ、「サンタの帽子」と「ホワイト・キャップ」の対比はどうだろう? どちらも帽子を指すけれど、誰がどう被っているのか? 帽子とは「頭」を覆い隠すもの。強烈な日射しから護るもの。または自分の髪色や形が他者から見えないようにするもの。あのひとは、どんな帽子を被っているんだろう? そして、わたし自身は?


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  その正体を見極め、そのときに応じて決定していくのはひとりひとりの「わたし」の力です。なぜなら、プレゼントを贈るのも、それを受け取るのも、あるいは誰かに奪わせるのも...そしてサンタクロースが実は誰なのかを知っているのも... 本当は他ならぬわたし達自身なのですから。


新月のメイン・シンボル:
双子座3°『テュイルリー公園』


  さて、新月がメインで取っていくエネルギーに行きましょう。双子座3°のシンボルは『テュイルリー公園』です。このシンボルにもかなり社会的なイメージがありますね。これはパリ最古と言われ、フランス式の左右対称形を守って造成された広大な公園で、その中には二つの美術館が建っています。

この庭園は、もともとは16~17世紀にかけて王母カトリーヌ・ド・メディシスが長い年月をかけて建造させた壮麗な宮殿の庭として、造園師ル・ノートルによって造られたものでした。けれどその宮殿は、後の19世紀に「パリ・コミューン」(プロレタリアート独裁による自治政府を宣言した革命運動)の蜂起によって戦いの場となり、残念なことに焼失してしまったそうです。


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  パリ・コミューン自体は2ヵ月あまりで鎮圧されました。けれどこの民衆蜂起は、彼らが掲げた共同体の原理と社会主義革命という原則がそれまでの「法と秩序」の原理とはあまりに対照的だったため、大きなインパクトを持って世の中に受け止められました。そしてその後のフランスにおける社会主義と共和制の確立に多大な影響を与えたと言われています。

革命当時に焼失したこの宮殿は、過去の王政の遺物と見なされていたため、再建されることはありませんでした。けれど、噴水や彫刻で飾られたこの美しい庭園はそのまま残され、今は過去の文化の頂点を表現する不動の創造性(このことば自体矛盾を孕んでいるように思えますが)の象徴となって整備され、皆が利用出来る公園としての新しい役割を与えられています。ちなみに「テュイルリー」という名は、以前庭園の一部だった中庭部分に敷き詰められていた「タイル」から来ており、その昔ここにはタイルや瓦(テュイール)を製造する工場が存在したのだそうです。

ではこのシンボルは、世界がバランスを崩して厳しい戦いが始まり、そのことを通して過去が失われていくこと、それでもなお残ったものの中には、伝統によって培われた「均衡の美」が厳然と存在し続けることを語りかけているのでしょうか? 

  このシンボルが暗示する「革命」とは、全てを根こそぎ破壊し尽くす流血と破壊の道ではなく、美は美と認めて新しい光を当て、新たな役割の中に活かしていく道なのでしょうか? もしそうなら、それは善悪、黒白、左右、新旧、貧富、老若、男女…云々という区別を超え、分けへだてない眼で対象の本質を見つめ尽くしたうえで得られるもの。単なる頭の良さではなく、誠実な知性によってのみ成し遂げられるものなのでしょう。

殺すのではなく、より良く生かすための新しい規律。“左右対称” の中庸性。あるいは、やがては必ず滅びゆく建造物としての肉体が持つ身の謙虚さを通して呼び込む、新しい波。変化し続けながらの、不滅。…実際、そんな感じの内的自己革命を何度も何度も体験してみないと、本当は社会の革命など、いえ自分自身を革命することさえ不可能なのかもしれません。


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  では、この度数の「where to」、あるいは補完の働きをする度数である射手座3°はどうでしょう? シンボルは『チェスをする二人の男』です。

チェスとはタイル状、あるいは市松模様の盤上で二人の王が戦うゲームです。その盤面はほとんどの場合、黒と白の四角いタイル状に分けて描かれ、一辺に8枚ずつ正方形が敷き詰められた形状になっています。

さぁ、ここにも「タイル」というキーワードが出て来ます。「タイル」の語源はラテン語の「tegere/テジェーレ」で、「何かを覆う」「カバーする」という意味があります。これは家の壁面をタイル張りにして強化したり、雨風から護るために屋根を葺くといった行為を指すことばになります。またB.ボヴィは、これをラテン語で建築学上の「テクネ」にあたる技術的な原型、つまり「築く」「覆う」「組み上げる」という三つのスキルの軸となるイメージとして解析出来ると指摘していました。

また「覆う」に対し、反対に「覆いを外す」と言えば、「護ること」に対抗して「検出する」「見つけ出す」「さらす」ということばが浮かび上がってきます。そして「タイル」はまた、古い時代のスラングでは「帽子」を意味していました。かなりくだけた言い回しであるこのことばは「家のてっぺんの屋根を覆うタイル」と「体のてっぺんにある頭を覆う帽子」というイメージがオーバーラップして生まれたのだそうです。こうして「ことば」を通したイメージの連鎖が顕れてくるというのは、とても双子座らしい反映の仕方ですね。


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  「覆う」「覆い隠す」「護る」「防ぐ」。そして「築く」「覆う」「組み上げる」。それに対する「見つけ出す」「さらす」、そして「壊す」「さらけ出す」「解体する」または「ほどく」。 さて、これらのことばの群から浮上してくる心理的なイメージとは何でしょう? 何となく...対人関係や政治上の駆け引き、戦い、企み、陰謀なんてことばが浮かんできそうな気がします。また、B.ボヴィは謎めいた組織として語られることの多いフリーメーソンを例に挙げ、「To tile a lodge(ロッジのドアをタイルで固める)」というフレーズには「組織の中枢部に初心者や見知らぬ者が入り込まないようにする」という防衛戦略の意味があるとも指摘していました。

では「チェス」の語源を見てみましょう。これもやはり古い時代(文語調)のフランス語「esches/エッシュ」で、敵方に対して「もう後がないぞ」「危険の淵にいるぞ」と警告するときに発する間投詞、つまり「チェック!= 王手!」という叫びでした。

  チェスは厳格に定められた規則に従って32個の駒を動かしていく、非常に高い練度を必要とする戦いのゲームです。ひとつひとつの駒は、その種類(階級)ごとに動ける範囲が決められています。そんな厳しいルールに基づいてプレイするとき、このゲームはわたし達に、相手を読み、先を見越して戦うための、鋭い知性と深い戦略を要求してきます。また、一度立てた戦略に固執したりせず、相手の出方によって柔軟に戦法を変え、意表を突いたりヒラリとかわしたりする変わり身の早さも必要になるでしょう。おそらくそこには、この対向する射手座の度数が鏡となって映し出す、双子座的な創造性が潜んでいるのかもしれません。

けれど、チェスには厳格なルールがあります。それを無視して勝手に駒を動かすことは出来ません。そんなことをすれば、チェスというゲームの世界自体が崩壊してしまいます。王であり統率者であるプレイヤーの存在は、キングの駒に象徴されています。そのキングに双方のポーン — 歩兵 — が離れたところから一斉に襲いかかってチェックメイトとなれば、それは「革命」です。 そして文化の粋を集めて建造されたテュイルリー宮殿は炎上し、燃え落ちていきます。やりたい放題の混乱の中では、エンドゲームを宣言する者など存在しません。やがては今、公園として残されているテュイルリーの庭園も火炎に包まれて燃え尽きてしまうでしょう。歴史の中で古のひとびとが営々と積み上げてきた優れた文化も芸術も、富も誇りも...全てが消え去った後は、混沌と喪失感だけが残るのかもしれません。そして僅かに残ったリソースを奪い合うむき出しの欲望に鼓舞された(ある意味純粋とも言える)生々しい闘争を経て、全てが新たに始まっていくのかもしれません。


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  「革命」とは、既存のルールや規則、規範、秩序を拒絶し、破壊し、何か全く別の新しい体制を打ち立てようとする企てです。けれどテュイルリー公園には、17世紀に設計された秩序正しく規則にのっとって設計されたバランスの美が、今も残されています。この対比は、わたし達に何を示唆しているでしょうか?

  世界は今、混沌の中にあります。COVID-19の感染者数は落ちてきたように見えるけれど、まだけっして油断出来る状態ではありません。おそらくまだ先がありそうです。他にも、世界ではこれから先に驚くようなことが起きてくる可能性があります。

だからわたし達は今、ある種の戦いの中に在るのかもしれません。コロナ禍の中で、自分や家族が病に倒れたひと。仕事の先が見えず、金銭的な戦いを余儀なくされているひと。目的としていたことが全て取りやめになって、夢が打ち砕かれたひと。怖れや不安との戦い、誹謗中傷との戦い。あるいは隠していた秘密が露呈したひと。または身に覚えのない疑いをかけられているひと。自由が利かなくなって苦しんでいるひと。対人関係や愛情関係のもつれに悩むひと。介護や子供の問題で疲労困憊しているひと。明確な「敵」の出現を前にして、これからの戦い方に頭を悩ませているひと。そして、自分が行くべき道を探りながら、先が見えずに落ち込んでいるひと...。挙げればキリがないほどに。もちろん、どれほど切迫しているかには差があるとしても、みんなそれぞれに通り抜け、切り抜けていかなければならない物事を抱えているのではないでしょうか?


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  この新月のシンボルが指し示すテーマは、「戦い方」です。それはまず、自分自身の内的宇宙に革命を起こしていくことから始まるのかもしれません。そして外の世界に対しては、既存の規範やルールの中で秩序を護りながら、どれだけ柔軟に物事を考えていけるかという勝負になります。何生もの人生で積み上げてきた「わたし」という内的な歴史には、それぞれに見るべき「美」があるはず。そして向かうべき方向があるはず。何を燃やし尽くし、打ち破り、何を大切に遺していくのか?

  今は「敵」を間違えないことがとても重要です。それは「わたし」の内側に、遠い記憶の底流に、この瞬間も息づいている「何者か」です。

だから

プレイヤーとして、内的宇宙の王として、それが何であるかを見極めていきましょう。なぜなら、人生はたったひとつの命をかけた、とても真剣なゲームかもしれない。

ならば...

  遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

  遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ ♪


この歌は、この新月を迎えるわたしたちに相応しいテーマソングなのかもしれません...



potw2020a



have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 23:40|PermalinkComments(6)

April 22, 2020

🌑4/23の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  4月23日11:46前後、北海道周辺で 11:52前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は11:26、沖縄周辺では10:56前後に牡牛座 03°24’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
 (満月のサブテーマはTwitterに投稿しました)
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♉️牡牛座03°~04°― 発効期:4/23~5/22 】

→🌑🌞“Steps up to a lawn blooming with clover”
   『クローバーの花咲く芝地へと昇る階段
            ↓
→🌑🌞“The rainbow’s pot of gold”
   『虹のたもとの黄金入りの壺

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。

 
→★胸に想い描く何かに向かって今出来る努力を続ける
→★今必要不可欠な「協働」のための必要不可欠な忍耐力
→★全員をまとめる、または行動を起こすために必須の明確なプラン
→★自分の奥底に存在する「自然の秩序」との繫がりを大事にする
→★確かな手順を段階的に積み重ねていくことの重要性に気付く
→★共同体が課してくる重圧を乗り越えて自分の視座を転換していく
→★あれこれと落ち着かない状況の中で
    芽生える自然の流れに任せていこうという気持ち
→★胸に理想を抱きながらも常に足許を忘れずに見ていく
→★今すでに自分の手中にあるものが未来を創っていくことへの信頼、
    (または)手が届かないと感じるものへの苛立ち
→★他者とともにおおらかに楽しむことで得られる高揚感と…
    (または)右へ倣えの行動では満たされない自分自身の本質
→★好ましい結果や報いを求める気持ちが生み出す激しいフラストレーション
→★欠乏感への怒りや焦りからの行動で無駄にエネルギーを消費する傾向
→★幾つもの人生を通じて携えてきた自分自身の「精神的伝統」に回帰する
→★本当の夢、真のプランや構想は「その時」が来るまで温めておく必要
→★差し迫った危機をひねくれた観点や歪んだフィルター越しに分析する危険
→★自らの内にともる「火」が示す地図に従って進む…→



★エネルギーのポイント:前回の新月『自分を識り、自分で立ち、全てを呼吸する』
             ↓
            今回の新月遠方に視線を定め手の届くところから始める
                               

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★4月新月の星模様とチャレンジ ★

(主なアスペクトとスケジュールざっと)
 ※個々のアスペクトについての解説は省きます。
 何か思いついたらその都度ツイートするかもしれません😉)

新月:牡牛座3°24

〜ざっと見のアスペクトあれこれ〜

 新月が天王星とコンジャンクト 
 ◆新月と水瓶座の土星がスクエア 
 ◆新月と恒星アル・シェラタンがコンジャンクト 
 ◆新月・山羊座のフォルス・乙女座の小惑星ハザードがGトライン 
 ◆双子座の金星と小惑星ハイジーアがコンジャンクト 
 ◆ASCと小惑星グリーヴがコンジャンクト 
 ◆天王星と獅子座のグリーヴがスクエア
 ◆魚座の海王星と双子座のアスボルスがスクエア 
 山羊座の木星・冥王星に乙女座のオルクスと双子座のヴェスタ
  (とハイジーア)からクァドリフォーム 
 月のSノードとイクシオンがコンジャンクト 
 月のノード軸と小惑星コロニスがTスクエア 
 土星と小惑星ウーハン(とパラス)がコンジャンクト 
 フォルス・蟹座のルシファー・牡羊座のカイロンがTスクエア 
 蠍座の小惑星ニッポニアとジュノーから牡羊座のエリス(と水星)に
    クインカンクスとクインデチレの変形YOD etc.
 魚座のネッソスと双子座のヴェスタがスクエア


〜雑感など〜

 COVID-19との闘いはそろそろ落ち着きを見せるか?という雰囲気も出て来てはいるけれど、まだハザードランプは点滅中。今回は小惑星ハイジーアが金星、木星、冥王星に絡んでいることから、この新月期も引き続き衛生・健康面が関心事の中心になりそう。また公正さ、統制力への希求は相変わらず強く、少しでもネガティブなことが出てくれば強い反応が返ってきやすい。天王星と新月、そして土星との関わりは刻々と変化し続ける状況とそれに対する疲労感や拒否感、自分の流儀に反する物事に対する怒り、そして「自粛」や「辞退」といった想いが誘発されることを示すのかも。また何度目かの節目と経済の先行きとのバランスが微妙になる中で、一層のソーシャルディスタンスの徹底が意識されそう。また、山羊座最終度数に在泊するパラスはMC/IC軸とはTスクエアになるので、雇用問題や福祉関連においては一層の公正さが要求されるのかもしれない。世界経済の先行きが大きく懸念される中で、国内外の経済情勢に左右されるこうした問題は、これからますます難しい局面を迎えるのではないだろうか? 今は「コロナ後」の世界に向けて、様々な国の政府や機関が水面下で攻防戦を開始しているのかもしれない。今後、日本独自の社会主義的な構造がどこまで持ち堪え、またはどこまで変容していくのか? (わたし程度の知識では予測もつかないけれど)予断を許さない段階に来ているように感じられる。

  ところで、水瓶座の支配星は天王星と土星。この両方が新月に絡んでスクエアを形成している。天王星は、ともすると自分だけが「わかっている」ような物事を、他者の理解などお構いなしにグイグイと進めたがる。本来なら水瓶座の土星はそんな天王星の質を抑え、あまり飛躍し過ぎず、新しい理想について他者が理解する時間と経験を与えることで、ひとびとの支持を取り付ける働きが出来る。けれど今は牡牛座の天王星とスクエアで、エネルギーが衝突しがち。天王星は自分のやり方やスピードに頑固に固執するし、それを止める者は抑圧者と見なして反抗する。そうなれば水瓶座の土星のほうもサッサと一線を引き、斜め上から目線で「あんな一人よがりじゃどうしようもないね」なんて言うかもしれない。もしこの衝突がわたし達自身の内部で起きるなら、押すのも引くのも、踏み出すことさえも出来ずに頭が堂々巡りになってうずくまる...なんてことが起きるかも? または周囲の理解の無さに「みんな揃いも揃ってバカばっかり!」なんて怒りの呟きを発してみたり。ひとによっては逆に自分の力を疑い、何かが足りない..こんなことではダメなんじゃないか?と不安に駆られるかもしれない。けれど、もしそんなことが起きるとすれば、それは惑星エネルギーに操られて自己の内部に幻想が起きていると思ったほうが良いかもしれない。

このアスペクトに限らずだけど、アストロロジーは「いかに星々の誘惑に踊らされず、それを理解した上で抗いようのない力の使い手になれるか?」という究極の挑戦という側面がある。まぁ使い手というのは極度にハードルが高いし、そんなことが本当に出来ているひとなど存在しないかもしれないけれど...。少なくとも『自分はなぜ今こう感じさせられているのか?』を知ること、そして『あぁ、そういうことなんだな』と理解しておくことは、人生の選択肢を見つける上でとても役に立つと思う。たとえ象意どおりにしか動けなかったとしても、知った上で動くのと動かされるのとでは、訪れる結果にも、自分がそれをどう受け止めるかにも、大きな違いが出るはずだから。なのでいつも『今、どんな惑星が甘いことばを囁いてるのかな? どんな惑星が喧嘩を売ってきてるんだろう?』なんて意識しておくと面白いことが起きてくるように思う。

...そう考えて見ると、水瓶座の土星と牡牛座の天王星による喧嘩 — 横やりの入れあいは、身も蓋もないほど赤裸々な現実と、理論上はこうなるはずだという理想とを、いかに忍耐強く確実に組み合わせて形にしていくかという課題にまつわる葛藤をも意味しているのかもしれない。

  コロニスがノード軸とTスクエアで、ピーク、または節目(何度も今後2週が節目と言われているけれど、2週間ごとというのはルネーション・サイクルとも同期するようで興味深い)。オルクスとヴェスタからの木星・冥王星へのクァドリフォームは、経済金融面と労働市場との舵取りにおいて重要な局面が続く様子を映し出しているように見える。またエリスに対しニッポニアとジュノーが変形YODで、新型コロナとの闘いにおいて「日本方式」を成功させようとする苦闘がここに顕れているとも考えられる。それはポストモダンを経てますます継ぎ接ぎ状態になってしまった日本という国の自我を、目に見えない部分から再生させるための試みでもあるのかもしれない。

他にネッソスとヴェスタとのタイトなスクエアも見られるが、これは現象面よりもこころの領域で発現する「念」としてのカルマの精算(おそらく哀しみや怨念という形、あるいは爆発的な怒りの形をとって無作為に放射される)を指すのかもしれない。また場合によっては自分よりも何かを「持つ者」を見て自分が損をしているのではないかと感じて過剰防衛に走ったり、強欲として表現される場合もあるので、このアスペクトがタイトに個人惑星に触れるような場合はこうした傾向に要注意かも?


〜前回掲載した少し長期的なスケジュールも念のためもう一度挙げておきます〜

4月26日:太陽・天王星がコンジャンクト

 この前後も仕事や対人関係、または社会的な分野で突然の転換や発表があるか、または本当に信頼をおけるものは何なのか(または誰なのか)を深く見通しながら進む必要が出て来るかも。もし壁に突き当たっても、何が何でもこうでなくては…と考えず、少し余裕を持って違う筋道を探してみるなどの観点を保つと良さそう。

4月3日~6月2日:牡牛座29°台から金星がアウトオブバウンズ(OOB)

 5月6日:金星OOB最大角27°48’

  5月に入って金星OOBが最大角になる前後は7日の満月を控えてひとびとの「気」が過剰になりやすいとき。また大地のエネルギーも活性化しやすいのでテロや殺傷事件、事故、地震や嵐その他の自然現象にも注意が必要かもしれない。

 5月11日:水瓶座1°台から土星が逆行開始(小惑星ダイシンサイとコンジャンクト)


 ◆5月13日: 双子座21°台から金星がOOBのまま逆行開始
(6月3日逆行中日。夏至を経て6月25日、双子座5°台から順行)

 ◆5月14日: 山羊座27°台から木星が逆行開始

  13日の金星逆行前後は気持ちのすれ違いや思い込みの強さが原因となって不要な争いが起きる可能性も。フラストレーションが溜まりやすい時期が続くため、対人関係は出来るだけ過剰期待を避けて冷静さと寛容さを心がけたい。金星逆行時には過去の恋愛やロマンスを懐かしく思い出したり、実際に再会したりする可能性がある。これがOOB期と重なるときは、やり過ぎ・行き過ぎ・一線を超える危険も考えられる。この時期は恋愛に限らずロマンティックな感性を使ってクリエイティブに楽しむには良い時期だけど、無意識に「バラ色の眼鏡」をかけている可能性も大なので、そのあたりは注意が必要かも。もしそんな誰かとの再会があったら「戦友」との再会を祝い、互いを讃えてエールを贈り合う感じが一番かもしれない。また、このあたりも突発的に何かが変化したり、隠れていた物事が明るみに出たりするような可能性を持つ。


5月17日~6月10日:火星が魚座2°台でアウトオブバウンズ(00B)

5月23日: 双子座2°04’で新月!


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★4月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
牡牛座3°『クローバーの花咲く芝地へと昇る階段』


  さて前回の新月期のエネルギーポイントは『自分を識り、自分で立ち、全てを呼吸する』。これはどちらかというと、ダイナミックな外界に対して内面をしっかり確立し、しかも四方に向けて開いておく... という、どちらかというと静的なイメージがありました。そして、今回新しく放射されるエネルギーのポイントは『遠方に視線を定め手の届くところから始める』。少しずつ手近なところから動いていくような感じです。この『出来るところから』『自分の足許を固めながら』という感覚は、この新月期の大きな基盤となりそう..。新月図のアングルは不動宮で、太陽と月が入るのは社会性の10室。もちろん個人単位では、それぞれのネイタル・チャートで牡牛座3°台が何室に入るかによって新月のテーマの活かし方が変わってくるけれど、日本社会全体としては、やはり政府や行政機関の動きや在り方に焦点が当たりそうです。


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  ところで今回の新月は何年か前にも体験したエネルギーです。おそらく何年かごとにルネーションが起きる度数は、今という時代に何度も経験を繰り返す必要のあるテーマなのかもしれません。で、今回の新月が放射する基盤のエネルギーは、階段を昇っていった先に広々と開けているはずの『クローバーの花咲く芝地』。これは豊かさ、そして幸運の象徴でもあります。豊かさや幸運といっても、ひとによって思い描く理想の形は様々。でも、とにかく今よりもっとずっと解放されて、自由に動けて、のんびり寝そべったり走り回ったり歌を歌ったり、何の心配も無く好きなことが出来そうな空間。とても居心地の良い場所。見渡すかぎり可憐な花が咲き乱れる芝地はどこも美しく手入れされた安全な場所です。そこでなら、きっと自分だけの四つ葉のクローバーが見つかるかもしれない…。わたし達は希望をこめて、それぞれに理想の芝地、夢のスペースを思い描いています。『こんなふうだといいのにな...』

けれど今はまだ、この丘の上に開けているはずの美しい庭園に向かい、一歩、また一歩と長い階段を上がっていく途上です。段をひとつ昇るごとに、ほんの少し景色も変わる。この先何段か上がっていくうちに、もしかしたら今とは全然違う風景が見えてくるかもしれないし、頭の中に描いていた花園の景色だって変わってしまう可能性があります。そして、最終的に辿り着く頂上の芝地がどんなところなのかも、本当は誰にもわからないのです。


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  それでも、わたし達はその階段を昇ろうとしています。一歩一歩、踏みしめながら。今出来ることを積み重ねて、いつか望みどおり手入れされた、綺麗で安全な芝地に辿り着くことを信頼しながら。どんな物事でも、ゴールに辿り着く途上には苦しいときがあります。忍耐が必要なときもあれば、途中で息切れすることだってあるでしょう(今ちょっと息切れしてるひともいるかも?)。

ではこの階段を昇る前のわたし達はどうだっだでしょう? 確かに時代の大きなシフトのとば口に立っているらしい...とは感じていました。でもそれと同時に自分個人にとっては、このまま今までと同じような道が続くのだろうと思っていたのではないでしょうか? そして突然、この世界はまるごと全く異なる空間へと押し出され、気付いたらわたし達それぞれに、何やら険しい階段を昇っている途中です。段差の大きさも、広さもその質も、わたし達それぞれに違っているのだとしても。それでも、わたし達を包み込んでいるかに見える世界そのものが、一斉に変わってしまいました。まるで夢を見ている途中で突然シーンが変わってしまうみたいに。


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  そして前回の新月あたりからは、この「時代のシフト」の第1章第2フェーズが始まりました。前回の新月期は毎日のように新しい展開があり、様々な問題が浮上してきました。そして今回、牡牛座の新月を迎えてこの度数のテーマを経験するというのは、そこに「具体的なゴール」があることを意味します。でも、今目指している「クローバーの花が咲く芝地」は、けっしてはるか遠くの「壮大な旅路の果て」ではありません。一段、一段... ひとつ、ひとつ。とにかく自分に出来ることを日々積み重ねていくこと。無理をせず、肩肘はらず、あまり頑固になったりせず。ただひたすら、まだ見ぬ花の大地を目指して足を運び、手を伸ばす。そしてときには階段に腰をかけてひと息つき、今見えている風景と自分自身とを照らし合わせながら。あるいはしばし眼を閉じ、息を整えながら。「わたし」の内側にいつも息づいているはずの、大自然の秩序を取り戻しながら...。

      では、この度数のエネルギーを補完する対向のテーマは何でしょう?... それは蠍座3°の『家の棟上げ』です。この度数は前にも何回か経験していますね。覚えているかな? その昔、まだ開拓時代の米国の家屋は巨大な材木を沢山使う必要がありました。何故なら、まだ釘も使わずに組み立てる工法だったからです。そのために人々は大きな森のある北米東海岸地域に集落を作って住み、コミュニティの誰かが家を必要としたり、教会や大きな納屋を建てるときは、何百人ものひと達が総出で共に働いたそうです。(ちなみに1800年代後半からは2×4工法が発明されて細い木材でも家が建てられるようになり、西部地域にも人が住めるようになったそうです。その頃にはシカゴが木材の集積地兼取引所となり、これが今のシカゴ商品取引所CBTの前身となりました。)


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  今回の新月のベースとなる牡牛座側の3°台が個人の歩みを示唆するのに比べ、こちらのシンボルでは明確に一つのコミュニティが出来上がっています。きっと彼らははるか上まで続く階段を見上げてため息をつくことがあっても、諦めてうずくまったりはしないでしょう。また、ここでは生きていくためにもそうするわけにはいかない事情があります。誰もがこころを揃え、必要なときに助け合う。それが厳しい開拓地で犠牲を出さずに暮らしていくための不文律であり、鉄則なのです。

  今、皆が総出で家の棟上げを行っているところです。棟上げとは、基礎作りが終わった段階で柱を立て、一番高いところに水平にわたる棟木を取り付けることを言います。それって家の骨格や構造、建物の一番大切な部分が出来上がるということ。…あとは壁や屋根をつけるだけ、という段階までいくことです。

  つまり、家を建てる ― その大地で生きるための基盤を作るためには、まずしっかりとした「構造」を造り上げることが必要。その途上では、周囲のひと達の力を借りる必要、互いに助け合う必要がどうしても出て来ます。このシンボルは、互いに目的を共有するひと達が力を出し合い助け合うことによって、自然に派生していった集合体がやがてはひとつのまとまったコミュニティへと成長していくことを示唆しています。

もちろん、その過程で経験する物事には面白くないことも沢山ありそうです。嫌なこと、面倒なことを引き受けなくてはならなかったり、ウマの合わないひとと一緒に働いたりすることだってあるかもしれません。割を食ったり不公平感を感じたり...なんてこともありがちです。それに、ルールを守ることで、「個」としての自由を束縛される面もあると思います。どう努力したって必ずどこかに不満は起きてくるし、そのうちリーダーシップを巡って醜い争いが起きるかもしれません。


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  結局のところ、わたし達がここで面と向かわなくてはならないのは壮大な力を持つ大自然ではなく、それぞれに違う個性、長所、そして欠点を持つ「わたし」の集合体。ナマのちっぽけな人間なんですね。 だからわたし達は、ともすると相手を抑えつけたりコントロール出来ると思いがちです。自分が正しい、という大前提の下で。そしてその意識は争いの種を蒔き、分裂を生み、コミュニティの構造基盤を弱め、気付かないうちに滅びへと導いていきます。

楽しいときもあれば、辛いときもある。互いに楽しみを分かち合うこともあれば、公平に我慢しあうことが必要なときだってある。それでも、とにかく今、この一段を昇るためにはここで、みんなと一緒に生きていかなくちゃならない...。 わたし達は超人じゃない。大なり小なり、ひとつのコミュニティという構造に支えられて生きてる。そしてその小さなコミュニティは、またもう一つ大きな構造によって支えられてる。社会が複雑になればなるほど、建物が立派になればなるほど、わたし達ひとりひとりは全体の構造を掴みきれない。けれど社会とは、そんな積み重ねが織り合わさることで、複雑で強固になっていくもの。だからこそ、人間は厳しい自然となんとか折り合いをつけ、こうして大地に立っていられるのかもしれない。ほころびが出たらその都度、力を合わせて繕い、新しい材料を補填しながら。ときには朽ちて倒れた柱や施行ミスで歪んだ壁を取り除き、手分けして新たな図面を引きながら...この世界で「それぞれのとき」を全うし、新たな旅路に発つまでは。それを解った上で、危機のときは互いに手を取り合っていくこと。社会の階段。目には見えないこころの梯子。それを同時に踏みしめていく作業。誰も崩落しないように、一歩、そしてまた一歩と。


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  頑固で動き出すのが遅いと言われる牡牛座の第1ディーカンに在って、この度数は今、人間社会に支えられながら生きる、個としてのわたし達それぞれに必要なこころ構えを示唆しているように見えます。


新月のメイン・シンボル:
牡牛座4°『虹のたもとの黄金入りの壺』


       さぁそんなテーマをベースとして、新月はメインのシンボル『虹のたもとの黄金の壺』を拾っていきます。雨上がりの空にかかる美しい虹の架け橋...。 そのたもとに埋まっているという、黄金がたっぷり詰まった壺。こうした言い伝えは世界各地にあるそうですが、ここではおそらくアイルランドの民話からきているイメージが元になっているのではないでしょうか。その民話によると、この金の壺は「レプラコーン」と呼ばれる妖精 — 小人の靴職人が隠したもの。レプラコーン達が壺のありかを教えてくれることもあるけれど、殆どは徒労に終わってしまうのだそうです。なのでそこから「見果てぬ夢」とか「期待しても手に入らないもの」を意味する慣用句になったのだとか。


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  実際、「虹」はこの世のものとして見えながら、この世には無いもの。空気中の水滴が太陽の光を反射して七色に輝く「現象」を、わたし達は虹として見ているんですね。どこまで追いかけても、けっしてそのたもとには辿り着けません。それにもし辿り着いたとしても、それをこの手で掴めたりはしません。それはわたし達が外の世界に思い描く「夢」そのもの。このシンボルを見ていると、メーテルリンクの「青い鳥」の物語が思い出されます。 幸せの青い鳥を探して旅に出た兄妹が、長い旅の結果に理解したのは…青い鳥がもうすでに自分達の鳥かごの中にいたという現実...。 そんな、夢。

たぶん「虹のたもと」は外の世界のどこにもありはしない。なぜなら、虹のたもとは常にわたし達の居るところ、「ここ」でしかないのだから。虹はわたし達のこころの力が創り出す七色の煌めき。わたし達ひとりひとりが持っている潜在的な可能性。それは見果てぬ夢の中で、地球を、宇宙を、ぐるりと駆けめぐってわたし達の足許に再び帰ってくる。今もひとの数だけ無数の見えない虹の帯が、きっとこの惑星を取り巻いてる。あるものは強く、色濃く。あるものは弱くはかなげに漂いながら。片時も休まずさざめき、脈動し続ける、無数の虹の糸。ならばその端に埋まっている黄金の壺もまた、ここにある。わたし達という、存在の中に。その奥深くに。それを見つけ、育み、現実世界に生み出せるのは、おそらく無数の「わたし」達だけ….。


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       一方、この度数を補完する対向のシンボルは『火を灯した蝋燭を持つ若者』です。蝋燭を持つ少年と言えば、現代に生きるわたし達は何か宗教的な儀式か聖歌隊の少年? なんてイメージが浮かぶかもしれません。もちろんそれも含まれるだろうと思います。けれどサビアン・シンボルが伝えられた1920年代の米国社会を考えると、このシンボルはもう少し広い解釈が必要かもしれません。

当時の米国は薪や灯油の暮らしから電気を駆使した現代的な生活様式への過渡期でした。1908年には世界最初の電気掃除機が発明され、1930年代にかけては様々な家電製品が誕生したけれど、その価格はとても高価で性能も不安定だったために各家庭の隅々まで普及したとは言えず、わたし達が知るような “電化生活” のはしりを満喫出来たのは知識が豊富で新しいもの好きな大都市部の中流~上流の家庭に限られていたそうです。なので一般の人々にとって、日々の暮らしの中ではまだまだランプや蝋燭の出番も多かったのではないでしょうか(サビアン・シンボルを降ろしたチャネラーのエルシィは当時まだへんぴな片田舎だったオレンジ・カウンティに住んでいました)。


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  B.ボヴィは原文の「holding a lighted candle」から、「can't hold a candle to ~」という言い回しが「~とは比べものにならない」という、ちょっと一方を卑下する意味があることを示唆していました。これは街灯が一般的になる前の英国で、道行く人の足許をトーチやローソクの灯りで照らすために雇われた「リンクボーイ」と呼ばれる少年達から来たことばだそうです。「can't hold a candle 」「ローソクを持てない」というのは、自分はリンクボーイにさえなれない…自分は「それ」に値しない、ふさわしくない...ということを意味しています。そしてこの習慣は、やがて米国にも伝わってきました。

けれどこのシンボルの少年は、その手にしっかり蝋燭を掴んでいます。じゃ、それは生活を支えるため? そして危険の待つ凸凹道を行こうとする誰かの足許を照らし、安全に導くため? またはひと仕事終えて自分自身の足許を照らし、家族の待つ家に無事帰り着くため? それとも何かの祭りで灯りをともす役割を果たすため? いえ、きっと突然停電になって、あわてて戸棚の隅にしまってあった蝋燭に火を灯したのかも? そう...もしかしたら、その全てかもしれません。


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  "candle" の語源であるラテン語は「キラリと輝くこと」を意味します。ならば少年がその手に掴んでいるのは、彼が灯した炎のきらめき。ならば、たとえどんな状況であれ、今その手のうちにともる「小さな火」こそが一番大切な意味を持つのかもしれない...。

  少年は胸に抱えたほのかな灯火を大切に護りながら、自分に課された役割を果たそうとしています。でも、彼がもしリンクボーイなら、送り届けた顧客の窓辺から漏れ出る電灯の光を眩しく見上げながら、自分を蝋燭の炎のように小さく役立たない存在だと感じているのかも。

けれどその火は、生きるために必要な日々の糧を得るための小さな炎であり、誰かの足許を照らしながら、少年がひとり歩む道をもまた照らす、確かなともし火です。それはたぶん仄かな明かりに過ぎない。風が吹けば大きく揺らぎ、はかなく消えてしまう小さな炎。

  でも、消してはいけない。それは便利な電気 ― 見えない何処かから知らない誰かによって送られてくる力 ― のように、全てを明るく照らしたりはしない。けれど、それは自分の意志で、自分の手でともした小さな灯り。今の「わたし」が見る必要のある部分だけを照らしてくれる。そして、いつか輝く松明になるかもしれない炎の種子。だから消してはいけない。大切に護り、ちらちらと燃やし続けていこう。この新月期、たぶんそこから新しい一歩が始まるのだから…。


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  ところで、今回牡牛座の新月が放射するエネルギーを補完する蠍座側は、自分の世界と他者の世界とがぶつかり合い、溶け合い、変容していくプロセスを辿ろうとします。一方牡牛座はといえば、足許を固めて安定させてリソースを溜め込み、自給自足しながら価値を高めていこうとする意志を具体化していきます。

特に牡牛座の第1ディーカンは、頑固さと強い意志を持つと言われる激しい領域 ―  怒れる牡牛、レイジングブルの大地です。(余談ですが "Taurus Raging Bull" といえば、ブラジルのトーラス社が開発した強力な大型リボルバー式拳銃の名前です。これは米国で猪狩りにも使われ、重量もスコープ付きで2~3kgあるという本当に大きくて威力のある銃です)。また、今回の満月が起きる牡牛座3°台は、ケンタウルス族のカイロンが発見された当時に位置していた度数でもあります。


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  それに加え、ここには知るひとぞ知る恒星アル・シェラタン(シャラタン)が在泊しています。 実はこの星は、凶悪犯罪に関わるという悪名が轟いています。たとえばエルスベス・エバーティンは、このシェラタンに『無謀なまでに怖いもの知らず』『衝動的な行動が危機を呼ぶ』という象意を与えています。このあたりの度数には強権的なタイプのリーダーになっていく人が多いと言われるのもこれならうなずけるけど、牡牛座の安全志向とは程遠い感じがします。また、同じく恒星研究に生涯を捧げたダイアナ・K・ローゼンバーグは、やはり膨大なフィールドワークからこの星を「大火」「戦争」「テロ」「地震」などと関連付けています。けれども同時に彼女は『歴史的な伝説になり得る変革的な出来事』『手を使う技』とも関わると書き遺しています。なので、この位置がカイロンのテーマに色濃く関連する発見時の度数だというのは、本当に興味深いです。

カイロンにも様々な象意がありますが、ひとつ共通するのは輪廻の回廊を幾重にも巡る中で溜めてきた澱みをひとつひとつ手ですくい上げ、浮かび上がらせるような働きをするという要素かもしれません。わたし達の深いところに潜む、火に焼かれるよう傷の鋭い痛みに耐える経験。あるいはこれまで積み重ねてきた経験から得た現実への理解が全て崩れ去ってしまうような闇のトンネル。そんな意識の深淵とも言える体験を通して大きな変革をもたらすことを約束する、これは小さくて大きな星です。


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  カイロンはまた、手を使うヒーリングにも関わるとされています。レイキや気功などもその一種かもしれませんね。ただしカイロンが関わるそうした癒やしの境地に到達するには、一朝一夕にはいきません。うずくような衝動に負けず、背負うものの重みに潰されず、少しずつ、確実に自分の内奥と直面していく作業を必要とします。すべてを空に戻し、新しいエネルギーに変えるために。......それは結局、わたし達自身の中に存在する虹のたもとを、黄金の壺を、はっきりと「見る」ことなのかもしれません。それはたぶん、ただ「信じる」ことなどはるかに超えた行為、ただ「何か」としか表現しようのない体験なのではないでしょうか。


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  虹と黄金。それを補完する蝋燭の仄かな灯火。見果てぬ夢と、それを支える小さな炎。時代が大きく音を立てて動こうとするこれからの激しい年月を想いながら。ときには夢が破れて絶望に変わることがあっても、わたし達の内部に燃える小さな炎がある限り、それはいつしか絶望を燃やし尽くし、灰の中からまったく新しい光景を見せてくれるのかもしれません。

遠い宇宙の彼方、アル・シェラタンが輝くところ。そして死と不死を等価にすることで自らを永遠に癒やしたカイロンが生まれたところ。

わたし達が気付こうと気付くまいと...この新月は、本当に奥深いフォースを放射しているんじゃないかなぁ...。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 22:20|PermalinkComments(2)

March 24, 2020

🌑3/24の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  3月24日18:47前後、北海道周辺で 18:53前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は18:28頃、沖縄周辺では17:58前後に牡羊座 04°12’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
(満月のサブテーマはTwitterに投稿しました)
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♈️牡羊座04°~05°― 発効期:3/24~4/22 】

→🌑🌞“Two lovers strolling through a secluded walk”
   『人里離れた道を散策する二人の恋人達
            ↓
→🌑🌞“A triangle with wings”
   『翼を持つ三角形

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。

 
→★所属する集団(国/地域/会社/家族etc.)の中で「自分であり続けること」の挑戦
→★肩書きやアイデンティティを捨てて初めて見えてくる人間の本性
→★「仲間」に入りたい気持ち、または「仲間」でないものを排除したい気持ち
→★ひとりで大胆な行動を取る前に いざというときの味方を作っておこうとする心理
→★何か大きなものの一部として護られていたいという強い願望
→★社会の多様な力学が火花を散らす中をひとり手探りで歩む状況
→★エコーチェンバーの中で堂々巡りする、
    またはどこにもフィット出来ない自分を感じる
→★強力な部族主義や同族主義に従うことの安心感と
    非協調主義者として片隅にひっそりと生きる自由
→★どんなに親しくても犯してはならない境界線があることを知る
→★指示や命令、支配力を用いず、自然に他者を導いていく力とは何かを知る
→★個人的な親しさの中で本来の自分を心おきなく表現することのやすらぎ
→★自分のことば、行い、情念、思考、体とのズレを統合していく必要
→★常に自分らしく在ることの出来る場所、状況を保っておく
→★社会からはぐれた状態や放っておかれる状況に安らぎを見出す
→★思わぬところに真の助け手が潜んでいることに気付く
→★「自分であること」と「社会の一員であること」を無理なく両立させる力
→★自分の思考がどれほどユニークであっても
    実は既存の党派性の中にあることに気付く
→★集団としての利益より自分を優先して気ままな行動を取りたくなる心理
→★押すべきとき、引くべきときを正しく判断して行動していく必要
→★傍からどう見えようと自分自身の生への誠実さを保ち続ける挑戦・・・→


★エネルギーのポイント前回の新月『淀みと荒波の中で冷たい月の浄さを保つ』
             ↓
            今回の新月自分を識り、自分で立ち、全てを呼吸する
                   
            
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3月の星模様に入る前に、まず初めにおさらい的な意味で、前回の新月記事の冒頭に書いた流れを再度挙げておきます。以前 満月のツイートでも言ったように、3月10日からこの新月までの満月期は心理的にも事象的にもある種のピークと言える期間。そしてこの新月期からは、徐々に次のフェーズに入っていくのではないかと考えられます。とはいっても一連の流れが突然変わるという意味ではなく、前回の満月までにある程度決定付けられた方向性に沿って新たな展開が始まる…つまり第1章第2フェーズの始まりということ。相変わらず緊張感を強いる星模様の下で、COVID-19のプレッシャーに喘ぐ世界を俯瞰する中で、あるいは遠く離れて日々の暮らしに集中するうちに...わたし達それぞれの内的世界の中で少しずつ見えてくるもの。芽を出してくるもの。それを少しずつ掴んでいけるといいな。


magelan


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(2月24日の新月記事から)

  今回の新月は火星が2019年12月26日の金環日食の位置に乗ってエネルギーチャージ。その後火星は月のSノードを通って3月20日からカプリコーン・ステリウムに合流。木星、冥王星とのコンジャンクトを終えて4月1日には水瓶座0°台で火星・土星のコンジャンクションが起きる(この位置 ―水瓶座0°台 ― はいくつか存在する中国建国図の一つではアセンダント<水瓶座1°台>の直近となるため、この時期に何らかの事象または変化が起きるかどうか見ておきたい)。

またそのとき同時に山羊座を運行する木星が冥王星とパラスにコンジャンクトしていく。そして蟹座のキラルス、牡羊座のエリスが加わってTスクエアを形成。また乙女座のオルクスとはトールのハンマー/クァドリフォームも形成する*
  *これは今回の新月直前から強く発効し始めている。

  このため、これからの1ヵ月は世界中にかなり強力な出来事が起きてくるかもしれない。この期間は引き続き新型肺炎のような疾病のほか、地震、噴火などの自然災害や事故・事件、火災、テロ行為の危険期。そして激しい政争や、審判と断罪を望む大衆心理が一段と強化されるかも。......

  また太陽が海王星にコンジャンクトし、火星がアセンダントに乗り、水星がアグニ(火の試練)とニアミスしながら順行に転じ、IC近くの3室(コミュニケーション全般)で金星・天王星・ファエトンがコンジャンクトする3月10日の満月期前後も要注意。

真実は非常に見えにくい。引き続き、デマ、流言飛語、フェイクニュース、情報の切り取りや操作は増加傾向。不安を抱えたこころはその不安を増幅させるような情報ばかりを好んで引き寄せる。スケープゴートに石を投げる行為や魔女狩りの松明行列に加わるような誘惑は避けて吉。建設的でない行為は巡り巡っていつか自分に戻ってくるから。

  集合心理でも個人レベルでも感情の起伏は激しくなりがちで、対人関係などちょっとした刺激に喜怒哀楽が増幅されるひとが増えそう。この新月・満月期は、社会的にも個人的にも、今年最初の大きな節目になるかもしれない。なので、この時期の過ごし方と自己の内的世界のありようは、今後数年間のスタートラインとしてとても大切だと思う。冷静さと温かなこころの両方を保ち、内なる力を蓄え続けることが鍵となりそう。前へ出ろ、行動しろ、何か言えと背中を押す力を強く感じるひともいるかもしれないけれど、けっして無理しないこと。基調としては全体の壮大な流れを見ていきたいとき。もし今まで勇気がなくてやれなかったことに一歩踏み出したいと思うなら、水星逆行中に過去の経験をふり返り、再吟味してみる。そして順行に転じても気持ちの変化がなかったら、ウォーミングアップ開始...くらいのつもりでいるといいかも。

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★3月 新月の星模様とチャレンジ ★

(主なアスペクトとスケジュールざっと)
 ※今回も個々のアスペクトについての解説は省きます。何か思いついたらその都度ツイートするかもしれません😉)

新月図 ASC:天秤座11°42 MC:蟹座12°58

新月とカイロン、BMリリスがコンジャンクト
新月と月のノード軸がTスクエア
  (ムーン・ウォブル/発効期は前後に4日〜10日間)
   山羊座4°のフォルスが新月とスクエアでSノードとコンジャンクト
土星が水瓶座にイングレス
  (5月11日 水瓶座1°57’から逆行、7月2日に山羊座に戻る) 
火星・木星・冥王星(とパラス)がタイトなコンジャンクトで
   水瓶座入りした土星とも星座宮の境界を越えてコンジャンクト
火星・木星・冥王星(とパラス)が牡羊座のエリスとスクエア
   そのスクエアを基底として乙女座のオルクスにクァドリフォーム
牡牛座の金星と水瓶座のセレスがスクエア
   ミッドポイント(MP)に新月が来る
天王星とフォルスがトライン
冥王星とキラルスがオポジション


  さぁ今回の新月も、かなり強力な面々がアスペクト中。今回の新月のテーマはノード軸との関連からすると「どこか奥底ではわかっていながらも、ずっと避けて遠回りしてきたような物事との直面」とも捉えられます。カイロンやBMリリスとコンジャンクトの新月は、前に進もう、勇気を持って出て行こうとする力と、どうしようもなく嫌だ!ここに留まっていたい...と感じる力がぶつかり合うような? なんとなく悩ましく、悶々としているようにも見えます。出て行くのが怖いというよりは、他者、外の世界(または自分自身)に対する一種の不信感のようなものかもしれません。一刻一刻と世界の状況が変化し、あちこちから不安や争いの声が聞こえるとき。少しでもひとりでいられるときを持てるなら、出て来る感情はどんなものでも抑えずに、柔らかく解放していくのが一番。喧噪をひととき離れ、ひっそりと楽しめることを見つけて。本当は殻を破りたがっている何かがそこにいる。でもまだもう少し、いわれのない哀しみや怖れを見てみる必要があるのかもしれない。今きっと、同じように孤独の中でひとり何かを見つめているひと達がいます。もしかしたら、一生会うこともない。それでも同じいのちの流れを持つひと達が。


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  一方土星は一度水瓶座入りし、山羊座とは異なる品位の高さを得て新しい観点から物事をマネジメントする方法をかいま見ています。けれどまだ本格的な動きにはならず、何かふと思うことがあったとしても認識するには至らないまま、もう一度山羊座でやり残したことを片付けに帰っていきます。そして天王星とトラインのフォルス、冥王星とオポジションのキラルスが COVID-19 の止まらない勢いを示す一方で、4室に固まるカプリコーン・ステリウムが牡羊座のエリスに刺激されます。なので内的な怒りや葛藤、何が正しく公正なのか?に対する疑心暗鬼に囚われたまま、鬱屈した想いを抱くひとがいるかもしれません。

安心を得たい。平穏に暮らしたい。けれど今は皆がそれぞれに自己主張を強めるとき。その声は何を主張するのであろうと、本質的には「自分はここにいる!」という、助けを求めるような叫びに似ているようにも思えます。春の陽光の中にひたひたと浸透する薄闇の中で、それがたとえつぶやくような小さな声であっても...。 そんなときのわたし達は多くの場合、外界(社会、または権力や権威的なもの全て)に対して「理解出来ない不条理なわたしの運命」を投影しがちです。そして自分が考える規範に従って整えられた道を求め、何か明確で断固とした言説を望むけれど、実際に断固としたことばを聞いたとたんに疑い始めます。きっと望んだ通りになんかならない。裏切られるかもしれない。ここしばらく、集合体レベルではそんなことの繰り返しが起きそうです。なぜなら年齢や階層に関わりなく、今は誰もが手探りのとき。そして今(とこれからしばらく)は、誰もが望もうと望むまいと、自分で気付こうと気付くまいと、どこかで正直な姿をさらし、それを見ている「わたし」もまた、その姿の中にくっきりと映し出されるときだから。


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  けれど他方では、こんな混沌とした状況の中で、ワクワクと胸を躍らせているひと達だっているかもしれません。こういう時こそ、燃えるひと。あるいは逆に、目前の状況に対応するために必死に動き続けているひと達も。新月図の4室(国土の状況や国民の心理)山羊座の第3ディーカン(と水瓶座0°)に集結したカプリコーン・ステリウムは、社会の集大成のようなエネルギーの中にあって、自分の足で立つこと、課された責任をまっとうすること、客観性の極みに立つことを要求してきます。ここには世の中を構成する全ての要素が象徴として詰まっています。それは社会的、民族・人種的、宗教的、政治的、経済的な物事に対する人間心理の全てとも言えるでしょう。

新月でこの位置に集まった火星、木星、冥王星、パラス、インシデンティア、そして水瓶座の土星。これらは今の時期、縁の下の力持ちとして働く全ての医療関係者や物流を担うひと達、政治や行政、企業の運営などでストレスフルな仕事をこなすひと達、仕事場や自宅で働く全てのひと達、あるいは仕事を失い不安のうちに今出来るかぎりのことをして凌いでいるひと達、そしてこのちょっぴり異次元にワープしてしまったような時をともに過ぎ越そうとしている全ての「わたし達」の姿を物語っているように見えます。


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  この山羊座ステリウムと乙女座のオルクス、蟹座のキラルス、魚座のネッソスとアグニで構成するウォリサムレクタングルは、自分には直接関わりのない物事に巻き込まれがちなエネルギーを象徴するものです。たとえば、他者が抱える問題の面倒を見なくてはならなくなる...そんな感じでしょうか。もちろん、仕事上どうしても必要なケースもあるでしょう。それでも気付かないうちにそれが「過剰」になり、自分を保てる一線を超えてしまわないように気をつけたいと思います。

冥王星族のオルクスもケンタウルス族のキラルスも、そして根深いカルマを意味するネッソスや理屈抜きに燃えさかる「火」の試練のアグニも、感情のとても深い部分に作用してくる小惑星です。ということは、ここでもし何か特別なこと(良くも悪くも)を体験するなら、長期で見れば自分が軽くなれる(自分が濾過されて自在になっていくような感じ)過程の一環かもしれません。それは祝うべきことだと思います。それでも、今はあまり頑張り過ぎると燃え尽きてしまう危険があります。「ほどほど」という感覚を大事にしていきましょう。


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  まぁなんといってもこの新月時は、東の地平線にちょうど小惑星ヘル(文字どおりWhat a hell! ― なんてこった!という経験)がぴたりと貼り付いているし、カプリコーン・ステリウムからオルクス(冥王星の影武者、冥界の渡し守、審判を下したがる)にセスキスクエアが形成されています。なので怖れをかき立てる悲観的な世界観を耳にする機会も少なくないし、過大な主語を使って断罪の斧を振り下ろしたくなるひとも相変わらず多いと思います。でもそんなエネルギーに乗せられて何を言おうと何をしようと、結局は自分自身に引き戻され、自分の中の不条理に直面することになるでしょう。これは対人関係、パートナー関係にも言えること。惑星達がそそのかす、そんなメカニズムに気付けるかどうかが、このチャートの持つ抑圧感を逆転させる鍵になりそうです。今は内的に自立した者同士だけが助け合えるとき。無条件で護ってくれる大人は、自分の内側にしかいない。うずくまってもいい。でも、内的宇宙にぽっかりと口を開けるブラックホールから目を逸らさないで。そこにこそ、「わたし」や「あなた」の全てがあるのだから。

  また、自分を良く見せたいという心理が働きすぎると逆効果になるかもしれません。わからないことは見栄を張らず、素直に聞いてみると良さそう。またもし今 重要な岐路にあると感じるひとがいたなら、やはり素の自分のまま、柔らかで傷つきやすいこころのまま、素直なまま、風のように在るほうが「狭き門」を通れるのではないかと思います。


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  また「自分自身であること」と「親であること」「面倒を見なければならない立場であること」「従うべきルールの中で生きること」の間で葛藤するひとがいるかもしれません。けれど、あまりに自分を抑えすぎると何かのきっかけで爆発するかも(たとえ爆発しても一線を超えずにいれば、それによってボタンを掛け違った場所に気付くケースも多いけれど)。 たとえ自分がやりたいからやっているはずのことであっても、無理が重なればいつか灰色の義務感に変わってしまいます。もしそれが、どうしても捨てられないもの、本当に大切なものなら。あれもこれもやらなくちゃと考えず、必要度の低い物事から切り捨てる。仕分ける。そして、一番大切なポイントひとつに集中する。それだけでも達成出来れば今はOK。それくらいの気持ちで十分かもしれません。疲れ果てて全てが嫌になってしまう前に、自分を縛るあらゆるルールや「べき論」を再吟味してみましょう。何もかも得られるようなときではないし、行き過ぎた使命感は、結果的に自分も自分が関わる相手も弱らせてしまうかもしれません。実際的な目標に狙いを定めて。その範囲で本当に良質なもの、こころを込めたものをひとつ。今はそれでいいと思います。


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★惑星スケジュール★

4月1日:水瓶座入りした火星が0°台で土星とコンジャンクト
4月4日:山羊座24°台で木星・冥王星がコンジャンクト
 (都合3回起きるうちの初回)
月8日:天秤座18°43’で満月!

これから先もかなり凹凸の激しい道程が待つのでもう少し長期的に見てみると…

4月3日~6月2日:牡牛座29°台から金星がアウトオブバウンズ(OOB)
 5月6日にOOB最大角27°48’
 5月13日: 双子座21°台から金星がOOBのまま逆行開始
  夏至を経て6月25日、双子座5°台から順行

5月14日:山羊座27°台から木星が逆行開始

5月17日~6月10日火星が魚座2°台でアウトオブバウンズ(OOB)
6月18日~7月12日水星が逆行開始

 5月17日~6月2日金星と火星のダブルOOB期
 5月25日金星・火星がOOBでパラレル
 月27日:火星がOOB最大角25°40’
 6月18日~夏至~25日金星と水星のダブル逆行期

6月21日:夏至と同日に起きるNノード金環蝕 蟹座0°21’


 ここでちょっと脱線して少し長期的に見てみると... 5月に入ってのこの動きは、それまでにもしもCOVID-19の感染まん延が峠を越したように見えていたと仮定しても、このあたりで再び新たな何かが浮上することを示唆しているように感じられます。それがウイルス感染に関することなのか、または経済に対する打撃が各国内部でより鮮明に形を取りはじめ、不況や恐慌への怖れとそれに対応する景気浮揚策の中身に関心が集まるのかは不明だし、その両方、または別の事柄が浮上する可能性もあるでしょう。いずれにしても、この時期はお金や資産、リソース(「体」に対する意識も含めて)に対するわたし達の価値観が根底から変化していくとば口になっていくのかもしれません。

また6月21日夏至当日は蟹座0°台の新月と重なり、アフリカ~アジア圏で見ることの出来る金環蝕(サロス137)が起きます(日本からは部分日食)。このとき水星は逆行中、金星は順行開始前の滞留期。新月と土星はクインカンクス、そして山羊座の木星・冥王星のコンジャンクションと牡羊座のエリスがタイトなスクエア。詳しくはそのときに書くことになると思うけれど、一連のサロス・シリーズの中で、これはかなり強力に感情面を刺激してくるタイプの食だと思います。

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以下は22日に書いておいた部分ですが、23日になって急展開があったようですね。そして今日24日、オリンピック延期のニュースが出ました。なので後追いのようになってしまったけれど、せっかくなので一応掲載しておきますw。ちなみに仮に2年後に延期となった場合、今年と同様の日付けで見る限りいろいろあるにしても今よりはずっと穏やかです。


  こうした星回りの下で、7月に予定されている東京オリンピックを変更なく開催するのはとても無理だと思うけれど。それでもIOCの収入源の7割はオリンピック競技の放映権であることを考えれば、そう簡単に中止や延期を決めることは出来ないだろうし、現在水面下で様々な可能性を探っているはず。おそらく2013年に開催国として選ばれた日本としては、たとえ内心は無理だと承知していても、自ら率先して中止や延期を言い出すことは出来ないでしょう(日本の経済損失は中止なら7.8兆円、延期でも6000億円を超えるという試算が出ているとか)。


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  世界中が経済的損失の不安を抱く中で、事情はどうあれ国際的組織の巨大な損失を確定させる事実を自ら決定付ければ、コロナ感染拡大を統制しきれず早々に音を上げたと印象を演出され、責めを負う方向に持っていかれる可能性があります(今の星回りの下で各国の雰囲気やメディアの論調を見るかぎり、国際間の政治・経済問題に正当な論理はあまり期待出来ないので)。どんどん手に負えなくなる状況の中で世界が一斉に自国第一となって境界線を引く今。もしそんな雰囲気を醸成されたなら、たとえあからさまな形態をとらなかったとしても、弱さや汚点として日本の立場を損ない、打撃をより大きくする可能性はあると思います。  そしてそれは、国民の生活に直接的・間接的に大きな影響を与えます。

なので今、見えないところで相当の駆け引きや調整が行われているのかもしれません。日本としては「精一杯の努力を払ったけれど最高機関であるIOCが決定したからには、世界の状況と選手達の苦難を鑑み、やむなく延期(または中止)を承諾する」...的な形を取るのが最も傷が少ないだろうと思います。...って、これはもちろん政治的な憶測でしかないけれど。それが今ここまで来て、日本政府や組織委員会が頑なで一点張りの「完全な形での開催(“予定どおり”とは言ってない)」という主張を繰り返す真の理由ではないかと思います。いかにもASC山羊座、MC天秤座に海王星を抱く国の戦略っぽいですね。


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  IOCの設立図を見ると、今現在トランシットのカプリコーン・ステリウムがIOCネイタルの水星とオポジションを形成しています(精度は低いけれどサンライズ・チャートでは水星が2室/資産、カプリコーン・ステリウムが8室/債務)。またトランシットのカイロンがネイタル10室の月のNノードとコンジャンクト。そしてオリンピック開会式予定日にはネイタルの太陽とフォルスがオポジション。うーん... これはちょっと。

日本にとって、オリンピック中止はもちろん、延期にしても、全方向的な困難と損失が予測されます。オリンピック開催地が東京に決まった当初も賛否両論はあったけれど、これで国としての当面の目標が決まったように見えました。けれど今さらながら、決定当日のトランシットを日本の戦後始原図(1952年4月28日午後10時半/サンフランシスコ平和条約発効)に重ねてみると...

選考結果の発表が始まった時(日本時間2013年9月8日午前5時過ぎ)にはトランシットの月がMCと海王星にコンジャンクトしており、同じくトランシットの火星と土星が4室・10室ネイタルの太陽・火星オポジションにタイトなTスクエア、そしてトランシットのノード軸と小惑星レクイエム、グリーヴがそれぞれネイタルの太陽と火星にコンジャンクト。始原図3室(コミュニケーション、メディア、近隣国との関係)の水星(ネイタル6室/国民の健康、医療、労働市場、軍事と9室/外交を支配)にはトランシットの天王星(突然の変化)がコンジャンクト。そしてネイタル1室(国と国民のアイデンティティ)のカイロンにはタイトなTスクエアを形成していました。


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  またネイタル8室(国の負債、死亡率)のカスプにトランシットの火星が乗り、ネイタル7室(同盟国、友好国)の天王星(2室/財政を支配)にはケンタウルス族のキラルス(突然の災い、無辜の死)と木星がコンジャンクト。極めつけはネイタル2室(財政)のNノードと小惑星アグニ(火の試練…)にカルマの精算を意味するケンタウルス族のネッソスが、ネイタル4室(国民の状況やムード)のネッソス(カルマの清算)には小惑星インシデンティア(事のきっかけ)が、それぞれピタリと乗っていたことかもしれません。これは前途に待つ財政や健康医療面での苦難と不安定さ、それらにまつわる予測不能な報道やメッセージに起因する国全体を覆うフラストレーションを示唆していたように読めます。

  それでも、発表のときに始原図ネイタルの8室ヴェスタ(聖なる火)にトランシットのヴェスタがリターンしていたことは、実情はどうあれひとつの「使命」を請け負ったことを象徴するものです。また、このトランシットは突破すべきカルマの訪れと、未来に向けた精神的脱皮を促す構図であるようにも見えます。

中国でCOVIT-19が発生したのは去年の秋~11月ごろと言われるけれど、それが世界に明確に浮上してきたのが12月26日の日蝕と1月12日~13日の土星・冥王星コンジャンクションあたりだとすれば、その影響は少なくとも1年。強力な日蝕なら、徐々に衰えながらも3年は続く(稀に最長6年という例も)と言われます。すでに世界中でリーマンショックを超える規模のレイオフが起きつつある現状で、日本という国がこれをどう耐えて持ちこたえ、古い殻を破っていけるのか? 


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  全てが通るべき道であるなら、とにもかくにも、わたし達は通っていきます。犠牲となった方々が出ているとはいえ、少なくともこれまでのところ、日本は国としても国民総体としても、COVID-19の脅威によく持ちこたえています。もちろん今もいろんなひとがいて、いろんな噂や見通しが流布されているとしても、今とこれから先の数ヵ月が本当に要の時期であることに変わりはありません。国にとってはこれ以上犠牲者を増やさないこと、しかるべき手立てを講じて出来るだけ上手く経済を回していくことが今出来ることの全てかもしれません。それも早急な手当が必要なこと、段階を追いベストのタイミングを見計らって対処すべきことの両方の時宜を睨みながら。ここでタイミングを誤れば、被害はより増大しそうです。

もしかしたら、このCOVID−19 関連の流れには5月半ば〜6月初めあたりに山場、あるいは何らかの変化が訪れるかもしれません。また夏至と同じ日に起きるNノード金環蝕の位置は戦後始原図のDC上です。ノースノード・イクリプス(未来に向かおうとするエネルギー)であるこの蝕がDC上で起きるということは、同盟国である米国(および準同盟国)との関係性や、それに関わる国全体の観点が今後数年をかけて変化していくことを示唆しているようにも思えます。


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  またもう少し先を見るなら、土星の本格的な水瓶座入りを控えた今年12月15日には、とてもスペシャルなサロス142のサウスノード日蝕が起きます。アスペクト的にはこれもかなりの厳しさがあるし、過去との関係性に絡む挑戦的なテーマを持つ度数ではあるけれど。でもサロス142自体が持つ特質からすると、もしかするとこのあたりで何かクリエイティブな発見、またはインスピレーションや深い洞察が大きく働きかけてくるのかもしれません。その結果が本格的に日の目を見るのはもう少し先だとしても。社会としても、個としても、壁を破って一歩外に踏み込むことで道が開けてくるような感じ。何か困難なことやショックな出来事が起きても、それを乗り越え、それをきっかけに大きく転換していくような感じ。その本質は、外に向かって...というよりも、自分の “本来あるべき場所と役割” に向かって目覚めていくような感じに見えます。これは社会的にも、わたし達個人レベルにも作用するでしょう。それが具体的に何を指すのかはまだ見えないとしても...。

いずれにしても今受けている挑戦は、そのフォースが全て衰えるまでけっこうな長期戦になると思います。象意の一部にウイルスの毒性という意味があると考えられるケンタウルス族のフォルスが12月26日の日蝕で強化された度数、山羊座4°台を逆行で抜けるのは、今年5月後半。そして再び戻って順行で抜けるのは2021年の12月末。なので、もしもこのフォルスが他の主要惑星とともにCOVID-19に関連するとすれば、しばらくの間 不安定な状況は続くのかもしれません。けれどそこには山や谷があり、その移り変わりを経ながら影響力は徐々に鎮まっていくでしょう。わたし達人間が、あるときは闘い、あるときは凌ぎ、また右往左往したり踊ったり手探りしているうちに、疫病がもたらすフォースの圧力は徐々に衰え、真新しい力が生まれてきます。だからこそ今は、日常を大切に、適度に肩の力を抜きつつも 慎重に星々と渡り合い、体の声を聴きながら、日々を過ごしていければいい。それが生きることの基本だし、いつだって基本に立ち返ってこそ新しい大地に立てるのだから...。


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  この新月は、特に3月20日〜28日くらいまで特に強い影響を及ぼすとされるムーン・ウォブル(月のノード軸と太陽のTスクエア)です。これは十字路または岐路を意味し、集合的にも個人レベルでも、「これまでわかっていながら出来なかったこと」「変えられなかったこと」を変え、突破するための試練が起きるとされる地点です。そして、ここで必要な調整が行われずに過去からの流れが続いてしまえばもうそれを止めることは出来ず、危機的な状況に向かう...そんな地点だと言われています。とはいっても、ムーン・ウォブル自体は半年に一度は起きるので、本来はそれほど重いものではありません。ただ、他の惑星同士のアスペクトが重なって働くケースでは、ときに大地震や社会騒乱などかなり強い揺れ(ウォブル)を起こすことがあります。今、過去を象徴するSノードとフォルスがコンジャンクトしていることからすれば、やはりこの新月期は現在の世界的なコロナウイルスとの闘いと、これに付随する社会的混乱の中でわたし達が直面すべき「岐路」を意味しているのだと考えざるを得ません。そしてその中で生きるわたし達ひとりひとりの人生の中にも、きっと見つめるべき何かがあるのだと。

あ。気付いたらやっぱりかなり脱線してしまったようです。しかも時間があまりない!😱
では続けてシンボルに行ってみますね。


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★3月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
牡羊座4°『人里離れた道を散策する二人の恋人達』


  ここは街の喧騒から遠く離れた森の小径。生い茂る木々の間をぬうように拓かれた散策路。聞こえるのはただ梢を渡る風の音、鳥達のさえずり、小川のせせらぎ。木々の間からは煌めく陽光が射して、小径に複雑な陰影を描いてる...。そんな中を、今 一組のカップルが散歩しています。うーん、なにかとてもロマンティックな光景に思えるけれど。でも、ここはアグレッシブな牡羊座に入ってまもない位置。ならばそれほどふんわり気分でもないのかな?


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  B.ボヴィはこの情景を対向度数のシンボルと対比させ、「対人関係」という括りの中で「グループ・アイデンティティ」から離れ、「自分自身」をさらけ出したいと欲するこころの動きを強調していると読み解いています。そう、対向度数である天秤座4°のシンボルは『キャンプファイアーを囲むグループ』なんです。じゃ、この恋人達はもともとたき火を囲む集団の一員で、人目を忍んでこっそり抜け出してきたのかも? そう考えてみると、みんなのこころに何かそれぞれのストーリーが浮かんでくるのではないでしょうか?

牡羊座のメイン・テーマは「わたし」の追求です。獅子座もまた「ミー・ファースト」の星座宮だけど、そこには「わたしを囲んで存在する他者」という意識があります。獅子座の「わたし」は、牡牛座で物質の価値を味わい、双子座で知識を追い、蟹座の家やテリトリーの中で自分と向き合った後に、とりあえずてっぺんに上って王様や女王様になった「わたし」という原理。けれど牡羊座の原理は、もっとプリミティブでナマなかたちの「わたし」。自分のアイデンティティを求めて外界に向かい、本能的に手を伸ばしていきます。考えるより先に、飛び出す。立ちはだかるものがあれば向かっていく。それが熱いのか、痛いのか、どんな味がするのかわからない。だから触ってみる。それは知識を求めての行為ではなく、存在の全てを使って「わたし」を体感し、ひとりの人間としての存在意識、自らのアイデンティティを固めていくための行為です。なので獅子座が「ミー・ファースト」なら、牡羊座は「ミー・オール」と言えるかもしれません。


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  これに対し、天秤座の原理は「わたし」が「初めて本格的に他者と直面する」領域です。「わたし」と「あなた」。あるいは社会的な意味では「あなた達」。だからテーマは「バランス」。仲間内での暗黙の了解を理解し、空気を読むことを覚え、全体が上手くいくよう気を配ることが大切になります。そして、そこで初めて「グループとしてのアイデンティティ」が生まれます。マンデーン・アストロロジーでは天秤座のナチュラルハウスである7室を「同盟国」として読みますが、そこにはこうした共通原理が存在するんですね。

  じゃ、人里離れた森の小径を散策する恋人達は何を想っているんだろう? 人目を偲んで愛し合う二人は、今まで他人の前では出さなかった自分の本当の気持ち、本当の顔を相手に見てもらいたいと望んでいるのかもしれません。そして相手の本当の気持ちを知りたいとも思っています。もっと知りたい。もっと知ってほしい!...見つめ合う二人。恋人達は燃える想いに駆られるまま、森の小径をもっと奥へ、未知の領域へと分け入っていきます。キャンプファイアーを囲む仲間達のさんざめきは、もう聞こえない。かき鳴らすギターの音や調子っぱずれの歌声も、なにも聞こえない...。でも、本当の「わたし」は、ここにいる!


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  原文の「secluded walk」(人里離れた散歩道)の「secluded」は、「他の人と交わらない」「隔絶した」という意味を持ちます。また「strolling」はギリシャ語の「strollen」から来ていて、「さすらいびと」を意味するのだそうです。つまりこのシンボルに描かれた恋人達は、自分が属している社会的な集団からひととき抜け出し、もう一度「本当のわたし」を求めてあてどなく彷徨う、わたし達の「自我」を象徴しているのではないでしょうか?

  わたし達は常日頃から、自分が属する社会的集団のアイデンティティを身に纏っています。それは一つとは限りません。母国、人種、民族、地域、家族、性別や性的指向、学歴、職業、社会階層や思想、年齢層... 無数の枠組みから与えられたグループ・アイデンティティ。意識しようとしまいと、わたし達はときにはそれに護られ、ときにはともに闘い、またときにはそれを憎みます。危機のときは一団となってこころを合わせ、助け合う。それが安全な道であり、身を護る術なのもわかってる。けれどそれは、たぶん本当の「わたし」とは違う。互いに沢山の妥協を積み重ね、ときには自分を殺して耐えなければならない。それに、グループの中には不公平にラクをしてるヤツだっている。なぜ自分だけが? 良い人であろうとしてきたけど、もう疲れた...。

そんなふうに感じたとき、わたし達は人里離れた森の小径をさまよう恋人達に憧れます。自分の思うままに、自由にどこへでも飛んでいきたい! 束縛されたくない! 今がどんなときか、どうすべきかなんてわかってる。でも、たまには全ての義務から解放されたい! 


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  今、わたし達の目の前に深い森へと続く小径が見えます。背を向けた後ろから聞こえてくるのは、キャンプファイアーがパチパチと音を立てて燃える音。ひとびとのお喋りや歌声、ときには喧嘩腰の罵声まで。暮れなずむ森。これから夜がやってくる。今なら、誰にも気付かれずにグループから離れ、本当の「わたし」を探しに行けるかもしれない。それは隔絶された、未知の闇へと続く。護るべきものもなければ、護ってくれるものも、ない。さぁ、どうしよう?

じゃ、メインのテーマを覗いてみましょう。


新月のメイン・シンボル:
牡羊座5°『翼を持つ三角形』


  翼を持つ三角形? それって何だろう? 三角形は3本の直線からなる、図形の基本的なかたちです。2本では閉じた図形を創れないし、1本足して3本の直線で創れる平面図形はこのかたちにしかなりません。もし「わたし」というそれぞれの「個」を「閉じたひとつの存在」だとするなら、三角形はこの世界を生きる「自分/自我」の基本的なかたちだと言えそうです。でもこのシンボルでは、厳正な幾何学的条件で成り立っているリジッドな「個」に、なんと翼が生えています。うーん、もしかするとそれは、わたし達それぞれに備わった「思考の翼」を表しているのかも? 右と左、二枚の羽を羽ばたかせて「飛ぶ」能力を持つことの意味。 “wing” はそのルーツが風を意味する “wind” ということばと近い関係にあるそうで、ここには風に乗って気ままに飛び回る手段を得たわたし達の姿、いえ、というよりは こころ=自我 の状態が示されているように思えます。


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  高さが変われば見える風景も変わる。羽があれば、暗い森もひとっ飛び。遠い見知らぬ街にだって飛んで行ける! それは幾何学のように固く厳しく規定されたルールを軽々と飛び越え、まるで今までの自分を超越したような感覚です。これまではあまりに遠くて一生縁なんかない、無理だ...なんて思っていたけど、羽ばたいてみたら本当は何だって出来るのかもしれない。あぁ、もしかしたら...コンピュータ・テクノロジーという羽を得て仮想世界に足を踏み入れたわたし達は、すでにゲームやSNSを通してちょっぴりそんな気分を味わっているのかもしれません。「わたしが考えた素晴らしいわたし」。それが実体を持たない世界のかりそめの自由だったとしても、たとえひとときのゲームに過ぎなかったとしても “電子の世界” では何にでもなることが出来ます。

  でも、だからといって「三角形」そのものが形を変えるわけではありません。リジッドに閉じられた「わたし」はそのまま。イマジネーションの中では、ルールに縛られた世界でキャンプファイアー(みんなで護る聖なる火)を囲むひとびとをはるか下に見ながら自在に飛ぶことは出来ても、実際に社会的な生き物としての形を変えることは出来ません。人間が人間であるための基本的な決まりごとも、社会に護られて生きていくための条件も、たぶん変えることは出来ないし、本当はきっと、変えたいとも思っていない。ならばわたし達は、思考の羽を羽ばたかせて空高く舞いながら、ただ自分が本当にフィット出来る集団、信じることの出来るキャンプファイアー、「聖なる火」を探し続けているのかもしれない...。


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  それでもこの三角形の中身を、自分自身という「知覚」や「概念」の集積を、変容させていくことは出来る。 あるひとはより柔らかく、あるひとはより堅固に。ときには詩的に、透明に。あるいは一瞬、空っぽに。また別のひとは飛び回った場所のデータをきっちり詰め込み、それをいつも咀嚼しながら自分を変容させてる。「自分」という三角形はひととは違う。同じ三角形だけど、みんな違う。そしてみんな、人生の中で何かにぶつかったとき、思考の羽を伸ばし、羽ばたき、考え、感じて、その都度の真実、自分の真実を見つけていく。たぶんそれは、自分だけのもの。たとえみんなが並んで同じ火を見つめていたとしても、見ている火の色は、それぞれに違う。それでいい。もし、みんなが互いにその火から暖を取り、森の獣たちから身を護り、ひとときを無事に楽しく過ごすために集っているのだということさえ知っているのなら。

  それでも、人里離れた森を散策しようと離れていくひとはおそらくいるでしょう。数は少ないけれど。彼らは常に新たな「火」を求め続けるさまよいびとです。彼らは闇にまぎれた獣たちにいのちを捧げることになっても後悔はしないし、誰かに助けを求めることもなく、文句を言ったり恨むこともないでしょう。それもまた、道。それもまた、絶望など突き抜けてしまった生の姿です。


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  では、わたし達はどうでしょう? 自分にフィットしたキャンプファイアーを探し、みんなで囲むか? それには常に経験を通して自我を成長させ、ある理解に達するための努力が要ります。それは三角形の内奥を変容させていくこと。それに疲れてフラフラと小径に出れば、孤独に迷って誰かに助けを求めたり、居心地悪いと感じていたはずの場所に逃げ帰ることになるかもしれません。うーん、考えてみると、どちらも厳しい道かもしれないなぁ。結局、わたし達は「グループ・アイデンティティ」と「本当のわたし」の間を一生揺れ動きながら生きていくのかもしれません。

でも。わたし達は、それぞれに、実はどこかでわかっているはず。自分の本当の居場所がどんなところかを。どんな「火」を求めているかを。

それはもしかしたら、外の世界にも、いえ仮想世界にさえ、有りはしないのかもしれません。このシンボルを補完する対向度数、天秤座5°のシンボルは『真実の内的知識を教えるひと』です。そこに象徴される「真実の内的知識」とは何なのか? もしかすると、そのことばが究極に意味するのは、わたし達の内的宇宙に燃え続ける「永遠の火」ではないでしょうか? たぶんそれは、自我の「わたし」という三角形が燃え尽きたあとに立ちのぼる、微かで透明な炎かもしれません。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^




hiyoka_blue at 14:27|PermalinkComments(0)

February 23, 2020

🌑2/24の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  2月24日0:50前後、北海道周辺で 0:56前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は0:31頃、沖縄周辺では0:01前後に魚座 04°28’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココ、満月はをココご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♓️魚座04°~05°― 発効期:2/24~3/23 】
🌑🌞”Heavy traffic on a narrow isthmus”
   『狭い地峡の交通渋滞』
            
🌑🌞”A church bazaar”
   『教会のバザー』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
 ※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
 ※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。

 
→★目的へと向かう細く険しい道の途上で寛容さや寛大さを試される経験
→★強力な感情の爆発や “こころここにあらず” から起きる無意識の事故に注意
→★文化や人種という厚い壁を無垢な子供のような遊びごころで乗り越える必要
→★肩書き、外見、ことばや雰囲気に惑わされず、真っ直ぐにひとを見通す力
→★ありのままの物事をそのまま受け止め、それでも幸せと平穏を見出せる器を磨く
→★起きていることの光と影、両側面を知りながら自分を貫くひと筋の流れを信頼する
→★自分の観点にこだわり過ぎて他者が見る「事実」を受け入れられない傾向に注意
→★本当に価値ある物事は「耐えて待つ」だけの値打ちがあるという真実
→★物事はいつも想定外の領域から予測を超えてやってくると知りつつ平常心で構える
→★リアリティを超えた世界で全てが一つの家族となるような夢を創造的に活かす
→★オープンなこころと態度を貫き、和解不能な相違を乗り越えていくための力と挑戦
→★つまらない物や見えないもの、取るに足らない存在の中に聖なる意味を見出す
→★外面的で理屈上の包括性とは極北の「ひとつ」であることの真の意味を知る必要
→★「お手盛り」の報酬やイージーな見返りに飛びついたり期待することの愚かさ
→★落ち着いて物事の流れを見据え「正しく行間を読む」ことを心がける必要
→★ただ自分自身にのみ眼差しを向け、目前の深淵に飛び込んでいく
→★時をかけて耐え、自己の内部で鍛えてきたことばにならない力を信頼して進む
→★不思議さに驚嘆し歓びを感じる感性とユーモア精神で難関を乗り越えていく・・・→


エネルギーのポイント:前回の新月『沈着、休止、見直し、静的発進』
             
            今回の新月淀みと荒波の中で冷たい月の浄さを保つ』                 
            
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★2月新月の星模様とチャレンジ ★

(主なアスペクトとスケジュールざっと)

ASC:射手座1°58 MC:乙女座14°16

新月とキラルス(無辜の犠牲)がセスキスクエア  
新月とグリーヴ(悲哀)がクインデチレ、グリーヴとルシファーがセミスクエア

山羊座の火星・フォルスのコンジャンクションが牡牛座の天王星にトライン、カイロンにスクエア
火星・フォルスが双子座のアスボルスにクインデチレ
火星とフォルスは12月26日の日蝕の位置にきており強化されている

 火星・フォルスのコンビネーションがここで強化されることから、新型コロナウイルスの勢いがまだしばらく衰えないことを示唆すると思われる。突然浮上する物事、噴出する感情に注意

牡羊座の金星・山羊座の木星がスクエア
金星・木星スクエアのミッドポイント(MP)に新月が来る
(本音や本性が露わになりやすい、状況の見極めが困難になる、他者の分まで負う過剰な責任とそこから来るストレス、緊張感に注意)

MCに小惑星ハザード(危機、臨戦態勢)がコンジャンクト
逆行の水星・冥王星・オルクス・キラルスでウォリサム・レクタングル形成

木星・海王星がセクスタイル
(非常に流動的な状況、押しと引きの読み誤り注意、真の出番を待って吉)

土星・カリクロとファエトンがスクエア
(見たいことだけ見る、聞きたいことだけ聞く傾向が強まるのでミスに注意)

冥王星と蟹座のキラルスがオポジション(超長期)

水星とネッソスがオルクスにオポジション、グリーヴにクインカンクス

2月26日:火星が月のSノードにコンジャンクト、BMリリスとでTスクエア
      :水星逆行の中日
2月28日~29日:金星・エリスがコンジャンクト、冥王星にスクエア
月1日~2日:太陽・ネッソスがコンジャンクトでオルクスにオポジション
3月3日:火星がOOBを外れ通常に戻る
3月4日:金星・土星がスクエア
3月6日:カイロン・フォルスがスクエア、金星・ファエトンがコンジャンクト
3月9日:金星・天王星がコンジャンクト

そして
3月10日02:48 乙女座19°37’で満月!
  (ASCに火星がコンジャンクト、水星順行)


≪ これからの流れをざっとメモ的に ≫

  この新月は火星が2019年12月26日の金環日食の位置に乗ってエネルギーチャージ。その後火星は月のSノードを通って3月20日からカプリコーン・ステリウムに合流。木星、冥王星とのコンジャンクトを終えて4月1日には水瓶座0°台で火星・土星のコンジャンクションが起きる(この位置はいくつか存在する中国建国図の一つではアセンダント<水瓶座1°台>の直近となるため、この時期に何らかの事象または変化が起きるかどうか見ておきたい)。

また同時に、山羊座を運行する木星が冥王星とパラスにコンジャンクトしていく。そして蟹座のキラルス、牡羊座のエリスが加わってTスクエアを形成、また乙女座のオルクスとはトールのハンマー/クァドリフォームも形成する。そのため、これからの1ヵ月は世界中にかなり強力な出来事が起きてくるかもしれない。この期間は引き続き新型肺炎のような疾病のほか、地震、噴火、激しい気象などの自然災害や事故・事件、火災、テロ行為の危険期。そして激しい政争や、審判と断罪を望む大衆心理が一段と強化されるかも。

  また太陽が海王星にコンジャンクトし、火星がアセンダントに乗り、水星がアグニ(火の試練)とニアミスしながら順行に転じ、IC近くの3室(コミュニケーション全般)で金星・天王星・ファエトンがコンジャンクトする3月10日の満月期前後も要注意。真実は非常に見えにくい。引き続き、デマ、流言飛語、フェイクニュース、情報の切り取りや操作は増加傾向。不安を抱えたこころはその不安を増幅させるような情報ばかりを好んで引き寄せる。スケープゴートに石を投げる行為や魔女狩りの松明行列に加わるような誘惑は避けて吉。建設的でない行為は巡り巡って自分に戻ってくる。

  集合心理でも個人レベルでも、このエネルギーに触れると感情の起伏は激しくなりがちで、対人関係などちょっとした刺激に喜怒哀楽が増幅されるひとが増えそう。火星とフォルスが強化されるので、お酒の飲み過ぎや薬物(アレルギー反応なども含む)要注意。この新月・満月期は、社会的にも個人的にも、今年最初の大きな節目になるかもしれない。なので、この時期の過ごし方と自己の内的世界のありようは、今後数年間のスタートラインとしてとても大切だと思う。冷静さと温かなこころの両方を保ち、内なる力を蓄え続けることが鍵となりそう。

喜怒哀楽の喜と楽は大いに楽しみ、もし怒りを感じたら天に向かってツバを吐き、そのツバが怒りの対象と自分の頭の両方に怒濤の滝となって落ちてくるところまでを見届けて笑ってほしいところ(単なるイメージです)。そして哀は...もし出来るなら、自分の体にこの瞬間も燃え続ける火を思い出して、そっと温めてあげてね。

前へ出ろ、行動しろ、何か言えと背中を押す力を強く感じるひともいるかもしれないけれど、けっして無理しないこと。基調としては全体の壮大な流れを見ていきたいとき。もし今まで勇気がなくてやれなかったことに一歩踏み出したいと感じるなら、水星逆行期に一度過去の体験をふり返り、踏み出せなかった理由、それを何故変えたいのかを再吟味してみるといいかも。そして順行に転じた後も進む気持ちが変わらないなら、ウォーミングアップ開始…!くらいのペースでもいいんじゃないかな。


…と。この後、最後に新型コロナウイルスとケンタウルス族の小惑星フォルスとの興味深い関連について書くつもりだったけど...そろそろ力尽きてきたので、たぶん数日中に別立ての記事としてUPすると思います。😓


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★2月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
 魚座4°『狭い地峡の交通渋滞』

   さて今回の新月、ベースとなるシンボルは魚座4°『狭い地峡の交通渋滞』です。この「地峡」とは、たとえば大陸と半島を結ぶ細長い架け橋のような形の陸地。ちょうどボトルネックになるような地形です。海に向かって拡がった半島には、きっと素晴らしい眺めのビーチや素敵なテーマパークがあるのかもしれません。みんながそこに行きたがる、夢が満載な場所。 何の心配も不安もなく、思いっきりリラックスして羽根を伸ばせるところ。

けれどそこに通じる細い道は、今や観光バスやらキャンピングカー、家族連れやカップルを乗せたマイカーなど沢山の車で大渋滞。もう何時間同じ所に止まっているでしょう? なんだかもう、永遠に行き着けないような気がしてきました。わたし達はイライラしながらフラストレーションを溜め込んでいきます。目指すあの場所に着きさえすれば。あともう少しで何かが掴めるかもしれないのに。夢に手が届きそうなのに。安心出来て、全てが解決するのに。邪魔な車がみんないなくなればいい。何故こんな日に皆、こんな所にいなくちゃいけないんだろう?


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   わたし達の目の前に、たった1本の狭い道、先行きの見えない道しか存在しないことがあります。どうしようもない現実に嫌気がさしても、その道から外れられないときがあります。何故だろう? 気付こうと気付くまいと、自分自身が選んでそこまで来たはず。そこに居るはず。 それとも、自分ではどうすることも出来ないままどうしようもない流れに押されて何故かその道にみんなと一緒に並んでいるのでしょうか? 本当に?

その道は、わたし達の精神そのものを物語っているのかもしれません。自分で選んだ考え方、方法論。頑張って到達しようとしている境地。あるいは、そこを目指せば何とかなると予測して選んだ道。でも、なかなか辿り着けない。行き詰まってしまった。それでもその道一本に集中し、忍耐をもって遅々としながらも頑張って進んで行くのか? 本当は永遠に辿り着けないんじゃないのか? 自分の選択は本当は大きな間違いで、そんな能力なんて最初からなかったんじゃないか? あぁ、疲れた。 何だかイヤになるなぁ。倦怠。またはどこからともなくやってくるブルーな気持ち。別の道、別の過ごし方を選んでいれば、今頃は……。いや待てよ?だいたいこの道を勧めたのはアイツじゃないか。そうだアイツのせいだ。こんなに大変だなんて誰も言わなかったじゃないか! 


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  刻々と時は過ぎ、日は翳り、あたりは少しずつ暗くなってきます。夜になったらどうしよう… だいたいこんな身動き出来ない状態で万一地震でも起きたら逃げられないよ… 苛立ちと不安で思いは千々に乱れます。ふと見ると、先のほうで我慢しきれなくなった一台の車が脇の木立へと入っていくようです。でもスマホのマップで確かめても、そこには道など表示されてない。迂回路もないはず。ん?新しく林道でも出来たのかな? 思い切ってその車に付いていってみるか? どうしよう? 一台、また一台と釣られて列を離れる車が目に付く。けれど彼らがどこに辿り着くかは誰にもわからない。もしかしたらそれは、夕暮れのあやかしが誘う幻の道? 二度と戻れない崖っぷちへの道?

  狭い道で交通渋滞にはまったとき、わたし達は目的地と時間の制約に縛られてついイライラしがちです。けど苛立ちや怒りは今、とても危険。意味のない争いで傷ついたり、大きな事故の元だから(実際、魚座4°のシンボルは大小様々な「事故」に関わるケースも多く見られます。しかも今は水星逆行中でOOBの火星は暴発のフォルスとともに去年の日蝕の位置に。転んだりぶつかったりしないよう気をつけてね)。


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  今、わたし達は渋滞した狭隘路に閉じ込められてしまった。でもそれは、ただ予定外のことが起きた、本当はそれだけ。おそらく他の沢山の車も、予定外にこの道で止まってる。みんながそれぞれに、いろんな思いを抱いてそこにいる。それだけ。物事は遅れる。これから先も何があるかはわからない。でも、ただ、それだけ。

『いや、それじゃ済まないんだよ! あれもこれも、予定がめちゃくちゃだ。どうしてくれる!』

うん、そうかもしれない。でも、済まないならそのときは。きっと「わたし」はその済まなさにちゃんと対応してるんじゃないか? 余計なことは考えず、必死に。または相変わらずブツブツ言いながら。それとも「わたし」は、落ちこぼれてそこにうずくまったままだろうか? そうじゃないだろう。何があってもなくても、その一瞬一瞬、「わたし」は「わたし」として、持てる力を振り絞って何かをしている。あるときは怒りにまかせ、アクセルを思いっきり空ぶかしして前後の車に怒号を浴びせられ、あるときは待ち合わせていた相手に平身低頭で電話する。またあるときは... ただ何もしないことを、してる。泣きながら、怒りながら、失望しながら、笑いながら。懸命に。あるいは淡々と。けれどたぶん、それもあれも、どれもがみな、今という日常のひとコマ。そのひとコマひとコマが実はいったい何なのか、真の意味を与えられるのは、たぶん「わたし」しかいない。


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  このベース・シンボルを補完する対向のシンボルは乙女座4°『白人の子供達と遊ぶ黒人の子供』。沢山の白い子供達と、たったひとりの黒い子供。白と黒、黒と白。その際立つ見かけの差など気にもせず、一緒にキャッキャと遊んでる子供達。いや、そんなんじゃないのかも? 彼らはただ、その「差異」さえも互いに楽しむことの出来る、“遊びの達人”なのかもしれません。

ならもしかして、この世の扉を開けて出て来たばかりの自分に戻れたとしたらどうだろう? そんなことをちょっと想像してみる。本当に、何でもない赤子のような自分。この世で最初の他者である親、家族との触れあい、そのインパクトが起きる以前の裸の自分。そこには見えない道が無数にあったのかもしれない。いや、それは「道」でさえなかった。一本の整備された道があるなんて、本当は幻かもしれない。あれやこれやの小うるさいマインドを、こうすればこうなるという経験知を一度全部吹っ飛ばして、覗き込む先に見えるのは ― 無色透明の純粋な「意志」ひとつ。


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  なら、こうして待っているのも悪くないのかな...。何故なら無色透明な意志にとって、列をなして止まっているその一瞬一瞬がとてつもなく新しいのだから。いつも乗っている小さな車の中にだって、沢山の新鮮な発見があるかもしれない。いつか落として忘れてた座席の下の小さなコイン、片方だけのイヤリング。あの日あのときの写真が見つかるかもしれない。「あれ? こんなところにこんなものが..?」自分という小さな密室の中には、まだまだ沢山の可能性がひそやかに、見出されるのを待っている......。

  ひとつの出来事には無数の解釈と感じ方があります。人間の数だけ。存在の数だけ。あるいは、胎内宇宙の数だけ。 

この世界に「唯一の正しさ」「唯一の幸福」など無く、全ては「自分という意志」とそこから伸びてきた “触手” としての「モチベーション」が鏡に映ったものだったら? 在ることとは「欲」であり、「純粋な欲」がこの世界の全てを支えているのだとしたら? 様々な欲と想いがぶつかりあい絡みあい、進まなくなってしまった隘路の先には何が見えるのだろう?


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  今、年齢も立場も性別も関係なく、そんな世界を遊ぶために生まれて来た たったひとりの裸の「わたし」に一度戻ってみるのも悪くない。幸せ、成功、安定、安心、優位性へのこだわりや利害。傷、痛み、恨み、怒り、嫉み、不安、恐怖。その結果として他者に向けたはずが結局は自分に帰ってくる批判と攻撃。あちこちから湧き起こるプチ不幸の呪文がいっせいに流れ込んで溢れゆく災厄の大河。そんな “システム” が、確かに存在する。それをわたし達は「業」や「カルマ」と呼ぶのかもしれない。ならば人間にとっては全てがアリなんだと認めた上で、一度思いっきり泣き笑いしてみてはどうだろう? ことばを知らない子供みたいに。この新月に示される究極の「狭い道」「狭き門」とは、そんな「裸のわたし」だけが通れるゲートかもしれません。

  今、その門を通るか? それとももう少し先なのか? きっとそれは、ひとそれぞれ。けれど、世界が狭い地峡に差しかかるとき、そこでは常に渋滞が起きるものです。そんなとき...閉じ込められた車の中であれこれ思い悩みながら想像する地峡の先の光景は... ただの幻かもしれません。ひょっとしたら、そこには「世界」さえ存在しないかもしれないのです。もし「きっとこうなる」と思って目指した先に何も無かったら、どうする?
 

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  『ねぇ、車を脇に寄せて、この辺りがどんなところかちょっとだけ探検してみようか? こんな経験、二度とないかもしれないよ?』 

  ん? それってもしかして、何かフラグ立ってない? 行くなら車が視界に入る範囲で、ライトやキーも忘れずに、用心してね。

  『いやぁ、待て待て! マズイよ。だって渋滞が解消したら置いていかれるじゃないか。そうなったら大変なんだ』

  大変? 置いていかれる? うん、そうかもしれない。でも、ただそれだけ。「わたし」が「わたし」である限り、きっと起きたことには対応してる。今はまだ想定外の「わたし」が、予測外の出来事に。 そしてそれが、この先の道を創る。

そしてそれが本当の目的地なら、いつか必ず着く。もしかしたら、予想外のタイミングで。そこには「わたし」を待つ何かがある。たとえ他のひとには見えなくても。だからひとが何と言おうと、裸の「わたし」にとっては成功も失敗も、ありはしない。そう、ただそれだけを、わかっていればいい。さぁ、“渋滞の達人” になってみよう。 正しく “怖れる” のではなく、正しく “用心” しながら、ね。


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新月のメイン・シンボル:
 魚座5°『教会のバザー』


  さて。延々と連なるすったもんだの交通渋滞の果てに、“渋滞の達人” が辿り着いたのはどんなところだろう? それは、教会のバザー。B.ボヴィの解説によれば、1920年代の米国各地域で開かれていたキリスト教会主催のバザーは「霊的な祝祭をコミュニティの全てのひと達と分かち合う場」というイメージなのだそうです。いえ、その地域のコミュニティだけではありません。他所からの訪問者も、放浪の旅人も、バザーで地産品や工芸品を売るためにやってきた商人達や、故郷の楽器を携えて懐かしい曲を奏でる移民達も、全てのひと達を迎え入れ、交流し、神の下に手を取り合うことを旨とした日だったそう。面白いことに、教会の建物外で開催されるバザーでは、他の宗教に関わる品々さえ自由に売られていたのだとか。それは今で言うところの「ダイバーシティ」― 多様性の尊重を、とても素朴なかたちで象徴するハレの日、ハレの場だったのかもしれません」。


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  また、原文の「bazaar」は中東地域から英語圏にやってきた数少ないことばの一つで、元の意味は「公設市場」。ここで売られるものは何でもありという感じ。世界中のありとあらゆる珍しい品や食べ物・飲み物が並べられ、広場は様々な色、音やことば、匂いが渾然一体となった賑やかなお祭り状態。踊るひと、歌うひと、奏でるひと、食べるひと、談笑するひと、商売するひと、ゲームに興じるひとの群れ。そこは非日常を楽しめる異空間というイメージです。

一方、教会を意味する「church」は元々は「力」を意味するギリシャ語の「kuros」、そして「権力者」や「家長」「王」を意味する「kurios」から来ていているのだそうです。つまり「教会=church」はひとびとの王であり、全てを統制する「神」の「家」ということ。だから「教会のバザー」は、「絶対の力を持つ神」の家 ― その破れることのない屋根の下で、あらゆるひとびと、あらゆる生き物達がひとつになり、現世を生きることの楽しみを分かち合うひととき...いわばこの世に出現したミニ天国という構図に近いかもしれません。そこでは全てのひとびとが、何の資格もどんな条件も要らぬままに自由に交流し、一切のタブーも差別もなくどんな物でも売り買いすることが出来ます。楽しくお喋りし、笑い合い、歌い踊りながら。


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  どこからともなくえも言われぬエキゾチックな香りが漂う中。ペルシャ絨毯の隣にはマーサおばさんが焼いたチョコクッキーが、壺入りの中国茶の隣にはサルディニア島のオリーブオイルが、日本の着物があるかと思えばその隣には古いブルースのレコードが山積みに... それを売っているのはジャマイカからやって来たペドロおじさん…。みんな、見たこともない珍品に驚き、美しい民族衣装を試しに着てみたり、おどけてポーズを取ったりしてる。そこには「文化の盗用だ!」なんて咎めるひともいない。小難しい民族的アイデンティティも、イデオロギーも、宗教の違いさえ関係ない。うーん、きっと楽しいでしょうね。それは今も(いえ、今だからこそ?)多くのひと達が夢見る理想の場、理想の社会の縮図かもしれません。

けれど、また別の側面を見てみるなら。教会のバザーは「絶対の力」を象徴する「神の庇護」の下にしつらえられた、特別な場でもあります。何が起きようと、そこなら安心。だって神を超える力などありはしない。たとえ悪魔が来ようと、嵐や疫病が襲ってこようと、神がわたし達みんなを護ってくださるのだから。万物の父なる神が、ひと声「去れ!消えよ!」と厳かにのたまえば、たちまち悪は退散し、不安も恐怖も消え失せて楽しいさんざめきが戻ってくる。そんな夢のような成り行きが約束された世界...。だからこそ、そんな余裕と保証があるからこそ。わたし達は、拠って立つ土壌がどんなに違っていたとしても、富める者も貧しい者も、強者も弱者もみなが互いの声を聴きあい、ともに楽しむことが出来るのではないでしょうか...。


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  けれど現実世界では、なかなかそうはいきません。多くのひとが豊かさや平和を享受出来ているときなら、そんな理想だって描けるかもしれない。けれど不況が足音を立てて近付き、沢山の国々が不穏な空気に包まれ、そこに何だか怖ろしげな伝染病がまん延し始めたら? 固い信仰心や独自の信条を持つひとは別かもしれないけど、大抵のひとびとはまず自分の、愛する家族の、身近なひと達の、いのちと暮らしを一番に護りたいと望むでしょう。そして、穢れをもたらす「魔」の存在をコミュニティから排除したいと欲します。けれど、絶対の力を持つ神の姿は見えない。では何がわたし達を護ってくれるのだろう?  自分達が属する共同体? 国家?

  さてこの感じ… 今、新型肺炎が猛威をふるう中でわたし達が理想として思い描く国のリーダー像にも重なって見える部分があるように思えるのだけど、どうでしょう? 


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  たとえば今、天上で絶大な力を発揮している惑星ペアといえば、山羊座の土星と冥王星です。このペアが意味する社会的な顕れについては、去年12月に出版されたメリマンさんの『フォーキャスト2020』(マンデーン版は4月1日ごろ発売予定)の中で27ページにもわたって詳説されているので、持っているひとはもう一度参照してほしいのですが...。この本の土星・冥王星に関する章『山羊座の土星と冥王星:ヒーローと悪役と』では、両惑星コンジャンクションのキーワードとして「悪役」と「ヒーロー」、二つの表現が使われています。「悪役」とは、山羊座の土星と冥王星が最悪のかたちで顕現した場合の姿。そして「ヒーロー」とは、最善のかたちで顕現した場合の姿です。そう、まさに「黒か 白か?」です。

  けれど実際にはそれほどくっきりとヒーロー役や悪役に分けることが出来るわけではなく、ひとつの実在(政府や公的機関、地方自治体、企業など)、ひとりの人間が、見るひとの気持ちのフィルター(と都合)やそのときの状況によって、ときには黒に見え、たまに白にも見え、多くの場合はグレイだったりするのではないでしょうか。わたし達ひとりひとりがそうであるように、集合体としての統制機関やそれを統轄する存在もまた、わたし達と同じ血の通った人間の集まりにすぎないのだから。


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  山羊座はマンデーン・アストロロジーの世界では国の政府や権力者、公的機関、そして世の中で権威を持つ立場にある個人を意味します(ナチュラルハウス10室)。そしてこれを国民(沢山の「わたし」の集合体/蟹座、ナチュラルハウス4室/護り、護られる)の立場から見るときは、(民主主義や独裁体制などそれぞれの手続きは異なるとしても)その理想像のベースとしてなにかと頼りになる「家長」や尊敬すべき「父」または堂々たる「王」の像を投影する心理が生じることになります。

つまり、何か重大事が起きたときは勇壮なファンファーレとともに現れ、即座に大鉈ふるって「悪」を倒し、一家(国)と家族(国民)の命と名誉を護ってくれるスーパーヒーロー(正義の統制者、または独裁者)を望む集合意識が浮上しやすいということです。破壊を怖れず、外部には冷徹にふるまう強い父/親分の像(そして、内に向けては優しい母の顔を持てれば最高 — 山羊座・蟹座軸)。

平時は法に護られること、法を遵守することを厳しく要求するわたし達だけど、一旦危機がやってくれば、法を曲げてでも派手な大鉈をふるい、いち早く物事を解決してくれる(少なくとも上辺ではそう見える)ヒーローの出現を望みます。右も左も関係なく、ドラマティックな正義の告発者がもてはやされ、その行為から入った小さな亀裂が長い目で見てどんな結果をもたらすかなど、ほとんどの場合、考慮されることはありません。目先の怖れに追い立てられ、神ならぬ身に神業を期待すれば、100点以外はゼロ評価。物事の評価は真っ二つに割れ、あの手この手で断罪の快感を演出するメディアがそれを煽ります。そんなとき、良いニュースは無視され、穏やかな言説は怠惰な臆病者の烙印を押されがち。米国のトランプ大統領や、彼に対抗して極端なプログレッシブ・レフトの政策を掲げるバーニー・サンダース氏がコアな支持層を持つのも、様々な不安感に覆われる今を物語っているのかもしれません。


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  けれど集合意識は気まぐれです。「よしそれなら!」と強権発動すれば、当初は良くても後になって、無理を重ねたひずみが生み出すネガティブな結果と直面するときが来るでしょう。それはやがて、冥王星がうっそりと熟すころに新たな不満となって拡がり、称賛されてきた当事者を打ち据えます。

「ヒーローだと思っていたのに実は悪役だった!」または、もしかすると反対に「唾棄すべき悪役だとされて追われたけれど、本当の姿は違っていた...」なんてこともあるのかもしれません。わたし達の社会には常に多くの不可視の部分が存在し、時が至るまでは全てがグレーかマーブル模様です。けれど、もしもそのときが至って、ひとびとが選択した道の間違いに気付いたとしても...後戻りはないでしょう。社会の変革期に、いいとこ取りは出来ません。古くなったシステムが破壊され、その灰燼から抜け出して再び新たな建設が始まるまでは。この世界では、そんな歴史が幾度となく繰り返されてきたのではないでしょうか。(ただし、日本の戦後始原図にはもう少し別の難しさと展開がありそうにも見えるけれど...その話はあまりに脇道に逸れるのでまたの機会に)。

  間違いを犯すことなどあり得ない神(または神々)の庇護のもとに集うひとびと。愛と優しさと温かさと笑顔に満ちた、素敵なバザー。ある意味でこれはとても魚座らしいシンボルです。そして対向の乙女座5°のシンボルは『妖精を夢見ている男』。これもふうわりとした感じで、どちらかというと、こっちのほうが魚座っぽいかな? こちらは目に見えない繊細な世界を感じ取る細やかな感性を示唆し、現実的と言われる乙女座の芯にひそむ、夢想的な面を描いています。そしてこの軸のどちらの度数も、イマジネーション豊かなファンタジーの世界に誘うとともに、リアリティを正確に知覚出来ないときに待ち受ける危険をも示唆しています(稀な事例では、マインドコントロールで他者を支配、操縦するような傾向も)。

  そんなわけで、この魚座の濃霧を通してほの見える「現実」は、たぶん神様の管轄外。この世界をどうするかは、きっとわたし達人間の裁量と度量に任されているのでしょう。確かに人間はみんな、理想を夢見て生きようとするかもしれない。けれど外側からどんどん現実が押し寄せてきて、夢のとおりにはなかなかいかない。はぁ... ついつい石のひとつも投げてみたくなるなぁ..。


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  絶対者である神。創造の源。あるいは正義のヒーロー。もしそんなエンティティが本当に存在するのだとしても、彼らはわたし達人間の歩み、その一挙手一投足をこと細かく導いてくれたりはしないでしょう。「聖なるもの」がもし在るとすれば、それはけっして 共依存 を許したりはしないから。だから、どんな状況にあっても “自分自身の聖なる空間” を保ち続けたいのなら、それを自身に課すことが出来るのは、ひとりひとりの「わたし」だけです。

それと同じように、惑星の動きや位置、アスペクトが人間を引き上げたり、貶めたり、幸せにするのではありません。星々のシステムはただテーマと挑戦を示唆し、その圧を強めたり弱めたりしながら、わたし達とともに巡り続けています。 そして、生きとし生けるもの達の生を映し、無数の人間が生きたうたかたの証しを自らのエネルギーとしながら、今、この瞬間も 悠々と旅を続けています。彼らは、わたし達です。


  だから、今。もしこれを読んでくれているあなたが、人生の様々なフラストレーションを噴出させながら否定の大河を目指してほとばしる想念の流れから否応なくはじき出されてしまったと感じているなら。ただ静かに自分の中のハレの祭りを祝うとき。

世界中のひとびとが創る壮大な悲喜劇の奔流を背に、新月の闇に包まれながら...世界の不思議さに微笑んでみよう。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^


hiyoka_blue at 21:00|PermalinkComments(2)

February 07, 2020

🌕2月9日の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(メモ風?に)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 2月9日16:52前後、北海道周辺で16:58前後、関西方面は16:33頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で16:03前後に 獅子座20°00'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月♌️獅子座20°→21°/ 太陽♒水瓶座20°→21°】
  月🌕 “The Zuni sun worshippers”
  『ズニの太陽崇拝者

   太陽🌞 “A big white dove, a message bearer”
  『大きな白い鳩 ― メッセージを携えた者』
     ↓↓↓
  月🌕”Chickens intoxicated”
  『酔って興奮する鶏達

   太陽🌞“A woman disappointed and disillusioned”
  『落胆し幻滅を感じる女』

2月24日新月 魚座4°台
 『狭い地峡の交通渋滞』『教会のバザー』
  に繋がっていく

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~2/23】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。

→★汚濁を焼き尽くす火による浄化、または絶対的な力への畏敬や恐怖
→★父権的な統率力が象徴する護りと秩序へのあこがれ
→★自分が属する“種族”や“ファミリー”に忠実であろうとする
→★偏見に根ざした憎悪、または非現実的な包括主義に極化する傾向
→★荒波の中でも揺らされず真のメッセージを聞き分ける必要
→★個人、または集団レベルで孤立主義(または党派性)へと向かう傾向
→★偽の希望、勝手な期待が裏切られたと感じて逆上や激昂する危険
→★「自分こそが」という感覚や頑ななプライドを捨てる勇気
→★良かれと思っての行為もやり過ぎると逆に毒となる可能性
→★他者に期待しすぎるか、または誰にも耳を貸さない傾向
→★経験不足や無知による錯覚、幻想、勘違い、陶酔と
   成熟し、醒めた現実的な見通しを対比させて判断する必要
→★辛辣さや痛烈さ、モラルすれすれの一時的で派手な言動への誘惑
→★思い込みの強さによる聞き違い、読み違い、パニックに注意
→★自分の小さな現実を基準にして全宇宙を判断する傾向
→★狭く曲がりくねった道を目的に向かって進むために必要な
   寛容さと寛大さ
→★澄みわたるこころのやわらかさを感じそれを常に保っていく
→★「全てはひとつ」という包括的な精神の光と影を見る・・・→


エネルギーのポイント:新月
           『沈着、休止、見直し、静的発進』
            ↓
            満月(新月と同じ)
           『沈着、休止、見直し、静的発進
            

200209FM


★サビアン・シンボル MEMO★

ベースのシンボル:獅子座20°『ズニの太陽崇拝者』


ZUNI
 Image of Zuni Pueblo created during the U.S. Army Corps of Topographical Engineers's 1851
 expedition to Arizona which was led by Captain Sitgreaves


「ズニ」についての豆知識(主にwikipediaより)

  「ズニ」とは主に米国ニューメキシコ州西部に生きるネイティブ・アメリカンのひとびとで、プエブロ族として社会、宗教、農耕などに共通の習慣を持つ集団の中でも、コロラド川支流のズニ川流域に住む集団を指す。彼らは一種の粘土で建造した複雑で複数の階層をもつ住居(プエブロ)を建て、村落を形成して暮らす。考古学的には紀元前1000年からズニ川渓谷に居住しており、当時からすでにトウモロコシ栽培の灌漑技術を持ち、農業と家畜の飼育を行ってきたとされる。その意味で、日本でステレオタイプ化されてきた、テントを張り平原を馬で駆け抜ける “アメリカン・インディアン像”とはかなり異なるタイプのひとびと。部族としての秘儀やプライバシーを大切にしてきた伝統がある。

孤立した言語:特徴として、「ズニ語」は他のネイティブ・アメリカンの言語とは全く関係を持っておらず、その独自性において、少なくとも7000年間はその「完全性」を保ってきたとされている。果たしてその言語はどのようにして生まれたのだろうか?

宗教的人生:ズニのひとびとにとって宗教とその信念体系、それにまつわる儀式は日々の生活の中心とされる。彼らの神話には多くの神々、鬼神や怪物が存在するが、核となるのは「アワナウィロナ」と呼ばれる原初の創造神。そして彼が創った緑色の藻が分裂して「太陽の父」「大地の母」「月の母」となり、そこから世界の全てが生じ、地底はるかな闇の世界には人間が生まれたという。その後ひとびとは太陽の父とその息子達によって昼光の世界に導かれ、現在の人間の姿になった。アワナウィロナ自身が創造の後に自らが太陽そのものになり、「空の父」として雲を創ったともされているので、「創造神」と「太陽の父」は重なる存在なのかもしれない。

また、ズニには『世界には2種類の人間が存在する ― ひとつは「陽に焼けた人」、もうひとつは「焼けていない人」だ』という信条があり、ひとを見る場合その区別/識別が重要とされるそう。


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  ズニのひとびとにとって、太陽はおそらく至高の存在。太陽光はいのちの源であり、農作物が枯れることのないように、大地から水を呼び出し雲を創り、恵みの雨をも降らせてくれる。無性の創造神、アワナウィロナが生み出した緑の藻が父なる太陽となり、大地の母となり、月の母となった。そして地下深く闇に生き、角と尾を持つ他は盲目で、口も肛門も、今のような手足もなかった人間を、昼に生きられるよう変容させ、導いた。大いなる父の慈悲の下で厳しい体験に耐えたひとびとは最後に目覚めを体験し、それまでの恐怖から解放されて大いに喜んだと伝えられる。 

今回の満月のベース・シンボル『ズニの太陽崇拝者』には、超短く端折ったとしてもこれだけのコンテクストがある。こうした背景を踏まえて今の世界とわたし達の心理や事象への影響を考えていくとき、何が見えてくるだろう?  

  人間は「力」を好む。何か恐ろしいことが起きたとき、どこからともなく現れて万事解決してくれる英雄を望む。その姿はまるで、万物の祖であり生殺与奪の絶対力を持ちながらも慈悲深い、父なる太陽神。


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  じゃ、わたし達のこころに忍びよってくるのは、その大いなる保護の許にある民として誇りを持ち、一切の穢れを排除したいという願望? 火の力に焼かれることで全ての汚濁と闇から解放され、浄化されることを望む心理? あるいはそんな力の一端を宿す預言者として力をふるってみたいという欲望? 絶対への崇拝を通して期待される絶対的な庇護。神と人間との絆なら、それが成り立つのかもしれない。けれど人間が創った社会という脆弱なピラミッドにこのエネルギーがネガティブに影響したら、どんなことが起きるだろう? 

期待の後で失望したひとびとの怒り。それは何事かが起きたとき庇護者不在の怖れに変わり、怖れはヒステリー状況を創り出す。そして人間ピラミッドは恐怖に駆られたひとびとによって、混乱のうちにその基盤から崩れていく。何が真実なのか、最後まで見えないままに。

このシンボルをことばにすると、何だか時代がかってオーバーにも聞こえるけれど。今、他のニュースを全て吹き飛ばす勢いで拡がっているコロナウイルスの話題に関しては、世界中のメディアで、ネットで、その底流にこれに似た心理のウェーブが強く感じられるように思う。そして、ひとりの人間に過ぎない世界のリーダー達もまた不安と緊張に駆られ、苦悶する。こんなときは(たとえ後により多くの犠牲をともなおうとも)敏速に「穢れの印」を排除し、強圧的にふるまえばふるまうほど評価されることを、彼らは歴史的経験から識っている。そしてそれぞれの国情に合わせ、ギリギリのところで決断することになる。何故ならそれは、儀式と施政の担い手としての彼らが、最終的には自らの手で捧げるべき供物なのだから。それでも、我が身に火の矢が降り注ぐ試練を避けることは出来ない。それが仮想の「太陽の父」が負うべき責任と役割。でもそこから逃避する誘惑と最後まで闘える人間はとても少ないと思う。


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  B.ボヴィの研究によれば、本来、この度数には『どんな物事にも、どんなときや場所やひとにも、それぞれにかけがえのない聖性がやどっていることに深く気付いていく』という含意がある。これは獅子座の中でもかなり霊的な意味が強調される位置。おそらくそれがこの度数の持つ本質ではないかと思う。

けれど(だからこそ?)それと同時に極端なストレスや危機に直面したときに自分自身がどうふるまうのか? それぞれの本質が試される...という側面も持っている。なので、メインのシンボルである次の度数、獅子座21°とともに、今まで見えなかったような「そのひとの無意識の本性」または「何に反応しやすく、どんな問題を抱えているか」が外に向けて露わになりやすい 領域だと言えるかもしれない。

  この満月で月に光を与える太陽側、水瓶座20°のベース・シンボルは『大きな白い鳩 ― メッセージを携えた者』 ... それはきっと、危機のときに助けとなるメッセージ。それは、天空を飛んでやってくる「空の父」からの伝言だろうか? 行き詰まったときに闇を消し去り、こころに平穏と平和をもたらす神聖なコミュニケーション? そんなステキなメッセージを運んでくれる、大きな白い鳩! 「わたし」は眼を閉じ、じっと待つ。そしてそっと眼を開ける。え? 大空には無数の白い鳩が飛んでる!? 鳥!鳥!鳥! ... いったどれがメッセージを携えた鳩なんだろう?


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  よく目を凝らして見ると、他の鳥も混じってるような ...誇らしげに大声で鳴く、あれは白いカラス? あれ?白い鶏達さえも浮き足だって羽ばたいてる。それに、それぞれの鳥がいろんなメッセージを携えて飛んでるみたいだ。じゃ「わたし」のために真のメッセージを運んでくるのはどの鳩なんだろう? 

それはたぶん、純白のメッセージ。透明なほどに、純白。期待もプライドも傷ついた感情も苛立ちも、どんな力もそれには触れることが出来ない。「わたし」の中の透明な純白と、大きな白い鳩の透明な純白が重なり合ったとき。そのときだけに、聞こえる声。音。うた。

それは日々の生活の中に、一瞬の何気ない刻の静止の中で、ことばも無く交わされる聖なるコミュニオンだろうか? そして。やがて「わたし」の中にメッセージが生まれる。他の誰でもない「わたし」からの、「わたし」に向けたメッセージが。

それはもしかしたら、とても日常的な、ふつうのことばかもしれない。
『そうだ。珈琲いれよう。』 ...外では沢山のことが起きている。でも、「わたし」の中には何もない。透明で純白の火が燃えているだけ。


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メインのシンボル:獅子座21°『酔って興奮する鶏達』


  このシンボル、原文の「Chicken」には「鶏」や「若い鶏」という意味の他に、チキンレースということばで使われるような「臆病者」「怖がり屋」「小心者」という意味がある。つまり、「恐怖に駆り立てられやすい性質」を持つ存在。そんなチキン達が、アルコールか薬物かに酔いしれて夢うつつになったり、けたたましく叫んだり、自分も空を飛べるような気になって羽をばたつかせている光景。あるいは悪夢にうなされて夢遊病のようにバタバタと騒いでいる光景。「チキンフィード」と呼ばれる小ぶりな穀物が貯蔵中に発酵すると、それをついばんだ鶏達は酔っぱらって普段は見られない異常な行動を示すのだとか。なのでこれは「崖っぷちの危険とエクスタシーとが表裏一体になった状況」を表す、特に社会的にはちょっと不穏な度数かもしれない。酔いと恐怖に駆り立てられた鶏達は、いったいどんな幻を見るのだろう?


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  たとえば、匿名性の高いSNSなどでよく見られる風景。まるで全てを識り尽くしてでもいるかのような大言壮語や決めつけ、上から目線の非難やこころないことば。仮想の街角で起きる火事と喧嘩の華やかさ。おそらく現実社会で素に戻れば見知らぬひとにはかけようもない、手ひどいことばを吐き出せる、そんな一瞬のプチ・エクスタシー。そして自分を合理化するために、平等、公正、正義の鎧を身にまとう。けれど本当にそこに吹き溜まっているのは、おそらく手つかずのプチ・不幸。癒えることのない小さな傷の数々。そのことばは、現実とも仮想ともつかない空間をあてどなく漂い続ける呪文のよう。

こうしてひとびとの癒えない怖れとあらゆる情を、巨大なバキュームのように吸い込み膨らみ、デマやフェイクニュースが活き活きといのちを持ち始める。たとえそれが、時とともに儚く消える泡だとしても。ひとときの危うい祭りとして。 精神のパンデミックとして。 あるいはもしかしたら、見知らぬひとびとによって周到に仕組まれたプロパガンダとしても。 怒り、歓び、嘆きに諧謔。プラットフォームのタブーに触れない限り、乗って踊るも自由、降りて佇むも自由。世界中のあらゆる想いの大河の中で、今も流れていく無数の「わたし」という詩の一片。


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  わたし達は多かれ少なかれ、他者に期待する。たとえば太陽の父や、大地の母のように自分を理解し、育て、誉め、護り、引き上げ、あるいは自由を与えてくれることを。そして他者から期待されると、自分がその期待に応えて力をふるい、成長し、評価され、羽ばたいていくことを期待する。けれど他者への期待も、他者からの期待を借りた自分への期待も、常に上手くいくとは限らない。というより、失望することのほうが多いこの世界。そこには信頼という名の期待があり、期待という名の依存がある。

だからその関係が望みどおりにならないとき、破れたプライドは怒りに変わるかもしれない。あるいはそれは、深い哀しみと落胆かもしれない。それでも。わたし達はいつも、たとえほんのひとときであっても、主役になりたいと望んでる。ピラミッドの頂点に立ってみたいと望んでる。 みんなの中の、主役。あるいは彼/彼女にとっての、主役。 ここは獅子座第3ディーカンの始まり。天から地へと立ち位置が逆転する乙女座の旅を前に、王者・王女の最後の幻をかいま見る場所。たとえ幻想であっても、たとえ崖っぷちでも、それは「わたしではないわたし」になれる絶好の機会。それも良いかもしれない。けれど待つのはひどい二日酔いと疲労、そして後悔の念。もういやだ。大嫌いだ。こんな自分も、アイツも、あの偉そうなヤツらも...!


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  こうして一夜が明け、鶏達はいくら羽ばたいても飛べない自分を識る。どんなに夢見ても、大きな白い鳩にはなれない。天高く舞う白頭鷲やコンドルにはなれないんだ...。「わたし」はいったい、何故ここにいるんだろう? 「わたし」は ...あまりにも小さい。

月に光を放射する太陽側、水瓶座21°のシンボルは『落胆し幻滅を感じる女』。そう、この気持ち。何度も味わってきた気がする。自分がまだ人間であることにさえ、絶望を感じる一瞬。でも... それさえも、まだ夢の続きなのでは...?


酔っ払って。酔いが醒めて。祭りの後の、否定のとき。薄れていく余韻の中で狂った判断の結果を味わい、現実を視る。Dis-illusion。全ての幻が去り、外にも内にも何も残らない。傷は? うずくかもしれない。自分がまだ期待しているなら。ん?何処かで勝ちどきの声...? 青ざめた一羽の鶏が止まり木の上で、勝った~勝った~と虚空に向かって叫んでる。でも、もう誰も聴いてはいない。その姿は小さい? 大きい? そんな基準も、もう色褪せてしまった。でも。 余計な判断も自他への期待も失せたなら、物事の、真実の姿が見えてくる。ただ、在るだけ。それは、もしかしたら幸せなことかもしれない。透明な純白は、透明だったからこそ、まだここに在る。ここから、またやり直せる。空。白。だから、立つ。


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  物事は成るようになり、たぶん、まだ凸凹道は続く。「わたし」の終わりが来るそのときまで。 毒杯の苦さをいっぱい味わうごとに、生まれ変わり、死に変わり。「わたし」はこれからも透明な物語を紡いでいく。それが、いい。探していた幸福は、まだ未知の物語の中に、ただ閑かに。ここに。何もなく。在り続ける。さりげない日常の、今の中に。


  ...どうかな。獅子座20°~21°の、こんな物語。満月図に寄せて、この度数が包含する人間心理のテーマを 社会的な側面からサクッとまとめるつもりが、ずいぶん長くなってしまったけれど。

総じて各星座宮の20°〜21°の度数ペアに含まれる流れは、その星座宮が持つテーマへの最終的な挑戦が示されることが多い。豪放磊落でプライドが高く、遊び好きで自然に人の上に立つような風格と影響力(または自己肯定感)を持つとされる獅子座では、人間が怖れや焦りを感じたとき、あるいは感情に相当のストレスがかかったとき、それを自己の内界でどう処理し、外界に対してはどんな態度を取り得るか? が試されるのかもしれない。

  けれど。酔っ払った一羽の鶏が見る夢は、もっともっと楽しくてバカバカしくて、思いっきりブッ飛んだものだってかまわない。イタズラっぽく狂ってみるのも悪くない。今はまだ幻と知ったうえで、自らのイマジネーションの世界に遊ぶ。好きなことに夢中になることの楽しさを味わってみる。宴の後の、心地よい寂寥感をも引き受けながら。...ネイタルにも依るけれど、おそらくこのエネルギーの使い方はそんな感じが一番健全かもしれないな...。

  と、いうわけで...今元気なひとも、へこたれてるひとにも、こんな流れの中に 何かヒントになるような一節があったらいいなと思います。



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★星模様メモ★

<主な惑星スケジュール>

2月3日 水星が逆行のシャドウ入り
2月10日~3月3日
       火星がOOB入りして
       18日〜24日カイロンにスクエア
       フォルス(蓄積したものの突然の噴出)との
       コンジャンクションへ
      
2月16日 OOBの火星が山羊座入り
2月17日 午前中から水星逆行開始 魚座12°53~水瓶座28°12
       2月26日水星逆行中日
       3月10日昼過ぎ順行

2月24日 0時過ぎ 魚座4°台で新月
       (OOBの火星とフォルスが2019年12月26日の
       日蝕の度数に来る)


<満月図について>

◎この満月図は全体に惑星が西寄り。なので個の内的世界と外部の社会とが否応なく触れあっては斬り結ぶような雰囲気がある。

MCに天王星がコンジャンクト
山羊座ステリウムは6室に集合
ASCにグリーヴがコンジャンクト
火星・ルシファーがオポジション
冥王星・エリスがスクエア
冥王星・レクイエム・RIPがコンジャンクト
火星がOOB入り
小惑星チャイナ獅子座2°台で天王星とスクエア
小惑星ツォンゴー(中国)蠍座28°台で木星とセミスクエア


  水星が17日から始まる逆行の準備段階とも言えるシャドウに入ったので、自分のマインドの動きに注意を払っておくと良い時期。ただ、逆行時の様々な注意点(読解力不足や言い間違い、聞き違い、誤解、うっかりミス、思い込み、迷い、事故や機器類の不具合、過去を思い出す etc.)を前倒しで体験するひとも多いと言われる。また大切な約束や仕事上の契約事は逆行期間中は避けたほうが良いとされる。

  満月で小惑星ルシファー(妄想を持続させる力、または昇華する力)とハードなオポジションを形成した火星(人心操縦や虐待に顕れやすい組み合わせ)は、10日からOOBに入り、それが3月3日まで続く。トランシットの火星がOOB期にあるときは、「勇気」をテーマとする様々な体験が待つことが多い。たとえば今までなかなか踏ん切りのつかなかった物事を思い切ってやってみたくなったり、背中を押されるような出来事。ただし16日には火星が山羊座入りし、17日には水星が逆行開始する。なので「やるべきことをやる」場合も、自分の真の動機は何で、どこまでやるのか、落としどころはどこか... などを明確にしておくことが大切。山羊座の「土星力」(慎重、境界線、忍耐 etc.)をポジティブに使っていく感じかな。

この時期は、フラストレーションが溜まっているとそれが容易に刺激されやすい。カッと燃え上がれば破壊的になりやすいので、過度に攻撃的な態度を取らないよう注意が必要。周囲にもしそんなひとがいたら、出来るだけ距離を置くほうが良いかもしれない。新月のテーマとも呼応して『全体のためにはこうするべきだ』などと押し付けてくるような論調や、情緒を刺激する煽り、脅しにも要注意。迷っていたり、弱いところ、怖いところを突かれて本意ではないのに乗ってしまうのは後悔のもと。OOB期の火星は、まず「自分のこころを強く保つ」ため、そして「ポジティブな冒険心を持つ」ために使うと良いかもしれない。


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  今回の満月図で山羊座ステリウムは6室に入る。マンデーン・アストロロジーでは6室はその国の労働環境や労働市場、軍事、保健衛生状態を示す。 少し前に、緊張が高まるアラビア海〜オマーン海峡への自衛隊護衛艦派遣がニュースを賑わしたけれど、今はコロナウイルスによる新型肺炎の話題でそれもかき消されてしまった。なので、この6室に山羊座の木星、土星、冥王星、それに小惑星ではレクイエム、RIP、アジータ(扇動またはプロパガンダ)、イカルス(無謀さ)が、そして水瓶座には準惑星セレス(保護本能、喪失への恐怖、怒り)やアグニ(火の試練)が入るということは、日本の保健衛生面に深刻な問題が生じている状況が前面に顕現している感じ。

新型肺炎は既往症を持つひと、特に年配の方にとって危険とされるけれど、土星は確かに年配者を示唆するし、何処かに感染対策としての「境界線」を引く必要をも意味する。また冥王星は危機を示唆する。一方、木星は物事を(それが事実でも、幻や妄想であっても)すべて増大させる。特に中国外でも犠牲者が出た今は、このエネルギーがピークに向かって進行しているように見える。

また、満月図をこの時期に「日本の世相を覆いがちな雰囲気」として見るなら、6室が示唆する心理は「疑心暗鬼」(5室で膨らんだエゴと自己肯定から、いったん6室で全てを疑う過程に入り、7室でのバランス習得へと続く)。これは自分自身に対する疑心暗鬼でもあり、それが投影される外界、つまり他者や社会の全てに対する疑心暗鬼でもある。

  一方、土星・冥王星は9室(対外政策、司法、思想、宗教、高等教育)のエリス(既存の不和を浮上させる)とファエトーン(アイデンティティの追求、無謀な行為)のペアにスクエア。3室(情報、コミュニケーション、メディア、近隣国との状況、初等教育)のジュノー(権利の主張)とでTスクエアを形成する。それに12室(見えない敵、諜報、心理面では無意識)のキラルス(無辜のひとびとの死)を加えるとグランドスクエア。

またMC(政府、政府機関)には天王星がコンジャンクトしており、6室のセレスとスクエア。12室(見えない敵、陰謀、諜報)の小惑星チャイナは前回新月のDCだった獅子座1°〜2°近辺(シンボルが「お多福風邪の流行」)に来ており、MCの天王星とはこれもスクエアで、Tスクエアを形成する。また、中国を意味するもう1つの小惑星ツォンゴーは、蠍座28°台(コミュニケーションや協調が必要とされる状況で直面する非常に厳しい問題)に在って、小惑星ハイジーア(保健衛生、治療行為、癒やし)とはハードなスクエア。これは中国国内の政治的状況に起因する初動の遅れと、現在の危機=混乱状態を映し出しているように見える。

『フォーキャスト2020』では、2020年以降は中国が台風の目になっていくだろうと予測されていた。それは2020年12月21日に『ザ・グレート・ミューテーション』と呼ばれる「木星・土星コンジャンクションの風性200年サイクル」が新たに始まり、社会動乱や革命を経た後に資本主義社会から新たな社会主義、またはハイブリッド型社会主義への流れが世界規模で起きてくるとの予測だった。この流れの中で、米国が後退した後に中国が覇権を握る...というふうに受け取れたが、もし香港の反乱や台湾総選挙を経た昨今の混乱状態が今後の中国にとって大きな変化のきっかけ、またはとば口になるとしたら? などと考えてしまう。

(2020年末の “木星・土星コンジャンクション” は中国建国図のASCに来る。また、民主党大統領候補で現在は下位に甘んじている台湾系米国人、アンドリュー・ヤン氏のネイタル・チャートにも同様のトランシットが見られ、非常に興味深い。IT企業で成功した彼はベーシックインカムの導入を主張している。)


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では、満月図に表現された今の日本の政府は…

1)国民の疑心暗鬼とそれが生み出す怖れによるフラストレーション、付随する誤情報や扇動行為(6室の土星と8室の水星とのセミスクエア、土星と3室小惑星イダルゴのタイトなスクエア)、さらに  2)見えにくく混乱した中国の内部事情と増加する犠牲者の情報に悩まされつつ 3)ネガティブな側面を強調しがちな報道、様々なメディアの主張やデマの流布のただ中で 4)予測不能の事態に備えて最善のバランスを考えながら、刻々と変化する全体状況(MCの天王星)に対し的確な即応態勢を取る必要があることを示していると考えられる。

(3室はコミュニケーション全般およびメディア・報道。小惑星イダルゴは「支持または敵対など断固たる方向性に基づいた主張、プロモーション」という象意を持つ。たとえば太平洋の島国ミクロネシア連邦は2月初めから「日本を含むすべての国や地域」からの入国を制限し始めた。これはひとりでも感染者が出た国からは たとえミクロネシア国民であっても入れないということで、日本は制限された多くの国や地域のひとつに過ぎない。人口10万強といわれる小国ミクロネシアでは、新型肺炎のような感染症が入ってくれば対応不可能となることが考えられるし、窮余の策だったかもしれない。けれど、これをまるで日本だけが「汚染国」扱いされたような印象で伝えるメディアは多かったように思う。その結果、ネットの一部では『政府のせいで日本がとうとう加害国に!』などとセンセーショナルな言論が流布された。

8室は負債、死亡率など。また心理的には死への怖れ、興味、または耽溺などを意味する。また財政を支配する2室は満月時乙女座で、その支配星は水星。これも8室に在泊する。今回の中国発のウイルス騒動では、世界経済への重大な影響が懸念される。もし中国経済が大きく傾き、国情が突然混乱するようなことがあれば当然、日本の経済と労働・雇用環境、ひいてはひとびとの日々の暮らしも甚大な影響を受けるかもしれない。たとえば製造業の見積もりひとつ取っても、中国に発注していた価格の倍は計上しなければ対応出来ないとも聞く。当面はどうにか工夫出来たとしても、中国という巨大な人口を抱えた異形のシステムに世界経済が依存してきたツケはかなり大きいのではないだろうか。人権問題、覇権主義、領海侵犯その他、問題山積の厄介な国ではあるけれど、国の経営という観点から見るなら、現在の時点で日本としては乱暴な措置はとり難いという悩ましさがあると思う。)

  また今回太陽は7室、月は1室で、同盟国やそれに類する国々、交渉相手との協力体制と、国民の意識・環境との間の対立関係がクローズアップされることも示している(SNSでは鎖国まがいの極端な言説まで流れていた)。ただしこういった傾向は、コロナウイルス騒動に関連して世界中に見られる現象であり、欧米諸国では中国人排斥とともに東洋人全般に対するあからさまな人種差別が頻繁に見られ始めたという。これは山羊座の冥王星と牡羊座のエリスのスクエアに関連しているかもしれない。


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  牡羊座のエリスは「元々存在しながら蓋をされていた不和を浮上させ、それが究極のアイデンティティを求める自分探しと重なること」を意味する。欧米諸国に「ポリティカル・コレクトネス」という概念が生まれ、それが進歩的な意識の表れとして声高に叫ばれてきたのは、「人類にとっての部族意識や差別意識が文明の発達進化とともに自然に払拭されることはない」という事実を示唆し、わたし達への挑戦として提示している可能性がある。

また、興味深いのは満月図のMC(牡牛座4°台)の支配星となる金星(国の最高権力者=日本なら内閣総理大臣を示唆)が、9室のカスプでケンタウルス族のカイロン、BMリリスとコンジャンクトし、同じく満月図のASC(主権者=国民の意識、状況、アイデンティティ。獅子座12°台)には小惑星グリーヴ(嘆き)が来ていること。これは今現在の日本を代表する最高権力者が負うべき重圧と悲哀をも意味すると思われるが、同時に自らの傷や感情を離れて全体を俯瞰し、観察しながら(BMリリス/月の遠地点)現行法制の範囲内であらゆる智恵を絞り、対応しなければならない...という挑戦を意味するのかもしれない。また、そうあらなければ、緊急事態では行政の末端で手足となり働くひとびとの苦しみが大きくなるのだから。それが民主主義国において「太陽の父」を演じ切ることの重さと厳しさのひとつかもしれない。


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  ...そんなこんなで、かなり厳しいアスペクトが満載の2月の満月図。けれど個人の心理としては、また別の側面もかいま見えます。

それは、サビアン・シンボルで示唆されたテーマと火星OOB、水星逆行などを頭に入れながら、訪れるインスピレーションや前へ出ようとする意志の手綱を上手にとって、自分自身であることを精一杯楽しむこと。もちろん体には気をつけて、インフルエンザ対策としても手を正しく洗い、風邪気味のひとはマスク(売り切れ続出というけれど、ネット上にはキッチンペーパーでも簡単に作れるという情報あり)、うがい、もしあればアルコール消毒なども忘れずに。そしてあまり余計な心配をせずに睡眠をたくさんとりましょう。

このところ何度か言ってきたケンタウルス族のアスボルスは「体の声を聴く」こと。満月図でアスボルスは双子座を逆行中で、1室(わたし)に在る満月とは調和的なセクスタイル。なんだかんだ言っても、この時期をすこやかに過ごすにはこれが一番じゃないかな。

そうそう、曖昧な怖れや幻影を招きやすい魚座の海王星は、今回10室牡牛座の火神ヴェスタとセクスタイル。この組み合わせを読み解くなら、静かに燃える火炎を背に、2本の足ですっくと立って。巷の喧噪を遠くから眺め、オープンで何事にも過度のこだわりをもたないこと。落ち着いて、事実を冷静に見極めること。9日の満月を過ぎれば、エネルギーはゆっくりと次のテーマに向かって進んでいくでしょう。だから。こころや体にくっついた余計なものをはたき落としながら。マイペースで日々を過ごしていきたいと思います。


  メモとか言いながら、後半もやたら長くなりました。詰め込み過ぎ? もしかして酔っ払った鶏が背中に乗ってる? このあたりでやめておきます(笑

でも、この中から何か部分的にでも参考になれば幸いです。書いてある「ことば」どおりじゃなくても、今読んでいるあなたのインスピレーションを使ってみてね。



horsehead-nebula



have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 18:09|PermalinkComments(0)

January 25, 2020

🌑1/25の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

1月26日、アスペクトの項目に一部追記しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  1月25日07:00前後、北海道周辺で 07:06前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は06:41頃、沖縄周辺では 06:12前後に水瓶座 04°21’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 水瓶座04°~05°― 発効期:1/25~2/23 】

 →🌑🌞"A Hindu healer”
   『ヒンドゥーの治療師』
            ↓
 →🌑🌞”A council of ancestors”
   『先人達の評議会』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
 ※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
 
→★一旦「こういうものだ」と理解し“名付けた”物事を新しく見直す必要
→★長い年月を通し自分の中に確立された「観念」の呪縛や抑圧からの解放を希求する
→★「名前」「立場」「常識」「伝統」と芽生えつつある「精神の自由」との葛藤
→★大自然の香り、リズムではなく「一期一会の音」に浸されることで癒やされる
→★迷いが生じ進むことも引くことも出来ない状況で “自覚的” に流れに任せてみる
→★全ての物事を押す・かわす・引く・丸くする・包む・飲み干す・忘れるという
  自然な流れとして習得する
→★洗練された手腕や社交術の前に自分自身への癒しが必要なことに気付く
→★違和感が高まる中で一番シンプルな「自分の始まり」の地点に帰る必要
→★これまでの常識では量れない物事(そして人間)の複雑さ、深さ、
  そして幾重もの層をあらためて見る
→★新しい風を入れるために必要な「仕切り直し」と新たな方策の準備
→★「わたし」と「わたし達」との葛藤を経てひそやかに「わたし」の道を選ぶ
→★目前に示された段差に身を引くか、目を見開き飛び込むかの選択
→★「わたし」とは何か?誰だったのか?という素朴な疑問に立ち戻る
→★「今・ここ」から少し離れ、体を休め、新たな発想が湧くときを待つ
→★追い詰められた末に固まる、または自分がまだ知らなかった能力を発見する
→★エゴが行き詰まり壁に直面して初めて自分の根ざすルーツを意識する
→★興奮状態、感情の高まり、疑心暗鬼からよけいな行動を起こす傾向に注意・・・→


エネルギーのポイント:前回の新月『嵐を想いながら静謐な内面の湖を覗き込む』
             ↓
            今回の新月『沈着、休止、見直し、静的発進』
                   
            
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★1月新月の星模様とチャレンジ ★

(主なアスペクトざっと)
 
ASC:水瓶座1°26 MC:蠍座21°07
(DCにR小惑星チャイナ)
新月と天王星がスクエア
新月と土星、冥王星、火星がパラレル
 (各惑星の象意が強調される)
新月とアスボルスがセスキスクエア
金星(と海王星)・火星がスクエア
火星が月とパラレルでグレート・アトラクターの位置
火星・ヴェスタがクインカンクス、ヴェスタと水星・ペルセフォネーがスクエア
火星・水星(とペルセフォネー)がセクスタイルでMPに木星
(火星・木星・水星・金星がセミセクスタイルで順に並ぶ)
天王星とフォルス、インシデンティア・パラスがトライン
木星とオルクスがトライン
土星・冥王星・カリクロとエリスがスクエア(対向のキラルスとTスクエア)
パラス・インシデンティア・フォルスとカイロンからグリーヴにクァドリフォーム
ジュノーが天秤座21°台で滞留中(2月8日に逆行開始)

2月7日前後は土星とイカルス・キラルスがオポジション、
 冥王星・エリスがスクエア、火星・エリスがトラインと強力な配置

そして
2月9日16:33 獅子座20°00’で満月!(新月図のICに近接、MCに天王星)
 ― 満月期〜次期新月期は火星が銀河中心を経過して2月中旬から山羊座を運行し、月のSノードを通ってカプリコーン・ステリウムに合流するため、世界中にかなり強力な出来事が起きそう。



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  2019年末のゴーン被告逃亡〜レバノン行き事件あたりからの約1ヵ月間、世界には大きな物事が立て続けに起きてきました。

試しに無造作にピックアップしてみると…

  日経平均が大納会で29年ぶりの高値に沸いたと思ったら、イラクでは米国によるイランのイスラム革命防衛隊司令官ソレイマニ殺害〜イランによるイラク米軍基地ミサイル攻撃〜ウクライナ旅客機を誤って撃墜。そしておそらく戦争にはならないことを前提で米・イラン間では威嚇の応酬。イラン・ロシア・中国のスクラム。囁かれるシリアへの影響。8日の日経平均は一時500円を超える下落。イラン国内での反政府デモ。英国では1月末のEU離脱法案が可決、その後ヘンリー王子夫妻もロイヤル・ファミリー離脱決定。その間、オーストラリアでは数ヵ月前から発生した前代未聞の山火事が燃え広がり、その規模は1月中旬で韓国全土の広さに到達、ダボス会議の中心議題は気候変動。台湾の選挙では、今も続く香港の抵抗運動に対し人権を無視して制圧を謀る中国への怖れから、蔡英文氏が圧倒的勝利で総統再選。韓国では親北政策を進める文大統領支持派と反対派の溝が深まり、一方対米関税合戦の中、2019年中国の対米輸出は2桁減でGDPも成長減速。北朝鮮は核凍結制約を破棄して米国を批難、並行して囁かれる金正恩氏健康不安と政変説。そうした中、米中間では貿易協定への「第一段階合意」署名。米国内ではなおも続く大統領弾劾/排除への動きとますます深まる国民間の分断。野党民主党の大統領候補選ディベイトは「Orange man bad(何もかもトランプのせい)」に凝り固まり社会主義的理想論と互いの人格攻撃に堕していく状況に国民の関心は薄れつつあるとされ、そして中国で発生した新型コロナウイルスの伝染と合併症による死者数の増加(現在56人)により武漢市は事実上の封鎖(現時点でWHOは緊急事態宣言を見送り「中国内では緊急事態だが、今のところ世界的な拡がりには至っていないため」とのこと)、24日にはトルコでM6.7の地震発生....etc.


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  うーん...まだまだ忘れてることがありそう。もちろん、いつだって世界では同時に多くのことが起きているけれど、ひとつだけを取っても大きいと言える物事が短い間に本当に立て続けに起きてきたなぁと感じます。物事のテンポが格段に速くなったような?

ツイートでも言ったけれど、この新月と小惑星チャイナ(獅子座5°〜6°)はオーブ1°弱のオポジション。月とはパラレルの関係にあります。この位置のメインのシンボルには、何か「とても古い考え方」や「制度」を、今の新しい「形」あるいは「衣装」を着せて実行するようなところがあり、上手く使えないとその考えの硬さと硬直した方法論が、絶対に必要とされる敏捷性や即応性(つまりある意味では腰の軽さ?)を損なうという意味があります。これはこの疾病の流行を抑えるべき中国政府の対応を示唆しているのかもしれません。

何故なら以前中国で発生し37ヵ国で774人が死亡したとされるSARS(重症急性呼吸器症候群)のまん延は2002年〜2003年のことでした。その頃と比べると、現在はインターネット(とSNS)の発達で、当時は知る術もなかった中国国内のパニックぶりが世界の隅々まであっという間に拡がります。物々しい防護服姿の医療従事者、ヒステリックになった病院内の様子、感染源として流布されるコウモリスープの画像まで。これを見たひとびとは恐怖を募らせ、政府は何をしている!と苛立ちを深める一方です。中国はテクノロジーを駆使してひとびとを管理統制していることでも有名ですが、今おそらく政府は焦っているかもしれません。現代は、何か起きたときに数年前までは考えられなかったようなスピーディな対応を人類に強いるようになりました。そして、それを要求しているのも人類、つまりわたし達です。

  またこれもツイートしたことと重複しますが、日本の新月図ではこのチャイナは7室のカスプ近くで、新月と3室(コミュニケーション)天王星とTスクエア。この天王星の位置にはどこか「自然なエネルギーフローが阻害される」ような雰囲気があります。そして7室カスプのシンボルは『おたふく風邪のまん延』。7室は直面する相手、または直近の外界を象徴する領域なので、「日本のわたし達」を意味する1室の新月から相手を見ているかたちになります。なので7室カスプというのは、国内への伝染病の侵入を最小限に留めるための水際作戦を実行するにあたって相応しい位置かもしれません。そう考えると少なくとも現段階では、死に至るような感染症が日本でも蔓延し、多くのひとびとが苦しむような状況を怖れるというよりは、どちらかというとパンデミックへの恐怖から広まるフェイクニュースや噂、注目を集めるための印象操作、中国への反感や抵抗感の増大、また中国に限らず様々なプロパガンダやそれに関連する不安やストレス、あるいはこころのオーバーヒートに気をつけるよう示唆されている可能性が高いようにも思えます。

また日経ビジネスの記事によれば、現在コロナウイルスの遺伝情報はすでに上海復旦大学の研究者が率いるコンソーシアムが解析し、公的なデータベース上に公開されており、米国立衛生研究所と米国のワクチンメーカー、ノババックスがそれぞれにワクチン開発に着手しているのだとか。もちろん、どの程度の時間を経て開発に成功するのかは不明です。また建国図、冬至図、春分図を見る限り、中国の国内事情的には政治・経済ともにしばらく色々な意味で厳しいのではないでしょうか。


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  というわけで、こうした傾向 — 火花が飛び散る状況のまん延 — は、コロナウイルス関連だけではなさそう。グレート・アトラクターの位置に来た火星と火の女神ヴェスタのクインカンクス、そして火星にセクスタイル&ヴェスタにスクエアで太陽とはパラレルの水星を見ても感じられることです。

------------1月26日追記 -------------

  1月24日、トルコ東部にマグニチュード6.7の地震が起きました。earthquaketrack.com によれば、最初に最大M6.7の揺れが記録されたのは現地時間19:55マラティヤ県ドガニョルとのことで、イベントチャートを作図してみると、発生時間には水瓶座に入った月が牡牛座の天王星にタイトなスクエア。MP(ミッドポイント)に海王星と金星、その中央部にASC/DCラインが通っています。そしてMCにケンタウルス族のエケクルス(過去数例の大規模地震のイベント図で強調されていた)が乗り、ICには火星が乗っていました。以前、ギャン理論の研究家オルガ・モラーレス氏が去年12月の日蝕図で火星ラインがイランを通ることを指摘、とツイートしたけれど、再度彼女が示唆した図を確認したところ、同図では天王星/MCラインが東アフリカからトルコを通っていました(このラインは中央よりも西寄りということで、あくまで蝕の時点で実際の震源地を通っていたわけではないけれど、近接地域の危機を示唆するのかも?)。わたし自身はアストロ・ローカリティの学習をしていないので明確なことはわかりません。ただ現地図で天王星とMC/IC軸が何らかの形で同時に刺激を受けた時に事象が発生したことは示しています。これは「トリガー」という意味で、地震予測を目指すひとにとってはひとつの有効なデータになるかもしれません。

なお、太陽活動が地球の状況に与える影響を研究・予測しているearthquakewatch.netでは当時この付近にアラートが出ていたようです。


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  新月図の水星は水瓶座13°台。ここはひと言で言えば『トレンドを測ること。差し迫った雰囲気の中にあっても、明確な状況が見えるまで拙速なことば・判断や行動を避け、どちらにも動けるように準備しておく』というエネルギーが放射される位置です。一方では何かとてつもなく溜まっていくものがあるのだけど、それが何かもはっきり見えないまま、ひたすら出口を求めているような感じかもしれません。

  また、金星・海王星がコンジャンクトで火星とスクエア。これはメリマン・コラムでも触れられていましたね。金星・海王星が放射する「愛」や「ロマン」を出来るかぎり楽しむこと。射手座の火星に煽られて、衝動的な口論や喧嘩などしないよう慎むこと。安易な誇張には要注意、と。金星が海王星にコンジャンクトするのは日本時間で28日の夜明け前。その前日には金星と火星が正確なスクエア。このあたり、たとえ素晴らしいインスピレーションが湧いたとしても『マインド先行の ”頭でっかち” な主張を押し付けるとせっかくの良い流れを壊す』ような感じ。突然、空気を読まない言動に走ったり、そのせいで拡がる波紋に驚いたり。今はエリスと土星・冥王星のスクエアも形成中なので、ここで悪化した関係は取り返しがつかなくなる可能性もあります。


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  ただ、それでも同時に...その結果として新しい発見があったり、異なる流れが生まれたり...という側面も。でもそれは、少し時間をかけないと見えてこないかもしれません。だから、どうしてもこころの内に溜まるものがあるひとは、「覚悟の上で」吐露してみるのも射手座火星のエネルギー放射の在りようだと言えるでしょう。ただし、攻撃的な態度だけは取らないこと。抑えることが出来ず、取り返せないところまでダッシュしてしまう可能性があるから。思い起こすと良いのは、タロットカードで言えば「THE FOOL」の精神かな。。 またこれは、そんな暴発気味のひとが出たときその周囲にいる身にとっても、各自の度量、キャパシティが試される場面だと思います。なぜなら、たとえトゲトゲしくてムカつく表現だったとしても、その深奥には今後何かを改善するために見てとるべき要素が潜んでいるはずだから。

この傾向は、射手座の火星、山羊座の木星、水瓶座の水星、魚座の金星がセミセクスタイルで数珠つなぎに力を伝送しあっている状態からも増幅されそうです。ちなみに現在、木星が在泊する度数が持つ主な意味をB.ボヴィのサビアン・シンボルから拾うと『人生観の中に刻まれた個人的なインプリント』そして『同意または否定を表現する断固たる態度』。ここは環境活動家グレタ・トゥンベリさんのネイタルの太陽がある度数です(カイロンとコンジャンクト)。


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  いずれにしても、天王星とスクエアの新月の下では、何かまた驚くようなニュースが報じられるのかもしれません。天王星にはパラスとインシデンティアがトラインなので、世界でも国内でも、政治絡みで何か突然の動きがある可能性も。何かの雪解けや歩み寄り、相互に手助けし合うような流れになると良いけれど。

  一方、小さな惑星同士なのでとても微細なエネルギーではあるけれど、カイロンとパラス・インシデンティア・フォルスから獅子座のグリーヴへのクァドリフォームも気になります。これに触れるひとには『(総体としての)人間存在の“正体”を見てしまう哀しみ』的な感覚が浮上しがちだから。でも、もしそんな経験をするひとがいたなら、「自分」「あのひと」「彼ら」などと個人的な感情を通した受け取り方はしないで。この精妙な力が意味するのは『仕方ない...』っていう日本特有の言い回しの中に込められた、最高で最善の哲学の顕れかもしれないから。

これについては、人種差別と多文化間の緊張が続く米国の住環境から日本に憧れて移住、そして今も日本で夢を叶えようと努力している黒人青年が、あるときインタビューに答えてこんなことを言っていました。

『自分が日本に住んで学んだ最高のことば、それは「仕方ない」なんだ。これは諦めのように聞こえるけどそうじゃない。英語にはこれに該当することばはなかった。これは、いったん今の現実と今の自分の全部を大手を拡げて認め、受け入れてしまうこと。そうするとそこから、まだ見えていない何かに向かって全力でやっていく意志が出てくる。これはそのきっかけを創る、そんなことばなんだ。』

そう、まだ見えていない何かがあるということ。どんなときであっても。どうしようもない現実の中で、希望を持つなんて..無理かもしれない。誰にでも、「人間であること」に絶望するようなときがあるかもしれない。でも、今ここにいる。知っている限りの全てを背負って、それでもここにいる。何故だろう? 「わたし」は、本当に全てを知り、それを真実だと思っているのか? 「否定」を選んだのは誰? それは、本当に自分自身のことば? 自分にまとわりついた全ての「ことば」をそぎ落としたら、いったい何が残る? ...わからない。けど、仕方ない。ため息。…体の中を、一陣の風が通り抜けていく......。そして。


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  さて。このところ大きな事件続きで今更何があっても驚かない...なんてひとも沢山いそうだけれど。何かと落ち着かない世相の中で、ストレスが高まっているひとは多いのではないでしょうか? アスボルス(体の声)とセスキスクエアの新月の下では、体力維持はとても大切。3番目に発見されたケンタウルス族、アスボルスの出自はカーボン/炭素。あるいは「灰」。この力をマインドだけで受け止めると、とても重く、暗い側面を強く感じてしまいがち。または妙に真面目になり過ぎて、しなやかさに欠けるところが出ます。でもアスボルスはその反面、燃え尽きて灰にならないための智恵やこころの強さを、細胞のひとつひとつから「直観の声」として伝えてくれるケンタウルスでもあります。

どちらかというとアイデア先行になりがちな水瓶座の太陽と新月の下、今って格別の理由がなくても心身がザワザワしがちなとき。「なんとなく落ち着かない」というひとが多いかもしれません。そんなとき、体から何かの声が聞こえたと感じるなら、迷わずそれに従ってみてはどうでしょう。「こうでなければ」というマインドは脇に置いて、体が要求すること、欲しがるものを摂ること。休みたがっているなら、なるべくホッと出来る環境に身を置くことも、今は大事だと思います。

  総じて、この新月図は主な惑星達が東側に集まっていますね。これは大きな意味合いにおいて、「全てが自分に帰ってくる」時期になることを表します。個人的な体験も、公的・社会的な体験においても。自分の中でもがき、暗中模索していても、すでに確立した世界観をもとに外部と渡り合っているとしても。究極には、次の展開に備えて全データが蓄積されていくような感じかもしれません。


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  そして、今年初めの様相を決定付けたとも言える土星・冥王星コンジャンクションには、現在山羊座25°台に在泊するケンタウルス族のカリクロが寄り添っています。そして1月末〜2月初頭には小惑星アグニ(火の試練)が25°台に達し、カリクロと土星の正確なコンジャンクションに加わります。

カリクロが示唆する意味は、ポジティブには『境界や垣根を超える能力、または超えようとする衝動』『懸命さ、落ち着き、公正さ』『現実を受け入れることの必要性と、それによって自らを癒やしていくことへの促し』。 またネガティブには『一方的な判断』『思い込みの強さと犠牲者感覚』『不寛容』などです。ここは、先頃裁判の様子が報道されたやまゆり園大量殺人犯、植松聖被告のネイタルの太陽が在泊するところ。もちろん、だからといってこの度数に良くない象意があるわけではありません(アスペクトから見れば、植松被告にとっては相応の結果を受け入れるべき時だけれど)。

「象徴」には良いも悪いも、善も悪もありません。ただ、山羊座25°台がとても不思議なシンボルであることは確か。そのキーワードは『今、目の前にあることをベストの結果として受け入れる』『どんな立場、どんな選択にもそれぞれの光と影がある』そして『光を見るのではなく、自分の中に存在する影を意識化することから真の “解放” が始まる』など、何か人間存在の深みに触れてくるものがあります。この位置を火神アグニが通るとき、わたし達は何か精妙なフォースを感じ取れるのでしょうか? それとも、見えない火の力がわたし達の中の何かを燃え立たせ、焼き尽くすでしょうか? 感じる・感じないは感受点の有無やひとにもよると思うけど、「火の試練」はどんなときも、過ぎてみれば「美」そのものだったように感じられます。

  そして迎える2月、獅子座の満月。満月図は1室の月以外はほとんどの重要感受点がチャートの西側に集まり、MCに天王星を抱くという、とてもダイナミックな図になります。全体に、外部からの刺激によって精神は上へ下へと揺れ、興奮しがちになるかも。今のうちに心身をよく休めておけるといいですね。


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★1月新月のサビアン・シンボル★


  この度数もまた、以前のルネーション(月蝕)で経験したことがあります。なのできっと覚えているひともいるんじゃないかな。ただ、当時の書き方は水瓶座のエネルギーを受けてかなり理屈っぽかったかも? 今回も中身はほとんど変わらないのだけど、ちょっとだけ書き方を変えて提示してみようと思います。


新月のベースとなるシンボル:
水瓶座4°『ヒンドゥーの治療師』


        水瓶座4° の原語は『Hindu Healer』です。このシンボルはいかにも水瓶座らしく、対向度数とも関連してかなりヒネリの利いた複雑な意味を包含しているように思います。なのでちょっとややこしいかもしれませんが、なるべくわかりやすく書いてみますね。

        まず、ヒーラーとは、 病むひとを手当てし、治療するひとのことです。そして「ヒンドゥー」とは、ヒンドゥー教に帰依したひと、そして(または)インドのヒンドゥスターン地方出身のひとを意味します。


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        ところで、1925年にチャネラーのエルシイ・ウィーラーを通して「サビアン・シンボル」を伝えてきた源泉(またはエンティティー)とされる、古代メソポタミアの『7つの惑星と月の寺院』、そしてその血脈を継いで、ペルシアのサーサーン朝〜イスラム帝国の時代に秘密裡に蘇り、「寺院の智恵」をひっそりと護り続けたと言われるサビアンズ(サビアン・ブラザーフッド)と呼ばれた預言者達。B.ボヴィの研究によれば「ヒンドゥー」には、彼らサビアンズの地から見てインダス河の向こう、つまり「あちら側」という含みがあったのだそうです。ならば、ヒンドゥー・ヒーラーとは「あちら側からやってきた治療師」であり、「あちら側」とはこれまで慣れ親しんできた「ここ」ではないところ… 「真の手当と癒しが可能な場所」を象徴しているのかもしれません。

一方、ヒンドゥスターン地方出身のひとを指す場合、彼/彼女はインド人、つまり本来なら英語では「インディアン」と呼ばれるべき存在でした。ところがこの呼称は、コロンブスの思い込みと誤解によって、北米大陸の先住民族の呼称になってしまいました。なのでチャネラーのエルシィがイメージを降ろしたとき、本当はインド人の姿を見たのだとしても「インディアン・ヒーラー」とは言えなかったはずです。つまりこのシンボルには、物事の始まりには常に、人間がそれを「こうだ」と認識し「名付ける行為」がまず存在すること、そして、その「名」によって物事が方向付けられ、その流れに従って紆余曲折が創られていく…そんな人間の意識/行為の法則がひそかに暗示されているのだと言えるでしょう。


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  また、このシンボルと対向し補完関係にある獅子座4°のシンボル『正装した男と折り曲げられたツノを持つ鹿』には、原語である英語から見て共通のイメージが見え隠れしています*。それは「鹿」です。何故なら『Hindu』に含まれる「Hind」とは、英語で「雌鹿」を指すことばだからです。対向度数の獅子座4°に出て来る「折り曲げられたツノを持つ鹿」は、ツノを持つことから当然、雄鹿を指します。雌と雄。これは「女性性」と「男性性」の対称軸です。

        ところで獅子座4°に見られる雄鹿はツノ、つまり男性性の象徴を折り曲げられています。そして傍らには、正装した紳士がひとり。彼はおそらく功成り名を遂げたひと。その姿は社会的な勝利の象徴にも見えます。けれど、もしかすると彼の内的な「ひとりの男」「ひとりのわたし」は... とても複雑かもしれません。社会が織りなす多種多様な編み目をたどり、崖をよじ登るために、ときに折れ曲がり、様々に折り畳まれ、ねじれて。 おそらく闘いの中で生じた混乱や怒りをもはらみながら、芸術的なまでに創りあげられてきた彼の真実。彼が得てきた豊富な知識。それは「わたし達」(水瓶座)のただ中で「わたし」(獅子座)が雄々しく生き抜くための知恵です。正装した男はそれを「成功」と名付け、誇りをもってそこに立っています。彼にとってはそれこそが「個」としての勝利だから。...でもその隣には、まだ彼の知らないミステリーがそっと生き続けています。折れ曲がったツノを静かに振り立て、低く、用心深く構える野性の雄鹿が...。


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  一方、「わたし達」を象徴する星座宮、水瓶座の4°には雌鹿が潜んでいます。どこに? 「ここではない場所」に。それはもしかしたら、まだ一度も名付けられたことのない場所かもしれません。人生に迷い、闘いに疲れ、癒しを求めてヒンドゥーの治療師の門を叩いた「わたし」。 やがて、彼が唱える祈りに誘われた「わたし」は ひととき社会という名の「わたし達」から離れ、深いトランス状態に入ります。… 遠くから彼の声が聞こえる。「あなたは誰だ?」「あなたの名前は何だ?」 わたしは、生まれる前の透明な羊水の中で答えます。「誰... だろう?」「わたしは... 誰でも...ない」「わたしは... 名を持たない...」

誰でもなく、名も持たない者。あるいは、全てである者。


  それは「わたし」なのか? それとも? けれど「ここではない場所」から眺める「自分」だった者の人生は、まるで初めて見るような新鮮さに満ちています。... 誰でもなく、名も無い「わたし」には、あらゆるものを名付ける自由があった。まるで詩人のように。「成功」を「失敗」と名付けてもいい。その反対だって構わない。「死」を「夢」と名付けても、「宇宙」を「穴」と呼んでも「愛」を「風」と言ってもいい。「わたし」は全てを思いのままに名付け、意味を与え、そしてまた消した。「わたし」は全ての「名」を受け入れ、その「名」はただ、わたしを通り抜けていった。

やがて「ここ」に帰って来た「わたし」。今まで迷い、打ちのめされてきたはずの問題を自分はどう名付け、どんな意味を与えていただろう? 「わたし」にはもう、それらを思い出すことが出来なかった。代わりに「わたし」の中に「名もない者」という名だけが残っていた…。「気分はどうだね?」わたしは答える。「わからない。でも...自在だよ。」


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        水瓶座4°「ヒンドゥーの治療師」。水瓶座とその支配星、天王星の合い言葉には「型破りの発想」というのがあるけれど。自ら「名付けること」によって物事を鋳型にはめ、意味を与え、理屈で固めてその「名」に従って生き続けるなら、きっと型など破れはしないでしょう。硬直した精神からは「型破りの発想」は生まれません。ツノを振りかざして闘うのではなく、一度全ての観念を受け入れ、そしてクリアボタンを押すこと。そこから生み出される新しい感じ方はどんなだろう? 全てが透明になって漂っているなら、何を使っても、使わなくてもかまわない。風のような軽やかさの中で、新たに名付け、色を与え、形を与えたってかまわない。生きること。仕事すること。食べること。愛すること。遊ぶこと。斃れること。全て。責任を負うこと? それさえも。

これはたぶん、特別な才能でも何でもありません。ただ雌鹿のように柔らかく跳ね、無になることを怖れず、何処でもないところから全てを眺めてみること。正装を脱いで、裸のまま、そこに一度、立ってみること。そこからただ「わたし」と「わたし達」を見直してみること。そして... 破るべき型など何処にもなかったことに気付いたとしたら...。それがこのヒンドゥー・ヒーラーのもたらす「癒し」なのだと思います。

ちなみにデーン・ルージャー版『Astrological Mandara』では、獅子座4°のシンボルが『紳士が狩猟大会から持ち帰った勝利のトロフィー』ということばに置き換えられています。これは、ひとつの壮大なコズミック・アートとして人間の意識に一定の霊的方向性を与えるために改変されたルージャー版全体の構成の中で、とても整合性のある置き換えだと思います。けれど個人的にはマーク・エドモンド・ジョーンズとエルシイ・ウィーラーによるオリジナル版に描かれたシンボルのほうが、人間存在のミステリーに触れており「象徴」としての豊かさをもつのではないかと感じています。


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では次に、メインのシンボルにいってみましょう。

新月のメイン・シンボル:
水瓶座5° 『先人達の評議会』


        原語の「ancestors」は「先祖」とか「祖先」と訳すことが多いけれど、ここではあえて「先人達」としてみました。たぶんこのシンボルは、先祖のような血の繋がりだけを暗示しているのではなく、自分が歩もうと選択した道を遠い昔に切り拓いた多くの先人達をも示唆していると思われるからです。では、評議会とは? いったい何を評議するのでしょう? 

評議員とは重要な決断を下すために選ばれた人々。そして評議会とは、そこに招喚された「同じ道を歩もうとする者」に、貴重なアドバイスを与えるための集まりです。そこは、目には見えないあまたの先人達の智恵の声が響き渡るところ。それは、時の実存の底深い淵から蘇ってくるのかもしれません。


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     さて。前のシンボルで行き詰まった思いを抱え、ヒンドゥーの治療師を訪ねた「わたし」は、ここに来てあらためて自分の道を歩み出します。その道は、相変わらず厳しい道程かもしれません。ひとたび足を踏み外せば、真っ逆さまに転落することだってあり得るのですから。数多くの「わたし」がひしめく「わたし達」の社会では、思いも寄らない思惑に邪魔されてつまづくこともあれば、出会い頭にパンチを浴びることだってあります。まして土星と冥王星がコンジャンクトしたばかり。ときには寛大なはずの木星や海王星が、下心を隠しながらいかにも優しげな微笑みの仮面を着けて迫ろうかという今、きっと世界は危険がいっぱい...。

だから「わたし」は時と場所と人々の様子を慎重に計り、装いに気を配って用心深くツノを折り曲げます。「ここ」ではない世界、名付けられない世界の経験を胸に抱きながら、それでも「わたし達」の世界で生き抜くために。ただ、こころだけはブレずに真っ直ぐありたいと思いながら。「わたし」は懸命に険しい道を登っていきます。あぁ、けれどとうとう行き止まりに来てしまいました。そこは断崖絶壁。どうしよう? これからどう進めばいいんだろう? そう、この度数を補完する対向の獅子座5°のシンボルは『断崖の淵の岩群』です(サビアン・シンボルは当該度数が「What」、対向度数は「Where to」にあたるとされています)。

迷いに迷い、追い詰められたとき。またはイケイケの勢いが何かのショックで突然削がれてしまったとき。空白の真っ只中で、ふと湧き起こるインスピレーション。そんなときって、確かにあります。どこからともなく湧いてくる、突拍子もないアイデア。 今まで考えもしなかった道。 それはもしかしたら、胎内宇宙から聞こえてくる声...の、ようなもの。たとえそのとき本を読んでいても、映画を観ていても、ただボーッと風に揺れる木の葉を見ていたのだとしても。その行間から、画面から、葉脈から、わずかに異質な何かが立ちのぼってきたとしたら。


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        いや待てよ? 冗談みたいに思えるけど、この考えって実はそれほど非現実的なことではないのかな? やろうとすれば出来ないことはないかもしれない。やり方次第か? 思い切ってやってみようかな?

......その一瞬「わたし」は「何か」を捨てています。ほとんど意識することもなく。そして、まだ名前さえ持たない「何か」を得ようとしています。それを形にするのは「わたし」。それは「わたし」の意志に委ねられました。

こうして、時を重ねて熟成され、忘れられてさえいた古い智恵が、再び新しい衣をまとって「わたし」の中に芽吹いていきます。それは、その道を切り拓いたひとつの「意志」が、再び体を持つことに他なりません。それが、連綿と続く「ひと」という存在の不可思議さです。

ここに描かれる『先人達の評議会』は、そこに辿り着いた「わたし」を審判し、裁くための集まりではありません。古いルールに縛り付けようとする声でもありません。それは、長い年月を経て、先人達個々のエゴも全て洗い流され、やがて純粋な経験だけが細やかな刻の襞に蓄積されていった「壮大な智のデータ」としての「わたし達」。そして、その声を聴き取るのは... たぶん「わたし」の中に生き続ける「余白」。


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        でもそれって.... 現実にはどんな感覚なんだろう? それは、「Where to」である対向の獅子座5°が持つシンボルに描かれた『断崖の淵の岩群』のようなもの。 

断崖の淵。それは「危機」や「危険」の象徴です。それは切り立った岩壁の天辺がせり出して、中空にオーバーハングしている、そんな状況です。今「わたし」はその縁に立っています。もし落ちればきっと、いのちはないでしょう。でも進みたい道は、はるか下方に霞んで見えています。「行くしかないんだ!」

「でもこんな恐ろしいところ、綱も鎖もなくていったいどうやって降りればいいんだろう?」思わず足がすくみ、目眩がしてきます。 でもよくよく目をこらして見ると、絶壁のところどころに幾つもの岩層がゴロッと頭を出している... もしかして、それが足がかりになるだろうか? 「わたし」はそろそろと慎重に手足を伸ばし、ひとつひとつ岩の突起に触れ、その堅牢さと形を確かめながら降りていきます。傍らをボロボロと崩れ落ちる石や小岩。 手と足と五感の全てを使い、岩の突起を掴み、集中し、その確かな声を、体中で聴き取りながら。

ひとつ、降りた。そしてまたひとつ。またひとつ。その岩のひとつひとつが、先人達の導き、声なき声かもしれません。でも、 きっと「わたし」はそれに気付かないでしょう。


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  それぞれに違う形の岩。それぞれに異なる局面。どの岩相のどの岩を選んで自分のいのちを預けるかは、自分の選択にかかっています。 もうすぐだ。下の道がもうあんなに近くに見えてきた。でも油断しちゃだめだ。 ここで落ちたら元も子もない。「わたし」は自分に言い聞かせます。

ひとつ。またひとつ。夢中で岸壁に取り付き、必死に手足を動かす。苦しい。疲れた。もうダメかもしれない。あぁもうラクになりたいなぁ。

でも、体のどこかで いのちの力が今もなお沸き立とうとしているのです。「まだ生きてる!」そして.......そして…….「え? 着いた!」

助かった。やり遂げた。道にへたり込んで、はるか上を見上げる「わたし」。「うわぁ、あんなところをよく降りてこられたなぁ。 けっこう凄いことやっちゃったんだなぁ、自分。。」 

安堵と歓びの中でふと我に返り、ポケットからスマホを取り出す。「画像じゃこの凄さは伝わらないだろうけど、一応下から見上げた絶壁を撮っておこう。ついでにVサインだ!」 

『断崖の岩群』が描かれた獅子座の5°は「わたし達」に見まもられながら「わたし」が拡がっていくところ。ひとつひとつの経験が、自己肯定と自信に繋がっていくところ。

けれど、たとえ気付くことはなくても。それぞれの「わたし」が抱く宇宙には、いつだって遠いあまたの先人達が遺した膨大な智のシステムが生き続けています。そしてそれに繋がる回路 — 余白の響き — も、その受け取り手 — 名を持たぬ者 — を求めて木霊しているのではないでしょうか?

それは、何気ない小さな物事の中に、 ある日 ふと顔を覗かせます。


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        …さて。こんな感じでなんとなくこのシンボルの雰囲気を掴めるでしょうか? この4°~5°の流れは水瓶座 ― 獅子座軸の第1ディーカンで体験する最初の節目です。ここには人生の一局面に顕れるいろいろな要素がきめ細かに暗示されていて、簡単には把握し難いかもしれません。けれどそれは、ほとんどのひとが、それと気付かないうちに経験していることでもあるのです。

「わたし」と「わたし達」、「個」と「社会」との関係には、互いに投影しあい反応しあいながら個と全体の流れを創っていく…そんな、とてもややこしい絡み合いが存在します。今回のシンボル・セットは そんなもつれた絡み合いの一端を、その深みの中に鮮やかに描いてみせてくれているのではないでしょうか。


  カプリコーン・ステリウムに始まり、チェックメイトとクロスオーバーへの流れが設定された2020年。その最初の新月がもたらす激動のただ中で。今、原因もわからないままに立ちすくんでいるひとは多いかもしれません。時代はリセットからリニューアルへ。今後も様々なことが起き、思いも寄らない流れがやってくるのでしょう。けれどわたし達人間は、たとえささやかな試みであっても、足許を見ながらひとつひとつ丁寧に向き合っていけばいいのではないでしょうか。同じ日などひとつもありません。だから、一見何の変哲もない日常の中にこそ、あらゆる可能性が潜んでいます。もしかしたら、生とは限りなく可笑しくて面白いものかもしれません。

そして、たとえ利に聡い思考や浮き沈みの激しい感情に翻弄されたとしても。それでも、自分の中に生きるわずかな「余白」を大切にしていければと思います。そこにこそ、思い出すべき「未知」との邂逅が待っているのだから...。


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have a great trek!!!★


hiyoka(^_^


hiyoka_blue at 14:58|PermalinkComments(0)

December 24, 2019

🌑12/26の新月・日食―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

★お知らせ★

来年からは、原則としてレギュラーで掲載するのは<新月の星読み>のみになると思います。2020年に入ったらもう少し自分に時間の余裕を与えたいな...なんて思ったのが理由です(^_^。満月も新月のテーマの結実として重要ではあるけれど、たぶん何か感じることはツイートしたりするかもしれません。🍀

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  12月26日14:32前後、北海道周辺で 14:38前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は14:13頃、沖縄周辺では 13:44前後に山羊座 04°06’ で新月となります。
(蝕は東京で14時28分から。最大蝕は15時36分)

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♑️山羊座04°~05°― 発効期:12/26~1/24 】
(この新月は日蝕なので、このテーマは根底をなすものとして約1年は続く)

→🌑🌞"A party entering a large canoe”
   『大きなカヌーに乗り込む一団の人々』
            ↓
→🌑🌞”Indians rowing a canoe and dancing a war dance”
   『一艘のカヌーを漕ぎ戦闘のダンスを踊るインディアン達

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
 ※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
 ※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。

 
→★人間なら誰もが持つ根源的な本能からの理屈ぬきの行動に
                後から理屈をつけて納得しようとする心理
→★全員が一蓮托生でありながら各自が細部にこだわってまとまらない状況
→★理屈抜きの感情が勝つか、やせ我慢でも人間としての品性を保つかの選択
→★非常に不安定な状況に突入することを知った上でどうにか秩序を保つ必要
→★セクシャリティに関わる政治的態度やポリティカル・コレクトネスに注意
→★「香り」によって刺激される様々な本能とその功罪に対する繊細な配慮
→★よく理論武装された話法の裏に見え隠れする隠された動機に注意
→★素早く動くべき時を瞬時に感知し対応する洞察力を身につける
→★議論のための議論、その場の勝利を味わいたいだけの無駄な会話に注意
→★繰り返すマジカルなリズムと動作を通して内なる力の感覚を呼び起こす
→★「敵」の裏をかく謀略やゲリラ的な戦法によって圧倒的力の差を超える
  (アイデアと技倆と緩急の調整によって圧倒的に有利な相手の弱味を突く)
→★多勢に無勢で波に呑まれるか、優れた舵取りで乗り切るかの孤独な挑戦
→★自分を鼓舞したり勇気づけたり、または癒やす音(音楽)に触れる
→★「愛と戦争は手段を選ばない」→ 何でもアリの「勝てば官軍」状態を見る
→★莫大な集中力を維持しながら底なしの強烈な “深淵” を過ぎ越していく必要
→★大きな注目を集める卓越したパフォーマンスが生まれる可能性
→★幻想的な魅力に引き込まれる、または何かに駆り立てられる経験
→★気のゆるみによる社会的な言動のミスや確認不足に注意する必要
→★競争原理に覆われた現実の中で困難にくじけず健全な闘争心を保ちながら
             自分にとって価値ある何かを見出していく・・・→


★エネルギーのポイント:嵐を想いながら静謐な内面の湖を覗き込む
                  
 
           
191226NMSE


eclipse


★12月新月・日蝕の星模様とチャレンジ ★

(主なアスペクトとスケジュールざっと)
 ※今回も個々のアスペクトについての解説は省きます。何か思いついたらその都度ツイートするかもしれません😉)

太陽・月・木星(とイカルス・フォルス)がコンジャンクションのSノード日蝕が
 天王星とトライン、ルシファーとオポジション(太陽・月・木星はパラレル)
土星・冥王星コンジャンクションまでオーブ1°台
イカルス&フォルス・カイロン・ルシファーのTスクエア
火星・ヘカテとグリーブがスクエア
月のノード軸をネッソスが調停

<惑星スケジュール少し>


12月23日~1月12日 水星がOOBとなる

12月29日 水星が山羊座入り

2020年1月3日 火星が射手座入り

2020年1月11日04:21 蟹座20°00で満月!
 太陽・水星・土星・冥王星・セレスがコンジャンクト
 木星・Sノード・レクイエム・アグニがコンジャンクト

1月13日 0:10ごろ土星・冥王星コンジャンクション
 1月12日 天王星が順行、月・火星トライン

1月25日6:41 水瓶座4°21’で新月!
 新月が天王星にスクエア


この日蝕はサロス132で、シリーズが誕生したのは1208年。アストロロジャー、バーナデット・ブラディは著書『Predictive Astrology The Eagle and the Lark』の中で、こう特徴づけていました。
『関係性が突然終わる可能性(年若いひと、または子供との間柄に起きる可能性)、感情的に多大な影響力を持つ蝕。トラウマを通して変容を遂げるような可能性がある』

25日発売予定の『フォーキャスト2020』では、メリマンさんがこう示唆しています。

『この日食は月のサウスノード・タイプで、通常はノースノード・タイプよりも困難だ。そしてそれが、時間的に冬至と非常に近接して起きる。日食の影響力は常に強力で、それが起きる星座宮とその星座宮が司る経済セクター、そして日常生活の領域に深刻な途絶や混乱が起きることを示唆する。その影響力は食が起きてから1年~2年続く可能性がある。』

この日蝕シリーズ誕生時の度数は獅子座28°台。
この位置には以下のような象意があります。

厳しく辛い世界で自分のベストを表現する挑戦
古い皮膚をそぎ落とすための苦闘、変革と勇気
生まれ出ようとするとてもデリケートな何かをこの世界の荒々しさから護るという挑戦
新たな経験の予感とそれに関する胸騒ぎ、イノセントなおののき

  この日蝕はこれからの1年を彩る様々な出来事とその要因を、具体的にも抽象的にも心理的にも物語るようなエネルギーを放射するのではないかと思います。今回はひとつひとつの分析は省略するけれど、上に挙げたアスペクトを見ても、良くも悪くも物事がいろいろな方向に同時に誇張されるような感じを受けます。また、一年を通じて干ばつや洪水その他の自然災害、それによる農作物の被害にも注意を要すると思います。

心理的には、もしネガティブな側面が出れば、容赦のなさ、気に入らないものは徹底的な排除を求めるような心理、駆け引きと強制(または力と力のぶつかり合い)、ひとの話を聞かないような頑固さ、不満の暴発、やりたい放題の放埒さ、罪悪感 vs 罪の意識の欠如などでしょうか。最近、「ファシスト」ということばが蘇ってよく耳にするのだけど、実はそれって正義 vs 正義、方向性の異なるファシスト 対 ファシストの戦いなのかも?

けれど、その徹底精神には見るべきもの、ポジティブな面も沢山あります。カルミックな出来事や道を選択することにつきまとう哀しみや惜別のこころ、そして突然の凋落...そんな人生のハードさなんかに負けない強靱な精神(たとえば虐めにあっても、それを乗り越えて自分の栄養にしていけるような)もこの蝕には示唆されているから。また、危険をものともせず何かに挑戦したり、いったん目標が決まれば厳しい訓練に耐えるだけのこころの強さも与えられそう。それは「根性」というよりも、否応なく集中していく不思議な能力かもしれません。でも、ケガしたり過労にならないよう、やり過ぎには気を付けてね! 

そして、過ぎゆくもの(一過性の上辺の白波)と留まるもの(自分の芯をなす何か)をしっかり識別していきましょう。


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★蝕と長期の星模様に寄せて★


    とうとう今年最後の新月、そして日蝕ですね。マレーシアやインドネシア近辺では金環蝕となり、日本からも部分蝕は見られそうということだけど、お天気はどうかなぁ...雨という予報もあるけれど、少しでも見られるといいですね。新しい時代がいよいよ頭をもたげるという2020年はもうすぐそこです。

前回の日蝕は7月。そこからわたし達は、大きな変化へ向かって進みゆくセットアップの中で、もう一段進んだ領域に入りました。これまでの約半年、みんなの暮らしは、人生はどんな風だったでしょう? 新しい出逢い、または別れ、気持ちの変化や重要な浮き沈み、あるいは新たに発見した自分自身の新しい顔。または何か大きな予感...。そんな経験、あったかな? 

前回の日蝕当時、こんなことを書きました。

『これから月蝕、そして12月の金環蝕(日本では部分蝕が見られる)と2020年1月の半影月食、そして春を迎えるまでの間に、世界の政治・経済・社会、そして日本にも、本当に沢山のことが起きてくると思います。もちろん、わたし達それぞれの人生にも。各自が選んでいる人生の道で、心理的にも現実の状況においても、様々な変化を体験するひとが多いのではないでしょうか。わたし達はとにもかくにも扉を開けて、新しい世界へ一歩踏み出そうとしているところ。突然明日から何かが変わるわけじゃなくても、こころの細胞がリニューアルしていく。そんなとば口に立つ今...』


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  今振り返ってみると、今年は災害による犠牲も多かったし、これまでの社会的な理解を超えるような狂気や、追い詰められて一線を超えてしまったと思える犯罪も目立ったように感じました。長く隠されてきたことがどんどん掘り起こされ露呈し、以前はあまり気にもされなかったようなことが論議の的になり、糾弾されるようになってきた今日この頃。一方では魔女狩りに等しい仕打ちで名誉を傷つけられる事例、嘘の告発や詐欺に等しい行為も増えたように思います。

自ら支配する魚座の中盤を悠々と行きつ戻りつする海王星の下で、わたし達の中には『何かを掛け値なしに愛したり信じたりしたい』という純粋な想いへの憧れ(海王星)と、『この世の中には何も信じるに足るべきものなどない。ひとも、物事も、気を許せば嘘ばかり』という、ますます根深くなろうとする不信感(海王星)の狭間で、知らず知らずのうちにフラストレーションを溜めてきたひとが多いかもしれません。この力もまた新しい年/新しい時代へ向けて、良くも悪くも使い方次第になります。フラストレーションはちょっとした刺激でエネルギーをシュンッと頭部に集約させ、そこで「ああでもない、こうでもない」と要らない理屈を紡ぎ出します。それが自分を縛る呪詛のことばにならないよう、気をつけてください(呪詛の対象が世間でも、誰かでも、自分自身であっても)。

どんなに嵐が吹き荒れたとしても、最終的に見つめるべきは自分自身の深奥。それは「わたし」を一瞬一瞬ふるえさせ、微細に揺らすことで「ここ」に存在させている震央。そして、出口はいつもそこに在る。(海王星は今「あまり空気を読まない無意識の行動を制し、自分の道にとって適切な表現に変える—|インスピレーション|→刷新への原動力」というテーマの位置に在ります)。ここから先は、全てが脱皮のための刺激…くらいに考えておくと良いかもしれません。


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  世界では気候変動を懸念する声、政変や政治不信など、いたる所で不満の声が上がり、高まっていきました。そして一部の独裁政権による人道に反する行為、自由を監視し阻もうとする力への抵抗、そして以前から続く局地的戦闘も止むことなく今年が終わろうとしています。一時期 “グローバリストの理想” が叶うかのように見えたヨーロッパ、そして米国社会の分断は、その夢や理想自体がはらむ矛盾(おそらく人間存在そのものが抱える矛盾)を反映しながら、ますます深刻化しています。こうしてセットアップの年は終わり、これからいよいよ新しい変化の時代に突入、そして当初に経験すると予測される、一種の混乱期に入っていきます。

  ここから先は、おそらく個人レベルでも、大なり小なり世界を覆う壮大なエネルギーの波を被ることになるかもしれません。あるひとはとてもダイナミックに、またあるひとはさざ波と遊びながら、ある時点まではっきりとは感じないままに...。こころの持ちようによっては、とても面白い時代だと感じられるだろうし、古くなってしまったものにしがみついていれば、辛い時期を通過するかもしれません。自然災害への備えや、まさかの時の心構えも一層必要になると思います。

また、『これが正しいんだ!』という思い込みがあまりに強すぎるひとは、気付かないうちに「静かな狂気」に巻き込まれていく可能性もあります。同じような考え方のひとばかりのエコーチャンバー(共鳴室)に在り続ければ、何がどこで狂い始めたかには気付きにくいものです。意見や世界観の違うひと達との出会いは、新しい発見のチャンスかもしれません(もちろんこれは、互いに聞く耳と尊重精神があれば...の話だし、その機会はあまり多くはないかもしれませんが)。また、同じ世界観を共有するひとであっても、異なる見方をするひとに対するリスペクトを持たないひと、人格攻撃をするひとや蔑視用語を使うひと、批判ばかりのひとからは出来る限り遠ざかったほうが良さそうです。


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  また、山羊座のステリウム、土星・冥王星コンジャンクションは、人間の根底の沼地とも言うべき無意識に刻みつけられた『絶滅への恐怖』を刺激してくるところがあります。このアスペクトはすでに大分前からオーブ圏内に入っていますが、広く世の中の関心を惹き付けるニュースの底流にはこうした感覚が潜み、密かにわたし達を一定の方向に誘っている可能性がありそうです。また、牡牛座入りした天王星も別の角度から「肉体の変化」とそれに抵抗し、元に戻そうとする心理を生み出すかもしれません。

  ここでその一例を挙げてみましょう。「絶滅への恐怖」と言えば、気候変動、地球温暖化とそれへの対策を求める少女活動家グレタ・トゥンベリさんが脚光を浴びています。彼女は出生時間がわかりませんが、サンライズ・チャートで見ると、トランシットの土星と冥王星がネイタルの月に乗るかたちになります(あくまで仮想チャートのひとつなので、これ自体でどうこうは言えませんが)。またネイタルで木星・冥王星・エリスの火性グランドトラインを持ち、自ら支配する水瓶座に在泊する天王星は、政治に関わることが多いパラス(公正と正義、絶対的自由と誇りの追求、または苛烈な懲罰心)とコンジャンクト、蠍座(獲物は逃がさない)の金星とはスクエア、双子座の逆行土星(制限された、または一方向に向いたコミュニケーション)とトライン、BMリリスとはセクスタイル、そして審判/懲罰的で「許さない」という感覚を刺激してくるオルクスとはオポジションを形成しています。デイリーワイヤーに掲載された最近の彼女(と側近の大人達)からのコメントによると:

    『私達の活動はもっと幅広い範囲に拡げるべきであり、人権、正義、そして政治への意志がもっと必要です。結局、問題は環境だけではなく、植民地主義、レイシスト、抑圧的な父権社会システムこそが環境破壊を創り出し、私達を殺し、未来を奪う元凶なのです。ストライキ、抵抗運動など、他の活動も必要です。全てを変えるのです。政治指導者達は私達の手から逃げられません。闘いましょう。』


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  これはやはりとても土星・冥王星的なアジテーションだと思います。確かにここで糾弾されている父権社会は、その社会が固めてきた「秩序」とともに山羊座の土星が象徴するものであり、それを根こそぎにひっくり返そうとする企ては冥王星的です。けれど、彼女の話法そのものは古来から続いてきた力と力のぶつかり合い、力による強制的な変革 — 革命を思わせます。だからこの運動は、新しい力というよりは、冥王星の破壊力がまずカオスを創り出していく動きの一つなのかもしれません。その後に本当に新しいものが生まれ出るための土壌としての混沌と、爆発する精神を...。

  だから彼女が率いるこうした動きには、環境問題だけでなく、政治や社会に漠とした不満を持つひとびとも巻き込んで拡がりそうな熱(火性のグランドトライン)があります。彼女は天性のアジテーターとして、両親を含む政治活動家の大人達に見出された(あるいは少女としての人生を略奪された)ひとなのかもしれません(イデオロギーの世界を支配する射手座の冥王星と小惑星ペルセフォネーがコンジャンクト)。太陽とカイロンとルシファーのコンジャンクションは、彼女が負っている生まれながらの障害を指すのかもしれないけれど、今後2~3年のうちに失望を味わったり傷つく可能性があることは気掛かりです。それでも、彼女は何があろうと自分の内奥に響く真実を求め、自ら変容しながら、我が道を歩んでいくのではないでしょうか。彼女の月は、OOBです。

  気候変動に関しては、CO2による地球温暖化の他にも地軸移動に関連する1万2000年サイクル説などの他、専門家による異なる学説が発表されており、けっして世界規模でアカデミックな統一見解が出ているわけではないと聞いています。けれど一般に、政治家やメディアからは他説が一切無視されているというのもちょっと不思議な気持ちになります(ただし、もし1万2000年説が真実ならおそらく今の人類には「どうしようもない」からだろう、という話もあるけれど)。この運動を世界のリベラル急進派とも親しいユダヤの大資本家ジョージ・ソロス氏が支援していることは、彼の秘書がグレタさんに寄り添っていることからも事実として欧米の独立系ニュースに取り上げられていたけれど、この動きは新たに地球規模のビッグビジネスを生み出すのでしょうか? それとも将来的には、資本主義の破壊と新機軸の社会主義世界の創造へと繋がる目論みでもあるのでしょうか? なんて、ここまで来ると少し陰謀論的な香りも漂ってきて足を踏み入れたくないのですが...。ただ、どんなことでも表面に見える物事、風に吹かれて海面に立つ白波だけを見ていては、たぶん事の本質はわからない...。グレタさんとその活動に関しても、他の政治家達や社会の動きに関しても、もしマンデーン・アストロロジーを通して世界を見ていこうとするなら、必ずニュートラルな見方が出来なければならない。良い、悪いを自分の思いや願望を通して軽々に判断してはならない。そんなことを考えたりします。


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  どうしてこの日蝕で長々とこんな話をしたかというと、土星・冥王星の組み合わせには陰謀論の蔓延が付き物だからです。2021年に入ると、土星は魚座の海王星とウェイニング・セミスクエア、つまりウェイニングフェーズの最終局面である1/8フェーズに入ってきます。これは今までの甘美な「夢」が壊れるときでもあり、また、だからこそ『信じたいから信じてきたものをこれからも信じ続けたい』ために目をつぶり、耳を塞ぐひとが増えるときでもあります。メリマン・コラムや『フォーキャスト2020』でも指摘されていましたが、2020年を幸せに乗り切っていくためには「プランニング」が大事。つまり個人レベルでは、自分が進みたい道を見据え、いったんそれを明確に描き(変化も許容しつつ)、夢を現実に変えていくための実際的な計画を立てる。そして予期せぬ事態とそれへの対応を考慮に入れながら、不屈のこころを持って進む... ということが鍵になりそうです(わたし自身は計画って大の苦手なので、自分で書きながらため息が出るのですが...^^;)。

けれど冥王星が放射する、無意識を根こそぎ持っていこうとする力は侮れません。それはまるで、ジクジクと浸透してくる、重くてもっちりと粘るようなエネルギー。それに負けず、踊らされずに自分の道を歩いていくには、今までよりも深い、より深いレベルで自分とは誰なのかを識っていくこと、そして現実に動いている「世界」をより広く識ることが必要になるでしょう(見たくない物事を見る可能性もあり、それもまた重いタスクかもしれないけれど...)。 そして、良さげに見えること、聞こえること、あるいは『なんて酷いんだ!最低!』と感じる物事をすぐには信じない習慣をつけることだと思います(魚座の海王星と月のノード軸のTスクエア ― 海王星が支配する精神的な物事・深みについての宇宙...つまり真の自分からのテスト ― も1年後に近付いてきます)。

わたし達は、今自分が感じていることにフィットする意見や解説はすぐに信じてしまいがち。けれどこれからはなるべく、気になることがあれば一つ一つ、自分自身の手で納得いくまで調べること、それが、少なくとも今後を乗り切っていくための優れたツールになるのではないでしょうか。読んだことが気になるなら、切り取られた文言ではなく、全文を読み切り、必要なら裏付け(これも全文)を取って、可能であれば周辺事情も調査した上で自分の頭で考える...たぶんそんな習慣かな。これはけっして理論武装するためではなく、感情に揺らされることのないニュートラルな芯を持つための行為です。自分が本当に動くべきときが解るのは、その「芯」で感じたときだけだから。


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  そんなわけで、もしネットやTVなどで見た物事、または人物に対して良くも悪くも何かを感じたなら、憶測で決めつけたりせず、全ての人間にはそれぞれの人生の積み重ねが存在し、自分には計り知れない体験を経てそこに存在するのだということを忘れないでください。歓びでワクワクするのは素敵なこと。けれど、自分の願望を投影して他者に完璧を望んだり、あげくにむやみに怒ったり怖れたり、うわついたり浮き足だったら...土星・冥王星コンビの思うツボ。何故ならこの2惑星が力を合わせて創り上げた重厚な鎚が嬉々として自分の上に振り下ろされる、そんなきっかけを自ら与えることになるから。それに、今の冥王星は昔の冥王星より強力かもしれません。どうしてかというと、冥王星にはこのところずっと、1994年に発見された同じ冥王星族のアーラウンがぴたりと付き従っているからです(発見当時は約6°離れていた)。彼はケルト神話の異界の王で、地獄の猟犬を引き連れて死者の魂を追い続けるとされる存在です。前にも一度書いたけれど、アーラウンの惑星ノードから導き出されたキーワード(by P.セジウィック)を挙げておきますね。

エゴ的な言動と魂レベルの葛藤に関わる問題
内側に抱える魂の「火」と、それを活かしていく現世の火の信条のテスト
人や物事の裏に潜む真の動機や目的、理由を識別していく必要
行間に滲み出る「意図」を見破る努力、またはテスト
一度した約束をどんなことがあろうと誠実に果たせるかの試練
良いにつけ悪いにつけ、こころを騒がせ反応させるような物事に今までよりももっと注意深くなる必要

 『もっと深く見よ。内奥の真実から目を背けず、自らの混沌に誠実であれ』


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  山羊座の土星と冥王星、そして木星。これらのコンビネーションは、最高にも最悪にも、どちらの方向への振り幅も相当大きいと考えられます。ひとによって、そのトランシットのハウス・ポジションによって、その顕れ方と経験は様々でしょう。

けれど。たとえ周囲がどうあろうとも、自分に対して、他者に対してのリスペクトを忘れずにいきたいと思います。そして楽しむときは全てを抱き留めて大いに楽しみ、エネルギーを蓄え、本当に闘うべきときが来たら全力で、嘘なく、気高く戦いましょう(今、あちこちで仕掛けられている声高な戦いは、わたしには海面の白波に見えます。それが良いとか悪いとか意味がないとかではなく、混沌のための前座として動かされているように。もちろんそれに関わっているひとびとにとっては彼/彼女の人生にとって必須の体験として起きているのですが)。でも、たとえいっとき混沌の中で迷子になることがあっても、孤独で淋しくてたまらなくても。あなたは、わたしは、生きて今ここにいます。そしてここにだけ、世界の全てが、失ったはずの全てが存在します。そこからは、いつも新しい何かが生まれ出ようとしています。

これからは、古いものが壊れ、混沌の中から新しいものが少しずつ顔を覗かせる時代。けれど、「何が古くて何が新しいのか?」 それは今のわたし達にそう見えているものとは違っているかもしれません。何故なら、今のわたし達はまだ、右とか左とか、善とか悪とか、全てを、世界を、古い眼で見ていると思うから。「善」も「悪」も、その古い形も新しい形態も、階層や信条に関わりなく、世界のあらゆるところから芽吹き、頭をもたげてくるだろうと思うから。きっとこの先に待つという新しい時代。その世界が果たして良いのか悪いのかも、今の眼と常識では判断出来ないでしょう。それを決めるのは、新しい世界を生きるひとびと(またはわたし達)なのだから。 だから。今、わたし達はあらためて自分自身の道を見出し、それぞれが自分を満たしながら、ささやかに歩んでいくときなのだと思います。そのまなざしは、遥か未来からこの世界を覗きにきた異層のひとのよう。その想いは、凍てつく大地の下でワクワクと、あるいはじっと、芽生えを待つ球根のよう。あらためて。そんな...「わたし」でいたいと思います。



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  おっと。またもや前置きが超長くなった!
では今年最後のサビアン・シンボルにいってみますね。



★12月新月/日蝕のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
山羊座4°『大きなカヌーに乗り込む一団のひとびと』



  いつも言っていることだけど、蟹座―山羊座軸は成長への圧力が一段階UPする領域です。たとえば蟹座は自己の内面に集中し、身近な関係(家族や自分が属する集団/自分のテリトリー)に対応する感受性と、それへの反応として出て来る感情を通して認識を深めていくことを強いられます。これに対して、山羊座は広い外的世界での成長を促し、射手座で培った「世界観」を使いながら、自分が行った行為と結果に対する責任を学ぶよう負荷をかけてきます。

けれどこのシンボル、一艘のカヌーに大勢のひとが乗るって…何だかとても不安定になりそうだと思いませんか?  一般的にカヌーと言えば、細くて深いV字型にくりぬかれた木製の船です。河や海を勢い良く走る姿を思い浮かべるのだけど、そこに「ご一同様」が乗り込むなんて、確かにひと波乱ありそうです…。ここで使われている "party" という言葉は、人々の集団、一定のイデオロギーや目的をもったグループ、政党、社交的な集まりなどの意味を持っています。そして、"in the same boat" と言うときは「同じ境遇同士」とか「一蓮托生」という意味になります。そして、"party line" と言えば、その組織やグループの公式な見解、あるいは「政党としての路線」という意味になります。


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  では、そんなひと達が細長いカヌーにひしめき合ったらどうなるだろう...? 誰かが水に落ちてしまうかも? そうでなくても誰がどの場所を取るか、荷物はどうするかで議論や口論が始まるかもしれません。一つのパーティが二つに分裂するかもしれないし、そうこうしている間にカヌーがひっくり返るなんて可能性も大...。 これはもう、大きな波風が立ち、周囲に波紋が拡がるのが目に見える感じがします。これをまとめるリーダーは、厳しさと共に忍耐力や耳を傾ける力、また何よりカヌーが安全に目的の岸まで辿り着けるよう、不断の注意力を保つ必要がありそうです。でも、これは相当大変なことではないでしょうか? たぶん。

カヌーは大きな船舶とは異なります。よく訓練された乗組員が導いてくれるわけではありません。おそらく乗り込むご一同様には一応の上下関係や経験の差はあったとしても、内心は皆すでに、辿り着くべき向こう岸? に思いを馳せ、単なる過渡期の乗り物に過ぎないカヌーに関しては「誰かが舵取りしてくれるはず」という乗客気分でいる可能性が高そうです。

けれど、この一団にもしも何か明確な目的があり、そしてそれをぜひとも実現したいのなら、どこかの時点で誰かが人々を上手くまとめ、カヌーの舵取りをする必要が出て来ます。そうしなければ、目的地に着くどころか最悪の場合、悲惨な水難事故になる怖れがあります。また、たとえば「河を渡る」という行為が自分自身の「こころの河」を渡ることを意味するのであれば、そして新しい境地を目指そうとする「わたし」を象徴しているなら、自分の中で暴れているいろんな想いのそれぞれを拾い上げ、ひとつの筋道にまとめていく力が必要な場面です。


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  この度数に対向し補完する蟹座4°のシンボルが『ネズミと議論する猫』という不可思議な光景を描いていることを考えると、バラバラにまとまらない乗客達は、人間の奥底にうごめくさまざまな「本能」と、それを何とか抑制しながら無事にやり過ごしていくための「理屈付け」を意味している可能性があります。

以前、この蟹座側の度数がルネーションで出て来たとき、ネズミと猫の会話をこんな風に書きました。

猫『これから君に飛びかかって食べるにあたってだな、言っておきたい事がある』
ネズミ『…………………。』
猫『我々は獲物を捕って食べる。これは生きるためであり、自然の摂理だ』
ネズミ『そんなことを言われたって、殺されるのはイヤだ。それだって摂理だろ』
猫『いや、これは生物学的に言って正しいことだ。君は理解するべきだ』
ネズミ『冗談じゃない!食われてたまるもんか!』
猫『まったく聞き分けが無いな。知性が足りないヤツは食われても仕方無い』
ネズミ『いや待て待て待て!』(びゅーん)

結果:議論にならない。。。😂


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  けれどわたし達は自分の内部でも、たとえば「動かなくてはいけない...でも出来れば動きたくない...」などの葛藤があるとき、どうして動けないかについてもっともらしい理由をつけて自分を納得させたりします。けれど、どうしてもこうしたい、あるいはしたくない...、そんな気持ちがあるとき、それが本当に自分の核の部分からのゆるぎない衝動であれば、多少の恐怖や躊躇があったとしても素直にどちらかの決断を下しているかもしれません。何故なら結果がどうあろうと、自分が選択した道の責任は自分にある、それでいいと感じられるから。

けれど、どこかに違和感があるときは、当座の言い訳や合理化が必要になりします。自分の中に生まれて来るさまざまな衝動や本能的な欲望、そして怖れ。『こんなことしたら(またはやらなかったら)どう思われるだろう...?』 ともに居る、または働くひとびとが口にする様々な物の見方、意見、叫び、あるいは念や欲望、エゴの壁。わたし達はこころの中で、または職場や家の中で、ネット上で、様々な議論を交わします『方角はこっちだったろ!』『いや違う、あっちだ!』。誰かが誰かを論破し、優位に立とうとする。すると誰かがそれを批判し、悪の烙印を押す。さぁどっちに付く? うーん、どうしよう。小さなカヌーは揺れに揺れ、今にも流れに飲まれそう...。 

実のところ、互いに目的地はひとつだったはず。「議論」って、こころの中であれ、ひととひととの間であれ、本当は物事を、真実を、明確にしていくための共同作業だったはず。互いに意見を交換し、磨き、新しい光を当てて発見しなおすためのものだったはずです。はたしてわたし達は、怖れや衝動やエゴの壁(力を見せつけて自分のほうが上だと思われたいという欲望や他者からどう見られるか?への恐怖、または瞬時の快感)を乗り越え、自分に対しても、相手に対しても、オープンで正直になれるでしょうか? あるいは状況を見て加減を計りながらいくのなら、最後までその態度を貫き通してカヌーを安定させられるかな? 不毛な議論や理屈付けではなく、本当に自分の「芯」をしっかりとまとめ、荒波を乗り越えて向こう岸に辿り着くことは出来るかな? それとも、とっちらかったまま、他の誰かや自分にはどうすることも出来ない事情(と理屈づけた何か)のせいにして、ブツブツと呪詛のことばを吐き続けるでしょうか? そのことばは水面に届き、鏡となって還ってくるでしょう。このシンボルは、わたし達のささやかな日常に突き付けられる、そんな挑戦を象徴しているようです。

じゃ、次にメインのシンボルを見てみましょう。


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新月のメイン・シンボル:
山羊5° 『一艘のカヌーを漕ぎ戦闘のダンスを踊るインディアン達』


  さて、ここでも再びカヌーが出て来ました。でも、今回カヌーを漕ぐのはネイティブ・アメリカンの戦士達。きっとカヌーを操る腕も相当なものかもしれません。しかも彼らは士気を鼓舞する戦闘のダンスを踊っています。彼らは何か特定の目的(敵を打ち破る?)を持って集まり、エネルギーを高めるための特別な踊り ― あるいは儀式的な所作を演じています。ドラムが打ち出す勇壮なリズム、気持ちを高める雄叫びの声! これから全員で向かっていこうとするターゲットが何であれ、内なる集中力は否が応でも高まり、体中に力がみなぎっていきます。

  これから彼らがカヌーに乗って向かう先には、強大な敵が待ち構えているのかもしれません。普通なら、いくら大きめとはいってもたった一艘のカヌーに乗れる人数は十数人に満たないでしょう。それだけの人数で敵の陣地を襲うなら、それはゲリラ的な戦法になるはずです。あるいは囮作戦でしょうか? いずれにしても、とても危険な任務です。通常の戦い以上に命の危険は大きいはず。だからこそ、士気を高めるために今、彼らは戦闘のダンスを踊っています。部族の命運と誇りをその背に負って。愛する家族を護るために。戦士としての栄誉にかけて、この作戦を成功させなければなりません。その意味でも、前の度数の「ご一同様」とは覚悟が違うようです。彼らはその試練を乗り越えてきたはずだから。皆の目は同じ方向を向いています。そのいのちの火は同じように燃え、交わすことばももう必要ないくらいです。戦略はもう十分に練られています。あとはただ、大地を蹴り、足を踏みならし、生きとし生けるもの全てから力を贈られた者として、風に向かい水を掻き分け進んでいくだけです。


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  彼らの行く手には死が待っているかもしれません。敵の死と、自らの死と。わたし達は「死」と聞いただけで怖れます。誰でもが等しく、生まれたら必ず死ぬのだとわかっているのに。それは怖い。だってそれは、今がずっとずっと続くんだ...というその感覚の「断絶」だから。もしかしたら、死ではなくても、ただ何かを失う恐れも、先行きへの漠とした不安も、行き着くところはその「断絶」への怖れなのかもしれません。それなのに、イチかバチかになったとき、覚悟を決めたとたんにスッと怖れが無くなるときがあります。人間って不思議ですね。

よく『メメント・モリ=死を想え』という昔からのことばを聞くことがあります。死せる運命を十分に見つめ、その上で今を生きるとき、わたし達は敬虔さの中で真っ直ぐな気持ちになります。死に向かいたいんじゃない。生きるための力を自らに贈り、生まれ出た者としての自覚を持つために。もし今、向かいたい目的を思い描けるなら、それに向かって迷いなく歩んでいくために我が身の死を想い、自分の芯を確認し、より強くなる。それは特攻精神じゃない。スキルを持ち、戦略と計画を練り、必ず任務を果たし終え、帰還するために戦闘のダンスを踊る、誇り高き戦士の精神です。


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  今、自分の中に聴き取ることが出来るでしょうか? 響き渡るドラム、内なる火を鼓舞するような部族の歌、「わたし」の歌を。

これからの1年、たとえいつか圧倒的な力の壁が立ちはだかったとしても。自分自身を誠実に生き抜き、どんなことばを投げかけられようと、笑って過ごすための、自分だけの歌を「わたし」は見出せるだろうか? 火のダンスを踊れるだろうか? 人混みの中で、様々な出逢いの中で。またはこころの中にせめぎ合う葛藤の中で。 クリスマスの夜。そして新年を迎えて。ひとり静かに耳を澄ませてみたいと思います。

さぁ、幕開けの2020年がやってきます。 凪ぎも波も、みんな楽しんでいけますように...!



eso1029a




have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



hiyoka_blue at 21:17|PermalinkComments(0)

November 12, 2019

🌕11月12日の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 11月12日22:53前後、北海道周辺で22:59前後、関西方面は22:34頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で22:04前後に 牡牛座19°51'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月 牡牛座19°→20°/ 太陽 蠍座19°→20°】
  🌕 “A newly formed continent”
  『新しく形成された大陸』
  🌞 “A parrot listening and then talking”
  『耳を傾け、その後で喋るオウム』
     ↓↓↓
  🌕”Wind, clouds and haste”
  『風、雲、その急速な動き』
  🌞“A woman drawing two dark curtains aside”
  『2枚の闇のカーテンを引き開ける女』

11月27日新月 射手座4°台
 『歩行を学ぶ小さな子供』→『木の上のフクロウ』
 に繋がっていく

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~11/26】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います

→★様々な物事を拡大解釈して都合よく利用する言動を見抜く
  (その底流に存在するはずの「本質」の変容に注意)
→★良くも悪くも「噂話」が大きな影響力を持って蔓延する傾向
→★古い思想や哲学、昔の知恵、流行などを再認識、または再利用する
→★自分を護るために誰か力のある他者のことばを盾にする
→★水面下で進行しつつあった物事が急速に進展/加速していく
→★無意識の怒りを操ったり不安や怖れをもてあそぶ心理に注意
→★一時的に身を引く、または目立つことを避けて力を溜める必要
→★新しい観点、新たな手法、新しい力を求める気持ちが強くなる
→★時間と手間を切り詰めて都合のよい部分だけを抜き出す言説に注意
→★隠されていた事実に光が当たり目の前の事実が陰に隠れる
→★何かに突き動かされて熱が入り、とめどなく喋り続ける傾向
→★早くやらなければ、行かなければ、と急く気持ちに注意
  (誤解、ミス、違反、事故、怪我、損壊や火事なども含めて用心)
→★古い手法や面倒な手続きが本来持っていたはずの意味に着目してみる
→★「内なる子供」が抱えるトラウマを受け入れ、きちんと向き合う必要
→★突発的な知性の輝きや「降って湧いた」新たな思考を大切に扱う・・・→


★エネルギーのポイント:新月
           『しなやかに座して凜として立つ』
            ↓
            満月
            『背中を押す力の真偽を識別する』

            

191112FM



  昨夕 そぼ降る雨の中、食糧品の買い出しにスーパーに行きました。そして何日かぶんの買い物を済ませ、屋上の駐車場に出てみたら...いつの間にか雨は上がっていて、雲の切れた空に丸い月がぽっかり。。 とても鮮やかな光を放っていました。そしてそれを見たとき、なんとも言えない複雑な気持ちになりました。うーん、自分でも理由はわからなくて、ことばで言えば「ぁ...満月。」なんて、あまりにも当たり前のことしか浮かびません。嬉しいとか哀しいとかいう微妙な感情もなく、ただそこに月が満ちて在ることを、少しため息混じりに感じ取った...とでも言えば良いのかな。でもたぶん、それは『フォーキャスト2020』の原稿が来始めて以来 仕事に埋没するような日々が続く中で、自分自身が「今、ここに在ったこと」にふと気付いたような...そんな感じだったかもしれません。この満月は小惑星ヴェスタとコンジャンクト。そして冥王星とはトライン。何かとても深いところから「名付けられない存在の火」を呼び起こすようなところがあるのかもしれません。


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  このところの惑星エネルギーは、たとえ何がどうとは言えないような曖昧さの中にあったとしても、何故かちょっと落ち着かないような、先を急がされるようなフォースが混じっているように思います。何かわからないものに背中を押されるような感じと言えばいいでしょうか。何を急ぐのか、何をするのかはひとそれぞれで、ただ何かを始めたほうがいいのかな?とか、誰かに会いにいこうか?とか、そろそろ○○の準備をしないと...とか、または何かどうしても欲しいもの、買いたいものが出てきたりとか...。本当に様々だと思います。一方、世界を見れば、様々な国の様々な土地で、今まで起こり得なかったような物事がいつ終わるともなく進行している今。地球はある種の緊張感に覆われつつあるように感じられます。これはやはり、ラスボス的な土星・冥王星コンジャンクションが一歩また一歩と近付いているからかもしれません。このコンジャンクションの正確な形成は、山羊座22°台。期日は来年1月12日〜13日だけれど、今年のクリスマス前後にはもう発効圏内(たぶん地政学的にも危険期)に入るし、牡羊座23°台にじっと控える準惑星エリスもまた、両惑星とのスクエアを待ち構えています。

そんな中、2020年以降への「セットアップ」が着々と完成していく今という時は、わたし達ひとりひとりにとって、個としても集合体としても、とても大切な時期なのだと思います。どんな暮らしをしていても、どんな想いを抱えていても。そしてどんな出来事やエネルギーに翻弄されたとしても。最低限、自分が今立っている足許を見失わないこと。 自分が拠って立つ本質って何なのかを確かめながら、一歩、また一歩。 ときには立ち止まりながら。 土星が冥王星に近付いていく、その足取りに負けずに。笑ったりしんみりしたり、ときには怒ったりしながら、でも揺るがずに。

今年の『フォーキャスト』はいつにも増して深い内容と今の星回りの様相もあり、携わっている間はブログはお休み気味になります。けれど、11月6日にツイートした満月までの要注意点は、この満月から次の新月までの期間にも有効だと思うので、よかったら参考にしてみてください。😊


★惑星スケジュール、ちょっとだけ

11月14日 金星がOOB(アウトオブバウンズ)入り、海王星とスクエア
        (12月13日〜14日まで)
  金星のOOBはよく「恋愛至上主義」なんて言われます。もちろん「愛しすぎる」傾向のひとも出るのですが、必ずしもそんな傾向ばかりが強く出るとは限りません。反対に極端な懐疑主義やトラウマに陥りやすい傾向、または恋愛よりも友愛が突出するようなケースや、移り気、一度に複数のひとを愛する多重恋愛傾向、また何度も結婚と離婚を繰り返すケースなども見られます。ただしこれは金星OOBを恋愛問題に特化して、あまりに狭く見てしまう観点だと想います。通常、外側から金星OOBのひとを見る限り、ちょっと変わったものや「普通」ではないもの、ひとによっては危険をはらむような物事に惹かれる/興味を持つ(または気付く)傾向や、常識から外れた感受性、そして気に入ったものをとことん深く掘り下げていく傾向が強いです。(でも同時に醒めた見方もしている)。その「とことん精神」が恋愛に顕れれば、これと思った相手を何年でも待って諦めずに落とすひとがいるかもしれません。けれどその後どうなるかは、出逢いの性質次第です。

なので、たとえば「感受性が強すぎて “普通の状況” ではかえって安定しない」「ちょっと変わった味わい」「あれこれと定まらない傾向と、ひとつの物事に徹底して突っ込む傾向が同居している」または「その二つの傾向が入れ替わり立ち替わり顕現する」などが考えられる特質でしょうか。つまり「どこかで覚醒しながら耽溺する」あるいは「耽溺しながらどこかで覚醒している」...とも言えそうです。また「インスピレーションの豊かさ」「異質な美への高い感受性」を持つとも言われています。それは当然「自分の感性に嘘がつけない」性質として表面化するでしょう。また、こう言い換えることも出来るかもしれません。「常に “それ” ではないものを探し求めている」。なんだか禅問答っぽいかな...「これではない」だったら現実的な拒否や否定になるけれど、あくまで「それ」。いつも何かを探し求めている。けれどそれは「太陽が統制する地球」が提示出来る「あれ」や「これ」ではない。だから自分でも何だかよくわからない。ただ無意識のうちに求め、深く感じようとする激しさを持っている...そんな感じだと思います。

また金星OOB持ちのひとの内面には「情の深さ」が共通して見られるけれど、それが常にわかりやすい形で出るとは限りません。おそらく、状況によっては冷たいひとに見えてしまうケースもあるでしょう。それは、これもまた無意識のうちに、何処かで「感情の限界」を知っているからかもしれません。なのである程度年をとって経験を重ね、自分が誰であるかを薄々でも知り始めるまでは、誤解されたり、多くの軋轢や辛い経験をすることがあるかもしれません。けれど、紆余曲折をものともせず、誤解されるようなことがあってもめげず、素直に正直に、これと思ったことを探求し続けるなら、素晴らしい何かを創り出せる可能性を持っています。

著名なミュージシャンでは、たとえばビョークが金星OOBだと言えばなんとな〜く感じが掴めるでしょうか。

  ただし、ネイタルの金星OOBを読む場合は金星が在泊するサインや度数、そしてアスペクトを十分に加味しながら分析してください。OOBはかなり特徴的だけど、それが人生のどんな場面でどんなふうに顕れやすいかは、当然ながらネイタルチャート全体のテーマに大きく依拠します。アスペクトによっては、OOBの特質が内在化してほとんど表に顕れないケースも見られます(それでも本人が気付いているかいないかは別として、内面の葛藤はあるけれど)。また、OOBが金星単体で顕れているか、それとも月(最強のOOB)や他の惑星OOBと共に顕れているかも、どの程度OOB的な性質が突出してくるかに関連します(月、水星、火星など、特に他の “個人惑星”もOOBであるほうが強い)。

  金星が密かにそんな味わいを見せるOOB期、そうと知った上で高まる感受性を上手く使えれば、きっと楽しく過ごせるかも? とりあえずインスピレーションが湧きやすくなると思うし、音楽や美的な物事への感性も全体に高まりそうです。ただ海王星とはスクエアなので、“なんとなく” 衝動的になったり、熱にまかせて(理想でも愛でもイデオロギーでも)ここぞとばかりに語りすぎたり、巧みな騙しのテクニックについフラっとしたり...なんて顛末には気を付けてね。どんな物事でも、なんとなく勢いでズルズル行く感じになると、後で後悔しそう。この期間はきっと「熱と理性の共存」が鍵になるかも。

11月19日〜23日 銀河中心とイクシオンに木星がコンジャンクト
  もともと無頼なイクシオン。何かやらかしても罪悪感など持たないイクシオンが銀河中心に在り続ける間、「深い謝罪」が本物なのか「真剣な真実の追求」が実は上辺だけで、本当は他の思惑があるのか、なかなか識別がつきにくいかも。米国ではトランプ大統領の弾劾が一番の話題になっていますが、本来は、もし真実であれば、それにも増して世界を揺るがすことになりそうなジェフリー・エプスタイン事件(世界中の政界、経済界、著名人や王室まで巻き込むと言われ、渦中の中心人物が獄中で「自殺」とされる不審死を遂げた大規模な人身売買&性的虐待事件)が闇に葬られようとしているようです。 この種の事件の真偽は、昔から永遠の闇の中に葬られることが殆どだとしても、同じエネルギーはわたし達の日々の暮らしの中でも働いています。例えば「うーん...ヤバイかな。ま、いいか」「面倒だし、クサイものにはとりあえず、蓋!」的な見逃しや逃げの姿勢を誘いがち。そこに訪れる木星が、本物の「審判」を下すのか? それとも、どっちもどっちの無責任♪ みたいな傾向を増大させるのか? 自分の内面も、他のひと達の言動も、注意深く見ていけたらと思います。

11月21日 水星順行開始 蠍座27°38’〜

11月20日〜23日 土星とヴェスタがトライン
季節の変わり目、刻の変わり目を感じるような、そんなトライン。そこはかとなく、何かが終わり、何かが始まっていくような。これまでの経験が、やがては豊かな実りになっていく予感のような。もう過去の秘密も要らない。もういい。そして、自分が大事にしてきたものの他に、自分が拒否してきたものが何だったのかをもう一度、かえりみてみる。自分を留めてきた様々な予断や怖れに別れを告げるために。そして窓を開けて、新しい空気を吸いこんでみる。自分が誰なのか? それは変わらなくても、何かが新たに変容していくのを感じる...ヴェスタの火の力を味方につけて。そんな、密やかな力...。

11月24日 OOBの金星と木星がコンジャンクト
        (銀河中心とイクシオンもオーブ圏内)

11月25日〜26日前後 OOBの金星が山羊座入りしてフォルスと
              コンジャンクト、カイロンとスクエア
この微細な、でも強烈な力に触れてフォルスが働けば、突発的なエネルギーの噴出を経験するひとがいるかも? 一時的には痛くても、それは過去のトラウマから卒業する機会になるかもしれないし、「この傷もまた今まで生きてきた自分の証しであり「勲章」なのだ」と、あらためて捉え直すチャンスとして使えるかもしれません。経験はすべてが力になり得ます。

そして...
★11月27日 新月


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have a great trek!!!★
hiyoka(^_^




hiyoka_blue at 17:45|PermalinkComments(0)

October 27, 2019

🌑10/28の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

お知らせ

次回の満月はお休みさせていただきます。
また今後少しの間、ブログの更新は流動的になるかと思います。2020年も目前に迫った今、今回は自分自身の星回りを見ても『フォーキャスト2020』の翻訳作業に絞ってエネルギーを使うことが重要だと感じました。楽しみにしてくださってる方、すみません!! 🙇‍♀️
(なので今回は少し先まで視線を伸ばして書いてみました。)
 でも、メリマン・コラムやルネーションなどはその都度思いついたり気になることがあればツイートするか、概要をこちらに載せるかもしれません。とりあえずフレキシブルに考えてます😅。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  10月28日12:57前後、北海道周辺で 13:03前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は12:38頃、沖縄周辺では 12:09前後に蠍座 04°25’ で新月となります。


前回の新月のテーマについてはココ、満月についてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽♏️蠍座4°~5°― 発効期:10/28~11/26 】

🌑🌞“A youth holding a lighted candle”
   『火をともした蝋燭を持つ若者』
            ↓ ↓ ↓
🌑🌞“A massive rocky shore”
   『壮大な岩礁』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)~11月26日】
 ※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
 ※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。


→★今すでに自分の手中にあるものこそが未来を創るという信頼
→★自分には手が届かないと感じる物、ひと、物事への苛立ち
→★真の夢、本物の構想を時が至るまで胸に秘めておく必要
→★夢見ることでこころを癒やし、今持つものの価値を愛でる
→★報奨に釣られて道を逸れ、こころにそぐわない物事に手を着ける危険
→★他者の苦悩や貧困に感じる憤りがかえって視野を狭くする傾向に注意
→★人生に起きる理不尽さや深刻な状況を透徹した目で見据える必要
→★雑多な事物の中から価値あるものとそうでないものを見分けていく
→★バカげた大笑いや束の間の祭りで溜まった澱を昇華させていく
→★「人間の夢」と「自然の力」の克服し得ない相克を理解する必要
→★「全てに向かって開かれた注意力」「尊厳」「品位」を保って生きる
→★物事を開放的な精神で観ることと、ただ放っておくことの違いを知る
→★全ての痛みを察知し重さを受け止めた上で静かに微笑む強さ
→★たとえ目標が定まっても、時には回り道する必要があることを知る
→★何を求めているのかわからないまま、何かを求めて激しく動く感情
→★自分にとっての未知の領域や理解出来ない世界に手を伸ばしていく
→★物事には目前に見える光景とは全く異なる深奥が常にあることを知る必要・・・→

11月12日 牡牛座19°台の満月へと続く

★エネルギーのポイント:
 前回の新月『進む、退く、かわすの動作に静けさを見る』
             
 今回の新月『しなやかに座して凜として立つ』
                   
            
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  前回、新月のエネルギーのポイントは『進む、退く、かわすという所作の内に静けさを見る』でした。天秤座の新月の下で、社会と個としての自分のギャップの中で、否応なく押し寄せてくる自然の脅威の中で、真実の内的知識や理想の結晶を内部に、または外部に見ながら...うまく日々を舵取りしてこれたでしょうか?

さて、今回の新月。台風19号の爪痕も癒えない中、東日本を襲った豪雨は再び人命を奪い、家屋やインフラにも大きな打撃を与えました..。世界や日本の世相、政治経済面にも、なんだか今回の新月を先取りしたような感じの動きが目立つように思います。

では、今回拾ったアスペクトの項目を以下に記しておきます。

新月・天王星(とアクシデントのパーツ)がオポジション
火星・土星がスクエア
MC・金星・パラス・水星・インシデンティアのステリウムを中心にエリスとアスボルスからYOD、そのMPとなるICにヴェスタとソウルのパーツが乗る
星・海王星がクインカンクス
木星・セレスとアスボルスがオポジション、アグニが調停
月のSノードとヒュロノメがコンジャンクト

アスペクトをざっと見て:

  世相的にも心理的にも物事にも、変化が起きやすく予断を許さない感覚。Sノードとヒュロノメのコンジャンクションは今まで身近で当たり前に思っていたひとや物を突然失う痛みと苦悩を示すことが多いけれど、それが台風の襲来にも顕れていたように思う。また、自分が属する「部族」「家族」あるいは「志を同じくする者達」とその誇りを護ろうとする、強い心理が社会的にも個人レベルでも様々なかたちを通して表現されるかもしれない。また、ちょっとしたことでも苛立ちが昂じ、つい喧嘩腰の物言いになるひとがいるかもしれない。けれども後になって意外な事実が判明することもある。もし刺激されることがあっても、優位な立場に立とうとしたり、一時的に溜飲を下げるために力を外に爆発させるのは避けたほうが良いとき。功を焦ると裏目に出やすい。けれどただ我慢するとかではなく、湧き起こったエネルギーを体に感じ、よく観じてみると良いと思う。それはやがて真の「戦士の力」になっていく可能性がある。 

また、事故のパーツは地震に関連するケースも見受けられる(東北大震災/太陽、中越地震/月など)。パーツというものは、惑星とコンジャンクトしたからといって常に何かが起きるわけではなく、ただ人びとの心理的なエネルギーが緊張するのみで何事もなく終わることも多い。なので怖がるのではなく、ただ「そういうこともあるんだ」と知り、一応確認しておくくらいの姿勢が一番だと思う。けれどこういうエネルギー的な緊張が起きるときは全般に、無意識のうちに疲労を溜めがちなとき。水星逆行もあり、ふとした拍子に事故にも繋がりやすい。「体の声」をよく聴きとどけ、それに従って適度に休養を取る必要ありなとき。次の満月、そして11月末の新月に向かって「お腹の力」をぐっと溜められるよう心がけておくと良さそう。ICにコンジャンクトする逆行のヴェスタは逆境に耐えうる資質と火の力をわたし達に与えてくれる。

また、象徴的にも実際にも、匂い/香りに関して — 自分に合う香りと合わない香りを全身で嗅ぎ分けるような感覚 — が示唆されている。感覚が敏感になりやすいときかも。なので香りを選ぶ際はごく自然に体がほっとするような感じがするものを選ぶと良さそう(瞬間的な感覚を大事に)。

<惑星スケジュール>

 10月27日~28日 火星・土星スクエア形成

 11月1日 水星逆行開始 蠍座27°38〜
        1日前後数日のストームフェーズは特に誤解やうっかりミス、
        アクシデントにも注意を。  
       (11月21日順行、蠍座11°35〜)
   
 11月4日〜5日 土星と冥王星が正確なパラレル形成
           火星が冥王星にスクエア形成

 11月11日〜12日 水星日面通過(日本では見られない)

 11月12日 牡牛座19°台で満月(ヴェスタとコンジャンクト)

 11月14日 金星がOOB入り(12月13/14日まで)
         金星・海王星スクエア

 11月19日 木星が銀河中心とイクシオンにコンジャンクト
         火星が蠍座にイングレス(フォルスとセクスタイル)


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  ではここでサビアン・シンボルに行く前に、ちょっと脱線(でもないかな?)。現在牡牛座を運行中の天王星について、以前書いた文章に手を入れ直したものを載せておきます。今回は天王星とオポジションを形成する新月なので、あらためて考えてみるにはちょうど良い折かもしれません。


       蠍座に入って月を迎える太陽は、自分の世界と他者の世界とがぶつかり合い、溶け合い、変容していくプロセスを辿ります。それは存在の深みにダイブしていく行為に他なりません。そして現在その対向に在泊する天王星は何をしているでしょう?  牡牛座は本来、自らの足許を固めて安定させようとする衝動、「持つこと/所有」の概念を発達させて絶対安全な「自給自足」まで至りたいと願う欲望、同時に「私のもの」が持つ資産的価値を高めていこうとする意志を持ちます。けれど天王星は、ときにそれらを攪乱し、ときに大穴を開けて破壊し、牡牛座が具現する「物質」「所有するという感覚」「どこから見ても安心な美」にまったく新しい概念を与えようと力を放射しています。


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 ※ 自転軸の傾斜98°で転倒しつつ軌道を巡る天王星


  そういえば最近の日経新聞サイトに、グーグル社の量子コンピュータが最先端スパコンでも1万年かかる計算問題をたったの3分20秒で解いたというニュースが載っていました。「進歩」のスピードは加速しています。そして金融世界はもちろん、わたし達の日々のお金のやり取りやコミュニケーションに関しても、今とはまったく異なる世界(と概念)の出現が刻々と迫っているように感じられます。そのニュースではこれを社会に起きる「創造的破壊」としていました(この流れはわたし達がそれとは気付かないうちに、すでに一種の世界的世相として顕れつつあるのかもしれません)。特に現在 天王星が運行中の牡牛座第1ディーカンは、頑固さと強い意志を持つと言われる激しい領域 - 「レイジングブルの大地」です。わたし達集合体の無意識自体が天王星に促されてその流れを加速しているなら、たとえ一部のひと達が背を向けたとしても、よほどのことがない限り、何者もその勢いを止めるようなことはないでしょう(余談ですが、大型で威力のあるリボルバー式拳銃は "Taurus Raging Bull" という名を持っています)。


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  また、牡牛座のこの位置には知るひとぞ知る恒星アル・シェラタンが在泊します。 この星は犯罪に関わるという説もあり、なかなか悪名高い星です。その理由はおそらくこの星が火星と土星という相反する質を併せ持つからだと思います。たとえばエルスベス・エバーティンは、このシェラタンを「無謀なまでに怖いもの知らず」「衝動的な行動が危機を呼ぶ」という象意を与えています。このあたりの度数には強権的なタイプのリーダーになっていく人が多いと言われるのもうなずけるけれど、牡牛座の安全志向とは程遠いような? けれど、この星の影響で強圧的になる場合は「そうでなければ自分が害される」「自分を否定される」という底深い恐怖が存在し、そのために過度に防衛的で恐怖政治的な姿勢になるのかもしれません。また、ダイアナ・K・ローゼンバーグは、やはり膨大なフィールドワークからこの星を、大火、戦争、テロ、地震などと関連付けています。けれども同時に、「歴史的な伝説になり得る変革的な出来事」「手を使うこと」とも関わるとしているんですね。


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  「手を使うこと」に関わると言えば、ケンタウルス族のカイロン(キロン)にも同じ象意があります。この位置が、カイロンのテーマにも関連するというのは本当に興味深いのですが... 実は近接する牡牛座3°台は、カイロンがその発見当時に位置していた度数なんです。小さな惑星が発見された瞬間のチャートは、その惑星のネイタルチャートと同じ意味を持ちます。そして、発見時にその惑星が在泊していた位置は、その星が持つ重要なテーマ(または性格)を表すとされています。なのでカイロン発見当時の位置はこのアル・シェラタンの影響を強く受けていると考えられます。

カイロンはわたし達が輪廻の回廊を幾重にも巡る中で溜めてきた澱を、ひとつひとつ丁寧に手ですくい上げ、浮かび上がらせます。わたし達の深いところに潜む、火に焼かれるような傷の痛みに耐える経験。それを通して大きな変革をもたらすことを約束する、小さいけれど、大きな意味を持つ星です。彼はまた、手を使うヒーリングにも関わるとされています。けれどその癒やしに到達するには、一朝一夕にはいきません。自分の中に蓄積した「見たくないもの」に真正面から対峙する勇気を持ち、うずくような衝動に負けず、背負うものの重みに潰されず、少しずつ、確実に自分の内奥に触れていく作業を必要とします。すべてを虚空に帰し、新しい力に変えるために。......それは結局、わたし達自身の中に存在する「虹のたもと」を、「黄金の壺」を、はっきりと「見る」ことなのかもしれません。それはたぶん、「信じる」ことを超えた行為です。


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       アル・シェラタンの力と、天王星の原動力。共に爆発的な要素のある星/惑星です。それに新月がオポジション。そしてASCとDCを加えればGスクエア。これ、社会的にはかなり挑戦的で危険な要素を孕んでいそうです。この位置のシンボルは一見おだやかに見えます。けれどもしかしたらその根底には「本当に夢を現実するには、日々を生きることの中で大きな圧力と葛藤を乗り越えていく必要がある」「しっかり足を踏ん張って暴発を防ぎ、じっくりと力を貯めよ」という意味が含まれているのかもしれません。それも、おそらくもう今まで慣れてきた古いやり方では無理があるのかもしれない...。

ならば自分に対しても、周囲の状況に対しても、何か少しでも新しい観点を、解釈のしかたを探してみる必要がありそうです。遠くに向かって「聞け!」と叫ぶのではなく、自らの足許を照らしながら徹底的に自分と向き合っていくこと。または日々の所作を黙々と、無心にこなしながら、物質的な不自由さと束縛の中に手つかずのまま揺らめいている「即座の自由」に出会うべく、手探りしてみる。そうやって「わたしという思い」にいつも新風を吹き込みながら、同時に足許をしっかりと支えていく必要がありそうです。


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  世の中には様々な声が響き、思惑が渦巻くでしょう。自分が属する様々なコミュニティや血の繋がり。 そんな中で、変わりたい・変わりたくない、助けたい・助けられたい、頼りたい・頼りたくない、受け入れたい・受け入れられない.....  様々な方向の気持ちがぶつかりあい、えいっと極論に飛びつきたくなるひともいると思います。また、一歩進んで二歩下がるような、ちょっとイライラするような経験をするひともいるでしょう。突然の出来事に「なんで自分ばかりが...」と怒り悲しむひとも、この世界にはびこる嘘やいい加減さに「もう沢山だ」と感じて冷笑的な気分になったり、目には目を!と火炎瓶でも投げたくなるひとだっているかもしれません。そしてただ疲れ、その日その日を楽しく過ごせればそれでいいという感じ方もあるでしょう。そのどれもが人間としての自然の感情だと思います。けれどそれを超えた「わたし」もまた常に存在しています。死の瞬間でさえも。もしかしたら、それさえも超えて。


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★ 10月新月のサビアン・シンボル ★


新月のベースとなるシンボル:蠍座4°
『火をともした蝋燭を持つ若者』


  新月のベースとなるシンボルは蠍座4°『火をともした蝋燭を持つ若者』です。蝋燭を持つ少年と言えば、現代に生きるわたし達は何か宗教的な儀式? 聖歌隊の少年? なんて思うかもしれません。もちろんそれも含まれるだろうと思います。けれどサビアン・シンボルが伝えられた1920年代の米国社会を考えると、このシンボルはもう少し広い解釈が必要かもしれません。当時の米国は薪や灯油の暮らしから電気を駆使した現代的な生活様式への過渡期でした。1908年には世界最初の電気掃除機が発明され、1930年代にかけては様々な家電製品が誕生したけれど、その価格はとても高価で性能も不安定だったために各家庭の隅々まで普及したとは言えず、わたし達が知るような “電化生活” のはしりを満喫出来たのは知識が豊富で新しいもの好きな大都市部の中流~上流の家庭に限られていたそうです。なので一般の人々にとって、日々の暮らしの中ではまだまだランプや蝋燭の出番も多かったのではないでしょうか(サビアン・シンボルを降ろしたチャネラーのエルシィは当時まだへんぴな片田舎だったオレンジ・カウンティに住んでいました)。


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  またB.ボヴィは、原文の「holding a lighted candle」という一文から、「can't hold a candle to ~」という英語の慣用句との関連性を指摘しています。そしてこの言い回しには「~とは比べものにならない」という、一方を卑下するような意味があることを示唆していました。それは街灯が一般的になる前の英国で、道行く人の足許をトーチやローソクの灯りで照らすために雇われた下層の少年達「リンクボーイ」の仕事から来たことばだそうです。

つまり「can't hold a candle 」「ローソクを持てない」というのは、自分はリンクボーイにさえなれない…ということを意味します。こうした言い回しは当然米国でも使われるようになりました(もしかしたら今も頻繁に使われる、優位性を主張する口語「hold my ~」もこのあたりから来ているかもしれませんね)。けれど、このシンボルの少年は、その手にしっかり蝋燭を掴んでいます。じゃ、それは仕事として自分と家族の生活を支えるため? そして危険の待つ凸凹道を行こうとする誰かの足許を照らし、安全に導くため? またはひと仕事終えて自分自身の足許を照らし、家族の待つホームに無事帰り着くため? それとも何かの祭りで灯りをともす役割を果たすため? いえ、きっと突然停電になって、あわてて戸棚の隅にしまってあった蝋燭に火を灯したのかも? そう...もしかしたら、その全てかもしれない。

"candle" の語源であるラテン語は「キラリと輝くこと」を意味します。ならば少年がその手に掴んでいるのは、彼が灯した炎のきらめき。ならば、たとえどんな状況であれ、今その手のうちにともる「小さな火」こそが一番大切な意味を持つのかもしれない...。


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  少年は胸に抱えたほのかな灯火を大切に護りながら、自分に課された役割を果たそうとしています。でも、彼がもしリンクボーイなら、送り届けた顧客の窓辺から漏れ出る電灯の明光を眩しく見上げながら、自分を蝋燭の炎のように小さく役立たない存在だと感じているのかもしれません。

けれどその火は、生きるために必要な日々の糧を得るための小さな炎であり、誰かの足許を照らしながら、少年がひとり歩む道をもまた照らすともし火です。それはたぶん仄かな明かりに過ぎない。風が吹けば大きく揺らぎ、はかなく消えてしまう小さな炎。

でも、消してはいけない。それは便利な電気 ― 見えない何処かから知らない誰かによって送られてくるパワー ― のように、全てを明るく照らしたりはしない。けれど、それは自分の意志で、自分の手でともした小さな灯り。今のわたしが見る必要のある部分だけを照らしてくれる。そして、いつか輝く松明になるかもしれない炎の種子。だから消してはいけない。大切に護り、ちらちらと燃やし続けよう。だって、どんなときだって、そこから新しい一歩が始まるのだから…。


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  ではここで、このシンボルを補完する対向度数、牡牛座4°のシンボルを見てみましょう。(サビアン・シンボルを曼荼羅として解読したデーン・ルージャーのセオリーによれば、主役の度数が「それは何なのか」を指す「what」、対向する度数はそのエネルギーが向かって行く方向「where to」を意味します。)


       牡牛座4°は『虹のたもとの黄金入りの壺』。このシンボルの原語に酷似した英語の慣用句に「pot of gold at the end of the rainbow」があります。その意味は「思いもかけない大金」とか「見果てぬ夢」。また「pot of gold」だけだと「夢の実現」という意味になります。

雨上がりの空にかかる美しい虹の架け橋。 そのたもとに埋まっているという、黄金がたっぷり詰まった壺。こうした言い伝えは世界各地にあるそうですが、ここではおそらくアイルランドの民話からきているイメージが元になっているのではないでしょうか。その民話によると、この金の壺は “レプラコーン” と呼ばれる妖精 ― 小人の靴職人が隠したもの。レプラコーン達が壺のありかを教えてくれることもあるけれど、殆どは徒労に終わってしまうのだそうです。なのでそこから「見果てぬ夢」や「期待しても手に入らないもの」を意味する慣用句になったのだとか。そして、ここで「夢」とされるものは、「タナボタのような幸運」「報酬や財産」という意味合いが強いとされます。


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  実際、「虹」はこの世のものとして見えながら、この世には無いもの。空気中の水滴が太陽の光を反射して七色に輝く「現象」を、わたし達は虹として見ています。だからどこまで追いかけたとしても、そのたもとには辿り着けません。それにもし辿り着いたとしても、この手で掴めるものではないでしょう。それはわたし達が外の世界に思い描く「幻夢」そのもの。このシンボルを見ていると、メーテルリンクの「青い鳥」の物語が思い出されます。幸せの青い鳥を探して旅に出た兄妹が、長い旅の結果に理解したのは…青い鳥がもうすでに自分達の鳥かごの中にいたということ。そんな、夢。

  たぶん、虹のたもとは外の世界のどこにも無い。なぜなら、虹のたもとは常にわたし達の居るところ、「ここ」に過ぎないのだから。虹はわたし達が外界を眺めるとき、こころのレンズに映される七色の煌めき。わたし達ひとりひとりが持っている可能性の小さなゆらめきを、外界というスクリーンに映し出したもの。それは地球を、宇宙を、ぐるりと駆けめぐってわたし達のところに再び帰ってくる。ならば今もひとの数だけ無数の見えない虹の帯が、きっとこの星を取り巻いているのかもしれません。あるものは強く、色濃く。あるものは弱くはかなげに。脈動する無数の虹の糸。 ならばその端に埋まっている黄金の壺もまた、ここにある。わたし達という、存在の中に。その奥深くに。それを見つけ、育み、現実世界に生み出せるのは、わたし達だけ….。今はただ、小さな蝋燭の炎に過ぎないのだとしても。


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新月のメイン・シンボル:蠍座5°
『壮大な岩礁』

  では、メインのテーマとなるシンボルを見てみましょう。

        今回のメイン・シンボルは『壮大な岩礁』です。これも何年か前に一度体験しましたね。じゃ、もう一度このシンボルに描かれているシーンを思い起こしてみましょう。

海岸とはいっても、ここは海水浴を楽しめるような砂浜ではありません。まるで鉈で断ち落としたように切り立つ岩の群があちこちに顔を覗かせる広大な荒磯です。その磐岩のどれもが、波をかぶって高く水しぶきををあげています。あぁ、なんだか飛び交う海鳥の声が聞こえてきそう…。こんな勇壮で男性的な地形、日本でもよく見かけますよね。磯釣りをするひとには馴染み深い風景かも? もしかしたら、日本海側に多い風景かな? (いや、それって演歌のイメージに過ぎないのかも..?)


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        ここでは水性星座宮の世界(蠍座・感情/死) — 海と、地性星座宮の世界(牡牛座・肉体/生) — 岩が入り混じり、この場所が二つの世界の「境界域」であることを示しています。それはまた、識閾 …… “無意識と通常意識との境界” をも暗示しているかもしれません。 荒磯の岩は一見ゆるぎない現実世界そのもので、いついつまでも盤石のようにみえます。けれど、この光景は悠久のときを経て、煮えたぎる大地を厚く覆った岩盤がいつしか水に、風に、浸食されて出来たもの。 

今わたし達がこうしているこの瞬間にも、岩は海とぶつかり合い、微細に削りとられています。そして、やがては小さな砂粒に変わっていくでしょう。わたし達が今目にしている光景はけっして永遠のものではなく、常に相互に干渉しあいながら変化し続ける世界そのもの。 「今」は生じると同時に終わっていく。わたし達人間の命もまた、いつか必ず終わりを迎えます。岩の世界は水辺で終わり、水の世界は岸辺で終わります。 絶えることなく刻々と変化し続けるその境界域は、有限を生きる生身としてのわたし達に何を見せてくれるのでしょう?


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       では、この度数を補完する牡牛座5°も覗いてみましょう。そのシンボルは『墓穴の前の未亡人』です。墓穴とはなんとなく陰気にも思えるし、生命力を司る牡牛座にそぐわないとも感じられるシンボルですね。原文の "open grave" を「開かれた墓」とする訳もあるのですが、それだとわたしには、ホラー映画に出てくる石造りの墓所の扉が手招きするように開く...なんてイメージが浮かんでしまいます。でも "open grave" と言う場合は、元々一般的に、墓地の平らな地面を掘って棺を入れる、あの長方形の穴を指すようです。確か「six feet under」という米国のTVドラマがまさにその墓穴の深さを意味していたように記憶しています。


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  2mほどでしょうか..四角く掘られた穴の前に夫を失った女性が立っています。穴の中はまだ空っぽです。まるで受け入れるべきものを受け入れて、元通り塞がれるのを待っているかのよう。 その前に立って、彼女は何を思うのでしょう? 波にのまれて消えていった亡き夫の思い出? それとも…いつかはそこに葬られるはずの、自分自身の運命でしょうか? 彼女には人生で得てきた多くのもの、様々な思い出があるはずです。けれど、絶え間ない変遷の中で沢山の別れを経験し、そして今、限りあるいのちの真実を悟ったとしたら…。 

きっと彼女はこれからも生きていくでしょう。一見変わりない毎日の暮らしの中で、ときには岩に当たって砕ける波しぶきのように感情が爆発することだってあるかもしれません。でも、一度でも生と死の境界域をかいま見た者にとっては、自分がこの世に生まれてきたこと、その意味と価値、本当に大切だと思える数少ない物事以外はみんな些末なことじゃないか...と、そんなふうに感じられるのではないか..?  このシンボルは、そんなことを問いかけているように思えます。


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  ここでもう一度新月のメイン・シンボル『壮大な岩礁』をふり返ってみると、ゆるぎなく在り続ける「岩」と そこにひたすら打ち寄せる「波」の下には、やはり「生」と「死」の永遠の深みが横たわり、常に溶け合おうとしているようにも感じられます。有限と久遠の狭間を生きるのがわたし達なら、壮大な岩礁もまたわたし達の姿を象徴してる。そんな中で、わたし達は自分の中にともる小さな火を、ゆらめく炎を、本当に大切にしているだろうか? 今 ここに在ることの全てを感じきり、観じきっているだろうか? この瞬間、頭は何を考え、こころは何を感じ、そして何よりも、身体は何を欲しているんだろう? 

  これから11月12日の満月に向かって進む中で、わたし達は感情的にも肉体的にも沢山のアップ&ダウンを経験することになるかもしれません。何か大きな、あるいは小さな変化を経験するひとがいるかもしれません。突然のひらめきや思いつき、素敵なアイデアが浮かぶひとだっていると思うし、蠍座を逆行する水星が何かをいきなり掘り起こして、びっくりしたり、ショックを受けるひとがいるかもしれません。でも、それもまたやがて過ぎていきます。生きることによって。この、小さな炎を生きていくことによって...。



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have a great trek!!!★


hiyoka(^_^


hiyoka_blue at 18:21|PermalinkComments(0)

October 13, 2019

🌕10/14の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 10月14日06:26前後、北海道周辺で06:32前後、関西方面は06:07頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で05:37前後に 牡羊座20°13'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月 牡羊座20°→21°/ 太陽 天秤座20°→21°】
  🌕 “A young girl feeding bird in winter
  『冬、鳥に餌をやる少女』
  🌞 “A Jewish rabbi”
  『ユダヤ教のラビ』
     ↓↓↓
  🌕"A pugilist entering the ring
  『リングに上がるボクサー』
  🌞“A crowd upon the beach”
  『浜辺に押し寄せるひとびと』

10月28日新月 蠍座4°台
 『灯した蝋燭を抱える若者』→『巨大な岩礁海岸』
 に繋がっていく

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~10/27】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。

→★固く偏狭なルールや境界を超えて発揮される思いやりの感覚
→★その時その時の相手のニーズに応じて導いていく優しさ
→★はぐれてしまった心や勝手の違う状況に迷う相手を
     出来る範囲でさりげなく助ける必要
→★弱さに留まり息つくのではなく持ちこたえるための力を
     分かち合う必要
→★支えられた者がやがて支える者になっていく時を超えた光景を見る
→★教えるのではなく何かを熟考するための素材を与えていく
→★ある一定の期間をサバイバルするために必要となる準備
→★真の思いやりの手と下心を持って導こうとする手の違いを見抜く
→★「物」をタダで分け与えるのとは異なるハートの寛大さを知る
→★独善的な知性偏重がもたらす本物の知の衰えを見る
→★ぬくもりを切望する気持ちや悲しみにつけいる「魔」への警戒
→★よってたかって標的をバッシングする、またはその標的になる
→★「個」である自分と社会組織の一員である自分のせめぎ合い
→★自分のスペースと他者との境界線を明確に意識する経験
→★プレッシャーを受けて混乱するか、自分の居場所を
     確保するために闘うかの選択
→★広場恐怖症や公共の場を怖いと感じる気持ち または
     防衛のための攻撃的な自己主張へと駆り立てる気分
→★刺激によって操られる群集心理の愚かさと破壊されていく真実
→★関心が他に集中するとき、陰に隠れて獲物を狙う動きに注意
→★遠い願望よりもすでに手の内にある大切なものに気付く必要・・・→

★エネルギーのポイント:新月
           『進む、退く、かわすという所作の内に静けさを見る』
            
            満月
            『何があろうとその静けさを保つ』
   

191014FM


  前回の満月は台風15号の直後。そして今回は台風19号。これを書いている今はまだ被害の全貌はわからないけれど、台風は東北方面に進み、河川の氾濫などで犠牲になった方、行方不明の方が出ているとのニュースが聞こえ始めています。本当にこころが重くなる出来事が多いけれど、たぶんこれから少しの間はわたし達それぞれに、踏ん張りどき。特に月末の新月後まで、世界は災害や事故、事件、動乱に見舞われやすく、政治、経済、社会全体が落ち着かない感じになるかもしれません。流言飛語やデマ、フェイクニュースも増えそうだし、真偽・公私を問わず様々な物事が露呈し、わたし達の感情も刺激されやすいときです。けれどそれもまた様々な形でのセットアップであり、これからの大規模な変化のために経験しなければならないことなのかもしれません。だから慎重に、でも自分らしく、踊らず強くやわらかく、日々を過ごしていきたいと思います。今回もアスペクト編はお休み(当分・・かな)。なのでシンボル編にアスペクトを加味して書いていきますね。前回と同様にこの満月のシンボルも前に体験したことがあるけれど、本質は変わらなくても微妙にニュアンスが違っていると思います。


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<とりあえず目に付いたアスペクトは以下のとおりです>

満月と冥王星がTスクエア(小惑星ナウシカア、ペイン、トキオ、プタハが含まれる) 金星・天王星がオポジション 土星・冥王星がパラレル (土星と冥王星はオーブ6°強で接近中) 太陽と木星がセクスタイル 天王星とネッソスから火星とアグニにYOD 海王星・グリーヴ・インシデンティアがラーニングトライアングル 木星・天王星がセスキスクエア 太陽と天王星がクインデチレ 銀河中心とコンジャンクトのイクシオンとMCにコンジャンクトのキラルスがクインカンクス キラルスとMC・ヴェスタからイクシオンにYOD エリスがDC上に乗る 

10月12日から水星が逆行前のシャドウ入り。
 逆行開始は11月1日 蠍座27°38〜
 順行開始は11月21日 蠍座11°35〜

一昨日のツイートの繰り返しだけど、逆行前後のストーム・フェーズは新月や他の星回りの影響もあって紆余曲折しがち。なので今のうちに電子機器の不具合を見たり、大切なデータのバックアップを取ったり、スケジュールの見直しや調整、それと特に約束事の確認や記録などしておくといいかも。



★10月満月のサビアン・シンボル ★


満月のベースとなるシンボル:牡羊座20°
『冬、鳥に餌をやる少女』


        ではサビアン・シンボルを見てみましょう。今回、ベースとなるエネルギーは『冬、鳥に餌をやる少女』です。この鳥は籠に飼われているペットじゃなさそう。 南を目指して渡っていった仲間から、何らかの理由で置いていかれたのでしょうか? それとも一年を通してその土地に棲み着いている鳥かな? いずれにしても、凍てつくような空気の中では虫や木の実も不足しがち。少女はそんな鳥を見て、おやつの残りを分けてあげようと思ったのかな? それとも、厳しい環境に生きる鳥を自分のことのように思いやって、ポケットにしのばせたおやつの残りを毎日あげに来るのでしょうか。


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  ここには、何気ない日常の中で、あるは大きな哀しみが世の中を覆う中で、損得抜きで自然にわき起こる「何かしたい...」「分かち合いたい」という思いの自然な発露がみられます。冬の鳥。彼らの生の厳しさ。そして それを感知して手を差し伸べる少女。もしかしたらこの少女もまた、短い人生体験を通して、こころのどこかにその厳しさや痛みの記憶を保持しているのかもしれません。

       社会の喧噪にまぎれながら、ふとしたふれ合いの中に生まれる純粋な気持ち。その思いが原動力となって、人は人にそっと手を差し伸べます。それは本来、とても密やかで当たり前で、別に『わたしはこんな善いことをしているんだ!』なんてわざわざ大声で宣言する必要も感じないような行為です。 何故なら、少女が鳥に餌を与え、鳥がそれをついばむとき、その一瞬のささやかなスパークこそが、全ての想いを完全に満たしてくれる “何か” なのだから。 それだけで、報われるのだから。

誰もが何気なく経験するそんなささやかな思いやりの連鎖。それこそが、わたし達の社会を根底から支えている力なのかもしれません。


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        また、シンボリズムでは鳥の姿は「霊性」を表すことが多いです。なのでこのシンボルには密かにそういった意図も隠されているかもしれません。だとすれば、厳しい環境を生きる鳥の姿はそのまま、寒さに震え、外界の厳しさに疲れてしまったわたし達の魂そのものを暗示している可能性もあります。もしこの鳥がわたし達の奥底に存在する純粋なスピリット、そして少女が毎日を懸命に生き、伸びようともがくわたし達の小さなマインドを象徴しているのだとしたら…このシンボルは、ある危機的な状況への警鐘が含まれているかもしれません。

これを書いている今、関東に刻々と近付いてくる超大型台風のニュースが流れ続けています。このエネルギーが、不可避と思われる被害の爪痕を少しでも癒やしてくれることを願うばかりです。

  ただ、このシンボルには別種の警告も隠されているようです。それは対向度数天秤座20°との対比の中でも浮き彫りにされる一面です。


満月に光を放射する太陽のベース・シンボル:天秤座20°
『ユダヤ教のラビ』


  このシンボルはユダヤ教の主流である教えの中で、人間が生きる上での根本をなす「律法」を修め、説教したり解説する人を指しています。B.ボヴィによれば、ラビはユダヤ教コミュニティの中心で、古くからの智恵とその精神を、現代を生きるひと達に伝える役割を負っています。そして、ある意味では過去そのものを生きる存在でありながら、同時にそれがコミュニティ全体を生かし続けるこころの「栄養源」にもなっているのだそうです。ラビは霊的な事柄はもちろん、様々な人生相談から揉め事の仲裁まで、ユダヤ教の精神に沿ってアドバイスを与えることで、教えに帰依したひと達が神に背くことのないようにガイドします。つまり、彼らが「正しい時」に「正しい場所」に居ることが出来るように導き、そしてユダヤ人排斥など周囲の敵視の中でも自分達の伝統を守りながらコミュニティを護っていくリーダーであり、教師だとも言えそうです。

  コミュニティにとって、ラビはどんな時にも頼りになる存在です。アウトサイダーを創り出してはならない、それをすれば全体が弱ってしまう。昔、国を失って海外に散っていったユダヤの人びとは、今回のベース・シンボルである「真冬の鳥」に似た立場を経験していたのかもしれません。慣れない土地で不安を抱え、長い冬を迎えようとするとき。そんなときこそ、はぐれ鳥、はぐれびとが出ないように過去の経験や昔からの知恵を伝えるひとの存在が大切なのだろうと思います。


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  じゃ、別種の警告って? これは両シンボルが含む主要なテーマとは別に、ハードなアスペクトなどでネガティブな側面が強調されるときのサブ・テーマ、念のための警告と考えてください(今回は太陽・月が山羊座20°台の冥王星とTスクエアを形成しているので、一応書いておきます)。このエネルギーがネガティブに使われる時のキーワードは「甘い誘惑の獲物になる危険」または「狡猾な誘惑者になる危険」です。ここでの「甘い誘惑」というのは、辛いとき、困ったとき、不安なときや、こころが弱ったり孤独に苛まれているとき、またはやり場のない怒りに燃えているようなとき…そんなときに何気なくやって来ます。

たとえばいかにも優しげに手を差し伸べたり、反対に感謝という形で承認願望を満たしてくれたり、あるいは「そうそう、あなたは正しい」と、ことば巧みに肯定してくれたり。または、寒さに震える小鳥を装って餌をもらおうとしたり。そんな言動で近付いてくる人物にはちょっと注意が必要ということ。何か隠された意図があるかもしれません。普通ならきっと「ん?アヤシイな...」と感じるようなことも、欠乏感や不安で感情が高ぶっているときはつい乗ってしまいがち。このシンボルはひとを疑うようなイメージではないので、間違った相手を選んでしまうと何らかの被害を被るかもしれません。それとひとつ厄介な点は、このシンボルがネガティブに出る場合、おそらく仕掛ける側に罪悪感はあまりないのでは?と思える点です。何故ならいつだって自分はいたいけな小鳥であり、優しく相手の望むもの(痛みさえも)を与える少女なのだから...。やがてはすべてが自分自身に返ってくるのだとしても。


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  また、満月にスクエアを形成する冥王星の位置、山羊座20°台のベース・シンボルには「隠された場所から昂揚感を与える演出」というテーマもあります。これも元々けっして悪い意味を持つのではなく、良くも悪くも本当に使い方次第。「シンボル」って全てそういうものです。ただ、本当の助け合いや分かち合いって、互いに出来る範囲のことは自分で責任を持つ...という心を皆が持っていればこそ起き得るものかもしれません。おそらくユダヤ教のラビは、コミュニティの人びとが弱ったときにひどい目に遭わないよう、警告も発しているはず。『自分の本質に立ち帰れ、本道を行け。その上での助け合いなのだ』と...。


満月のメイン・シンボル:牡羊座21°
『リングに上がるボクサー』


        さて、満月のエネルギーが向かうメインのシンボルは『リングに上がるボクサー』です。雰囲気はガラッと変わりますね。 リング上では今にも試合開始を告げるゴングが鳴ろうとしています。詰めかけた観客はエキサイティングな 「試合」=「ルールにのっとった殴り合い」 を期待して、興奮に胸を踊らせています。

リングに上がるボクサーはチャンピオンでしょうか? 挑戦者でしょうか? 彼の行く手、四角いリングの上には、喉から手が出るほど求めてきた栄誉と賞金と大衆からの賞賛が待っています。もしかしたら、命がけの試合になるかもしれません。


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  それでも、彼は自分を鼓舞し、今までキツイ減量を耐え忍び、払ってきた犠牲と努力が報われることを信じて闘いに臨みます。もしかすると、彼のこれまでの人生は社会の中ではアウトサイダーだったのかも。けれどこの闘いに勝ちさえすれば、多くのひと達にその存在を認められるばかりか、尊敬や憧れさえ勝ち取れます。それに、お金で買えるものなら何だって手に入るかもしれません。ならばもう、闘わない選択なんてあり得ない!

  ここでは、既存の社会システムに存在するルールの中で、何としても自分にフィットした「居場所」を勝ち取ろうとするわたし達のアグレッシブな衝動が表現されています。「居場所」を持つことは、最低限の生命の安全を保証します。たとえば国籍を持ち、パスポートを持つことだってその一つですよね。そして、自分の「居場所」が拡がれば拡がるほど、高度が上がれば上がるほど、自分自身もまた大きく感じられるし、そこから得られる物も増えていきます。そのためにわたし達は自分の得意な能力を磨き、人びとにそれを見てもらい、「いいね!」なんて 認めてもらうことを必要とします。「社会における自分の価値」=「自分が占める位置」。 それは常に他者の視線によって支えられている。… わたし達の世界には、厳然とそんな掟が存在するように思います。


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        一方でわたし達は、この試合会場に集まった観客の一員でもあります。わたし達は勝つか負けるかの真剣勝負、世紀の一戦を見るのが大好き。そこではしばし我を忘れ、まるで自分もリング上で闘っているかのような気分で前のめりになることが出来ます。良い試合を見れば戦った選手達からエネルギーを貰って自分も意気揚々とした気持ちになれるし、覇気の無い試合だったら「何やってるんだ!」とばかりにニワカ評論家になって、原因究明してみたり批判や罵詈雑言を浴びせたり…。そんな時のわたし達にとって、リング上のボクサーはもしかしたら人生の「代理試合」をやってくれているのかもしれません。

  けれどこういう構図って、わたし達の日常のあらゆる場面で、政治・経済・社会やエンタメの世界で、あるいはネット上で、途切れることなく繰り広げられています。また観客達の間でも、実はリングにどれだけ近い席を占めているか、立ち見なのかVIP席かによって暗黙のうちにステイタスが異なったりします。今、わたし達の社会構造を支える動力源は、競争原理。 観客もボクサーも、フェアな競争原理の中で、暗黙の社会規範の中で、綺麗に競争し続けることが出来るのなら、それがこの社会の理想です。秩序は保たれるし、勝ったり負けたりの様々な試合結果も、参加者達の人生に貴重な体験として残っていくかもしれません。


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  けれど、もしそんなエネルギーのうねりの中で衝動に突き動かされ、秘められた本物の怒りや憎しみに火が付いてしまったら.....? あるいは、とにかく目立つパフォーマンスや大きな声で喝采を浴び、喧伝されることを目的とした八百長試合がはびこったとしたら? 本物の試合は競う選手達が目に見えないところでどれだけ身を削ったか、努力したかが物を言います。けれどもそれを見抜くはずの観客の目が曇っていれば、試合ではなく、ただのショウに喜んで喝采を送るでしょう。そのショウの目的は、観客を興奮させ、誘導することかもしれません。本物のボクシング試合のほとんどは、そうじゃない。でも、世の中に見られる象徴としての「殴り合い」には、そんな意図されたショウが沢山存在するのではないでしょうか。誘導された「代理試合」はいつだって本物の闘争に変容していく可能性を秘めています。そして、物言わず黙々とやるべき仕事をこなし、真剣勝負をしている人達の存在は忘れられがちです。

ではここで、満月に光を与える太陽のメイン・シンボルを見てみましょう。


満月に光を放射する太陽のメイン・シンボル:天秤座21°
『浜辺に押し寄せる人びと』


  天秤座21°『浜辺に押し寄せる人びと』。これは夏休み中のビーチリゾートかな? 人びとが押し寄せるということは、きっと有名な「海水浴場」なのかもしれません。親子連れ、カップル、友人同士や団体など、ひと・ひと・ひと。ビーチハウスやカフェも満員だし、せっかくの美しい白砂も色とりどりのシートやマット、その上に寝そべるひと達で埋め尽くされ、波打ち際まで出るにもひと苦労です。でも今日はせっかく待ちに待った休日。楽しみにしていた子供達、初めての誘いをOKしてくれた彼女のためにも頑張って良い場所を確保しなくては!


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  それとも、もしかして。いまどきのイメージだと命からがら祖国を抜け出して異国の海岸に辿り着いた難民船の人びと? みんな船を下りて我先にと岸辺に向かう…安堵と新たな不安を抱えながらそれぞれの新しい居場所、落ち着けるところを求めて。少しでも早く、自分達の場所を確保するために…そんな感じでしょうか?

それとも、これは戦時中の上陸作戦か何かで、専用の特殊船から兵士達の大軍が浜辺に押し寄せてくるのか?

  このシンボルが描く光景がどんなものであれ、共通するイメージは押し合いへし合いの混雑の中で「少しでも有利な場所を確保するために我先にと競い合う」状況です。強いひと、要領の良いひと、目端が利いて機敏に動けるひと、作戦を練って他者を出し抜けるひと、集団の力を使えるひと、様々な能力のあるひとが良い場所を確保出来る世界。これはそのまま、わたし達が創り上げてきた社会の傾向、現実の状況そのものかもしれません。また縄張りを持つ野生動物にもこの傾向は見られます。


wood


        居場所。安全で心地よい場所。あるいは本当に自分の力を心おきなく発揮出来るリング。自分の舞台。自分のスペース。わたし達は、いつだって自分に本当にフィットした居場所を探し求めています。けれど本当の居場所、自分に相応しい健全な闘いの場をみつけるには、まず最初に 「自分とは誰なのか?」「自分は人生で何を欲しているのか?」を知り、それを自分の「形」として自らの手で栄養を与え、こころと体いっぱいに満たしておく必要があるのかもしれません。たとえ弱くても。たとえ何かの能力が劣っていたとしても。たまに喧嘩したり、ボロボロに負けて傷付いたり、泣いたりしても。そして、誰ひとり助けてくれなかったとしても...。

厳寒のとき、人生を相手に闘うひとりのボクサーとして、立つ。どんなボクサーだってかまわない。それを自分の「形」として、行く。そうでなければ、わたし達は他のみんなが欲しがる空きスペースをめぐって競い、争い続けることになるでしょう。それは自分の「形」と「欲望」を、いかにそのスペースに合わせて変えていくかの闘いです。そして、そのスペースの形は、わたし達を見ている他者=観客の視線によって創り上げられたリングです。わたし達はそこで自分自身を探しながら、永遠のシャドウボクシングを続けているのかもしれません...。

そんなとき、ふと出逢う一羽のはぐれ鳥。さぁ、わたし達のポケットに、その鳥と分かち合えるピュアな食べ物は入っているでしょうか?


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  見る者と見られる者。観客とボクサー。皆がこの社会の中で、同時にその二つの面を生きています。けれど、両者はわたし達のこころの中で、常にロープによって隔てられています。試合の喧噪と興奮、刻一刻の変化。そんな中で揺れながら、わたし達はいったいどこに軸足を置き、何者になっていくのでしょう?  

        この満月は、とにもかくにも自分という存在を、自分の創造性を、声高く表明したい、そんな衝動にも火を付けてくるかもしれません。なのでこの時期は日常生活や仕事の環境、またはSNSなどのネット環境でも、沢山のひと達が「意見」「信条」「心情」「批評」「批判」または「願い」など、いつもより強めの調子で発言する様子が見られるかもしれません。何か言いたい..表現したい...というような。それで会話が弾むことも考えられるし、全方向的にアグレッシブなエネルギーに支配されるなら、見解の違いで喧嘩が起きることもあるでしょう。いずれにしても、知らず知らずのうちにそのひと自身の本質がことばの端から滲み出てくるような感じだと思います(もちろん、観察するひと自身を含めて)。

これは語っていることばの内容もあるけれど、それよりむしろ行間から放射されるある種のバイブレーションによって露わになるそのひとの特質(またはこころの歌)と言っていいのかもしれません。ならば真っ向から試合をするもヨシ、それを観に行くのもヨシ。そして、そんな高揚感からはそっと離れてひとり傍観するもヨシ。 そのどれもが皆、今・ここの、わたしたちの存在証明です。けれど、いったい誰に何を証明するというのだろう?
 

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  今、冬を迎えようとしている一羽の鳥。自分の中に存在する純粋な生命の力。それを枯渇させないために必要なことって何なのか? 何が一番大切なのか? それを理解して、まずは他の誰でもない自分自身の手で、栄養を、ぬくもりを、ホッと出来るスペースを、自分自身の内側に与える必要があるのかもしれない…。 それが満たされて、初めてわたし達は純粋な気持ちで他のひと達に手を差し伸べることが出来るのかもしれません。

いずれにしてもこれから展開していくエネルギーは、ある「静かな強さ」「したたかな強さ」をわたし達に要求してくるでしょう。…内側にみなぎる強さ。それを持って今・ここに在るとき、わたし達は丸ごと鳥であり、少女であり、ボクサーであり、観客であり、そして何よりも...「誰でもない、自分自身」であり続けるのだと思います。

  また、サビアン・シンボルはテーマの奥深い内容とは別に、シンボルに描かれた光景そのものを彷彿とさせる出来事が起きるケースも多いです。その意味では、本当にこころ温まる助け合いの輪が拡がったり、素晴らしくフェアなスポーツ試合が見られたりするのかもしれません。またネガティブに顕れるなら、公の場での文字どおりの凄まじい殴り合い(ことばでも肉体でも)や、沢山のひと達が集まる場でのトラブルや事故なども可能性としては考えられます。そして、意図された方向に誘導するようなことばやニュース、情報なども。


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  本当にいろいろなことが遠い世界でも、目の前でも沢山起きる今日このごろ。でも無事で、明日を迎えられるなら。苦しくても、嬉しくても、生きてる。息をしてる。自分の中の、何かがもっと生きたがってる。自分との試合を続けたがってる。居場所のないひとなんて、いない。体の中で何かが「自分の居場所はここだ!」って、言ってる。だから、今いる。ならばそこからリングに上がろう。






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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



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September 28, 2019

🌑9/29の新月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  9月29日03:45前後、北海道周辺で 03:51前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は03:26頃、沖縄周辺では 02:54前後に天秤座 05°20’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココ、満月についてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽♎️天秤座5°~6°― 発効期:9/29~10/27 】
🌑🌞“A man teaching the true inner knowledge”
   『真実の内的知識を教える男』
            ↓
🌑🌞“The ideals of a man abundantly crystalized”
   『十分に結晶化したひとりの男の理想』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)~10月27日】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
 またアスペクトについては満月以降を入れるとまた長くなりすぎなので、
 新月~満月までにしました。
 キーワードは沢山出てきたので、気に掛かるものがあったらひとつだけでも頭に入れてみてね。


→★自分自身の本当の気持ちやこころの叫びを表現したいという衝動
→★これまで気付かなかった新たな創造性の芽を自分の中に見る
→★他者との交流の中であらためて自分とは誰だったのか?と自問する 
→★自分の想い、ことば、行い、体、精神が互いにはらむ矛盾に気付く必要
→★外界の規定に従わず内側から立ちのぼる自然な「わたし」を表す
→★他者を支配することとガイド役を務めることの違いを知る
→★国、社会、文化、人種や性別など無意識のステレオタイプ化に注意
→★自分本来のアイデンティティと社会的アイデンティティとのバランスを取る
→★自分だけの「詩的な表現」と「正確な描写」を場に応じて使い分ける必要
→★社会構造の中からはみ出てしまった自分の一部を大切にしていく
→★各々の人間が持つ個性、世界観、理想を形作る“抗しがたい感覚”に気付く
→★凝り固まったそれぞれの「美」「夢」「理想」が異なる観点を排除する傾向
→★一粒の砂を見て世界を語る、またはレンズごしに誇張された世界を見る
→★あやふやで曖昧な現実を掴んで自己満足に浸る傾向に注意
→★自分自身に満足しながらも同時に社会に対する不満を抱く傾向
→★現実の突出した一面だけを見てそれにこころを奪われる危険
→★それぞれのニーズを知りそれに合わせた話法やガイドラインを提示する
→★社会と個の軋轢の中で自分自身のスペースを保ちながら力を蓄える・・・→

牡羊座20°台の満月へと続く


★エネルギーのポイント:
 前回の新月『自分自身の安全神話を書き換える』
            
 今回の新月『進む、退く、かわすという所作の内に静けさを見る』
                             
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  今回の新月は時間の都合もあってアスペクト編は割愛します(場合によっては満月をお休みするかもしれません)。でも、シンボルそのもののテーマもアスペクトと被る部分があるので、それを意識しながら書いていきますね。

<新月時に形成されるアスペクトいろいろ>

⭐️新月・天王星がクインカンクス ⭐️新月・カイロンがオポジション ⭐️水星・エリスがオポジション ⭐️木星・海王星とBMリリスがセパレートでスクエア ⭐️金星・木星がセクスタイル ⭐️金星・海王星がクインカンクス ⭐️海王星とアグニ・ジュノーが オポジション ⭐️火星・イクシオン・銀河中心がコンジャンクト ⭐️ネッソス・イクシオンがクィンタイル ⭐️グリーヴ・パラスがスクエア ⭐️ヴェスタとキラルスからイクシオンにYOD

⭐️10月3日 夕刻 水星が蠍座入り
⭐️10月4日 午後 火星が天秤座入り
⭐️10月6日 太陽が月のノード軸にTスクエア
⭐️10月9日 金星が蠍座入り
⭐️10月14日 牡羊座の満月
⭐️10月23日 火星が月のノード軸にTスクエア
⭐️10月28日 蠍座の新月  火星が土星にスクエア


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★ 9月新月のサビアン・シンボル ★


新月のベースとなるシンボル:天秤座5°
『真実の内的知識を教える男』



  まず新月がベースとしてとるエネルギーは『真実の内的知識を教える男』。これ、日本語でこう訳すとなんとなく厳かな感じがして、いわゆる「グル」とか「霊的教師」と呼ばれるひとのようにもとれます。その場合は「智識」という感じに近いかな。別にスピリチュアルな意味ではないとしても、単に社会的な知識や技術的なノウハウを教えるのではなく、より精神的な深みのある内容、もしかしたら哲学的な世界観を教えるひとなのかもしれません。おそらく「内的知識」とは、彼自身の人生そのものを通して得た智恵、知識、または世界観。そして彼はそれを伝えることで、弟子または学生達に一種のガイダンスを与えていることになります。


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  でも、「真実の内的知識」って何だろう? たとえば禅の世界で師から出された公案を解くために脳ミソから血が出るくらい必死に考え続けてもどうにもならず、疲れ果てる...けれど、あるとき何かの拍子に突然ひらめいて、ただ「わかって」しまう...なんて話を読んだことがあるけれど。そんな悟りの世界までいかなくても、実はひとからひとへと「真実」を伝えることほど難しいものはないかもしれません。まして「内的な真実」となれば、どうしても伝える本人の個人的な体験の集積に影響を受けます。アストロロジーを実践しているひとなら、精神の回路ともいえる出生チャートの惑星配置によって、そのひとが「世界をどんなふうに知覚する可能性があるか」についてのヒントが掴めることを知っています(もちろん、どこまで行ってもキリがないほど奥は深いけれど)。

あるひとに備わった独自の意識が、そのひと自身の個人的な体験や記憶と共鳴しあい、何か「響き」のようなものが生まれる。そこからまた余計な夾雑物や雑多な音色をそぎ落としていって、最後に残る 何か純粋な「視点」のようなもの。もしかしたら「感じ方」。それは単なる「情報」とはどこか決定的に異なるもの。...このシンボルでひとりの男が教えようとしているのは、そういうものでしょうか? 


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  また「教える」→「教わる」という関係性が示唆されているということは、その「何か」が教える本人だけでなく、他のひと達にも共通して役立つ知識なのだという前提がありそうです。でもそれは、物事を客観的に見たときに「現実」だとか「リアリティー」と呼ばれるものとは異なります。「これは正しい」「確実だ」「明確な証拠に裏打ちされている」そんな世界とはまったく異なる層に働きかけ、しかも相手が「現実」を感知する基盤に影響を与えるかもしれない、そんな何か。しかもこれは、「そうである」ということを、ただ「知っている」状態。理屈抜きに「わかっている」状態。 時間も空間も介することなく、ただそこに「智識がある/あった/あり続ける」もの... それと同時に、個でありながらけっして「個」の中に閉じられないもの。大声で主張することも、押し頂いて追随することも出来ないもの。なのに、確かに受け渡される「何か」。「真実の内的智識」とは、もしかするとそんな感覚に近いのかもしれません。 

けれどもしこのシンボルがそこまでの物事を暗示しているとすれば、天秤座の第一ディーカン、それもど真ん中の5°に出て来るというのはちょっと違和感がある気もします。なぜなら、このあたりでわたし達が受け取るエネルギーの原型には「他者と出会い交流することから受ける刺激」「相手と自分を比較したり投影したりすることで浮かび上がる自己のアイデンティティの問題」そしてその結果として起きる「優劣の判断」などが絡んでくるからです。こうして互いを秤にかけた結果、「公正さ」や「正邪」の判別が生まれ、そんな経験を重ねることによって、わたし達は「バランス取り」を身に付けていくんですね。ならばこのシンボルが示唆する行為には、その深奥と表層との間にかなりの「幅」が存在しそうです。


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  このシンボルに対向し、補完する形となるのが牡羊座5°の『翼の生えた三角形』です。三角形は3本の直線からなる、図形の基本的なかたち。2本では閉じた図形を創れないし、1本足して3本の直線で創れる平面図形はこのかたちにしかなりません。もし「わたし」というそれぞれの「個」を「閉じたひとつの存在」だとするなら、三角形はこの世界を生きる「自分」「わたし」の基本的なかたちだと言えるかもしれません。でもこのシンボルでは、そんな厳正な幾何学的条件で成り立っているリジッドな「個」に、翼が生えています。それはきっと、わたし達に備わった思考の翼。右と左、二枚の羽を羽ばたかせて「飛ぶ」能力を持っているということ。“wing” はそのルーツが風を意味する “wind” ということばと近い関係にあるそうで、ここには風に乗って自由に飛び回る手段を得たわたし達の姿、いえ、こころ/思考の状態が示されているように思えます。

  高さが変われば見える風景も変わる。羽があれば遠い見知らぬ土地にだって飛んで行ける! それは幾何学のように固く厳しく規定されたルールを軽々と飛び越え、まるで今までの自分を超越したような感覚。これまではあまりに遠くて縁なんかない、無理だ...なんて思っていたけど、羽ばたいてみたら本当は何だって出来るのかもしれない。あぁ、もしかしたらコンピュータ・テクノロジーという羽を得て仮想世界に足を踏み入れたわたし達は、ゲームやSNSを通してちょっぴりそんな気分を味わったりしているのかもしれませんね。それが実体を持たない世界のかりそめの自由だったとしても、電子の世界では何にでもなることが出来ます。


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  でも、だからといって三角形そのものがかたちを変えたわけではありません。リジッドに閉じられた「わたし」はそのまま。イマジネーションの中ではルールで縛られた世界をはるか下に見て自在に飛ぶことは出来ても、実際に社会的な生き物としてのカタチは変えられない。人間が人間であるための基本的な決まりごとも、社会に護られて生きていくための条件も、たぶん変えることは出来ないし、きっと変えたいとも思わない。ただ三角形の中身を、自分自身という「知覚」や「概念」の集積を、変容させていくことは出来る。あるひとはより柔らかく、あるひとはより堅固に。ときには詩的に、透明に。あるいは一瞬、空っぽに。また別のひとは飛び回った場所のデータをきっちり詰め込んで、それをいつも咀嚼しながら飛び回ってる。「自分」という三角形はひとと違う。同じ三角だけど、みんな違う。だから人生の中で何かにぶつかり、思考の羽を伸ばし、考えて、感じて、そして得た真実はひとつ。自分だけのもの。たとえみんな並んで同じものを見ていたとしても。

  わたし達にとっての「真実の内的知識」。そしてそれを誰かに伝えようとするとき。あるいは誰かから彼/彼女自身の「真の内的知識」を伝えられたとき。わたし達はどうするでしょう? そこに生まれるのは共感か、それとも反発か? 時と場合により、または相手によってもその反応は異なると思います。でも、即座に「そうだよね...」と感じられるような内容じゃなかったとしても。話されていることばの意味がよくわからなかったとしても。 もし相手が本当に正直に、そのひとの「真の内的知識」を伝えようとしているのなら。ことばではないその “エネルギーそのもの” に触発されて、自分もまた自分自身の「真の内的知識」を伝えたいという気持ちになるかもしれません。そして、その知識の内容が互いに溶け合うにせよ、交じり合わずに終わるにせよ、互いに違う世界を生きる同じ「三角形」としての理解の上に向かいあう、そんなコミュニケーションが可能になるのではないでしょうか。


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  『真実の内的知識を教える男』が何を教えようとしているのか? そのガイダンスはきっと、単なる “ことば” を超えたもの。もしかしたらわたし達が相手のことばを聞いて思考の翼をひろげる前に、すでに自分という三角形の内部にそのひとの内部と同じ波形が伝わってくるような。その波形の刺激から、自分もまた「本当のことば」が思わずあふれ出てくるような...。相手や自分が言ったことよりも、まずその存在そのものを認めてしまうような。...もしかしたら、世界観の違いさえも超えた、生き・在るものとしての信頼。それは「声」かもしれないし「うた」かもしれない。もしかしたら、その存在そのものかもしれない...

  パートナーシップを支配する天秤座に来て遭遇するのは、誰かとのより深いコミュニケーション体験です。こんなにもコミュニケーションのツールが発達し、これからますます即座のやり取りが可能になっていく時代なのに、本当にわかり合うなんて経験はますます稀有になっている気がするのは何故だろう? 便利になればなるほどひとびとは分断され、同じような言説が飛び交う共鳴室の中で似たような色の三角形として生きようとしているのかもしれません。護るために。でも、何を?


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  さて。ちょっと説明が理屈っぽくなってしまった気もするけれど... この<天秤座 ― 牡羊座軸の5°>は、<他者とのコミュニケーション ― 自己のアイデンティティ>という対比の中で「コンセプト」が見えてきた段階だと言えます。そしてそれが、次の6°から少しずつ「実践」の段階に踏み込んでいく感じかな..。ではそろそろメインのシンボルに行ってみましょう。



新月のメイン・シンボル:天秤座6°
『十分に結晶化したひとりの男の理想』


  天秤座6°『十分に結晶化したひとりの男の理想』。結晶…クリスタライズ…クリスタル…これはやはり水晶を連想させますよね。水晶は固くて透徹していて、うまく使いさえすれば好ましいエネルギーを増大させ、悪しきエネルギーを浄化させるとも言われています。そういえば、2015年に大村智博士がノーベル生理学・医学賞を受賞したとき、博士のプログレスの太陽がここに来ていました。そんなことからも、十分に結晶化された理想ってなんだかとても美しいものに思えます。


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  でも「ある男の結晶化した理想」は、それがもしも膨らみきった自我の結晶であれば別の人にとっては悪夢となる可能性だってあります。たとえば今も存在する独裁的な政権が行う迫害や抑圧。とりあえず犯罪性を帯びていない限り、互いに言いたいことを言い放てる今の日本の環境からは想像もつかないような厳しい人生の在りようが世界には数多く存在しているという事実。こうしてPCに向かってこんなことを書いてる今、この瞬間も。独裁者達による統治の理想がそのままこの世界を覆って結晶化したら、生きることはとても恐ろしいものになるでしょう。こうしたことは歴史の中で沢山繰り返されてきたし、イデオロギーや利害のぶつかり合いを、人間はイヤというほど経験してきています。

もちろん世界規模なんて大きなことでなくても、わたし達の周囲では今も日々「こうあるべきだ」的な思いこみや外界(と自分自身)に対する期待感、自分が正しいと感じる物事とは異なる意見を全否定して悪や劣等と決めつける、とても硬直した言説が溢れているように感じます。いくら平和を叫んでみても、その思いの中に『今すぐデリートボタンを押して “敵” を消してやりたい』という思いが固く結晶していたら、結局は思い描いていたはずの平和な暮らしは遠のくばかり。闘争も戦争も永久に無くなりません。そしてもしそんなふうに思い定めれば、場合によっては開き直って自分を閉ざし、悪や憎しみに徹するひとも出て来るでしょう。これも相当なエネルギーが要ることだし特異な例ではあるけれど、もしそれが自分を護るための唯一最強の精神的な盾=合理化だとするならば...。


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  でも、そんなことはたぶん誰だってわかってる。けれど日々の喜怒哀楽の中で、多少なりともそんなちょっと捻れた開き直りに似た気分を味わった経験は、実は多くのひと達が持っているのではないでしょうか。あれこれともっともな理由をつけて自分を納得させながら。その思いの針の痛みを結局は自分自身にも向けながら。うん、それでも明日は来ると感じるから。だからわたし達はがんばって生きています。

とても厄介なのは、わたし達人間の中には平和や思いやりや愛を望む気持ちとともに、勝つための争いや、怒りにまかせた復讐の快感を欲する衝動が確かに存在するということです。たとえそれが、誰も(自分さえも)気付かないくらい本当に些細な受動攻撃性だったとしても。わたし達はそういった情動を「悪」と名付けて忌避し蓋をしようとします。何のために? 平和に生きるために。多くのひと達と仲良くつき合うために。けれど人間である以上、生きものとしての荒々しい血は(その激しさと顕れに差はあるとしても)どんな優しいひとの中にも流れています。そしてこれは同時に、わたし達人間を生きながらえさせ、この世界の食物連鎖の頂に押し上げてきた力でもあります。「善」と「悪」。「プラス」と「マイナス」。「ポジティブ」と「ネガティブ」。その対比がはらむ大いなる矛盾。そして相対する両極のど真ん中に屹立する、わたし達の生。それは「三角形」の三つの頂点。


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  また「最高度に結晶化した理想」を完全なる神の存在に見るひともいます。神の戒めの下で自分自身を律する。それによって、よりよい人生を生きることが出来る。計り知れないほど大きな神の愛に包まれて、自分だけでなく、他のひとのために犠牲を払うことも躊躇なく出来る。そして皆で幸せになる。矛盾に満ちたこの世を離れ、哀しみも怒りもないところへ行ける。神、または何か絶大な知性の存在に導かれるなら、それはきっと本当かもしれません。

それでも、この世界では神を奉る宗教が争いの種にもなっています。人間が集まり、組織となり、政治やビジネスが絡んで蠢きはじめたとき。またはリーダーの強大な自我とその磁力が結晶し、それが「神」に成りかわって集合体を覆い尽くしたとき。そこには下部のひとびとの間に、そして他の集合体との間に、競争原理が働くようになります。そして、自分が信じる善なるものを認めない相手を悪として排斥し、蔑むという心理が働きます。何のために? おそらく「神の教え」ではなく、自我とそれが拠って立つ立脚点を護るために。 

  中世の宗教裁判や魔女狩り、そしてその処刑はひとびとへの見せしめであるとともに、また民衆の娯楽でもありました。今は(少なくとも経済発展した先進国と言われる国々では)そこまでのことが公然と行われることはないと思うけど、形を変えた魔女狩りは今も変わらず、メディアやネットの世界で目撃することが出来ます。無実のひとをグレイにし、グレイなひとは黒にして即座に叩きのめす行為として。あるいは遠い過去の些細な染みを暴き、築き上げてきた「今」を気軽に破壊する行為として。ひとびとは即座に判断を下し、詳細な疑問点は無視されがちです。また、敵対する者同士は自分達の意見を補強する共鳴室に閉じこもり、自分達のアイデンティティをますます堅固に護ろうとします。

昨今の米国では、両極に位置するひと達が互いの「真の知識」を分かち合う機会を作ろうとしても、組織的な噂や脅しによって潰され、公人でも著名人でもないひとびとがそんな行為の犠牲となってネットやリアルなコミュニティーから排除されいくという例がいくつも出始めているようです。そんな風潮をひとびとは「キャンセル・カルチャー」と呼んでうんざりだと批判しているけれど...。もしかしたら、そこには迫り来るカプリコーン・ステリウムの重さ、そして魚座の海王星が創り出す濃霧の中でぼんやりと感じられる時代の岐路(または崖?)に対する無意識の怯えがあるのでしょうか? 同じエネルギーはおそらく世界中に浸透しつつあります。


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  わたし達は中世の残酷な異端審問官でもなければ処刑をはやす民衆でもありません。でも...思うようにはいかない人生の中で、自分の気に入らない物事や狡く立ち回った(と思える)者達を裁ける環境が与えられたとしたら。その対象を排除する行為の中に、少しでも快感が生まれたりはしないでしょうか? わずかでも自分の中に「力」を感じないでしょうか? 正義と力。それは虐げられた側こそが持つべき権利。だからそれは「善」だ。でも、わたし達はその「魔女」が本当は誰なのかをどれだけ知っているのだろう? 知らなくたってかまわない。だって魔女はわたし達と同じ場に立つ人間じゃない。そう、人間じゃないんだ。彼らは厳正なルールを破り、幾何学に縛られた三角形の身でありながら現世の高みに飛翔した「悪」なのだから......  

この天秤座 ― 牡羊座軸には、他者と自己が出会い、自他を見比べ、交流し、「互いに自立した対等なバランス」を探りながら、「期待」ではなく「信頼」を学んでいくという挑戦が待っています。その第一ディーカンの後半に至って出て来るテーマは『自分自身の中に固く結晶化していく理想や願望は、ひとつ間違えるといつしか他のひと達を、そして自分自身をも鋭く切り裂く固い刃になっていく可能性も秘めていることを知る』そんな経験かもしれません。


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        大きな理想、小さな願い。…こんなだったらいいのにな…という想い。「正しさ」「公正さ」を求める心の大元は、きっと美しかったはずなのに。 何故わたし達は、ともするとそれを闘いや怒りに変えてしまうのでしょうか? 『自分は一生懸命に “本物の内的知恵” を教えようとしてるのに、ぜんぜん聞く耳を持たない相手が悪い』。確かにそうかもしれない。それだったらやっぱりムカつく。もしその気持ちの半分以上が、本当は自分のアイデンティティを護るための合理化でないのなら。 でも、わたし達は互いの「真の内的知恵」を本当の意味で教える — 伝え合うことは出来るのでしょうか? 

  「理想」っていうと何だか高邁な政治理念とか人類全体の幸福とか、大上段に構えたイメージもあるけれど。実際その中身はひとそれぞれ千差万別です。...家族が困らずに幸せに生きられること。仕事で成功して認知されたり豊かになること。社会や共同体に役立つような人生を送ること。持って生まれた才能を活かして自立出来ること。何でもいいけど思い描いたとおりの人生をまっとうすること...などなど、想像し始めたらキリがありません。個人の場合は人生の理想を「夢」と言い換えてもいいのかもしれませんね。けれど「理想」という、いわば “抽象 ― コンセプト” に過ぎないものを「現実」として歪みなく堅固に結晶化させるには、大きな忍耐と地道な努力が必要になるでしょう。そしてきっと、集中力に加えてしなやかでフレキシブルな強靱さも。

  ちなみにこの度数の対向となる牡羊座6°のシンボルは『一角が明るく照らされている四角形』です。ん? ベースのシンボルの対向は「三角形」でしたよね。今度は直線が一本増えて「四角形」になりました。しかもその一角が明るく照らされて光ってるって? 何だろう?


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  B.ボヴィは『一角だけが明るく照らされている四角形』の本質を、『物事を組織化や構造化していくことの基本的な原理(四角形)の一側面のみが特に強調されている状態』だとしています。うーん、何だかややこしい~。 つまり、バラバラなグループや集団を組織として機能するようにまとめていくために必要な、基本的な原理を象徴するのが四角形。そして、その原理の一部だけに光が当てられている状態です(他の角は暗くてよく見えないという含意もあるかも?)。

そして彼は原語の “square” に関連して、四つの角を持つ幾何学形態は「曼荼羅」の原理に通じており、また 円を十字で四つに区切ったシンボルは、生命、宇宙、人間精神の構造を表しているとも説明していました(これ、ホロスコープの「スクエア」そして「アングル」を思い起こさせますね)*
*曼荼羅の種類は無数にあるけれど、多くのものが明確な中心を持ち、その周囲にまるで蓮の花弁のように小さな四角が集まって、全体には円形をなしているものが多い気がします。中でもチベット密教の曼荼羅は抽象性が高く、その構図は「構造体」そのものを描いているように感じられます。サビアン・シンボルが降ろされた1925年、マーク・エドモンド・ジョーンズは神智学教会員でした。なので彼の薫陶を受けたチャネラーのエルシィ・ウィーラーの記憶に素養としてのチベット曼荼羅があった可能性はあるかもしれません。


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  曼荼羅って、完全な「全体」を意味するといいます。全ての、全て。広大な宇宙を含む、存在する全て。そしてもともと原語の “square” にも、「完全」という意味があります。たとえば “square meal” と言えば「栄養的にも味の上でも完全にバランスの取れた完璧な食事」を意味するように。また他にも「街が徐々に形成されていく中心となる四角い広場」とか、「誠実」「公平」「正当」なんて意味もあります。じゃ、その一角だけが強調されているというのは... バランスが崩れているということ?

  前の度数では三角形だったわたし達。でも今は一歩進み、社会構造の中で実際に他のひと達と出会うことで「四角形」になっています。この世を生きていくために。家族や友人や社会という構造体をともに創り上げていくために。あるいは、自分の中に潜在する「完全性」を、触れることの出来る物質として見事に結晶化したくて。

「世界」という名の四角形。「わたし」という名の四角形。そのどちらにも、原型としての四つ組の構造(90°)がある。そしてその深みの中心を貫いて、それを見ている「わたし」という感覚が立ちのぼってくる..... そこから見えるものは、全てが「わたし」。そして「わたし」の鏡像。「わたし」と「あなた」というミクロの関係性に映し出される、マクロの大宇宙。そこには様々な原型 ― 知者、手品師、芸術家、愛人、活動家、戦士、王者がいて、光を当てられるのを待っている。ならば完全な四角形とは、きっとその全てのバランスが取れているということ。


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  でも、ここで四角形の一角だけに光をあてて輝かせているということは、ひとつの想い(理想)に集中し過ぎて他の角を忘れているということなのかもしれません。それは偏った想いや世界観を頑なに結晶化させ、互いに傷ついたり欠けたりしながら旅をしていくわたし達の姿でしょうか? それとも... こころに乱反射する無数の想いを濾過しながら全てが欲しいと感じる愛惜の気持ちを断ちきり、一瞬一瞬の選択を繰り返しながら懸命に何かを追求していった先人達 ― そしてわたし達 ― が手に入れた「個性のかたち」なのでしょうか?

  もしかしたら、そのどちらでもあるのかもしれません。人間ってどんなにヤサグレていても、どこかに希望があるから生きているんだと思います。 もしかしたら出逢えるかもしれない。もしかしたら辿り着けるかもしれない。とにかくやってみよう、やるしかないって。そしてこうも思います。四角形は、そのままではただ静かにそこに存在するだけ。わたし達もまた、ただ立っているだけ。思い切って一歩を踏み出そうとすれば、必ずバランスを崩す瞬間がある。その前に、踏み出した足を地に着ける。歩いていくということは、その繰り返し。そうやって、出逢いと別れを繰り返しながら、どこまでも歩いて行こうとする。前後左右上下、どの方角にでも。

本当はただ立っているだけで、そこに居るだけで、初めの始まりから自分も世界も全てが完成しているのだとしても。それをただ感じればいいのだとしても。わたし達が鏡を見る。そこに映った世界は動いてる。だからわたし達も、動いていく。四角形の一角を輝かせ、それを道しるべとして。全てを見られる、そのときまで。

  天秤座6°でわたし達は、たぶん小さな一歩を踏み出すのではないでしょうか。あるひとは、新たな現実に向かって。あるひとは、新しい出逢いに向かって。それは自分を識るために、相手を、物事を、世界を、秤にかける旅。 でも、忘れないで。「わたし」という感覚の深奥、そのどこかに、まだ見たことのない永遠の完成形が生きているかもしれないことを。


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  人間が抱く理想や夢が透明な結晶となって顕現する可能性。そして頑ななこころの刃が大切な未来を切り裂く危険。 「わたし/達」と「あなた/達」が出逢うところ。抽象的で奥深い意味合いを沢山含んだ天秤座 ― 牡羊座軸の5°~6°。そして次の7°から先は、対人関係や社会的なコミュニケーションでどんどん実践的な挑戦のテーマが出て来ます。なので気持ちがどどーんと重くなってみたり、また何かの拍子に昂揚したりと気分の波が激しくなるひとがいるかもしれません。でも、そのときそのときの気持ちが向く対象に集中し過ぎると、ストレスで本当に心身のバランスを崩してしまうかも?

10月14日の牡羊座の満月は、牡羊座らしくかなりアグレッシブな(火星的な)度数で起きます。そのエネルギーもたぶん前倒しで来ると思うので、対人関係では上辺のやり取りなどあまり細かいことは気にしないで行きたいと思います。もしそれがその場限りのことなら『あぁ、これって四角の一角だけを結晶化させてるシーンだな...』とか思いつつ、軽やかにバランスを取っていきましょう。そして、今自分が「わたし」という内的宇宙の片隅で何を結晶化させようとしているのか、それを見ていたいと思います。


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have a great trek!!!

hiyoka(^_^


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September 13, 2019

🌕9/14の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 9月14日13:56前後、北海道周辺で14:02前後、関西方面は13:37頃(日本標準時ではこの時間)、沖縄周辺で13:25前後に 魚座21°05'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月 魚座21°→22°/ 太陽 乙女座21°→22°】
  🌕 “A little white lamb, a child, and a Chinese servant”
  『小さな白い子羊、子供、そして中国人の召使い』
  🌞 “A girls’ basketball team”
  『少女達のバスケットボール・チーム』
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  🌕"A man bringing down the new law from Mount Sinai”
  『シナイ山から新たな “法” を持って下りる男』
  🌞“A royal coat of arms”
  『王室の紋章』

9月29日新月のベース・シンボル 天秤座5°台
 『真実の内的智識を教える男』に繋がっていく

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~9/28】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。

→★護られた環境下での無垢さと無知の違いを認識する必要
→★導くこと、教えるという役割に付きまとう責任の重さ
→★プライドや権威を護るために自分を正当化しようとする心理
→★自分が属する集団のアイデンティティを通して全てを判断する危険
→★抗えない運命や定めと思ってきた物事の真偽を再評価する必要
→★“公平な条件” が立場の違いにより不公平を生む現実を見る
→★未熟さゆえの傲慢さや不機嫌で侮蔑的な態度を
    広いこころで受けとめていなす経験豊富な目
    または 上手く利用するためにすり寄る欺瞞に満ちた目
→★他者や自分自身の“内なる子供”を導くために必要な持続力と忍耐力
→★個人的な権利や利益を放棄し、全体のために尽くそうとする精神
→★新たな状況や物事の中で慣れない感覚を抱きながら何かを達成していく
→★社会や人間関係の「権力」や「特権」に付随する膨大な「責任」の重さ
→★正当な義憤と単なる悪意やウサ晴らしの言動との相違が結果として出る
→★自己犠牲か、それを装った支配か、その両極を見抜く必要
→★古い伝統に裏打ちされた美と威厳、または剥がれ落ちる偽の紋章
→★感情/精神/霊的世界など目に見えにくい領域を慎重に見定める
→★おおげさな権威や神秘性でゴリ押しまたは魅了する存在に注意
→★「印象」や「確信」も足早に消えて変化していく人間のサガを見る
→★もの静かに戦闘態勢を整え、もしもの時に備えておく必要
→★ちぐはぐになりがちな感情・精神・行動を整え自分自身に立ち帰る・・・→


★エネルギーのポイント:新月
            『自分自身の安全神話を書き換える』
             
            満月
            『書き換えた安全神話に沿って行動する』

            
190914FM



moon



  伊豆東部から関東首都圏を襲った台風15号は各地に大きな爪痕を残し、横浜では海沿いの工業団地に集まる中小企業に甚大な被害が出たと聞いています。また特に千葉県では家屋の被害の他にも道路の遮断、停電や断水、固定電話や携帯も不通に。。 今はずいぶん復旧してきたとはいえ、まだまだ厳しい生活を余儀なくされているひと達が沢山... そして直後から不眠不休で復旧に力を注いでいる大勢のひと達も...。台風一過で猛暑は収まり急に秋めいてきたけれど、心身の疲れやストレスはホッとひといきついた後に出やすいもの。無理せずどうかご安全に!

  ただ星をみる限り、これから先も日本は災害に気をつける必要はありそうです。とりあえず何があっても最低限数日くらいはしのいでいけるだけの準備はしておきたいです。世界は凄まじい勢いで動いているし、局地的な武力衝突や内乱、テロや暗殺事件など、不安定な状況は2020年にかけてしばらく続くでしょう。ひとのこころも大地も、噴き上げたり揺れ続けることで、長い間に様々に溜まった埃や澱が浮上する — 全ては人間が創造したものなら、それを何らかのかたちで収めなければならないのも人間。そんな時代を生きるべくして生まれてきたことにも大きな意味があるような気がします。


akari



  さて、新月は目には見えないスーパー・ムーンでしたね。それは月が近地点に来ていたから。今回の満月はブラックムーン・リリス(BMリリス)とゆるいコンジャンクト(オーブ5°30’程度)なので、遠地点に近い月。なので今夜の中秋の名月は少しだけ小さく見えるかな? この、遠地点の月は比較的力が弱いという説もあります。けれど実際は弱いというよりも「少し俯瞰して自分自身を見つめる機会」と言ったほうが良いかもしれません。

月はあらゆる惑星から送られる様々なエネルギーを感知し、わたし達それぞれに「自分の気持ち」として感じさせる働きを持ちます。なので火星とともに燃え上った新月の強力なスーパー・ムーンは、総体的にひとびとの怒りやこらえ性のなさ、様々なこころの叫びとなって空間に木霊していたような気がします。そして明日はその結実となる満月。今回の満月でもアスペクトを見るとなかなかの厳しさがあるし、テーマも社会や人間の本質を突いてくるところがあって侮れません。海王星ともコンジャンクトで、現実に追われる中でふと夢見心地に誘われる可能性も高いし、BMリリスもちょっぴり「隠れ離人症」みたいな性質があり、放っておくと悪さをしかけてくることがあります。でも、たとえ海王星の霧のただ中にあったとしても、明晰夢めいた現実の中で意識して自分と周囲を見渡し、「これは何なのだろう?」と問うてみる。それはもしかしたら、まだ見ぬ山河を越えていくための強力な羅針盤になっていくかもしれません。

沢山のアスペクトが形成されている今回の満月ですが、時間の都合で今回の星読みもサビアン・シンボルのみになります。また余裕が出来たらアスペクト編も再開しますね。m(_”_)m


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★9月満月のサビアン・シンボル ★


満月のベースとなるシンボル:魚座21°
『小さな白い子羊、子供、そして中国人の召使い』


        ではさっそくサビアン・シンボルをみてみましょう。この組み合わせも何年か前にルネーションで経験した度数ではあるけれど、やはり今年は同じテーマの内にも微妙に異なるニュアンスが浮上している気がします。

今回のシンボル、まずベースとなるのは『 小さな白い子羊、子供、そして中国人の召使い』という、ちょっと謎めいた光景です。このシンボルには三つの異なる要素がひとつのシーンに収められています。
 

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  by EM Framing, Pixabay


  「小さな白い子羊」― イメージとしては、ただただ無垢で可愛らしい存在。「子供」― こちらもイメージとしては無垢で可愛い存在だけれど、このシンボルではそれに加えて、まだ幼く社会的な規範を知らない存在としても描かれているようです。また、特になんのことわりもないことから、この子はおそらくM・E・ジョーンズやエルシィ・ウィーラーと同じ白人の子供ではないでしょうか。

そして「中国人の召使い」― サビアン・シンボルには折りに触れて「中国人」のシンボルが出てきます。これは全て1920年代当時の米国における「移民」という立場を表していると見ていいでしょう。もともとアメリカという国自体が移民の国です。けれど、世界各国から新大陸で成功を手にするという夢を求めて大量の移民が押し寄せるようになると、旧移民(アングロサクソン系プロテスタントや開拓移民など)と新移民(東・南ヨーロッパ系、アジア、南アメリカ系・カトリックその他異宗教・出稼ぎ移民など)との溝が深まり、社会や経済面で人種や民族差別があらわになっていきました。特に大量に渡ってきた中国のひとびとは、当時の一般的な白人米国社会では「米国に溶け込もうとしない異文化の侵入者」「下層の仕事をする人々」などのイメージがあったと言われています。以前もシンボルに出てきた「洗濯屋」「超低賃金の工場労働者」「召使い」などは、そんなひとびとの代表的職業だったようです。このような移民問題と、それにまつわる様々な立場からの不平不満は、これまでもアメリカに渦巻く大きな問題のひとつでした。そしてここ数年は、まるで歴史が一斉に反動期にでも入ったように、あらゆるマイノリティ(そして抑圧されていると感じるひとびと)からの声が高まり、それが極まった現在はマイノリティ同士の間にさえも新たな亀裂が生じ始めています。


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  By Capri23auto, Pixabay


        では、このシンボルに出てくる「中国人の召使い」は、真っ白な子羊や子供に対してどのような思いを抱いているのでしょうか? そして子羊は、子供は、どう感じているのでしょう?

  子羊は無垢でか弱い存在のシンボルです。けれどいつも側に寄り添っているはずのお母さん羊の姿は見えません。この子は群からはぐれてしまったのでしょうか? ならば、誰かが世話をしなければ生きていけません。子供はふわふわして温かく、可愛い目をした羊をきっと気に入るでしょう。純粋な気持ちで子羊と友達になりたい、ペットにして可愛がりたいと思うかもしれません。けれど、それにはきちんと世話をする方法を知り、身に付けなければなりません。ここでそれを教える役目を果たすのは、きっと人生経験を積んだ中国人の召使いなのだと思います。

この真っ白な子羊は、魚座が包含する「霊性/魂」の一番純粋な顕れ ―「無垢さ」を暗示しているのかもしれません。そして人間の子供は、まだ手つかずの生き生きした感情と未発達な自我、そして好奇心に満ちあふれたナマの肉体的欲求(何でも触って口に入れてしまうような)をも表しているように見えます。子供は純粋であると同時に、邪悪さや危険が至るところに(自分の中にさえも!)潜むことをまだ知らず、やりたい放題のワガママにもなってしまいます。ならば、かしずきながらも教師の役割を果たさねばならない中国人の召使いは、苦労と経験を積んできた人間の精神、そして成長した自我を顕しているのでしょうか...。


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  こう考えてみると、このシンボルには人間世界に見られる二つの道が示されているように見えます。まず一つの道筋はこんな感じかな。

…→ 魚座の最高の顕れとされる、自分の「霊性」を守り育てるためには、まずその存在に気付き、慈しむこころが必要。そして同時に、騒々しい社会の中で、純粋な感性をどう護り、どう育てていくかを知り、そのためにどうしても必要となる「自己規範」を確立する必要がある。

…→ それには自分にとって人生で何が一番大切か?という問いに対する自分なりの答を「核」として経験を積み、大人としての忍耐力を身に付ける必要がある。自分を生きる「霊性」または「わたしと呼ばれるいのち」に仕え、護れるように。ゆるぎない感性を鍛えていくための自立した精神性を保てるように...。

  小さな白い子羊は、あどけない子供をひたすら慕います。子供はそんな子羊が可愛くてたまらず、召使いに助力を求めます。『ねぇねぇ、この羊、飼ってもいいよね?』 召使いはおそらく主人筋にあたるだろう子供を、人種・文化の壁や差別という世間の波を乗り越えて慈しみ、これまでの人生で蓄積してきた智恵を用いて導くかもしれません。たとえば、こんなふうに言うかな?『きっとそれはお父様がお許しにならないでしょう。でも、わたしの所で面倒をみることは出来ますよ。坊ちゃんは内緒で遊びにいらっしゃい。どうしたら羊と仲良く出来るか教えてあげましょう』なんて...。


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  中国人の召使いはそのとき、弱々しく見える真っ白な子羊が実は彼/彼女にとってもかけがえのない存在 ―「普遍的な魂の象徴」であることを深く理解しているのかもしれません。ここではわたし達「人間」という存在を構成する「霊」―「肉体」―「精神」という三つ組(または三角関係)の象徴と、その間をスムーズに流れていこうとするエネルギーの構図を見てとることが出来ます。

  けれど、それはあくまでも「理想」としてのカタチです。魚座の霧はそうすんなりと晴れてはくれません。もうひとつ、今という現実をふまえて考えられる道があります。

  可愛い子羊を見て子供は『ボクが世話をする!』と言い張るかもしれません。『ぬくぬくした羊を抱っこしてボクのベッドで一緒に寝るんだ!』 なんて言い出すかもしれないし、おやつのキャンディを子羊にあげようと思うかもしれません。でもそんなことを許したら、召使いは雇い主である子供の親に厳しく叱責されるでしょう。何も知らない子供の思いどおりに子羊を扱わせるのは、その子にとっても子羊にとっても危険なことかもしれないのです。そしてまた別の側面も考えられます。当時の米国社会で召使いにかしずかれた子供なら、やがて責任ある地位に就き、広い世界に立ち向かってひとびとを導かねばならない運命の下に生まれている可能性があります。だとすれば、きっと幼いうちに、自分が生まれた世界の厳しい一面を学んでおく必要があるでしょう。無垢と無知はまったく違う。天真爛漫とやりたい放題も違う。生き物を友とすること、関係をもつことは、相手が動物であれ人間であれ、自らの選択に対し責任を引き受けること...。


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  けれどもしここで、召使いが自分の虐げられた境遇を恨み、天真爛漫な子供の恵まれた境遇を妬ましく感じていたらどうでしょう? きっと子羊に対しても『お前はいいよね。たまたま真っ白な子羊に生まれたってだけで何の心配もなく可愛がってもらえるんだから... ふん、 世の中は本当に不公平だよ!』なんて考えていたとしたら? ...そこには果てしない鬱屈と羨望、そして自分自身のこころが生み出す分断の淵からふつふつと湧き起こる怒りと抑圧が見てとれます。それは、たとえ一瞬の想いであったとしても、いつ頭をもたげるかわからない凄惨な闘争の芽となり得るでしょう。つまりここに描かれるもうひとつの光景は、「霊」―「肉体」―「精神」の三つ組みが逆流を起こし、精神が病み衰え、闘争が肉体を蝕み、やがては霊の死が訪れることを暗示する道です。

けれど...大なり小なりこういう構造や意識の流れって、わたし達のこころの中で、社会や人間関係のただ中で、大きくは集合体の総意として、わりと普通に起きていることじゃないでしょうか...?

 
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満月に光を放射する太陽のベース・シンボル:乙女座21°
『少女達のバスケットボール・チーム』


       一方、月に光(人間意識)を与える太陽側のベース・シンボル、乙女座21°『少女達のバスケットボール・チーム』はどうでしょう。 この度数は4年前に日蝕が起きた位置でもあり、最長6年と言われる蝕の効果で強化されているかもしれません。

  米国の女子バスケットボールの歴史は19世紀末から大学対抗試合として始まりました。参加者はモダンでお転婆で裕福なお嬢様方だったようです。当時はまだまだ「飛んだり跳ねたりするのはレディのする事ではない!」という風潮が強く、チームを作るだけでも社会的な偏見と闘い、まずは「互いに競い合う権利」を勝ち取る必要があったそうです。だからきっと、このチームの選手達はそれぞれに個性が強く、自分の意見や主張をはっきり持っていたのではないでしょうか。


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  先進的な考えを持つ彼女達は、抑えつけられるような状態を良しとはしなかったと思います。必死にドリブルの練習を続ける子、恋の悩みに気もそぞろな子、親にも兄弟にも内緒で参加した子、戦うことがそのまま自己表現になっている子…それぞれの想いを抱えた勝ち気な少女達。誰かが笛を吹いたとしても、最初から足並みを揃えるなんて、とても無理だったかもしれません。けれど、試合が決まれば話は別。だってやっと勝ち取った「試合する権利」です。それぞれの悩みをひととき忘れ、自分自身のプライドとアイデンティティをかけて「敵チームに勝つ」という共通の目的の下に集まり、それぞれに割り当てられた役割を果たさねばなりません。

  参加した目的はそれぞれ異なるかもしれない。それに最初から上手な子
もいれば、どんなに練習しても上手くいかない子もいます。そうでなくても少ないメンバーです。技量の差が歴然としていても、チームに期待することが全然違っていても、カバーしあって共に働く必要があります。その過程では沢山の問題が起きてくるでしょう。『あの子は自分が目立つことばかり考えている』とか『せっかく頑張ってるのに足を引っ張らないで!』とか。。 未熟さからくる口論や喧嘩、葛藤。そんなときの少女達は、ひとりひとりが自分だけの「子羊」を抱きしめて地団駄をふみながらイヤイヤする子供なのかもしれません。今抱きしめている子羊が本当は何なのかもまったく知らないままに...。


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  外部(親・周囲・世間や社会)から押し付けられた「純白のレディ」という衣装を脱ぎ捨て、自分の体で、自分の力と技で、自分だけのアイデンティティをつかみ取りたいと願う……これは日々を生きるわたし達の姿でもあります。それと同時にわたし達は、チームとして、集団や集合体の一部として、競合社会の中でそれぞれの役割や責任を果たすことも求められます。これもまた、何かに属すことによって得られるアイデンティティや身分であり、わたし達はそれに支えられることによって、自分という存在を護り育てる基盤を得てもいるからです。それはわたし達のほとんどが普段は気付くこともない「特権」なのかもしれません。

想いや期待や意見の違い、力の格差を乗り越えてひとつにまとまること。そして「敵」― 試練や危機、災難とせいいっぱい戦い、耐えて打ち勝つこと。あるいはチームの一員として黒でも白でもなく渾然一体となり、その中でひたすら自分の本質を出し切ること。白いドレスを脱ぎ捨てて、少女達は元気はつらつ!... けれどまだまだ未熟な彼女達を導くコーチはきっと大変だったのではないでしょうか。コーチは無垢なこころを持つ少女達のひとりひとりを、自分自身の人生経験に照らして判断し、導こうとします。おそらくその方法論は、子羊や子供の無垢さとは異なる、彼/彼女自身が紡ぎ上げた個人的・社会的・文化的な世界観で成り立っていたでしょう。ではもしそれが、度重なる苦い体験の印象から「こうでなければならない」と堅苦しく凝り固まっていたら? 当時の米国で大学教育まで受けられた「上流女性」達の “文化的特権” や、格差への不公平感で歪められていたとしたら...?


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  ...最善と最悪が極小の粒子となって、ふうわりと優しい混沌の霧を創り出す魚座。...極大と極小、見る者と見られる者がひとつの存在として重なり合い、解釈の違いによってどうにでもなる “シュレディンガーの小箱” みたいな魚座。 そんな魚座の行程を2/3ほど過ぎた最終ディーカンで起きるこの満月。ここで浮き彫りにされる二つの道 ― 光景は、そのときどきで下すわたし達の判断が、大きくも小さくも、それまで自分達が目にし、耳にしてきた物事から紡ぎ出された「印象」の集積に過ぎないことをさりげなく気付かせてくれる気もします。

みんながこころを開いて互いを受け入れ智恵を出し合えば、それは大きな経験として共有していけるかもしれない。これは社会的な理想です。でも、わたし達ひとりひとりの経験は、広大な世界から見ればとても狭くプライベートなもの。だからもし本当の意味で共有出来るものがあるとすれば、それは個としての経験や記憶の後ろに茫漠と拡がる漆黒の闇だけかもしれない。生と死が入り混じり、生きとし生けるもの達の夢がまどろむ深く豊かな存在の闇。そしてそれが何なのかを本当に識っている存在は、もしかしたら...ことばを知らぬ小さな子羊だけ。 わたし達は自分が抱きしめている子羊を通してその深く豊かな闇を互いに覗き込み、ただ受け入れていくことが出来るでしょうか?


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満月のメイン・シンボル:魚座22°
『シナイ山から新たな “法” を持って下りる男』


        さて次に満月のエネルギーが向かう先は、メインのシンボル『シナイ山から新たな “法” を持って下りる男』です。これには旧約聖書の「出エジプト記」に出てくる有名なモーセと、神が彼に託したといわれる「律法」のイメージが濃厚に重なります。このシンボルはモーセの話と密接に繋がるものなので、そのお話から始めてみますね(とは言ってもわたしも詳しいわけではないので、もしも間違いなどありまたらご指摘ください)。

        モーセは120才まで生きたと言われています。彼の人生は前のシンボルと共通する「数の要素」を持っています。つまり、三つの時期に分かれているんです。そして、そのうち最初の40年はエジプトのハトシェプスト王女の庇護のもとで育てられ、安楽に過ごしました。当時エジプトではイスラエルの民は奴隷化され、迫害されていました。そんな中でも彼の場合は殺されそうなところを奇蹟的に助けられるなど、とても幸運な巡り合わせで生き延びていました。ところがある日、彼はイスラエルびとを打ち据えていたエジプト人を怒りにまかせて殺してしまったのだそうです。そこから、彼の失意と逃亡の40年が始まります。


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 シナイ山麓 聖カタリナ修道院


  その後、彼は遠い砂漠の地でひとりの羊飼いとしてひっそりと暮らし、結婚もして、腰を落ち着けて時が過ぎました。ある日、タベラと呼ばれる地を通ったモーセは、燃えても燃えても燃え尽きない枯れ柴を見て不思議に思い、近寄りました。すると神の声が聞こえてきて、彼ら民族の神である「ヤハウェ」であると名乗ったのだそうです。そして、虐げられて苦しむイスラエルの民をエジプトから脱出させよと命じられました。その時、神は彼に『ここには土足では入れない、靴を脱げ』と告げました。その言葉は彼に「人生の全てを捨ててかかれ」という暗示でした。 

  ここでモーセがすぐさまその通りに出来たかと言えば、そんなことはありませんでした。全てを捨ててまで自分が属する民族を救うなんて大それたことを、何故自分がしなければならないのか? せっかくここまで生き延びてきたのに...と迷いに迷い、何度神に促されてもなかなか腰を上げられなかったそうです。その意味では、彼は人生の2/3を「普通のひと」として生きたのかもしれません。

  けれどやがて、彼は神の声に従ってエジプトに戻り、ファラオにイスラエルの民を脱出させる交渉をすることになります。彼の最後の40年です。神の助けもあって運良くエジプトを離れられても、大勢の民を連れて旅することは当然ながら苦難の連続でした。ファラオの軍勢に追われて食べ物や水にも事欠き、やがては『これならエジプトにいた方が良かったじゃないか! 上手いこと言いやがって、騙された!』なんて不平不満をもらしてモーセを非難する人々が出て、かなり不穏な雰囲気にもなります(これは国のリーダーや政治家と大衆、プロジェクトのリーダーと下部のひとびととの関わりで今も世界中で見られる光景かもしれません)。


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  けれどその都度「神の奇蹟」を顕したモーセは、すでにベールで顔を隠さないと輝く光でまともに見ることも出来ないとされたほどの宗教的英雄になっていたと伝えられます。やがて旅の一団がシナイ山のふもとに辿り着いたとき、神が山の上に顕れ、モーセを招きました。山上に登った彼は、そこで神から十戒を授かり、ひとり下りてきました。そしてこの時「イスラエルびと」と「神」との「契約」が成立したのだそうです。

  その後も「神の民」の歴史は長く続いてきました。それは建国の闘いの歴史でした。ユダヤ教からはキリスト教が生まれ、またイスラム教も源は同じでした。けれど今も、それぞれに宗教的、政治的、それに経済の問題も複雑に絡んで闘争を孕み、世界をゆるがす問題の根源ともなって尽きることがありません。イスラエル/パレスチナ問題、そして最近は特に米国急進左派層にも拡がる親イスラム&反イスラエル主義とユダヤ人差別。またユダヤ/シオニスト絡みの陰謀論も絶えることがありません。一方、キリスト教の最高権威として長く世界に君臨してきたバチカンの威光も度重なるスキャンダルによって衰えを隠せない今、至高であるはずの神に関しても、ひとびとの周囲は濃霧に覆われているように見えます。地球規模で見ても、いったい何が真実で何がウソなのか、 “適正” なグレーゾーンはどこなのかさえもわからないような状況だと言えるかもしれません。


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  至高で純粋な力であるはずの「神」という存在。けれど、もし神が存在したとしても、その力が生身の人間に託され、それが聖化されて権威となり、ひとびとによって都合良く解釈され始めたとき。そこにはまた別の、とても “人間的な” 「魔の力」が入りこむのだと思います。

わたし達人間はこの長い闘いの歴史を終わらせることが出来るでしょうか? 長く水面下に隠されてきた過去は、これからも次々と浮上してきます。社会的にも、個の経験としても。現ローマ法王を決めたコンクラーベは、ちょうどこの度数で新月が起きたときに開かれました。キリスト教社会に大きな影響力を持つバチカンの指導者方は、この宇宙からの挑戦を知っていたでしょうか?

        このシンボルには、ごく普通の人間でしかないわたし達が、ある機会を得て「力」を持ったとき、または身近にそれを感じたとき、その「力」と「特権」をどう扱うのか?という問いかけが含まれています。それは、わたし達それぞれの中に住む、純粋で真っ白な子羊をどう育てていけるのか? 純粋な “Calling”(自分自身を存在たらしめている「核」から微かに響いてくる「声」または「音」)にどう応えるのか? という問いでもあります。

旧約聖書やモーセの物語、そして宗教絡みの闘争という問題は、世界規模のスケールで展開していきます。けれど、その話の中に潜む本質は、実はわたし達の日常にも姿形を変えて常に起きていることではないでしょうか? 
 

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  ここで「力」とされているものが、民族や国を救う力でも、職場のゴタゴタをまとめる力でも、パートナーや家族との絆を確かなものにする力でも、またはSNSや動画サイト、ブログで自分の意見や気持ちを発信する力だったとしても。 その力によって本当に大切なものを護り生かしていこうとすれば、そこには常に大きな忍耐と、ある種の犠牲がつきまといます。けれどその覚悟を持たないとき、責任を負いたくないとき、わたし達は自分を安全な場所に置いてひとを動かそうとします。そして気に入らなければ批判し、不平不満をもらします。

そこに在るとき、ひとは自分が「犠牲者」であることさえも、他者より優位に立つための盾とすることが出来ます。そしてそんな盾と盾の隙間から、内部に溜まった澱を世界に向かって吐き出すことも出来ます。けれどそれは、見知らぬひとびとの中に新たな怒り、妬み、恨みを呼び、力と力のぶつかりあいを生み出していくでしょう。あるときは派手に、あるときは密やかに。互いに自分の、自分達だけの、力や正当性や特権を護ろうとして…。これは日々、ネットやメディアで、あるいは日常の暮らしの中にもよく見られる光景です。そこに勝者はひとりもいない、そんな闘い。そしてその闘いのさ中で真っ先に傷付き喪われていくのは、小さな白い子羊の姿、わたし達の内なる霊性の種子なのかもしれません。


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満月に光を放射する太陽のメイン・シンボル:乙女座22°
『王室の紋章』


  では月に光を与える太陽のメイン・シンボルを見てみましょう。『王室の紋章』。この月と太陽・表裏二組のシンボルをよく見ていくと、この乙女座のシンボルはひとつの物事を地上的・社会的な視線で捉えているのに対し、魚座のシンボルは同じことを天上的・霊的、または宗教的な側面から捉えているように思えます。

        『王室の紋章』( “王家の紋章” でも良いのですが)。これは連綿と受け継がれてきた伝統の重さ、積み上げられた地位や血統、そしてそれらがもたらす特権を表すものです。そして、国家やそこに居住する人々を先導する役割を担っていること(担ってきたこと)を意味しています。今は王家による直接的な統治制度を廃した国が多いけれど、それでもこの紋章を受け継いだ人々は、友好国である限り世界のどこに行ってもその国が持つ最高権威の継承者(または象徴)として最大の敬意を持って扱われます。


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        この「紋章」はその昔、深い森や荒れ地、険しい山、見渡すかぎりの敵陣の中で郎党を率い、道なき道を切り拓いた人々の血脈の証しです。多くの血を流しながらも、人々の安住の礎を築いた先祖達の偉業の印ともされるものです。その偉業を果たすには、絶大な権力を持つことが必要でした(戦乱の時代にもし合議制を敷いていたら一丸となった闘いなど出来ないし、奇襲に即応することも出来なかったでしょう)。 王のことばは即ち「法」であり「輝き」でした。また『王室の紋章』は戦いの中で絶対に譲ってはならない一線、護るべき誇りをも意味します。騎士達は自らが仕える王家(国家)の旗印をかかげ、その紋章に託された集団の命運のためにいのちと名誉を懸けて一騎打ちを行いました。もしかしたら近代の戦争でも、たとえば戦闘機のパイロット達の心理には似たような側面があったかもしれません。現代でも勇壮な国歌や軍歌にその片鱗が色濃く見られる国は沢山ありますね。

       さて、魚座22°の月は「神」から「力」を負託され、乙女座22°の太陽は「ひとびと」から「力」を負託される。。 この二つのシンボルに共通して浮かぶのは「選ばれし者」のイメージです。そして「法」と、それを施行するための「権力」でしょうか。善と悪とが混沌と入り混じる人間社会では、人々が一団となってまとまりながら平穏に生きていくために「法」が必要になります。そしてその下に守るべき「規則」や「規範」そして文化的・局所的な「社会常識」が出来てきます。


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  また、特権階級である王や貴族の生涯にもモーセの生涯にも「ノブレス・オブリージュ」として知られる、選ばれし者が負う重い責任がついて回ります。それは「統率者に権力を負託した者達(国民や大衆、または神なる存在)に対する義務」。命を差し出すことを暗黙の了解とした「契約」でした。これもまた「法」です。おそらく究極の「法」とは、この世の境界を超えた先に存在するはずの「聖なる意志」を源泉とするものだったのかもしれません。

  一方、独裁的王権を持たなくなったわたし達の時代はどうでしょう? 世の中を見渡すと、沢山の「法」や「ルール」に溢れています。そして皆が口々に『これが正しい』『いやそれはおかしい。完全に間違ってる!』『いやこっちこそが正しい。 そんなことも理解出来ないなんて頭が悪い証拠だ!』などと、国境を越えて罵り合ったりしています。

それぞれがより良いと信じる「法」をかかげて自らのアイデンティティとし、あちこちに様々な主義主張が溢れるさまは、まるで意識の世界で永遠の戦いが始まっているかのよう...。昔なら、イデオロギーを広めるためのツールは活字やダイレクトな集会や対人関係、あるいはせいぜい拡声器くらいだったかもしれないけれど、今はネットの世界で誰もが自分の「意見」自分の「法」を発信するようになりました。そしてカーディナル・クライマックスから昨今の木星・海王星の下、それぞれの多様な文脈を、より発信力を持つ著名人やメディアが汲み上げてさらに誇張(木星)と欺瞞、誤読、誤解(海王星)を混在させながら拡散するというシステムが成立してしまったように見受けられます。そんな中では以前メリマンさんが書いていたように「信じられるものなど何ひとつない」ということだけが真実なのかもしれません。


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  こんなときは、なおさら統率者が「ノブレス・オブリージュ」を果たす姿を示すことが重要になりそうです。けれど、もし彼らが責務を果たしていたとしても、今、便利に見えながら複雑になってしまった社会の中で、それを明確に、しかも信頼に足るかたちを通して示すのはかえって困難かもしれません。加速していく世界の中で、わたし達は1秒でも早く結果を知りたがります。そしてチラリと見てはすぐに忘れていきます。そんな現代社会で『王室の紋章』はどんな輝きを放てるでしょうか? リアルと幻影の区別が曖昧な今、声高なパフォーマンスや受けの良いレトリックが主流になれば、その反動は暴力という形をとって顕現するかもしれません。その兆しは比較的平穏に見えた世界においても見え始めています。...そういえば、1950年〜1960年台にテレビが普及して以来、電気や電磁気、電波や電子を介したメディアがひとびとの認知の道筋を全く別物に変化させるだろうと、当時のメディア理論家/文明評論家のマーシャル・マクルーハンは50年以上前に予測していました。そして、その流れは今も留まるところを知らない勢いで進化しつつあるようです(あ、話が横道に逸れてるかな…😓)

  うーん...じゃ、この満月はわたし達にとって何を象徴しているんだろう? 自分自身にとって絶対の「法」、消えることのない紋章の「重さ」や「輝き」って何だろう? そして「譲れない一線」や「力」とは何を指すのだろう? 宗教者ならすぐに答は出るのかもしれません。また、道を求めて歩むひとも「これだ!」と感じられる何かをこころの内に持っているかもしれません。確固とした政治的信条や「こうあるべき何か」を明確に描いているひともいるでしょう。けれど漠然とした不満を抱えながら、これまで培ってきた自分の世界観を護るために使える目新しい「法」を盾とし、その隙間から人生の不満や鬱屈した想いを槍のように突き出しているひともいるかもしれません。まるで『こんな世界に誰がした!』とでもいうように...。けれどそんなひとのこころの奥底にも、まだ純白の子羊はきっと生きているのではないでしょうか。そして、見出され、抱きしめられるそのときを、じっと待っているのかもしれません。


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  何か本当に大切なもの。ずっと護っていかなくちゃいけないもの。絶対に妥協出来ない物事… わたし達はそれぞれにそんな「とても大切なもの」を、漠然とでも抱えて生きているような気がします。たとえそれが「ことば」で表現し得ないものであったとしても。でも『何もないよ、大切なものなんて。その日その日をただ生き暮らしてるだけ。どうでもいい』とか『ただ虚無を見ているだけ…』なんてひともいるかな。ならばその「虚無」や「どうでもいい」状態こそが、今 自分の内部で真正面から対峙すべき大切なものなのかもしれません。そんなタイミングに来ているかもしれません。「自分なりの安全神話」が崩壊し、それを書き換えるとき。そして、これからはきっと、それを生きてみるとき。

       こうしてみると、今回の魚座の新月の度数は両方とも、いかにも魚座らしい「挑戦」を提示しているように思えます。そして、魚座のミルク色の霧の中には途方も無い激しさが隠れ潜んでいることを暗示しているのだとも。

魚座ってもともと、究極の理想や慈愛、平和を希求する星座宮です。でもわたし達がその境地を現実に手にするには、いくつかの関門を通り抜けていかなくてはなりません。それを避けて通れば、手に入るのははかない夢や幻想、そして意識の海底に横たわるかすかな罪悪感と、永遠に逃避し続ける自我の深い眠りです。


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  海王星とBMリリスが近くに控えるこの満月の前後で、わたし達は身近な対人関係や集団、いえ、もしかしたら自分自身の中にも、ある種の狡猾さや無責任さを見て怒りや嫌悪を感じることになるかもしれません。または本当に虚無や孤独を感じて身動きが取れず、うずくまるひとがいるかもしれません。なぜなら今、満月のロード土星は月のSノードとコンジャンクトし、そこに小惑星アグニ(焼き尽くす霊の火)とヴェスタ(燃え続ける霊の火)からクァドリフォームが形成されているから。これは「トールのハンマー」または「神拳」と呼ばれるグループアスペクトで、頂点となる惑星に強烈なフォーカスを当ててきます。今回はその拳を打ち込むのが、小惑星とはいえピンポイントで来ればじりじりと燃え立つ炎で対象を照らす「火」の星達です。なので感受性の強いひと、ネイタルで霊の火の要素が強いひとなら、何かを感じ取るかもしれません。

また、今回は牡羊座のエリスに対しても、オルクスとジュノー、そしてセレスからクァドリフォームが形成されています。エリスの原型には、加速する世界の中で断片化し、継ぎはぎと穴だらけになってしまった「自分」をあちこち探し回って次々と不和を創り出しながら、その中で自分を確かめようとする働きがあります。そんなエリスに焦点を当てるオルクスとジュノーの働きを放っておくと、やたらに誰かを批判したり喧嘩をふっかけたいような気分にさせられるかもしれません。

でも、このフォーメーションをもう一歩踏み込んで受けとめるなら、オルクスが「理解を深めて相手に通じることばを発するために、目の前の問題を熟考する必要があること」を示唆し、そしてセレスは「実りある対人関係のためには互いの着地点を探る必要があること」と囁いているのがわかるかもしれません。ただし、それは事なかれ主義や周囲の期待をくみ取って迎合することではありません。エリスは不和の星という要素を持ちながらも、「互いに分かち合うことで得られる深い満足感を探求する」という位置に在ります。事実は事実として明確にねばり強く伝えていくことも必要。鍵となるのは社交辞令でもスマートさでもなく、目前のリアリティに対し真摯に取り組む姿勢。その結果としてそこから何が得られるか?  たとえそれが思わぬ道筋だったとしても、オルクスが漕ぐ冥界の渡し船に乗る勇気を持つなら、少なくとも悔いはなさそう。このアスペクトがヒットするひとには、たぶんこれがヒントになるかも? だから、もし上に書いたような経験をしたとしても、自分も、誰のことも、責めないでください。このシンボルには、身を焼く火の壁を突破するための「門」もまた暗示されているのだから。


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  シナイ山から下りてきた男は、自分にとっての「神」なるもの、つまり「純粋で至高なる存在」の下で、履き物を脱ぎ捨てました。その時彼は自分の人生の全てを、とても大切な何かに託す覚悟を持ったのだと思います。そしてその時から、それが「自分の意志」=「力」となり、また同時に「それ以外の全て」ともなりました。これを「今見知っている “自分” 以外の全て」…って、言い換えてもいいのかな。 

これは真っ白な子羊を通して預託された力であり、究極の問いです。『見る覚悟はあるかい? それを負う覚悟はあるかい?』って...。大きな覚悟、そして小さな小さな、ささやかな覚悟。ひとによっては「覚悟」なんてことばでは表現出来ない、もしかしたら意識さえ出来ないほど微細でありながら、それでいて強靱な何かへの意志かもしれないけれど。

今は見る影も無くなってしまったように思える『王室の紋章』。けれど、わたし達の内界を統べているのは他ならぬ「わたし自身」です。それは、誰? 自分という存在を率いる「王」は、誰? 「紋章」はたぶん、ひとりひとりの中に刻まれてる。だからわたし達は、自分に対して「ノブレス・オブリージュ」を果たしていく。自分自身の生に対して。それはきっと、まだ見ぬ「白い子羊」なのかもしれない...。


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  本当に色とりどりのわたし達。でも。きっと、満月の下に抱くそれぞれの小さな想いこそが、今 感じるべき大切な「法」への一歩、小さな結実なのかもしれません。

  これから先のルネーションにも、新たに創造的ともいえる挑戦のテーマがどんどん出て来ます。そろそろセットアップも佳境に入るころ。けれど、だからこそ。無理に力を入れることなく、一番シンプルな自分に立ち戻ってみて。深く、深く。頭もこころもその瞬間まっ白にして、ひと呼吸いれて。

で、『何だろう?これ』って。実は「法」には何も書いてなかったりして。そして本当は今、それが一番大切なことだったりするのかも...?😊



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have a great trek!!!★
hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 20:36|PermalinkComments(2)

August 29, 2019

🌑8/30の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  8月30日19:56前後、北海道周辺で 20:02前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は19:37頃、沖縄周辺では 19:07前後に乙女座 06°46’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココ、満月についてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽♍️乙女座6°~7°― 発効期:8/30~9/28 】
🌑🌞”A merry-go-round”
   『メリーゴーラウンド』
            
🌑🌞”A harem”
   『ハーレム』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)~9月28日】
ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。

→★人生で味わう山や谷を巡りめぐるサイクルの一環として眺めてみる
→★社会的なシステムの中で自分のポジションや
    しがらみを保とうとするこころのメカニズムに気付く必要
→★一度踏み出したら後戻りは出来ない状況を前にこころを決める
→★人生を社会的な力を強化するための螺旋階段と見るか...
     または流れの外に出て行き交う全てを幻のように眺める
→★気ままな旅を選ぶか目標に向かって進む航路を選ぶかという選択
→★決まり切った安定路線を外れ、欠乏感を満たすために脇道に逸れる
→★現状から抜け出し他者より高みに昇るために特定の集団に加わる
→★必要な利益を得るために自分自身の一部を犠牲にする状況
→★自分の欲望を誰かに投影しその成功や美を歓ぶ、または失敗に落胆し怒る
→★危機を怖れ快適さと安全を願ってひたすら閉じこもりたくなる気持ち
→★自分なりの「緊張」と「弛緩」のリズムを知って活用する
→★外の世界を知らないための偏狭さや「島国根性」的な世界観に注意
→★安全圏に避難する時と
    あえて勇気をふるい打って出るべきタイミングを見分ける
→★「タブー」や「禁断」とされる人生領域へと安易に誘う声に注意
→★危うい物事を「目撃した」または「知っている」と吹聴する行為
→★全体への責任を負わずに保護や特権を当然と感じる傾向とそれへの逆風
→★「平等」や「公平性」ということばの裏にひそむ矛盾を見ていく
→★自らの分を知ってたとえ窮屈でも現状を維持し向上を目指すか
            タブーとされる荒野の冒険に出るかの選択・・・→

魚座21°台の満月へと続く


★エネルギーのポイント:
 前回の新月『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』
             
 今回の新月『自分自身の安全神話を書き換える』
                   
            
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  猛暑の8月ももう終わり、明後日からは9月。陽の落ちた木立からは虫の音が聞こえ始めました。いつもならホッと息をつく気分なのだけど。世界/社会では毎日のように物事が新たな展開を見せ、あるいは加速的に進行していて、あぁやはりセットアップの年なんだな… と感じます。


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  そういえば、カーディナル・クライマックスのただ中にあった5年前の秋、このブログにこんなことを書きました。

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…カーディナル・クライマックスが始まって以来、沢山のことが起き、今も様々な波が生まれては寄せています。世界は音を立てて変化しつつあるし、惑星達を見る限り、これは動きがおさまれば元に戻るというような変化ではなさそう。人間も、社会も、大地も。『この世でただ一つ、変わらないのは変化するということだけ…』メリマンさんはだいぶ以前のコラムでカーディナル・クライマックスを評し、こう言っていました。これを本当の意味で体感する5年という月日はもう始まっています(そしてその後に続く4年間の試行期に繋がる道も…)。周囲の状況や出来事が、そしてわたし達自身の内面までもが日々 "変わってしまうこと" を、わたし達はごく普通の日常だと感じ始め、受け入れていくようになるでしょうか?

きっと「良いこと」も起きれば「悪いこと」も起きる。個人的にも、社会的にも。もちろん、これまでもそうでした。けれど今までと決定的に異なるのは、カーディナル・クライマックスの惑星配置を背景として、そこに「根こそぎ」感覚が潜んでいることです。

そのせいもあって、敏感な感受性を持つひと達は、言葉に出来ない大きな不安を感じるのではないかと思います。言葉に出来ない不安。それをわたし達は必死に説明しようとします。『きっと○○がXXだから不安なんだ…それさえ何とかなれば…』 そのひとの信条や人生経験によって、いろんなバージョンの理屈づけが出来るでしょう。けれど、こうした合理化によってこころが本当に休まるかどうかはわかりません。なぜなら、星々がわたし達に示唆しているのは 『解など無い』 という場所からもう一度出発し直すことだから。

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  天王星・冥王星スクエアというカーディナル・クライマックスの中心部が終わり、セットアップの年とされる2019年も2/3が終わろうとしている今。わたし達はすでに物事のとてつもないテンポアップと複雑化に慣れてしまい、それをごく普通の日常として無意識に受け入れているようにも思えます。 それとも、そこはかとない不安が背中に貼り付いたように感じながらも、変わらぬ人生の機微に一喜一憂しながらそれぞれの人生を生きているのかな? 昨日があり、今日があり、そして明日がやってくる。大抵のひとにとってそれは変わらないとしても。わたし達が立つ大地と空間はじわじわと、でも本当に根こそぎシフトしてきたと思うし、これからもそれは続くでしょう。


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  前々回のメリマン・コラムでは、来年起きる土星と木星のコンジャンクション=地性星座宮から風性星座宮へと移りゆく長期の文明シフト「グレート・ミューテーション」について触れられていましたね。けれどこうした文明シフト(人間精神のシフト)は、誰かや何かの力によって一方的に変えられるわけじゃない。宙にひしめく無数の星々のネットワークから放射されるフォースを使い(またはそれとともに踊って)、わたし達ひとりひとりが自分の人生を創りあげていく、その行為の集積が膨大な流れとなり、歴史を創っていくのです。

あ、冒頭からなぜこんな話をするのかというと、今回の月がちょうど近地点に在泊する強力なスーパームーンだから(満月と違って目には見えないけれど)。また今回は前回の金星に代わって新月図のロードとなる火星が月、太陽にコンジャンクト、他に金星、水星、ジュノーも揃って獅子座から乙女座に移行し、乙女座のナチュラルハウスである6室に入ることなどを考えると、この新月がまた新たなシフト・ポイント(またはスイッチ)になるひとがいるんじゃないかな?と思ったからです。 世界という巨大装置の歯車が回る、カチリという音。それに呼応するかのように、こころの内側深くで何かが微かに ピンッ と鳴る。...それはそんな感じで起きるのかもしれません。その音は微かかもしれない。けれど、その余韻は体内に長く響き続けるのではないでしょうか。


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  とはいえ、今回の新月が起きるのは現実派で細部の整合性にこだわるとされる乙女座の第1ディーカン。テーマもかなり社会的な意味を帯びてきそう。ならもしかして、この新月がなんらかの形でネイタルに触れるひとは、社会的な意味での選択を通して新しい一歩を踏み出すのでしょうか? 騒がしく忙しい世の中にあって先行きの見えにくい今、もう一度足許を見つめて。こころの平衡を保ち、今ここに。自分自身がどう在るのかを眺めてみる。行くのか? 留まるのか? うん、決めた。けど、ならばどうやって? 

乙女座の惑星群に相対するのは強力な魚座の海王星が放射し続ける幻の霧。そこには美しい夢もあれば、底知れない怖れや疑念もあります。それは何かが明確に形をとる前に一度溶け崩れていくような混沌。だから無意識を通してやってくる導きは、マインドで掴もうとすれば儚く消えていく。

それでも信頼していくしかない。けれど、いったい何を? 


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魚座の海王星

  1998年11月。海王星は行きつ戻りつの後、本格的に水瓶座の旅を始めました。そこは理性と知をもって『We are the world!』という理想を追求するリベラルな星座宮。そこで天王星とともに多様な世界を結ぶコンピュータ/インターネット・カルチャーを育んできた海王星は、わたし達がカーディナル・クライマックスのゲートをくぐった2012年2月、最終的に魚座入りを果たしました。そして、現在魚座17°台の中間地点を逆行しながら再び行きつ戻りつし、最終的に牡羊座入りする2026年1月まで、自ら支配する魚座に滞在します。この約14年にわたる強烈な魚座の海王星の下で、良くも悪くも日々こころにじわじわと浸潤してくるその力をダイレクトに感知するのはとても難しいと思います。

けれど広く世界を、社会を見渡して「最近なんだかなぁ...」と思うとき。あるいは「人間も捨てたもんじゃないな...」と感じるとき。または日常のさりげないやり取りの中で誰かの無償の優しさに触れてこころが癒やされたり、逆に「自分が(または誰かが)こんな目に遭うなんて許せない!」という情動に駆られるとき。そこにはきっと魚座の海王星がこっそりと...他人の顔をしながら忍び寄っているかもしれません(他の惑星とも連動しつつ)。


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  海王星に関連する主な徴候は、漠とした希望、優しさ、自己犠牲、えも言われぬ魅力、芸術、理想主義、宗教心、傷ついたひとびとに手を差し伸べる行為。逃避行動、言い訳、責任回避、被害者意識。そして形を持たない哀しみ。 あるいは社会(共産)主義、病院、慈善団体、内密の行動、隠蔽、噂話、混濁、錯乱、集中力の欠如、薬物やアルコール、支離滅裂さ、狂信性... etc.

天王星・海王星の水瓶座時代、風の知性をもって「あらゆる違いは乗り越えられる」とばかりに包括的な多様性を押し進めてきた世界。グローバルという夢。けれど魚座の海王星の下ではそんなふうに表層を整えた世界観に対する様々な反動が噴出しているように見えます。

魚座は水性、つまり「感情」が力を持つ領域です。また12星座宮の終着地点であり、スッキリと割り切ることなど出来ない言語化不可能な感情が無意識の層に堆積しながら溶け崩れていく領域でもあります。きっとだからこそ、魚座には人間としての最善から最悪までもが存在し、ときに幻となって噴き出すのではないでしょうか。ならばいくら理性で解決しようとしても、知力で制御しようとしても、人間って最後の最後には感情によってしか動かないと言えるのかもしれません。


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  たとえば米国を見ていると、コンピュータの黎明期を牽引してきた知的リベラル層がいまや目を覆いたくなるほど感情的な急進左派を生み出し、高邁な理想の下に意見の違うひとびとをファシストと名付けて断罪するような流れが目立ちます。反論には即座に傷ついて報復するし、話し合いの余地もないありさま。テックモンスターと呼ばれる巨大IT企業は平和の名の下におおっぴらに個人のプライバシーを覗き検閲を行い、大手メディアは良くて切り取り、ともすれば完全なフェイクニュースを流す(これ、本当に驚くことが沢山あります)。ジャーナリストはクリエイターと化し、思い入れをこめて報道という名の作品作りにいそしみ、性別や出自によって細分化したアイデンティティで断片化されたひとびとは、互いに深い疑心暗鬼に陥っているように見えます。それは同じ国の中で「カルチャー・ウォー」「コールド・シビルウォー」などと呼ばれる状況。これはたまたま米国の社会世相をあれこれと追っていて感じることではあるけれど。今、日本を含めて世界中が多かれ少なかれ似たような情動の渦の中にあるのではないでしょうか。

  そういえば前回の満月、水瓶座22°台のメイン・シンボルは『腰を下ろして両手足を振る大きな熊』でしたね。そしてテーマのポイントは『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』でした。おそらく鍵となったのは水瓶座の持つ理性や知性だったはず。どうでしょう?上手く使えたでしょうか? で、今回は繊細だけどちょっと手強い乙女座の新月。向こう岸には、ひたひたと冷たい湿り気を帯びて輝く海王星。 理性では御しきれなかったこころのわだかまりを。漠とした不安を、胸に溜まった想いの澱を。魚座の水辺に映りこむ自分を、その自分を動かしている歯車の本体を... ゆっくりと覗き込むようなひと月の旅になるかもしれません。


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  ならば信頼していくしかない。でも、だから、いったい何を? 

  今、ここに在り、生きていることの絶対性を。そう... もしかしたらその原点まで降りてみること。そこには自分が知っていた強さや弱さなどはるかに超えた何かが ひっそりと、何にも惑わされることなくただ呼吸し続けているのかもしれないから.....

海王星が魚座を去り、牡羊座入りする2025年~2026年。世界は再び真新しいアイデンティティを探り求めて激しく動き始めるでしょう。そこからしばらくはおそらく「風」と「火」の時代になります。(土星と海王星が牡羊座入り、その後天王星が双子座入り、冥王星は水瓶座を運行)だから今、魚座の海王星がわたし達のこころに入り込み、人間の感情が持つどうしようもなさ、それがもたらす愚かさや哀しさ、そして幻の彼方にほの見える「美」や「希望」を見せるのなら... それを味わい尽くしてみるというのもまた、これからを生きるわたし達それぞれが選択してきたことなのだと思います。


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★8月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
乙女座6°『メリーゴーラウンド』

(補完、または対象的な位置付けとなるのは対向の魚座6°
 『正装した将校達のパレード』)


  今回もまた、数年前に満月を通して経験した度数です。けれど当時とはまた異なるニュアンスのテーマが強調されているようにも思えます。そのことをふまえながら、もう一度ふり返ってみますね。

  以前、こんな童謡みたいな詩?を書きました。

  回る 回る メリーゴーラウンド
  調子っぱずれな オルガンの調べ
  ぴかぴか光る イルミネーション

  乗るひと 見るひと 賑やかに
  上がって 下がって 下がって 上がる

  木馬は回る どこへも行かず
  ひたすら巡る メリーゴーラウンド♪


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  ここはきっと休日の遊園地。親子連れや恋人達、家族や友人同士、沢山のひと達で賑わっています。回転木馬に乗って手を振る子供達。その笑顔を微笑みながら写真に撮るひと。メリーゴーラウンドって本当に昔からある遊具です。それが今でも遊園地の主役のひとつとして生きていて、大人も子供も楽しんでいるって、凄いことかもしれません。ところでメリーゴーラウンドに音楽は付き物だけど、このシンボルが降ろされた1920年代のアメリカの遊園地ではどんな曲が奏でられていたのでしょう? 古い映画の中に見られるメリーゴーラウンドのBGMには、今聴くとどこか懐かしいような、もの悲しいようなイメージがあります。

これは1950年代の曲だけど、なんとなくこんな感じかな?



  曲に合わせて小さく揺れながら、スーッとせり上がってフーッと下がって。ゆっくりゆっくり、ぐるぐると回る木馬たち。

色とりどりの木馬にまたがった子供達は『このまま終わらないといいな。ずっとずっと、永遠に回りつづけたらいいのに..』なんて思うかもしれません。何故だかわからないけど、そこは別世界。上がれば、下がる。昇れば、降りる。まるで人生の浮き沈みのように、永遠に回りつづける別世界。けれど本当の人生とは違う。馬から振り落とされることもないし、そのまま空に向かって駆け出すこともない。たぶん、安全。そして、どこにも辿り着かない。それに本当は、全て機械で動いている世界。カタカタと、回りつづける歯車。

        人生では日々沢山の物事が起き、出逢いがあり、そしてあつれきがあります。わたし達は自分の力を証明しようとして、または相手を説得しようとして、思い通りに生きたくて、日々頑張っています。様々なことばを用い、イメージを使い、怒って見せたり、優しい笑顔で自分をアピールしたり。ときにはじっと耐えたりして。その対象は他者とは限りません。他のひと達に背を向けて、自分の中で、自分に向かってそれをやることだってあります。これ以上傷つかないで済むために。あるいは自分を護るために。その結果として、きっちり片を付けて(またはそう感じて)納得出来ればひとときの安らぎを得るし、状況に負ければ落ち込んで堂々巡り。これはちょっともの悲しいメリーゴーラウンド。この新月の下では、自己批判や他者批判、落ち込みや昂揚感の回転木馬に乗って、上がったり下がったりしながらぐるぐると回り続けるひとが出てくるかもしれません。うん。それもまた、人生。でも...


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  この度数に対向する魚座6°のシンボルは『正装した将校達のパレード』です。本当に対象的ですね。それに、魚座というよりこちらのほうが乙女座で、メリーゴーラウンドのほうが魚座に似つかわしいような気もするけれど?

パレードする将校達はおそらく儀礼装と言われる最高位の制服に身を包んでいるのでしょう。もしかしたら、士官学校の祝賀行進かな? それとも記念日や国賓を迎えての軍事パレードかもしれません。自衛隊観閲式の映像を見たことのあるひとなら、およその雰囲気は掴めるのではないでしょうか。彼らの行進には儀仗兵のドリルに近い厳密さがあります。号令に合わせた機械的なその動き、無表情かつ精悍な顔つき。制服が象徴するエリートっぽさ、責任感、そして強靱な意志力と勇敢さ。ぴたりと同じ方向を見つめる厳しい視線は国威と勇猛な武力のアピールです。これ、ひとりでもしくじって調子を狂わせたらきっと大変。何故ってきらびやかな将校達のパレードが真に目的とするのは、『この軍隊とはけっして戦いたくない....』と見る者に思わせるだけの武力とともに、その武力を担う者達の一歩も退かない決意の固さや意志力を、将来敵となるかもしれないひとびとに誇示することだから。つまりこれは「間接的防衛活動」の一環であり、血みどろの戦争に至る前に持てる力を美にまで昇華させて脅威とし、同時に自国のひとびとに誇りを与える — そんなイメージの戦いでもあるのだそうです。だから将校達は、一糸乱れぬ行進を見せながらも何処かに辿り着こうとしているわけじゃない。ただぐるっと広場を巡りめぐってみせながら、イメージVSイメージの戦闘を続けているんですね。


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  けれど考えてみれば制服は、一種の鋳型とも言えます。社会の中で、わたし達はいつの間にか色とりどりの制服を身に纏います。アイデンティティ、主義主張、どこに生まれ、どこに住みどんな仕事をして暮らしているか。学歴は? 収入は? 認知度は? 意識的にも無意識下でも、わたし達は様々な制服を着込み、それらしくふるまおうとしているのではないでしょうか? 社会人という制服。自由人(ノマドとかかな?)という制服。大人、子供、高齢者、若者、強いひと、弱いひと、マジョリティにマイノリティ、意識高い制服にロウワーな制服。夫や妻。男、女、どちらでもないひと、どっちでもあるひと、異端に鬼畜にハンパ者、宇宙人やら地球市民……もう、数限りない制服。着る制服、着せられる制服。脱いでみせるための制服。そしてまた、同じ制服の中にも自動的に生成される、上下格差をデザインした制服やバッジ。 その究極は「わたし」という一張羅の制服。どこまでもセルフィーをまとって自分の世界を回り続けるわたし達。もしかして、世界という名の遊園地には巨大な鏡の迷路があって、そこに「人生」という名のメリーゴーラウンドが設置されているのかな...?


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  何処にもたどり着かないメリーゴーラウンド。ときには昇り、ときには落ち込む、それは楽しくもあり、哀しくもある円環路。それが良いとか悪いとかじゃない。ただ、きっと今。わたし達は今着ている制服に似合った木馬に乗って、何処かを巡りめぐってる。じゃその制服、またはこころの鋳型を創り上げ、ぐるぐると同じところを回り続ける内的メカニズムっていったい何だろう? 何がわたし達をそうさせるんだろう? 木馬にペンキで描かれた何も見てはいない目。凜々しい将校達の、一切の感情を消し去った目。それぞれの制服を身にまとうことは、たぶんとても安全で、護られることでもあるのだと思う。でも、もうそのままではこの先何処にもたどり着けないとしたら…?

今、もしかしたら... これまで「わたし」を動かしてきたメカニズムにヨレが生じ、ガタついてきてるひとがいるんじゃないかな? もしそうなら、この新月期には『そろそろリニューアルの時期が来たよ!』という呼び声が聞こえるかもしれません(時にはそれが、ちょっと痛い思いをともなうものであったとしても)。

これから先しばらくの間。濃く垂れ込めた雲の切れ目から、微かに聞こえる新しい調べに導かれて。何かことばにならない感覚に動かされて、声高らかに『選択した!』とも言えないほどの精妙さをまといながら。そっと一歩を踏み出すひとがいるのかもしれません。

  さぁ回転木馬は軸から放たれて、駆け出すだろうか? 将校達は新たな戦場へと旅立つのだろうか…?


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では、メインのシンボルにいってみましょう。
新月のメイン・シンボル:
乙女座7°『ハーレム』

(補完、または対象的な位置付けとなるのは対向の魚座7°
 『ゴツゴツした岩に横たわる十字架』)


  『ハーレム』。そしてその対向には『ゴツゴツした岩に横たわる十字架』。ここでも再び「安全」というキーワードが浮かび上がります。今の惑星配置からすると、これは「安全」や「護り」といくばくかの「特権(または不利益の解消)」を確保するために何かを犠牲にしつつ、それでも一方では全体の利益となるために何かしなければと感じて行動してみる…または行動への欲望が高まる...そんな感じのイメージかな。

ハーレムといえば、権力やお金を持つ人々によって部外者と会うことを禁じられ、囲われて暮らす複数の女性達が居住した領域...というのが代表的なイメージでしょうか(もともと「ハーレム」とはアラビア語で「禁断、禁じられたもの」を意味することばだそうです)。


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  ハーレムに「自由」はありません。外に出ることは出来ない… その代わり、不満さえ抱かなければ、大きな力によって護られているという安心感があります。外界での暮らしには付き物の、予想外の出来事や事故・事件に遭うこともないだろうし、暮らしの心配もありません。主にとっての自分の価値(魅力)が下がらないよう努めてさえいれば、きっと戦火からも護ってもらえるでしょう(内部では常に目に見えない競争が付きまとうのだとしても)。

  一般的に見て今のわたし達には考えられないことだけれど、昔の女性にとってそれはある種の特権でもあったようです。ハーレムに留まりその規範に従って生きている限り、食べ物や衣服に困ることは無いし、巷の規範にも縛られることなく贅沢に暮らすことも出来ました(実情はどうあれ、1920年代米国のハーレムのイメージはそうだったようです)。権力者と繋がっていれば、外界に残した家族の生活も保障されていたかもしれません。

そのときどきの、安心、そして安全。生きていく上ではとても大事な要素です。自然災害に襲われたり、何か大きな事件が起きたとき。日頃忘れがちな生きるためのサバイバルに直面するとき、わたし達はその大切さを思い出します。 だから自分の分を知って「安全地帯」に留まることもまた現実的な選択だし、そこに生きながら、時間をかけ、エネルギーを使って力と立場を築いていくことだって不可能ではありません。


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  ハーレムといえばとても特殊な環境に感じられるけど、その構造が象徴する現実を考えてみると、男性・女性に限らず今のわたし達だって「社会」や「国」という名のハーレムの住人だと考えることも出来ます。いくばくかの自由と安定を手に入れるために、妥協しながらも懸命に生活を支えているのだとしたら…。

けれど、世界という大きな括りの中では、個として絶対に譲れないギリギリのラインを保つためにあえて妥協しない、という選択をするひともいるでしょう。もう、それは頑固なまでに。もしそうなるとすれば、自分がその道を選んだように見えても、傍目にそう見えたとしても、本当は選択の余地が無いほど行き詰まった状態に来ていたのかもしれません。他に道は無い。いや本当は、最初から無かった。ならば残された道を行ってみるしかない。たとえそれが危険に満ちた迷いの道だったとしても。禁断の道だったとしても。そしてとどの詰まり、その結果を受け入れるしかない。『必ず新しい道が拓けてくる、きっと何処かに辿り着くんだ』と信じて。同じ道を行くのも選択。新たな道を行くのも選択。いずれにしても、必ず新しい挑戦は待っている。そしてこの新月期、その道を示しているのは『ゴツゴツした岩の上に横たわる十字架』かもしれません。


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  「十字架」というと、やはりキリスト教会の屋根に立つあの十字架をイメージしますよね。でもこのシンボルで描かれる「cross」は、もっと一般化したイメージで「十字形に組まれた標識」を指すと考えられます。魚座は宗教性を帯びた星座宮なので「信じる」という意味ではキリスト教の十字架も含まれるけど、おそらくそれでは意味が狭まってしまうでしょう。このシーンで出て来る原語の「cross」は「crossroad markers」つまり交差点に立つ標識を想起させるとB.ボヴィは指摘しています(たとえば古代ギリシャで旅人の守護や厄除けとして十字路に置かれていた「ヘルマ」と呼ばれる石柱のように)。じゃ、その示唆に沿って、この対向度数もちょっと覗いてみましょうか。


  ……今「わたし」はハーレムの住人。でも、そこから逃げ出したいと思ってる。溜まりに溜まった不満があるから。決まりきった生活の外に出てみたい。自由になりたい。ひとりになりたい。やりたかったことを思う存分やってみたい。誰かのために生きるのはもう嫌だ…。

そんなある日、夢を見た。ふと気付くと「わたし」は険しい山道に立っている。そこにあるのは大きな岩。ゴツゴツした岩肌の上に、十字形の標識が置かれていた。ん? 何処からか落ちてきたのかな? いや違う。岩だらけの険しい道には標識を立てる場がないんだ。最初から、ここにこうして置かれていたんだ。

前方に目をやると、霧の向こうにうっすらと十字路が見える。ならばこの標識が道しるべ? 右か、左か、それともこのまま真っ直ぐ行くのか…それとも戻る? いや、戻るなんてあり得ない。だってふり返っても今来た道はもう消えている。刻の輪とともに生きるなら、きっと前に進むしかないんだ。

自分を護ってくれる壁も、ふかふかの絨毯も、着替えもなければ食べられそうな草も生えていない、そんな荒涼とした山道。全ての虚飾が取り去られたむき出しの岩肌。この先、何があるかは誰にもわからない。ポケットにも何もない。見回しても、今まで自分のものだと思っていたものなど何ひとつなかった。たったひとり。果たして自分は耐えられるだろうか? けれど、そんな風景の中に、ぽつんと置かれた「わたし」のための標識。 

でも人生の選択って、本当はそんなものかもしれない。本気で選ぶなら。考えて、あらゆることを考えぬいて、感じて。踏んばって立って。そして、体に響く微かな音を聴いて。さぁ、どっちへ行こう?


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        このエネルギーは、人生上の大きな決断として顕れるとは限りません。もしかしたら日常のほんの些細なこと、誰かの行動やひとことによって浮上してくる一瞬の感情と、そこから拡がるある種の「気分」として経験することもあると思います。 それでも、何かがひそやかに結実を迎えようとしています。頼るべき基準など何も無いように見えても、心地良さや安心感を手放すことになっても、タイミングが来たひとなら。きっとそこからごく自然に一歩踏み出すでしょう。ならば、自分の背中をどんなエネルギーが押しているのかを知り、どんな想いが溜まっているのかを自覚して歩を進めることには大きな価値があるのではないでしょうか。


  けれど慎重さも忘れないで。『悪魔は細部に宿る』これが乙女座の合い言葉。無謀な冒険と「それしか無い道」 とは決定的に違います。たとえ妥協を許さぬ道を行くにしても、安全や安定を選んで現在の場に留まるにしても、今は本当にいろんな欲望のエネルギーが交錯し、綱引きをする時期であることもこころに留めておきましょう。それが十字路を覆う霧の正体でもあるのだから。

たとえば駆け引きや小さなウソで逃げたくなるエネルギー。自分に対しても、他のひと(または見知らぬ罪びと)に対しても、報復や罰を与えるのが当然だと感じる燃え上がるような原動力(それはおそらく自分自身が経験している「理不尽さ」の投影)。深いこころの傷から目を逸らすための無茶な行動。はかり知れないひとの気持ちや物事の背景を考える余裕を失なわせる無意識の強い衝動。ひそやかにエネルギーを吸い取る寄生者を切りたくても切れないという葛藤。わかっているはずなのにまた同じ事を繰り返してしまう、自分の前に立ちはだかるその壁をどうしても超えられないという感覚。自分の直観を信じられなくなり、疑心暗鬼に落ち込ませるエネルギー。あるいは幻想に基づく強い使命感(ドン・キホーテ的な)、または罪悪感。良かれと思いながらつい犯してしまう誤り。そして限りあるいのちに残された日々を数えながら抱く、この先何かが起きるのではないか?という漠とした不安と期待感。動きたい、何とかしなくちゃ!という衝動。うーん、このところ乙女座 — 魚座間を行き交う惑いのエネルギーは複雑で細やか。何でもアリに見えて、一筋縄ではいきません(ゆったりかまえて想像力の翼を拡げ、思いを巡らすには良いのだけど..)


August


  いえそれでも、だからこそ。ハーレムの素敵なソファーに寝そべって、主の居ない間にひと休み。盛夏から秋への変わり目に、耳を澄ませて見えない月を感じてみる。 

『これでいいんだ』 ふと、呟いてみた。

すると即座にこころが問い返す。『本当か?』

『さぁ...どうだろうね』 

半分本当で半分は嘘。 だってそんなの割り切れやしない。でもそのままが、今のありのまま。そしてありのままが、少しずつ 少しずつ 深まっていく。体中にひろがる霧が、いつしか すっと透明になっていく。 ん。なんか口角、上がってる? 「わたし」の中で、歓んでるのは何?

  そのとき。目の前にひとりの女神が立つ。その名はヘカテー。精霊の集まる十字路に立ち、聖なる岐路を護る月の女神。彼女は地獄の犬を連れ、松明を持って道を照らす。そして道往く者にこう問いかける。
『後戻りはないぞ。本当にこの道を行くのか?』と... 。

さてと。何て答えてやろうかな?♪


(この新月図で、小惑星ヘカテは天秤座11°台のDCにピタリとコンジャンクトしています。だからこのひと月のうちに、何かドラマティックなシフトを経験するひとがいるかもしれませんね。)

みんな、どうか素敵な新月の夜を!







have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 22:15|PermalinkComments(4)

August 14, 2019

🌕8/15の満月 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 8月15日21:48前後、北海道周辺で21:54前後、関西方面は21:29頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で21:00前後に 水瓶座22°24'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています


【月 水瓶座22°→23°/ 太陽 獅子座22°→23°】
  🌕 “A rug placed on a floor for children to play”
  『子供達を遊ばせるため床に敷かれたラグ』
  🌞 "A carrier pigeon”
  『伝書鳩』
     ↓↓↓
  🌕"A big bear sitting down and waving all its paws"
  『腰を下ろして両手足を振る大きな熊』
  🌞“A bareback rider”
  『裸馬の乗り手』

8月30日新月のベース・シンボル
 『メリーゴーランド』に繋がっていく

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~8/29】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。

→★自分にとっての内的な拠り所、「ホーム」といえる場を再確認する
→★自分が生きる家、地域、領域、国の安全と防御や防衛に関わる問題
→★日々の喧噪の中で緊張を和らげるちょっとした遊びごころやユーモア
→★あれこれと気を散らさずに真に重要なことを見極める必要
→★攻撃的な怒りの衝動や性衝動などを抑制する訓練の大切さ
→★過度の飲酒や薬物の摂取、放埒な行動が引き起こす危険に注意
→★派手なパフォーマンスや高揚感よりも地道な生真面目さの価値を見る必要
→★ここまでは安全、この先は危険という境界や限界を知り遵守する必要
→★成熟の過程で必要とされる新たな忍耐心と持久力
→★曖昧な尺度やコンセンサスがとれない状況で問われる自由と責任のバランス
→★訓練や修練を通して自己抑制や自己コントロールを習得していく
→★突然の情動に乗せられて動くことがもたらす重大な結果
→★デリケートで壊れやすく価値ある何かを扱うための繊細な注意力
→★密やかに行われる巧みでよく訓練された戦略の存在に注意
→★欲望むき出しの態度、または優しく包括的なふるまいの裏に隠れた真意
→★様々な刺激に耐え、あくまでも品性を失わず自分らしくあるという挑戦
→★人生の浮き沈みを眺めふり返り、今の自分を再確認していく・・・→

エネルギーのポイント新月
            『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』
             
            満月
            『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』
            (新月と同じ)

190815FM


★8月満月のサビアン・シンボル ★

  今回は以前も一度経験したことのある度数です。当時は天王星・冥王星のカーディナルスクエアが減衰し始め、ひとつの時代が終わっていく時間帯に入ったときでした。そして今ふたたび同じテーマを満月として経験するというのも、何故かとてもタイムリーな気がします。実は今回、シンボルは割愛しようと思っていました。でもこの満月はシンボルのテーマが大事な気がするのと、以前書いたケンタウルス族の説明も初めて読むひとがいると思うので、以前のものをほんの少しだけ変えて最初に再掲することにしました。ただし以前とは月と太陽の位置が逆なので月の説明が短いです。それでも今回は太陽のパワーが強調されそうなので雰囲気は十分掴んでもらえると思います。


満月のベースとなるシンボル:
『子供達を遊ばせるため床に敷かれたラグ』


  新月で出て来たかなり政治的なシンボルとはうって変わり、暖かな家の中で遊ぶ子供達の足許には厚くてフカフカの敷物が敷かれています。ここなら飛び跳ねても大丈夫! 転んだってケガする心配はありません。子供達は、このラグの上なら安全です。もちろん、ラグを敷いてあげた側(親、学校、保護する立場の人々)にとっても、子供達がこの上にいる限り、安心していられます。それに、イタズラな子供達に床を汚される心配だってありません。ラグの上は、誰にとってもホッと安らげるホームみたいなもの。でも、はたして子供達はおとなしくその中だけで遊んでいられるかな?


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  ラグの縁は安全と危険の境界線です。そして子供達は、境界や限界をヒラリと飛び越えるのが大好き。どこだって気の向くままに駆け出していきたいのです。 いったん境界を踏み越えれば、転んで痛い思いをするかもしれません。もっと思いがけない危険だって待っているかもしれません。それを理解しておくのはとても大切なことです。でも、経験を積まなければわからないことだって世の中にはあります。 今のような厳しい星回りの中で、安全地帯を一挙に飛び越えて行くのは暴挙でしょう。それでも、もしそうしなければならないと感じるのなら。この期間は転ぶこともきちんと想定した上で冒険に出かけましょう。「今、ラグの外に出ている」それを十分に知った上で慎重に行動するのと意識もせずにただ飛び出していくのとは、結果に大きな違いがあります。そして、常にユーモアや快活さを携えて未知の領域を乗り切っていきましょう。けどもし迷ったら、いつもこころの中に帰るべき場所があることを忘れないで。


満月に光を放射する太陽のベース・シンボル:
『伝書鳩』


  この伝書鳩は「帰巣本能」のシンボルです。どんなに遠いところからでも、初めての土地からでも、一度飛び立てば必ず自分の「ホーム」へと帰ってきます。重要なメッセージ、または何か小さくて大切なものを携えて。B.ボヴィは原語の “carrier” が化学の世界で言う “触媒” の意味を持つことに着目していました。まだ現代のように世界を繋ぐ通信環境が整っていなかった当時、伝書鳩は軍事、報道、医療用の物資運搬、そして重要な情報を人知れず伝えるためのツールとして利用されていました。その働き ― 忠実な帰巣本能とそのための飛翔能力 ― は、人間にとって次の行動を起こすための「触媒」の役割を果たしていたと言えるかもしれません。1000kmも離れた遠隔地からさえ戻ることが出来る伝書鳩。でも、その行程には危険がいっぱいです。鷲や鷹に襲われて命を落としたり、磁気嵐で感覚器官が狂い、戻れなくなってしまう鳩達も沢山いたそうです。


pigeon


  わたし達は毎日外界に自分自身を曝して生きています。日々いろいろなことが起こっては消え、飛び交う多くの情報の中で、笑ったり怒ったり、打ちのめされて沈んでみたり。ときにはちょっぴり背伸びして遠くまで足を伸ばし、新しい冒険に挑んだりします。けれど、そんな日々の中で、いつもわたし達の支えになっているのは...「巣」「ホーム」「自分の居場所」だと感じられる何処かや、誰かとの絆、あるいは「わたし」という存在の核そのものではないでしょうか。そしてそれをもう一歩掘り下げてみると、その場所や絆は...自分の記憶の「原点」として存在し続ける「何か」なのかもしれません。

        たとえ外側からどう見えようと、迷ったときに常に立ち帰ることの出来る原点を自分の内部に持ち、それを信頼するとき、わたし達は元気になります。ときにはそれが窮屈だったり、しんどかったり、我慢しなければならないような状況があったとしても。そこから遠く離れているとき、わたし達はふとその場所を思い出します。支えられてきた。今も、支えられてる...そこにわたしが居ると。それは辛い状況を耐え抜く力を与えてくれるかもしれません。


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  この対極をなす2つのシンボルは、自分の真の「ホーム」、そこに戻ればいつだってそっと羽根を休めることの出来る場を持つことの大切さ、かけがえの無さを再確認し、それを大切にしていくことを示唆しているように思います。 ん?「そんなの無いよっ!」てひともいるかな? でも、これってことばで説明したり、論理的にどうこう言うようなことじゃありません。きっと誰でもそれを何処かに持ってる。もしかしたら存在という空間の内部に。もしかしたらわたし達の体が今、生きようと頑張っているそのこと自体の中に。それがどんなものであろうと。たとえ誰が何を言おうと。「ホーム」があるからわたし達は「ここ」に存在してるんじゃないかな?


満月のメイン・シンボル:
『腰を下ろして両手足を振る大きな熊』


  わたし達人間にとってぬいぐるみのクマさんは可愛いけれど、本物の大熊は恐ろしい力を持つ存在です。いきなり出くわして襲われたら、ひとたまりもありません。けれどこのシンボルの大熊は、座って両方の手足を振っています。何だろう? もしかしたら、サーカスの演し物かな? 恐ろしいはずの熊も、今は観客に向かって懸命に...でもちょっぴり不器用に手足を振り、しきりに愛嬌を振りまいています。いえ、彼自身は別に愛嬌を振りまいているつもりなどないかもしれません。ただ厳しい訓練に耐え、そこで生きるために、自分に課された役割と責任を果たしているだけかもしれません。遠目から見れば愛嬌ある姿に見えても、彼の力は強大です。気軽に握手することなんて出来ません。大熊には悪気や相手を傷つける気持ちなど一切無くても、たとえ穏和な性質だったとしても、わたし達が不注意にも彼を人間と同じように扱えば、彼を怖れさせ、防御の一打を受けて大怪我をしてしまいそう。そしてその結果はいたいけな大熊の生命を奪うことにもなりかねません。


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       このシンボルは、訓練によって耐えぬく力、衝動に負けない精神力を身に付けることを示すと同時に、相手と自分の違いをよく知り、安全と危険の垣根にデリケートな注意を払いながら共存を図ることを示唆しているように思います。熊の手足は大きく力に満ち、美しくもあります。けれど彼はテディベアじゃない。別世界に生きるべく生まれた命です。彼には彼の生きる世界 — ホーム — があり、わたし達にはまたそれぞれのホームがあります。

腰を下ろして両手足を振り続ける大きな熊さん。わたし達が彼の内なるホームを理解し、本当の意味でこころを通い合わせることは出来るのかな? もしそんなことが可能だとしたら…..それはわたし達が自分自身の内なるいのちの原点を見出し、そこに自分自身=彼の獣性をそのまま包含し得たときではないでしょうか。


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  ところでベア・マーケットといえば金融界では「弱気相場」を意味します。これは『熊を捕らえる前に熊の皮を売るな』という、甘い見通しや安易さを諫める格言から来ていると聞いたことがあります。相場が下がると見込んで高くなったところを空売りする...まだ熊は現れないけど、とりあえず架空の皮を売ってしまうことで儲ける。そんな行為がこの格言と結び付いたのではないでしょうか。うかつな空売りは確かに大怪我のもと。けれどそれは、相場を張るひとにとっては一種の醍醐味かもしれません。けれどこれもまた、 危険と安全の境界線をよく見極めた上で、慎重にトレードプランを立てる必要があります。必要なのは、自己制御。制御しがたい世界を渡っていくための、それは唯一の力なのかもしれません。



満月に光を放射する太陽のメイン・シンボル:
『裸馬の乗り手』


  裸馬は野生の荒々しいエネルギーのシンボルです。馬がまだ馴れないうちは、乗り手と馬の間でクッション役を果たす鞍を装着することなど出来ません。この馬はまだ野性の一団から捕獲されたばかりなのでしょうか? でも、この乗り手は本能のままに荒ぶる馬を巧みに抑え、思い通りに走らせることが出来るようです。「馬を乗りこなす」ことは「自分自身に備わったパワーを統制する」ことだとB.ボヴィは言っていました。きっと裸馬の乗り手は、荒ぶる馬と自分との間に隔てるものを置かず、野性の荒々しさを受け入れ一体化することによって、それを自分のコントロール下に置くことが出来るのかもしれません。それは人間の「精神」と「本能」との闘いでもあります。


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  このシンボルのイメージは、半人半馬のケンタウルス族を思い起こさせるところがあります。で、ケンタウルス族の小惑星といえば、まずはカイロン。そしてこのところ様々なアスペクトを形成して活躍中?のフォルス、アスボルス、ネッソス、キラルス、エケクルスなど... 天上には現在発見され名付けられている半人半馬達が沢山存在します。 けれどその中で、崇高な精神と荒々しい武闘派的な衝動とを完全に統合することが出来た存在は、ヘラクレスやアスクレピオスなどギリシャ神話に出て来る英雄達の師でもあった、カイロンだけなんです(元々彼は出自が他のケンタウルス達とは異なるのですが...)。その他のケンタウルス達は、温厚だったと言われるフォルスでさえ、好奇心に負けてうかつな行動を取ってあっけない死を迎えることになるし、他はほとんどが激昂した末に激しい戦いや復讐の刃に倒れ、凄惨な死を遂げています(例外は一番の美青年キラルス。彼はある日何の理由もなく何処からか飛んできた矢に貫かれ命を落とします)。

  ケンタウルス族の惑星達は皆「<象徴的な死>を経た末の癒しと解放」というテーマを持っています。死を迎えるまでのいきさつも死に方もそれぞれだけれど、彼らのほとんどは死を通して解放されるまで、怒り、恨み、裏切り、復讐、性的欲望や欲しいものを取らずにいられない欲動など、どちらかというと下半身的な生命力のほとばしりに殉じて生きた存在だったのではないかと思います。その豪快な躍動感は裸馬の持つ荒々しいエネルギーそのものです。けれど同時に半分は人間でもあった彼らの生は、たとえ一時的な高揚感に胸躍ることがあったとしても、実は恒常的に抱える大きな痛みと哀しみを伴うものだったかもしれません。


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  ネイタルチャートでケンタウルス族が位置する領域は、そのひとが抱える「暴れ馬」、奥深い「傷」を意味します。何かのきっかけでその傷が疼くとき、わたし達の中の裸馬もまた蘇ります。何か強い感情的な刺激を受けたとき。湧き起こる衝動に抗えず、傍目からは自暴自棄としか思えない行動を取るとき。あるいは、思わずひどいことを口走ってしまうようなとき。その傷口は開き、深い開口部からは鮮血とともに自分でも驚くほど生々しい粗野な力が湧き起こります。

わたし達は文明社会に生き、日頃はいちおう良識的な生活を送っているけれど、実は一皮剥けば、みんな半人半馬のケンタウルスかもしれません。たとえ表面的には優雅にふるまえたとしても、その裏では縄張り争いが続いているし、支配と被支配をかけた闘争も後を絶ちません。それは広い社会に見られるだけでなく、身近な家族間にも見られるナマの姿です。そこに愛が絡み、情がからみ、憎しみが生じ、わたし達は身動きが取れなくなります。 

結局のところ、他の存在 — 動物や植物の命によって贖われ、支えられているわたし達の生命。それもまたこの世界が辿ってきたひとつの営み。わたし達の中には、理性や善に向かおうとするこころだけでなく、必ず動物としての苛酷な本能が潜んでいます。それを、善・悪という二元性で割り切れるものでしょうか。 肯定と否定、生に向かうこころと死に向かうこころの全てがわたし達であり、人間として今、ここを生きるということではないでしょうか。


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  「鞍=Saddle」。これは鶏やアヒルなど家禽類の腰背部の形を示すことばでもあります。普段は馬の背にやわらかな羽毛のクッションを取り付けて、しずしずと馬を進めるわたし達。中には白馬の騎士然としたひともいます。わたし達の本能なんて、すでに理性によって飼い慣らされたアヒルのようなもの。けれどふと気が付けば、世界の至るところに攻撃的なエネルギーが溢れています。ゲームやスポーツで「健全」に昇華することの出来ない、何か永遠に蠢くものの存在。それはわたし達の中にも、確かに存在します。たとえそれがあからさまな暴力の形は取っていないとしても...。それらをありのままに見るとき、そこにはシンプルな野性動物の世界よりずっと厄介で、一度たりとも癒やされることのなかった一種の "ねじれ" が存在しているように思えます。


  でも... 。もしもわたし達が裸馬の乗り手になるのなら? それが出来るとすれば、始まりは「鞍」というクッションを通さずに、自分の中に潜む矯められることのない荒々しさと向き合うことかもしれません。上半身と下半身の中間 ― 裸馬との接点 ― に持てる力を込め、意識を持って一体化し、自我を超える力で全てを呑み干す。傷をみとめ、それでもなお生きて前に進む。 語られる術を持たなかったそれぞれの何かを解き放つ。ただ、無を怖れずに漆黒の記憶へと。それには孤独な作業を必要とします。

一人の人間の中には、おそらく何層にも分かれた無数の多様性が存在するのではないでしょうか。その全てを見切るなんてことは、今のわたし達には不可能に思えます。それでも。自我の奥に潜む広大な存在の闇に意識を向けることも無いまま真の多様性を理解することは可能でしょうか? それをこの世界に実現することは出来るでしょうか? わたし達はこの人生で「美女」と「野獣」を統合し、いつの日か新しい人間のカタチを創り上げることが出来るでしょうか? 今、科学の世界ではその可能性を前提としているけれど? 

…でも獣性と人間性を統合することの出来る裸馬の乗り手って、いったいどんな存在だろう? その可能性はわたし達の中に在るだろうか。もしかして...それが霊性? でもそれって誰? それは、本当に「わたし」だろうか? いえ、それとも... ? 


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  あ、ここまで読んでくれたひとの中には『革新的な水瓶座の満月なのに、ずいぶんディープだなぁ..』なんて思うひともいるかな? けれど、どんな星座宮でも最後の第3ディーカンになると、成長した意識が次のステージに移行するための準備段階に入ってきます。水瓶座の次は魚座。この流れが象徴するのは、対向の獅子座が抱く世界の中心に存在する自我からの転換を終え、今度は世界を包括的に見る自我の集団として志を同じくする仲間が集まり、ともに世界に変革をもたらそうと思いっきり創造的思考を拡げるという段階を終えていくこと。そして彼も我もなく全体に溶け出していく形のない自分を識り、全てがより大きなサイクルの中に吸い込まれていく、その深淵をかいま見ること。または光とも闇ともつかない未知の記憶を思い出していくこと…そんなテーマが浮上してきます。本来なら型破りでちょっと斜めから世界を捉え、新しい風を呼び込む水瓶座の月。そして “白馬の騎士 & バラの貴婦人” がお似合いの獅子座の太陽。けれど、全ての星座宮に共通して言えることとして、そこまで成長してきた意識に対し大体22°〜23°あたりで『待て! 何か忘れてはいないか?  一度ここで立ち止まり、よく考えてごらん』という含みが顕れてきます。 

いつも思うのですが、サビアン・シンボルの象徴体系を扱う際に「これで終わり」ということはありません。掘り下げれば果てしなく深く、尽きることがありません。


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        危険と安全。衝動と忍耐。欲望と理性。強靱さと防御... 様々なアンビバレンスを含む満月のテーマは、これからわたし達が時をかけて歩むそれぞれの道に、星々が与えてくれるカリキュラムのひとつ。 けれど、わたし達はみな山や森に暮らす一匹の大きな熊であり、また草原を、都市を、天空を自由に駆け巡る半人半馬のケンタウルスでもあることを忘れずにいたいと思います。彼らは人間から見ればときには檻の中の見世物であり、また恐ろしい獣として怖れられたり、ときには食用肉や害獣として狩られます。けれどありのままの生を生きています。ケンタウルス族もまた大変な乱暴者ではあったけど、戦士として豪放に生き、傷もまた生の証しとして引き受け、大いに楽しみ、散っていきました。ならば。笑いと自由と胎内に踊るいのちと…やがて訪れる死さえも親しい友としていけたらいい。この生を、せいいっぱいに。今、そんなふうに感じています。


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★8月満月の星模様とチャレンジ ★
   ― 気になるアスペクトいろいろ ―

満月軸と牡牛座のヴェスタがTスクエア
獅子座に太陽、金星、水星、火星、ジュノーが勢揃い(ジュノーは射手座のイクシオンとトライン)
逆行のシャドウを抜けたばかりの獅子座の水星が牡牛座の天王星とスクエア
12日に順行した木星(グレートアトラクターの位置)とアルチラが射手座/双子座軸でオポジション、ノード軸(土星&アグニ)とでイリテーションレクタングル

  さて。12日に木星が順行し、天王星が逆行。惑星が方向転換した当初の前後数日はそのパワーが強まる。また木星はしばらくの間グレートアトラクターの想像を絶するような強大な吸引力に曝されていたため、エネルギーは十分に充填されている。というわけで、この順行当初の木星にはひとびとの思考を極化させていく一方で、あまりにも新しい概念すぎて普通の感覚では掴みきれないような、理解を超える思考がふいに湧いてきたり、そんな類いの思考(思想?)に出くわして何故だかちょっと感動するような傾向がみられるかもしれない。もしかしたら長い間探しあぐねてきた突破口が見つかるかも?とワクワクするような経験をするひともいそう。ただ、常識とはかけ離れた概念はともすると単なる「はぐらかし」だったり、落ち着いてよく考えてみたらどうとでも取れるレトリックだったりする可能性もある。または、どこかに破綻があったり何かが隠されているかもしれない。もしこの期間に新たな “世界観” や “面白いひと” に出逢ったりしたら、「本物」かどうかしっかり見極める必要があることを頭の片隅に入れておきたい。


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  一方、木星が関与するイリテーションレクタングルは深く物事を考えたり、細部に神経を行き届かせながら大きな視野で世界を見渡す機会とも言える。それは自分自身やひとびとの過去と未来を繋ぐ架け橋になるかもしれない。なので上に書いたこととも重複するけれど、ひとつの発想からとめどなくインスピレーションが湧き、どんどん突き詰めていくひとがいると思う。もしそうなら、そのひとはそこで得た着想を大事に育て、将来仕事の関係に活かしていける可能性がある。

けれどもしそこに注意点があるとすれば、一点集中しすぎることかも? レクタングル内部の緊張感が高まれば、そのパワーは背中を押す推進力になる。それはいいのだけど、ともすると誰かに自分の考えや探求する物事を話したくなるかもしれない。そして話しはじめたら止まらなくなったりするかもしれない。けれど自分にとって大切な「真実の探求」も、他のひと達にとっては異なる可能性が高い。怖れることなくどんどん表現していくのは良いけれど、不必要なディベートを仕掛けたり「こんなことがわからないなんて!」などと思い始めたら、たぶん危険信号。周囲のひと達はその話題への関心を失ったり、「うん、うん」と頷きながらこころは別世界に飛んでいたりするかも? 

新しい発想を活かしていくにはコミュニケーションも大切。けれどそれには未完成な自分を抑え、じっくりと物事を育てるための胆力と忍耐力が必要になる。適度なインターバルをとり「物事の根っこ」と自分自身の両方を休ませることも必要。(レクタングルの一角をなすアグニは聖なる火の力そのものだけど、使い方によっては自分の身をジリジリと焼く火にもなる)。それさえ間違わなければ、本当に今までの「精神の牢獄」を突破するひとがいるかもしれない。少なくとも、そのきっかけを掴めるかもしれない。


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  水瓶座の満月は通常、進歩的/革新的なエネルギーを帯びるものだけど、今回Tスクエアとなる牡牛座のヴェスタは『あなた自身が真に “身を捧げる” ことが出来ると思える「感覚」や「理念」て何? あらためて信じる必要もないほど「そのもの」だと感じられる生き方ってどんな感じ?』と問いかけてくるかもしれない。ヴェスタが在泊するのは感性が研ぎ澄まされる位置。そのエネルギーによる知覚範囲は日常の「現実」から「見えない世界」の領域まで拡がってる。けれどそこには同時に「幻に酔うような感じ」や「肉体性の希薄化」という落とし穴も用意されている。それに加えてライ(自己合理化や嘘、欺瞞や詐欺に関連する小惑星)がヴェスタにコンジャンクトしていることにも注意が必要かもしれない。

また、満月図のロード金星が獅子座で太陽とコンジャンクション。太陽は満月に補完的なエネルギーを加味するものだけれど、今回は獅子座側(太陽側)の力が強く顕れそう。火星と水星、それにジュノーも在泊して獅子座的なエネルギーは強い(ジュノーはイクシオンとトラインで胸に秘めていたことをぶちまけるかも?)。

逆行のシャドウから解放された水星と天王星の組み合わせはとてもクリエイティブな発想を生むかもしれない。けれど木星からもある種「ぶっ飛んだ」創造性が放射されてくるとき、獅子座的な『わたしこそクイーン!』『オレ様こそキング!』的な自我をふくらませてしまうとおそらく周囲からは引かれそう。この満月の水星は、ちょうど逆行開始地点だった「断崖」の上に立っている。あちこちから強力なエネルギーが放射されて、ネイタルによってはとっちらかり気味なひともいると思うけど、様々な発想や想いの基盤であるはずの「自分自身の選択」「自分が向かうべき方向」を見失わないよう、しっかり手綱を締めていこう。


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  それと、これは小さな惑星やパーツ構成から導き出される一種のスペキュレーションではあるけれど。太陽・金星にはエマーソンズ・デスポイントというアラビックパーツが重なる。ASCには小惑星フラッド(洪水)DCにはダイシンサイとレクイエムが乗ることから、この期間は自然災害や事故に十分気をつけ、あまり危険な場所には近付かないほうが良いと思う。今後も、いつ何があってもまあこれなら当面は何とか... と思える程度に備えは十分にしておきたいところ。ASC~DCの度数からすると、何か突然の出来事を通して目が覚めたり、何かが解放されるような動きも感じられる。このDCを「関係性」と捉えるなら、過去から引きずってきた「腐れ縁」的な関係を断ち切ったり、背負っていたものを突然投げ出すようなひともいるかもしれない。自己制御がテーマとなる満月ではあるけれど、それはもしかしたら他者に制御された状態から手綱を自分の手に取り戻す行為かもしれない。もしそんなひとがいたら、当座は辛く苦しい思い、または罪悪感や孤独感に悩む可能性はあると思う。でも、これからの数年できっと真新しい人生が開けていく。今は前を向いて、大きく息を吐いて。そして真新しい空気を胸いっぱいに吸ってみるとき。


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MCに冥王星族アラウンがコンジャンクト、2°のオーブで10室に逆行の冥王星、近傍9室に逆行の土星とSノード。IC近傍3室にアグニとNノード
太陽・金星とアスボルスから冥王星にYOD

  政治・経済・社会(仕事)的な面では強力なトップダウンを示唆する冥王星とMC上のアラウンだけれど、現在の在泊位置を見るかぎり様々な側面を見越した上で表面的な「和」や「妥協」、あるいはもしかすると大局を見越す必要から何か論議を呼ぶような決定がなされ、それが賛否両論を呼ぶ感じかもしれない。また「清濁併せ呑む」とか「絶妙の緩衝地帯」を探るようなことかも。「見越した先」が正しいかどうかは当然、決定者(達)とそれを見る側(わたし達)の質による。ただアラウンの象意は良いにつけ悪いにつけ、こころを騒がせ反応を喚起する物事の裏に潜む本当の動機や目的、理由をじっくり識別していく必要があることを示唆する。表から見えない「裏」の存在(それが何かはわたし達にはわからないのだとしても)。また、何事かを決定するにしても、あるいはそれを論評するにしても、調査とコミュニケーションを的確に、周到にしていくことは鍵だと思う。ただどんな結果になるとしても、その経験を通して何か新しい物事(や方向性)が発芽していくかもしれない。


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ネッソスに2種のBMリリス(ミーンとトゥルー)がコンジャンクト、パラスとキラルスからクァドリフォーム。ネッソスにオルクスがオポジションで、クァドリフォームを貫く狭小なカイト状態
イクシオン・ルシファーがオポジション(射手座・双子座軸)

  このあたりは長期にわたって続くアスペクトもあり、このところの世界や世相の刺々しさ、因果応報的な物事の流れに関連したフォーメーションかもしれない。長い間に溜まりきった歴史的なカルマの清算。それに絡む政治的な闘争。あるいはテロや暴力的な抑圧とそれに対する反動。また、イクシオンとルシファーがオポジションでそれにパラスが調停の形となるけれど。調停といってもこれは実際に物事を解決するアスペクトではなく(ある程度調整はするにしても)、ただ根本的な直面や対決で大事になるのを避けるために迂回路を提供する..という程度の力。イクシオンが絡むとき、個人のケースでは「向こう見ずな無頼」くらいの感じで済むし、善悪の常識をくつがえす思想や自由人を輩出するケースもあるのだけど、社会的にルシファーと向き合う場合はやはりネガティブに使われやすいかも。たとえば凶悪でモラルなど意にも介さないサイコパスによる犯罪など。やりたい放題に罪を犯し、捕らえられても何が悪いのか?と気にもしないとか。100%の不信感の中で生きながら、それに代わる核を持たずに存在し続けるような感じだろうか。パラスが絡むクァドリフォームとともに働けば、政敵を陥れるためならフェイクニュースや噂、捏造した書類、画像、映像などどんな手段でも取られる可能性がある。そして人間はそれを「正義」だと信じ込むことが出来る。これは大きな意味で太古からわたし達人間に与えられてきた「霊的な火の試練」となるフォースかもしれない。


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<その他満月に対するパラレルとコントラパラレル>

月とヒブリス、レクイエム(悼む、死への想い)、ティフォン(災害、災厄)、サウロン(魔、またはビッグブラザー)がパラレル
月と金星、ヘラクレス、ハウメア、ニオベ、ヘルがコントラパラレル
太陽と天王星、火星、マグダレーナ(アイデンティティをかけての激しい闘争)、アグニ(火の力)、ベンヌ(生と死、回復力、常に新たな気持ちに切り替える)、ルビコン(引き返せない境界)、クヴィエ(断絶)がパラレル
太陽とソフロシネ(沈着冷静)、クシナダヒメ(いのちが持つ呪術的な力)、カサンドラ(怖れずに明確に何かを伝えることの代償)、アガメムノン(統率力が問われる状況)がコントラパラレル

  特に太陽と火星、天王星のパラレルは物事が想定外の方向に展開したり、不安定な状況を創出しやすいので要注意。小惑星達の働きはおそらく味わいを添える程度だとは思うけれど、それにしてもここにもダイナミックな顔ぶれが揃っている。この夏も沢山の物語が生まれるのかもしれない。

火星は17日に射手座のフォルスとトライン(災害や事故に注意)18日に乙女座入り(獅子座とは全く異なる領域に入るので注意。物事の細部に気を配り、ひと息ついて勤勉さを取り戻す必要があるかも)


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  うーん、勢いに乗って書いてみたけれど、この満月図ではまだまだ拾えば沢山のアスペクトがあって、カバーしきれないほど。それでもやっぱり沢山挙げすぎたかも..😱


  けれどこうしてみると... 今回の満月の下でわたし達は、日常の自分が抱える雑多な想いの層を突き抜け、これからの世界が迎えようとする長期の膨大なシフトに備えて(意識的であれ無意識下であれ)今を生きる自分を確認するよう促されるのかもしれない。そんな気がします。まるで階段を一歩ずつ上がっていく(または深い底へと降りていく)ように。

何故なら今起きていること、今表面化してきつつある現象、わたし達が抱えている想いはみなこれから数年をかけて大きく育ち、それぞれに新しく主要な流れを生み出していくだろうから。そしてそれはやがて思いもよらない「分光」と化して、いつの日か無数の多層宇宙へと流れ込んでいくのかもしれません... 。


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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 20:40|PermalinkComments(2)

July 31, 2019

🌑8/1の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  8月1日12:31前後、北海道周辺で 12:37前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は12:12頃、沖縄周辺では 11:42前後に獅子座 08°36’ で新月となります。

前回の新月・日蝕のテーマについてはココ、満月・月蝕についてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♌️獅子座8°~9°― 発効期:8/1~8/29 】
🌑🌞"A Bolshevik propagandist”
   『ボリシェヴィキのプロパガンダ要員』
            
🌑🌞”Glass blowers”
   『吹きガラスの職人達』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)~8月29日】
ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。

今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
またアスペクトについては満月以降を入れるとまた長くなりすぎなので、
新月~満月までにしました。
キーワードは沢山出てきたので、気に掛かるものがあったらひとつだけでも頭に入れてみてね。


→★目に見えない水面下で綿密に練られた計画または策略
→★人々に与える影響力や他者を操縦し “乗せていく” 力に注意
→★空気を読みながらセオリーに則って態度や演技を変えていく能力
→★シンプルでありながら柔らかく奥深い物事を理屈で説明したがる心理
→★冷徹な計算の上で熱く語る、またはクールにふるまう
→★感動的な幻と現実との相違、表と裏の違いに気付く必要
→★包括的に装った外面と異質なものを頑なに拒否する内面の差異に注意
→★炎上を効果的に使ってより重要な社会的課題から目を逸らす
→★共通の仮想敵を創り上げることで集団的なエゴを燃え上がらせる
→★いのちの通わないものを “動かす” ことによって “生命” を与える力
→★「失敗」と「成功」は視点の変化でどうとでも変わるという法則
→★創っては壊し、壊れては再び創り続けていく「内的な熱」の存在を見る
→★複雑でデリケートな問題に対し根気よく巧みに立ち回る力が求められる
→★素早い順応力や適応力で統制や抑圧の力をすり抜けていく
→★かゆい所に手が届く小気味よさで幻想を振りまく行為を見抜く必要
→★してやったりという態度や派手で傲慢な自信過剰さと
          地味ながら不屈の信念や情熱との相違を感知する
→★自分自身を活かし続ける「呼吸の力」を繊細に意識していく必要
→★余計なことを考えず日々淡々と積み重ねることで固めていく力
→★内的にも外的にも今の目的に最も適した“温度”や“リズム”を知っておく
→★「安全性」と「防衛手段」を常に手の内に入れておく必要
→★自己の中に潜む生々しい暴力性を見切って腹に収める訓練
→★どれだけダウンを喫してもけっしてノックアウトされない回復力
→★周囲で主流を占める世界観に呑まれず自分の道を歩む強さを思い出す・・・→


★エネルギーのポイント:
 前回の新月『後ろで扉が閉まり、それを背に最初の呼吸をする』
             
 今回の新月『制御不能な世界を自己制御によって渡る訓練』
                              
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★8月新月の星模様とチャレンジ ★
(主なアスペクトとスケジュールざっと)
 個々のアスペクトについてはとりあえず満月までです。
 満月については何か思いついたら短いバージョンを書くかツイートするかもしれません
😉

新月(太陽・月)に金星がコンジャンクト(8月14日に正確な合となる)
 ASC/DC軸に対して新月がTスクエアの関係
 →DCとコンジャンクトの天王星がスクエア(セパレート)
 →ASCが蠍座8°台でロードの山羊座冥王星が3室在泊

 新月図の金星の位置はちょうど水星が逆行を開始した度数『絶壁の尖端の岩石層』。ちょうど水星が順行に転じたところで「絶壁から思い切って飛ぶのか?それともこれまでの積み重ねを大事に維持していくのか?」今回の逆行にともなうそんな問いかけが思い出されるかも。今、本当に人生の岐路に来ているひとがいたなら、水星がシャドウを抜ける満月までの間に何かひとつ小さな決め事をしてみるといいかも。ほんの些細な物事でも、一歩前へ踏み出していくきっかけになるかもしれない。

天王星は深い深い水底に映った「真実の自分」を覗き込むような位置。天王星はここから8月12日に逆行を開始。そして来年1月12日まで約5ヵ月間続く。この惑星は抑圧への反抗と解放、そして革新的な思考や物の見方(または飛び出したい気分)を象徴するけれど、これからしばらくの間はどちらかというと外界よりも内的な世界に向けて「過去からの解放」を求めるようなベクトルが生じる。順行に転じるタイミングは2020年を迎えて起きる最初の月蝕の翌日。もしこのタイミングに何か期するところを感じるひとがいるなら、この新月期は「過去」からの脱皮と新しい解放感を得ていくためにじっくり取り組んでいく機会になりそう。

逆行の冥王星は、今の自分の立ち位置を一度キチンと受け入れた上で「何でもない自分、何でもない日々」の貴重さや大切さを意識するよう語りかけているように見える。アセンダントの位置は一時的に「痛い思い(精神的または物理的)」をする可能性を示唆してはいるけれど、それは調整していくうちに結局何かに気付かせてくれたり、プラスになる物事に繋がっていくと思う。社会的なつき合いは無理をしないこと。お金の出入り、ことばの使い方には気をつけて。

新月に小惑星ニオベがコンジャンクト&パラレル
 アラウン、ヒュロノメ、ネッソス、アヌビスetc.がコントラパラレル

オルクス・ネッソスが長期のオポジション、キラルスがハードに絡む
 ニオベは豪雨や自然災害と関連する小惑星。梅雨は明けたけれど、このところ落ち着かない大地の様子からみても台風や地震、噴火などへの警戒は引き続き必要だと思う。また、ニオベは母と子(または親と子)に関わる哀しみや争いごとにも関連すると言われる。CPの小さな惑星達の顔ぶれはクセ者ぞろいだし、オルクスとネッソスのオポジションやキラルスの絡みもあるので、引き続き子供、若者、無辜のひとびとが犠牲になる事件や事故のニュースが報じられるのかもしれない...。

引き続き土星・Sノードがコンジャンクト
 このところ暗さや怖れ、何ともいえない重さを感じるというひとは、この組み合わせの影響を受けているかも? 山羊座/蟹座軸の中間部は本当に強いプレッシャーがセッティングされている領域。それは垂直に上昇していくロケットの打ち上げ時に宇宙飛行士が大きなGに必死で耐えるような感覚かもしれない。それだけ成長が加速される領域に、土星とSノードが逆行のため長期で行きつ戻りつするということは、カーディナル・サインの中間度数に主要惑星や重要な感受点を持つひとにとって苦しく重く感じることが多いのではないかと思う。けれどそれは、本当に深い部分で(もしかしたら生まれてくる前に)「ここで頑張ってみよう」「通り抜けるべきはここなんだ。そして澄んだ空へと向かおう」と計画してきたのかもしれない。ならばきっと踏ん張れる。土星は9月18日に順行し、そこからSノードとも少しずつ離れていく。

グレートアトラクターとコンジャンクトの木星がMCにトライン
 たとえ束の間であっても、華やかさや楽しさを味わうには良い配置。「主役」と「脇役」または「その他大勢」の間に存在する「見えない壁」が強調される場面があるかもしれないけれど、いちいち個人的に受け取らず目の前の光景をエンターテインメントとして楽しむのが一番かも。

逆行の水星とグリーヴ、逆行のエリスがスクエア
獅子座の火星・ジュノーと牡牛座のヴェスタがTスクエア
 内的な「火」と「水」の対峙。浄化。目に見えるものに左右されない「透明さ」の認識。哀しみが絶望に触れたとき、何かがクルッと反転する。憎悪と果てしない許容精神との強烈な両極化に注意。

木星・アルチラがオポジション
 夢見に注意。何か面白いヒントが隠されているかも? ただしあまりに別世界の住人になってしまうと日常の重要な物事を見過ごしたり、上の空になったりしがちなので気をつけて。

冥王星とパラスがスクエア、天王星とパラスがクインデチレ
ネッソス・リリス・イカルスがコンジャンクト
ネッソス・キラルスがセスキスクエア
パラスとルシファー・アスボルスがトライン
 アスボルスとルシファーがぴたり双子座22°台でコンジャンクトということもあり、「ここまで来て何故こんなことが!」などと思うような経験をするひとがいるかもしれない。それはもしかしたら、これまで軽視していた物事が重い意味をもって立ちはだかったり、それを甘く見ていた自分自身の勝手さに対し、何が真実かを知っているもうひとりの自分が後ろからドンと背中を叩くような感じかもしれない。特にミュータブルサインの22°近辺に重要な惑星や感受点を持つひとはちょっと気をつけてみて。

惑星スケジュール少し

8月1日
 水星が順行開始
8月7日~11日
 太陽・金星と木星がトライン
8月8日~10日
 カイロンとアグニがスクエア(8月8日)
 太陽と金星が土星・Sノードにクインカンクス
 8日前後は出来れば喧噪から離れてこころ静かに過ごすことをお薦め!
 ひとりでも、こころ許せるひととでも。そして危険な状況には近付かないこと。
8月11日
 木星が順行開始
8月12日
 天王星が逆行開始
8月14日
 太陽・金星がコンジャンクション
8月14日〜15日
 ルシファーとイクシオンがオポジション
 (火星とパラスが調停する形)
 アグニとNノードがコンジャンクションでSノード・土星とオポジション

 霊的な「火の試練」
 このあたりはちょっとトゲトゲしい雰囲気が生まれやすいかも?

8月15日
 水瓶座22°24’で満月!


Milky-Way's-heart



  7月の日蝕と月蝕を経て梅雨も明け、夏真っ盛りの新月。この間、ヨーロッパを襲った熱波や米国の豪雨による洪水などの異常気象、世界各地で起きた大きな地震や噴火など世界の至るところから地球の変動を感じさせるニュースが伝えられました。日本では月蝕の直後に多くのひとが犠牲となった京都アニメーション放火事件が起き、その後に経済を左右しそうな消費税や様々な格差、言論の自由や緊張する国際問題などがテーマとされた参議院選挙があり、低い投票率の中で与党が改選過半数を得ました。世界を見れば、EU離脱を控えた英国では離脱強行派のボリス・ジョンソン新首相の誕生、米国では来年の大統領選を控え、荒ぶる(?)トランプ大統領に敵対する急進左派の台頭著しい民主党の候補者選びは混戦状態。メディアにはフェイクニュース(国際的に著名な大手メディアでも確認)が溢れ、突き進むポリティカルコレクトネスの中で今や31種類を数えるジェンダー区別は混乱と軋轢と不信感を呼ぶ中、再び起きた銃乱射事件。そして米中の貿易戦争にイラン核合意をめぐる問題、行く先の見えないまま続く香港の抗議運動、日本の輸出管理強化に対しエスカレートする韓国の反日運動、竹島をめぐる中国とロシアの不審な動き、日本の原油タンカーが行き来するオマーン海峡の警備問題、そして先行きに?マークが付く世界経済など、挙げればキリがないほど様々な事象・事件の数々。そのどれもが何か大きな時代のシフトを予告している感があるけれど、実際には日々の生活の中でどんどん感覚が麻痺していくような気がします。

でもそれは、いろいろ深刻な問題が起きているとはいえ、そして個人の人生では大変な思いをしているひとが沢山いるとはいえ… 今この瞬間に起きている海外の “修羅” と比較すれば、まだわたし達の暮らす場が一見して平穏で、どこか当然のように『変わりない明日が来るだろう』と思える状態にあるからかもしれません(主に米国の社会的なトピックを日々追っていると本当にそう感じられてきます)。今、世界全体を覆う雰囲気にはとりあえず「○○○を破壊する/破壊される」という方向性がセットされている気がするけれど... (○○○には各領域/各集団独自のターゲットが入るとして)。


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  わたし自身は今の日本全体を総括して見る目など持ちあわせません。ただ、世界全体の動向と無縁ではいられない以上、わたし達が暮らす環境もきっと大きく変化していくでしょう。それが良いか悪いかは別としても、ダムが決壊するときはあっという間。そしてその決壊はずいぶん前から… 誰も気に留めないような微細なクラックから始まっていきます。それはもう起きているのかもしれません。

もしそのことに気付くひとがいるとしたら、それはきっと日々の生活の中にふと感じる微妙な違和感の中で...。 2020年以降に予測されている「途方もない社会変化」(メリマンさん談)の中で、今まで日本人が享受してきた良くも悪くも『生きることにまつわる伝統的な美意識』が根こそぎに崩れていくのかどうか? もしかして、やがてはミラーワールドの住人としてデジタルな「わたし」という双子とともに、当然のように生きていく — そんな未来へと踏み出していくのか? それを決めるのは、今現在のわたし達自身なのだと思います。

  と、なんとなく日蝕〜月蝕期をふり返って感じたことから書き始めたけれど。じゃ、8月の新月期は?というと... 「個の創造性」を謳いあげる獅子座の第1ディーカンに入り、創造性をめいっぱい楽しめる部分がひとつ。それと同時に、とても社会的な側面 — 個人的な内面と社会とのせめぎ合いの中で、それでも自分の道を歩もうと頑張りながら、自分が自分であることの強さと脆さの両方を味わっていく… そんな側面が示唆されているように感じられます。


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  今月は太陽が火星に少しずつ近付いていく行程にあって、火星とのコンジャンクションで起きる次の新月(8月30日)後の9月2日が太陽・火星の正確なコンジャンクション。そしてまもなく水星がそれに追い付きます。また土星とSノードのコンジャンクション/パラレルも逆行運動のせいで9月末まで続きます。過去をふり返り、確かめながら、来たるべき変化 — 冥王星との会合に備えようと欲する土星。一方、木星もまたこのところ逆行運動によってグレートアトラクターの強大な引力を受け続けながら大衆を極化させつつ「普通でないこと」を誇大に表現したり面白がったりして期待を膨らませ、9月22日の最後の海王星とのスクエアに備えています。 そんなわけで、気象も人間の心理もなかなか落ち着きそうにないし、ときにはひとびと(または誰か)の怒りのパワーが爆発することもあるでしょう。... さて、わたし達は自分が選択したはずの道を、ときには微細な修正をかけながら... それでも揺るぎなく進んでいけるかな? 

  というわけで、今月もなかなかにダイナミックな盛夏となりそうです。そんな中、ほっと落ち着いてひとり「呼吸し続ける体そのもの」を感じる時間ってとても大事。だから頑張るとき、楽しむとき、そして心身ともに休んで栄養補給するとき。出来る限りその3つのバランスを取りながら、ときに立ち止まって「自分らしさ」とは何か?を感じていけたらどんなにいいだろう..(それはたぶん幸せとか不幸とかの判断を超えて、何故ここに生まれ、何故今ここを生きようと決めてきたのか?を深く問うことに繋がっているかもしれません)。

二度と訪れることのない、大切なセットアップの夏。忙しいひとも多いと思うけど、そんな中でも自分が今生きていることが本当にどれほど大きな意味を持つことか。結局は「無」と「有」の狭間にいる今の「わたし」の掛け値ない在りようから全てが始まっていることを、もう一度噛みしめてみる。深い自然のただ中で。あるいは街の雑踏の中で。華やかに散っていく花火の下で、または深夜ひっそりと沈む自室の闇に目を閉じて。... 今年の夏、もしそんなひとときを持てたなら、それはとても素敵なことだと思います。


Helix



おっと前置きが長くなりました。では、サビアン・シンボルにいってみますね。



★8月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
獅子座8°『ボリシェヴィキのプロパガンダ要員』


  これはかなり政治的な意味合いを持つシンボルなので、日本ではすでに参院選の最中から発効していたテーマかもしれませんね。そしてこの度数も、わたし達は今までのルネーションで何回か経験してきています。なので昔から読んでくれているひとは覚えているかも。おそらく繰り返しにはなるけれど、今はまたその中から新たな発見があるかもしれません。

  ではここで、まず獅子座の原型から見てみましょう。 獅子座は「わたし」を行動で表すサイン。その「わたし」は、牡羊座でひとつの「意識」として生まれ、牡牛座では「物質」と「生命」を発見し、双子座で「知的好奇心」と「二面性」を獲得し、蟹座を通じて「精神的子宮の中から外界へ向かい殻を破るためのプレッシャーと意志」を得ました。だから次の獅子座で言う「わたし」とは、いまだ無垢なエゴが意志を持った状態。そして外側の世界 — 人間関係や社会などのプレッシャーを受けて矯正されていく以前の、もって生まれた「自分」、また血の繋がりや輪廻によって受け継がれた一種の「才能」を発揮していく状態でもあります。 


LionHeart


  意志を持ったエゴは果敢に自分を表現していきますが、しっかりとした防御には気が回りません。まだ自分しか目に入っていないのです。だから自分の力を大いに感じ、自分の考えが正しいと思ったときは、世界の中心に立ってドラマティックにアピールします。この力を一番うまく使えるのは、本当に無垢で純粋な「わたし」をおおらかに表現するとき。そこに余計な計算や複雑に錯綜した欲など入る隙はありません。そこにある欲をたとえるなら、世界の中心から宇宙に向かって「我ここにあり!我を見よ!」と叫ぶ、そんな感じかもしれません。そしてそういうときの獅子座には、人々のこころを魅了してやまない独特の華やかさがあります。まるで太陽のように、生命の源が若々しく燃えている... そんな感じかもしれません。

けれどこのドラマティックなアピール力は、物事が自分にとって不利な状況になってきたとき、自己のサバイバルのために使われることもあります。自分の状況が有利になるように表面を取り繕ったり、無理にでも「自分はそんな人間じゃない」と装いながらあくまで輪の中心に居続けたり、周囲の愛や賞賛を得ようとするときです。またその力は小さなプライドを護るためにも使われます。アストロロジャーで幼時のトラウマに関する研究家でもあったアリス・ミラーは『獅子座の子供が抑圧されたりシビアな家庭環境にあるときは、自分の身を護るために周囲から期待された役割を上手に「演じる能力」が発達するケースが多い』と報告しています。 こうして獅子座の精神は、世界の中心に自分自身を置いて果敢に闘いながら、その都度結果と直面し、それによって否応なく成長していくことになります。

今回のサビアン・シンボルのテーマは、獅子座が本質的な挑戦として抱えている「手つかずのエゴ」に関わるもの。それは、この光も影も色濃く射す盛夏のエネルギーをどう受けて立ち、どうクリエィティブに使っていくのか? という挑戦なのかもしれません。 獅子座はその華やかなオーラから「王者のサイン」と呼ばれています。けれど生まれながらの王者は、自らのエゴの扱いとその結果に大きな責任を負う者でもあります。


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  ではそんな王者のサインの8°に顕れた『ボリシェヴィキのプロパガンダ要員』とは? ボリシェヴィキとはロシア社会民主労働党が分裂して形成された左派の一派で、レーニンが率いていた政治集団のことです。「暴力革命」を主張し、徹底した中央集権による組織統制をしいていました(wikipedia)。『プロレタリアの敵に死を!』と謳う彼らは、1917年の十月革命(ボリシェヴィキ革命)からロシア内戦を経て、1922年には史上初の共産主義国家『ソビエト連邦』を誕生させました。そしてそんな彼らの後身が『ソビエト連邦共産党』となったわけです。こうした動きは、このシンボルが降ろされた1925年の米国ではかなり異質の脅威と受け止められていたのではないでしょうか?

こうした極左革命派のプロパガンダ要員がどんな感じであったかは、現代の日本に生きるわたし達にはなかなか想像がつきません。けれど『平和!パン!土地!』というスローガンの下で繰り広げられたボリシェヴィキの宣伝活動は、貧困にあえぐ多くの若者達にとって、きっと魅力的に映ったのではないかと思います。このスローガンを、他の党派は「絶対に守れない約束だ」として非難したそうです。けれど、その非難の内容は経済理論や政治哲学なども絡みあって大衆が理解するには難しく、結局はこの魅力的なスローガンひとつの力によって、非常に多くの支持を得たという話が伝わっています。まさにパワーワードだったのですね。


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  ただし wikipedia によれば、実際彼らの活動資金は民衆によって支えられていたわけではなく、米国ニューヨークのアメリカン・インターナショナル・コーポレーションから提供されたものだったそうです。出資者はジョン・モルガン、ロックフェラー、ジェームズ・スティルマンなど、米・英の裕福な銀行家達で、この革命は彼らからの巨額の投資による資金力で成功したのだと言われています。このあたりの話を読むと、非常に複雑な歴史の裏側を見る思いがします(ここからまた様々なパターンの「陰謀論」にも繋がっていくようですが…ただ米国のwikipediaにはこれに関する記述は今のところ見当たりません。またドイツの資金が使われたという説もあります)。

もともと「ボリシェヴィキ」とは「多数派/majority」という意味です。とはいっても、大衆の中から多数派として立ち上がったわけではなく、政治上重要な人事と要職を一手に握ったので「多数派」と名乗ったのだそうです。そしてその実態は、ひと握りのエリート達が全ての政策を決定し、下に向かっては厳しい統制を敷くものでした。多くの人々に伝播させるためのメッセージは、まず内部で念入りにアイデアを練り、形にするところから始まります。ボリシェヴィキを構成していた大多数の人々は、党の中枢部を占めるたった数人の思想によって動かされ、その導きに従って懸命に宣伝・勧誘に努めていたことになります。おそらく、上層部のスローガンを信じ切って働いた年若いプロパガンダ要員達は、大いなる情熱をこめて革命の理想と美しい未来を説いてまわったのではないでしょうか? それを後から見るかぎり、一種のカルト宗教にも似た情動があったのではないかと思えます。


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        このエネルギーが示唆しているのは、誰かが声高に何か(大抵の場合、現状への批判や否定とそれに代わるべき夢)を訴えかける → それに刺激されて気持ちが盛り上がり → 『そうだ!そのとおりだー!』の大合唱が起きる → 全体に昂揚した気分の下でいつのまにか物事の流れが決まっていく…という表面のストーリーがひとつ。 そして同時にその水面下では、限られた人々によって周到に準備され計画された筋書きが存在し、それを演じる演者によって実はその筋書きどおりに物事が進行していく…という、裏のストーリーがひとつ。賛同するにせよ、反対するにせよ、それらもまた念入りなシミュレーションに基づく計算された物語の一部かもしれないこと。そして知力と資金力という、今の世界に君臨するために必要とされる、赤裸々な道具の存在です。

ともに手を携え、平等に分かち合う — そんなイメージで語られることの多い共産主義だけれど、実際のボリシェヴィキはひと握りのスター政治家や弁士達のものであり、ロシア~ソビエト連邦の 「エゴの中枢」として、自分達とは相容れない者達を情け容赦なく弾圧し粛清していったという事実。その奥底には資本主義となんら変わるところのない非情な権力欲と富への欲望が存在したのかもしれません。また、こうした流れは歴史という大きなサイクルの中にあって、過去に自分達が受けてきた「抑圧」と同じパターンを新たに繰り返す姿を描いているとも言えそうです。


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  この度数の補完作用を示す対向度数は水瓶座8°『イブニングドレスで着飾ったロウ人形』です。ロウ人形と聞くと、今のわたし達は観光地のロウ人形館で見るような有名人のフィギュアを想像するけれど、このシンボルではいわゆる「マネキン人形」を指していると考えられます。サビアン・シンボルが降ろされた1925年の米国では、デパートや大手衣料店のウィンドウを飾るマネキンは皆ロウ人形だったからです。最新流行のヘアスタイルに結い上げ、豪華なイブニングドレスをまとったロウ製のマネキン達は、きっと道往くひとびとの注意を惹いたことでしょう。当時の女性達は憧れの眼差しでウィンドウを見つめたかもしれません。『あぁ、あんな素敵なドレスを一度でいいから着てみたいものだわ…』 

ロウは型に流し込んだり練り上げたりして色々な形に創り上げることが出来ます。そのロウは原語で "Wax"。また、アストロロジー用語に出て来る 「ワクシングスクエア」 もやはり "Wax" で、「満ちる」という意味を持っています。ワクシング・ムーンは満月に向かってだんだん太り、大きくなっていく月のこと。そのとき、月はある特定の雰囲気を創り出し、盛り上げ、強い引力でわたし達の想いや感情を特定の色に染めていきます。だから当時のロウ人形は、わたし達が抱く「満たされたい」という個人的な願望や欲望を刺激する存在だったのかもしれません。


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  そしてそんな個人的な願望と売る側の欲望が火花を散らしながらカチッとはまったとき、ドレスは売れていきます。これは現代のネットショッピングでも似たようなものではないでしょうか? 当時のロウ人形はもう跡形もないけれど、今やインスタグラムのインフルエンサー達がそれに代わって憧れの対象となり、称賛されているのだから…。

けれど今も変わらずその火花を創造しているのは、マーケティングや広告の世界。マーケティングの専門家達は、時代がもてはやす外見を感知し、型にとり、クリエイターとともに理想のヒトガタを創り出します。そしてその時代の要請と生産性、コストに見合ったパターンを創り上げ、デザインされたアパレル商品が持つ魅力の粋を多くのひと達に見せつけます。彼らは顧客達のセルフ・プロデュースの夢を、これでもかとかき立てていくビジネス集団。彼らはわたし達に新しく素敵なアイデンティティを与えてくれます。けれど…にこやかに微笑むロウ人形の半透明の皮膚の下に息づいているのは「お金を儲ける」という「資本主義の夢」なんですね。現代のようにデジタルなセルフ・プロデュースの時代には、個人がマーケティング、広告宣伝、マネキンの全てを兼ねたりもするけれど、そこに内在する本質はおそらく変わっていないと思います。でも…ロウ人形はリアルに見えれば見えるほど、美しければ美しいほど、その内側に「死」のイメージを内包します。それは何故なのでしょう?


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  獅子座8°の「共産主義の夢」と水瓶座8°の「資本主義の夢」。これはとても興味深い対比だと思います。何故なら獅子座は「個性」や「自我」を追求する星座宮、そして水瓶座は「グループ」や「全体」に関わる星座宮のはず。なのに、獅子座で国をゆるがした共産主義革命が出て来て、水瓶座で個人の夢を刺激するマネキンが出て来る…。これっていったい何を意味しているのかな?

ボリシェヴィキの革命家達もまたそのスタート当初には、それぞれの想いの中で大空に輝く星々を世界に見立て、そこに個人としての「理想の物語」に合うパターンを見出して思想化していく...という作業を行ったのかもしれません(ひとつ前のシンボル/獅子座7°の『空の星座』)。『国家とはこうあるべきだ!プロレタリアートよ武器を持って立ち上がれ!少数の金持ちどもに死を!』 やがて革命の夢は現実となって成就します。けれどもそれは "多数派" の勝利ではなく、少数のエリート達(と、もしかしたら裕福な銀行家たち)がそれぞれに描いた「自我の夢」の成就でした。

  一方、美しく着飾ったロウ人形をショウウィンドウに置き、客寄せしてドレスを売る行為には、沢山の職人達やマーケティングのプロ、小売業の専門家達が関わります。きっとそんな中で、彼らのひとりひとりが自分の腕と才能をかけてしのぎを削っていたはずです。時は「ローリング・トウェンティーズ/狂躁の20年代」、米国は戦時経済から平和経済へと移り変わり、政治・経済・文化、あらゆる領域で古いものの破壊と新たな視座を求めて皆が “踊り狂った” と言われる時代のまっただ中です。誰もが自ら選んだ道で認められ、高く飛翔したいと望んだことでしょう。「個人の夢」を満たすために、煌びやかな舞台裏で人知れず作業する無数のひとびと。集団を動かしていく「個」と、「個」に働きかける「集団」。この2つのシンボルは、人々を煽り世の中を動かしていく、留まることのない様々な「流れ」や多様な「正しさ」「美しさ」の人為的な創られ方と、それに呼応してどこまでも高く昇ろうとするわたし達の「自我」の動きを見事に提示しているのではないでしょうか。それは、国、社会、仕事、地域コミュニティ、友人、家族など、様々な規模の集団に属しながら生きているわたし達の周囲で、歴史を通し繰り返し起きていることなのだと思います。


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        なのでたとえばこの期間、場合によっては誰かに(または周囲の皆に)何かを熱をこめて訴えたくなったり、そのために少し話を盛ったりするような衝動が生まれるかもしれません。それはとても無意識的な行為かもしれないし、ある程度意図的な場合、目的のためならそれも許されて良いのだという心理も生まれやすいと思います。けれどこの度数が発効している間は、自分や他のひと達の口から出ることばには気をつけて。「このくらいなら言ったってかまわない♪」と思うようなら、他のひとの無責任なことばにも乗せられやすいかもしれません。他に厳しいアスペクトもあるので、仲間内のユーモア程度に収めておくのが安全そう。また、ふと刺激されて何かが無性に欲しくなり、気付いたら大して必要でもないのに衝動買いしてしまったり...なんてこともよく起きます。このところアスペクト的にもフラストレーションが溜まりやすい構造が続いているし、ウサ晴らしが必要なひとだっているかもしれません。でも、後になって後悔しないよう、ほどほどにしておきましょう。



新月のメイン・シンボル:
獅子座8°『吹きガラスの職人達』


  さて今月のメインには、ひとつ前とはうって変わって繊細なガラス工芸を創るひとびとが出て来ました。シンボルに描かれているのはひとりの作家ではなく、複数の職人達であることを考えると、ここはガラス細工の工場でしょうか。猛烈な熱気がこもる作業場で、ひとびとが美しいグラスや花瓶を制作しています。

吹きガラスとは、まず様々なガラスの破片を電気溶解炉に入れて溶かし、それを吹き竿と呼ばれる長い筒状の棒に巻き取って息を吹き込みながら所定の形に生成していく手法です。使われる炉の温度は1400°Cにもなるのだとか。その歴史は古く、wikipediaによれば「紀元前1世紀半ばに東地中海沿岸のフェニキア人によって発明された工法」だそうで、その創り方は古代ローマ時代からほとんど変化していないそうです。



The Amazing Birth Of A Hand Blown Glass Pitcher


  上の動画を見ても、ガラスという素材を使って美しい作品を創るためには、いっときも神経を休めることなく細心の注意を払う必要がありそうに思えます。溶けて吹き竿に巻き付いたガラスはまるで飴のような可塑性を持つけれど、あまりに無造作に息を吹き込んだり竿を回すタイミングが乱れたら、バランスが崩れていびつになるかもしれません。膨らみすぎて、弾けてしまうかもしれません。完成した姿をしっかりとこころに描きながら、少しずつ修正し、色を混ぜこみ、模様を刻み、形を整えていく。そのパワーは彼らの口から吐かれる息となって金属の管を通り、極度に熱したガラスへと伝わっていきます。みるみる形を変える柔らかなガラス。重く溶けた液体から硬くて透明な美しいグラスへと、まるでこともなげに進んでいく行程。その様子はちょっとマジカルにも感じられます。

ところで、B.ボヴィはこの熱したガラス材を “hot, pliable matter” と説明しています。つまりこれは「炎によって熱された、成形しやすい物質」ということ。けれどここにはもうひとつの比喩表現が隠されています。“pliable” は「曲げやすい」という意味とともに「影響されやすい」「言いなりになる」という意味を持つからです。


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  ならばこのシンボルが示唆するエネルギーは、「焼けるような熱の中、クリエイター達の匠の技を通して創造される素晴らしい工芸品」というだけではなくなります。もしかするともうひとつ深いその奥には、あらかじめ「巧みに設計された結果」を生み出すために「情熱」という「空気」を対象に吹き込み、思い通りに「操る」という行程が隠されているのかもしれません。その結果として何が生み出されるかは、専門家である職人達の腕次第です。ときには巧みに影響を与え、思うように曲がるはずが、ついつい吐く息に力が籠もりすぎて破裂してしまったり、思わぬ方向にねじれて収拾がつかなくなったり。あるいは数人が同時に作業を分担しているとき、方向性の違いやちょっとした感情の行き違いから息が合わずにワケのわからないものが出来上がってしまったり…。複数のひと達が絡む協働作業ではよく起きることではないでしょうか。

美しいガラス細工を創るにしても、ひとびとに影響を与えて思い通りに動かしていくにしても、匠の技巧はそれ自体で「ART」と呼ばれます。そしてどんな種類の「ART」であれ、それを完成させるには基盤となる確固とした発想、アイデア、またはインスピレーションが必要です。また、完成した姿かたちやその「想いの型」をしっかりと胸に刻み、関わる全員が忘れずにいることも大切な要素です。いったん始めたら、けっしてブレないこと。たとえそれが、誰かのこころを操るような行為であったとしても…。

こうしてみると、前の度数『ボリシェヴィキのプロパガンダ要員』から『吹きガラスの職人達』へと移行していくその繫がりが、なんとなく浮かび上がってくるのではないでしょうか。


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  ではこの度数を補完する対向度数、水瓶座9°をちょっとだけ見てみましょう。シンボルは『鷲に姿を変えた旗』。これは射手座12°のシンボル『高らかに鳴く鷲に姿を変える旗』と本当によく似ています。その違いは、射手座のシンボルが「鷲の姿を取ろうとする旗の変化」に重点を置いているのに対し、水瓶座では「すでに鷲に変わってしまった旗」を示唆していること。

この水瓶座 ―  "We the people"  ― に至って再び顕れ出た鷲は、「旗」という抽象的なシンボル ― 理想やスローガン ― から、現実に血の通う生命体へと変化しました。それは獲物を狙う鋭い眼光(冷徹さ)と力強い翼、鋭い爪を持つ、個としてのなまなましい強靱さへの変容を象徴しています。ここには王者としてのプライド、勇気、リーダーシップ、ゆるぎない高貴さなど、わたし達が社会の中で生き抜く上でひとつの理想とされるイメージを、どう受けとめ、どう使っていくのか? という問いかけがあるように思えます。

「旗」— それはわたし達それぞれが抱える夢、理想をイメージ化した「しるし」です。国旗や団体旗、部族旗や軍旗のように、自分達が誰であり、何を理想としてどのグループに属しているかの証しです。また、憧れやプライドを喚起するシンボルでもあります。


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  それと同じように、わたし達ひとりひとりもまた、こころの内にそれぞれの「旗」を掲げて生きているのかもしれません。あるひとはくっきりと描かれた紋章入りの旗。またあるひとは、イブニングドレスに飾られた薄絹のように繊細で捉えどころのない旗。重厚な錦の旗、あるいはくたびれて少し汚れてしまった旗…。 質、素材、色、模様… この世界には本当に多種多様で無数の旗が、吹きよせる風に巻かれて様々に形を変えながらはためいています。 たとえばSNSなどで使うアバターやアイコンにしても、一種の「旗」だと言えるかもしれません。そしてそれは、わたし達が意識・無意識を問わず選択したアイデンティティでもあります。

  「理想」はあるときは大きく膨らみ鷲のように空高く舞い上がります。またあるときは思うようにならない人生の中で失望にうちひしがれ、溶け崩れます。それはある意味、人生の中でわたし達が繰り返す、周期的な精神の運動なのかもしれません。それは年月をかけて大きな螺旋を描きながら、「これがわたしなのだ」というアイデンティティを形作っていきます。

けれど今 このシンボルでは、いのちを持たない抽象としての「旗」に生命の息が吹き込まれ、生身の「鷲」へと変身しています。鷲はこの現実を生きる、いのちあるもの。たとえ強力な猛禽類の王者として生態系に君臨する捕食者であっても、細心の注意を払っていなければ厳しい野性の世界で生き抜くことは難しいでしょう。自然界は、毎日が命懸けの世界。 鷲は大空高く舞いながら下界の状況を見極めます。今、彼を動かしているのは繊細な知覚と狙った行動を取るときに必要な決断力、そして何よりもその容赦のなさです...。


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  人間は、美しく尊い理想を抱いて生きたいと願い、その願いのもとに知性を発展させてきました。けれどわたし達は同時に、生態系の頂上に君臨する非情な捕食者でもあります。その極北ともいえる両方の性質を存在の内に宿すからこそ、わたし達は光と影の歴史を紡ぎ、今の世界を創り上げてきました。そして、ここから再びそれぞれの葛藤が生まれ「より良く生き、より良く死にたい」という願いも生まれるのではないでしょうか。

  溶けたガラスの破片から美しいガラス工芸を生み出す職人達。そして、その裏には鷲に生まれ変わった旗。この軸に共通するのは「抽象」から「具体」への「動き」です。外側の力によってはためいたり垂れ下がったり、どうとでも曲がったり膨らんだりする「モノ」や「素材」としてのわたし達から、生命を吹き込まれ、形ある意志として生まれ変わった「存在」へ…。けれどそこに在り続けるのは — 確固としながら繊細であり、果てしなく透明な何かです。そしてそれを創り上げる匠は、わたし達自身です。

  ん? でも、もし失敗してガラスが飛び散ってしまったり、いびつな形になったら? 皆で何かをやろうと盛り上がったのに、裏切られたら? 


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  熱したガラスの持つ「可塑性」は確かに扱いやすく、利用されやすい性質を持ちます。熱に浮かされて他者に期待を抱き、そのことばの抽象を信じ込めば、やがて木星・海王星スクエアが最後に形成された後で期待は失望に変わるかもしれません。あるいは扱いやすい誰かを巻き込んで思うように動かそうとすれば、やがては齟齬が生じてプロジェクトが空中分解するかもしれません。

ガラスはとても脆いもの。うっかり落としただけでも簡単に割れてしまいます。けれど、それでいい。何度割れても飛び散っても。失敗したら再び灼熱の溶解炉で身を溶かし、また新たに創り直す。それでいい。そのとき、本当に創りたかったものが初めて見えてくるのかもしれないから。


  けれど、ひとつだけ覚えておきたいこと。それは「わたし」というガラスに「本当の形」「最後の透明さ」を与えることが出来る、そんな匠がいるのなら、それは「わたし」。他にはいない。それがたとえ「まだ見ぬわたし」だとしても。

ただそれだけは、こころの奥深く留めておきたいのです。



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 20:56|PermalinkComments(0)

July 16, 2019

🌕7/17の満月・月食 ― みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    満月は前回の新月のテーマが熟し、花開き実を結ぶときです。 この日は太陽と月が、地球を挟んでちょうど反対側にやってきます。0°の新月から始まった地球全体への課題は、満月で180° 対向のエネルギー同士がぶつかりあい補いあうことにより、輝く満月というひとつの「結果」を見せてくれます。それは、わたし達が空間から受け取ったエネルギーをどう昇華し、現実に表現してきたのかを、あらためて見せてくれる「鏡」だと言えるかもしれません。なので満月のテーマは新月の瞬間から色濃く育っていくとも言えるでしょう。そして わたし達はみな満月を超えて、次の新月までにその経験を消化(昇華)し、エネルギーはゆっくりと静まっていきます。それはこの世界に生きるわたし達の意識に与えられたプログラミングの一種かもしれません。そんなシステムをどう使うのか?それとも使われるのか? それはきっとわたし達次第。さぁ、今回はどんな風景が見えるでしょうか? では今月も行ってみます。(^_-)~☆
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★満月タイムスケジュール★
エネルギーが高まる時です。ヒーリング・メディテーションや祈りを捧げたい方は、もし可能ならこの時間帯(ずれるなら満月前がベター)に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じられると思います。

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT)】
東京・関東ローカルで 7月17日06:57前後、北海道周辺で07:03前後、関西方面は06:38頃(日本標準時の場合はこの時間)、沖縄周辺で06:07前後に 山羊座24°04'で満月となります。

今回のテーマのベースであり、今も背景で発効し続ける新月の大テーマについてはココをご覧ください。
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サビアン・シンボルによる【満月がもたらすテーマと挑戦】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた言葉をそのまま書き写したオリジナル版サビアン・シンボルを使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考に、アスペクトを加味して書き下ろしています。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月 山羊座24°→25°/ 太陽 蟹座24°→25°】
  🌕 "A woman entering a convent"
  『修道院に入る女』
  🌞 "A woman and two men on a bit of sunlit land facing south"
  『日が降り注ぐ小さな土地で南を向く1人の女と2人の男』
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  🌕"An oriental-rug dealer"
  『オリエンタル絨毯の商人』
  🌞"A dark shadow or mantle thrown suddenly over right shoulder"
  『突然右肩ごしに投げかけられる濃い影またはマント』

8月1日新月のベース・シンボル
 『ボルシェビキのプロパガンディスト』に繋がっていく

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【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)テーマ発効期~7/31】
 ※満月の場合、1週間~数日前から前倒しで感じられると思います。

→★自分自身の道を明確に選び定めていく必要
→★どの道を進んでも二者択一か第三の道かという選択を迫られることに気付く
→★何かに焦点を合わせることで他の何かが見えなくなる、または隠される
→★わかりやすい表面ばかりを見て底にある本当の問題に気付かない状況
→★重大な選択に神経を集中したり熟考するために引き籠もろうとする
→★今の自分が居る世界を監獄のように感じ閉じ込められたような感覚を抱く
→★「自由」や「解放への道」という名の下に厳しい決まり事にがんじがらめになる
→★感情を抑え自分の真の気持ちを隠すことで結果的に他者のこころを弄ぶ
→★永遠に続く三角関係(常に存在する第三者という構造)に気付き立ち往生する
→★派手なパフォーマンスで自分自身の立ち位置を提示し希望や期待を集める
→★自分の意見には常に妥協や交渉の余地があることを示していく必要
→★冷たく厳しい結果が待つ怖れのある話を感動や美談にすり替えて見せる傾向
→★自分には力があることを示す一方で、部分的には「傷」があることを認める
→★明らかにされた半分と隠された半分の前に立ち断固とした態度で隠微する
→★巧みに練り上げられた挑戦的なスタンスや自信に満ちた誤誘導に注意
→★目新しいアイデアの陰で取るに足りないと思われた物事が捨て去られる
→★「個の尊重」を主張する主体がそれ自体への帰属と服従を促進する矛盾
→★どんな立場もどんな選択も、虚無以外の全ては「影」を創り出すことを
  知っておく必要・・・→

エネルギーのポイント:新月
            『後ろで扉が閉まり、それを背に最初の呼吸をする』
            
            満月
            『限られた選択肢に潜む差異を吟味する』 


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★7月満月・月蝕の星模様とチャレンジ ★

 ―気になるアスペクト、少しだけ―

MCを挟んで天王星とヴェスタ、獅子座の火星とオーブ3°のスクエア
  獅子座を逆行する水星と火星、ジュノーの組み合わせはエゴが思うように発散出来ないときの怒りに点火しやすいかもしれない。天王星とのスクエアもセパレートではあるもののまだオーブの有効範囲内。周囲の言動がなんとなくムカツクとか、自分がないがしろにされた気分で過剰反応してしまうとか。ここで必要なのは「品性」に近い感覚かも。自分にとって自分はかけがえのない価値を持つ。それは誰でも同じこと。でも価値そのものは移ろっていく。自分に対する感じ方だって実は変わりやすくあやふやなもの。ひとが何と言おうと自分がどう思おうと本当は何も関係ない。ここに居ることそのものが奇蹟で、まだ知らない多くの機会が開かれている。それを知って静かに微笑むことの出来る、そんな品性。

ヴェスタは孤高の位置。自分の異質さをよく見極め、潮が変わるのをじっと待つ。社会的な一切から孤立したとしても超然としている感じ。これも品性。

また、この火星が位置する度数は大雨による被害と相関する場合があるので、注意報が出ている地域のひとは十分気をつけて!

このところ世界各地で地震や噴火、洪水被害が多発しているし、以前ツイートした「Earthquake watch」(ここは震源の深い地震のみ予測)でも日本は依然としてホットスポット。なのでその他の自然災害にも十分注意を。

月(と冥王星、Sノード、土星)・太陽とキラルス・エリス・レクイエムの
 グランドスクエア

  日本では選挙シーズンでもあり、サビアン・シンボルのキーワードでも『選択』というテーマが沢山出て来た。このアスペクトもなんらかの選択と関わるかもしれない。社会的な選択とは別に、何かこころの中で意識的にか無意識的にか「深い選択」がなされるのかも。「永遠の自分の断片」を探し続けるエリスはレクイエムと対峙。メメント・モリ(死を想え)。いつ訪れるかわからない「死」を友として、お酒でも酌み交わすような? そんな感じかもしれない。自分だけが居なくなると思えば恐怖が生まれるけれど、そうではないということ。何だろう?「還る」という感じに近いのかな。何か形のない怖れやカルミックな恐怖と取り組んできたひとは、このあたりでひとつ、ミッション・コンプリートとする機会が訪れるのかもしれない。

また、相変わらず長期でアスペクトを形成する冥王星・キラルスのオポジションがクローズアップされることから、若者や子供、無辜のひとびとが犠牲になるような事件や事故、災害などのニュースが報じられる可能性も。

Nノード・金星・グリーヴ・ガイア、土星・Sノード、パラスがTスクエア
 パラスとルシファーがトライン

  内を見ても外を見ても、感情が織りなすドラマ!ドラマ!になりそうなエネルギー。たとえば刺激を受けて何かがこころの中で発芽。そしてその芽が伸びようとする勢いは何か強烈な情緒性をともなってカミングアウトしようとする。痛みを感じてもいいからここで自分の態度(または立ち位置)を明らかにしたい、高らかに宣言したいという衝動が生まれそう。けれど水星逆行中なので本音と思った気持ちがどこまで続くかは不明。重さも含めて自分の内部に起きるドラマをドラマとして眺めておくことが出来たら、今はそれが一番かも。

内界に生まれた小さな芽は、本来とてもデリケートなもの。それはもしかしたら、自分自身の「根本的な内在」に通じる根っこを持っているかもしれない。それはまだ何処にも属さず、誰のものでもない「いのち」に繋がる可能性。その大切さがわかるひとは、そっと、そっと扱ってね。

その一方で、今まで避けてきたこと、直面しながら微妙に迂回してきたことに取り組む必要が出て来る可能性も。この場合、必要なのは冷静さと冷徹さ。対人関係が絡む場合は感情に流されると足を取られるので、あくまで今の自分に出来る範囲を明確に打ち出して十分に確認を取る。場合によっては明文化。そして、そのライン上できっちり責任を果たしていくことが最上策になりそう。雑音が多くなっても些末なことには左右されず、やるべきことに集中したい。これは後になってやり終えること自体に価値があったと知るような、そんな種類のことかもしれない。

その他、杓子定規な解釈では解決出来ない問題が持ち上がる可能性。ダブルスタンダードの匂いがする変化球を使ったり使われたり...などの行為が見られるかも。また、ひとつのストーリーなのに互いに矛盾した要素が入り混じったりと、すぐには全貌がわからないややこしい出来事、計画の遅延や停止など、水星逆行効果に似た要素が強調されるかもしれない。
 

太陽・レクイエムからBMリリスにクァドリフォーム
  怖れに支配されて感情のままに何かを選択する衝動に注意したいアスペクト。何に怖れを抱くかはひとそれぞれ。けれど自分が抱くその怖れを突き詰めていき、理解し、見切って突き放すことが出来たとき、初めて自分にとって最善の選択を行えるかもしれない。

その他、月蝕に絡む遠い小さな惑星たち
 太陽・月・エリス・ネッソス・レクイエム・オルクスが “石棺”構成

  これの一角がネイタルに触れるひとは、もしかしたら内面にどん詰まりに来たような胸苦しさや重い気持ちを感じているかもしれない。そんなひとがもしいたら、今が自分で自分に課した「テスト」期間中だと知っておいて。それはひとつの「くびき」から解放されて新しい場に出るためのテストみたいなもの。周囲に垂れ込める暗雲は自分自身が創り出した過去からの壁。そこから頭ひとつ抜けてぐるっと視野を回転させ、おぼろげであっても次の着陸地がありそうなところへ飛んでいく。まだ燃料は切れてない。(本当に切れそうなら着陸地のほうからやって来るかも?)カルマを創るのが自分自身なら、それを審判するのも自分だし、その結果を受け取るのも自分。黒雲と霧を晴らすのは自分以外の誰の力でもない。よろけずに、ひとり立つことは出来る。


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水星絶賛逆行中!(木星、土星、冥王星も)

  ...というわけで、社会面でも個人生活や精神面でもいろいろと見直しの時期ではあるのだけど、そんな中でも日々選択を迫られる場面はやってくる...ということで、水星逆行に関する以前のツイートをもう一度、ここに再掲しておきます。

水星は
・前回の新月・日蝕の後7月8日朝に獅子座4°27’から逆行開始
・順行に転じるのは8月1日蟹座23°57’から


今回の満月・月蝕の太陽は「水星の順行位置」からたった7分離れているだけ。そして8月1日の順行日は次の新月が起きる日。しかも水星がシャドウ抜けするのはその次の満月、8月15日。
とすると、今回の水星逆行は日蝕〜月蝕期〜新月期のテーマとも密接に絡みあいながら、わたし達のメンタルに影響を及ぼすのかもしれない。


【以下、過去ツイートより】

(『』内はサビアン・シンボル)

獅子座4°台のメイン・シンボル『絶壁の尖端の岩石層』をかすめてふり返り、蟹座23°台のメイン・シンボル『ひとりの女とふたりの男が陽光に照らされた土地で南を向く』に戻り、ふたたび向き直って、あらためて「絶壁」に向かっていく、そんなこころの変遷をよく見ていくことかも。「絶壁の尖端」はこれから2回の蝕を経て「飛ぶ」か?それとも…→

→岩石層=「これまでの自分の積み重ね」を大事に維持していくか?という二者択一の問いかもしれない。その積み重ねには無数の先達者達、または家や血筋、種の繋がりから受け継いできた経験や智恵も含まれてる。そして負の体験や見聞の蓄積によるこころの傷、不安や防御反応、知らぬ間に備わった人格の癖も。

一方「飛ぶ」というのはそれらを捨て去っていくこと、極端に言えば「安全」を象徴する岩石層を破砕していくことに繋がる。無事にどこかに着地出来る保証はないし、絶壁の尖端から先はたぶん空白に近く、ゼロから何かを描くことになる。またオーブ圏内の木星・海王星90°が影響すれば大きな失望の可能性も。

蟹座23°台のメイン・シンボルは…「ひとりの女とふたりの男」の三角形。明光の中で南を向くのは北に位置する祖霊に支えられた王位の暗示。その権限の下で一組のカップルを誕生させるシステム。この社会を保つ伝統にフィットしながら助け合い良き人生を送るための道のひとつを示しているかもしれない。この度数も獅子座4°台も「選択」を迫る度数。

空白に向かって飛び出す」「王と祖霊の権限により契りを結ぶ」どちらが良いとも言えないし、それが暗示する物事もひとによりいろいろ。でもどんな小さな物事にも、どこか自分の生き方に関わるような決定が先に待つという前提があるかもしれない。だからここで問い直し「それで本当にいいのか?」と確認する意味はありそう。

ただ小さな事でも大きな事でも「決める」ことが「決然とした身振り」に過ぎない可能性も示唆されていて、それがこの度数の難しいところ。たとえば「空白に飛ぶ」というのがカッコよく思えたり他者からウケたり。自分を奮い立たせるだけの蛮勇だったり。それだと自分にも他者にも力の誇示になってしまい、本当の選択ではなくなるという落とし穴がある。

水星に続き7月2日から火星が入る獅子座は、ある種の大胆さ(ときに厚かましいほどの)を備え、それが結果的に際立つ成功に直結するときがある。けれど木星・海王星スクエアの挑戦下で、その大胆さや豪放さがが「自己信頼」の名の下に実は「自己過信」から生まれてないか?も問われるかもしれない。

また伝統、血筋、社会的な智恵、それに付随するプレッシャーや束縛感などを含め、自分の中に堆積した岩石層を大切に維持していくという選択をするにしても、そこに存在する「断層」の確認とそれをどうするか?という問いは不可避になりそう。何らかのリニューアルを意味するNノード日蝕~Sノード月蝕の狭間を繋ぐように起きる水星逆行だから、いつになく深い意味があるかもしれない。

なので今回の水星シャドウ~逆行~順行期のテーマは、自分の中にどうしようもなく存在している揺るがぬ「岩盤の層=積み重ね」って何なのか?(わたし達は今もたぶんそれに依って、あるいは助けられてここに在る)を素のままに見分けて、どうしたい?どこまで行きたい?と問い続け、蝕から起きてくるだろう大小の変化に備えるということになるかもしれない。

今度の蝕は7月3日と17日。なので知の面の準備期間がシャドウ、そして逆行~順行~シャドウ抜けでひとつ確認という感じかな。今年は再び11月1日~21日に水星逆行があり、蠍座の第2~第3ディーカンを行きつ戻りつする。そして12月26日山羊座で金環蝕と翌年1月11日の半影月食を迎える。

だからセットアップとしての2019年半ばに起きるこの水星逆行期には、自分のマインドの在りよう、周囲や世の中を見るときに自分のこころがどんな物事にフォーカスし、何に共振するのか。そしてどんな状態に帰結していくかを、騒音と変化しやすい思いの中でありのままに掴みとっていく…そんな感覚を持ち続けていること、けっこう重要なんじゃないかと思う。





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以上、満月前日 思いつくままに....。

Happy Lunar Eclipse!!!(^_^

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hiyoka_blue at 18:55|PermalinkComments(2)

July 02, 2019

🌑7/3の新月・日食―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

【お知らせ】
やはり当分は新月と満月を一緒にしたスタイルにしてみます。
ただ月蝕も強力なので、もし追記したい事柄が出て来たら短い記事を
満月・月蝕時に掲載するかもしれません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  7月3日04:25前後、北海道周辺で 04:31前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は04:16頃、沖縄周辺では 03:46前後に蟹座 10°37’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♋️蟹座10°~11°― 発効期:7/3~7/31 】
🌑🌞"A large diamond not completely carved"
   『完璧な研磨を施される前の大きなダイヤモンド』
            ↓
🌑🌞"A clown making grimaces"
   『しかめっ面をする道化師』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】

ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
今回は新月から満月を経て次の新月まで共振し続けるキーワードを抽出しています。
 またアスペクトについては月蝕以降を入れるとまた長くなりすぎなので、
 今回は新月~満月までにしました。


→★大きな潜在性を前に、秘められた可能性やその価値を熟考する必要
→★一度波に乗れば終着点まで戻る道はないという可能性を知っておく
→★荒削りで不細工な状態や状況の中に存在する絶対の透明度を見る
→★いまだ発展途上の物事を損なわないためにそっとしておく必要
→★「洗練」させていくうちにいつしか失われる類い稀な特質に注意
→★未完成のものや途中経過に見られるどんな光景にも一抹の美を感じる能力
→★突出したり目立つことを避けるため、場や役割に相応しい外見をまとう智恵
→★単なる頑固さではなく、柔軟でありつつ確固とした意志を問われる状況
→★仮面をつけて自分をカモフラージュしながら真の賢さとは何かを問い続ける
→★いつもの光景、いつもの顔ぶれ、いつものことばの裏に隠された見知らぬ現実
→★膨張と収縮を繰り返す社会的価値観や「格差」の歴史的螺旋運動に気付く
→★ゲーム的またはギリギリのユーモア感覚でその場の雰囲気を変えていく技量や能力
→★知識ではなく、ただ理屈ぬきに感じられる刃のような「現実」への理解
→★高揚感を感じさせて良くも悪くも他者に影響を与える/与えられる
→★「賢明な愚者」として人生に張られたひと筋のロープを渡りきっていく
→★複雑な物事を「こうだ」と判断した瞬間、真実を掴みそこねる可能性に注意
→★人間らしさを否定することなく冷たい水のような冷静さを保つ必要
→★2種の、実は等価の選択肢のうち1つを選ぶか選ばずに去るかの選択
→★どんな選択にもそれぞれの痛みがあることを知った上で
  自己の揺るぎなさを確かめる・・・→

★エネルギーのポイント:
 前回の新月『難路を越えるために必要な重さを感じる』
             ↓
 今回の新月後ろで扉が閉まり、それを背に最初の呼吸をする
                   
            
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★7月新月・日蝕の星模様とチャレンジ ★
(主なアスペクトとスケジュールざっと)
 ※前回長くなりすぎたので個々のアスペクトについての解説は省きます。
 何か思いついたらその都度ツイートするかもしれません😉)

土星・Sノードがコンジャンクト、海王星がノード軸を調停
 冥王星は自身のノードとコンジャンクト
 新月が土星・Sノード・冥王星とオポジションで
 それらに加えて火星とパラレル&コントラパラレル

MCに海王星がコンジャンクト

天王星・ジュノーがスクエア、MPにアスボルスで不調和の小三角

7月8日
 水星逆行開始 午前8時過ぎ〜8月1日まで
 獅子座4°27~蟹座23°57(ほとんど月蝕の太陽の位置)
 (8月15日に水星が逆行のシャドウを抜ける)

 (今回の水星逆行のテーマについては6月20日にTwitterで連続ツイートしていますので、もしまだのひとがいたら覗いてみてください)

7月9日 金星・天王星セクスタイル

9日~10日 
 逆行の水星R・火星がコンジャンクト
 太陽・NノードがコンジャンクトしてSノード・土星とオポジション
 月がレクイエムと冥王星・キラルス・エリスのGスクエアをトランスレート
 イカルスと木星が火星・水星コンジャンクションへクァドリフォーム

11日
 太陽・海王星がトライン、火星・カイロンがトライン

12日
 火星・天王星がスクエア
 海王星・月・ノード軸と太陽がカイト形成

14日〜15日 太陽が冥王星とオポジション

7月17日06:38 山羊座24°04で満月・月蝕!

18日〜22日
 金星がNノードとグリーヴにコンジャンクト
 金星が土星とSノードにオポジション
 金星が冥王星にオポジション

21日〜22日
 逆行の水星が太陽にコンジャンクト(逆行中日)

27日
 火星とエケクルスから土星とSノードにYOD

28日 金星が獅子座にイングレス
30日
 太陽が天王星にスクエア
 土星・ノード軸とインシデンティアがTスクエア
 逆行の水星とエリスがスクエア
 火星・ジュノーとヴェスタがスクエア
 アスボルス・アグニ・ルシファーがコンジャンクト

8月1日12:15 獅子座8°36で新月!


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  6月までのセットアップ準備段階を経て、わたし達はこの日蝕から一段階進んだ領域(と言ってもいいかな)に入っていきそうです。これから月蝕、そして12月の金環蝕(日本では部分蝕が見られる)と2020年1月の半影月食、そして春を迎えるまでの間に、世界の政治・経済・社会、そして日本にも、本当に沢山のことが起きてくると思います。もちろん、わたし達それぞれの人生にも。各自が選んでいる人生の道で、心理的にも現実の状況においても、様々な変化を体験するひとが多いのではないでしょうか。わたし達はとにもかくにも扉を開けて、新しい世界へ一歩踏み出そうとしているところ。突然明日から何かが変わるわけじゃなくても、こころの細胞がリニューアルしていく。そんな とば口に立つ今...

今、ひとつ深~い呼吸をしてみて。自分の体を隅々まで複雑に感じながら。何かが、変わっていく。何かが落ちて、何かが芽生える。数年経ってふり返ったとき「あぁ、あの時期がひとつのきっかけだったのかも...」と感じられるかもしれません。

  さて、今回の新月は皆既日蝕。でも残念ながら日本では日の出前で、見えるのは南太平洋~南米のチリ、アルゼンチンあたりです。また周期はサロス127で、このファミリーが生まれたのは西暦991年。蝕を研究しているアストロロジャーの間では、特に日蝕のサロス・ファミリーが生まれた当初のエネルギーがそのファミリーに属する蝕の特質を決めるという定説があります。つまり蝕のネイタル・チャートのようなものでしょうか。けれどサロス127が生まれたのは今から1000年以上前の10世紀末。日本では藤原氏が摂関政治を行っていた時代ということで、現代にあてはめて考えるのは難しそう。なのでもうひとつの有力な考え方を取るとすれば... 以前起きた同じファミリー内の日蝕のうち、世界の同じ領域を太陽と月が渡っていった年を見ること。

それが1965年5月30日に双子座で起きた日蝕で、これは今回と同様に南太平洋~南米にかけてが可視領域でした。

 2019年7月3日の日蝕
2019
 1965年5月30日の日蝕
1965


  当時のチャートはMCに土星が乗り、ICには冥王星(とエケクルス)、オーブ3°で火星と天王星がコンジャンクト。太陽と月は12室双子座9°13'で木星、ルシファー、ネッソスがコンジャンクト。それまでの指針や権威(太陽)が翳りを帯びて見えにくくなり(12室)、攻撃性や暴力性の台頭が感じられるとてもダイナミックな構図でした。

では、日本を中心に当時の出来事をざっと見てみましょう(wikipediaより抜粋)
(日蝕の有効期は起きた日の前後半年、起きてから6ヶ月~1年または3年と諸説ありますが、ここでは1965年の1年間を見てみました。)

1月  インドネシア国連脱退(翌年復帰)

2月  ベトナム戦争で米国が北爆を開始
    全日空貨物機失踪事件発生(22ヶ月後に墜落機体発見)
    米国で黒人運動指導者マルコム・Xが暗殺される
    夕張鉱業所ガス爆発61人死亡

3月  山陽特殊製鋼倒産
    ソ連 人類初の宇宙遊泳に成功
    チリ大地震発生

4月  米国でのベトナム反戦運動が世界に拡がり、日本でも
    「ベトナムに平和を!市民連合」=「ベ平連」が結成される
   (以降、新左翼思想に基づく暴力的な学生運動の勢いが高まる)

5月  室蘭港ノルウェー船衝突炎上

6月  山野炭鉱ガス爆発237人死亡
    日韓基本条約締結(日韓国交正常化)
    沖縄アメックス銀行22万ドル盗難事件

7月  名神高速道路開通
    少年ライフル魔事件発生

8月  発生から5年間続いた松代群発地震が始まる
    シンガポールがマレーシアから独立

9月  インドとパキスタン軍がカシミールで衝突(第二次印パ戦争勃発)
    日本万博開催決定
    インドネシアでクーデター未遂

10月 朝永振一郎博士ノーベル物理学賞受賞
    台風によるマリアナ海域漁船集団遭難事件 死者行方不明209人
    警察庁広域重要指定105号/西日本連続強盗殺人事件

11月 中国で文化大革命始まる
    ローデシア、独立を宣言
    戦後初の赤字国債発行決定
    コンゴ民主共和国でクーデター、コンゴ動乱の終結

1965年11月23日

    サロス132の日蝕
    (2019年12月26日の蝕と同じサロスファミリー)
    可視領域:アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、
    ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナム、マレーシア、
    インドネシア、パプアニューギニア

12月 日本が国連安保理事会の非常任理事国に当選
    米国の宇宙船ジェミニ6号と7号が初のランデブー飛行に成功


  どうでしょう? もちろん同じようなことが起きるわけではないけれど、この蝕(と年末の蝕)が持っている独特の雰囲気はなんとなく掴めるでしょうか...。ちなみにサロス127の最初の蝕(991年)は天秤座22°台で、主要なテーマは「プライドと占有権の問題」でした。


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  また英国ウェールズ大学の文化占星学/天文学の博士号を持ち多くの著書でも知られるアストロロジャー、バーナデット・ブラディはこのファミリーの特徴を:
『非常に過敏で過剰な反応が起きやすい。状況を一変させるような大ニュース、または若者(や子供)が関わるニュースが流れ、それが懸念を喚起するか、人々を妄想的にしやすい。また人々は壮大な(または "主語の大きな") 構想に魅了されたりプランを実行しようとするかもしれない。それはポジティブな可能性を持つ。だが調子に乗って足許を見ずに押し進めれば転倒するかもしれない』と記しています。

  じゃ今回の日蝕は? 今回はノースノード・イクリプスで本来「未来志向」という質を持ちます。けれどASCが蟹座6°台でロードが夜明け前の蝕の月、そして7月8日からは次の新月当日(8月1日)まで水星が逆行するとなると、先の見通しはなかなか立ちにくいかもしれません。物事の方向性がハッキリ定まらずに二転三転してみたり、希望が膨らんだりしぼんだりと、矛盾した情報に振り回されて過度に感情的なムードが世の中を覆う傾向も見られそうです。内的世界ではイマジネーションがとても豊かになる反面、様々なプレッシャーに対しても敏感になり、そのために内側(自分のテリトリー)を護ろうとして頑なになってしまったり、何かに囚われて他が見えなくなるひともいそうです。


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  一方、この新月が起きる蟹座10°台は第2ディーカンの始まり。それはこの新月期が人々に「家族的な繫がり」「血統」「伝統」の持つ価値に意識を向けるよう導くことを示しています。メリマンさんは今回のコラムで「愛国的」と表現されていましたね。新月図ではこれが1室に入ることから、これが意味するのは国内で暮らしていれば気にする必要もないような「日本人としてのアイデンティティ」を意識させるということかもしれません。この新月/日蝕に隣接する月のNノードは蟹座17°台。そのテーマは『受け継いだ伝統、遺産、品性を基に立ちそれを護る』。また対向する7室(他者)山羊座17°のSノードのテーマは『新たな天地を求めアイデンティティを賭けて闘う』。

うーん...こうして見ると、この蝕がネイタルの主要な感受点に触れるひとには「自己」と「他者」の間に「自分自身であることの権利」をかけた闘いが起きる...とも考えられます。それはもし勝てなければ自分の根幹が侵害されるような感覚かもしれません。また日本全体として見ても、G20の儀式を終えた今。国外でも、また参院選を水星逆行中に控えた国内でも、様々なパフォーマンスの陰で激しいせめぎ合いや騙し合いが続いているはず。しかも新月図のMCには逆行中の魚座の海王星が乗っています。


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  木星・海王星の2度目のウェイニングスクエアは終わったけれど、まだオーブは2°弱です。獅子座入りしたばかりの火星の勢いを駆って、高々と理想を掲げるのはたやすいこと。それに、感受性豊かでインスピレーションをキャッチしやすく、アートや美への感性も高まりそうです。けれど反面、あらゆる刺激に影響を受けやすく、いつのまにか暗示にかかってしまうような弱さ、優しすぎて利用される危険もはらんでいます。さらに、逆行間近の水星は海王星にセスキスクエアで、曖昧さを増幅しそう。気付かないうちに「いわれのない罪悪感」を引き受けてしまわないよう注意してね。

上昇惑星の金星は明けの明星(ルシファー)で、ぎりぎり双子座28°台。この度数はアストロロジャー、エリック・フランシスが言うところの「アトランティス・ディグリー」(水面下で進行していた変化が前兆として顕れる)です。これは金星なので心理的なことだと思うし、自分自身にとっての「聖なるもの」を瞑想するには良い配置だけど。確かにどの要素をとっても今は上辺に立つ白波だけを見て「事実はこうに違いない」と判断するのは避けたほうが良さそう...。

また、新月に対向する7室の土星・Sノードのコンジャンクションと隣接する冥王星も、ちと厄介な存在かもしれません。逆行中の冥王星は山羊座22°台で、自身の惑星ノードとコンジャンクト中。ヒタヒタと浸入するような破壊力を保持しています。これを新月にオポジション形成とするには一見離れ過ぎにも見えるけど、赤緯で見ると月・土星・ノード軸・冥王星がパラレルとコントラパラレル(コンジャンクション、オポジションと同等)という構成に。そして火星もパラレルでこれに加わります。なんだか世界のあちこちで怒りのパワー(社会や政治、他者の行為に対する)が燃え上がりそう。けれど山羊座の土星・冥王星・Sノードの取り合わせはかなりしたたかで、喰うか喰われるかの世の中を識りぬいた感じもあります。上辺で勝とうと負けようと、最終的に損はしないやり方=政治を心得ているでしょう。特に日本の新月図ではこの組み合わせが1室と7室に入ることから、「自国」と「相手国」、「わたし」「わたし達」VS「彼」「彼ら」との関係が鏡合わせになって、怒りを通して自分自身の立ち位置をあらためて認識し直すというテーマが浮上しそうです。


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  そんな蝕の新月期。今一番必要なのは — 落ち着きと、しなやかさ。けっして攻撃的にならないこと(万一、頑なな底意地の悪さを露呈してしまったら、何処かで重要な誰かがそれをじっと見ているかもしれません...)。そして、物事の本筋がいったいどこにあるのかを冷静に見抜いていく目。何かあったらまず呼吸を整え、思考の筋道を整理して。そのうちに少しこころが透き通り、フッと肩の力が抜けてくるかもしれません。そのとき、様々な選択肢の中で今抱える問題に一番有効な観点と、もし必要なら行動の手段が見えてくると思います。 

あるいは...もしかすると今まで醜く見えていたもの、あるいは美しく見えていたものが少しずつ色褪せてくるかもしれません。そしてそれがまた逆転してみたり。

周囲の物事が、ひとが、少し違って見えてきたら... すぐに打ち消したりせず、それも可能性のひとつとしてこころに取り入れてみる。緊急を要することでないなら、沢山存在するパズルのピースをテーブルに並べたまま、お茶でも飲みながらしばらく眺めてみる...。たとえ周囲が右往左往していても、本当は自分だって揺れているのだとしても。やがて物事は流れ流れて落ち着いていく。たぶん、あるべきところに。そこまで待ってみるのも悪くはない。これからしばらくの間は、焦って判断を下したり脊髄反射的な行動を取るよりも(少し長い目で見ることが出来るなら)きっとその方がベターな結果を得られるでしょう。


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  それでも。もし闘わなければならないのなら、または何か現実的な問題を抱えて対応が手に余るなら、その対応が可能なひとに動いてもらうことも出来るでしょう。ただし感情だけで説得するのは危険です。おそらくそれでは力のあるひとは動いてくれません。もし勢いでひとを動かせたとしても、やがては行き違いで内輪揉めに発展する怖れがあります。繰り返しになるけれど、そのためにも自分がどんな結果を欲しているのか? 護るべきラインは何処までで現実的な落としどころはどのあたりか? それはどんな展望に基づいたもので、なぜそれが必要だと思うのか? そして何よりもまず、自分の真の「動機」はどこにあるのかを、出来るかぎり「こうあるべし」という鋳型を外して赤裸々に見ておくことが今、とても重要だと思います。

そしてこれはおそらく現実の問題だけでなく、自分自身の「生き方」や「人生のゴール」としてイメージする光景、「幸福感」、つまり自分自身の内的宇宙(わたしだけのテリトリー)に存在する個的な事柄についても言えることではないでしょうか。それはいわば、何もかも剥ぎ取ってしまった後に残る「何か」。その「何か」から発する生への「動機」でしょうか。あるいはどんなに絶望していようとも、わたし達に「息すること」をさせ続けている「何か」、その存在。...そんなことばがもしこころに触れるなら、水星逆行のシャドウフェーズからストームフェーズへと移行するここ数日あたりから、ぜひ熟考する時間を持ってみて。やがて逆行期を経て順行のシャドウから抜けるとき(8月15日の満月時)わたし達それぞれの中に今までとは異なる新しい強さが生まれているかもしれません。それは他の誰に対するよりも「自分自身に対する強さ」だと思います。


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  また蝕の期間は夏の行楽シーズンとも重なります。ただ7月〜8月は全般にわたって豪雨、地震、噴火などの自然災害、陸・海・空の事故や火災、暴力的な事件が起きやすいアスペクトが目立ちます。もちろん、そのどれもがここ日本で起きるわけではないし、不安ばかりが先立っては何の意味もないけれど。もしも遠くの地で何かこころ動かされることが起きたら、想いをはせるだけに留めずにもう一歩進んで「こんなことが身近にあったらどんなふうに対処しようかな...」なんて考えたり、誰かと話し合ってみると良いかもしれません。備えって、何もないときにしておくものだから。

今夜の時点で九州〜西日本では激しい雨で危険な状況が迫っていると聞きます。わたしが言うまでもないことだけど...当面は十分注意して、勧告が出たら早めに避難してください。どうかご安全に。また最近のニュースによれば、今ヨーロッパが40°を越す歴史的な猛暑に見舞われる一方で、暑いはずのインドネシア近辺では記録的な低気温だとか。けれど突然に逆の現象が起きないとは限りません。5年前から急激に速度を上げた極移動とともに、長い間わたし達の住む地表を有害な宇宙線から護ってきた磁気フィールドが2000年以降、10年に5%の割合で失われつつあるそうです(ただしNASAは危険が生じるのはもっとずっと先のことだという見解を発表しているようですが)。天地の変化と人間総体の変化はアストロロジーを通して見ればおそらく鏡合わせ。ならばわたし達の心的現象と同様に、自然に関するこれまでの常識にもそろそろリニューアルが必要なのかもしれません。

この夏は出来るだけゆったりしたスケジュールを取って、のんびりくつろいだり、フッと気が向いたときに好きなところに出かけられるよう、自由度の高いプランを立てたいと思います。そして健やかでいられるよう、自分なりのペースで楽しく体を動かせるといいな。


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★7月新月/日蝕のサビアン・シンボル


新月のベースとなるシンボル:
蟹座10°『完璧な研磨を施される前の大きなダイヤモンド』



  ダイヤモンド。今でこそ専門家でもなかなか区別がつかないほど精巧な人工ダイヤが作られるようになったけれど、それでもダイヤモンドはやはり豪華さ、豊かさ、そして永遠に揺るぎない美の象徴として、ひとびとの憧れの宝石と言えるでしょう。けれどこのシンボルのダイヤモンドは完璧に研磨される前の状態です。やがては菱形や三角形が複雑に入り組んだ幾何学的形態をまとうまで削られ、透明な輝きを放つ宝石へと磨かれていくのだとしても、今はまだその過程にあって半分自然な姿を残しています。あるいはそれは、意図して磨き残されたのでしょうか? それとも何か理由があって、放置されているのでしょうか?


gemstone-



  ダイヤモンドはその硬さで有名です。「金剛」ということばの原義でもあり、大乗仏教の般若経典『金剛般若経』とは「ダイヤモンド(金剛石)のごとく煩悩や執着を裁断する智慧の経典」という意味なのだそうです。それは余計なものを全て落とし、輝く透明な智を身に付けること... 生きている限りわたし達にまとわりつく煩悩や執着は、ダイヤモンドくらい硬い石の刃を使わなければきっと切って捨てることなど出来ないのかもしれません。

また、ダイヤモンドはモース硬度が最高の10、つまりわたし達の世界に存在する天然/人工物の中で一番傷つきにくいとされている鉱物です。だからダイヤモンドを加工するときは割るかレーザーで焼き切るか、イオンビームを照射して炭素原子を飛ばすか、あるいは細かい粒子になるまで互いに摺り合わせたダイヤの粉を固め、それで研磨するかしかありません。屑ダイヤと呼ばれる不純物の多いものは粉にされていろいろな物を切るのに使われるけど、わたし達が思い浮かべるようなダイヤモンドで同じダイヤモンドを「切る」ことは出来ない。摺り合わせればやがて互いに粉になり、ひとびとのイメージする「ダイヤ」としての存在は失われる。それは永遠の絆のシンボルでもなければ、ステイタスを誇示する宝飾品でもない...。


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  「揺るぎない硬さ」は原石だろうと宝飾品だろうと粉だろうと、ダイヤモンドに備わった変わらぬ特質です。けれどその形態が変われば、社会的なイメージもその価値も変わります。今や価格統制されることによってその価値を保つと言われるダイヤモンド。でも、価値を変化させるのはダイヤモンド自体ではなく、わたし達。与えられたシステムによって物事を判断する、わたし達。数々の伝説や物語に彩られ、イマジネーションによって付加価値を与えられたダイヤモンドに、わたし達はひとときの夢を見るのかもしれません。

  今、ダイヤモンドは研磨途上。ところどころに透明さの片鱗を見せながら、いまだ無骨な姿のままで目の前に置かれています。これからどうなっていくのか? そこには様々な可能性が秘められています。では、わたし達はそこに何を見るでしょう? 美しく磨かれ、リングやネックレスの一部となって輝きを放つ姿? それともゼロがいくつも並ぶ請求書? あるいは悠久のときを経て地上に顕れた炭素原子の結合体? それとも....?


  このシンボルを補完する対向度数のシンボルは山羊座10°『人間の手から餌をもらうアホウドリ』です。この度数をわたし達はもう何年も前に一度経験しています。きっと忘れてしまったひとも多いと思うので、もう一度おさらいしてみましょう。

  アホウドリは北太平洋に生息する大型の渡り鳥で、翼を拡げると2~3mにもなり、冬には繁殖のため、鳥島や尖閣諸島のあたりまでやってくるそうです。ただ、陸では動作が緩慢で、羽毛をとるために乱獲されて絶滅寸前まで追い込まれたのだとか。 また、翼を拡げて優雅に滑空し、ほとんど羽ばたかずに数千キロという長距離を飛べることでも知られています。


albatross



  ところが…このアホウドリを意味する原文の "albatross" ですが、ブレイン・ボヴィの説明によれば、英語では「邪魔になるもの」または「行動の制限となる家族や係累」をも意味し、それが転じて「フラストレーションや重荷の原因」という含みでも使われるようになったそうです。その由来は、死んだ水夫の魂がアホウドリになるという伝説。それを殺した水夫の首には罰としてアホウドリの死骸が巻き付けられたという昔の詩からのメタファーなのだそうです。 

ダイヤモンドが宝石の中で最も多くの物語を持つように、アホウドリもまた鳥の中で最も多くの伝説を持つ存在だと言われています。

また、もうひとつ面白いのは、"albatross" はもともとポルトガル語の "alcatraz" が訛って伝わったものだそうで、「アルカトラズ島」といえば、一度収監されたら絶対に逃れられないとして有名だった、米国の監獄島の名前ですよね。羽ばたかないアホウドリは、風が無ければ飛び立つことさえ出来ません。

けれど、いったん風が吹けば、アホウドリは王者です。その滑空力は、航空機の設計者達からも未来へのヒントが潜むとして注目されているくらい。頭も良さそうで、長旅の途上ではシャチの群を追ってその食べ残しでお腹を満たすという効率の良さ。そして人間を怖れず人なつこい性質を持つのだそうです。まぁ、だから欲深な人間に乱獲されてしまったのかもしれません。


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      さて、このシンボルのアホウドリは、人間の手から餌をもらっています。人間の側にも、この伝説の鳥に対する害意は無さそうです。ここは孤島のコロニーでしょうか? アホウドリも、すっかり安心して無心に餌をついばんでいます。狩られる心配もなく、栄養状態も良く、卵から孵ったヒナもすくすく育っています。彼らは、ここではサバイバルの心配をしなくて済みます。けれど、もともと人なつこく怖れを知らない鳥のことです。この暮らしで野生を失うこともないでしょう。 彼らは、ひとたびその時を報せる風が吹けば、また自分達のもう一つの 「ホーム」へと渡っていくのです。 風に乗りシャチを追い、海原に休み、自分達にフィットする気候の移り変わりに悠然と同調しながら…。

何者も、彼らのそんな生き方を変えることは出来ません。陸地では愚鈍であまり動けないアホウドリ。けれど彼らは人の手から餌をもらいながら、それをひとつの「流れ」として受け入れつつ、次の風が吹くのを待っているのかもしれません。そして一陣の風が吹くその時こそアホウドリは、重い枷や足手まといではなく、海原の王者、水夫の魂、そして伝説の鳥となって飛び立ちます。


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  このシンボルは、一見愚鈍で弱く、服従するしかないような存在、または邪魔者とされるような存在の真の姿を物語っているように思えます。彼は自分の生き方がどう見えるかなど気に留めていません。時に不器用にも無様にも見える生き方を、怖れもしません。狩られる危機に瀕したとしても、ただ自然に…自分の道に留まりながら生きていきます。 運命は何処からか突然訪れるのではない・・・かけがえのない運命そのものが 「自分」 を生きているだけ。その赤裸々な事実を、自然体で引き受けているような感覚。 だからこそ、「彼の風」が吹いたときは、ただシンプルにそれを感得し、流れに乗って抵抗なく飛んで行けるのではないでしょうか。 それは創られた価値観よりもずっと古く、揺るぎなく、硬くしなやかないのちの流れ。伝説の大きな鳥が、古代から培ってきたひとつの智恵なのかもしれません。

  さて。研磨途上のダイヤモンドは、これから何に変わろうとしているんだろう? けれどそれは、本当に変化するんだろうか? たとえ割れても粉々になっても、わたし達はそれを、ダイヤモンドという存在の本質を、見抜くことが出来るだろうか...?


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新月のメイン・シンボル:
蟹座11°『しかめっ面をする道化師』


  このシンボルも以前経験した度数ですね。けれど何回も経験する度数のシンボルって、それだけ今というときを過ぎ越すわたし達にとって大切な挑戦になりそう。なので端折らずにもう一度見てみましょう。こちらも対向度数の山羊座11°『キジの大群』とともに考えていくとわかりやすいと思います。何故ならこの2つは本当に鏡面関係だから。


clown-


  で、これもサビアン・シンボルの興味深いところなのですが...暴君として有名だったイングランドのヘンリー八世を描いた肖像画と、彼のお抱え宮廷道化師(愚者)であったウィル・ソマーズの肖像画には、似たような縁なし帽に同じようなキジの羽根を取り付けたものがあるのだそうです。王と愚者…厳格な階級制度の中で、最高位にある王と何も持たない(おそらく身分や地位、家とも切り離された存在としての)「道化師」「愚か者」。ある意味では王の最も身近に在ってプライベートな顔を知り、ご機嫌次第ではフランクな口をきいたり、ときにはからかったりもする...。

  じゃ、対向のシンボル『キジの大群』は...もしかして宮廷にたむろする大勢の貴族達でしょうか? キジにも色々な種類がありますが、ここで描かれるキジは、カラフルな雄キジのようです。B.ボヴィによれば、原語の "pheasant" は、この鳥が古代ギリシャ時代に黒海へと注ぎ込むファシス川の近くで発見されたことから来ているようです。ファシス川の "Phasis" はギリシャ語で「見せること」「外観」という意味があることから、彼はおそらくこの川の色とキジの鮮やかな色彩に共通項が見られたのではないかと推論していました。


pheasant



  その昔、キジ撃ちは英国の上流貴族階級の嗜みだったことから、キジは何かにつけて貴族的な要素を揶揄するような暗喩に使われるようになったそうです。たとえば、これみよがしの勿体ぶった態度や見栄はり、気取ったふるまいなどです。当時貴族達がキジ撃ちのために滞在したのは 「権力の家」 とも呼ばれたカントリーハウスで、田園地帯に贅を尽くして建てられた広大な建物は、上流貴族の紳士達の政治的会談の場でもあったそうです。

もしも対向するシンボル『キジの大群』がひとつの「社会」や「グループ」を象徴するのだとしたら、王侯貴族の社会と道化師/愚者の世界 — それは決してひとつになることはない両極の関係です。けれど、それと同時に何処かで激しく交差し、切り結び、笑いや諧謔や皮肉という危うい糸で繋がれた、不可思議な関係でもあります。道化師を演じているのはひとりの人間。けれど、ひと目でそれとわかる衣服を身につけ、ときには仮面や特異な化粧を施して王の側に侍る道化師は、もしかすると「けっしてひとではない何か」だったのかもしれません。それは、リジッドな宮廷社会の中にあって、それだからこそ必要とされた「破調」なのでしょうか?

そして、王と道化師 両者に共通するシンボルがもし、一羽のキジの、華やかな羽根なのだとしたら.....。原語でキジの語源にあたる言葉は 「見せること」 そして 「外観」 。もしかしたら、王と愚者が戯れに入れ替わる...または、その視線において互いに入れ替わる…なんてことが起きていたのかもしれません。


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        カントリーハウス周辺のキジは、遊びや嗜みとしての狩りの対象、社交の道具です。その命はあくまで王侯貴族の胸ひとつ。おそらくお抱え愚者にしても、あるときは王様に至近距離まで寄り添って、言いたいことを言い放てる特権があるとはいえ、それだけに運命の危うさという点では、キジ達と殆ど似たようなものだったかもしれません。だから、彼はありとあらゆる芸で王を楽しませます。顔を色とりどりに塗りたくり、大声でオバカな小話や下品なジョークを飛ばします。でも、それだけでは飽きられてしまうかもしれません。 だから時には風を読んで、主を怒らせるスレスレまで、本質を鋭く突いたことを言ったりします。 けれど、おかしなしかめっ面の下で、愚者の眼には何が映っているでしょうか? もしかしたら、宮廷の全てのひと達が、極彩色のキジの大群に見えているのではないでしょうか。

彼はいわばブラックホールのような存在 — すべてを呑み込み、秘密を隠したまま。常に内的爆発を起こしながら新しい「ことば」や「しぐさ」を生み出していく存在なのかもしれません...。


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  このシンボルは、前の度数のアホウドリの生き方から一歩社会のシステムに踏み込み、階級やお金や信条・文化など、様々な壁を実際にすりぬけ、かわしながら、自分の道を貫いていく強さと冷静さを学んでいくことを示唆しているように思います。 

あるときは羽根をバタつかせ、甲高くケ、ケーンと鳴きながら、同時に静謐な視線をもって周囲を観察する。またあるときは、うずうずワクワクするような興奮や、またふつふつと煮えたぎる怒りを煌びやかな羽根の下に隠して。彼はあくまで「誰でもない者」としてふるまうのです。

 それは、突き詰めていくと高度な社交、そして政治的スキルにも繋がっていきます。でも、何のために? 無骨なアホウドリが、風に乗ってひとり自分の道を歩むところまでせっかく来たというのに?  

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        おそらく、これはこの世界をサバイバルしていくために必要な「智恵」の実地訓練だと思います。 これから先、どうしても避けられない社会との激しい接点。その中で時に険しくなる道を、軽やかに進んでいけるように。道の途上で狩られたりせず、また誰かを狩ったりもせず、周囲の複雑な流れを、咄嗟に、感覚を通して、把握出来るように。 そして、自分にとって浅薄なものをどんどんそぎ落とし、曲げられないものを残してひたすら身軽になれるように。 そして必要なとき、互いに境界に立ちながら、認め合えるように。

蟹座/山羊座というカーディナル・サインの対向軸は、内的世界と外的世界の両極です。どちらも生きる上で「護るべきもの」があるけれど、その方向は両極端(内的極大方向と外的極大方向)。そして、そこで受けるプレッシャーは、この世界を生きるわたし達の成長を加速させるとも言われています。

  職場、家庭、遊び場、SNSや仮想空間…わたし達の人生の場は、ときにアホウドリの棲む絶海の孤島だったり、沢山のキジが鳴きながらひしめく飼育場だったり、様々な思惑がうごめくミニ宮廷だったりするのかもしれません。そんな中を、わたし達はなおも生きて、駆け抜けていきます。喜怒哀楽、いろんな感情を昇華し、その時々で様々な衣や仮面を身につけながら — 自らの生の、ありのままを。在るように在る、その本質を...。



  今回の新月・日蝕は、アスペクトでは「護るべきものとしてのアイデンティティ」が強調されているけれど。それに呼応するサビアン・シンボルと組み合わせてみると、もう一歩踏み込んだかたちで「わたし」を生き続ける「生」の本質そのものに触れ「あなたは誰か?」問いかけてくるような深みを感じさせられます。 そうか...わたしは...誰だったろう? わたしもまた、パタンと閉まった扉を背にして今 自分に問いかけているところです。(^_^



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have a great trek!!!★

hiyoka(^_^


hiyoka_blue at 21:37|PermalinkComments(0)

May 31, 2019

🌑6/3の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

6月2日 惑星スケジュール5月31日の項目にバージニアビーチの銃乱射事件を追記しました。


【お知らせ】 
都合により今月も新月と満月を一緒にして「6月の星読み」とさせていただきます。
もしかしたら今後はしばらくこのスタイルにして、後は随時気まま星読み記事をUPすることになるかもしれません。そのときは都度、Twitter やFBでお知らせします。
m(_"_)m

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

【地方平均太陽時: ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  6月3日19:24前後、北海道周辺で 19:30前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は19:02頃、沖縄周辺では 18:31前後に双子座 12°33’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♊️双子座12°~13°― 発効期:6/3~7/2 】
→🌚🌞"A topsy saucily asserting herself"
   『生意気なほど断固とした主張をする黒人奴隷の少女』
            ↓
→🌚🌞"A great musician at his piano"
   『ピアノを弾く偉大な音楽家』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
※ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
※また今回は新月と満月共通のキーワードを抽出してみました。


→★自分が信じる「現実」とは異なる様々なリアリティに直面する
→★社会的な地位とそれに見合う資質とのギャップを知る
→★自分や他者、それぞれのことばに滲み出る人生のありようを感じ取る
→★「正しさ」や「不正」を象徴する「しるし」に感じる歓びと嫌悪の同質性
→★自他を生かす「情」と逆に蝕んでいく「情」の違いを知る必要
→★弱い立場の存在を断固として護ろうとする意志のぶつかり合いを見る
→★単なる辛辣さや無礼さと、不可視の偏見の壁を超えて立つことの違いを知る
→★異なる文脈、異質な文化に生きるひとびとの中で公平さと率直さを保つ難しさ
→★深い感情やダイナミックな情念の動きを制御する力を必要とする状況
→★誇り高く勇ましい姿の影に隠された過去の苦さや哀しみを見る
→★すでに通り抜けたはずの痛みや感情の揺れに再び対処する必要
→★進む方向や見える現実が突然変わる、または変わりそうな予感
→★特定の音楽や楽器の音色、曲調によって喚起される何か強烈な記憶に注意
→★脚光を浴びることにひそむ放埒さや無節操、またはそれへの迎合の危険
→★微妙なニュアンスを排し、明確で調和のとれた論調や状況を選択する傾向
→★窮鼠猫を噛む…的な出来事(誰が窮鼠で誰が猫か?)
→★行きつ戻りつしているうちに溜まりきったフラストレーションに注意
→★待ち受ける壁を知りつつも人生上の何かを変革していくことへのいざない・・・→


★エネルギーのポイント:
 前回の新月『あらゆる"音"の中に自分のビートを聴きとる』
             ↓
 今回の新月難路を越えるために必要な重さを感じる
                   
            
190603NM


★6月新月の星模様とチャレンジ ★
(ざっと見て気になったアスペクト)

  さて今回の新月。夏至を挟んでとてもダイナミックな6月になりそうです。。 そしてその流れはそのまま7月の日蝕と月蝕に繋がっていきます。この夏は2020年に控える大きな変わり目へのセットアップとして最も重要な期間になるんじゃないかな。なので、こころして過ぎ越したいとき。仕事でも人間関係でも、気持ちをふわ~と脇へ逸らす誘惑や、感情を激しく揺らす刺激的な出来事が多く起きるかもしれません。けれど一番大切なのは、自分自身が拠って立つ内的地盤とは何なのかを丁寧に確かめながらいくこと。頑なになるのではなく、「わたし」をしなやかに保つこと。そして、こころと体がホッとするひとときを大切にしながら、慌てずに少しペースを落とすくらいのつもりでいくといいかもしれません。

<新月図のあらまし>

新月とアルチラがコンジャンクト
(これに付随するエケクルスとパラスのトライン)
MC・インシデンティア・乙女座銀河団のコンジャンクションに対してフォルスがスクエア、オキロエがクインカンクス、ルシファーがトラインでトラピーズ・フォーメーション
ASCと銀河中心がコンジャンクト、これに対しアグニがトライン
天王星とアル・シェラタンがコンジャンクト
金星・冥王星がトライン、金星とネッソスがクィンタイル
土星・Sノードのコンジャンクションに海王星がセクスタイル
天王星・海王星がセミスクエア
ノード軸を海王星が調停
2室カスプ周りにSノード、土星、冥王星がコンジャンクト
火星・ネッソス・パラス&リリスがラーニングトライアングル
水星・イクシオンのオポジションをヴェスタが調停
木星・アスボルス・海王星がTスクエア
土星・レクイエム・アスボルスがラーニングトライアングル
冥王星・エリスからオルクスにクァドリフォーム
水星とオルクスがクィンタイル


★惑星スケジュール★
(ざっと見で目に留まった日付けのみです。見落としがあったら後で付け足すかも?)

5月27日~ 
水星がOOB入り。火星とともにダブルOOB期に入る

※この項目ではOOB期を中心に、さらっと全体を眺めてみます。書いてみるとなんだか「要注意」事項が多すぎな気もするけれど...。まぁなんとなく気になるところだけでも頭に入れてもらえたらいいかな。

  この前もツイートしたけれど、OOBに入った惑星は太陽の統制を一時的に逃れ、それぞれの特質が「けた外れ」になるとされています。つまり関わるもの全てに対して「過剰」に働きかけるということ。その過剰さがどう顕れるかは、惑星が運行する星座宮やアスペクト、そして影響を受ける個人のネイタルチャートとの関わりによっていろいろだけど、全般的に言えるのはコミュニケーションや行動に行き過ぎや不注意さ(ボーッとするか、または特定の思考に集中しすぎ)が見られがちということかもしれません。双子座の水星(回転が速くいろいろと思いつくが集中する対象があれこれ変化しやすいので不安定)と蟹座の火星(内側に爆発していく力を防衛的攻撃性として駆使しがち)は互いに矛盾する性質(セミセクスタイルの関係)があるため、相性よく働かせるためにはある程度自分を律していく必要があります。でも、射手座の木星・魚座の海王星が映し出す「あまりよく考えないまま、なんとなく大きくなり霧のように拡散していく」という抵抗しがたい力を受けてのことなので、けっこう難しいかもしれません。


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  この傾向が顕れたと思われる最近の例では、ちょうど火星・水星のダブルOOBがスタートしたあたりのタイミングでTIME誌のコラムニストでNY大学教授のジャーナリスト、イアン・ブレマー氏(Twitter認証付)がこんなツイートをしました。『東京滞在中のトランプが こう言った。"愚鈍なジョー・バイデンがアメリカ大統領になるくらいなら金正恩がなったほうがよっぽどマシだ" 』そしてこれが大騒ぎになったという一件がありました。

もちろん彼のツイートは根も葉もない嘘だったけれど、即座にジャーナリスト仲間や各界の著名人達がトランプ批判のコメント付きでリツイート。その結果、もの凄い数のリツイートやトランプ氏に対する怒りの声で溢れかえる結果になりました。彼の嘘ツイートに返信したひとびとは、ほとんどがその信ぴょう性を疑うことなく信じたようです。これはあくまで推測に過ぎないけれど、おそらくトランプ嫌いのひとびとには「トランプが言いそうな酷いこと」のイメージがすでに出来上がっているのだと思います。だから身内の左派受けを狙って公的に嘘を流すことについての抵抗感もないし、「トランプは悪い奴だから何を言ってもかまわない、冗談と言えば済むことだ」という感覚があったのではないでしょうか。

けれど驚くほどの反響の大きさと、情報ソースを追った人々からの痛烈な批判を受け、彼は翌々日に『あれは冗談のつもりだった。大統領自身も自らのツイートで "あまりにもバカバカしい"と言っていたが、私もジョークだと明確に表現すべきだった』と謝罪。けれど「書くこと」に責任を負うことで実績を積み上げてきたはずのブレマー氏が、思いつくままにひとびとの攻撃性を喚起するような言動をとったという事実(ここまで分断が進んだ今は確信犯だという見方もアリだけど)。 そしてその後に自分の行為と動機を合理化(双子座の水星)して「誤解を招いた」などと釈明する様子は、世界中でジャーナリストという職業への信頼度が下がり続ける今、その事実を否定しようもなく映し出す一つの出来事でした。今やニュースというのは昔から信じられてきた報道とは異質なものと化しており、ジャーナリストと称するひとそれぞれのイデオロギーに基づくプロパガンダ以上のものではない...くらいに思っておいたほうが安全かもしれません(こうしたエネルギーが世界中を覆う中、少なくとも米国の状況を見る限りこうした傾向が著しく見られるように思います)。

SNSはわたし達の世界を拡げる便利なツールです。でもその反面、ひとが発する「ことば」の重みはどんどん失われてきたように思えます。その現象はおそらくわたし達の実生活にも浸蝕してくるでしょう。木星・海王星ウェイニングスクエア(見るもの、聞くもの、読むものを全て真実だと思ってはならない ― メリマン・コラム)の下でOOB期に入る水星と火星の影響を受け、SNSでもリアルでも、これから「重い意味をもつことばを軽く口にする」行為がより増幅されそうです。

  と、そんな勢いに乗って... 実は熟慮が必要な場面で「うわ、いいこと思いついた!」とばかりに口走ったことが思わぬ結果をもたらす可能性もあります。射手座の木星の影響を受けていれば「まぁ、大丈夫だろう」になるし、魚座の海王星の影響を受けていれば「こうなったのも元々は自分の責任じゃないし...」という気分にもなり得ます。だからこそ。コミュニケーション上のミスや多様な種類の「事故」の増加、そして "悪ノリ" には注意してください。そこには乗せたり踊らされたりの操縦行為が絡む場合もあります。そして、もし「踊らされた」のだとしても、自分がしたことの責任は自分に返ってきます。「なんとかなるさ」という楽天的な精神は持っておきたいけど、特に今の時期、もしそれでいくならある程度「確実で公正な根拠」が必要になるでしょう。


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  一方、火星・水星OOBの相乗効果は他者の言動に過敏に反応しがちな傾向も増幅しそうです。普段なら「やれやれ...世の中にはいろんなひとがいるんだな」的な感覚しか持たなかったような事柄でも、それが何故か自分の中に存在する未解決の問題や傷口に触れる大きな力に感じられ、つい反応したり攻撃したくなるような感じかな。また、水星や火星が先走るときは、聞こえているはずなのに、見ているはずなのに、ことばや文章の一部分しか頭に入ってこないこともあります。人間って、何かが強力にこころの琴線に触れたときは、他の全てがすっ飛んでしまう可能性があるんですね。そして気付くと自分自身も、もともとは実体を持つかどうかもわからない伝聞をファクトとして実体化させるダンスに加担しています。それはやがて、物事の全体像を掴んでいく力を失わせるでしょう。今は大切な岐路とも言えるとき。もしこころをザラつかせる誰かの言動を耳にしたら、一呼吸おいて。自分自身の内的宇宙を癒やし、鍛えることに力を使うほうが良いかもしれません。

また、ひとによっては火星と水星の勢いが増してとても元気になったり、活発になってくるケースも考えられます。頭も体もめぐりが良くなる...という感じかな。理解力の高まりや素晴らしいアイデアが湧くというのもこうした効果によるもの。でも自分にもともと備わった限界を超えてしまったら、後でどっと疲労を感じるかもしれません。勢いに乗ってるときは気づきにくいので、そのあたりは意識しておいてね。


mars



  火星のアスペクトが厳しさを増していく中で、このところ数日、急に気温が上昇しました。けれど2019年の『フォーキャスト』や『マンデーン』シリーズで、メリマンさんは6月に入ってから降雨量が多くなることを示唆しています。米国ではすでに洪水や竜巻をともなう嵐が各地に被害をもたらしているし、日本でも今後、上がったり下がったりと急激な温度変化をともなう不安定な気象が続くのではないでしょうか。なので猛暑による熱中症や寒暖性アレルギーなどにも気をつけてください。

また一方では、こころがジリジリと焼けるような感覚を持つひともいるかもしれません。「精神の熱中症」や燃え尽き症候群など、火星だけでなく「火」的な現象に関わる小惑星が絡むアスペクトが目立つので、現実的にも象徴的にも「火」に煽られて味わう試練を経験するひとがいそう。何事もやり過ぎには注意を。またこのところちょっと神経質になってる双子座のアスボルスは、土星や冥王星とクインカンクスを形成します。疲労やストレスからの自律神経失調症が増えそうなので、少しでも異変を感じたらしかるべき専門家に早めに相談しましょう。

また6月中旬には水星が火星・Nノード、土星・Sノードのオポジションに加わり、木星・海王星スクエアとのラーニングトライアングルを形成。繰り返しになるけれど、何かピンときて面白いアイデアが浮かんでもすぐに走り出さず、まずは肩の力を抜いてリラックス。次から次へと発想が湧くなら、まずはメモ。実現可能なところに的を絞り、手順をよく考えましょう。ものによってはゆっくり時間をかけて育てることを念頭に、大切に扱って。その価値はありそうだから!

乗り物関連の事故も今以上に可能性が高まると思うので、いつも大丈夫だから行ける!...という油断は禁物。無理な計画は出来るだけ避けて、運転は慎重に(自戒をこめて)。

また、この時期は「勇気ある行動」がテーマのひとつに入るかも。皆が感心するような英雄的な行為、優れた技量や精神力を必要とするパフォーマンス、それとも、自分を犠牲にして誰かを助けたりとか...かな。ダブルOOB期に加えて木星・海王星ウェイニングスクエアがともに力をふるう下で、世界に...もしかしたら身近な街の片隅で...そんなこころ温まるストーリーが生まれる可能性もあると思います。


venus



  ところで...もしこれを読んでくれてるひとの中で、愛憎こもごものカルミックな恋愛を経験中のひとがいたら。気持ちを切り替えて「しみじみと通い合う愛の関係」に変えていく機会があるかもしれません(そうでなければ離脱の機会かな)。それは自分自身の観点を変えることによってやって来ます。ひと言で言ってしまうなら「精神的な自立」が鍵です。毎回逢うたびに同じことの繰り返しになっていないか? 同じ望みをかけて、裏切られた気分になっていないか? 自分が相手に投影している「わたしの欲望」とは何なのか? もしその期待を全て捨てたとしたら...相手との間にはいったい何が残るのか? 日々刻々と変化していく自分と彼/彼女の内的な光景。そのどちらもを、自分は許すことが出来るのか? 

恋愛とは、意識していようと無意識のうちであろうと、互いに望むものを与え合う一種の共依存で成り立っています(望んでいるのが「幸福」とは限りません)。けれどいつもいつも、自分の最善の部分と相手の最善の部分が結び合っていられるわけではありません。誰の中にも「どうしようもない部分」が存在します。では、互いに相手と自分の「どうしようもない部分」から得ているものは何なのか? もしそれが怒りや涙だったとしても、それを受け入れている理由は? 

それを見定めるには少しの間、距離を置くことが必要になるかもしれません。寂しい? その寂しさはどこからくるんだろう? 生きものとしてのぬくもり、匂い、触感、聴覚、五感の記憶。それとも、ことば? ことばとともに感じられる、痛みを含めた特有の響き? 共感や激しい反応? それらはいったい...自分の何を満たしてくれるのだろう? もし、痛みや苦しさにさえ魅せられるなら、そうやって自分で自分を罰することの歓びはどこから来るのだろう?

自らの足で立ち続けることの喜びを、感じられるかどうか? 見つめ合わなくても、同じ方向を向いていなくても、まるで背中合わせで反対を向いていても。そのままで、許し合えるだろうか? 相手に特別なことを何も期待しなくなったとき、それでも自分は静かに満たされているだろうか? そしてそこから... 本当の意味で必要なときに、駆け引きなく手を差し伸べることが出来るだろうか?

これは無数に存在する人間関係に見られるひとつの謎を描写したにすぎません。恋愛だけに当てはまる問題でもないでしょう。それは、これから夏を通して星々がわたし達に囁きかける、人間関係への根本的な問いかけのひとつなのだと思います。


BlackHole



では、これからの惑星スケジュール、いってみます!

5月31日 火星が7月の日蝕の度数を通過
この夏に起きる出来事は2020年のプレリュード。日蝕の位置を通過する火星はそのまた予告編をチラリと見せてくれるかな? 身近なことから世界の出来事まで、よく観察してみると興味深いかも。

(6月2日追記)
5月31日、米国バージニア州の観光スポット、バージニアビーチの市庁舎で犠牲者12人を数える銃乱射事件が起きた。米国ではこの種の事件が今年に入ってもう150件を数えるそうで、これほどの犠牲者を出しながらあまり大きなニュースにはならなかったというのも人間の慣れを思うと怖さを感じる。容疑者の動機の詳細はまだわからないものの、以前は市の職員であり、恨みを抱いての犯行ではないかとされているそう。

参考までに事件のイベントチャート:

VirginiaShooting

(備考)
ASCに小惑星レクイエムがコンジャンクト。MCには月のNノード、ジュノー(胸に溜め込んだ想い)、キラルス(理由なき無辜の犠牲)がコンジャンクト、ICに月のSノード、土星、冥王星がコンジャンクトしてASCとレクイエムに対しTスクエアを形成。
 
OOBの蟹座火星が天秤座のパラス(公正さを求める闘い)にスクエア、魚座のネッソス(カルマの精算)とイカルス(無謀な行い)に対してトライン。全体にラーニングトライアングルを形成。

ASCとレクイエム、そして射手座の木星から牡牛座の金星にYOD形成。

太陽はエケクルス(善悪を問わず徹底的にやり抜く衝動)とコンジャンクト。これもネッソスとイカルスにスクエアを形成、パラスにトラインでラーニングトライアングル。

火星・ネッソスのミッドポイントに月が入ろうとしており、その月は乙女座のオルクス(厳しい審判、他罰的)にトライン。天王星はASCとレクイエムにクインデチレ、金星はASCとレクイエムにクインカンクスを形成しながらカイロンにはセミスクエア。

インシデンティア(動機やきっかけ)とフォルス(蓄積したエネルギーの噴出)がスクエア

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6月9日~10日 太陽が木星・海王星スクエアをトランスレート
メリマンコラムでも数回にわたって触れられた、木星・海王星ウェイニングスクエア要注意期の始まり!

6月13日 
アグニ(霊的な物事を含むあらゆる「火」の試練)・エリスが牡羊座24°台でコンジャンクト、そして山羊座の冥王星・蟹座のキラルス・牡羊座のエリスの長期Tスクエアをトランスレート
火星がインバウンドして水星のみOOBに(6月17日まで)
惑星がインバウンドになってもすぐに質が変わるわけではなく、余韻はしばらく続くので注意

冥王星・エリス・キラルスの長期Tスクエアはここ数年のテロ行為や大きな犠牲を出す暴力犯罪に関連してきたフォーメーション。なので今回のアグニの刺激が去った後も、テロや無差別殺人などの危険期は続く。けれどこの長期Tスクエアがより深い部分で示唆している物事は、時代の変わり目を生きるわたし達が意識的にも無意識のうちにも経験する一種の「アイデンティティ・クライシス」に関わるとも考えられる。

ポストモダンから情報テクノロジーの時代を生きていく途上で断片化してしまった「わたし」や「わたし達」、「街~集落」「国」「民族」「人種」...解体されて見えにくくなった境界線とはうらはらに、強固になってしまった透明な壁。その中でバラバラになった自分の断片を求め、根底から再編したいと願う深い部分からの根源的な叫びを映す遠い星々のハードアスペクト。...そんな潜在意識レベルのエネルギーを映すフォーメーションだけに、その顕れはひとによって本当に様々だと思う。自ら血を流すとともに無関係なひと達を傷つけるモンスターもいれば、人間なら誰でもが持つ矛盾に耐えられず、まるで泣き叫ぶ子供のように不和の種をまき散らすひともいる。

エリスは「不和の女神」だけど、いつも言うようにこの女神は「もともとそこに存在していた不和」を可視化する。『見て見ぬふりする聖人ズラは絶対に許さない!』とでもいうように。『あなたにも、わたしの中にも存在するあらゆる「悪」を徹底的に見よ...話はそれからだ!』とでもいうように。そこに比較的足の速い小惑星の火神アグニがやってくる。なのでこのTスクエアに触れるひとは、少なくともその「重さ」やヤケドするようなヒリヒリ感を感じる可能性はあると思う。もしそんなひとがいたら、その重さや人間という存在自体が抱える哀しみ/痛みを感じられることは、長い目で見てとても貴重な経験になるかもしれない。ひとが持つ視座は高みに昇るだけじゃ意味がない。それと同じだけ深くあることが必要だから。

6月14日~15日 
蟹座の火星・山羊座の土星18°台でオポジション
(火星・NノードVS土星・Sノードを海王星が調停)
射手座の木星と蟹座の火星がクインカンクス
射手座の木星と山羊座の土星がセミセクスタイル
双子座の金星と山羊座の冥王星がセスキスクエア
(エリス・キラルス・オルクスのイリテーショントライアングル)
6月16日 水星・Nノードが蟹座16°台でコンジャンクト
特にこのあたりから25日くらいまで、5月20日からの土星とSノードの長期コンジャンクションを背景として、火星が持つ衝動への抑圧や物事の遅延、見通しの悪さ、思い込みの強化が増幅される可能性がある。土星・冥王星・Sノードに対向するNノード、水星、火星、そしてキラルス(子供や若者、無辜のひとびとのいわれなき受難や死)が映し出す激しい怒りの衝動、攻撃性、過去の物事の露呈(または偽の糾弾)、過去に端を発するカルミックな出来事が浮上しやすい時期。苛立ちと暴力性、悪意の噂話、多くの争い事、または極端な気象変化、地震、噴火、豪雨や竜巻など自然災害の危険期でもある。

一方、同情や共感を呼ぶ出来事でひとびとが手を取り合う可能性もあるし、不寛容が支配する昨今の世界でも、寛大で思いやりにあふれた行動が見られるかもしれない。けれど月のノード軸に絡む土星、冥王星、火星の軋轢は厳しいため、そんな中にも実際はそう単純な出来事ではなく、一筋縄ではいかない裏が存在するケースも見られそう(表面化するかどうかは別としても)。

また巷の雰囲気としては、それぞれの内側に溜めた怒りを吐きだすためのパブリックな材料を求める心理が拡がるかもしれない。少しでも悪目立ちすればこぞって叩くような雰囲気が醸成されやすいし、そのためならフェイクニュースや怪しげなソースからの情報も気に掛けず拡散される。そんな傾向はこれまでにも見られたけれど、一層強まるかもしれない。残念ながら、マスメディアにも似たような懸念があるので、ふとした拍子に狐火のような怪しいウェーブに呑み込まれないだけの注意力は必要になるかもしれない。

それでも。中には本当にひっそりと新しい精神が芽生えてくる可能性も感じられる。もし自分のこころに何か新鮮でやわらかな芽吹きを感じたなら、今はそっと大切に扱って...。

6月16日 
日本では深夜~17日にかけて逆行の木星と海王星がスクエア
蟹座の水星・Nノード・火星とラーニングトライアングル
ひとつ前の注意点の他に、ちょっとした好奇心に負けていつのまにか自分を精神的にも物理的にもアンバランスな状態にもっていかないよう注意。クリエイティブなイマジネーションが拡がる時期でもある。けれど、それを活かすには余裕も大事。アイデアの火を絶やさず少しずつ確実に積み上げていく...くらいのつもりでちょうど良いかも。
       
6月17日 17:30 射手座25°53'で満月!

水星インバウンドでOOB期終了
ただし20日前後までは水星・火星ともに余韻の中にあり、太陽の赤緯も6月5日あたりから北限近くなるので注目。(もしかしたら新奇な発想や主張、世界観を一時的に表現(言語化)しやすくなるか、理解を得やすい雰囲気になる可能性も?)

6月18日 蟹座20°~21°台で水星・火星コンジャンクト
6月19日~23日 水星・火星が冥王星とオポジション
この期間も少し6月14日~16日の感じに似ている雰囲気。家族、グループ、社会集団内のマウンティング合戦や主張のぶつかり合いに注意。それは元々存在しながら見て見ぬふりをしてきた未解決の問題を浮上させるかもしれない。過去をふり返り、どこでボタンを掛け違ったかを見るチャンス。本来の物事や人間関係の自然な在り方をみつめ、あらゆる不自然さからは出来るかぎり距離を置くほうが良さそう。中に居続けるなら自他ともに徹底した「整理」と「掃除」が必要になるかもしれない。

また一方で、深く感動するような物語に触れたり、憧れの気持ちを何かに投影することでこころが慰められたり、いろいろと深い想いを喚起される状況も考えられる。それを自分が抱えた哀しみや痛みから立ち上がるきっかけとして使えるひとがいると思う。それは、これから先を生きていくための新たなヒントになるかもしれない。

6月21日 深夜、海王星が魚座18°43'から逆行開始
惑星が逆行または順行を開始する前後はその力が強調される。

イマジネーションの羽ばたき。夢見の力。優しさ、思いやりや共感。
または逃避願望、責任回避、誤魔化し、裏切り行為、見て見ぬふりに注意。木星・海王星ウェイニングスクエアがはらむ希望も危険も、ともに増幅される。相手にも自分にも期待し過ぎたり、反対に侮って低く見積もったりしないよう注意。完全な正確さは求めにくい時期なので、後で十分に修正が利くような心づもりを。話されたことば、書かれたことばに関しては「行間を慎重に読む」必要がありそう。

またこのところ全般に自分を律することが難しい時期が続くので、アルコールや薬物、ネット閲覧その他の逃避行為への耽溺と中毒にも要注意期。もしかして?と感じたら早めに手を打つ必要あり。

6月22日 0:54 夏至!
太陽が蟹座入りしてフォルス(堆積してきた物事の突然の噴出)とオポジション
なかなかに強烈な夏になりそう...。社会的には象徴的な死のイメージが見え隠れする季節になるかもしれない。一方では行き詰まった社会観念を一新するような世界観が生まれてくる可能性も。それが目に見えるようになるまでには時間を要するとしても、そしてもしかしたら、当面は限られたひと達だけに共有されるとしても。この夏は様々に生起する社会的な幻影の大波小波に惑わされず、常に自身の足許をしっかり確かめながら行きたい感じ。

6月23日 
蟹座の火星がキラルスと24°台でコンジャンクト、牡羊座のエリスとスクエア
天王星・ヴェスタ・アグニがコンジャンクト(牡牛座5°台)
時代背景としてテロや大量殺戮の増加を示唆してきた冥王星、キラルス(特に若者や子供の犠牲を暗示するケースが多い)、エリスの長期Tスクエアの近隣に土星と月のノード軸が在泊し、この前後で火星(と水星)が絡む。そして同時に「火」を象徴するアグニとヴェスタが天王星とコンジャンクト。この近辺はまたしても要注意期になりそう。

ヴェスタとアグニは両方ともこころと体に燃える「火」に関連する小惑星。ヴェスタは自分がどんな生き方に「献身」するのか、その究極を問うところがあるし、二面二臂の火神アグニはひとにより様々な「火の試練」をもたらす。それは霊的な側面かもしれないし、自分の中の「悪」との闘争かもしれない。つまり、自分の体内に燃える「いのちの火」をどう扱い、どう表現するのか?という問いかけかな..。だからアグニは火がもたらす自然現象とともに、犯罪チャートにもよく顔を出す。もちろん、場合によっては現実的な「燃えやすさ」に顕れるケースも。今回は天王星が関わるので、火災や爆発など火に関連する事故にも注意。度数を加味してイメージを拡げるなら、喉が締まるような苦痛や熱を帯びてヒリヒリするケースがあるかも。

内的な意味としては... 今まで生きてきた時間が短かろうと、または十分に長かろうと、その重さは同じ。そして自分の体に備わった真実は自分だけのもの。砂時計は今も落ち続ける。胎内宇宙に燃える火を体で感じたら、生きている間その火は絶えることなく燃え続けること、燃やし続けることを再確認しておきたいとき。この日は幸福感も嬉しさも、痛みや辛さも、まったくの等価。「向こう側」に行きたいという欲望は単なる幻影かもしれない。何故なら全部「ここ」にある。全てが自分を生かす火の燃料として使えることを知っておこう。自分の火を正しく矯めることが出来るのは自分だけ。それが本当の架け橋となる。

6月24日 
魚座のオキロエと山羊座のフォルスから獅子座のジュノーへYOD
この前後は全体にかなり神経質な配置が続く。直観は冴えるかもしれない。
深層心理の促しから、怖れて言えなかったことをついに口にする機会が訪れる可能性があるけれど、返ってくる反応は予想より大きいかも。踏み込むチャンスとして使うなら自覚と決意をもって。

6月25日 
天秤座のインシデンティアが牡羊座のカイロンと5°台でオポジション
このあたりで怖れや痛みに直面するならそれはたぶん、今絶対に必要なこと。たとえ今すぐ深い原因を掴めなくても、それを受けとめ、体験することは無駄にはならない。自己憐憫を誘うエネルギーも来そうだけど、そこに嵌まると力を失う。自分の視野をぐいと拡げ、柔らかくほぐしてみる。他のひとと何が違うのか? あまりにも偏った見方をしていないか? 頭やこころが固くなってはいないか? バランスを崩していないか? そしてそれを他者や外の世界に投影してはいないか? などを見直してみるのもひとつの筋道。行き止まりの先には何かがありそう。

6月23日~26日
双子座の金星が射手座の木星にオポジション、魚座の海王星にスクエア、山羊座の土星にクインカンクス
政治・社会・経済面でも日々の心理面でも、最善か最悪か? 思いやり精神か虚偽と悪意か?など、性善説VS性悪説の闘い的な現象が目に見えて顕れやすいフォーメーション。心静かに過ごすには「純粋で素直な感動」と「表に出る事柄にはすべて裏がある」というくらいの慎重な精神との共存/両立が必要かも。自分自身を含め、この矛盾した世界を創り上げている人間という存在に、生きるということそのものに今「YES」と言えるかどうか?

6月27日 水星が獅子座入り
これから月末前後まで、今までの直観と気付きによって得られた視点と自分の内面をことばに託し、真摯に伝えるチャンス(どうしても伝える必要があるならば)。一方でうかつなお喋りは「伝言ゲーム」的な状況に陥りがちなので気をつけよう。この時期にもし気になる夢を見たら、または何かに強い抵抗を感じたら、それはこの人生だけでなく輪廻を通して関わってきた物事に関連しているかも?

6月28日 蟹座の太陽と牡羊座のカイロンが5°台でスクエア
ショックなことが起きたり、どこからともなく湧いてくる一時的な哀しみや重さを感じたら、それはまだことばにならない微かな予感のせいかもしれない。けれど、それはすでに自分が乗り越えようと設定したものとしてやって来るので、心配しないで。内的な力が蓄えられるとき。焦らずに、目の前の流れをよく見て。駆け引きに惑わされないで。

そして...
★7月3日 04:16 蟹座10°37'で皆既日蝕の新月!


TheHelixNebula_ESO




★6月新月のサビアン・シンボル★


新月のベースとなるシンボル:
双子座12°『生意気なほど断固とした主張をする黒人奴隷の少女』

 
  覚えているひともいるかな。わたし達は約1年半前の満月時にこの度数をメイン・シンボルとして一度経験しています。なので今回は割愛しようかな...とも思ったけれど。でも読み返してみると、同じテーマをここへ来て再び吟味してみることには大きな意味があるかもしれないと感じました。なので、ほとんど同じだけど、再掲しておきますね。


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   原文の "topsy" は、1852年に出版されたストウ夫人の有名な小説 『アンクル・トムの小屋』 に出てくる黒人少女の名前から来ています。 この物語は、どんなに虐げられてもひたすら自分の良心に従って生きた "トム" という黒人奴隷を中心に描いた長編小説でした。またこの小説は、当時の米国で交わされていた奴隷解放論議を激しく燃え上がらせ、あの南北戦争への引き金となったとも言われています。 宗教的理想と良心的な生き方を問う「ことばの力」は、当時多くのひとびとのこころを深く動かしたのだと思います(当然ながら、そんな影響力に脅かされた奴隷制度維持派のひと達からは猛烈な批判を受けたそうですが...)。 

  この物語に出てくるキャラクターのひとり 「トプシー」は、幼いときから虐待を受けてきたこころの傷と根強い不信感を抱えています。彼女は嘘をついたり物を盗ったり、主人の側からは非常に反抗的と見られるような少女でした。 『お前は元々どこの生まれだ?』 と聞かれ、『わたしはどこの者でもありません。ひとりで大きくなったんです!』 と答えたトプシー。 当時の米国内の雰囲気や、白人雇い主と黒人奴隷の立場の違いは現代日本の片隅に住むわたしの想像を超えているけれど、きっと彼女を "買った" 主人はその返答に 『なんて生意気な!奴隷の分際で…』 と目を剥いて怒り狂ったことでしょう。 おそらく当時はそんな感覚がごく一般的な米国白人社会の反応として存在したのだと思うし、それを今現在の観点を通して裁いたりは出来ないと思います。何故なら、わたし達が今抱いている「正しさ」という観念もまた、時代の "奴隷" かもしれないのだから。 


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       このトプシーの言動は、下手をすると命に関わる挑戦にも見えます。けれど主人公であるアンクル・トムのような、信念に裏付けられた行動ではなかったようです。英語で "topsy-turvy" と言えば「滅茶苦茶になること」「上下逆さまなこと」「大混乱状態」を意味します。このことばの語源ははるか中世まで遡り、"terv"という単語に行き着きます。"terv" は「落ちる」「投げ捨てられる」「打ち倒される」などの意味を持っていました。ということは...トップ、つまり頂上から谷底に落っこちて滅茶苦茶になる…そんなニュアンスがあるのかもしれません。 彼女の名前「トプシー」は頂上を思い起こさせます。胸を傲然と張って『わたしの中ではわたしがトップよ!』と態度で示す少女。けれどそのハートは、どれほど痛みを感じていたことでしょう。トプシーの傷付いたこころは物語の中では救われています。とはいえ、幼い頃から奴隷として虐待されてきた彼女を単に「自分を主張する勇気ある少女」と見てしまうなら、それは今の時代を生きるわたし達の浅さかもしれません。彼女の中には感情的に溜まりに溜まった澱、怒りの瘡蓋のようなものが堆積していたはずです。

        こうしてその昔、一世を風靡した物語 『アンクル・トムの小屋』 ですが、1960年代の米国で公民権運動が起きてからというもの、ブラック・アメリカンにとっての 「アンクル・トム」 という名は、奴隷解放の象徴から「白人に媚びを売る卑屈な黒人」を表す侮蔑のことばとなってしまったそうです。何故なら、トムは立ち上がらなかったから。こぶしを挙げて闘わなかったから。白人達に従順なまま、悲惨に殺されていったから…。


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        米国で公民権法が成立し、法的な人種差別が終わった1960年代半ばは、天王星・冥王星コンジャンクションの時代でした。 そして今、天王星・冥王星スクエアが終わり、そのエネルギーが現実となって孵化する時期が始まり、世界は目に見えて緊迫感を増しています。2017年8月の日蝕がダイレクトにネイタルチャートに触れたのは、メリマン・コラムでも再三指摘されてきた米国とトランプ大統領でした。けれど、それほど強烈ではないにしても、他もに北朝鮮、ドイツ、そして日本(月のサウスノード)の始原図が影響を受けています。『アンクル・トム』 の物語が内包していた問題 ― 人種差別と構造的格差、白か黒かという一神教的善悪二元論 ― はとても根深く、今後「差別」という命題は人種だけでなく、国籍、民族、性別、貧富や階層、風貌などあらゆる問題を内包しながら世界中を "topsy-turvy" にするほどの潜在力を秘めています。そこには長い時を経てひととひと、集合体と集合体が相互に醸成してきた強い不信感が存在しているように見えます。そして社会にこれほど根強い不信感が存在するとき、対立する者達の間に建設的な対話が生まれることはほとんど不可能です。「敵」や「悪」と見なした相手を誹謗しながら差別反対を叫ぶ人々が力を握ったとして、それで平和な世界は訪れるでしょうか? 

そしてもちろん、わたし達個人と個人の間にも同じことが言えます。トプシーは全ての力を握った雇い主に対して傲然と自分の言い分を貫きます。不信と不信のぶつかりあい。正しさと正しさの闘争。傷付いたこころと、脅かされたこころのせめぎ合い。そこには常に、暴力の種子が存在します。それでも、わたし達人間にはときに闘わなくてはならない場面があります。もし、自分が何か護るべきものを持っているのなら...。


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  このシンボルを理解するにあたっては、互いに補完しあう対向度数、射手座12°を見てみると良いかもしれません。そのシンボルは『高らかに鳴く鷲に姿を変える旗』です。「旗」 は国家、組織、またはグループの存在や理念を示す静的な象徴。また、暗黙の内に何かを誰かに伝えるためにも使われます。それが生命を得て高らかに鳴く鷲に変わるということは、無言のシンボリックな主張が、能動的な宣言、または大声の自己主張に変わるということです。 鷲はプライド、捕食者、強さの象徴。また米国を象徴する鳥でもあることから、このシンボルは米国旗が生命を吹き込まれて白頭鷲に変化し、誇り高く、あるいは尊大さを示しつつ声をあげるというイメージなのかもしれません。発することばには力がこもり、コミュニケーションは影響力を持ち始めます。そこには「光」と「影」の両方が宿っています。

       鷲が高々と声をあげて鳴く…"an eagle crows"。 この "crow" には「自慢する」「得意になる」「勝ち誇る」「大言壮語する」…なんて意味もあります。わたし達が鷲のように高らかな声を上げるとき、それはもしかしたら、単に興奮に満ちた無邪気な自慢かもしれません。あるいは強い立場に立った上でのゴリ押しの要求かもしれません。または高邁な理想や素晴らしい救済計画のアジテーションかもしれないし、もしかしたらすでに傷だらけのこころを隠し、傲然とふるまっているだけかもしれません。けれどその姿には 「我が想いこそが世界の全て」 なんて、一種の万能感さえ漂って見える可能性があります。そしてそんな自分を見つめている誰かの不信に満ちた眼差し。堂々たる鷲の姿に隠された柔らかいこころは、それに気付いているでしょうか?

      誰かが、何かが声をあげれば、必ずそれに対する反応(または反動)が返ってくる。 … でもそんなテーマだとすれば、もし自分にとって受け入れがたい物事を尊大な誰かから提示されたとき、いったいどう対処すればいいんだろう? 


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        鷲は強靱な猛禽類です。誇り高い王者の風格があります。でも、けっして不死身ではありません。不動の旗は、象徴としてのゆるぎない永遠性を持っていました。でも、鷲になった旗は生身の生き物になりました。彼は強力な能動性とともに、だからこその弱さもまた持つようになります。彼は傷付き、血を流す経験を手に入れることになります。

何かを選択し、何かを自分のものにしようとするとき、それに向かって手を伸ばし、それは自分の道だと宣言しなければならない局面が人生にはあります。たとえこれまで平穏だった環境を乱すようなことになったとしても。そのせいであちこちから矢が飛んできたとしても。
 

  双子座・射手座軸の第2ディーカンに入るこのあたりの度数には、経験の中で得る知識をもとに常に黒白を分けながら選択し、周囲を波立たせ、それによって思考を活性化していくような動きが出てきます。活性化した思考は雄弁にドラマを語り、やがてそのドラマは周囲のこころを巻き込み拡がっていくでしょう。わたし達はその雄弁さを「傷付きやすい自分」という現実を見据えた上で、フレキシブルな武器として使えるでしょうか? それともわたし達は、ど真ん中に在り続けてきた問題を覆い隠す果てしないドラマへの逃走を始めるでしょうか?


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      もし周囲との間に不信感が横たわっているとしたら、それを一朝一夕に変えていくのは難しいでしょう。けれど、このエネルギーはたとえ一時期バランスを崩したとしても、結局は進むべき道を進んでいくのだとわたし達に告げています。わたし達がトプシーだったとしても、鷲だったとしても、いえ、鷲に狙われる小動物であったとしても。あくまで自分がこれと信じた道を行け、とばかりに促してきます。おそらく他に道はない。もし、生きていく意志があるのなら...と。


そして....
新月のメイン・シンボル:
双子座13°『ピアノを弾く偉大な音楽家』


  一つ前のシンボルで、わたし達のマインドは高らかに「自分が自分であること」を追求します。そしてわたし達が発したことば、声、音は周囲にこだまして様々な反響を呼び起こしていきます。

そういえば、最近は英語圏のニュース解説などで "echo chamber"という言い方をよく耳にします。「エコーチャンバー」とは反響室のこと。これは自分の周りに同じ意見のひとしかいない状態、またはSNSなどで意見の異なるひとびとをブロックし、心地よい同意の声がいつまでもこだまする、一種の幻想的なバブル環境を創りあげることを指すようです。つまり、自分が創造主であるドラマの中で生きている状態でしょうか。

ドラマといえば、『ピアノを弾く偉大な音楽家』もまた、情感を盛り上げる才能とその鍛え上げられたテクニックによって、聴衆を壮大なドラマに引き込んでいくことが出来る、マスター級のプロフェッショナル。 ステージの上でひとりスポットライトを浴び、静かに座ってひと呼吸。そして... そっと鍵盤の上に指を置く張りつめたその姿...。その瞬間、大勢のひとびとが期待をこめ、息を呑んでこの偉大な音楽家を見つめます。


piano


  さぁ、彼が奏でようとしているのはクラシックの名曲でしょうか? サビアン・シンボルが降ろされた時代にコンサートで演奏されるピアノ曲なら、きっとそうだったかもしれません。いくつもの時代の波に洗われながら、なおもひとびとに愛されてやまないピアノ曲。それをこの偉大な音楽家は、期待を超える素晴らしい音色で見事なドラマに仕立て上げようとしています。過去の様々な闘いを生き抜いた英雄達の勇壮な物語。いにしえの哀しくも美しい愛の物語。いえ、もしかしたら巡る季節の中でひとり思索する繊細な心象を綴った曲でしょうか。いずれにしても、彼の全身から、彼の鞭のような指先から、過去に創造されたその曲の世界が魂を吹き込まれて活き活きと蘇ります。そしてその音色はひとびとのこころに反響し、それぞれの宇宙の中でそれぞれの人生体験 — 過去の思い出を呼び覚ますかもしれません。もしその中に音楽家を目指す若者がいたなら、その類い稀な音色は彼ら自身の未来像となってひとときの夢を見させてくれるかもしれません。

ここには、過去に創られた名曲から多くのひとびとに共通する「想いのエッセンス」をすくい取り、その瞬間の自分の全存在を類い稀なフィルターに替えて会場全体をエコーチャンバーに替え、コンサートホールに集まった多くのひと達を音のドラマに酔わせる名手の姿が描かれています。彼がそこに至るまでには、生まれついての才能とともに、激しい練習の日々があったかもしれません。あるいは、その天性の才能とはひとびとの間に渦巻く情念を素早く感じ取り、それをドラマティックに操る類い稀な技術にあるのかもしれません。けれど、もしステージを降りた人間としての彼が名声に溺れ、傲慢な気持ちを抱いていたとしたら? 弟子には威張り散らし、まるで奴隷のように扱い、彼らの将来を考えもせずに日々決まりきったスケール練習をさせて小言ばかり言っていたとしたら? 

  偉大な音楽家が偉大な人格者である必要はありません。音楽家の仕事は素晴らしい曲を創り、見事な演奏で大衆をひととき酔わせること。高価なチケットを買い、それに見合う(または上回る)体験への期待を込めて集まったひとびとは、そのひとときを、それぞれが抱く異なる夢のエコーチャンバーの中で過ごすことを望んでいるのだから。


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  ではここで、このシンボルを補完する対向の射手座13°『未亡人の過去が白日の下に曝される』をちょっと覗いてみましょう。ここでもやはり「過去」がキーワードになっています。夫を喪ったひとの驚くべき過去。これもまた、ひとつのドラマです。それは同情の涙を誘う哀しい物語かもしれません。あるいは驚くべき冒険と陰謀のドラマかもしれません。それが映画や舞台であれば、BGMはピアニッシモから突然衝撃的なフォルテッシモに変わり、思わぬ展開に観客はみな息を呑むのかもしれません。

『あのひとにそんな過去があったなんて!』『きっと哀しみと苦しみを乗り越えてきたんだね...』『あぁ、普通の女性とはどことなく違うと思ってたけど、なんて強く素晴らしいひとなんだろう!』あるいはもしかしたら...『気の毒な女だと思ってたのに、なんだよ〜ひどい悪女じゃないか!』または『いや、そう言われてみれば彼女、なんとなく妖しい魅力があるよなぁ』etc., etc....

  明るみに出たひとりの女性の過去。やがてそのドラマはひとびとの間で一人歩きし始めます。そしてそれぞれの過去から引き出された人生観に投影され、様々な感情が生み出されます。衝撃のドラマによって引き起こされた情念。それはきっと、ひとびとの内面で多様な音色を奏で、反響し、増幅していくことでしょう。けれど、主人公であるひとりの寡婦が歩んだ人生の真実は... それを本当に知る者は... 誰ひとりとしていないのかもしれません。

何故なら彼女の物語は、ひとそれぞれの過去が鏡に映ったドラマに過ぎないのだから。ステージの上で観客の耳目を一身に集める音楽家は黒いスーツを身につけ、謎の過去を秘めた未亡人は黒衣をまとっています。全てを呑み込む闇の色に隠された彼らの生の真実は、きっと誰にも見えはしません。ただ美しい音色と物語が紡ぎ上げる、幾多の夢想の泡が生まれては消えていくだけ...。


woman


  わたし達は日々、いろいろなドラマに曝されています。聞いたり見たり、または読むことによって。またときには自分自身の体験を語ることによって。小さなドラマ。ほっとするようなぬくもりや優しさ。ときに腹立たしい光景や悲惨な物語。そして「衝撃の事実」や驚きの噂話。それぞれのフィルターを通して表現された大小の物語は、その都度一定の範囲に、あるいは思いも寄らないほど広大なスケールで拡がり、反響が返ってきます。これはわたし達が生きる社会、わたし達のマインドと感情が動かしていく世界の一側面です。

双子座の中間部にさしかかり、ここでわたし達はこれまでの人生で知り得た知識と体験を問われ、それを通して揺れ動く感情のドラマをどう扱うつもりか?と問いかけられているのかもしれません。人間と人間が創り上げ、響き合い、増幅しあう多様な想いのうねり。ひとの数だけ存在する過去と過去とがぶつかり合い、その葛藤から生まれるドラマティックなエネルギー。それを巧みな技で操縦することの出来るひともいれば、その技に酔いしれ、それを明日への糧にするひともいる。打ちのめされ、生きることさえ投げだそうとするひともいれば、傲然と自分を主張し、殴られたら殴り返すひともいる。


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  そんな世界に在って、日々のドラマを楽しむ「わたし」がいる。ときにはドラマの主人公になってキラキラと輝きたい「わたし」もいる。コンサート会場でスポットライトを浴びる偉大なピアニストのように。ひとびとの関心を集め、その反応を楽しみ、自分というドラマの価値を味わってみたい「わたし」がいる。 

けれど今の自分は「真のわたし」の居場所を知っているだろうか? 全てのドラマを、マインドの遊びを廃し、ひとり在る場所から眺めた世界の真の光景を、わたしは見たことがあるのだろうか? 


  今の時期は、ちょうどニーチェによる過去からの警句のように『怪物と闘う者はやがて怪物となり、深淵を覗く者を深淵がじっと覗きこむ』ときかもしれません。


  そんな中で迎える6月の新月。そして満月。ちなみに満月のシンボルはベースが射手座25°『木馬で遊ぶぽっちゃりした男の子』、そしてメインのシンボルが射手座26°『旗手』です。サビアン・シンボルが降ろされた1925年、ここは巨大な力の源「銀河中心」が存在する度数でした。新月のテーマと挑戦 — その問いかけを受けて、もしかしたらわたし達は、6月の満月で自分自身の「旗」を掲げるのかもしれません。さぁ、それはどんな旗だろう? どんな「徴」が刻まれているだろう? 2019年初夏。みんなそれぞれの内的宇宙に、力強く繊細な「徴」がはためいているといいな。それは揺らめく感情のドラマではなく、きっと本物の「わたし」や「あなた」だから...。



eso1625a





have a great trek!!!★

hiyoka(^_^



6月の1ヶ月分をまとめてとはいえ、気付いたらずいぶん長くなってしまいました。うーん、やっぱりダブルOOBの影響を受けて、やりすぎ・喋りすぎコースに入ってるのかもしれません..😅


hiyoka_blue at 20:58|PermalinkComments(0)

May 08, 2019

🌑5/5の新月―みんなに降り注ぐエネルギー(フツウの戦士サンたちへ♪)

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    新月は前回からの課題を経て、次の新月までの約1ヶ月をかけて取り組む新しいテーマが開示される時。 そしてこれは生まれた星座に関係なく、地球に生きるわたし達みんなに平等に降り注ぐエネルギーです。わたし達はこのエネルギーを使って日々、自分なりに考え行動していきます。その現れはひとの数だけ様々ですが、やがてはお互いに影響しあいながら、社会・国・世界の潮流を作っていきます。これは言い換えると、わたし達を取り囲む「空間の雰囲気」です。星読みの世界から見れば、誰もがその中で生き、そのテーマに呼応して・・(素直になったり、反抗したり、無視したりしながら・・)自分なりの人生を創造していると言えます。 その意味でも、刻々と変容していく惑星エネルギーの流れをおおまかに知っておくことは、きっと何かの役に立つのではないでしょうか。
    例えば... シンボルの光景やキーワードを覚えておくだけでも、何かに迷った時の指針になるはず。ではでは今月も行ってみます!(^_-)
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★新月タイムスケジュール★
願い事やアファメーション、ヒーリング・メディテーションなどしたい方は、もし可能ならこの時間帯に合わせてみてください。エネルギーの高まりを感じとれると思います。(^_^)

もう過ぎちゃったけど、一応。。😅

【地方平均太陽時:ソーラータイム(LMT) 】
東京・関東ローカルで  5月5日08:04前後、北海道周辺で 08:10前後、関西方面(日本標準時ならこの時間)は07:45頃、沖縄周辺では07:16前後に牡牛座 14°10’ で新月となります。

前回の新月のテーマについてはココ、満月についてはココをご覧ください。

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サビアン・シンボルによる【 新月がもたらすテーマと挑戦 】
*ここではデーン・ルージャー(ルディアー)版やマーク・エドモンド・ジョーンズ版の解釈ではなく、透視家エルシィ・ウィーラーの伝えた象徴の言葉をそのまま書き写した「オリジナル版サビアン・シンボル」を使ったブレイン・ボヴィの解釈を参考にし、アスペクトを加味して読んでいます。
*テーマはひとつの意識の流れを表したものです。この流れは順不同に現れたり循環したり、ひとつだけ突出して感じられる場合もあります。また、解釈の内容はその時々のアスペクトを意識しながら抽出しています。


【月・太陽 ♉️牡牛座14°~15°― 発効期:5/5~6/2 】
🌑🌞"Shellfish grouping and children playing"
   『砂に潜ろうとする貝と遊ぶ子供達』
            ↓
🌑🌞"A man muffled up, with a rakish silk hat"
   『厚着して粋なシルクハットを被った男』

【テーマがもたらす雰囲気と挑戦(順不同)】
ひとによっては数日前から前倒しで感じられると思います。
また今回は新月と満月共通のキーワードを抽出してみました。

→★この世界でたったひとつの自分だけの道を拓こうとする
→★自らの "異質な傾向" を受け入れ、それを孵化させ核として生きる
→★潮目が変わるまで他者の視線や逆風に惑わず耐える
→★仮面や仮装をそれと知った上で身に付け時が至るまで身を護る
→★くぐもった声、つぶやくようなことばの響きに耳を傾ける
→★移行期にあって既存の社会的認識から惹起される感情から距離を置く
→★崩れゆくもの、生まれ出ようとするものを識別していく必要
→★自分にとっての真実とは何かを見極めそれに沿った生き方を模索する
→★他者の奏でるメロディに合わせて踊り歌う必要を受け入れる
→★無数に存在する現実を見ず型にはまったイメージを通して
   物事や他者を判断する危険
→★言いたくても言えない真実を抱いて微笑を浮かべる
→★深く切望しながらもまだ判然としない未知の領域に向かう
→★過去の様々な感情が一気に押し寄せてこころが洗われる経験
→★自分自身の場所に在り続けること、
   またははるか遠くに羽ばたくことを可能にするマジカルな力
→★ふとした触れあいから自然に生まれる感謝の気持ちを力として歩み続ける
→★時が至り隠され続けてきた過去の物語が突然表面に浮上してくる
→★激しい憧憬と強い不安を同時に抱きながらとにかく踏み出す
→★偽物/嘘の孤独感とそれによってもたらされる自己憐憫に注意
→★自己の資質によって自然に行くべき道に
   引き寄せられていくことへの信頼・・・→

★エネルギーのポイント:
 前回の新月『たぐり寄せ、見つめ、枝を切る』
             
 今回の新月あらゆる"音"の中に自分のビートを聴きとる
                   
            
 5月の新月図と満月図
190505NM190519FM













★5月新月の星模様とチャレンジ ★

— ざっと見て気になった日付けのみ —
双子座の火星がアウト・オブ・バウンズ(OOB/~6月13日)で
 射手座の木星とオポジション、冥王星にクインカンクス、エリスにセクスタイル

OOB自体はポジ・ネガ両面を持ち、火星なら長く躊躇していた新しい行動を起こす勇気や自由な生き方を求めて踏み出す、自分の意見を明確に打ち出すなどのきっかけになり得る。運動やエクササイズを始めるにも良いかも。ただし木星とのオポジションは現在木星自体の赤緯がOOBに近いので相乗効果で過剰な傾向に陥りやすい。冥王星・エリスとのアスペクトも原動力になり得る。

型破りな思考と行動力または自己主張、衝動的行動、競争心、煽動、攻撃性など。(たとえば火星は数日前からトランプ大統領の10室太陽の上を通っているので、これも突然の報復的な対中関税引き上げ表明に結び付いた可能性はあると思う)

(やり過ぎ・行き過ぎ・言い過ぎに注意)
(6月5日あたりから太陽の赤緯がOOBに近くなるので
 型破りの思考が理解を得やすい雰囲気になってくるかどうか注目)
 ただし月末からの水星とのダブルOOBに注意

ノード軸注意。Sノード(過去または噴出口)に土星、そして冥王星がコンジャンクト、Nノード(未来または吸入口)にキラルスがコンジャンクト中。エリスがTスクエア。レクイエムを入れるとGスクエア

MC周りの海王星とアグニ、ネッソス(カルミックな清算)に双子座のグリーヴとアスボルス(限りある命を想う)、セレス、オルクスが緩いGスクエア
海王星とアスボルスのスクエアに対しミッドポイントに天王星

(引き続き全般に事故、事件、災害とそれに起因する変化が起きやすい)
(体調注意。遠い空の虹を描くより足下の小さな炎のぬくもりが大切)
アルチラ・MCとネッソス、カーマとセレスとヒプノスでGスクエア
(過去のカルマや解決していない強い感情に関わる夢、または夢見から得る突飛なアイデア、無意識の情念に動かされる、忘れられた者達の声、やらなければ!という気持ちと裏腹に眠りこけてしまいたいという願望との葛藤など)
アグニがMC(と海王星)にコンジャンクト 
メメント・モリ→目覚めを促す火の力。弱いところを痛いほど突かれる、いい加減なこころを試される経験、場の空気を読まない衝動的言動が危機に繋がる可能性など
5月5日~8日前後 
新月図グランドスクエア最盛期
5月7日 
海王星にアグニがコンジャンクト
5月15日〜16日 
インシデンティアが順行 天秤座1°台
火星が蟹座に入居
太陽・ルシファーがコンジャンクト
(この前後は政治・経済・社会的な動きにも注意)

13日〜23日くらいは火星OOB最盛期
5月18日〜19日
金星・天王星がコンジャンクト 牡牛座3°台
(インスピレーション、見果てぬ夢、宝探し、突然の恋〜実質が伴うかどうかは別。誠実さが試される。足下の青い鳥)
火星・インシデンティア・フォルスがTスクエア
(数日前~5月23日ごろまで影響。事故・事件注意)
水星・ルシファーがコンジャンクト
(クリエイティブな発想や表現、またはデカダンスへの耽溺、弱みを突かれる体験など)

5月19日06:11 蠍座27°38で満月!
新月から引き続き火星OOB、水星とのダブルOOB、そして土星や冥王星、ノード軸との絡みがあるので事故、自然災害やテロ行為、暴力的犯罪にも警戒を要する時期は続くと思う。素晴らしいアイデアが湧く可能性もあるし、「口は禍のもと」を経験するひともいるかもしれない...。周囲を鏡として自分自身の中身をしっかり見ておきたい時期

5月20日 
土星とSノードが正確なコンジャンクト
(土星が逆行なのでこのコンジャンクトは9月18日まで続く) 
5月21日
水星が外合 双子座0°台
セレス・オルクスがスクエア、エリスにクァドリフォーム(名も無き人生への満足感または不満、独立心、アイデンティティに関わるプライドまたは怒り。報復感情には注意)
5月27日 
水星がOOB入りで火星と共にダブルOOB(~6月17日)
水星OOB→新機軸の発想やビジネス、創造力、インスピレーション、書く力、話す力、独自のコミュニケーション能力。または奇妙にねじれた思考、リアリティのない観念、妄想、曲解、脅迫観念、激しすぎる思い込みなど
5月31日 
Nノードとジュノー、Sノードと土星の軸を金星が調停、レクイエムがTスクエア
インシデンティアとフォルスがスクエア
パラスがアグニとオポジション

6月3日19:02 双子座12°33'で新月!


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  日本は令和元年を迎え、お祝いムードの中で新しい時代が始まったばかり。先週の初めと今は時間的には地続きだけど、ここ日本では目で見ることの出来ないひとつの岐路が拓け、少しずつそこに気が流れ始めたようにも思えます。10日間の特別な連休。その間、日々起きる現実という名の物理的事象とは異なる層で、ここに棲む多くのひとびとのこころの内に微妙に精妙に張り巡らされていった新時代という名の薄膜。それが何を意味するのかはまだわからないけど、おそらく今後ますます一種の狂気をはらんでくる(渦中にあるときはそうは思わないとしても)だろう世界とその荒々しいこころ模様の浸蝕を少しでも緩和出来る緩衝壁になればいいな、と思います...。いずれにしても、日本という限られた領域で生まれた新しい時代のいのちはもう少しときが経ったところで孵化してくるかもしれません。その種子はわたし達それぞれのこころに宿っているのだから。


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  そんなこんなで迎えた瑞々しい新緑の季節。でも、連休が明けて次々と飛び込んでくる事故や事件のニュース、荒れる株式市場の様子にお休み気分も吹き飛んで厳しい現実に立ち戻らされたひとも多いのではないでしょうか。5月5日の新月図を見ても依然として厳しいアスペクトが続いているし、提示されたテーマも「新しい季節はもう始まってるよ!いい加減そろそろ切り替えようよ...」とでも言っているよう。けれどそれは同時に、今まで知らなかった新しい世界観(つまり自分自身をどう見て、その視線を外界に向けてどう使うか)に気付いたり、自分という存在の位相を全く変えるような機会が今後次々と訪れるかもしれないという、ひとによっては絶好の季節到来となるかもしれません。

たとえば... 筋張らず、しなやかに。ときには毒を吐いてもいいけど、それなら他者の毒も透過させて。闘わない。でもきっと火の粉は降ってくる。それは自らの手で、はらう。思いっきり、容赦なく。底が浅くて底意地悪い世界では透明な魚になる。溜まった想いは体中の穴という穴から透明な泡になって消えていく。だってみんな行き着くところまで行こうと決めているのだから。打って笑い、打たれて笑う。笑えないなら、しない。あはは。...なんて。


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  確かもう大分前にどこかに書いたけれど、上記は「ニンピニン」への道の一例です。人非人と言うとまるで凶悪なサイコパスみたいだけど。ここでの「ヒトニシテヒトニアラズ」って、 実はわたし達のあらゆる精神状態を映してホロスコープを真っ黒に埋め尽くす無数の星々と、それによって堅固に構築されたシステマチックな「人間という鋳型」から離脱していこうとする行程のことなんです。しかも、生きる上で必要となる一定の社会性を保ち、様々な体験を受け止めながら...。肉体という固着力の権化を維持しながらこんなこと考えるなんて、たぶん無謀ともいえる試みだと思います。反面それは、肉体を持つからこその「冒険」かもしれません。そしてその道程では、徐々に今までとはまったく違う景色が見えてきます。ひとそれぞれの、異質な光景が。ただ、その道を行くには大小の星々がわたし達の何を映し、無数のサイクリックなリズムを通じて何処へ誘っているかを知らないと始まらない。...わたしのアストロロジーの学びはそんなところから始まりました。

けれど、これはたったひとつの例に過ぎません。ひとにはそれぞれの道があるし、この世界にたったひとつの正道などありはしません。たとえばエンターテインメントとして星占いを楽しむのもいいし、今の自分を動かす願望や欲望を叶えるために星読みのアドバイスを利用するのもひとつの方法です。迷ったときのおみくじ替わりだって、良いきっかけになるかもしれない。でも、ひとつだけ言えるのは...まず『自分は誰で、本当はこころの奥深くでいったい何を望んでいるのか』を深く識り、理解しておかないと、どんな金言もあまり役には立たないかもしれない..ということです。


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  もちろん、それを知りたいから星を読む/しかるべきひとに依頼する..というケースは多いでしょう。けれど星読みはご託宣ではありません。精度(確率)の高い資料を提供され、それを自分のこころが精査し、考え、選択し、その時点での結論を導き出すものです。たとえば、そのときの星読みに釈然としなければ、あえて自覚的にNOと言ってみる。そしてその疑問やひっかかりが自分の何処から来るのかを探ってみる。もし欲望や願望が強すぎて「宇宙がどう言おうとそんなの嫌だ〜!」という気持ちが先に立つなら、自覚的にその感情に従ってみる。わたし達はそんなとき、いつもどこかで「何が自分に起きるのか」を見ています。星読みと自分の気持ちのどっちが勝つか...みたいな感じかな。そしてその結果を引き受け、味わってみる。まぁ自分の経験から言えば、結果だけを見るならほとんどは星読みが "正しい" と言えるのだけど。

でも。葛藤しながらも自覚的に選択した道は、結局最後には「自分自身をよく識ること」に繋がります。もしかしたら、最初のこだわりなんて忘れてしまうくらいに。たとえ後悔が残ったとしても、自分の弱さ、もろさ、反面の意外なしぶとさや身に付いたクセを嫌というほど見られるのって、自覚的な選択をしないとなかなか出来ないことではないでしょうか。だからすごく痛くても、実はとても良いこと。今の自分が本当は何を望んでいるかを、掛け値無しに識ることになるのだから。そしてそこから全てが始まるのだから。


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  だからこれから先は、何よりもまずそのこと — 他者からのインプットや先入観抜きの、真の自分の姿 — を大切に生きていけたらいいな、と思っています。 遅い惑星達がそれぞれチャレンジングな星座宮を運行して社会を揺らし、幻を見せる今。本格的に牡牛座入りした天王星のエンジンも温まって、あらゆる「物質」と「価値観」へのテコ入れをスタートした今~夏にかけて。 これまで見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じてきたわたし達が、何も見ず何も聞かず、何も信じることなしに、自分と世界を素のままに感じていくことは出来るでしょうか? それはかなりの挑戦だと思います。けれどダメ元で試してみる価値は大いにありそう。たぶん星々があれやこれやと提示し、ときには誘惑さえする百花繚乱の道筋の中で、一番チャレンジングだけど選び甲斐があるのは、そんな道かもしれません。それは、ひとによっては「わたしであること」の奇蹟に出逢う旅になるでしょう(知ろうと知るまいと)。そしてそのことに気付くかどうか...というより、気付きたいかどうかもわたし達次第です。

  そんなこんなで、5月からの世界はますます混迷を深めていくと思います。根こそぎの変化のための、セットアップ。おそらくそれは、世界がこの時点で必ず通らなければならない道なのでしょう。いつになく長く続くSノードと土星のコンジャンクションは、過去からの木霊を呼び覚まし、結果として世界中に埋もれた様々な秘め事を表面化させるでしょう。日本にも多かれ少なかれそれは起きるかもしれません。けれど世界に蔓延する社会的不公正は、日本の比ではありません。そして腐臭を放つのは体制側だけでもありません。反体制だろうと、アナーキストだろうと、セレブリティや実業家だろうと、人間が関わるシステム — その作用と反作用 — の全てはことごとくその存在価値を問われるのではないかと思います。


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  そして、惑星達が映し放つ膨大な人間存在の原動力は、思考、ことば、肉体が持つ本能的な暴力性を刺激し、数々の抵抗運動や暴力的鎮圧、狂信的行動、あるいは経済・軍事衝突など、多様な形をとってより強く顕れてくるのではないでしょうか。誰かを陥れる陰謀や大衆的な魔女狩りも止まないでしょう。またわたし達の目に見えにくいサイバー世界でも、すでにその激震は始まっていると思います。一方、「死」のイメージを通して「生」を見直していく...というテーマも含まれていることから、一時代を築いた著名人の訃報やテロ事件、災害のニュースもこの先続くのではないかと思います。けれどこうした多様な事象を貫き通す一本の針は、「自分と他者」「こちら側とあちら側」の赤裸々な姿をわたし達にかいま見せてくれそうです。

こうして、その日その日を暮らしていくわたし達がそれと気付かないうちに...時代精神は少しずつ変わっていきます。今、多くのひと達がそれぞれに信じている物事やその正しさも、いつの日か歴史に埋もれていくでしょう。わたし達人間が放つ、ひとときの活き活きとした喜怒哀楽。それはどれほどときが経とうとも変わることはないのだとしても...。

けれどそんな中で、嵐の日も、うららかな日も、たとえ怒ったり泣いていたとしても。ただ自分自身のままでいられることのひっそりと深い幸せを、感じていられたら...もしかしたらそれが全てであり、同時に全ての始まりとなるかもしれません。


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  ところで、今回★5月新月のサビアン・シンボル★は去年11月の新月記事で扱った度数の対向度数になります。去年の記事には互いに補完する意味として今回の新月のシンボルも説明しているので、興味あるひとは読み返してみてください。シンボルはその都度の星々のアスペクトを見ながら多少ニュアンスを変えたりしていますが、この度数に関してはおよその雰囲気が掴めると思います。




★ここから気まま記事!★


  さて今回の記事には、新月のテーマにも方向が合致するOOBという現象について書こうかな(またはツイートするか?)とも思ったけれど、たぶん始めると長くなりそうなのでまたの機会に回すとして。少し前にたまたまある方とお話していて出て来たTNOアルチラ(148780)について、手短にまとめてみようと思います。これは今まであまり追っていなかったカイパーベルト天体ですが、この機会に少し調べ直してみました。


altjira


まずアルチラとは:

2001年に発見されたTNO(KBO)であり、公転周期は約295年。とても遠い惑星です。アルチラという名称は、オーストラリア北方民族であるアレンテ族の神話に出て来るエミューの脚を持つ創造神(または動物達の中でたったひとりの人間)で、この世界を創った後に天に帰還し地上に帰ることはなかったといいます。アレンテ族の神話によれば、人間が本当の意味で「存在」するのはドリームタイムと呼ばれる「夢見の世界」であり、アレンテ族のことばで「アルチラ」は「過去との関わり」または「永遠」と同義なのだそうです。


Arrente
  Arrernte welcoming dance, entrance of the strangers, Alice Springs,
  Central Australia, 9 May 1901, photograph


  アルチラはまだ発見から時が経っていないため、その象意は古くから知られている惑星達のように明確な解釈が定まっているわけではありません。けれど現在、およその輪郭についてはコンセンサスが取れているようです。たとえばマーク・アンドリュー・ホームズやエリック・フランシスなどの研究者が様々な事例から、次のような可能性を挙げています。


1.夢見との関連
→夢の解釈でも有名なジグムント・フロイトはASCにアルチラがコンジャンクト
→原型、集合無意識、共時性などの概念を提示した心理学者カール・ユングはMCとアルチラがコンジャンクト、太陽にトライン

2.睡眠や睡眠障害との関連
→フィンランドでは2009年に豚インフルエンザのワクチンによって4歳〜19歳までの子供や若者にナルコレプシーを引き起こした。ナルコレプシーとは何の前触れもなく突然眠ってしまう病気で遺伝性を持つといわれる。この集団予防接種が始まったのは、太陽とアルチラがオポジションを形成したとき。そして水星(若者)はフォルスとカオスのオポジションとのタイトなアスペクトを持ち、火星はカルマと毒を示唆するネッソスとオポジションだった(フォルスは突然の出来事の他に「毒性」を意味する場合もある)。

また、アルチラが双子座入りした近年からは、睡眠障害の問題が取り沙汰されることが増え、多くのひとびとが睡眠薬を服用している。双子座は神経質なことでも知られるが、不眠症の増加はアルチラの双子座運行と何らかの関連性を持つかもしれない。

スー・トンプキンスの『コンテンポラリー・アストロロジャー・ハンドブック』によれば、双子座を運行する惑星は「軽く」見えるようになるが、それと同時にエネルギーはより散乱状態になり、とっちらかって掴んだり手に入れることが困難になるという。双子座のアルチラの下で、人間は質の良い睡眠を手に入れることが難しくなっているのだろうか? 

双子座は情報の収集とそれを共有する活動を支配する。アルチラの双子座入りに連動して「ソーシャル・ドリーミング」と呼ばれるメソッドが近年の欧米社会で多く用いられるようになった。それはひとびとの夢見を社会現象の探求に役立てる試みで、夢を解釈したり、夢を見たひとに焦点を当てるのではなく、見た夢そのものをその場に提供することで社会的に共有し、それに対する自由な連想の交換を通じて異なる観点を理解するための手段とする活動のこと。



1.冷酷、無関心
2.引き籠もる、遠いところ、傍観者、何も気に掛けない
3.大局や全体の構図だけを見てそこに含まれる苦しみには気付かない
4.現実を見ない、現実に気付かない
5.創造性、夢見の力、想像力
6.古代史や民俗学的研究
7.   超自然的な力や現象、サイキック
8.詐欺、ペテン、インチキ宗教との関連


以上、どうでしょうか? 二人のアストロロジャーの解釈だけをみても、やはり睡眠や夢、そしてどこか「夢見心地」でふうわりと現実離れしたような心理状態が透けて見えるような気がします。


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  また、今回アルチラのことをまとめるきっかけとなった方の話では、幼少時に家族からネグレクトされるようなケースも見られたとのこと、他にも殺人などの凶悪犯罪では多くのひとびとに囲まれながら、何故か誰も助けに入らなかったという特異な状況の例がいくつかあるようです。またわたしの知る例では、太陽・月のミッドポイントにアルチラがあるケースで、幼少時に親からの過干渉を受け、遠い世界を夢見て引き籠もりがちな子供時代を過ごしたというケースも見られました。おそらくそれらはどれも、ひとりのひとが精密に織り上げていく人生というタピストリーの重要な要素のひとつかもしれません。けれど見知らぬ他者のひとりに過ぎないアストロロジャーが、限られた機会と時間の中で対象となるひとの生の全体像を掴むことは不可能です。出来ることはただ、当該チャートに示された他の惑星達やアスペクトを精査した上で、そのひとの人生の底流で響き合う複雑な和音をひとつひとつ聴き取るように調べていくこと。対話の中で、輪郭を探っていくこと。けれど何より大切なのは、そのチャートを携えて生まれたひと自身が、自分が見たことのない(または見ようとしなかった)深みを覗き込もうとする意欲を持つこと、あるいはその準備が出来ていることかもしれません。アストロロジーは自分で考え、自分の脚で歩いて行くためのツールだから。

  さて、比較的近年に発見された小さな惑星や遠い惑星達の象意を研究する手掛かりとしては、その名称にまつわる神話とともに、その星が発見されたときの「ディスカバリー・チャート」を惑星のネイタルチャートとして見ていくという技法が先達者達によりその整合性を認められています。これはつまり、この世界においては「認識されること」によって初めて何らかの「関係性」が成立する、という理論に基づいているのだと思います。また、他にもその惑星が持つ独自のノード軸を使う方法や、会合サイクルと社会的事象を照らし合わせて解析するという技法を使うケースもあります(これは主に遠い惑星の場合)。ではアルチラの発見チャートを、アスペクトにサビアン・シンボルを加味しながら見てみましょう。

altjira_discovery


  この発見チャートでアルチラ自身は牡牛座23°台に在泊しています。アルチラの場合は幸運なことに発見時間が報告されているので、アングルも正しいと見ていいでしょう。特徴的なのは4室射手座に月と冥王星のタイトなコンジャンクションが見られること。これは内的な領域(4室)に籠もりながら遠く深遠な世界(射手座13°台)を見ている感じ。そして10室双子座の土星とヴェスタ(アンビバレンツ、理解しにくい表現、言語の問題)にはオポジションを形成、12室のジュノー(声にならない想い)が調停、そして魚座のブラックムーン・リリスがTスクエアを形成しています(離れたところからもうひとりの自分がじっと観察している感覚)。

また、牡牛座のアルチラ(主役)からは4室射手座のカイロンとイカルスのコンジャンクション(表面に立つことへの密やかな願望と恐怖)にクインカンクスが形成され、11室蟹座の木星(と小惑星ヒプノス/「睡眠」の擬人化)からは射手座のアスボルスとアグニ(と山羊座0°のSノード)にクインデチレが形成されています。これも表に立つこと、明確に表現することに関する傷と火の試練を物理的に体感する感覚と、それでもなお見えない何かを赤裸々に解明したいと悶えるような感じを受けるフォーメーションです。

木星とヒプノス(チャートには表示されていません)がコンジャンクトしているのは「眠り」によって苦しさや傷の部分を優しくくるみ、触れやすくするような効果をもたらしているのかもしれません。土星・ヴェスタと隠された12室に在泊する声なき声を持つジュノー、そして2室天秤座の水星の小三角も、グルグルと同じところを巡りながら糸口を見つけようと頑張っている感じを受けます。

また、水瓶座の海王星、天王星、そして魚座の小惑星インシデンティア(何事かが起きるきっかけ、または動機)からそれぞれ順にトライン、セスキスクエア、クインデチレを受けているのが2室の金星とルシファーのペアというのも興味深いですね。これはまず自分自身のバランスを保ち、何事もなく過ごすことに難しさを覚える傾向、そのためには海王星(イマジネーションの力、逃避行動)の力を借りる必要があることを示しているようにも思えます。これは「夢見」や「サイキックな力」とも考えられるし、もう一つの要素とされる「無関心」や「無視」という状況にも通じるかもしれません。


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  ただ、一件だけ無関心の例としてマーク・アンドリュー・ホームズのサイトにも挙がっていた事件に関しては、注意が必要です。これは1964年3月13日ニューヨークで起きた有名なキティ・ジェノベーゼ殺人事件で、NYタイムスが「38人もの目撃者がありながら誰ひとりとして助けようとしなかった」と報道して当時ずいぶん話題になったそうですが...。これを英語圏のwikipediaで調べてみると、いわゆる「ガセネタ」だったようです。この件では記事を書いたのが著名な有力記者エイブ・ローゼンタールだったために、当初は誰も指摘しなかったそうですが、ある心理学者が声をあげた後で大きな批判の的となり、NYタイムスは後に「あの記事は目撃者の数をおおげさに誇張した欠陥記事だった」と認めたそうです。そして事実が明らかになり、実際に被害者の叫び声を聞いたのは近隣住民の数人のみで、それも家の中であまりよく聞こえなかったこと、ひとりだけ気付いて犯人に「やめろ!」と声をかけた男性が存在したけれど、すでに遅く、被害者は助からなかったというのが現実だったとのこと。

今でもメディアが話を盛るというのはよくあることだし、最近もNYタイムスやワシントンポストはかなり酷いなと思うことが頻繁にあるけれど、とりわけ過去のイベントを調べるときは何もうのみには出来ないのだな...と思いました。特に本来のマンデーン・アストロロジーの分野では、真摯なジャーナリスト並みのファクトチェック(少なくともその精神)が必要かもしれません。ひとびとの関心を誘う過去の特異な事件はアストロロジー研究の格好の資料にはなるけれど、いつの日もファクトとフィクションの間を右往左往する人間のサガってアストロロジャー泣かせです。そしてアストロロジャー自身もそんな人間のひとり。焦らずうのみにせず、飛びつかない。アヤシイものは潔く手放す。星読みにも人生にも、同じ金言があてはまりそう。。


  おっとまた話が逸れた!!😓 そして...。主役のアルチラが在泊する牡牛座23°台のサビアン・シンボルを見ると、ベースが『宝石店』でメインが『髪をスカルプロックにした馬上のインディアン』です。これは「美の世界や詩的な世界に遊びたいと願いながらも、様々な試練の中で自分を証明していかなければならない道程」を示す度数。

.....さぁどうかな。。 こうしてみると、ドリーム・タイムの創造神、アルチラが提示するテーマの輪郭がなんとなく浮かび上がってくるのではないでしょうか?


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  もちろん、チャートの解釈はひとつではありません。対人であれば当事者と話をしながら修正していけるけれど、惑星自体は何も語ってはくれません。だから様々な事例を研究していくことが全てになります。読み手によっても色々な角度から気付くことが出て来るでしょう。もしあなたがアストロロジー実践者なら、このチャートから何を発見するでしょうか? それは「自分自身を識るためのツール」になり得るでしょうか? もし何か気付いたら、ぜひコメント欄やTwitterで教えてくださいね(^_^。

  最後にひとつだけ、大切なこと。火星と木星の間のいわゆる小惑星帯に属する小さな惑星達と、ケンタウルス族、TNO(太陽系外縁天体)、KBO(エッジワース・カイパーベルト天体)、SDO(散乱円盤天体)と呼ばれる天体とは扱い方が異なります。

小惑星帯の小さな惑星達は、名称惑星を含めて本当にピンポイントで狭い範囲の象意を持つため、主要な惑星が持つ広範囲の象意から「これ」という方向性を選ぶのにとても役立ちます。 けれどアルチラを含めて上に挙げたような遠い惑星達は少し意味が異なります。たとえばアルチラの公転周期は冥王星(約247.7年)とほとんど同じくらい。つまり、彼らは主要惑星のもう一つ深い層に働きかけ、世界規模の出来事に影響する集合無意識を映すものと考えられるからです。だから個人レベルでエネルギーの相関性が生じるのはどちらかというと、潜在意識から無意識層に近い部分。自我意識よりは魂レベルと称されるような領域のもの、または輪廻に関わるような大テーマと考えておいてください。

これをもう少し噛み砕いて言えば、こうした遠い惑星達が担うのは、仕事や家庭生活で起きること、幼時環境の感じ方、出逢いや岐路にあっての決断、そして長い間の人格形成など、人生のときどきに起きる物事そのものというよりも、それらの全てを貫いてはたらく「因」の部分に色濃く関わる領域だということです。だから冥王星をはじめとする外縁の遅い惑星達が持つ象意や傾向は、種子のようなもの。そしていわゆる主要惑星と小惑星帯の小さな惑星達は、目に見える(または意識しやすい)茎、葉、花、そして果実の部分だと考えていいのかもしれません。けれど、全ての種子はポテンシャルとしての果実をすでに内包しています。だから、外縁天体のそれぞれを自分なりに深掘りして意識してみることは、たとえ日々を生きる上で即座に役立つものではないとしても、実はとても大切なことではないかとわたし自身は考えています。


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  また、多くのアストロロジャーが自分独自のチャート解析法を持っていますが、たとえばTNOなどの遠い惑星と小惑星を頻繁に使う先達達は、三重円を使うことが多いようです。まず内円には太陽から冥王星までの通常使う主要天体。その外側に小惑星達、そして一番外側に遠い惑星達を表示するというように。そうすることによって、まず主要惑星のみで物事や人物のアウトラインを掴み、その外側の小惑星でピンポイントの傾向を掴む。そして、その根底の霊的、または潜在的なテーマを見る必要があるときに遠い惑星を見る...というようなやり方です。

もっともわたし自身は色分けするのみで、全てを一つのチャートで見るやり方をしています。単にそれに慣れてしまったというのが理由ですが、結局は自分自身の目的がそのチャートのより深い原動力を知りたいということに尽きるからだと思います。もちろん何かが上手くいくか、いかないかというのも大事だと思うけど、どちらに転ぶにしても、その選択が何故行われ、その行動が何を意味し、自分が何故、どう動かされていくのか? それを理解してみたいのかもしれません。それにはサビアン・シンボルが持つ底知れぬ深みもまた、道しるべになってくれています。


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  5月のテーマと、アルチラのお話。思いつくままに書いてみたけど、何かのヒントになったでしょうか。

ふり返ってみると、このブログを始めたのって2010年の2月だから、もうずいぶん経ちました。もしかしたら、10年が何かの区切りになるのかな...?などと思いつつ、まだ何も明確には見えてはいません。でも、世界は変わりつつあり、そこに生きる自分自身もまた確かに変化しています。いったい何処へ帰ろうとしているんだろう? うーん...それはまだ解らないけれど、きっとだからこそここに居て、生きているのでしょう。

二度と繰り返すことのない、今この一瞬。2019年5月。
みんな大事に。楽しんで。生きようね🔥





have a great trek!!!★

hiyoka(^_^

hiyoka_blue at 21:59|PermalinkComments(2)